
11月16日(日曜日)
深夜0時15分、やっと飛行機は飛び立った。みんな眠る体制だが、僕は眠たくない。先ほどのDVDの続きを見る。お菓子やジュースを配るが、ひたすら酒を待つ。やっとビールが来た、「ウィスキーPlease」。持ってきてくれました。だが飛行機の中は乾燥しているのですぐになくなる。またスチワーデスさんが来たの、指を一本立てる。彼女はインド人で相当大柄な美人。かいがいしく動くのが不思議な感じ。「あら、この人よく飲むわね」と思われたのだろうか、二杯目はものすごく濃いのが来た。午前3時までDVDを見て、やっと寝る体制になった。だが5時には機内の照明が点灯し朝飯の準備に入った。頭は呆然としている。飛び立ったときのボーイング777は対地速度が540kmだったが、日本に近づくに従って速度が上がりいまでは1000kmを超した。予定より3分程度早く到着。もう英語におびえることはない、空港の表示も日本語になった。帰り着いて洗濯の後睡眠。午後3時起床。夕食の買い出し。
11月15日(土曜日)
今日の朝飯はビスケットでもなく、ホテルの朝食でもなく、ホテルの近辺にある
イスラム系のレストランで、傘を持って出かけた。今は雨季に当たり雨はいつ降るのか分からない。今度は一昨晩とは違う店に入った。要領が分からないので戸惑っていると従業員のおっさんがご飯をよそってくれて、eeg?と聞くので「yes」。食事に関してはすべてが「yes」。朝から焼き飯に揚げた卵が乗っている食事だ。強烈なスパイスの焼き飯。ドリンクは「hot tea」。ところがこのお茶は濁っている、紅茶にミルクが入っているため。そのミルクがどうもココナツミルクらしい匂いがするのだ。これは大変だ、ココナツミルクは下痢の王様だと聞いたことがある。お茶をできるだけ混ぜないように上澄みだけを飲む。3.4RM(日本円に換算して100円程度)どうだ参ったか?この味になじめない人がいるというが、本当か?食べず嫌いでは?。ただし不潔ですね。このよそってくれたおっさんは、フォークと、スプーンを手渡しでくれたが、柄の部分でなく、先の食べもに触れる部分をつかんで僕にくれたのだ。彼らに清潔感がないというのも、分からんでもない。というのは彼らは食べ物を手づかみで食べるのだから。その後コンビニで水。新聞も見てみたいので買った、「Ster」紙、254頁もあるぞ。写真を見てくれ、高さでもこれだけある。最初ホテルはこの新聞を各部屋に届けてくれた。へぇ〜このホテルは、新聞も3紙くらいを届けてくれるのかと感心したが、実はそうではなかったのだ。一紙だったのだ。コンビニ価格1.2RM(36円)。日本の新聞がいかに割高分かりますね。10時からこの街の中心の中心KLショッピングタワーへ。日本で言えば東京銀座ですね。世界ランキング4番目のノッポ建物。この下にショッピングセンターが広がる。半日ほどかかる広さの規模。とても現地の人が買えないような高級なブランドショップがある。まずはヘルメスから。British Indiaと言うここだけのブランドがあって覗くと、センスの良いシャツがあった。4,000円くらいだったので買おうか気持ちが働いたが半袖だった。断念。そうです気温30℃の世界では長袖は不要なのです。このビルの外には公園が広がりその一角はプールがあり、子供達でにぎわっていた。紀伊国屋でマレーシア関係の本を薦められるまま買ったら3冊で10,000円。日本の価格を見ると5,000円。本は高いのだ。その中に怪傑ハリマオがあった。僕はこのテレビドラマが一番好きだった。月光仮面よりも好きだった。そのハリマオと言うのは、マレーシアを舞台にした物語だったのだ。今日初めて知った。そうこうしている間に昼となり、4階のファーストフードの店に。と言ってもきちんと料理したお総菜がガラスケースの中に並び、それとご飯を注文して、食べるシステム。あれも喰いたいこれも食いたいという気になる。そんな店が20店ほど円形状に広がっている、その中央はテーブルがあり、お客はこのテーブルで食べる。仲間と相談の上ここに腰を落ち着けることにした。野菜を中心にした食事。朝も似たような感じだが、僕は全く飽きない。スプーンと
フォークで食べるが、どちらが正しい持ち方なのか周りを参考にした。魚もこの2つを使って身の部分だけ食べるコツを覚えた。食事の後公園に出て、周りを散歩した。2つの大きなタワーを写真にとった。来ている人もみんなそうしていた。ショーンコネリーとセタジョーンズが出演した「エントラップメント」の舞台にもなった。その後、仲間の用事で空港途中にある体育館に行くことに、待ち時間の間誰も使ってない競技場の周りを2周するなど、すっかり運動ベースで過ごした。気温は31℃。午後5時に空港に送り届けてもらい、23時50分までここで過ごす。まずは切符の登録。だが、カウンターが分からない。マレーシア航空の兄ちゃんに聞いてもよく分からない英語だ。結局電光掲示板と自分の感とで探し当てた。次はお土産、我が職場は出かけていった先でお土産を買うのが習慣みたいなものになっている。前回はお菓子の売り場を探すことができなかったのでお土産は
買わなかったが今回はそうも行くまい。2つほど買ったら、「third〜」と店員が言うではないか?首をかしげると、「3つで1つサービス」と日本語で言ってくれた。了解。次、夕食。ほぼ朝と同じメニュー、これにビール。ところが、食事は300円程度だったのに、ビールが入ったことによって1,200円になった。イスラムの国なので、所々で酒は高くなるのだろう。だが、旨い。食事の後しばらくこの席で今回の出来事をまとめる。それほど空いていた。ゆっくりできた。後で分かったことだが多くの人は出国検査を通り抜けた所にあるレストランで食事をしているようだ。午後8時、まだまだ時間はある。インターネットが利用できるカウンターがあり、ここに電源があったので、今までまとめた文章をPCに打ち込んだ。たったままの作業なので疲れた。9時、今度はコーヒーショップで再び文章入力。10時。今度は出発ゲート近くの椅子で、昨日買ったセリーヌディオンのDVDを見る。彼女のコンサートはまるで映画のミュージカルのように洗練されて劇化されてスゴイのひとこと。安いDVDだったのでPCの再生は時々止まる。まぁこんなものか。23時15分。ゲートイン。
11月14日(金曜日)
朝飯はホテルで食うと高いことがわかったので前の日に買った食糧で間に合わすことにした。しかし、このコンビにはあいにくとパンがなく、ビスケットを買った。このビスケットを10枚食うと妙に舌がしびれてきた。メラニンが入っているのが見つかったニュースがあるそうだ、というのを思い出した。同じアジアでも中国は嫌いですね。事務所には8時に着いた。始業は9時からなので、それまで外に出てぶらぶらしていると、めずらしい鳥が飛んできた、そうだここは野鳥の王国だったんだ。12倍のカメラで何カットかして、守衛のおじさんに見せると
「MAINA」という名前で、羽に白の飾りがあるそうだ。社員がほとんど出勤すると暇なので、僕に付き合ってくれた、いろいろ教えてくれる。この写真はココナツだそうだ。昼飯は向かいにある、イスラムの食事の店。彼らは、夜や昼に大きな音を出しお祈りをする人々だが、食事は実に旨くて安い、ご飯の周りに、自由におかずを載せて料金は8.5RM。あまり清潔そうな店ではないのでドリンクはコーラ
ーにした。この組み合わせでもまぁ何とかなるものである。空を見上げると晴天で、ぽっかり白い雲も浮かんでいる。夏の天候ですね。気温は32度程。午後1時の影を撮影したのがこの写真。赤道直下なので、影が短い。この後郊外のショッピングセンターへ。ついでに両替。いかがわしい店で替えたが、関空にある三菱USJ銀行の両替と比べて率が良い。いよいよもって、三菱銀行が嫌いになりました。お金に余裕ができたので、前からほしかったセリーヌディオンのDVD 2枚組を買った。2,100円。目的も果たしたので帰る段になったが妙に外が騒がしい、出口に行ってはじめて分かった。バケツをうつすような雨が降っている。今日は屋外の駐車場に車を停車したのだ。仕方なくスタバで時間を費やす。スタバも安い。カフェラテとエスプレッソで310円ほど。30分ほどで小降りとなり帰途につく。事務所でメール作業をしばらくした後、帰宅と夕食をかねて事務所を出た。そこでまた、バケツをひっくり返す雨に。食事は当初
の予定を変更してモールの中にある焼肉レストランへ。残念ながら肉はまずい、イスラムの国には優良な肉が来ないのだ。スーパーでも肉のコーナーは小さかった。1g1円だったけど。韓国の焼酎眞露(じんろう)を呑みご機嫌。妙に甘いのが気になった。ここでも一人当たり2,000円少々。いいですね。
11月13日(木曜日)
雨模様の朝、6時半でも暗い、暗いうちは安心だろうと歩道のない車道の横を散歩した、散歩ではコンビには見つからない、結局あきらめてホテルに。仕方ない、ホテルの高級な朝飯を食うか。レストランでは受付に、部屋番号を聞かれる。普通ホテルは朝飯セットの料金で契約するが、僕は別立てとしていた。それで、「I wount cash」通じません。それで財布を見せて「cash」。やっとわかってくれた。少しはなれたところに、日本人でスーツを着た気取ったおじさんがいて、僕を見下していた。ああ、こんなおじさんはテロにでもあってしまえ!受付の人に「where?」 「Each」、席は自由だと言うことだろう。バイキング方式の食事は日本では考えられないようなバリエーションがある。それは、民族が関係しているようだ、中国系の朝食、イスラム系の朝食。そして英国風の朝食。さらに南国なのでフルーツ類がすごい。少しづつ食べましたね、特筆すべきはフルーツ類です。しかし歩くことが期待できないので、量は控えました。事務所で
午前中過ごした後は、「ミッドバレー」にある中国レストランへ。ここは、麺がうまいと言う。麺を主食として、シュウマイに、にんにくの芽炒め、焼き飯、いやぁうまいの何の。ところが、主食となる面は、あっさり系がお薦めというので注文したらあまりにもあっさり系で今一だった。その後、中国系のマレーシア人2人と市内のショッピングセンターめぐり。意思疎通が大変だった。ショッピングタウンはものすごい人たちで混雑している。平日なのにこの人たちはいったい何なのだ。マレー人(スカーフをかぶった婦人)を見かける。最初は違和感があったが、次第に慣れてきた。服装はマレー人なのにスカーフをかぶってない人もいる。これは、メッカから離れているので、少し規律をアジア流に緩めた人たちだと言う。アジアは何でもありなのだ。次のショッピングタウンは「サンウエイ」スフィンクスのある街。ラスベガスのミニミュア版だ。この中に、PENSONICがあった。KENWOODの炊飯器もある。この自尊心のなさはどうだ。CDショップでCD「high
sch00l musical 3」を買った。この音楽は若者の間で最も人気があるとのこと。44.9RMで1,500円程。案内してくれる若い方のお勧めだ、何とか話は通じる。人はこうして、お互いを理解してゆくのだろうと思いましたね。次の場所は、アジアらしい混沌とした小売店が集まった場所「スバング」。この混沌さが、どうも僕の心の奥深くにある「何かを刺激している」惹かれるのだ。熱帯のアジアを一度も体験したことがないのに、ふるさとに帰ってきた気分なのだ。僕は人生を大きく変えてしまう潮目に乗ってしまったのかもしれない。ここに電気屋さんがあって
、いきなり紹介されて、社長さんの注ぐお茶を飲みながらつたない会話。中国式のお茶の飲み方というのは、小さなコップに、お茶を何度も注ぐ。お茶は冷めていて飲み易い。そのお茶を注ぐタイミングというのが「間」だ。実にゆっくりとした時間の流れを感じる。エアコンの話になった、「日本は夏しか商売の時期がない」と伝えると、こちらではオールシーズンエアコンの商売があるという。ことらしい。仲良くなって、若い従業員さんと共に写真を撮影。当社のキャンペーンガール
さんも写真に協力してくれた。右側の娘がいろいろと教えてくれた、1/10位わかった。夕食は、僕をこちらでアテンドしてくれる日本人と中華系の店に。特に注目は「にらの花とひき肉炒め」。日本でも試してみたくなる料理。魚の煮付けも旨かった。これは、生姜が全体を引き締めていた。2,100円程度。ホテルに帰ると万歩計は8,500歩。少し不足、それで、ドアからドアまで何度も往復して11,000歩まで確保した。部屋が大きく、往復で25歩が稼げる部屋でした。ベッドも大きく、僕の場合横に寝ることができるのだ。
11月12日(水曜日)
少し荷物が重いが、京橋まで歩いた。朝歩かないともう歩くのは無理だろうと頑張ったが、少々きつかった。午前8時半関空到着。今回はパソコンを持参するため、まず電源アダプターを買うことに、ここには懇意にしている電気屋さんがあるのでそこで買うのだ。ところが、並べてある品物を見るとほとんどがソニー製品、少しだけビクターがある。おかしいな、いつの間に宗旨替えしたんだろう。しかし時間もないので、とりあえずコンセント変換アダプターを言う。ところが、コンセントの種類はマレーシアだけでも3種類もある。こんなもの3個持って歩けないぞ!そしたら、なんと、世界のプラグに合うアダプターがありました。こんなことを考えるのは日本人だけですね。1,980円で購入。そのあと、店を出て看板を見ると、ソニーの店だった。目指す店は隣にあったのだ、不覚。さて11時のマレーシア航空の便に乗ったが、最低だった。とにかく寒いのなんの。室
内気温10度。暑い国の航空機だからといってそれはないだろう。上空に達したところで、いすの上に立ち空気の噴出しを全部止めたがそれでも寒い。隣の席の毛布もフル動員し寒さ対策を行ったがそれでも寒い。丁度食事前の酒を配っていたので、昼間とはいえ、ウィスキーを飲んで温まることにした。昼飯はシンガポール航空の機内食と同じ内容と味だった。今はうまいと食っているがそのうちに飽きるだろうな。食事はご覧のとおりだ。とにかく寒く何にもする気が起きない。ということで、PCで「007トモロー・ネバー・ダイ」を見た。爽快。だが、まだ着かない。もう一本、今度は「シャレード」オードリヘップバーンのキュートでかわいいこと。どんなに多くの人の中でも、彼女だけは輝いているのが目に見えるようだ。この2本を見てやっと飛行機は降下を解し始めた。クアランプー
ルの気温は30度とのこと。着陸はドスン。全日空と同じ。ところが先月乗ったシンガポール航空のパイロットは、カタカタとまずタイヤだけが設置して、まだ飛行機は空中に浮いている状態が続く、そしてゆっくりとタイヤに機体をかける。この違いがある。そして出口へ、トイレがしたかったが集団が動くのに着いていかないと迷ってしまう、ひとまず我慢。そしてイグミネーションを通り抜けて、タクシーチケットを買うのだが、どこで?「Where is TAXI ticket?」通じてません。やっとわかってくれたのが、「TAXI COUPON」。これを買っておかないと、流しのタクシーはボルらしいのだ。チケットを販売してくれたお姉さんは「さんばん」と言う。多分3番ゲートで乗れということだろう。タクシーの運転手はお決まりの質問。「Fast」と答えればよい。マレーシアには何回目か?ということ。ホテルは
「EASTEN hotel」。やっぱりホテルで問題がおきる。エレベーターは前回の教訓を活かした。今度は部屋が開かないのだ。もう一度フロントへ、この部屋は「1112」ではなく、「1712」です。写真を見て欲しい。きちんと読める文字を書けぇや!夕食はホテルで食事をすればよい。とんかつもあるから。と聞いていた。しかし僕の心の中では何でここまできてトンカツやネン。それでホテルの周りを歩いてみた。車の道しかないので遠くにはいけない。この近辺はイスラムの人たちばかり。レストランもイスラムの食事、したがって酒がない。でも勇気を出してそのうちのひとつに入った。「How
mach?」 「6RM」OK。メニューを見てもわからず、少ない写真の中で焼き飯を注文した、ナシゴヤンと言う、チキンは必要か?「yes」 料理が出て区までの間、調理の風景を写真に撮影した、しばらくすると一番えらそうな人が来て、料金表を撮影しただろうと言う、えらい剣幕。従業員も数名が僕の周りを取り囲んだ。僕はびっくり。「Erase」と言い目の前で消して一件落着。それで離れていった、ほっとした。しばらくすると引き返してきて 「Where from?」 「Japan」と答えると、途端に愛想がよくなり、写真を撮れ、俺をモデルにと言う、それがこの写真。そのあと、取り囲んだ人が格闘技を知っているか?とかいろいろ聞かれた。僕は日本ではPCのことしか関心がなかったので、タレントもスポーツも知らない。私の友人関係はみんなこのような常識を知っているので僕は知る必要がなかったのだ。今度日本に帰ったら時々スポーツ新聞も見よう。さて、肝心の料理であるが、これがスパイスをふんだんに効かした焼き飯。カレー粉が入ってないスパイスの焼き飯といったほうが良い、とにかく強烈。飲み物はオレンジジュース(本物)この料金は9.5RM(300円位)ホテルなんかで食うとこうした体験ができない。
11月11日(火曜日)
疲れのせいだけではないと思うが、今朝は寝過ごしてしまった。窓の外ですずめがうるさい。まだ夜が明けてないのに何ですずめが騒ぐのだろう?。少し考えてから、薄目を開けると部屋の中は明るいではないか、もうすっかり夜が明けてしまっていていた。午前7時だった。まぁ職場が近いので8時ごろまで寝ても大丈夫なんだけど。さすがに新聞を買いに行く暇はないが食事はきちんと作っていただいた。夜、インドネシアの責任者が日本に来ているというので食事懇親会の声をかけていただき早速伺った。インドネシアというとスハルト大統領が押さえ込んでいたときは経済が発展したが、その後の無法地帯となって失速し低開発国だと認識していたが、どうやらそうでもないようだ。なにせ、2億人の人口を抱える国だから、いろいろなことのスケールが大きくなる。爆弾も頻繁に爆発していて段々と慣れっこになってきていますよとのこと。いはやなんともいいがたい。ビールは地ビールで結構いけるとの事。イスラムの国なので肉類に制限がある。それと生卵は食べられない。危険らしい。風光明媚なところまでは話が進まなかったのは残念。早速12月に訪問する約束を取り付けた。
11月9日(日曜日)
ヘラルドトリビュー紙の切り抜き記事で、アラングリーンスパンとジャネットジャクソンの特集を約した。僅か2枚の紙切れなのに、5時間もかかった。やれやれ。それでも正しい約なのかどうかは不明。まだまだ英語の霧は晴れない。この調子だとあと半年はかかるのではないかと思う。どんな勉強法が一番自分にあっているのか不明。今の方針はとりあえず単語を覚えること。それで、引っかかった単語はわっかで止めた単語帳に書き留め、通勤の時、一ページごとめくって覚えるようにしている。一日20語くらいは頭に入るようだ。次のステップは文章の構成だろう。for、to、in、at、that、which、onこれらが文章の中に含まれると、どこでいったん切ったら良いのか皆目分からないのだ。
11月8日(土曜日)
昨晩はビールばかり飲み、ろくに喰ってなかったので、目覚めがうつろだ。それでも今日はいろいろとすることがあるので、どんどん家事を進めてゆく。12時過ぎに片が付き、自転車に乗って一路心斎橋へ。心斎橋ではオーディオフェアが開催されている。オンキョウのコーナーで辻さんと会った。彼は、僕が高松のショウルームに勤務しているときの高校生のお客様だ。彼は学校を卒業してオンキョウに入社して今では立派な管理職になっている。3年に一度くらいの割でであっている。元吉田社長にも逢った。元と言うのは今は店をたたんで年金暮らしであるから社長ではないのだ。吉田さんには、昔、相当大きな金額をお願いした。近況を話し合い、別館に移動する。ここで友人のK氏に逢う。K氏と逢うのが目的で心斎橋に来たのだ。とりあえず、お茶、近くの珈琲館へ。最近の消息を交換し合い、元気を確認した。大阪に来た義理を果たした感じ。帰りに元黒田さんの両親の営む食堂が野江にあると言うのを聞いていた。帰りに何度か捜すが見あたらないので、今日は自転車だし、じっくり捜そう。と言うことで東大阪病院を左に曲がると、なんと、本人に出会ってしまった。車の中から彼女の子供が数名出てきてきちんと挨拶を返してくれる。いい子達だ。帰りはライフで生ラーメンと生ソバを買って帰る。とにかく1食500円で仕上げるのだ。
11月7日(金曜日)
歓迎会。05年にお世話になったメンバーの人たちから歓迎会を開催して頂く。彼らは皆海外で仕事をした経験の持ち主で、いわば僕の先生になるような存在だ。とりわけ一番元気印のNさんは現在インドでこの会には参加されてない、僕の隣に座った、S氏はウクライナとか東欧諸国を回ってきたばかり。右隣はドイツで長年暮らしていた人。飲み放題の鍋だったが、彼らは飲む、飲む。8人でビール50本くらいは空いただろう。これでは店がマイナスだろう。皆さんは技術職なので話し出したら細かな所にまで思いこみが入り込み、話がなかなか切れない。だからビールが進むと言うのもあるだろうな。いろんな飲み会のグループがあるが、このグループの集まりも特殊。楽しかった。次の集まりの時までには少し英語が習得できているだろう。京阪電車に乗ってすぐに寝込んでしまい、野江で目が覚めた、危うく乗り過ごすところだった。
11月6日(木曜日)
そんなに頑張っているわけでないのに、午後9時半にまぶたが半分閉じ、午後10時には床についてしまった。病気かと思えるほど疲れが激しく眠い。東京時代は、ややもすると不眠症になりかけていたが、こちらでは眠り姫にとりつかれたように眠い。帰ってきてできることは、ラジオ英会話を聞くことのみ。
11月5日(水曜日)
朝起きて自転車に飛び乗って500m位離れた所にあるサンクスに新聞を買いに行く、オバマ氏のニュースをヘラルトトリビュー紙で読もうと。だが?。大統領選が決まるのは本日の午後だと言う。もったいないことをした。その大統領選は家に帰ると決まっていた。やはりオバマ氏だった。アメリカはこうもダイナミックに交われるものなのか?と感心しましたね。少なくとも06年の段階では無名の人。ところが今では世界中の半分の人が知っているのでは。歴史はどんどん書き換えられていく。家に帰って高知から持ち帰った芸西村で一番旨いと言われる父の作ったサツマイモをふかして食べた。電子レンジで13分待てばできあがる。これに、バターを浸すと旨い、さすが評判だけのことはある。南のアジアではタロイモをふかして主食にしているので、日本でも芋を主食とするのはおかしくないだろう的な発想。これにサラダとハムを添えて。
11月4日(火曜日)
3連休英語から遠ざかっているとたちまち頭から語彙が抜けていっている。えらいこっちゃ。今週からまた最初から特訓だ。今日は自転車通勤、帰りに梅田ヨドバシカメラを散策するのが目的だ。僅か15分位で梅田に着き、適当に自転車を止めてぶらぶらできる。このコンパクトな都市が大阪の良さだ。東京では都心に自転車で来るのが結構大げさだった。ヨドバシカメラでは、エスカレータ前に65型の液晶TVを3台並べてデモしていた。65型ともなるとぼけが出てくるので先鋭感のある特別な映像を流していた。とうとうここまで来たかというのと、それでもこんなモノかという感じが交差する。帰りに空腹感を覚え、久しぶりに「空心食堂」でご飯とおかずを取って頂くことに。大ご飯を注文したのに、少し減してと言うと、食堂のおばさんが、そんなら中ご飯にしとき、値段もちゃうし。こういう人情が大阪なんですね。
11月3日(月曜日)大阪へ
昨晩は7時半に床につき、起きたのが午前6時。目覚めは雨音だった。なんと優雅な目覚めか。朝一番の飛行機で大阪へ。大阪は曇り。9時15分に梅田。紀伊國屋書店が開くまでお茶。紀伊國屋書店でなければ買えない書籍があるので、少し時間が無駄になるが時間調整をした。目的の書籍は買ったがぶらぶらしていると、「何がスゴイか万能細胞・技術評論社」がおもしろそう。新聞で話題になっているipsがわかりやすく掲載されている。更にぶらつくと「アジア三国志・ビル・エモット」これは、これから訪れるインドの事について書いてあるのでつい買ってしまった。余りぶらつくと財布が空になるので、ここら当たりで精算をして他のところはできるだけ覗かないようにして店を出た。道中は「アフリカ苦悩する大地・ロバート・ゲスト」を読んで帰った。この本はアフリカがいかに経済発展をするのが難しいのか克明につづっている。人間が欲望の赴くままに生きるとどうなるのかと言うのがよく分かる。
11月2日(日曜日) マグロの話
ここから梅田までネットで検索すると、一本の電車があるではないか。関目高殿駅だ。そこで20分位の余裕をみて歩くと、実際は15分。30分もあれば梅田阪急電車のホームに立てることが分かった。朝一番の飛行機は快適で、高知に予定よりも5分早く着いてしまった。自宅の犬が目を細めて歓迎してくれた。犬の散歩、日中の高知の日差しは強くシャツ一枚でも汗ばむ。朝早かったので昼寝をしているともう夕刻。何をする暇もなく一日が暮れようとしている。Tさん宅で近況の話、その後、父の弟宅、ここはいろんな食べ物があるので、実家の貧しい食べ物よりはお酒も弾む。しばらく飲んでいる間に、哲夫さんがマグロを持って現れた。50cm位でマグロの子だという。1/4の切り身を、わらで焼くたたきにしてくれた。まぁなんと申しますか、あまりのうまさに、一切れでビール2口が進みましたね。こんなマグロは食ったことがない。一生の想い出に刻みたいと思いましたね。
11月1日(土曜日) 帰省
田舎に帰るとなると、いろいろ済ませなきゃならない事があることに気が付いた。まず掃除洗濯。それから、病院。背中から肩が痛む。半端な痛みではない。変な運動もしてないのに痛い。首の骨がどうにかなっていたら大変だ。と言うことで整形外科。医者は筋肉痛だと言う。「そうじゃないでのは?神経系統じゃないのか?」とは私。それではレントゲンを。撮影技師にもそのことを伝える。結果、「加齢で肩胛骨周りの筋肉が弱ってきているからだ」と言う。早速リハビリ室へ。専門の医師が自分で出来るリハビリの方法を教えてくれた。一日パソコンを操作しているとこのような病気になると。日頃の運動の成果は出てなかった訳、しかし一安心。その後銀行でローン解約の手続き。テレビ会話で。銀行は土日もこのようなサービスがあることを初めて知った。先日の約束の通り日本橋へ。自転車で30分。近況を話して、商品は取り寄せとなった。帰り、小腹も減ったし、かといって飯を食うと夜に響くし、ということで駅前から少しはずれた、昼間からやっている飲み屋へ。ここが満員、みんな夜の居酒屋のような感じで飲んでいるのです、さすが鶴橋。ビールと小鉢3個で1130円。帰り着くや、飛行機の手配をして、「咲くやこの花館」へ。至近距離に立派な植物園があるのだ。夕刻で少し薄暗くなっていたが、受付のお姉さんに、白紙をもってもらい、ホワイトバランスをしっかりと合わせ撮影。ここは、千葉にある、稲見植物園と同様レストランも立派なのがある。月一度のチェックが必要な場所だ。
10月31日(金曜日) 夕食のこと
特別な日ではないが、赴任後一ヶ月を過ぎて、少し身の回りが明るくなった記念すべき日である。日常暮らす環境も整って、休日には少し自分の時間が持てるようにもなった。ここらで、高知に帰り、少し両親とも会話すべきタイミングだろうなと思った。と、言うことで、この日は酒もなく、せっせと料理をして、寝てしまった。そこで今日のトピックスは、料理のことである。ブロッコリーは今が旬。帰りに「ライフ」に立ち寄り、ブッロッコリーの玉2個。180円を買う。毎日夜立ち寄るライフは、深夜12時までの営業で、しかも相当規模の大きな食品スーパーだ。今まで緊急避難用として買い置きした冷凍食品は食べ尽くし、もう買い置きの必要はないな。と、言うことで、冷蔵庫は殆どが空になった。さて、ブロッコリーであるが、これは湯がくのが一番だろう。茎の堅い部分も薄く切るカッターで切り刻み湯につけた。このブロッコリーに、鯖の缶詰を開き、合わせていただく事とした。それが、この写真。このようにして毎夕食は殆ど、自炊して、大体500円以下で済ますようにしている。
10月30日(木曜日) 横浜へ
昨日、突然入ってきた情報で、今、横浜で開催されているFPD展の話。年に二度の開催だが、特に秋の展示会は、来年1月のアメリカのCESまでの間を埋める情報で、重要な展示会。と、言うことで、今日は7時半の新幹線に乗って新横浜のパシフィック横浜まで行って来た。FPD展とは、テレビになる前の平面ディスプレイ展示会のこと。現在のテレビは液晶とPDPと有機ELに代表され、近年有機ELの話題がめざましいので非常に興味あるものだった。見た感想は、金融危機で経済は停滞を余儀なくされてはいるが、開発競争はますます熾烈になろうとしている。これを見ると、今はじっと我慢の時だとは言っておられないような気にさせられる。そんな夢のある話題が次々と提案されていましたね。世界的な展示会なのに、韓国と台湾と日本だけの展示会。また、設備にまつわるような企業も参画し、防塵服のコーナーでは、20種類程の手袋が展示されていた。いろいろ話を聞くと説明員の人が乗ってきて、高分子布をくれた。高分子布はレンズを拭くのに最適。残念なことは、受付嬢が他の展示会ほど綺麗所を採用してないこと。しかしLG電子のこの子だけは綺麗だった。終わる時間が早ければ、千葉に寄ろうと考えたが、時計を見ると夕刻の4時だった。そのまま大阪へ。
10月29日(水曜日)交流
大阪にくると、こちらではならではの人たちとの交流が出てくる。今日は、昔、所属は違うが、一時的に僕のいた職場で働いてくれていたメンバー数名が懇親会をやろうと持ちかけてくれた。ありがたいことだ。よろこんで。すると、その後、今度は一緒に昇格したメンバーの会が弱い絆で残っているが、ここから連絡が入り、懇親会をしようという。みんな別の組織に属しているが、結構すごい情報が得られるので続いている。このグループに、こんどマレーシアでお世話になるO氏がいて、O氏とは何度も連絡を取り合っているが、まさかこのグループにいたO氏とは気が付かなかった。だが、このグループの懇親会日程は僕がインドに行っているときと重なり、残念ながら参加できない。他にもファジー会のKさんからメールあり、12月に予定を開けろと。実に忙しいのである。
10月28日(火曜日) 靴の安堵
九州の守口さんが出てくると言う。僕が九州担当時に得意先で仕入れを担当していた。それ以来のつきあいで、もう10年を越える。今は筑紫野に職場がある部署の幹部となっている。それで、今晩は懇親会。場所は門真にある広島焼きのフラッペ。定年退職された橋本さんや、昔、日本橋時代にお世話になった今井さんなど、いろいろ立場の違う人たちとの懇親で面白かった。それで久しぶりのことだから、みんなの声が大きくなり、ビールが進み、みんなようけ飲んだ。実は守口さんも単身赴任で、片方違う靴を履いて職場に行き話題になったそうだ。靴の履き違いは年齢でなく、玄関に脱ぎ散らかしている靴の所為だという結論に達した。帰る電車のなか、今井さんから常好さんの話題が出て、いきなり電話をかけることになった。彼は昔日本橋の販売店の店長をしていて、僕が現役時代無理して仕入れをしてもらった恩義ある人だ。いまでも同じ店に勤めていると言う。そして少しだけ会話した。今度の土曜日、ミキサーを買いに行く約束をして電話を切った。
10月27日(月曜日) 問題あり
加齢のせいでしょうか、家を出てしばらくして、最近はよく歩いているから、靴の底も減っているだろうと、片足をあげて靴の底を見た。だが、何と?右と左の靴が違うではないか。情けなかった。しかし、これで会社に行くととんでもない事になると思いあわてて引き返した。自分では歳なんて何とも気にしてなかったが、こんなところに出てくる。そして、違和感が無かったというのが寂しい。その夜職場に、N氏が訪ねてきてくれて、一緒に食事に行こうと誘ってくれた。N氏は責任者をしていたが、来年、定年なので、役をおりて、後輩の指導に世界を回っているとのこと。その後輩の一人も一緒で、世界のことをいろいろ聴けた。ロシアでウォッカののみ比べをしてロシア人を負かしたとか武勇伝が多い。この担当者はロシアからアラブ、アフリカ、アジアの担当で、アジア出張の時は是非ご一緒に、と言うありがたい申し出をしてくれた。京橋にある「鳥せい」での懇親。この店は、僕のひいきにしている伏見にある酒蔵で日本酒が飲める店の支店だ。だから、ビールを少し飲んだ後は、日本酒になった。さすがと言うか当然と言うか、日本酒は旨い、旨いが良く効く。だが大阪は飲んでも、夜が遅くならないから良い。10時半には寝る体制だった。誘ってくれたN氏は自宅が滋賀だから大変だ。
10月26日(日曜日)
この近くをネットの地図で調べると、南門真も近いではないか。南門真には50mのプールがある。花博後は大きな森林公園と化し庶民の憩いの場になっている、ここは徒歩10分位だ。ここにもプールがある。関目はいろんな施設が近くにあり恵まれている。大阪にもこんなところがあったんや。夕食は鯖風身スパゲティーの大盛りと、なすとじゃこの南蛮漬け。この文章と昼寝とで一日を終える。
10月25日(土曜日)
疲れましたね。京橋に10時頃到着。有名な立ち食いうどんをすすって、日本に帰ってきたミソギをしました。醤油味も見逃せない。自宅で洗濯と宅急便の荷物受け取り。届いた品物は、ネット回線開通の器具だった。早速回線通話。Ipアドレ
スがすでに組み込まれていて、つなぐだけでOKだった。勧誘の兄ちゃんは70Mbpsは堅いと言っていたが、17Mbps。でもこれだけあれば、アクトビラが見られる。早速試すと、ok。吉本の漫才が無料であり、少し笑いを頂きました。無料のハイビジョン放送もあり、時間を費やすにはもってこいだ。メール作業を少し。飛行機の中では眠れなかったが、ここでは凄く眠いが、また腹が減った。向こうでは、用心をして量を減らしていた反動が来たようだ。焼きめし2人前を喰うとやっと落ち着いた。少し仮眠。クリーニング、夕飯の買い出し。
10月24日(金曜日)
緊張と日本語がない世界で体が変調を起こすのではないかと心配したが、だんだんと図々しくなって行く自分にあきれている。つまり、こんなに過ごすのが「楽なのだ的な感覚」ですね。ホテルからタクシーに乗って事務所へ。今度は僕の持っている情報を披露する。昼食は近隣の中華料理。餃子、ジャガイモの千切りを炒めたモノ、牛肉とピーマン炒め。餃子は旨く、割ってみるとニラが多かった。麻婆豆腐は、本場四川省風味だとのこと。とにかく旨いので、味の深みについては語れない。一人12ドルの食事。午後、残った時間を
利用して市内の店を案内して頂く。今度は現地の運転手さんにして頂くので、もう一つ高い英語力が要求されたが、何となく会話が通じた。百貨店は高島屋と伊勢丹があるがどちらを見るのか?伊勢丹。実はこれが失敗で、こちらでは圧倒的に高島屋の方が有名ら
しい。伊勢丹の婦人服は安っぽかった。もっとも夏服しか売ってないけど。年中夏服だけ。理由は赤道直下の国だから。夕食は、単身赴任の幹部の方がつきあってくれるという。CTYと言う都心に行く。CTYは土地の名前です。一緒に現地人女性スタッフも同席
するという。困ったな。と思いきや、日本人であり、現地採用の社員だった。彼女は大学卒業とともにモルジブに行き、そこで5年。飽きたのでシンガポールに移ってからここで就職。スキューバーができ、基本的には遊びが人生の目的のような感じの人。行った店は、
中国風じゃぶじゃぶ風+鍋料理風の料理。全ての品を、辛みのある鍋か、コクのある鍋かにつけて頂く方式、鍋は一つで間に半分に仕切がある。酒は紹興酒。こちらの酒も甘い。いやぁそれにしても、旨いモノばっかり喰いましたね。皆さん辛いモノは大丈夫かと聞かれるが、この程度は何でもなかった。おなかも十分耐えてくれた。金曜日の晩だというのに、遅くまでおつきあいしてくれて、しかも空港まで送って頂いた。感謝。空港では3時間強の時間があったので、特典を利用してラウンジで酒を飲みながら過ごす。いつの間にか眠ってしまい、Where
to go?と起こされる、切符を見
せてok。あと30分で出発の時間だった。ゆっくり歩いて行ったら、なんとゲートまで15分かかってしまった。さすが世界一の空港。飛行機に乗ってのトラブルは無し。眠れないだけ。4時間くらいで朝飯が準備される。もうろうとした頭で朝飯を食べる。窓を開けると強い日差しが差し込んできた。もう沖縄だった。
10月23日(木曜日)
翌日目が覚めると4時40分。緊張して目が覚めるみたい。
実は、日本時間5時40分。体は正確に目覚めてくれたわけだ。一泊260ドルのホテルだから、ここで飯を食うと50ドルもする、それで、コンビニを目指したわけだ。ぶらぶら行くと、ガソリンスタンの中にセブンイレブンがあり、ここでサンドイッチと新聞と野菜ジュー
ス。5.15ドル。小さなお金はないか?と訪ねられたような気がする。No。とにかく、Yes とNoしか言えないおじさん。9時に現地の日本語に達者な人が迎えに来てくれた。この人には悪いので、「とやら」の羊羹を持って行った。いくつか移動中に来年稼働するカジノを
見せてもらった。凄いのが建設中だ。フットワークの軽い国なのでどんどん経済が発展していく。昼食はビルの中にあるレストランで19ドルのチキン料理。インド風なのか聞くと、オーストラリア風だと言う。一緒の仲間は残したが、僕は全部食べてしまった。昨日か
ら喰う量が減っていたのだ。夕食は現地日本人スタッフと。エキゾチックムードが一杯と言う触れ込みだったが、非常に綺麗な店に連れて行ってもらった。中国料理、紙で包んであげた鳥料理。何かの煮込み。タマネギと卵と?これをレタスに包んで頂く、チャーハン。
ビールを飲みながらインドネシア〜インドまでの話を伺う。周りは全部日本人。僕に気を遣ってくれて日本人に会う店を紹介してくれたので、必然的に日本人が多くなったわけだ。帰りは雨となり、駐車場まで濡れて10分。雨季に入った。
10月22日(水曜日)
こんな日に限って1時間も寝過ごしてしまう、でも自宅から京橋までの徒歩の時間は確保できた。教科書通り、出発の2時間前に空港ゲートに到着し、シンガポール航空のチケット発行を行った。受付嬢の話では、anaのプラチナ会員が使えるらしく、ラウンジを紹介いただいた。anaのラウンジと違うのは食べ物を置いてある点、ウイスキーの種類が豊富な点。飛行機は、いつかは乗ってみたいシンガポール航空、スチュワーデスの制服が違う、色っぽい。エキゾチックで、色が白い。サービスは日本語であり、機内ではほぼ問題がない。これから6時間我慢の時。anaのスリッパを持参しまずは足の解放から。しばらくすると機内食が出た。簡素な食事だが、僕は旨いと感じた。(写真掲載)僕の味覚は普通だと思っているが、仲間からは評価が低い。音楽は「BACHの無伴奏チェロ」ギルドン・クメールから聞き始める。DVDの映画を持ち込もうか迷ったが、とりあえず今回はビジネスだから(席はエコノミークラスだが)書類を見ることに。少々の居眠りとを併せ何とか退屈せずに到着した。JALのHPにチャンギ空港での入国手続きのビデオがあり、一応イメージトレーニングを行っていたので、無事通過できた。さて、問題はここから誰の手も借りずにホテルまでタクシーで向かうこ
とができるのか?まずはタクシー乗り場を捜そう。ところが「無い」。どうしたことか?あちこち捜していると、元いた場所の正面がタクシー乗り場だったんですね。看板が大きすぎて目につかなかった。運転手には、ホテルの名前をプリントした用紙を見せて、This
Hotel Pleas。する
と聞き返してくるが、ここは分からないがYes。なんだがゲームの攻略本でゲームをすすめるような感じ。途中また、聞かれた。分からんと答えると。もう一度Fast?。シンガポールは初めてか?との質問。Yes。料金の事も聞かれたが、Yes。何でもYes。料金は25ドル。こんなに乗って1,700円なのか。安いやんか。ホテルのチェックインは予約のコピーの提示とサインとカードの提示。このあたりは言葉は不明だが、顔付きで理解ですね。問題はその後で起きた。25階だが、エレベーターがここまで行かないのだ。15階まで上がると、再び1階まで下がる。なぜ?待てよ、エレベーターのフロアボタンの横に何か書いてあるぞ。ふむふむ。そうか、カードを入れて、ボタンを押すのだな。あれぇ。やっぱり15階までだ。仕方なく、フロントのお姉さんに、Please 25 floor。と言って部屋のカードを差し出す。彼女は合点。Whith me。ついてこいという意味だな。エレベーターに乗って説明。カードを差し込んだ後、カードを抜く。そして、フロアボタンを押す。分かったぞ。だったら、そういう風に書けや。「・・After floor button」と後でひっそり思いましたね。それ以外、今回のホテルはきちんとしたホテルで問題なし、部屋は大きく、ベッドも2つあり、見晴らしが抜群だった。だが、一人で誰とも話してなく寂しい。そして夕食の問題がある。しかし、せっかく来たので冒険だ。傘を持って、20分位先にあるチャイナタウンまで徒歩。頼りになるのは自分の足だ。 街に近づくと人々の動きでこの先に何かあると予感させる気配がある。まず飲み水を買った。1リットル1ドル。食べ物は、ホントぎょうさんあるが、全てが中国料理、当たり前か。ホントは、目についた魚の南蛮漬けとか、肉を揚げたのが欲しかったが、熱が十分通ってないと何が起きるか分
からない不安があったので、麺にした。店の形態はキヨスクくらいの店舗がたくさん並び、その前に共通で使える椅子とテーブルが並んでいる。日本ではジャスコなんか入っている、ファーストフードの店々がこのような形態をとっている。注文して出てきて麺は、ラーメンの
煮込み風。量が少ないが、もう少しだけ注文する術を持ち合わせてない。仕方なく、ビールでごまかそうと注文すると、「ちかやん?」かと聞かれる、I want Tiger beer。ふたたび「ちかやん」。仕方なくYes。すると、ごらんの通り、タイガービールが出てきた。中国人の言葉は更に分からん。食べ終わった後、店のおばさんが、どうだったか?的な言葉をかけてきたが、あいにくと、英語もしゃべれないのに中国語は増してちんぷんかんぷん。Thank youだけで逃げてきた。この街の活気は心地よい。かつて日本にもこのような雰囲気がありワクワクしたのだが。この街
の中には電気屋さんもあり、もっと居たかったが、遅くなると危ないと思い後ろ髪を引かれる思いで後にした。帰り道に日本語で運営している中華料理の店があった。少し高い。ちなみに、先ほどの店の料金は10ドル、700円程度だった。(大瓶のビール付きですよ)。ずいぶんと雨に濡れたので、ズボンプレッサーを捜すが見あたらない、よく見ると、アイロンとアイロン台がある。フムフム。アイロンは得意なので、早速ズボンをプレス。風呂はシャンプーが見あたらなかった。仕方なく石けんで。そのあと、整髪料みたいなボトルがあるので空けてみると、シャンプーやリンス達だった。
10月21日(火曜日)
今日は長年ベトナムでお仕事をされていた方がご定年とのこと。そのため天満橋にあるキャッスルホテルの3階にある中華料理の店「錦城閣」で送別会があった。面識はないが、空気からして出席した方が良さそうだった。ここの料理は一級ですね。従業員も中国人で融通が利かず、ぶっきらぼう。しかし、料理は凄い。肝心のご定年される方は、凄い情熱家で話の中に熱がこもっているのが一目瞭然。この人には裏切れないという感じにさせる人。出席者は全員海外の仕事を長くされた方ばかりなので、そこら当たりの庶民の話とは次元が違う。こちらは、ただうなずいてばかりだった。紹興酒を頂いたが、これが甘くて妙に好きになれなかった。だが、ほぼ全員がこれが本当の味だという。関東のお店で飲む紹興酒はどの店も、もう少し甘みが少なかったようで口に合っていた。僕の口が変わったのだろうか。家に帰り着いて念には念を入れて出発の準備をした。
10月20日(月曜日)
昨日の痛みは少し和らぎ、何とか仕事に出られる体制まで盛り返した。出張の準備をしていて気がついたことは、為替レートが刻々と変わっていて、向こうで使ったお金を国内で精算するときの基準は、出国した段階での換金レートになるようだ。ものすごい変動がある中での旅立ちなので、どちらに為替が転ぶのか不明だ。普段は気にならない為替も見ておこうと思いましたね。夕食は、冷蔵庫の中身を空にするために、あるモノですませた。毎日徒歩通勤なので、帰りにスーパーによってその日に食べたいものを買って帰っていたが、食べきれず少しずつ溜まっていたのだ。こういう点が不経済ですね。
10月19日(日曜日)
腰か、首か、時々神経を刺激して動けないときがある。とにかく僕も骨の軟骨がすり減ってきて支障が出ている、昨日自転車でリュックサックを下げたせいかもしれない。朝から体が曲がらなくて、体を捩ると胃の後ろ側の神経が悲鳴を上げる。とにかく動けば痛むので一日中うなっていた。夕刻プールで体をほぐせば何とかなるだろうと、チャレンジしてみたが、500m泳ぐのが必死。いったん休憩してもう300m、そして休憩。何とか1kmを制覇しただけで帰ってきた。プールから上がると少しは痛みが取れていたが、寝る頃になるとまた痛みが蘇ってきた。
10月18日(土曜日)
家の売却が決まり、第一回目の打ち合わせが枚方で開催された。自転車で行った。これに際し、三菱東京UFJ銀行でローン残高を調べる必要があった。京橋にある支店で確認をすると、隣の支店で手続きをしてくれと言う、そしてホンの数歩離れた支店に行き、TV窓口で操作を始めると、7分待て画面、そして操作に入っていくと、今度は違うのでやり直しだと言う。更にやり直すと、このTV窓口では対応できないと言う。何だ?それで、今度は怒りを抱えてローン窓口に行くと、「分かりました」と簡単に。??。そして分かったのは隣のビルにある三菱東京UFJは旧三菱系で、未だに旧三菱系とか三和系があるようだ、旨くいったのは、この支店は旧三和系。僕がローンを開設したのは、三和銀行寝屋川支店。そのことを、今回住宅の売却手続きをする不動産の方に申し上げると、全くその通りだ。と言う。三菱東京UFJはお客様対応の悪さで相当有名な事実だったのだ。そんなこともあってか三菱東京USJと間違ったりする人もいる。夕飯は初めて米を炊いた。炊飯器は5万円もする高級機だから旨くないわけがない。事実その通りであった。
10月17日(金曜日)
T総会と言う会社OBの集まりの会がある。現役組も含めて昔の職場の集まりだ。この会は主に当時の嫌われ役O氏を中心に回っている。なぜか、現在では一番人気なのだ。京橋にある高級ホテルでの開催で、僕はジャンパーにチノパンツで少し恥ずかしい装い。集まったOBの方達は元気そのもの。懐かしいが名前が出てこない人もいる。70歳だがまだまだ仕事をしている方もいて非常にパワフルな飲み会となった。挨拶をする人もいるが、ほとんど隣の人との会話で聞いてない、皆さん思いが溜まっていたようだ。不思議なことに、定年後の方でも僕の人事異動の事はちゃんと知っている人もいる。人事ほどおもしろいモノはないらしい。最後に集合写真を撮影したが、なんとすばらしい笑顔。こんな集合写真は見たことがない。彼らの幸せがみんなに伝播したようだ。
10月16日(木曜日)
やっと平日の生活に戻った。それでも、英語から少しでも遠ざかると一気に抜けてしまうので、新聞を買って最新のニュースを辞書を片手に読むことに。なんぼも進まない間に時間切れ。今日は早く仕事を終えたので、夕食は弁当でなくイタリア系の食事とする。とは言っても冷凍食品とサラダの組み合わせだが。洗濯もして、本を開こうと思ったら、いつもの寝る時間。一人住まいは、生活のことに時間を取られ本を読むとか勉強をするとか言う時間がなかなか確保できない。かといって家族と一緒だと、本を開いてもTVの音がうるさく文字が頭に入ってこない。どっちも同じだ。
10月15日(水曜日)
朝5時半に起きて、早速昨日積み残した宿題の仕上げ。それと読み返し。8時過ぎまで。自転車だと、15分で事務所に着くので、ぎりぎりまで粘る。今日で英語教室は終わる。が、最終日6時間の連続受講。12時スタートなので、早めに出かけ、納豆や豆腐など頭の回転に良いモノばかりを喰った。ささやかな努力だ。耐久レースを終えたみたいな感じで午後6時に研修を終えた。事務の職員にあなたならできるよ。と励ましを受けてビルを後にした。知人のW氏からICレコーダーを貸してくれるというので借りに行った、一緒に電子辞書も。事務所に帰ってICレコーダーUS095のソフトウエアをPCにインストールすると、なんとこのソフトは、日本語でしゃべった語句を、PCに取り込むと、文字データーに変換してくれて、更に英語に変換し読み上げてくれる。これを携えていてば、英語なんて話せなくても良いのだ。何ともはや。飲みたい気分だったが、家に帰ると疲れで寝てしまった。
10月14日(火曜日)
英語教室は今日から佳境に入る。テキストよりも、会話を中心とするので苦痛が増す。途中、何度も何度も10月の暦を読み上げることを強要される。うんざりする。終了時間が待ち遠しくなる。今日非常に明確になったのは動詞に「s」を付けるのか付けないのか、その区分が分からない。そしてきっちりとそれが宿題となった。これは、自分で解決できない問題なので、事務所に帰って女子社員に尋ねる。「三単現」と言って英語の初歩の常識らしい。そんなこと今まで聞いたこと無いぞ。ぐずぐずしてては、時間が過ぎるばかり、早速帰宅し、宿題となった部分をやり直す。だが、今日も疲れが激しく22時を過ぎると頭がもうろうとしてくる。もうダメ。明日の朝に回そう。
10月13日(月曜日)
英語の勉強に明け暮れる。それでもちっとも身に付かず。夕刻、今週の食料の買い出し、冷凍食品に凝っている。300円までで、飯類、パスタ、グラタン等々できるだけ重量のあるモノ。他にキャベツ。リンゴ。一人暮らしを初めて肉、魚類を控えたら、体重が1kg位落ちた。近くにプールを見つけたので視察に行くと、区の施設で、一回の利用は700円。千葉の船橋体育館は420円だったので幾分高いが自転車で5分くらいの距離なので良しとするか。夕刻早速一泳ぎ、2km少し。体育の日で今日のみ無料だった。プールが見つかったことで、こちらでの生活基盤はすっかりと整った。あと2週間後にネット回線が通じれば、完璧となる。
10月12日(日曜日)
70〜300mmと100mmマクロを持って京都へ。こちらでは撮影に事欠かない。出張のたびに訪れていた植物園へ。コスモスが満開だった。関東の植物園と違うのは圧倒的にこちらが五月蠅いと言うこと。関西人はおしゃべりだ。カメラの人と、写生の人とが目立った。次に、熱帯植物園へ。ここで、持参の一眼レフが電池切れ。不覚。予備にムービーを持って行ったのでこちらのカメラ機能で代用。だんだん曇ってきてカメラが青ぶれすするようになる。ここらあたりが退散時だ。三条の中華料「理眠」はまだあった。ここで五目中華を。関西風の薄味ラーメンだ。最近ラーメンにお酢をたっぷり入れて食べるのが好きになっている。ここでもそうした。帰り着いて、シャツとハンカチにアイロンがけ。夜に冷凍のチャンポンを食べながら「ダイハード4.0」。その後、新聞の切り抜きを整理しようとしたら、PCの調子がおかしい。いつも引っ越しすればPCの調子は狂う。再インストールに1時間。体力の限界22時まで頑張る。
10月11日(土曜日)
買い出しだ。ガスコンロ。見ると高いですね。2万円はする。ところがホームセンターに行くと、鋳鉄製のコンロが3千円。これで十分だ。アイロンも。一応これで何とかなるぞ。上新電機でアンケートがありそれに答えていると、要はauの勧誘だった。丁度光回線の申し込みも必要だったので、そのまま契約。今までのプロバイダーが使えなくなるので、ホームページのアドレスは変更せざるを得なくなる。洗濯とか済ますと午後3時、眠くなって昼寝。いくら寝ても足りない。起きて冷凍食品を。焼きめし。旨いのなんの。夜、妻に電話をして冷凍食品のうまさについて語ると、「そりゃそうだ」と、納得のいく回答。「料理の本を送ろうか?」「自分で勉強するから不要」。息子に代わってもらい、英語の会話で、「Do you like 〜?」。と聞かれると「I like〜」と答えてはいけない。「Yes I do」と回答すること。Doで聞かれたらdoで答えるのを知っているか?と聞くと、知っていると言う。なんと俺より知っているではないか。
10月10日(金曜日)
英会話教室。宿題があったが、これは手に負えないこと。前に座ってる女性に頼んだ。読むのはできるが、書くのはさっぱりだ。そしてレッスン。また前回の日にちの発音練習だ。20日が一番難しい。Twentieth→「ツエンティース」ではなく「ツゥエンティエイス」と言うのだ。何度も何度も。そしてモノにならなかったのが、won'tとwantの違い。「欲しいのではないですよ」。目を閉じて聞くが差が分からない。オーディオ機器で鍛えた耳は役に立たないと言うわけだ。今日は自転車で行ったので、帰りに南森町の取引先に出かけ、現況を話した。その後、事務所に戻り、ネットで調べものを行った。千葉に住んでいる頃には、家族との会話はほとんど無いに等しかった。だが、誰もいない家に帰ると何か足りない感じがする。仕方なくビールを飲みながら映画を見た。
10月9日(木曜日)
別のインド担当責任者から食事に誘われた。インド料理の店に案内してくれるのかと思いきや、入居ビルの中華料理屋さんだった。そこで語られたインド事情はもっと凄惨なものだった。砂嵐では家畜が飛んでゆく。午前中居た街で爆弾の爆発があった。言葉は最低でも14種あり、通じない。共用語として英語が使われているが、英国の当治下の英語で古い単語が混じり、訳が分からない。一方インド人は人情家だ。日本人的なべとべとではないらしいが。そういえば、大阪のお節介は人情とは言わないだろうが、五月蠅いなぁ。相当盛り上がって、9時半にお開き。しかし、家に着いたのは10時前。家の近くに運河がある、昼間見ると汚いが夜は、マンションの光を映してキレイ。
10月8日(水曜日)
インドの話。インド担当者からインド事情を詳しく教えてもらう。どうしてもビジネスよりも観光者的な興味本位の内容となる。気持ちが押さえきれないのだ。ガンジスの水を飲むとインドに「ハマル」と言われるが、そんな甘いモノではないようだ。まずはカレー。「朝昼晩、カレーは食えないぞ!」そして、あの脂で大体腹をこわす、もしくは胃もたれする。シャワーでは口はともかく目も開けてはいけない、それだけ水が凄い。なのにホテルは3〜4万円ほどする。雨が降り道路に水たまりができるとそこで水浴びをするとか、狂犬病で年間3万人くらいの人が死んでいるとか。田舎道の夜の移動は命をかける覚悟が必要だ、転落事故が多いため。では、一体どんな自衛手段があるのだ?「運ですね」。午後は、資料をまとめようと思っていたが、ショックで筆が止まった。
10月7日(火曜日)
英語の先生はレイモンドブラウンさん。どんな音楽が好きだと質問され、日本のPOPSだと答えができなく、JAZZと答えたら、オスカーピータソントリオのレイブランを知っているかと聞かれた。「YES」と答えると、同じ名前だと言われた。僕はそのときにピーンとこなかったが、後でなるほどと思い至った。個人教授なので、僕は全然英語ができないことが伝わっているのか不安だったが、そんなことはお構いなしに、進行は全て英語だ。時々「ワカリマスカ」はある。すかさず「NO」と答える。すると、今度は、易しい英語で解説される。そして、発声練習。特に暦の読み方は何度も何度も。汗が流れたぜ。授業が終わって、家に帰る。復習をしようとしたが、10時頃になると、まぶたが開かなくなりそのまま布団へ。疲れた。
10月6日(月曜日)
月曜日だというのに何か物足りないのは生活の充足感だ。気分的に何か欠けている感じを持ちながら家の玄関を閉める。通勤は徒歩。勘を頼りに歩くこと50分。万歩計6,500歩。東京駅から浜松町までの距離よりも短い。これなら続けられる。英語研鑽のプログラムが届いた。延べ4日間、19時間を使って、とりあえず一人で旅行ができるまでを指導いただくプログラムだ。早速明日からのコースを申し込んだ。言葉の障壁はあるものの、実は他の国の人と話ができるのは非常に興味深いことである。PCで言えばOSを入れ替えた程の大変化があるからだ。そして22日〜24日までシンガポールへの出張が決まった。向こうには大勢の日本人がいるので言葉の問題はないが、そこに行くまでのほんの一寸したことの会話が問題なのだ。飛行時間は6時間。退屈しないためのDVDプレーヤーは必須だろうな。
10月5日(日曜日)
後片付けの残りをやり終えて一応の収束を見たのが午後3時。これから一人で生活をしなければならない、と言うことは一番困るのが食事。まずは飯屋さんを捜す、蒲生4丁目の交差点に「今福食堂」が、関目交差点に「関目食堂」があり、おかずを選んで食べられる、いわゆる飯屋さん。第一の問題は片付いた。2つめは、それでも遅くなり、自分で献立をする場合。こちらは、前々から興味があったが、家では口にすることがなかった冷凍食品。この種類が多い食べ物をどうしても口にしたかった。そのための大型冷蔵庫と強力な電子レンジを用意した。この2点にめどがついたので、来週からの食事は万全であるはずだ。夕食に「くら」さんと言う回転寿司屋へ。何とこの店、注文は液晶のタッチパネルで行う。注文した品は、回転テーブルの上に流れてきて、該当商品だと目の前で、案内音が鳴る仕組み。食べたお皿は、回転テーブルの下に落とし込む方式でカウントされる。省力化されていて、広い店なのに対応する女性の従業員は2名だった。ITに疎いおじさんはお寿司を食べることができないだろうな。だが、そんなおじさんはきちんとした寿司屋に行くか。
10月4日(土曜日)
引っ越しだ。引っ越しの荷物とエアコンの工事と、冷蔵庫などの搬入とガスの回旋を一度に行ったのでずいぶんと疲れた。部屋の間取りが、6畳の畳と、2畳の畳と、3畳の板張りキッチン。鎌ヶ谷では、4.5畳の中に設置していたモノを置くわけだから余裕はあるはず。そこそこ埋まったが、それでもこれなら何人か集まって飲み会も可能だ。近隣にI氏が居て、彼は料理が得意なようだから、早速パーティーの企画が必要だ。BS・地デジもok。ネット回線のみが手つかず。オーディオアンプが貧弱(ミニコンポのまま)。スピーカーだけはok。BDはBW730。夕刻妻が電話をしてきた。少しは心配もするだろうか。完璧に引っ越しをこなしたけど、少々寂しくなっていたので丁度良かった。
10月3日(金曜日)
先輩のH氏は来月でご定年だという。そのためほとんど空き時間がない、11月になるとokだが。11月になると今度は僕が海外に出かけてしまうではないか、それは困る。是非近いうちに会えないか?と。すると、本日ならokだと言う。H氏はタイで仕事をされた経験がある方で、海外ビジネスについ明るい。ずいぶんと上の役職の方ではあるが、懇親の場所手配も、その他全て整えてくれたあとメールが入ってきた。ありがたき幸せ。ビール1杯と日本酒(これが旨かった)、その後焼酎(これも申し分ない旨さ)。料理の小鉢も多く、飲むのに、話を聞くのに忙しかったが有意義な懇親だった。お土産は書籍。涙が出るね。お店は京橋の片町にある「しん直」さん。高いけど旨い。
10月2日(木曜日)
英語のマニュアルを頂き、せめて目次だけも訳そう。あとは、スキャナーに取り込んで、翻訳機にかけよう。趣味の世界とは言えパソコンを自由に扱うことができて本当に良かった。昔の仲間に新しい職場環境を連絡したら、多くの人が「無理しないで」と返信があった。千葉の幕張ではCEATECが開催されている。このセレモニーは何十年来と見てきて、参加しなかったのは今年のみ。キレイなお姉ちゃんを撮影できないのが残念だ。せめてネットからでも情報収集。どうやら、3Dが注目されているようだ。3Dとは、立体テレビ。多くの機器はめがねを必要とするが、怖いほどの遠近感がある。ビルから飛び降りるコンテンツなどは気を失いそうだ(あるとすれば)。そんなことをしてたら8時を回り急いで退社。べつに急ぐ必要は無いが、最後だと鍵のかけ方が分からない。谷町食堂で夕食。ひとり暮らしの欠点は食事だ。バランスが崩れるので、できるだけ嫌いなモノと野菜をとるように心がけよう。
10月1日(水曜日)
赴任先の職場に向かう。高層階の職場で、専用エレベーターが6基ある。しかし、僕が乗ったのは28階止まり。仕方なく7階分荷物を持って登る。セキュリティーを無事パスし、自分の机につく。凄く居心地が悪い。みんなの目が僕に集中しているように感じる。それもつかの間大きなセレモニーがあり22階へ。その後、もう一度元の職場に戻るにはエレベーターが混雑し階段で。汗が噴き出る。やれやれ。ビジネスのほとんどが英語の職場なので日本語しかできない僕はますます孤独感を募らせる。夕刻元の職場に顔を出し、そのまま、まるでこれが日本だと言える極端な店に向かう。そこは、魚があまりにも新鮮で安いが、立ち飲みである。だが、あまりにも人気で、若い従業員6名がきびきびと働いている。若い人がきびきび働くのは見てて気持ちがよいですね。1時間半。これが立ち飲みの限界。解散となった。今日は精神的に収支が取れたようだ。
9月30日(火曜日)
引っ越しの立ち会い。アート引越センターさんは丁寧な仕事をしてくれる。10時過ぎに無事完了した。7年間暮らした鎌ヶ谷を後にして松戸に向かった。松戸で申請中のパスポートを受け取るのだ。仕事で海外に出る可能性があると思うからだ。事務所に着くと早速荷造り、夕刻辞令を受け取って挨拶の後、東京駅に向かう。この日、もう定年された高橋さんが送別の宴を開いてくれるというのだ。最後の最後まで本当にお世話になった。送別の宴は、途中でワインに切り替わったが、ビール党が多いメンバーだったので、また、ビールに戻った。この日は大阪に入る予定で、8時前に僕だけ切り上げて新幹線に飛び乗った。新幹線で眠るとホテルで眠れなくなるので我慢してたが、とうとう横浜を過ぎると夢の世界へ行ってしまった。大阪のホテルで目が冴えてしまい、ウィスキーの水割りを舐めながら、眠くなるまでTVを見た。アメリカでは酒を飲むのもはばかられるような機器のさなかにある。
9月29日(月曜日)
土日引っ越しの準備で休んでないせいか、仕事モードのまま月曜日を迎えた。この日もいろいろとあって、ゆっくり荷物を片付けるような雰囲気ではなかった。まだ赴任してないのに心は向こうにある人をいろいろと見てきたのでこれはこれで良かったかも知れない。定年退職者のトップ懇談会に立ち会って長年のご苦労をねぎらった。(月末は僕の転勤もあるが、定年退職者の送り出しもあるのだ)夕刻に重要な積み残し業務も無事完了しほっとした。退社後チームの忘年会。歯が浮くような美辞麗句の中酒を飲む。今日は飲むぞと構えていたが、ビールのやりとりで腹が一杯となりちょいと燃え尽きなかったが、みんなの暖かい志に感謝。Oさんには今回もカメラマンをお願いした。お酒を飲まないことを理由に申しつけたが良かっただろうか。家に帰って娘と息子の頭を叩いて寝る。
9月28日(日曜日)
まさかと思うことが実際にはある。僕はデジタルAVに関することなら、ずいぶんと自信がある、なのに、この息子が全く音痴だとは知らなかった。少しはエキスが伝わっていると思っていたのだが(娘はこうでないのだが)。事件はこうだ。引っ越しに当たって、14型のTVを息子にプレゼントした。「ありがとう」と言って、僕の部屋から持ち出した後TVが映らないと言う。見ると、電源コンセントしか接続してない。唖然とした。そこで、アンテナケーブルを接続して信号を送らなければTVは映らないと説明し、ケーブルを渡したがそれでも映らないと言う。今度もよく見ると、アンテナケーブルの心線が曲がったままTVのアンテナ端子に接続してあったのだ。そこで、電気にはプラスとマイナスがあるのだよ。と、「ホント?全く知らなかった」。高校一年生である。やれやれ。これで、一旦HPは休憩する。次回は、大阪に行ってからのサイトupとなる。向こうで電話回線を引きADSLが開通するまでは半月くらいかかるかも知れない。
9月27日(土曜日)
部屋の片付け。主に小物を中心に箱に詰める。持ち物が多く、行った先の部屋のはいるのだろうか?心配である。荷物の他に、DVDレコーダーに録りためた映像をディスクに落とし持ち出す作業もある。記録データーの変換作業もあり時間がかかった。雑誌の切り抜きも時間がかかる、これは目次をつけ、スキャナーでファイリングをし、HDDにいれて移動する。紙はかさばるので、全てのデーターはHDDに入れる。この3つの作業で一日が終わってしまった。寝る前に「プラネットテラー」と言う自然紀行を見た。温暖化が進み動物たちにとっても生きにくくなっている状態をとらえていた。寝る前の安静のひとときにぴったりだ。
9月26日(金曜日)
先輩のご定年送別会。会場選定で別の人から「土」が付いた部分があったが、カタチより中身だと、渾身の企画をおこなったので、参加者のメンバーはずいぶん楽しめたのではないかと思うし、ご定年のT氏は、良い想い出ができたことだろうと推測している。終えた後、少し飲みたかったが、帰りの混雑した電車を思うと帰ろうという気になった。(この辺が年齢を感じますね)、それで家に帰り着きパイナップルを肴に日本酒を飲むとこれが旨くマッチするではないか、大発見をした。今後の定番となりそうである。
9月25日(木曜日)
今日も本八幡までの自転車通勤。8年間通った、自転車のタイヤを3本つぶし、自転車は2台目。距離にして5万kmくらい。40分くらいの自転車だが、これが実に快適である。こちらに越してきた01年は、仕事にも慣れず苦しかったが、さわやかな自転車があったからこそ、この苦しさにびくともしなかったかも知れない。帰りにはセブンイレブンでつまみとビールを買って、見晴らしの良い川の畔で何度飲んだことか。憂さを晴らすというよりか、飲むのが日課となっていたときもありましたね。道中の季節の移り変わりはカメラに収め、何度かこの頁にも掲載した。その自転車通勤も切符を使い切りこれで終了した。
9月24日(水曜日)
本八幡までの自転車通勤である。この駅からの回数券が3枚残っていて使い切るのが目的の自転車通勤。この日は、なんだか頭がボーとしていて、往路と復路でそれぞれ全く関係のない駅で下車、次の便がくるのを待って再び乗車。一体どうしたことだろう、車の運転なんかの場合だと確実に事故につながっている。頭の空白時間がどうも不気味である。
9月23日(火曜日)
引っ越しの荷物を作り始めた。まずはPCソフト&パーツ関係。3箱。PCソフトは、昔のOS対応ばかり、不要なモノはキレイさっぱり捨てることに。捨てる前に一つ一つを見ていると、ずいぶんと余分なものを買っているとあきれる。でも、この非効率が結局僕のPC知識の礎となった、PCに疎いおじさんにならなくて良かった。PCに詳しければ、携帯電話に詳しくなくても恥ではない。と思えると、勝手に判断している。これで居間の荷物は片付いた。午後2時、これが最後の印旛沼と、自転車で出かけた。今日は80kmを4時間で回る予定だから心持ち急いだ。佐倉の風車のところで、曼珠沙華の群生があった。もう秋だ。後1週間もすれば、この風車の周りはコスモスで一杯になるだろう。汗が流れ落ち、腹が背中にくっつく。安食のコンビニで黒酢ドリンクと唐揚げ。生き返るとはこのこと。利根川の堤を印西の方向に向かって走る頃には、見事な夕焼けとなっていた。秋の関東平野の想い出もできた。
9月22日(月曜日)
朝から雨。週の始まりは雨が多い。毎朝仕事までの1時間は近くの喫茶店でAV雑誌を読んでいた。ところが、これからは、どうも英語が重要になるようで、ヘラルドトリュビュー紙を又読み始めた。この新聞は写真が多用されているため、記事の大まかな内容が把握できるからよい。後は分かる単語を拾って適当に理解する。全く違った理解をしているかも知れないが、これは慣れの問題だから「欠かさず読む」これにつとめている。しかし苦労して勉強すると言うのは嫌ですね。でも、興味本位に時間を使うのは気にならない。いや、こんなことしかできない。午後は、宇都宮の病院へお見舞い。病院の周りの田んぼは稲刈りを終えている。最初来たときは夏の盛りだった。彼は寒くなってから復帰できるようだ。駅に着くと列車の時間まで1時間あった。ヨドバシカメラでカメラの最新型を覗くと、この秋は一眼レフの盛りのようだ。わくわくするような新製品が出てくる。ちょっと気を許すと瞬く間に時間は過ぎてゆく。残りの時間で有名な「餃子」をつまもうと予定してたが断念。この出張をもって、現職場での出張は終わる。たぶん、この地を二度と踏むことはないだろう。いろんな事にこれで最後と言うことが出てきた。
9月21日(日曜日)
先輩のご定年送別会のビデオ編集最終版を完成。そうこうしているうちに、アート引っ越しセンターさんがみえる。転勤の荷物の見積もりだ。この部屋の機器一式を申し込む。子供や妻達は僕がいなくなることで部屋が広く使えるのを楽しみにしている。僕は、できるだけ土日は家にいて千葉の生活を記憶に綴っている。(こちらには帰らないつもりだから)夕刻のプールもあと少しで終わりか、この道を通るのも後、数回だけか。と思うと感慨深くなる。しかし時は立ち止まってくれない。世界も日本もプライベートも時に押し流されている。出会った人々もたまたま同じ列車に乗り合わせただけ、誰かが途中下車するのだ。一期一会と言うのは運命でもあり、奇遇でもある。あと8日間。先輩の送別会の準備で忙しい。
9月20日(土曜日)
朝4時に目が覚めて、そのまま出発準備、チェックアウト。台風は関東の東に抜けた模様で、鹿児島から東京への飛行機は予定通り就航した。プレミアムシートに変更し着座すると、スチワーデスさんが挨拶にくる。妙に上がっていて、言葉を噛んでいた。飲み物を出してくれるときもそうだった。別に僕がえらそうに振る舞っているわけでもないのに、えらい緊張気味だった。ANAの幹部と間違えられたのだろうか。もし似通った人がいれば、利用できるのだが、不明。空路は高知の足摺岬の沖合から室戸岬の沖合のルートをたどった。僕の田舎の芸西村の平野もしっかりと確認できた。沖から見る高知県は湾曲している。住む感覚以上に湾曲しているのが見える。南国土佐を後にすると、いきなり潮岬がくる。横浜経由で帰途。横浜で「ちゃぶ屋」森住という名前のラーメン屋にはいった。ナカナカ旨い。洗練された都会の味だ。帰宅すると、着替えてプールへ、007カジノロワイヤルを見ていた子供が、「お父さんは007見たいタフやね」。
9月19日(金曜日)
朝から抜けるような晴天。台風一過とはこのこと。一仕事終えた後、昼飯にそば屋さんに連れて行って貰った。与次郎ヶ浜の「そば茶屋」さん。愛知県豊川市にある「東京庵」と遜色のない味のそば屋さんだった。夕刻、城山に登った。夕日が鹿児島市を照らし実に見応えのある風景となった。丁度、桜島にかかっていた雲はきっぱりと、とれていた。その後一旦チェックインし、台風の状況を確認して明日の帰る便を決める。ホテルで飯どころを確認して、「十徳」さんへ向かう。旧西鹿児島駅から市内電車に乗って天文館へ。商店街をぶらぶらしながら店を探す。鹿児島のアーケード商店街は意外と元気。この活気が食欲を誘う。金曜日の夜、有名どころの店はぼぼ満席となる東京と比べ、こちらはすんなりと入店できた。こちらでもヤリイカの活き作りがメイン商品で早速それを注文。焼酎は「伊佐美」。今日はビール2杯で妙に酔ってしまって、調子が乗らず、10時前に退散。そのまま就寝。
9月18日(木曜日)
大阪の住み家となる下見は約1時間で完了し、予定の通り関目に決定。職場から京阪電車で2駅の距離なので、徒歩でも30分あればいってしまう。新しい職場も覗いてみた。ドアを開けるといきなり英語のやりとり。宴会でトイレに立って戻った場所が、間違えて深刻な会議をしている部屋に入ったという感じ。覚悟がいると思いましたね。その後、刻々と深刻な情報がくる。何が深刻かといえば、台風が来ている鹿児島に今日中に入る件だ。仲間も福岡経由で鹿児島入りすると言う。僕も、飛行機はあきらめて新幹線で博多まで行き、そこから在来線で新八代、そこから乗り換えて新幹線で鹿児島中央へ。大変な移動だが、所用時間を計算すると大阪から飛行機を使った場合と1時間45分の違いでしかない。博多駅で30分ほど待ち合わせ時間に、駅周辺を散歩した。夕暮れの博多を行き交う人々は飲む方に気持が切り替わっていて心持ち足取りが軽くて速いように感じる。九州の男は生き方がシンプルですね。博多駅からの在来線は特急ツバメ。シートが狭い割に、肘掛けの幅が15cm位あり何とも変な設計。室内の照明は暗くおじさんは新聞を読むことができない。鹿児島中央駅に午後8時半到着。全く台風の余波はない、雨もない。
9月17日(水曜日)
昨晩は大宴会だったのにも関わらず今朝はすっきりとした目覚め。だが、新聞の見出しは厳しい書き出しでアメリカのリーマンブザザーズの破綻を取り上げていた。英字新聞はもっとセンセーショナルに書き上げていた。そして、第二第三が控えているとも。日経は日本の金融危機を学ばないアメリカと書いてあるが、妙に傲慢な感じを受けた。職場のすぐ近くで会議があり、少し覗いてみたら、友人の竹内さんにばったりあった。かれは子供の手術代の捻出に会社を辞め、新しい会社に就職をして、その会社の代表としてこの会議に参画されていた。境遇は厳しいが全く変わらないユーモアと核心をつく物言いは話が尽きない。日本全国を飛び歩いているが、高血圧で入院が必要とのこと。今度、大阪で逢おうと約束をした。今までだったら僕も自由が効いたが、今回の転勤で大阪以外での自由はきかなくなる。定時後、新幹線で大阪に向かう。会議のついでに家の下見の予定。家は関目を狙っている、昔職場に居たK子の実家が食堂をしているが、その場所をK子に尋ねると、僕の通勤ルートにぴたっとはまった。とにかくメシ屋の存在は大きい。
9月16日(火曜日)
送別会。押上山岳友の会に、港区飲み会が合流して、浅草は押上のトンカツ屋さんで開催頂いた。男よりも女性が多いこの送別会は、仕事とは関係のない集まりで大いににぎわった。飲むことにかけては底のない人たちばかりで、呼び名が「ざるの○○さん」と言う人もいるくらいだ。また、1時間半もかけてお越し頂いたM子さんもお越し頂いた。この方は、僕と同じ年齢にもかかわらず、健脚。燧ヶ岳の裾野半周を3時間強で走破したのだ。T子さんは、今回が2回目だ。静かなたたずまいだが表に出さないパワーを秘めている。ひっそりと咲く花の様な存在で楽しんでいるのだろうか?と心配するが、しっかりと飲んでいたようである。K子氏も2度目。この方は山が好きで自分の山小屋を持っていると言う別格の存在。F氏とは親類関係にある。K氏とT氏は山岳友の会の中心的人物で、この方達が居ないとそもそも山岳会は成り立たない。F氏と私は好き勝手言う付属物だ。S子さんは、興味のありそうなことに首をつっこむ方で、ハイキングのような登山だと賛同してくれる。最初からお酒でも良いと言う人でもある。M子さんは、きつい物言いをする人すごい美人。写真を数枚撮らせて頂いた、本当は100カット位欲しかったが怖くてそれ以上言えなかった。こちらも酒の方。A氏が参加していただいた。A氏はF氏と同じ配慮の人だ。ビールしか飲まないビール腹をした人。最近はダイエットに努め少しへこんだようだ。TY氏の友人で、K子氏もTY氏の友人。TY氏を中心話が盛り上がった。W子が2人いる。この二人とも相当な美的で盛り上げにはかかせない人材。今回はしっかりと会話する時間がなかった。それぞれ飲む酒の種類は違うが飲める方達。このような人たちで夜が更けていったのでした。皆さんありがとう。
9月15日(月曜日)
スティーブ・ジョブスは世界を代表する成功者のうちの一人だ。だが「iCON」という本を読む限り一緒に仕事をしたいと思わせるような人間性を備えてない。新聞や雑誌ではこのような内容は一切報道されないから、興味深く読める。嫌な人間像の要素の一つは、人の話を一切聞き入れなく一方的だと言うこと。二つめには独自のこだわりが他の人と共有できないこと。つまり何を考えているのかわかりにくいこと。まだ最後まで読み終えてないが、アップルはスティーブ・ジョブスによって経営されていて、彼の存在なしにはアップルは成り立たないと言うことが明確に解る。夕刻プール。ゆっくりできた週末だった。
9月14日(日曜日)
朝レポートを1本書き上げメール発信の段になって、超先輩のTさんから、「水臭い」と叱責のメールが届いているのに気がつく。夏休み以降空いている日がないのだ。メールには大阪の住居物件もあった。住所を頼りに、近辺の食堂を探す。その食堂はどうも昔の職場に居た社員の実家だったような気がする、そこからそんなに遠くない。一人暮らしは飯の問題を解決しなければならない。夕刻プール。3km。1時間15分。このごろ水が冷たい。以前ほどスピードを上げられず体が冷えるからか。夜、溜まった新聞を読む、アメリカのサブプライム問題は根が深い。どうやら500兆円規模のダメージがあるようだ。回復に2〜3年必要だと思うのだが。後半は和歌山の日本酒「雑賀の郷」(さいかのさと)を飲みながら。
9月13日(土曜日)
博多発10時のカモメで長崎に向けて出発。電車は満席。指定席をあきらめ早めに列車に向かったのが正解。運良く着座できた。どこも同じだがローカル線は列車の性能アップで速度が上がったが、レールの精度が甘いので揺れが激しい。列車とレールは一心同体。列車は金で解決できるが、レールは人材が必要だ。今日の昼飯は諫早湾を望むホテルでランチを食った。朝の内は晴れててよかったものの、帰る頃になると急激な雨。車で送ってもらわなければ帰りの便に間に合うかどうか判らなかった。ありがたい。この空港はおみやげ売り場が分散していて何がなんだか判らない。有名な福砂屋さんは一階の端にあった。もう長崎に来ることはないだろうなと感慨をこめてチャンポンを買った。帰りの便はスーパーシートに空きがあり夕食とビールにありついた。
9月12日(金曜日)
樋口可南子を見に出かけた。会場は六本木。いかにも東京という感じ。まずは会場近くの泉ガーデンホテルで中華ランチを食った。「まずい」「高い」「遅い」の3悪。いかにも東京的。レジのお姉さんが昔のバスガールのように甲高い声で訳のわからない事をしゃべっている。客の交通整理が楽しいのだろう。「こっけい」という言葉がぴったりだった。ここにも東京がある。樋口可南子さんは知的で銀幕のイメージそのものだった。感動。夕刻福岡へ。この夜は先輩宅に宿泊する。それに先立ち、駅前の居酒屋「たけうち」さんで、イカの活き作りを頂くことに。これが絶品。頭から、足まで全てを刺身で頂く(普通足は天ぷらにするのだが)。こんなに旨いモノを食って申し訳ない。芋焼酎も旨かった。その深夜、先輩宅で奥様と会話。奥様は鹿児島の人で、鹿児島弁そのもので話される。田舎の言葉を維持しているのはステキの一言に尽きる。きちんと整理された家の中を見てうらやましい(自分の家と比べて)と漏らすと、僕はインドに行くことによって、混沌の中で暮らすことができるようになる。それが乱雑な奥様の生活を認めるきっかけになると(僕が妻の乱雑ぶりを大いに語ったので)、やや運命的な予言をしてくれた。面白い奥様である。そのご主人とは学生結婚だそうである。
9月11日(木曜日)
単身赴任の心構えをいろんなヒトに聞く。電子レンジを使ってパンの作り方を教えてくれた。発酵時間がもったいないので、イースト菌の代わりに豆腐を入れるそうだ。この人からはかなり本格的に習わなければならない。一人暮らしは自分の好きなように出来て楽しいはずだが、皆、否定的な意見。僕はできるだけみすぼらしくならないように、生活家電は豪華に揃えるつもりだ。晴れていた空も午後から大雨となり、夏以降天候が優れないまま秋を迎えている。それでも街中では秋虫が鳴き、季節が移ったことを感じる。今日は体も回復したので自転車で本八幡まで通勤。帰路時、僕の前をほぼ同じような速度で進むライダーが居て、少しだけ競争状態に。みぞおち付近を盛んに汗が流れる。気持ちの良い汗だ。家に帰り着くと娘が早速満面の笑顔で話しかけてきた「先に風呂に入っても良いか」娘の笑顔に父は弱いが、もうだまされないぞ。「NO」。「YES」の場合1時間ほど待たされるのだ。妻にも鍋の作り方を聞く。
9月10日(水曜日)
朝起きると左足にものすごい痛み。昨晩少し左腰が痛かったが、今日は本格的になった。触ると左足の神経の通路が全て痛む。僕の見立てとしては骨のズレで神経を刺激している。そのポイントは首にあると推測する。かかりつけの医者に相談するが、いつもの電気治療のみ。これではたまらん。周りの人たちが進めてくれる、グレコサミン+コンドレコレチンを買った。店のヒトが本当に親身(のようなふり)になって進めてくれた薬は20,000円。だまされたと思って1ヶ月飲んでみてくれ。事務所に帰り早速服用する。すると、瞬く間に痛みがとれ、階段を上ることが出来なかったのに、退社する頃には2段飛びでも行けるほど回復していた。仲間に話すと、それはない。最低でも3ヶ月はかかる。少しおかしな気もしたが、痛みが引いたことは確か。
9月9日(火曜日)
爆睡の後、目が覚めると6時半。少しふらふらしたのち、もう一度風呂に入り汗を流した後、散歩。抜けるような青空の下を線路沿いに歩く。新潟市内は駅から10分位で空き地や公園や平屋の民家があり割と静かな街。だが、由緒ある古民家を探すが、さすがにそれはない。積雪が多く、家の耐用年数が少ない為か。その後、メンバーと田中元首相の長岡に向かう。線路の両側は米、米。穀倉地帯。だが新潟では米を食わなかった。長岡の駅では物々しい警備。警察の方に伺うと、天皇陛下が来られているとのこと。街の道路は赤っぽい。融雪の地下水には鉄分が多く、さびるとのこと。郊外の目的地に着くと、どこからとはなく、稲を刈り取る匂い。秋だなぁ。夕刻は組織責任者の歓送迎会。緊張して酒を飲むのがつらいところ。10年後にもう一度集まろうと決意する。ハイハイ。
9月8日(月曜日)
週初めだが、気合いを入れて夕刻まで事務処理を行い、先輩の送別会会場に出向き2〜3打ち合わせ。その後、新潟に出かける。東京も日中は汗ばむ陽気だが、新潟はワイシャツだけだと少し寒い感じ。新潟では大阪からのKさんと落ち合い久しぶりのメシ。新潟は何と言ってもお酒の名所。旨いお刺身に日本酒を頂く、「古川」「雪中梅」。堪能しました。米も旨いだろうが、お寿司は断念。ホテルはレオパレスさん。ここは部屋の中にマッサージ機があり、いろいろコースを指定して肩や背中をもんでくれる。酔った後では非常に気持がよい。だが気がつけば1時半。寝込んでいたんですね。あわてて風呂に入り就寝でした。
9月7日(日曜日)
昼間布団に横になり本を読んでいるといつの間にか夢の中に。目が覚めると12時を回っていた。だが娘はまだ寝ていた。僕はどうしても連続で眠ることができなくなった。午後は夏休みに溜まった新聞を見る。どれも暗い書き出しばかり。過去の新聞を読むのはもう意味ない事かも知れない。夕刻プール。昨日も、本日もプールで泳ぐのに丁度時速2.4km。落ちている。今まで1時間で2.5kmをキープしてた。いろんなものが崩れ落ちて行っている。情けなく寂しい。プールから出ると遠くの方で太鼓をたたく音。耳を澄ますと雷。道中40分もかかるので急いで帰ると、家に着いたタイミングで雨が落ちてきた。
9月6日(土曜日)
先輩の定年感謝の集いのビデオを編集している。写真もビデオに編集して音楽を浸けておもしろく流す。ほぼ一日仕事。一方大阪の家のことではいろいろと難題が多い。交野の家は売ることにしたが、非常に安く、ローンの残金800万円が払えるかどうかの瀬戸際だ。一方でもし売却をするとなると税金の問題が浮上する。年収とあわせての課税となると、ローンの残金におい銭をしなければならなくなるのだ。それでいて、大阪の住居は全額自費負担となる。年収が200万円ほど下がる計算となる。大変な転勤になる。一方息子は僕の転勤を理由にクラブを辞めようとしている。理由はこうだ、クラブの人間関係がおもしろくなく辞めるのだが、表向きには「父の転勤でお金が必要になりやむなくバイトをしなければならなくなった」とけなげな子供を演じている。それで、辞めてどうするのか?自分でも解らなく相談されたが、解決策があるわけでなく、堂々巡りの話し合いだった。バイトは友人関係が変わり悪い方向に走るかも知れないがそれでも良いか?と聞くと、どうもそこまでは落ちたくはないと言う。単身赴任で僕が居なくなると、時々こうして話す機会が根絶するが、どうしたものか。
9月5日(金曜日)
夕刻、急激に曇ってきた。帰りの便に支障が出なければよいが。今回は会議の後、先輩の定年退社の準備として、その先輩と懇意にしている大阪在住の人を訪ねてコメントをビデオ撮影して回る付録事項もあった。梅田駅に着くと豪雨。出来るだけ外に出ないようにして時間調整のために新阪急ホテルの喫茶店に入った。コーヒー700円。昼飯代と変わらない。場所代だと思えば不満も収まるが、お金を払う段階で、小銭入れから取り出した50円玉が下に転がった。そして、このお金はいくら捜しても見つからない。先週も500円玉が見つからなかった。一度落としたお金を拾えないのだ。いろんな事に鈍感になっている証拠。帰りの飛行機は幸いにしてたいした遅れもなく羽田に着いた。今日は余分な散歩もしなかったが16,000歩を歩いていた。夕飯がないので、船橋のいつもの回転寿司の店へ。冷静にお寿司を味わうと冷凍食品が多いと判った。一皿135円のからくりがこれだ。家に帰って早速買った和歌山の「雑賀の郷」を飲んだ。18度ときついが旨い。日本を代表する酒としても推せる。飯を食いながら飲む酒ではないのだが。
9月4日(木曜日)
自分の中に潜む魔性についてU
このことについて考えさせられたのは、昨年モデルさんと密着行動をしたときだ。僕はスポンサー側として、このモデルさんをファインダーで舐めるようにして見つめた。1,000カット位は撮影しただろうか。撮影している内に親しくなり、そして、そのモデルさんが言った「私の魅力をもっと引き出して」。スタイルが良くて、美人で、気安いモデルさんは他に何の不満があるだろうか。自分の魅力を知り尽くしたモデルさんでも、まだ発見されてない「何かがある」と思っているところに感動した。もしかしたら、自分にも自覚してない何かがあるのかも知れない、いや、実際には無いかも知れないのだが。だが、今回は何かを見つけようと航海にでることにした。後悔しないためだ。新幹線の中でPCを開きさあ仕事をしようと思っていたらいつの間にか爆睡の中、気がつけば浜松を過ぎていた。
9月3日(水曜日)
変人の行動
9月で職場を変わる。入社以来2度目だが自分の希望が人事に反映される。普通の人は余りそのような行動をしないだろう的な異動。それが変人と思われるゆえん。自分の中に済んでいる魔性は何をしでかすか判らないので自分でも心配である。入社早々にも、現職が嫌でもないのに社内公募に挑戦し、畑違いの職に就いた。何でこんな行動を取るのかと言うと「血が騒ぐ」のだ。その背景は判らない。居ても立っても入られなくなる。だが、職場の若者にとっては僕の奇行が新鮮らしく声をかけてくれる。ある人は、年を取っても挑戦するのはいいことだ。と激励された。僕としては「バカ野郎、俺は老いてはないぞ」と返したい。だが、体は年相応で、左足がぴりぴりして、整形で見て貰うと、腰の軟骨が減って神経を圧迫しているようだとの診断。いろんな支障が出てきている。それで、変人の行動にも自ずと制約があるかも知れない。
9月2日(火曜日)
初めてのことだが
東京ドームに野球を見に行った。東京ドームは蘭展が開催される2月に毎年行くが野球を見に行ったことはない。今回は都市対抗野球でその応援のためだ。もちろん入場料はただ。応援のためのタオルとか団扇とか大変な準備がされていた。応援は、本当に応援しやすいように、どんな言葉を発したらよいのか、何回言えばよいのか、すべて絵コンテで示してくれる。全く知らない人何千人も一同に瞬時にマネジメントする手法がここにあった。チアガールが盛んにパフォーマンスをするので、そちらに見とれている間にバッターが出塁するとかで、TVで野球を見るように肝心なところにフォーカスが当たらない。試合は加点が双方にあり緊張をしたまま進んだ。ピッチャーの一球一球にどよめきが呼応する。一心同体という感じ。野球が余り判らない僕も息を詰めて試合を見守った。8回裏に追加点があり、もう大丈夫だと判断し球場をあとにした。水道橋からだと自転車を止めてある駅に総武線で一直線。ここらか自転車に乗り、ビールを飲みながら帰ると、試合を最後まで見て、電車に乗って帰った人と同じになった。(自転車の実力は侮れないと言うことを言いたい)
9月1日(月曜日)
久しぶりだが、自転車通勤。首都圏の道路は少し間が開くと豹変するので心配だったが、今回は問題ない。8月の後半はほとんど雨で自転車通勤が全く不可だった。所用時間もほぼ1時間半で日本橋に到着、いつもの通りだが、一つ難は体力の件である。今までと違うのは、大粒の汗を流している。夏でも自転車は風で体を冷やすので、微少の汗をかき続けるが、流れるような玉の汗はかかなかった。だが今回は違う。明らかにこの自転車が負担となっているのだ。疲れた感じはなく汗だけの問題だが着実に体力が落ちていることを実感した。帰りに小岩にある「花火屋酒店」に寄ってお酒を買った。ここの奥さんの勧める酒が一番旨い。だが、今回が最後なので挨拶をして、少々重いが2本買った。今回は和歌山の酒。
8月31日(日曜日)
カメラのテスト撮影にいやがる娘を連れ出し撮影をした。高校2年生の娘は一歩でも間違うと何もしてくれなくなるので対応が難しい。それでも無事撮影が終了した後で、太陽が顔を出した。タイミングが良かったのかどうか微妙。約1週間ぶりの太陽だ。夏が戻ってきた明るさになったが、気温はもう秋風となっていた。その後、本を読んでいたらいつの間にか夢の中へ。久しぶりに気持ちの良い午後のシェスタを味わった。夕刻プールへ、混雑もあったが3kmを1時間15分。5分ばかりタイムが落ちている。プールから出ると体育館でにぎやかな演奏が聞こえる、顔を出すとダンス大会だ。応援者は背中に貼った番号で判別し「○○番さん」と黄色い声を出している。年齢の頃40歳くらいまでだろうか。とにかくダンスのコンテストに出場する人がこれほど多いとは。200組は居ただろう。しばらく見ているとなるほど、声をかけたくなる程上手な人が居る。標準のカメラしか持ち合わせがなかったのでUPの映像は撮影できなかった。
8月30日(土曜日)
植物園と動物園。自転車で15分のところに2つの園がある。鑑賞というよりか、カメラの撮影場所として重宝している。何度も何度も通ったので、撮影ポイントは心得ている。ここで一番上手に撮影できるのは僕であるという自負がある。撮影の最中に集中豪雨。そういえば愛知県は岡崎と一宮がひどい雨とのこと。野村さんという人から電話。税金を節約する旨の用件だ。今からさかのぼる10日前のこと、高知の田舎に電話があり、僕のことをいろいろと訪ねたようだ。それを妻は全部答えたというのだ。電話番号まで全てだ。それが今日の電話になっている。子供達にも電話の対応方法を説明しているが、相手はどんな手口を使って攻めてくるのか解らない。危ない世の中になった。
8月29日(金曜日)
久しぶりに横浜。JR横浜に降り立って気がついたことは、30年前からずっと横浜駅はゴムを敷いた通路だったが、やっと大理石の通路に代わった。キレイな横浜駅の誕生だ。横浜はサザンの解散で過熱気味。今年いっぱいはこれで食っていける。次の文化はまだ見えてない。夕刻、新橋のうどんの「美々卯」で飲み会だ。なぜ美々卯なのか。ここには凍結酒があるのだ。凍結酒とは日本酒を凍らせ、みぞれ状態で頂く。料理が熱いうどんすきなので、冷暖丁度緩和しておいしく頂く算段だ。集まったのは4人。本当は「山」をテーマとする人たちのはずなのに、「酒」をテーマとする仲間に豹変している。この店はおじさん達が利用する店なので時間制限もなく、また静かに飲める。時々集まるこうした仲間は貴重な人生の財産である。
8月28日(木曜日)
午前中、少しパワーを使う会議を済ませ都内を走る都電に乗って大塚に行く。ものすごく疲れたので、ここでウナギを賞味することに。この街を少し歩くと、以前に見たことがある風景だ。そのウナギ屋さんにある地図を眺めていると、バラの撮影に訪れたことがある「旧古川邸」のある土地だった。カメラを通じて東京と少しずつ親しくなっていく。明日の晩は久しぶりに仲間と日本酒の飲み会があり、どうしても今日中にめどをつけておきたいので、疲れているにもかかわらず遅くまで仕事をした。今日は東海道線が止まるなど雨による影響が出ている。大垣市で大雨になっている情報もあった。どうなっているのだろう。
8月27日(水曜日)
今朝は参ったぜ。船橋で乗り込んだ総武快速。丁度席が空き始めて着座。だが、災難はここから始まった。隣の若い女が、もう全面的に眠りこけこちらに倒れ込んでくるのだ。肩で押し返すが効果なし。できるだけ、離れるように座り直すが、すると余計倒れ込む。何ともやりようがない。このような場合どうしたらよいでしょうかね。もう夜のカレーは飽きた。今晩は「ポセイ丼」だ。昼飯に食ったことはあるが夜はどうか。夜は定年後のおじさん達の懇親会の場となっている。なるほど、ここなら、値段もリーズナブルだ。いろいろと穴場を捜し自分の身の丈にあったところに落ち着いている。そして帰りの電車。4人掛けのシートにしがみついて本を読んでいると、今度はものすごい背の高い女性が隣に来る。総武快速だからもちろん満員だ。問題は、僕が本を持っている肘が、背の高い女性の腰の部分に当たるのだ(それだけ背の高い人)。満員だから逃れようがない。今日は何ともしようのない一日だった。
8月26日(火曜日)
定年退職するT氏の企画をするようになった。できるだけ奇抜な内容で楽しんでいただこうと思っている。そのためのアイディア出しをはじめた。現在は写真がデーター化されているので作業が早い。ところでこの異常気象はどうしたことか。昨日といい、今日といい、例年にはあり得ない天候だ。気象庁は冷たい高気圧と南からしめった低気圧がぶつかり、、、そんなことはわかっとるわぃ。なぜ、このような現象が起きるのか?それを言わんかい。国の研究期間は何にも知らないのか?「NO」。相当な調べがついているはずだ。それは、だれでも解っている温暖化が原因なのだ。役人は責任を負いたくないので何も言わない。国民を「茹でガエル」にするつもりだろう。国を信じず自分を信じるのが正しい生き方かも知れない。
8月25日(月曜日)
昨晩お金の振り込みの件で妻と電話で大げんかした。農協でお金を引き出して郵便局でお金を振り込むのが面倒だというのだ。「そんならもう良い」と電話を切った。頭に来た。そして今日、出張のついでにお金を振り込んできた。振り込んだ後、頭に来たのがぶり返してきた。頭から湯気が出ているだろう。事務所で友人のF氏から、奥さんに電話をしているのかと痛いところをつかれた。「何でも良いので電話をした方が良い」、とアドバイス。夜、事務所の近くでカレーを食った後、電話したら、明るい声が聞こえてきた。もう済んだと言うことか。あと2日で帰ってくる。鎌ヶ谷の駅前で野菜と肉とパンを買って帰ると、子供達から歓迎された。我が家は食糧難の状態で、この食料が難民の救援物資のような効果を果たした。なぜ、こんな事が起きているのかと言えば、外食を好まない彼らは自分で料理して食っているのだ。そして、買い物も恥ずかしくてできないようなのだ。
8月24日(日曜日)
今朝は9時まで寝てしまった。その後、昨日撮影した映像を編集するとあっという間に一日が過ぎてしまった。あわただしかった富良野だが、こうしてすばらしい映像が手元に残ることを考えると決行して良かったと思う。夕刻プール。2.5kmを1時間。今日は無理しないでほどほどに。夕刻息子の帰りを待って食事に誘ったが、否の返事。自分でつくって食べると言う。娘と近くの「はな善」へ。実はこんなに近くにすばらしい食事どころがあるとはつゆ知らず。2人でおいしいねと食った。圧巻は22巻の握り。幅70cm位の板の上にお寿司が22巻乗っているのだ。ビールを我慢して食事をした。
8月23日(土曜日)
なぜだかホテルでは眠りが浅い、自分のいびきで目が覚めて深く眠れない。今朝も早く目が覚め市内をぶらつく。歴史のない北海道は街に見るべき風景がない。歴史の重みとはこんなところに顔を出すのだろうか?今日は撮影のため美瑛〜富良野方面に行く予定だ。天候は申し分のない晴れ、だが寒い。車はマーチ。道路状況は極めて順調で安全運転に支障がない。せるぶの丘で最初の撮影。夏も終わりかけだというのに色とりどりの花が一面咲き誇り雄大なスケールで迫ってくる。どのようなアングルを選んでも絵になる。だがワイシャツだと寒い。次ののかんのファームではもっとすごい風景に圧倒される。これにはまいった、見事なセルビアトウモロコシを買って気分を収める。気分の良いお姉さんが、一番大きなトウモロコシよ、と手渡し。ジューシーな甘さが口に広がる。富田ファームは中国人で一杯。オリンピックは関係ないだろうか?空を見ると見事な太陽の傘。昼飯は富良野市のそば屋さんで、もりそばを頂く。これがなかなか旨い。神田で食べたら3,600円は堅い。ワサビもしっかりと効いている。麓郷では「北の国」からの記念の場所を散策した。それとは関係ないが、その近くの農場では刈り取った草をトラクターで収穫していて、大型機械の動きに感動した。変わり者の僕ならではの反応。ろくごう展望台まで上がると、寒くて凍えてしまった。ジャンパーと手袋が欲しかった。撮影の後しばらく車の中で暖まらないと動けなかった。帰り道、富良野のメロン屋さんでカットメロンを頂く。夕張メロンとどちらが旨いの?「そりゃあ夕張メロンですよ」とにべもない。「だがお値段がね」。この娘はナカナカ言うね。カットメロンは350円。納得の価格。車を無事返却、リッター当たり12.5km走っていた。最後の仕上げでサッポロライオンのビールとジンギスカンを頂く予定はあいにくと会場貸し切りで実現できなかった。狭い上に、首が折れそうに曲げたシートの空港バスで旭川空港に。ここから苦難が始まった。まず、飛行機の中が暑いこと。エアヅゥだから細かいサービスは無理かな?羽田の滑走路も時間帯に確保できず、空港が静まってからでしか降りられない身の狭さなのだ。だが、この暑さは違っていた。僕自身の体が寒さに適合していたのだ。JR山手線や総武快速、東武野田線とも暑い。それも異様な暑さなさのだ。やれやれ。
8月22日(金曜日)
昨日はコンビニ食を2回食ったので、今朝はきちんとしたホテルの朝食を頂くことにした。朝食後急いで札幌駅へ、8時に集合で、その前に時計台だけは撮影するのだ。抜けるような青空で、すばらしい時計台の写真が撮影できた。ついでに気温も低くさわやか。東京の人には申し訳ない。夕刻旭川に移動。途中たまらず寝てしまったが、目が覚めると平原に夕日が落ちるタイミングで、おごそかに粛々と一日が終わろうとしている、感動的だった、すかさずカメラを取り出し撮影した。旭川着、明日の車の手配を行いホテルに。東京から送った機材を確認し、食事に繰り出す。ワイシャツで平気だと思って外に出たがちょっと厳しい寒さだった。気温は18℃。メインストリートの長さ300m。ここで若者がギターを抱えて歌っている。アキバと比べるといくらか田舎っぽいがプロじゃないので青春の香りがする。断然こちらが良いが、寒そう。目指すは魚屋さんだったが、途中に天ぷら屋さんがありここで落ちた。お奨め定食は旨かった。レポートが一本残っていて酒なし。帰り道にジャズバーがあり、ここでも心動くがレポート大事で心を鬼にしてホテルに向かった。入浴後窓を開けてくつろいでいると鈴虫の声。ここは秋だ。
8月21日(木曜日)
仕事始めなのにツキのないことから始まる。まず、喫茶店でお茶を飲むとき、500円玉を落としてしまったら、それがどうしても見つからない。今日は嫌なことがありそうだ。そして夕刻、浜松町のモノレールだ。僕が乗る直前の列車から車両点検だと言うことでホームで待たされること15分。更に札幌行き飛行機便だが、僕が飛行機に乗り込んだ直後から飛行機が揺れだした。まだシートベルトは付けてないぞ。なんだなんだ?夕刻から関東地方は最悪の天候と予想されていたが、そのタイミングに丁度遭遇するとは。空調の音よりも大きな雨音で飛行機は空港で待機したまま1時間の沈黙。やれやれ。ホテル到着は10時過ぎだ。まだまだ悪いことはありそうだ。最後の出来事は千歳空港駅で乗り込んだ指定席の列車はがら空きなのに、僕の周辺だけ満席。もっと分散して配置しろや。札幌の気温17℃だった。
8月20日(水曜日)
まだまだすることはある。安芸の病院とコンタクト薬の手配等々。そして最後の難関、離れの家を片づけた。ここにも捨てるモノが一杯ある。なんで老人はこんなにため込むのだろう。シンプルに生活を送れないのだろうか。次は、墓の掃除。まず、墓までに行く道を確保、繁殖旺盛な草木で道がふさがっている。蜂と蛇に注意をして鎌で刈り込んだ。それで朝から大汗。一作業終えてローソンでパンとからあげクンを買って昼飯の代わり。思えばこの夏ほどコンビニや食品スーパーのお世話になったことはない。妻への引き継ぎ書を作成し、東京から来た妻と高知龍馬空港で打ち合わせ。今度は妻が高知で母の面倒を見る番だ。姑と嫁の関係だから苦労するだろう。家に帰ると子供達が居た。安全な夕飯屋に出かけた。安全の基準は友達と会わないルートをたどって、友達が来そうにない店に行くことだ。もちろん自転車。回転寿司の店だ。お皿の高さは息子>娘>私の順。子供達から、着ている服の裾をズボンの中に入れているのは「今風でない」と指摘を受けたが、外に出すと、腰まで裾がたれてしまう服なのだと理由を述べると簡単に納得してくれた。こびと家族だから分かり合えることもある。そして、80年代のファッションだねと言う。それを言うなら70年代だろう。
8月19日(火曜日)
母を病院に送り、農協で父の入院費を下ろす。母の通帳と印鑑を持って。僕は農協の人と面識がないので、もしかするとお金が下ろせない可能性があると心配したが杞憂だった。家事を済ませた後、図書館で2時間ばかり読書。人類滅亡後の本で、マンモスなど巨大動物が絶滅したのは、人類が食べ尽くしたというのが定説だそうだ。また、大量のプラスチックが海に流れ、波によって小さく砕かれ、微少な動物に取り込まれ、食物連鎖で、次第に大きな動物に取り込まれて行く危険を指摘している。この本は非常に面白いが最後まで読めなかった。明日高知を離れる。父の退院も決まり、おじさんにお世話になるので夕刻訪問する。打ち合わせもそこそこで宴会。今度は前回と違ったメンバーが居た。とりわけ、鮎を捕まえる名人が途中から登場し、塩焼き、甘辛煮、酢モノといろんなメニューで頂く。鮎は河川によって味が違い、味覚煩い人たちは近くを流れる赤野川が最高だと言う。今日の鮎はその赤野川産だ。他にはウナギの白焼きがあった。白焼きとは、ただ焼いただけのウナギだ。醤油で頂くのだが、僕はそのままでOKだった。1cm程のイカのボイルなどもあった。とにかく酒飲みが集まる家なので、酒の肴がふんだんにある。あまりにも美味すぎて、きっと体に悪いのだろうな。
8月18日(月曜日)
高知の撮影ポイントと言えば、牧野植物園を筆頭にあげることができる。入園料が全国の植物園の中で一番高く500円もする。だがレストランの料理といい、入って損はない。その目で探せばいくらでも撮影が可能だ。あいにくと天候が悪く車で来たが、自転車来た場合はレストランで酒でも飲みながら撮影ができるのだ。今回は「面白い」がテーマで頑張ってみた。特にマクロ撮影は人間の目とは違う表現ができるので楽しい。こんな事もできるのか的な発見もあり、ガラスハウスの中で汗を流した甲斐がある。ムービーでも撮影した、今のシーズンは食虫植物がテーマで、葉の先に歯があり、中に虫が入ると、蓋を閉じる植物がある。そこら当たりに転がっている枝で突っつくと、見事この枝を葉が咬み込んだ。僕の後、同じ事を若い女性がやっていたので、人が最初に思いつくことは同じなんだと声をかけると、賛同の反応。ここから車で10分で、父の入院している病院がある。今日は検査結果が出る日で、ずいぶんと待たされたが良好の判断を頂き安堵の胸を下ろした。こういうときこそ酒を飲めばよろしいところだが、今日から会社は稼働していてメールが一杯貯まっている。だが何もしてないのに、午後8時がくると眠くなる。
8月17日(日曜日)
ぼんやりした頭で目が覚めたが、今日もすることがある。まずは、粗大ゴミの提出だ。持ち込むと、村では見かけない人たちがこの任にあたっていた。すごい違和感だ。その後父の見舞いに。父が入院前に植えた芋を堀り、ふかして持参した。余り美味くないと思ったが、こんなモノだという。数日前と違ってすっかり元気になっていた。明日検査があり、その結果で退院の日が決まるとのこと。一安心だ。中途半端な時間に帰ってきたので自転車の山登りは断念し水泳に変更。自転車で10分ほどのところに、非常に設備の整ったプールがある。村外の人は800円。まずは乾式サウナで体をほぐし、水泳。20mプールなので60往復で2.4km。仕上げは水蒸気が落ちるサウナでストレッチ。太平洋を一望にできる風呂でのんびり。脱衣場はすごく冷房が効き身が引き締まる。水泳はウエスト周りの肉が落ちるが、今日はズボンが落ちてくる。ロビーで体重を量ると54.5kgだった。自作の食事ではまずいので痩せたのだ。
8月16日(土曜日)
レポートを2本書かなければと思いながらもう1週間も過ぎてしまった。だが、この夏期休暇は実家の整理、父母の介護関係、炊事、洗濯、掃除、などやることが多く、中々机に向かうことができないのだ。読書も1冊位が限界かな。夕刻おじさんの家で少し気を抜こうと伺うと、親類の人やその子供達やただの知人など大勢の人であふれていた。その中で漁師の知人がいて、今釣ってきた魚を料理して頂いた。確かな歯ごたえと、もっちりとした脂身で旨い。この新鮮さはどこにもない味だ。高校生の男の子も居た。普通の会話ができる。こんな子供は化石としか言いようがない。その子の母親に聞く。男の子2人いると、「臭いやろう?」。すると、「この匂いが好き、パジャマなんか抱きしめて匂いをかいでいる」と来た。ここではみんなビールを飲む。ビールは腹が張るので、僕は日本酒を携えた。銘柄は「白菊」だ。芸西村唯一の酒造。東京駅にも売っている。東京駅で買った酒はまずかったと以前に書いたことがあるが、この持参した酒もまずかった。きっとこの酒は僕に合わないのだ。とは言うものの、飲むものがないのでこの酒をちびりちびりやっていると、いつの間にか空になった。これは大変と急いで退散した。実家からは自転車で15分程度の距離だ。
8月15日(金曜日)
母の透析先の病院から、是非面会に来るようにと連絡あり。昼過ぎに伺うと、母の病状は非常に悪く自己管理をしないと、いつ心不全になるか保証できないと言う。その覚悟をして欲しいと。要は透析患者は塩気のものを食べてはいけないのに、母はお構いなく食っているとの指摘だ。そして、病院の先生は、人生観の問題で、短く好きなことで活きるのか、長く我慢するかの判断で、母の場合、短く好きなことで活きるのが良いのではとアドバイスをくれた。そこで、僕としても最後のあがきで、母に言い渡すが、長年親しんできた塩味からの脱皮が難しく、食事の準備の際大げんかとなった。結局、これはいくら言っても聞かないと判断するしかないと思った。父と僕とは、これから時計を睨みながらの生活となる。やれやれだ。天気の方はあまりにも晴れ渡り、まるで秋の天高くのごとし。高知の夏と言えば、まったりと水蒸気が立ちこめ、どんよりとした青空が広がっていたのだが、ここ2年はきっぱりと晴れている。やっぱり異常気象だ。天候とは全く関係ないが瞬間凍殺のボンベを買ってきた。いろいろと昆虫を相手に試したが、昆虫の方も逃げ足速く、この瞬間をビデオに収めるわけにはいかなかった。好奇心代980円也。
8月14日(木曜日)
昨晩は、急にひどい雨となったり、雷が鳴ったりで、夜通しにぎやかだった。それで、眠りが浅かったのか、午前6時半に目が覚めた。日課となった掃除、洗濯、食事と後かたづけ。母の透析の送り迎え。今日は家の中にあるゴミを徹底的に拾って捨てる作業に没頭した。とにかく家の中がゴミだらけである。カン、ビン、石油樹脂類、紙の箱。午前中は母屋の特に僕の歩く導線を中心に整理した。午後は、納屋にある自分の持ち物を整理した。大阪や名古屋から田舎に送り届けたいろんなものを整理した。HIVIの創刊号から保存していた雑誌もこの際ばっさりと捨てることにした。雑誌はステレオ誌やレコ芸など数多く、軽トラック一杯になった。引っ越しの箱にして30箱分を整理した。自分の歴史がこの書籍と共にあると思うと少し寂しい気がしたが、納屋も一杯だ。腰が限界となり作業を終了した。夕食は犬の散歩がてら、村唯一のスーパーマーケットへ。片道35分。ハゲを丸ごと買って鍋にした。鍋料理は初めてで余り旨くなかった。が、いつも空腹なので何とか食べられた。自分で料理をすると、味付けが下手で、食事が進まずいつも腹を空かしている。きっとこれが健康によいのだろうとは思うのだが。
8月13日(水曜日)
村役場に介護保険の申請に行く。いろいろと手続きがありややこしいが、とにかくこのときに全部済ましてしまおうと粘って終えた。いろいろと個人的な事を聞かれるが、母は取り繕って本当の事を言わない、良く見せよう、良く見せようとする。介護士の免許を持った問診する人は、別の場所で真意を尋ねられる。そんなこんなでも、一級の障害者手帳を持っているので、話が進みやすい。その後安芸市にある、かかりつけの病院を訪ね、申請を行った旨伝える。普通はカルテか何かにメモするはずなのに、この場は口頭だけ。妙に心許ない。しかしこれが田舎流なのかも知れない。今度は高知市にある父の病院を見舞う。せっかく高知市に行くなら自転車屋さんにも寄ってタイヤの交換なども行いたいと考えていたが、電話は不通、中止。父は2日前とはうって変わって非常に元気になっていた。酸素や点滴も終わったようだし、本人も今日は調子がよいと言っていた。速く退院してきて欲しい。病院にいる間に大雨が降った。昨日までの高気圧は勢力を弱めたようだ。帰り着いて、再び昨日の山岳コース。雲行きが怪しかったが決行、途中で大雨。大木の下で休憩するが大雨だと大木も傘の役には立たず濡れた。しばらくすると太陽が顔を出したので再び行軍。体力も備わってきて、休憩なしのノンストップだ。所要時間2時間40分。これには雨宿りの時間が含まれているので、実質2時間20分位ではないだろうか。夕食後部屋に帰って本を読んでいると、大地を洗うような大雨。
8月12日(火曜日)
洗濯、掃除、朝食、母の透析のため連絡バスまで送る、犬の散歩、ゴミ出し。疲れ果てたところに、親類のおじさんが来る。僕が母の世話ができているのか心配してくれてのこと。僕は家の片づけに四苦八苦していると。もし、父が予定通り退院できない場合のことを考えておいた方が良いとアドバイスを貰う。メール作業を終えると昼になった。無性に甘いパンと肉が食べたくなり、ローソンで、ジャムトーストとからあげクンを。車の中で冷房を効かしたまま食ったら旨いの何の。肉は4日目だから、感激。おじさんのアドバイスを受けて村役場に相談に行くと、明日本格的な相談をしようと言われた。相談員が僕の名前を聞くので告げると、相談員の名前と最初の文字が同じだった。ほくろがやたらと多い美人だった。そういう場合美人と言うのだろうか。その後は村の図書館で読書。本を読む暇も無く動いていたので、文字を拾っていくといつの間にか寝てしまっていた。午後3時、母を迎えに、洗濯物の取り込み。その後、昨日と同じ山に自転車で。4年前までは、一気にこの山を駆け上っていたが、今は途中で休憩しないと、腰が折れそうだ。これが年をとった証拠。しかし、昨日よりは軽い気がする。今日の熱さは異様で、アクエリアス1本では不足、わき水を手酌で3回ほど補給。それでも足りず、山を下りてから、500mmの缶ビールを1本。これで水分の収支があった。総時間2時間20分。
8月11日(月曜日)
洗濯、掃除、朝食、犬の散歩、これらをこなすと、結局2時間くらいかかる。痴呆の母と、病気の父が暮らす実家は荒れ放題。とにかく、自分の歩くところは掃除機と拭き掃除をしなければどうも落ち着かない。妻は掃除を全くしない人だから、これでも良かっただろうが、僕は足の裏の不快感があると全てが不安定になってしまう。だから、僕の精神安定のために掃除は丁寧に行うのだ。9時過ぎに父の病院に向けて出発。だが、あまりの天気の良さに、これはカメラの収めておかないと後悔するぞと強迫観念が起き、途中停車して撮影。父の入院している病院は高知医療センターで、地元では有名な病院。この1週間で2回も大きな病院を訪ねることになる。親類の人たちに言われて父はやっと個室に入ったようだ。個室だと一日1万円。4人部屋だと安価。父の病気は重く、手術の後は1級の障害者となるようだ。母も1級だし。相当な手術だったので、父も弱気になっているようだった。午前中の訪問なので、検査があるとかで、10時過ぎ退散した。帰り道、高須のメシ屋で少し速いが昼飯を食った。帰って、父の衣類を洗濯。ストレス解消に裏山に自転車で登ることに。標高550m位だが、一工程2時間50分を要する。アクエリアス1本。350m缶ビール1本を消費。この日も8時過ぎに就寝。疲れているのだ。
8月10日(日曜日)
疲れも10時間も寝れば癒される。部屋の掃除、洗濯、昼飯のこと大体の家事を済ませていざ高知へ。今日は「よさこい祭り」なのだ。毎年この祭りを撮影するのを楽しみにしている。交通の便は自転車。快晴の中、気持ちよい南風を受けて32km。こんな事が許されて良いのかと思う。停滞しながら進む車より100倍も気持がよい。市内の真ん中に無料地下駐輪場がある。車で来ると、道中のガソリン代、駐車料金代など出費は激しいが、自転車だとただ。この違いはどうだ。今回は大手筋の有料観覧席で見る。ところがこれは失敗。入り口付近なので、先頭の踊り子さんはずいぶんと先に行っている。何で、先頭の踊り子さんが重要かと言えば、ここに各隊、美人を集中配置しているからである。2つめの失敗は、観覧席から大切なカメラを落としてしまったのだ。膝の横に置いていたが、隣の子供が動いた拍子で2m位落下。幸いレンズに支障が無かったが、本体は傷ついた。3つめの失敗は、よさこいは進みながら踊るので、カメラに収めにくいのだ。知寄町の「よってこ広場」は広場なので、進む速度が遅いのでカメラに収めやすいのだ。数々の失敗を重ね、今年のよさこいは失敗の巻きで高知市を後にする。今日は炎天下で水2.5リットルを消化した。帰りの自転車は頑張ったはずなのに2時間も要していた。と言うことで、今日も8時過ぎには就寝だ。※450mmの望遠を通して踊り子さんと目が合ってしまった。
8月9日(土曜日)
朝8時45分の空港行きのバスに乗る。8時15分16分と続けて連絡バスがあるのに、その後は30分もない。おかしな運行をしている。なぜ空港なのかと言えば、ここに妻が車で来ているのだ。その車に乗って僕は自宅に帰り妻は羽田に向かう。妻は7月末から今日まで僕の母の面倒を見てくれていたのだ。飛行機の出発までの1時間半次々と出てくる妻の愚痴を聞くだけ。ここで言い返しても仕方がない。10日間のご苦労をねぎらう。昼飯にコンビニ弁を買って帰ると総菜が準備してあった。ありがたや。夜に頂こう、明日からは、ほぼ自作の食事となるはず。母の食事も当然コンビニ弁当か自作のまずい食事。もう余り考えることのできない母は食べる、寝る、透析に通うことくらいしかできない。いろいろ変なことをするが、僕が一蹴するので、立つ瀬がないようだが、これから10日間世話をするためには仕方ない。午後7時、食事も風呂も終えてまだ明るい内に自分の部屋にこもる。すると急激に睡魔がやってきた。この1週間、いろいろとあり疲れていたのだ。
8月8日(金曜日)
昨晩妻から電話、今朝気がついた。もしもの事があってはと心配したが、用件は愚痴。母の看病に高知に帰っているが、もうほとんど愛想が尽きたと言うこと。なんで、「様子を尋ねる電話をしてこないのか?」という怒り半分も。こちらも事故とか大変だったのだ。「すまん」。朝の便で福岡から高知に飛ぶ。高知には仕事で来た。仕事で高知を訪れるとその目で見る。するといろいろ感じるのだ。まず、高知は田舎で洗練されてない土地だと言うことを改めて認識しましたね。まず、空港連絡バスは、ナカナカ出発せず、結局30分位待たされて出発した、だが、出発に際しては何も合図なく、いきなりだ。そしてバスは天井まで絨毯を張りつめた豪華(と会社側は思っているが、普通の目で見れば古くさい田舎芝居)なバスに乗る。着いたところは高知駅の北側で、路面電車に最も遠いところ。やれやれ、飛行機に乗っている時間よりもバスに乗っている時間が長かった。まずはホテルに荷物を預けて撮影に。その後チェックイン。少しうとうとして、午後7時、仕事に出かける。今日の仕事で今週の行事は全て終了だ。23時から居酒屋で打ち上げ。さすがに今日は飲みながら時々居眠りをしてしまいました。だが、たたきの時間はしっかりと頂きましたよ。
8月7日(木曜日)
朝5時半起床、ゆっくりと風呂に入って6時半出発。京急蒲田のホテル桜楓ホテルに宿泊した。自己満足のホテルで、まず名前から読めない(ほうおうと読む)部屋がゆったりとしている割には空調は民生機のエアコンだ。ゆっくり安眠できなかった。京急蒲田から羽田空港は近い。それでも少しでも速く到着しようと急行に乗ったら、各駅停車だった。だったら、蒲田から普通に変更したらどうだろうか?7時半の福岡行きの便に搭乗。この2週間の間に札幌から博多まで移動した。厳しい旅だ。せっかく博多まで来たのに、昼飯は全国チェーンの「リンガーハット」だった。でも、昼の仕事は無事終了。午後20時半、これから夜の部の仕事が始まる。22時半無事終了。これで、厳しい仕事は峠を越える。打ち上げに中州の居酒屋へ。わいわいとおいしい魚と酒を味わった。もう一杯という手前で我慢して退散。疲れたぜ。
8月6日(水曜日)
いやぁ、今日はまいった、まいった。と言うのは、昼の仕事が終わり、深夜の仕事が沼津である。強行軍を張れば、その日の内に都内まで帰ってこられると言う計画を立てた。なぜ、都内に帰ってくる必要があるのかと言えば、明日朝便で福岡に行くからである。と言うことで、午後7時11分品川発の新幹線に乗ろうとした。が、駅は人であふれかえる。なんだろう?新幹線が動いてない。なぜ?大阪で大雨が降ったため。と言うことで、沼津まで在来線で移動した。当然深夜の仕事に差し障りが出た。まぁこれは不可抗力で仕方ないとしよう。でも、問題は帰りの便だ。当然ながら新幹線は正常に動いてない。在来線は最終電車。さて、ここが決断のしどころ。新幹線にかけるのか?答えは「NO」とした。時間はかかっても在来線で手堅く刻んだ方が良い。と言うことで、深夜の電車でこの文章を書いている。予定では、0時頃に川崎に到着の予定。それからホテルに向かい、寝るのは1時頃だろう。やれやれだ。
8月5日(火曜日)
妻がいない、朝は歯を磨いて整髪して出かけるだけ。駅前のコンビニでパンを買って電車に乗る。昨晩Uさんと御徒町の「大江戸すし」で懇親。そんなに飲んでないのに、胃の調子が悪い。疲れてもいる。こんな時に限って、会社ではビルの周りの清掃活動が入り、つらい一日がスタートする。今日の予定は混んでないのにほぼ一日雑事に忙殺される。それとも単なる疲れで、能率が落ち、普通の仕事でも処理が落ちているのだろうか。S子より、まだツアーは続くのか聞かれた。S子は酒飲みの仲間の一人で、日本酒がいける人。彼女を含めた飲み会、次回は「美々卯」のうどんすきで、熱い鍋とキンキンに凍った酒を飲むのが企画されている。昼間に大雨が降る。自転車を置きっぱなしで今日回収しないと20日間の駐車料金を払う羽目になる。この大雨の中、強行突破するのはきついぞ。国土交通省の雨レーダーを時々見ながら帰るタイミングを計った。だが無事自転車は回収できた。夕食は自転車ルートの途中にある、中華料理の店で。まだ胃の痛みはあるが、辛いキムチが旨そうだったので、注文。家に帰ると無精な息子が洗濯をしてすっかり家が片づいていた。やるときはやるモンだと褒める。
8月4日(月曜日)
昨日は、病院に見舞いに行った。ほぼ一日仕事だったので、疲れがたまった。僕的には、休日に正しい疲れを誘う、激しい運動があって始めて、疲れが癒されるようだ。同じ疲れでも中身が違うとどうも体の調子が狂う。だがこういうときに限って昼食が変な弁当になったりする。それで益々体の調子が狂う。しかし調子の狂い初めの原因は娘だ。昨日の朝、「私出かけるから、お父さん残り食べておいて」、と食べ残しのソーセージを用意してくれた。これを食べた後からずっと腹の鈍痛が始まったのだ。今考えると、娘も女のサガを背負っていると思いましたね。ずいぶんと淡泊でまだ子供だと思っていたのに、いつの間にか女になっていたのです。今日、娘と息子が揃う日。明日からは娘がいない。それで嫌がる二人を説得して写真を撮った。
8月3日(日曜日)
お見舞いに宇都宮まで出向く。病院で患者さんの名前を告げるが、住所が分からないと紹介できないという。同じフルネームが2名あるのか?と聞くと無いと言う。だったら良いではないかと言うが、プライバシーの問題があるので、と言葉を濁す。だったら面会人の名前とか住所を控えんかい。それがセキュリティーと言うもんとちゃうか?何かおかしいマニュアル通りに動く病院の警備員。だがナースステーションの職員は至って親切。この落差はなんだ。だが午後にならないと面会できない。宇都宮駅まで片道40分を歩いた。気持ちよい汗が噴き出た。待ち時間を過ごすには全く問題がない。東京駅で買った新刊「おそろし」みやべみゆきを読むからだ。この人の本は人情の襞を読み取ることができればできるほど深く読める。遅くなったので夕食は船橋の中華料理の店でラーメン。
8月2日(土曜日)
昨晩、阿久悠特集番組があり録画した。それを、今朝見ると、この番組は涙なしには見られない程の感激があった。家族がいなくて良かった。近年これほど深い感動をした番組を見たことがない。特に阿久悠がイメージを膨らませて創作する部分に一番感動した。これで、僕も貯まっていたレポートが書けるぞ、と思った。そうした矢先、メンバーの一人から大けがをしたとの電話。このことで僕の心は動揺し、なかなか考えがまとまらない。結局、一日部屋の中にいた。運動もなく太陽にも触れず、不完全燃焼となって酒を飲んで寝た。
8月1日(金曜日)
梅田にある隠れたホテルだが、気持ちの良い目覚めが得られる。汚いが冷房がきちんと効き、凄い朝食があるので気に入っている。ゆっくりと食事をして、事務所に向かう。午前中会議。昼食に、昨日体験したのと同じような和食を頂く。再び別の会議で、本日の業務終了。後は時間の許す限りメールを開き淡々と処理するだけ。空港で職場の仲間と出会う。彼らは予定の便が故障し、2時間後の僕と同じ便に乗るとのこと。今では、飛行機は確実に新幹線より遅くなっている。では何で新幹線に乗らないの?今回の出張でハードな移動を繰り返したため痔瘻を煩ってしまったのだ。体がついてこなくなっているのだ。家に帰ると誰もいない。息子は合宿、娘は夜遊び、妻は実家。でも一人がいい。冷房の温度を勝手にできるからだ。家族がいるときは、28℃〜9℃の室温で生きている。暑さに関しては強い僕でも、風呂から出てさっぱりしたいときにこの温度ではいささかつらいモノがある。
7月31日(木曜日)
5時半起床、6時半の新幹線で名古屋に向かう。朝から疲れモード。荷物の重さも体に響く。名古屋駅で、携帯電話を使ったコインロッカーに荷物を預ける。名古屋は食べ物がまずいので有名。今日の昼飯もその例外に漏れずまずいカツカレーを頂く。料金は一人前の額。午後5時移動開始。コインロッカーは追徴金が300円。計600円。こんなのあり?名古屋駅で、使わなくなった書類と着替えの衣料をコンビニで自宅向けて発送。これで肩の荷が下りた。新幹線で大阪へ。今回の出張は、のぞみnew700系に当たる。この列車は速度が幾分速く、外の景色を見ているだけで慰められる。この日は朝からろくなモノを喰ってないので、阪急3番街で夕食にきちんとした和食を頂く。この街は、一番最初大阪の地を踏んだとき、遠い親類の柳生悦子さんにつれてきてもらった。地下街に水が流れていてそこにお金が沈んでいる。田舎モノの僕は凄い感動をした。その悦チャンも60歳。
7月30日(水曜日)
7時半の新幹線で広島に向かう。広島は晴天だ。タクシーの運転手さんに今日は天気がよいねぇと言ったら、言葉を失っていた。きっと今日も暑いね。が良かったんだろう。午後になって雷が鳴り出し豪雨となった。豪雨が止んだ頃仕事が終わった。帰るメンバーのタクシーに乗せてもらい、ドームの撮影に行った。ドームはすっかり修復が終わり、蝉時雨の中に建っている。外国人が多く、テレビ局の撮影も多かった。5時過ぎにホテルイン。午後7時半に再び出かけ、22時まで仕事だ。仕事を終えて打ち上げに行ったのは23時。いささか疲れた。午前1時就寝。
7月29日(火曜日)
朝早く起きて時計台。赤煉瓦庁舎を撮影。それから仕事。昼飯は近くの旨いもの店屋。サンマ定食を頂く。今日も午後4時に移動を開始。今度は神戸迄。神戸に用事はないが、明日の朝広島に向かうにはここが一番近いため。神戸空港は立派な空港だ。空港からモノレールが三宮まで通りアクセスがよい。途中の駅に「ポートピア」があり、撮影のために下車したら、とんでもないところ。ポートタワーはずいぶんと遠くタクシーもなく、結局暑い中を三宮まで歩いた。三宮ではガード下のお寿司屋さんで食事を考えていたが、目指すお店がない。仕方なく知らないお店にはいると、怒っているような主人がすしを握ってくれた。寿司は旨かったが、なんせネタが少ない。注文しようがないのだ。6カンあまりで退散。これでは腹が満たないので、餃子の店に。やっと満足。飲み屋街を抜けてホテルに向かう。この飲み屋街に「A1」と言う名のステーキ屋さんがあったが、今回は見つからなかった。地震の後引っ越したのだろう。ずいぶんとこの店でUさんにおごってもらった記憶がある。ホテルは瀟洒な、いかにも神戸を感じさせる作りだった。部屋にはいるのにドアが2つもあるのだ。
7月28日(月曜日)
いよいよ移動が始まった。普段と同じ時刻に家を出て、東京駅で7時半の新幹線に乗る。行く先は高崎。高崎と言えば駅前にヤマダ電機が出店し大きな話題となった。そのビルを間近に見る。大きい、百貨店よりも大きい。百貨店は100種の品物を扱うが、ヤマダ電機は100万点の品物を扱う。規模が違う。昼飯にこのビルにあるベトナム料理の店に行った。飯は旨く、しかも、ヤマダ電機のポイントがつくのだ。オドロキ。夕刻4時過ぎに再び移動開始。羽田空港で千歳行きの便に乗る。羽田空港は夏休みで満員。そのため、飛行機が遅れに遅れて30分も待たされる。札幌の気温は17℃。背広の上着を持たず心配したが、何とか過ごせた。札幌に着いたのは22時過ぎ。札幌は旨いモノがたくさんあるが、遅くなることが予想されたので、飛行機の中で弁当を食った。
7月27日(日曜日)
来週はハードな旅に出る。ざっと4,300kmの移動だ。体が持てば良いのだが。そんなこともあるので午前中はゆっくりと過ごした。妻は27時間テレビを朝から見ている。家事はなにもしない。本当はプールに行きたいのだが、満員だろう。だから、夏の間はもっぱら自転車の運動に頼ることにした。昨日自転車屋さんで空気圧の調節もしてもらい非常に自転車が軽くなった。少々雲行きが怪しいが、16号線を通って印旛沼のサイクリングコースに出かけることにした。80km。このコースは船橋市→八千代市→佐倉市→印旛村→本埜村→印西市→白井市→を通り抜ける。感じでは今までよりか幾分速度が上がっている。この調子なら、4時間で帰り着くぞ。しかし白井市を抜けた当たりで6時のチャイムがなった。残念。しかも、丁度この時刻から雷が鳴り出し、あと10分の距離で、空が真っ黒になり、土砂降りの雨となった。夏の雨とはいえ、シャワーより多めの水を浴びると体は冷えた。自宅直前の50mのところで、左手少し先に落雷。凄い音量で心臓が飛び出すかと思った。
7月26日(土曜日)
眠そうな若者従業員
今日は預けっぱなしの自転車を回収して、隣駅である新鎌ヶ谷のイオンに写真のプリントに行った。自宅でプリンターを使って印刷するよりも、写真屋さんで印刷する方が綺麗との情報を得たためだ。ついでに、自転車のブレーキシューがすり減っていたので、ショッピングセンターの中にある自転車さんで交換してもらうことにした。高校出の若い兄ちゃんが対応してくれた。20分ほどかかると言われたが、他に行く当てもないのでじっと彼の行動を見ていた。いかにも不器用な眠そうな目をした子で、どんなにしても六角レンチで止めたシューを外すことができない。やがて、嘱託で雇ったおじいさんの社員に助けを求めて問題解決。しかし所要時間は40分。「お待たせしました」の一言も無し。レジでお金を払う段になって、この子は凄いスピードでレジを打った。あれだけ機械音痴なのに、電子機器のボタンは凄い。人は見かけによらぬものだと思いましたね。きっと彼の生きる職場はここではないぞ、だが、それを求めて職探しできる才覚はなさそうに見えた。その帰り、駅前で年に一度のお祭りへ。人口は多いので、こういう時の人出は凄い。烏賊のゲソを喰いながら散策した。お祭りと言えば娘が大好きだが、クラブ活動で疲れているのか、夜帰り着くとそのまま寝てしまった。疲れが深そうだった。
7月25日(金曜日)
新橋にある居酒屋「潜酔館」へ仲間を誘った。この店は気持ちよく飲める。地下の店なのできちんと冷えててうだるような夏にはぴったりだ。更に料理がよい。料理のタイミングがよい。量が多いのが良い。くだらない話をだらだらとして酒を飲んだ。飲み放題だが、これほどの料理だと飲めないですね。ビール3杯で腹一杯になってしまった。金曜日で給料日となると、新橋界隈はかき入れ時、なんとこの日は、SL側の道路は歩行者天国にして、屋台がでて、多くの通勤客が道路にシートを敷いて飲んでいた。こっちにすれば安く上がったのにと思ったが、こうしたきちんとした店で、きちんと飲むのも良い。
7月24日(木曜日)
先週の金曜日に大酒を飲み、土日もビールとかを飲んでいた。そしたら、頭がぼやぁとして、とうとう昨日まで雲の上を歩くような気分で過ごして、今朝やっとしゃきっとした気分になった。だがもう週の半分が終わっていたのだ。週の初めから飛ばすには、土日の過ごし方の改善が必要ではないかと思うに至った。土日の過度な運動や飲酒は、精神のバランス上必須の要項だと信じてきた。改善方法は、土日も平日と同じように起きて、同じ程度の運動をして過ごすのがいいかも。だがストレスはどうするの?と言う問題が残る。だが、ストレスなど本当は無いかも知れない。体を動かさないのがストレスになっているだけかも。夜9時過ぎ、本八幡の駅前で、近所で毎朝犬の散歩をしているとき挨拶をしあう人と会った。立ち話程度の挨拶だが、その人は、この地下鉄沿線にあるプールで帰りに一泳ぎしているそうだ。非常に気持ちが良いとのことで、駅で買った缶酎ハイを旨そうに飲んでいた。その気持ち十分に分かるぞ。
7月23日(水曜日)
好みの問題について
大阪でセールスをやっていた90年代、クラシックで音楽の好みはバッハだった。セールスの仕事で一番頭を悩ますのがリベート精算だった。このときバッハを聴くと能率が上がった。時は流れ、東京に移り今度は仕事の他に、業界のまとめ役の仕事が回ってきて、月に一度会合を開催し、その報告書を作成しなければならなかった。このときはベートーベンに傾注しましたね。休みの日に報告書を作成するとき、ぴったりの音楽だった。そして、今の仕事、今までのように頭を悩ますことが無くなった所為か、モーツァルトが身にしみるようになった。年齢とともに音楽の好みが変わったのか、それとも、悩みの種類に音楽が左右されるのか不明。特にピアノ協奏曲20番がいいですね。
7月22日(火曜日)
とうとうフルの自転車通勤は日課の中に組み込まれてしまった。と言うわけで、今日も自転車で通勤だ。この時期、急ぐと汗が流れるし、速度を落とすと逆に冷えないので汗が出る。通勤には適した速度があるのだ、その加減を保つと快適に乗れる。そして1時間半後ぴったりで、日本橋三越前のマクドに到着。ソーセージマフィンセットを注文。食べながら体を冷やし本を読む。50分くらい時間の余裕がある。8時45分に出発すると9時に少し余裕を持って所定の駐輪場に到着する(所定と言うのは僕の決めた歩道のこと)。自転車から降りると、ドーンと重い都会の空気に、押しつぶされそうになる。負けないように、つっかい棒の自我を張り事務所の門をくぐる。帰りはノンストップ1時間40分コース。JRの総武快速を使った場合に比べ、15分だけ多く要する。
7月21日(月曜日)
疲れもあり、昨晩は9時に床につき、翌朝9時に起きる惰眠をむさぼった。この2週間の疲れの澱のようなモノが取れた。買ってそのままになっている本を読んでいたらまた眠くなり昼寝。昨晩見た「2075年の地球」以前DVDに記録した番組だが、地球温暖化がもたらす閉塞感を描いていた。内容は、大型ハリケーンや、アフリカの砂漠化だったが、僕はそこから、人々には未来は明るい希望がないと生きることが苦痛になると感じた。今はまだ地球温暖化も、年金や医療など先送りで何とかしのいでいけるが、どこかで転換点を迎えないと、のどに刺さったトゲを抱えたまま生きなけれなない。また、2075年には100億人の人口だと言うが、はたして閉塞感のある社会でそんな多くの人々が生きていけるだろうか。僕は否と思うが。
7月20日(日曜日)
どこかで見た涼しそうな少年が来るではないか、よく見ると我が息子だった。パジャマ姿しか見てない父は息子の子をよく知らないようだ。どこに行くかと問うと「図書館だと言う」実は父も図書館で午前中本を読んできたのだ。図書館には自習室があり、学校の机のように狭くて隙間無く机と椅子が並んでいる。窮屈過ぎてここでは勉強できない感じ。それよりも、閲覧室は冷房も快適で机も広い。息子へのアドバイスは、「閲覧室で勉強しろ」。午後のスポーツの定番はプールだが夏の間はプールが満員。そこで、本日も自転車で、本八幡、船橋、幕張〜花見川をさかのぼった。花見川は利根川の水を東京湾に流す運河。川の東側は自転車道が整備されていて気持ちよくツーリングすることができる。八千代市に入ると、この川の畔に住み着いている浮浪者がいた。住居があまりにもおもしろかったので写真を撮らせてもらった。だいたい80km位ツーリング。水分控えめで最後白井市のコンビニでビールを煽った。これは一番体に良くないらしいのだが、一番旨いビールの飲み方なのだ。
7月19日(土曜日)
夏空
太陽がさんさんと降り注いでいる。どうも室内でじっとしていては申し訳ない。ということで、カメラを詰めて自転車で稲見の海岸まで。暑いが風が心地よい。玉の汗はかかないが、うっすらと滲む程度の汗が出る。この汗は気化熱を奪い、体温を下げてくれる。車は冷房を効かし停滞の中をのろのろと進む、彼らは自転車を見て、暑いのに思うかも知れないが、全くそんなことはない、気持ちの良い風に吹かれて涼しいのである。世界中の人々に向かって「こんなに気持ちよくてごめんなさい」程度の快感が得られる。稲見海岸では植物園があり、建物内では旬の花が植わっている。カメラを提げたマニアのメッカでもあるし、老夫婦の憩いの場でもある。ここで2時間ほど費やして、今度は船橋、市川方面に海岸沿いを走る。ここでも心地よい風に吹かれ、全部で4時間ほど自転車に乗って帰り着いた。丁度いい具合に腹が減っている。動く→腹が減る→飯を食う→寝る。こういうパターンが最高ですね。
7月18日(金曜日)
W子
次の日の旅行、遅刻しないことを祈るばかりです。。ほほほ。
K子
ありがとうございます。
みぞれ酒とは?
楽しみです。
なんか飲みすぎてしまいそうですネ・・・。
F氏
みぞれ酒: 300ml×4本です。・・・宜しく!
と言うことで、本日は冷酒を凍らせたのを飲みに行く企画でした。W子に感謝。食べる量よりも飲む量が多く、そこら当たりに空けたお酒の瓶が転がってしまいました。今日の酒の肴は人物評だ。M子がズバズバ切っていくので、聞いているみんながどんどんと引きずり込まれていく。「ええぇ」40%。「なるほど」40%。「心苦しさ」20%の配合でしょうか。話に乗って少々飲み過ぎた。やばくなったのは。本八幡から自転車で帰る道中です。2度ほど記憶がとぎれ、自転車で確かに走っているのですが「ここはどこだ」と。少しすれば、居場所は分かるのですが、帰りの8kmはやばくて、つらかったです。
7月17日(木曜日)
少々やばい話
自転車通勤で信号待ちの時(信号無視が基本だが、どうしてもわたれない交差点もある)ふと、後ろのタイヤを見ると、布地が出ているではないか、タイヤがすり減って交換時期が来ている。このタイヤは、青森の八甲田山の途中まで登った仲間であり、銚子から九十九里浜を2度ほど走り、日常の足としても頑張ってくれた。自転車で一番の困りごとはパンクだが、それがいつパンクしてもおかしくない状態なのだ。それを知らず、かなり高速で飛ばすのはこの上ない危険なことだった。もう一つやばい話。子供達はFAXが必要だという。それで今日買ってきた。セッティングは自分たちでやればよい。と伝えた。が、途中までで、インクリボンが入らないと言う。こんな簡単な機構なのに躓いている。父は君たちの年齢で、スピーカーボックスや真空管式のラジオを作っていたぞ。なのに理数系の学校に行きたいと言う。僕は機械モノを見ると没頭できた。だが、子供は無理にその道を進もうとしている。苦痛だろうな。
7月16日(水曜日)
犯人の目星はついているが確信はない話
本日は会議。プリンスホテルでの会議。歩いて行ける距離なので、昼食は会社の社員食堂を利用すれば良かった。のに、芝公園を横切ると、むらむらと変な欲望が沸いてきて、暑いがここで弁当を食ったら旨いだろうな。と言うことで、近くの弁当屋さんで調達して、木陰の下で弁当を食った。午後2時過ぎに会議は終了し、再び芝公園を通り抜ける。どうやら、この帰り道で、浮浪者の方からダニを頂いたのではないだろうか。午後4時過ぎに左手と、右足が猛烈にかゆくなりぼりぼりかいた。そのときは分からなかったが帰って風呂にはいるときに、たくさんの噛まれた後がありダニだと発覚した。
7月15日(火曜日)
まだ疲れが残っているが、土日で鈍ったからだを少し引き締めなければズボンがきつくなっている。フルの自転車通勤は片道30km以上あるから大概腹はへこむ。疲れもだんだんと翌日に持ち越さなくなり、電車通勤と同じ感覚で過ごせるようになったので、今日は無理して頑張った次第。片道で腹回りがすっきりする。話は変わるが、我が職場はエコの関係で冷房を控え相当暑い。それで、扇風機を回しているのだが、この風に当たると妙に気持が悪い。人工の風は不愉快だ。一方、灼熱の京葉道路(千葉〜東京の幹線国道)で風に吹かれるのは実に気持ちよく和むのだ。やっぱり風というのは大きな空気の流れの中で感じるモノだと思いますね。少々残業が長引いたので家に帰ったのは10時20分だった。気持ちの良い疲れの中で眠ることができた。
7月14日(月曜日)
エッチと違うニッチ
土日は田舎に帰りもろもろを片付けて、こちらに帰ってきた。これで2週連続土日は休んでない。いささかつらいモノがある。朝起きても飯がのどを通らない。朝飯が食えない事はあまりないのだが。昼間のビジネスも忙しいが、夜はプライベートな用事がある。レンタル店に行って、DVDを借りかければならない。どうしても借りなければならない理由はないが、最近こちら方面が疎かになっていて、未チェックソフトが増えてきたのだ。なぜ月曜なのか?ライベックスス本八幡店は月曜に100円で借りることができるからだ。このサービスは隣にできたゲオの影響だ。顧客にとって競争は嬉しいが、行きすぎて閉店にならなければと心配だ。と言うのはライベックスはニッチ(エッチと違う、ミュージカルなど顧客が限られているソフトもあるという意味)なDVDもあり、大手のように定番しか扱わない店に対し魅力があるからだ。
7月13日(日曜日)
朝5時に目が覚めた。まだ昨晩のビールが残っている。食事のあと、映画「エネミーライン」を見ながら更にビールを飲んだためだ。なぜか、BOSEのヘッドフォンは持っているソフトを全部聞き直したくなるほど気持ちの良い音を奏でてくれる。今まで気がつかなかった音が発見される。特に映画系の音響には敏感に反応し、DVDの全てを拾ってくれる。こういう気持ちがよいときは、ビールがススム君なのです。朝トイレに立つと愛犬に見つかってしまい、それ以降は散歩に行こうとせがまれて寝てもおれず、5時半から出かけたと言うわけです。田舎道の犬の散歩ほど贅沢なことはないと思います(犬にとっては)。道の真ん中を歩き、左右の草むらに勝手気ままに鼻をつっこみ匂いをかぐことができるからだ。この犬は、人間で言えば相当な美人クラス。それで、道で会う人々に声をかけられる(犬が)。時間の許す限り散歩をして、高知空港に向かった。大阪経由なので、大阪ではラウンジでまたもやビールを飲んだ。旨い。ビールは抜けた。機上から富士山が見えた。家に帰ると息子がエンタの神様を見て笑っていた。のどかさを感じましたね。
7月12日(土曜日)
朝5時起床、ゆっくりと風呂に浸かって出発準備。朝一番の飛行機で高知に向かう。高知は大阪の太田知事同様、橋本知事が行政改革を行えず、結局経済発展に乗り遅れ、寂れた地方都市となってしまった。その結果、経済が動かない→ヒトが動かない→飛行機の便が極端に減った。一方今でも、列車は高速化できず、関西からは時間が非常にかかり、陸の孤島化している。私なら経済特区でもつくり、近隣諸国の観光客を呼び込むくらいの改革を行うのだが。空港に9時過ぎ到着、ここからバスで高知駅に。高知駅から徒歩で父の病院に向かう。心筋梗塞を起こした心臓の血管は1つが塞がり、後の1本も90%が塞がっているという。弁も閉じないほど硬直しているとのこと。そう言われてもこれ以上の心配はできず、ひたすら主治医の話を聞くだけ。その後とりあえずの話をして、病院を離れる。近くに高知城があり、少し撮影。千代の銅像も。大橋通に「ひろめ市場」がありここに迷い込んで、ビールと四万十ノリの天ぷら。安芸行きのバスは25分程度待てばある。ローカル線は2時間に1本のアクセスだから、寛大な心が必要。誰もいない家では犬だけが迎えてくれる。とりあえず荷物を置き散歩。犬は体を使って喜んでくれる。ものすごい慰め。夕飯はローソンの弁当とビール。野菜は畑のトマトとキュウリ。
7月11日(金曜日)
大阪の夏は暑い。今日の会議は駅から20分位歩く、それだけでもう汗だくとなる。例年と雰囲気が違うのはクマゼミが鳴いてない。例年大阪は7月6日からだ、遅くとも10日だ。おかしいぞ。事務処理のあと、大阪城に向かった。大阪城は夜の照明があり、闇の中に浮かび上がった楼閣の雰囲気で撮影できる。だが、夏の夜は遅く、カメラで撮影すると闇ではなく見事なブルーバックに城が浮かび上がる。ホントは城の照明に水銀灯が使われ、これにカメラが反応し青かぶれしているだけだが、あまりにの見事さに、青かぶれしたまま撮影する。さて、夕飯は、谷町食堂にしようか迷っている内に天神橋商店街に到着。サインペンを買うつもりで入った99円ショップに、弁当があり、これにビール2本買って1,097円だった。安い。映画aknight's taleを見ながら食事。BOSEのヘッドフォンを装着して低音と高域の強調された迫力で映画を見た。このヘッドフォンは音楽ソフトには余り真価を発揮しないが、特に映画系にはすごい変身ぶりを示す。
7月10日(木曜日)
完璧に何でもできると思っていた自分の能力にも限界があると感じたのは、幹事の役目である。来週の週末は飲み助の仲間達と飲みに行く計画を立て、賛同頂いたところまでは良かったのですが、その段取りが遅々として進まない。どこで、どんな予算で、果たして旨いのか、目的の氷結ビールが飲めるのか、帰りのアクセスは良いのか、いろいろと条件が出てくると何も手が着かなくなる。と言うことで毎日を悶々と過ごしているのである。そして、もう一つ、携帯電話方面に非常に弱いことも。娘が解約した携帯電話を僕が使うことになり、メールなどを削除しようとするができない。top画面のアイコンを変更しようとするがこれもできない、ドコモショップに行って、再契約をしようとするが、窓口で説明される料金プランがさっぱり理解できない。結局毎月なんぼ払えばええのや?。子供達の電話が解ればファミリー割引も効くようだが、あいにくと番号は知らない。結局、契約に1時間も要した。今日は東京→名古屋→大阪へと移動した、名古屋ではお城へも行った。
7月9日(水曜日)
年明けからさぼっていることの一つに新聞切り抜きの整理作業がある。これは大変な作業であるので、貯めないように貯めないようにと自分を戒めていたが何と半年も過ぎてしまった。人間は如何に怠惰なものかと思います。そこで空いた時間を使ってコツコツと進めているのですが、なかなか到達点が見えてこない。しかも、夏の太陽に誘われて、時々フルの自転車通勤を始めたこともあり、帰り着いたら、疲れのためバタンキューの状態だ。一日がとても短く感じる。
7月8日(火曜日)
又一つ問題を解決した。その兆しはあった。それは、無くしたボールペンをここ数日間買い求めるべく、文具店行脚を繰り返していて、昨晩、船橋の東武百貨店でやっと目的のボールペン出くわした。これで運が向いた。そして今日のこと。短く言うと、毎日、日比谷公園を通る通勤ルートを見いだしたと言う些細だが僕にとっては重要な問題解決の話。
ここからが長い話。通勤に自転車を使う時は、地下鉄大江戸線「汐留駅」下車し、烏森口の味気ない繁華街を通り抜ける10分の徒歩。一方、雨など天候がさえないときには、フルの電車通勤でJR東京駅で下車、日比谷公園の深い森の中を歩く、心豊かなルートである。両方とも同じ運動量になるように編み出した通勤ルートだ。そこで、自転車通勤の場合も、何とか緑と接触できないモノかと悩んでいたのだ。それが今日のテーマで、解決策が見つかったのだ。まずは本八幡から地下鉄新宿線に乗る。これは従来通り、今までは森下駅下車、地下鉄大江戸線に乗り換えていたのを、神保町下車。地下鉄三田線に乗り換え、日比谷で下車。こうすれば、毎日、日比谷公園を通り抜けることができるのである。
7月7日(月曜日)
今日から洞爺湖サミット開幕。テーマは地球環境。そこで、日経新聞では全30段を使った全面広告をいくつかの企業が展開した。しかもフルカラーで。現在のビジネスには心理作戦が非常に重要な位置づけを占めので、広告は無用だとは言わないが、これをカラーで展開するのはいかがなモノかと思う。モノクロの宣伝に比べて目立つ要素はあるが、決してエコではないのである。そんな反応示す人もいるのではないかと思いましたね。家に帰ると弟の方が明日の天気を姉に聞いていた。自分の携帯電話で調べれば良いだろうと、私が言うと、午後10時をすぎると料金が上がるので携帯は使えないと答える。おおぅ。ここに(金銭の)エコが実現されているではないか。
7月6日(日曜日)
今日も午後から自転車で飛び出した。結局今週は平日に140km、休日に120km。合計260km走破した。僕のは長距離だから余り負けたことがない。それも自転車に向かう理由だ。いつまでこんな事ができるか分からないがいい汗をこれからもかければ良いなぁと思う。炎天下で聴く音楽はJAZZですね。この習慣を教えてもらったのは、ライブ・アンダー・ザスカイ。確か90年前後の時だった。大阪万博公園の野外劇場で大音量でJAZZを聞く。これに参加して以来、夏の炎天下でJAZZを聞き続けた。最後は、マウント富士ジャズフェスティバルだった。10年間で僕の習慣となった。手をたたくと、えさがもらえるので池の鯉が寄ってくるのと同じで、太陽ががんがんくると、JAZZを手に取る。マウント富士は以降、東京JAZZフェスティバルと名を変えて、有楽町の地下ホールで演奏を行っているが、それはないでしょうと思い、参加をしてない。
7月5日(土曜日)
56歳の誕生日だ。太陽が顔を出し、カメラを持って家を飛び出した。久しぶりの太陽だ。撮影の時に汗がめがねにたまる。どうしようもない。午後は印西市の方にサイクリング。途中に農園で甘いトウモロコシを売っていたので3本買う。おじさんに父の作るトウモロコシはまずいが、なぜここのはうまい(少しだけ試食できたので)。トウモロコシは肥料をやりすぎと言うことがない。肥料をやるだけ旨いモノができるという。それと、一本から2つの実を取らないこと。なるほど。帰りに一献と言う寿司屋があったので伺うと、嫌そうな顔。空いているのに席に案内してくれない。Uターンでこの店を飛び出した。後から店員のヒトがサービス券を持って追ってきた。僕は無視してこの人から離れた。自転車で汗を絞りきっていたのでどこかで一杯やりたかっただけだ。白井市のいつものラーメン屋まで這々の体で帰り着き、生大で生き延びることができた。道中夏の風物をカメラに収めることができた。
7月4日(金曜日)
週末の夜は子供達も遅くまで起きている。子供達をからかうのには丁度良い時間だ。娘をからかっているとき「髪切ったの分かる」?と聞かれた。普段気にしてないので、言われてみても分からない。「結局私のことを見てなかったのね」と来た。どうして女は髪を切ることが重要なのか僕には分からない。だが、君たちが遅くまで勉強をしていることは知っているぞ。クラブも休まず行っていることも知っているぞ。素直な性格もほほえましいと思っているぞ。とは言わない。息子が宮崎駿の「崖の上のポニョ」の話題に切り替えたので、それに乗った。風呂から出て、買い置きの日本酒の封を切った。モーツァルトの特集番組を見ながら飲んだ。最近ストーリーモノがダメになり、もっぱら音楽映像を見ている。
7月3日(木曜日)
おじさんは馬鹿にされるが、そんなプライドなんか「屁」とも思わないぞ。事の発端は、コーヒーのサイズだった。「S・M・L」ならまぁ分かる。これはマクド、モスバーガー、エクセルコーヒーのサイズだ。ところが、プロントは「R・M・L」だ。タリーズは「ショート・トール・グランデ・エノルメ」。スタバは「ショート・トール・グランデ・ベンティー」こんなの知っていて何になる。それよりも原油一バレルは何リットルなのか知っているのか。それが経済に及ぼす影響を3つのポイントでいえるか。どうも物事の大事と不要とを同じ秤で量ろうとする世の中になっているような気がするとおじさんは憤慨するのだ。
7月2日(水曜日)
今日は一転して、体に負荷をかけないと居場所がないほど動きに飢えている。かくして今日も自転車通勤。1時間半あれば到着するので、電車より15分程度遅いだけだ。問題があるとすれば帰りの空腹だ。昼飯をしっかり食っても、夕刻には枯渇する。しかし、そこでパンやおにぎりを食べると、今度は夕食が旨くないし、あまり食えない。このあたりのコントロールが難しい。年を取るとストライクゾーンが確実に狭くなってきているから、体への相談事項が増えているのだ。小岩の商店街のはずれにある「花火屋酒店」さんは、綺麗な女将さんが日本酒の相談にきちんと対応してくれる。自転車通勤の時にしか寄れない店であるが、今日は久しぶりに覗くと、長野県の良いお酒があるという。ここの女将さんは「きりっとした」飲み口に少しコクがあるのを勧めてくれる。産地を問わない。今日は長野県のお酒だ。これで週末の楽しみができた。
7月1日(火曜日)
友人のKさんからボーナスの税金が高過ぎると文句のメールを頂いた。そういえば今週末我が社もボーナス支給日なのだ。昨日の自転車は疲れを確実に翌日に持ち越して、朝起きると、手足の指先まで十分疲れが染み渡っていた。この土日は仕事をしていてあまり歩かなかったので、月曜日ズボンをはくときにズボンがきつくバンド一杯だったが、昨日の自転車で腹はへこみ、今日はバンドを締めても緩くて、ズボンのホックがはずれるほどウエストが細ってしまった。70kmの自転車はメタボには効くのだ。だが、あまりにも厳しすぎて日課に昇格できない。
6月30日(月曜日)
さすがに土日出勤の後の月曜日は厳しい。それでも尚自転車で会社まで向かったのは、気分の良い風に吹かれたい想いが強かったからだ。梅雨空で途中雨になったが強行突破するといつの間にか雨も上がっていた。すると何となく腹が空いてきた。一度にたくさん食べられなくなり、頻繁に腹が空くようになった。まぁ30kmの自転車走行後なので無理もないが。そこで、日本橋三越の正面にあるマクドに寄って、マックリドルソーセージセットを注文した。食べてびっくり、甘い蜜を混ぜたようなパンにソーセージが挟まっているではないか。最近の日本人はこんなモノをおいしいと言って喰っている、驚いた。夕刻、今日は久しぶりに6時に会社を出た。疲れもあったが、秋葉原によって注文してあったCDを取りに行くのだ。帰り道なので自転車でスイスイだ。ついでにシェリル・ベンティーンのアルバムを買った。視聴はしてないが日経新聞夕刊でべたほめだったのだ。シェリルはマンハンタントランスファーの女性ボーカルで、歌唱力はあるが、ヒット作品に恵まれず最近は死んでいた。このアルバムはカーペンターズなどのヒット曲を集めたモノで、曲は全て聞き慣れたモノばかり。だが、聞くと本歌よりも切り込みが薄く、不完全燃焼をする編曲ばかりなのだ。本歌の歌手よりも歌唱力はあるのだから、もっとぐぐっと歌い込めば良かったのに。残念である。これはプロジューサーが悪い。俺に任せろと言いたい。
6月29日(日曜日)
なんてついてないのだろう。ホテルの朝食を取るために、昨晩貰ったはずの食券が見あたらない。ちり箱も、財布もどこにもない。仕方なく、コンビニへと向かう。フロントで場所を聞くと、1km位先だと言う、雨の中パンを買うために出かけましたよ。しかし、良いこともあった。帰り道、野口英世記念館の前を通り、銅像を拝むことができた。「忍耐」と刻んであった。僕は「努力」とか「勤勉」とか、この「忍耐」とか言う言葉は、余り信じてない。自分が好きな道を見つけたとき、自ずとその道を究めようとするのだ。それが周りから見ると頑張っていると見えると思う。野口英世さんが、どんな気持でこの言葉を言ったのかは解らないが、野口さんは細菌の研究をするため、嫌な努力を長時間続けたわけでないと思う。実は、僕も今日は人が嫌がる休日出勤で、仕事をするのだ。しかし、僕はこれが好きで楽しい、傍目で見るのとは事情が違う。午前中だけですが、楽しく過ごした。
この食券の話は落ちがあって、コンビニから帰ってホテルに到着するとポケットの中から出てきたのだ。会津若松は雨は上がらず、この辺りをぶらつくこともできず、解放されるといきなり帰途についた。帰途は映画か書籍か迷ったが、「アフガンの男・下巻」があと少しだったのでこれを読んだ。東北は日本酒の名産地なので、電車の中で日本酒を飲みながら読んだ。最後のクライマックスの盛り上がりが不足した感想。それとも、僕の方が酒に酔って、文中から盛り上がりをくみ取れなかったかも知れない。
6月28日(土曜日)
郡山市のホテルで目覚めた。さんさんと太陽が降り注ぐ初夏の陽気。四国では大雨が降っていると言うが、こちらでではウグイスが鳴き、気持ちの良い朝を迎えた。仕事は夕方からで、ホテルのチェックアウトぎりぎりまでレポートを仕上げ、一応今週の責務は果たした。11時前の快速電車で会津若松に向かう。電車は真っ赤な牛を模したペイントで、盛り上げたい意図を感じる。仕事はここであるのだ。道中、田園風景の広がる緑が車窓を飾った。人間の目には緑はやさしい。ここで現地の人と落ち合い、早速昼食。キタナイが旨い中華料理の店を紹介されチャーハンを頂いた。仕事の準備の間に今晩飲みに行く話がまとまった。いったんホテルにチェックインして出かける。ところが、支払いのためのカードがない。いつも入れているカード入れに無い。捜しまくったが見あたらない。しかしみんなに迷惑をかけてもいけないので、とりあえず出かけた。店は民芸風の居酒屋だった。僕らを収容すると満席だった。隣のおばさん達が、ちょっかいを出してきたのでおもしろくなりそうだったが、仕事仲間の手前もあり、そこそこの対応にとどめた。再びホテル、カードを捜すと見つかりました。2枚のカードがくっついていたので分からなかった。
6月27日(金曜日)
本来なら気を緩めたい金曜日の午後だが、今日は福島空港まで移動し、そこからバスに揺られて郡山市まで行かねばならない。そしてホテルで体力の限界がくるまでレポートを書く作業が残っている。
そこで、今日はホテルから事務所までの徒歩以外よけいなコトに体力を使うのは止めておこうと決めた。この大阪の事務所にくるのも久しぶりで懐かしい感じ。そして、少し居心地が悪かった。昼食はいつものメンバーと一緒だが、いつもの小森山さんの店には満員が予想され行けなかった。別の店で少しまずいトンカツを食った。まずいが、おばさんがサービスだと言ってうどんの小器を出してくれた。心意気を感じますね。福島への移動はほんの少しだけ早く出て、阪急イングスでウォーキングシューズを買った。少々高いが親切な対応と、専用の靴があるので迷わなくて良い。移動は、小型ジェット機で、これまた、ボンバルディア製。(落ちてはないが事故の多いプロペラ機を製造している、高知〜大阪便に使用)僕の座っている席から富士山が見えたので撮影。
6月26日(木曜日)
誰もいない家で目覚める。もちろん飯もない。犬だけがしっぽを振る。とにかく犬の散歩。昨日大輪を咲かしていた時計草は花弁を閉じつぼみ状態。今にも降りそうな天候だったためか。おじさんの家に母が泊まっているので、自転車で迎えに行く。そこに車が止めてある。この車に乗せて母を送る。透析の送迎車がくるバス停までゆくのだ。そこでおろして、再び誰もいない家に。洗濯物を干して、メールを見て、今度は父が欲しがっていたラジオを持って病院に行く。イヤホンはホームセンターに寄って。病院では主治医の先生が、検査のための承諾書が必要だと言う。その先生の話を父と一緒に聞く。この病院は患者にも付き添いにも包み隠さず言うので落ち込む。父の病気は心臓の弁膜症で重傷、しかも心筋梗塞を併発している。僕はおろおろするが、医者は淡々と言う。とりあえず承諾書にサインし退場。急いで帰り、メールチェック。飛行機やホテルの手配。そして、出発。出発と言っても、最寄りの駅まで徒歩だ。最寄り駅は和食で、徒歩40分。雨の中、PCの入った思い鞄を持ってなので難儀した。山歩きでもここまで厳しくはない。電車はごめん〜奈半利線で、1時間に1本走っているワンマン。のいちで下車。ここは高知県で一番発展がめざましい地区で、なんと、このローカル線の駅のくせに売店まであるのだ。駅前のバーミアンで夕食。そこからタクシーで空港へ。夜9時過ぎに大阪梅田のホテル到着。いろんなコトがあったが、今から頭を切り替えビジネスモードだ。
6月25日(水曜日)
朝一番の飛行機で高知へ、父の病状の確認と、お金を届けるためだ。河内龍馬空港に到着しても、いつもは待っててくれる父はいない。タクシーで一番近くのバス停へ、しかしバスはこない。廃線だ。インターネットでバス路線を確認すると確かにバスは走っている。田舎のインターネットは古い、要注意だ。空港行きのバスがきたので、再び空港へ。仕方なくここから実家に向けてタクシーだ。ひとまずおじさんの家に。しかし、ここも留守。仕方なく、40分かけて実家まで徒歩。無人の家は鍵がかかって入れない。家の周りを歩き鍵のかけ忘れから家の中に忍び込む。実家なのに泥棒風だ。目的の車の鍵は確保した。僕の部屋は鍵を持ち歩いているのでここは無事に入ることができ荷を下ろす。とりあえず、田舎の友人のTさんの母、Mさん宅へ。この人は僕の相談相手だが、訪問すると、10日前、血圧が高くて救急車で病院に行き1週間入院したとのこと。そのとき、友人は大阪から帰ってきたとのこと。やれやれ。その後、母を迎えに行き、車で一緒に父の病院に見舞いに行く。高知駅の西方向にある岡村病院だ。点滴を受けていた父は至って元気で、何ともないと平然としている。しかし、何かあるので即入院なのだ。とりあえずいろんな話をして帰る。夕食はないので、おじさんの家で頂くことにする。しかし酒を飲むので、いったん車をおいて、自転車で向かう。車の運転は不安だが自転車に乗ると、なぜか安心する。飲み始めたのが早かったので、できあがったときでもまだ明るかった。
6月24日(火曜日)
気分の優れないときは自転車に限る、と言うことで、出勤は自転車の予定だったのに、途中で雲行きが怪しくなり最寄りの駅までとした。今年の梅雨は妙にうっとうしく感じるのは私の体調の所為だろうか、それとも、今年関東地方は降雨量が多いからだろうか。雨模様で、濡れてはいけない電子機器の持ち運びはやばいので音楽もナシで道中過ごす。当分留守するので、会社のレコーダーに重要な番組を録画予約する。ここだと安全だ。WOWOWのカードもこの機器に装着する。大黒摩季のライブなどは必須。ロッキーも1〜5迄録画だ。ディスクは貯まる一方で見る方が少ないが、どこかで収支はあうだろうと思う。W子から尾瀬の写真をもらった。写真は風景を写すとともに、結局は自分を写していることを書いたが、W子の写真も見事自分を写してましたね。
6月23日(月曜日)
何事にも旬というモノがある。花にも人生にも。僕の人生で旬だった時期はいつだろう?手相を見ながら考えてみたら、2004年だったのでは無かろうかという結論に達した。この年僕の仕事は転換期を迎え、しかも重たいモノを背負い込んだ。そして、それに負けじと、長距離自転車旅行を始めた。このバランスが一番僕としては良かった時ではないか。この詳細はすでにHPで報じたとおりだ。また、今ではほとんど会話が無いが、家族で泊の旅行に出かけることもあった。田舎では父母がしんどいことをこぼしながらも農業を続けていた。近所のおばさんも元気だった。時は流れるものだ。だから郷愁に浸ってばかりはいられないと思いながら今の自分と比べている。
6月22日(日曜日)
どうもpicasaが気になり半日を使ってやっとマスターした。次回から、このサイトを手足のように操れるコトになる。ほんの少しのコツだけど、勉強とすとなると結構時間がかかるモノだ。雨脚は強いがカッパを着て夕刻プール。2日間で6km泳ぐ。本日の3kmは昨日の水泳で体がなじんでしまってて、少し少なすぎたようだ。では何でもっと泳がないのかと言えば、本日は小学生が多く、スピードを上げられないのだ。スピードが上がらないと体をあまり動かさない。体を動かさないと寒い。結局泳ぎながら寒くて仕方なく上がった次第。
6月21日(土曜日)
一度起きて食事をして、もう一度寝て。これでやっと目が覚めた。先週行った尾瀬散策の写真の整理や、写真の投稿などでほぼこの日はつぶれる。HPの文面も急いで書いたせいかおかしいので、少し修正。写真投稿サイトpicasaにも尾瀬の写真投稿。ずいぶんと僕にはインパクトがあったのでいろいろ書くことが多い。雨の合間を縫って夕刻プール。久しぶりにゆっくりできた。ところが、田舎から電話があり、父が入院したとのこと。ゆっくりはしておられないが、今は何もできない。行動は来週からだ。
6月20日(金曜日)
出張も無事終了し、成果はまずまずだった。それで長年の懸案であったBOSEのヘッドフォン comfort3を買うことに。ネットで調べるとBOSEの店は伊勢丹京都店にある。丁度京都乗り換えだからついでだ。京都乗り換えラグを1時間取り、早速尋ねる。受付のお姉さんに聞くと売り場は10階にあるという。2階〜10階まではエスカレーターが直通している。直通とはおかしな言い方だが、10階までまっすぐエスカレーターが伸びているので見通しが効くのだ。この長いエスカレーターに乗ってBOSEの店に。帰りの新幹線で使いたい旨を申し出ると、早速充電してくれた。その間、隣のビックカメラを覗きにゆく。僕にはどうしたわけは店員が絶対に声をかけてこない(新橋の繁華街では女の人がいつも声をかけてくるのだが)のでゆっくり見られる。昨晩発表されたダビング10のインパクトは大きく、丁度見たTV番組でもこのニュースを放映していた。地デジが思った以上に普及してないなかで、この足を引っ張るダビング10にこだわりを持ち続けていると、政府が睨むぞ。そんな圧迫感(恐怖感)が著作権協会に届き、この政策に賛成の舵をきったようだ。
さて、BOSEのノイズキャンセリングヘッドフォンだが、装着してスイッチを入れるとまるで別世界に居るような感じに包まれる。新幹線のゴーと言うノイズが一瞬にして消えるのだ。電車は滑るように進む表現がぴったりだ。そこで、PCで中島みゆきのDVDを聞いた。シンバルの音が心地よい。ライブ会場へ誘ってくれる。しかし、改めて持っているCDをこのヘッドフォンで聞き直すまでの価値はない。高域の切れに今ひとつ不満が残る。今手持ちのヘッドフォンではパナソニックのRP−HX9が最高の音質を誇る。
6月19日(木曜日)
私の仕事は半ば終わったようなモノで、今日、明日は確認の会議だ。気分が楽。久しぶりの社員研修所は雨の中に霞む丘の上にあり、心静かに研修ができるところ。プレッシャーがないので、こうした肩苦しいところでも天国に感じる。ここから歩いて1時間ほど行ったところに、なけなしのお金をはたいて購入した家がある。静かで、そしてオーディオルームがある家だ。だが、今は人手に渡っていてすむ権利がないので、淀屋橋にあるホテルに直行。緊縮財政の中コンビニで弁当を買ってでメシを食う。メールを確認した後就寝。何も行動を起こさなければお金は出ていかない。
6月18日(水曜日)
お金を持たずに大阪に出張。
鞄の中にキャッシュカードが見あたらない。でも大阪は行かねばならない。緊縮財政で出張だ。昼飯はとりあえず、セブンイレブンのカード「ナナコ」に1,300円ほどあり、これで凌ぐ。ものすごく疲れていて、この疲れはいったい何なのだ?と胸に手を当てて考えると、月曜日の自転車の疲れが今頃出てきたのだろうか。幸いに夜の6時半に仕事から解放された。まだ外は明るい。こんな明るいウチに仕事を終えるのは久しぶりだ。N氏と連絡を取り、京橋の一番安い店で懇親だ。この店は70年代の日本のポップスが流れていて懐かしい気分で酒を飲める。3,000円のほろ酔い気分セットで退散する。これ以上の出費では、後2日間持たない。大阪のホテルはリーガ中之島イン。このホテルはいい。空調の音が静か、車の音も入ってこない、ネットが使える。東横インで幻滅感を味わっていたので、良かった。
6月17日(火曜日)
二日続けて自転車通勤というわけにも行かないだろうと、本日は本八幡までの自転車。昨日の疲れはない。少々うっとうしい天候だが自転車を飛ばす。3週間かけて特別な仕事に取り組んできたが、昨日で山を越し、本日は軽く復習と荷物の送り出し。自分としてはよく我慢したね。と言う感じだ。仕事を早めに切り上げて新橋の散髪屋さんへ。最近ここでやることが多い。安価と早さが武器だ。その後LABIへ。会社の帰りに電気屋さんを覗けるのは幸せなことだ。高校時代、学校の帰りに毎日「英光チェーン」の店に寄った記憶がある。今の感覚からすると小さな店だったが、それでもどういう訳か満足していた。社会に出てからはもっぱら日本橋に向かったが、ここは遠くて毎日通えなかった。関東に越してきてからは、秋葉原だが、ここは大きくてまだ全ての店を制覇してない。その志をそぐかのような事件が起きたので少し静観だ。
6月16日(月曜日)
毎週月曜日は前日の疲れで気分が良くない。そうは言っても今日は今まで取り組んできた大事な仕上げの日。朝から高速運転が求められる。それで、気分高揚のために自転車で出勤した。前日の疲れもあったが、はやり自転車は気分がよい。何で気分が良いのか?よく考えてみると、「風」ですね。風が爽快なんです。ついでの汗も要因です。体の中に貯まった嫌な気分が汗と共に流れ落ちます。所要時間は1時間40分。おかげで支障なく議事進行と相成った。本日の終了は20時だった。銀座の4丁目を通り抜けて軽い自転車競争をしながら帰路を急いだ。多少の追い風があり、南沙織の「そよ風に乗って」の気分で漕ぐと、何とドアツードアで1時間半を記録した。jrの電車通勤と比べ15分程度遅く、地下鉄を使った通勤よりも10分ほど早い。疲れもそこそこだったし、夕食も普段通りの量だった。
6月15日(日曜日)
秋田に行ったメンバーから安全の確認が取れ一安心。地震は怖い。飯を食ってから本を読んでいると、寝てしまっていた。また起きて、本を読み、また寝てしまった。午前中こんな調子、午後2時からいつものプールへ。朝寝ですっきりかと思ったが、ずいぶんと疲労がたまっていたらしく、2km泳ぐのが精一杯だった。いつも同じ運動をしていると、疲労度がどの程度なのか分かる。帰り着いて風呂で本を読んでいると、また、こっくり、こっくり。気持ちはそうでもないが体は疲労困憊なんです。
6月14日(土曜日)
「尾瀬」失言
昨晩飲み過ぎて朝、起きられず。食事パス。6時半、東京組の菊池さん高梨さんを加え一行8名の尾瀬散策チームは会津バスに乗車、沼山峠まで約1時間揺られた。道中、燧ヶ岳の雪渓が見える、相当厚い(雪が)。7時半、沼山峠登山口から、尾瀬に向かって出発。いきなり急斜面できつい。だが、落伍者なく、ぐんぐんと高度を上げてゆく。尾瀬は木道で有名だが、この高度では雪も解けず、雪に埋まっているところもある。周辺も深い雪に覆われている。今にも降り出すかと言う天候。
小休止の後、今度は下り。メンバー一行は花を愛でる気もなくぐんぐんと進む、私の方は、撮り逃しの無いように一つ一つ風景や花を押さえてゆくので遅れる。だがどんどんと暗くなり、手ぶれが発生する。季節は春で、山桜が見頃を迎えていた。
降りきったところから、平原が始まる。所々に水芭蕉が咲く。先に咲いた花は枯れてしまうので、撮影する時は、周辺の花も元気がよいものを選ばないと写真にならない。旬を越した花は朽ち、旬の前の花は匂い立つ。なんだか人生の縮図をここで展開している。そんな目で水芭蕉を捜していくと、格好のものが見つからない、そうすると更にみんなから遅れる。「もっと愛でろ!」。分岐点でFさんが気を利か
せて待ってくれた。今回のツアーも全てこのFさんのおかげで実現したようなモノ。昨日の迎えの便とか、ワインの持ち込みとか、プロの山岳家の招聘とか、みんなFさんの采配だ。僕ら全員が彼の配慮の上にあぐらをかいて、そしてお礼の言葉もかけず旅を楽しんでいる。
長蔵小屋で休憩のコーヒー。街中と同じコーヒーをここで頂く。問題はこのあと、コップ
洗い。つらい。手が切れるような冷たい水。30秒洗い、しばらく待つ、血行の戻ったところで、30秒洗う。この繰り返し。
そして、とうとう雨が降ってきた。全員が雨具を装備して出発。そうした途端に青空が覗き始め、とうとう太陽まで顔を出し、そして雲一つ無くなった。尾瀬の唄で、「遙かな尾瀬、遠い空」の実現。貴重な空も撮影。
花の名前をよく聞かれる、僕がカメラを持つ様が、お宅っぽく映るのだろうか。
そういえば、写真は年間1万枚ほど撮影するので自然とカメラが僕になじんできたせいだろうか。たくさん写真を撮影すると、分かってくることが一つある。それは、全ての写真は自分を映していると言うことです。(自分撮りのことではない)写真は、写されるモノを通じて自分というモノを反映していると言うことです。
上の写真はパノラマ(連続写真)。これは視点を変えて撮影し、後でパソコン合成する。尾瀬は広い湿地帯で非常に見晴らしが良く、目で見たままの広さをカメラに収めることができない。前回来たときそういう教訓があったので、今回はパノラマにする目的で一シーン3枚撮影を行った。
カメラはLUMIX_TZ5で、10倍ズームが効くので花の撮影にはぴったりだ。日差しも強くなったので、木漏れ日が花に当たっているシーンなどいいのが撮れそうだ。
「ショウジョウバカマ」と言う背の低い可憐な花がある。背の低い花はどうしても上から撮影するので、背景がぼけない宿命を背負っている。そこで、木道に腹ばいになって、背景を空ける写真に挑戦した。ずいぶんと苦しい姿勢だったが、満足のいく写真が撮れた。
そうこうするうちに、沼尻に到着。ここでお昼だ。朝抜きで来
たので空腹。今日の昼はなんと、なんと焼き肉だ。私は撮影と食べる役目。焼けた肉には全員の箸が集中しましたね。更に極めつけは、わかめスープまであるという用意万端の食事。近辺の登山客もうらやましい目で見ていました。なんてたって、こちらには登山のプロがついているのだから。
ビールを買ったがこれはあまり人気無かった。僕もパスした。食後のデザートとしてK女子がハーモニカを演奏した。携帯電話の着メロのような感じだったので、周りの人が驚いた目で見つめていた。
食後皆さんリラックスしているときに、私だけ抜けて、燧ヶ岳の入り口から少し上の雪渓まで登ってみようと一人で出かけた。(仲間を募ったが誰も来てくれない)だが、樹林帯に入ると一面の雪で、足跡が見あたらない。これでは、登ることはできても下ることができないだろうと断念した。少々の無茶はするつもりだったが、全く歯が立たないとはこのことだ。
元の場所に帰ると、菊池さんがショウジョウバカマの群生があるところまで食後の腹こなしに出かけようとメンバーを募ると、高梨さんが一人留守番を申し出た。膝が少し緩くなっているそうだ。菊池さんが、往復で2時間ばかりと脅すから、断念されたようだ。実は、ここから10分くらいで到着したのだった。それで余った時間、行動したメンバー全員がここでゆっくりと語り合った。涼しい風が吹いてきて心のもやを吹き飛ばしたかのようだった。燧ヶ岳には、大きな雪渓が見え、この雪の付き方から今年を占うとかするのを設計図と言う??。一緒に行ったメンバーにはつい気安く冗談ばかり言った。悪いことをした。湿原での失言だ。
水芭蕉の撮影はどうしたモノかと迷っていたが、ここでやっとある手法が浮かんできた。それは、水芭蕉の咲き方で、テーマが語れないか?と言うこと。そういう目で捜していくと、水芭蕉はこちらも、あちらも写してくれと手を挙げているような反応が返ってきた。このため、みんなとはずいぶんと距離が開いてしまった。Y子さんは、こんどは撮影を目的にゆっくり来たいとつぶやいた。そうだ、そうだ、とにかく他のメンバーは歩くことが目的のようだった。
そうして帰路についたが、今度はバスの発着に間に合うような歩き方に変わった。みんな無口となり下を向いた。疲労も高まっているようだ。この頃で20,000歩を超えていたので、エネルギーは出し尽くした感もある。バスの発着10分前に全員集合、疲労の顔をしてバスに乗り込んだ。しかし、全員無事で帰ることができた。電車の中で、ビールを飲みながら今回の想い出を語りつつある時に地震の情報が飛び込んできた。岩手県で大地震だ。この日曜日に秋田で仕事があり、メンバーが一人向かうことになっているので心配だ。浅草に到着した後、一杯やる話が持ち上がったが、僕は途中下車して帰る方が非常に効率よいので失礼した。でもよく考えると飯がないのだった。鎌ヶ谷でうどんを食って帰宅し泥のような眠りについた。
6月13日(金曜日)
駆け込み乗車
浅草発鬼怒川温泉行き東武鉄道特急スペーシアに駆け込み乗車し、仲間と一路福島県へ向かった。仲間の二人は面識のない人だったが、気分が高揚しているので(僕のほうが)うち解けるだろうと思った。夕食のことを考えて昼飯は少なめにと思ったが、どうしたわけか空腹の頭がもたげてきて、予備のパンをかじった。道中は、とっておきの本。フォーサイスの「アフガンの男」上巻を読んでいった。オサマビンラディンが新たなテロを計画。アルーイスラ作戦。これを調査するため、アフガンにイラク生まれのイギリス人を潜り込ませる。ただこれだけの内容だが、背景、すなわち各国の歴史、登場人物の生い立ち、国際情勢などをこつこつ積み上げ上巻が構成され一大絵巻となっている。この緻密さは日本人では書けない。だがビールを飲んでからこの本に取りかかったので、前半の大きな背景地図は私の頭に入りきらなかった。それでもこの本はグイグイと引っ張り込んでゆく力を持っている。
さて、本日向かったのは檜枝岐と呼ばれる福島県の奥地で、最寄りの会津温泉口から車で1時間もかかる辺境の地だ。旅館のご主人に迎えに来てもらって一行6名は勝手なことを言いながら民宿吉田屋さんに向かった。檜枝岐は、夜、かがり火をたいて歌舞伎を舞うので有名な地区で、NHKハイビジョンなんかにも再三登場している(だろう)。夕刻5時無事到着した全員、徒歩で1分先にある、温泉に出かけた。温泉は透明度の高いお湯だが、しっかりと熱の浸透があり、浸かった後は、シャワーで冷まさないとやり場がなかった。明日は尾瀬散策すると言うおじさんと露天風呂の岩に腰掛けて東京の造り酒屋さんの話を聞いた。杜氏と呼ばれる酒の仕込み人は田中角栄が現役のころ、新潟から杜氏の人が出稼ぎをしなくて良いように政策を施行し、関東地方にはいい杜氏がいなくなったと伺った。
本番は、吉田屋さんの夕食。豪華絢爛、超大盛り、話題沸騰、珍味山積、どの語句も当てはまらない豊かさがある。しかも、美女が4名。男性陣は2名でホスト役なのだ。ビールから始まったが、目の前の2名はなんと「ビールは腹が張るから、お酒がいいわ」と、まるで高知の酒飲みのおじさんの口をきく。そこで早速、イワナの骨酒である。イワナの薫製に熱い日本酒に浸けていただく飲み方。魚のエキスが日本酒に混ざって何ともいえない組み合わせになる。僕の感覚ではもっと日本酒が熱い方が
良かったと思うが勢いでみんなどんどんと飲んだ。
サンショウウオの天ぷらが出てきた。塩でいただくが、格別な感慨はない。鹿の刺身、これは馬の刺身と互角の戦いができそう、あっさり系だが、少し脂味もある。イノシシの鍋も、しっかりと歯ごたえのある脂ののった肉。
スイカもあった、こちらは、パロディーとして、お一人に「suica」(JR東日本の電子定期&マネー)をもってもらって撮影した。お酒のほうはワイン、白、赤、白。次は冷酒。次々と飲み干して夜は更けたのでした。楽しい晩餐だった。
6月12日(木曜日)
万端の準備
朝も早く帰宅は遅く、詰めて詰めて仕事をして明日の午後は職場から逃げだそうとしている。僅か5時間の休暇のために、事前に倍以上の労力をつかって身辺整理を行った。そして、24時間スーパーで、食料を買い込んだ。アイゼンや軍手なども準備して、深夜0時にやっと準備が整った。明日の午後から登山に出かけるためだ。一番楽しいのはこの時間かもしれない、いろんなシーンが頭の中を駆けめぐり全ての物語が自分の良いように結論づけられる。体は疲れているのに興奮で寝付けない。
6月11日(水曜日)
たとえ、「馬鹿」呼ばわりされても暑いモノは暑い
マンションは冬は暖かく夏涼しいが、部屋で発生する熱気はこもる。私が寝起きするのは窓と玄関の丁度間に挟まれた窓のない部屋である。今頃の時期となると、窓を開けてないと部屋の中は27度くらいとなっている。風呂上がりにパソコンをつける暴挙をした場合たちまち30度近くとなる。そこで、娘の部屋にあるエアコンを入れろと言うと、彼らは冒頭の語句を吐くのである。彼らのいるリビングは、風が通り25度前後である。高校生である彼らにとってチチは無用な存在であるのだ。
6月10日(火曜日)
晴れ
前日の夜降った雨も上がり、久しぶりに関東地方は晴れ渡った。久しぶりに東京の御成門まで自転車で向かった。体力については先日試したとおり問題はなく、定刻の1時間45分で到着した。朝の新鮮な空気を吸ったせいで、今日の気分は最高レベルに達していて、いろんな山(仕事の)を軽快に駆け抜けることができた。こうも気分が良いなら、もっと頻繁に行ったら良い。帰りは、20時出発21時50分着で、夜道の暗い分だけ速度が落ちた。だが、35km近くの距離を前後5〜10分内で収められる理由は、信号無視が基本にある。やばい走行でもあるのですが時間は読める。
6月9日(月曜日)
過充電くらいが丁度良い
ビジネスを営む上で、情報のインプットとアウトプットの度合いはどの程度がベストなのかと言うテーマで考えたときに出てくる数値は6:4のインプット多めが丁度良いと思う。ところが、最近は3:7の出荷超が続きネタ不足が続いている問題を抱えているのが第一、二つめは、玉石混合のあふれる情報の山から、ダイヤモンド鉱石を見つけられなくなっている感度低下に悩みがある。一見2つの問題は連携が無いようで密接な関係があることを発見した。それは、過充電くらいの情報を持ってないと、ダイヤモンド鉱石が発見できないのである。例えば政府高官は、インタビューで突然質問をしたとしても、それなりに答えられるのは、この6:4の法則が整備されているからである。と思うのだが。
6月8日(日曜日)
体力が弱っているのか、それとも先週の仕事がきつかったのか。今週末の登山に自分の体力を見極めておく必要がある。と言うことで、昼から自転車のツーリングに出かけた。80kmのコースで、印旛沼を周回し、利根川へ出て、印西市を通り帰るコースだ。印旛沼では、「よしきり」が鳴いている。丁度子育ての時期を迎えているのだろうか。大型カメラを構えた6人のおじさん集団にであった。彼らも野鳥の撮影だ。4時間あれば大丈夫と見越したが、丁度4時間で帰ってきた。疲れ度合いは、まだいける判定を下せた。今度の登山は大丈夫だ。食事時TVは秋葉原の殺人事件を報道していた。もちろん犯人は悪いが、このような人格ができあがってしまう環境も問題だと思う。だが、これには誰もがメスを入れない。自分の安全は自分で守るときが来た。
6月7日(土曜日)
結局今週は頭の都合で今週のレポートが仕上げられず、今朝から取りかかり、午後2時に完成する。今まで、休日にこうして頑張ると、ストレスが貯まったのだが、今はどうしたことだ?ストレスさえ感じないのだ。おかしいぞ。その後、谷津のバラ園に出かけた。今年最後のバラを撮影するためだ。すでに最盛期は終えていて、傷のない花びらを捜して撮影した。ストレスがないと言っておきながら、花を捜し、液晶のモニター画面に映る可憐な花びらを見ると気分が晴れていきますね。撮影も終わり、帰りしな、気品のあるおばあさん2人がカメラで困っていたので、少しアドバイス。お礼の言葉が返ってきた。関東弁のおばあさんはこういうシーンにぴったりだ。京成谷津駅前の商店街は、下町の風情が漂い活気がある。八百屋で「谷中の生姜」を買って家で一杯やった。今夜は初めて、PCとTVを同じ画面に表示し、右隅に小さくTVの画面を出してこの文章を書いた。
6月6日(金曜日)
今週ほど体がきつかったコトはない。仕事を終えると8時半。若手のMさんを誘って食事へ。腹に何か入れないと帰る気がしなかった。新橋の「てまえみそ」へ。若者が立ちこめる焼鳥屋さん。うるさくて話ができない。たわいのないことでお酒を飲んだ。問題は帰りだ。本八幡駅から自転車で帰る道中、どうしたわけか、眠くて仕方がない。自転車をこぎながら寝てしまいそうになる。こんなのは初めてだ。僕の体力が落ちていると言うことなのか。どうも変だ。週末の大阪行きはこんな事情から断念した。
6月5日(木曜日)
また、雨だ。どうしたことだ。今年の首都圏の雨量は平年を大幅に超している。自転車に乗っても鞄に跳ね上げる泥の量が半端でない。昨年にはなかったコトだ。今年は何か起きるのだろうか?それとも連日帰宅が遅く、頭の混乱があり、季節感を素直に受け入れてないのだろうか。体のきつさは相変わらずで、今週は本当に何かが起きている気がする。
6月4日(水曜日)
品格について。朝の東京駅。中学生の修学旅行生が地下で集合している。彼らは地面に座らされている。だが、ここは一般人の通路でもあるのだ。それぞれの学校がめいめいに座り込むので、通行人が通れない。だが先生は平気な顔を決め込んでいる。何も感じないのだろうか?ホテルで大騒ぎしても何も注意しないのは前にも書いたことがある。そして帰りの電車、4人掛けの対面式の椅子に座ったら、目の前のおじさん二人は大声で話を止めない。僕の隣のおばさんはたまりかねて注意した。今度は僕の前に座ったおじさんは足を組む。僕のズボンに靴が当たる。話の内容から、彼らは大学の考古学の先生だ。どうしたことか?教育の現場は教育だけ。人格について先生は逃避している。これでは、なすがままの人ができあがってしまう。当然犯罪も過激の一途をたどることになる。
6月3日(火曜日)
どうしたことだ。頭の中が混濁だ。ひらめきがなく、物事の表の事情しか読み取れない。朝の喫茶店で読む本も空疎だ。メールは山積するが返事が書けない。しかも、週末はKさんの関係で大阪に行かなければならない。来週の週末の登山向けに体の鍛練も必要だ。都会は便利にできていてほとんど階段を使わなくても生活ができる。東京駅なんか、エスカレーターだけで、階段がないところもある。こんな生活をしているから登山に出かけたくなる。
6月2日(月曜日)
大阪のメンバーの一人Kさんが怪我をした連絡。通勤途上、駅の階段を踏み外し靱帯を切る怪我。全治4ヶ月とのこと。怪我だけはしたくない。交通事故も怖い、都会では車の利便性はなく、多くの人が公共機関を利用している。だが、こうしても事故は起こる。現在の仕事は余裕がなくぎっしり詰まっているから、怪我や病気で仕事を休むとなると、世間から取り残されてしまう。これはある意味、怪我以上に痛い。月曜日はいつものごとく体がきつい。リポビタンDの力を借りても回復しない。酒を飲んでないのに頭がぼんやりだ。そんな中で今日一番の良いニュースは、好きな作家の本が棚に並んでいたことだ。本読みなら誰でもひいきの作家はできる。私も例外に漏れず、この人の作品なら有無を言わず買ってしまう。フレデリック・フォーサイス。デビュー作は「ジャッカルの日」。手に汗握る作品だった。以来彼の大ファンであり続けている。それで、今回「アフガンの男」上下を発売した。タイトルから推測できるとおり、オサマ・ビン・レビンを中心に据えた本だ。もっとも充実した時間に読もう。
6月1日(日曜日)
オリンピックの水泳競技で、水着の問題がある。speedo社製の新作水着である『レーザーレーサー』を装着すると記録が出る話。ハイテクが水泳競技を変えてしまう。いい話ですね。のほほんとして生きていると取り残される話。どんな世界にもイノベーションが起こり進化する。そんな希望を与えてくれた事件でした。常に前向きに「何とかなる」のを信じて生きることだ。昨日購入したMusicMakerは、いきなり楽器を3つばかり並べて演奏すれば曲になる。クラシックのCDから取り込んだ音楽にドラムスをくっつけると、リズムを合わせて演奏してくれる。ドッキングした音楽は、WAVやmp3に変換して残せるので、映像のBGMとして使うのにぴったりだ。こちらもイノベーションで、シロウトが作曲できるのだ。