美を求めるこころ ねんりん誌より T・S先生記
弓道の目的は真善美の追求であるという。
真と善とは抽象過ぎて理解しにくいところである。
美というものは少しは具象的なところもあって、理解を得やすいところであろう
色、形など目に見えて認識し得て良否の識別も出来ようものである。
たくましい男性を見れば美しいと思い、花もしたたる美女をみれば、
美しい好もしと思う心も湧こうものであろう
天性の美というものも当然美のうちであるから、美人だから弓道の採点が甘くても当然である。
男性にだって天性の美も当然あるし、射の上手、下手も何も修練のみによるものでなく
天性が大きく左右していることでもあろう。
さて、 明治末、大正、昭和初めに芸術に活躍した人に北山魯山人という人がある。
篆刻、朱肉造作、書画、作陶、料理作り、盛り付け等々芸術すべてに秀でた人でもあった。
私の殊に彼に心酔している点は作等してして形あるもの得た時まずいものでも壊すことなく、
魚を書き加えたり、銀彩を施したりして、命を蘇らせて、愉しむことが出来るようにする能力を
持っていることである。
彼は常々『美を求める心』の必要を説いていた。町を歩くにしてもボンヤリとしていては
駄目で、何か美的なものは?何か美しい音楽や香りは聞こえてこないかなどと
常に美の感動を求めて、気を配っていなければ芸術美の追究者とはなれないのでという。
我々が射礼みても漫然と見るのでなく、その中から美を見いだせば、射道の芸術性を
高めることが出来よう。
体配美、調和の美、動作の美、集団の美、個々の美、射の美、的中の美、弦音の美、
我々が感動しうるものには感動して、射行の芸術性を高め、
『武士道は死ぬことと身につけたり』等と云わず、
『武士道は芸術を見たり』といいたいものである。