私の写真遍歴 |
一眼レフを 初めて手にしてから どのような経過をたどって 今日にいたったのか 振り返ってみました
私の大好きな ボレロ と共に よろしければ お付き合いください
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写真を始めた動機 |
平成6年4月 一卵性双生児と言われるくらい 仲のよかった 母が 亡くなりました
彼女は 私の すべてのことに 目をつむり ただ ひたすら自立をのぞみ 事ある毎に
”一人で遊べ 一人で遊べる人間になれ” と 言い続けました
一人で遊べない人間に 本当の 自立 はない 自立 のない人間に 自由は無い と言いたかったのでしょう
この言葉を 遺言と思い カメラを 友達に 私の 一人遊び が始まりました
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ミノルタ303 28ミリ 70ミリズ−ムレンズ
はじめて入会したクラブでいわれた ショックな言葉
”なんで ここで シャタ−押すんか 分からへん?”
唯一 褒められる? 言葉
”それだけ シャタ−を 押す事を怖がらんかったら
いつか ものに なるやろ”
ただ 本人は ”常識に振り回されない 良識ある写真”
を目指し シャタ− を押しまくっていました
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ミノルタ707 100ミリ 300ミリズ−ム
写真は 光
整理しろ
切り取れ
どうしても 広角が 使えず 望遠に頼っていました
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100ミリ マクロレンズ
江口慎一 木村秀人さんの 花の写真に魅せられ ”マクロ 命” と
日曜日 雨が降っていると 大喜びで ずぶぬれになりながら
カメラが 動かなくなるまで 撮っていました
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動きのある写真
ある講習会に参加した時 講師の方に 有名な外国の写真家の写真を
見せていただき 目が釘ずけになり 動いているものの写真の
とりこになりました
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16ミリ 魚眼レンズ
二つ目に入会したクラブで 魚眼レンズで撮った 素晴らし写真をみて
まだ早い と言う声を聞き流し 魚眼レンズを手に入れ
”魚眼レンズらしくなく 魚眼レンズでしか撮れない写真” と
分けの分からないことを 言っていました。
が やぱり 10年早かった!
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モノクロ写真
ヘンリ−フオックス タルボット の ”開いた扉” に出会い
モノクロ写真に目覚めました
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17ミリレンズ
魚眼レンズを 使ったおかげで 物に近づいて撮る
ということが出来るようになりました
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ミノルタCLE ・ ノ−ファインダ−写真
クラブの方の とても自然な人のスナップ写真に出会い
ノ−ファインダ−ということを 覚えました
しかし 簡単そうで 私には 一番難しい
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50ミリレンズ 一本
もうこの辺で 理論を勉強しゃなきゃ− と 学校に1年間の予定で通いました
暗室の実技は面白かったけど 講義は ほとんど 覚えていません
先生 ごめんなさい
しかし タングステンフイルム、 フイルタ−、 感度をあげた写真と
いろいろのことを知りました
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デジカメ
パソコン加工の写真は どうしても 好きになれなかったのですが
ある写真展で すばらしい写真に出会いました。
いろいろ調べたら 版下の知識がなければ 無理ということで
あきらめていたのですが仕事で パソコンをやるようになりました
ならば デジカメをと 手を出したら あまりの手軽さにはまってしまいました
しかし 絞りの無い写真にあきてきました
一眼レフ デジカメに とても 興味があるのですが・・・
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28ミリ70ミリズ−ム
隅のほうに 忘れさられていた 広角ズ−ムがでてきました
一度持って出掛けたら もう手放せなくなりました。
ということは 結局 初心に戻ったということなんでしょうか?
写真を始めた頃 荷物の重たさを嘆いたら ”それを重たいと思うのなら
写真をやめろ” といわれたけれど 身軽ということも大事だよ
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現 在
今 パノラマが 面白いと思っています
しばらく はまりそうです
引越しでとだえていた プリント作業も再開したいと思います
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これから
何を始めても 恰好からはいてしまう私 写真もご多分にもれず
二眼レフの恰好良さに憧れています
ピンボ−ル写真も むつかしそうだけど 興味しんしんです
そして なんといっても 人間がおもしろい
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最 後 に
一人遊びの友達だったカメラ 最初は私の行きたい所に 黙って付いてきてくれていましたが 最近は 主張をはじめました
そのうち ”私はそんなところ 興味ない 一人でいけば” といわれそう
その時が 私の 本当の一人遊びのはじまりなのかもしれません |
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