5月31日(土曜日)
今週中に仕上げることができなかったレポートを昼過ぎまでかけて仕上げる。あいにくと雨だし丁度良かった。その後、錦糸町へ。趣味の分野で唯一楽器の演奏ができないことが心残りだ。まして、作曲もできない。ところが、パソコンソフトで、作曲のできるソフトが登場した。MusicMaker。もちろん演奏もできる。「初音ミク」と言う歌うことができるソフトもある。この二つを組み合わせると作詞作曲&歌手と一連のことが可能となるのだ。世の中は進歩した。屋外の活動のできない時はこのソフトで楽しむことができそうだ。

5月30日(金曜日)
もう一つ娘との語らい。高校生になって彼らは寝るのが遅くなっている。たまっていた仕事のめどをつけて帰宅すると23時を過ぎていたが、まだ彼らは起きていた。金曜日の夜は酒を飲む。娘に酒を頼むが返答がない。「冷たいね」と言うと。「チチに似た性格を受け継いだので冷たい」と答える。言葉が通じるだけまだましなのかと引き下がるチチ。今週は疲れた。朝の喫茶店でも居眠りしたし、リポビタンDは効かず「ゼナ」のお世話になる。ゼナについては想い出がある。昔自転車旅行をしているとき、もうダメだと決断した段階で、ゼナを飲むと、更に40km位は体力を復活できた恩恵があった。それだけ効く。

5月29日(木曜日)
パエリアと焼きめしはどこが違うのか。パエリアは米から調理する。焼きめしは炊きあがった飯を炒める。と言うことで、今日の昼飯はパエリア。ところがこれが非常にまずかった。できれば、食べずに帰りたかった。が、隣の上司が旨い旨いと言う。おまけに上司が支払う雰囲気。料理のことには触れずにもっぱら別の話題で何とかしのいだ。水で流し込んだ。家に帰ると娘がすり寄ってきて、猫なで声で、CDから音楽をPCに取り込みたいのだがと相談にくる。こんな時しか娘は話してくれない。一通りの作業を教えてあげた後、見返りはないのか?と聞くと、見返りを期待してはいけない、と妻が横から口出し。お礼の言葉もないのだ。かわいそうなチチ。

5月28日(水曜日)
先行き不安なときである。友人のUさんと懇親。ついでに美人が一人ついてきた。この年齢になると自分の先行きは自分で見つけるのが才覚というアドバイスももらい、自分はいったいどんな人間でどんなことに向いているのだろうと改めて調べ始めたというわけ。普段は挨拶程度の美人さんも、よく人のことは見抜いている。ワインをしたたか飲んで退散。この日は自転車だったので、酔っぱらい運転で帰宅。時計を見ると0時だった。

5月27日(火曜日)
裏表反対のことについて。土曜日の夜は疲れていて、妙に首がきついなと思いながらも寝てしまった。朝飯を食うとき、娘からパジャマが前後ろ反対だと言うまで気がつかなかった。そして、今日、ジャンパーのジッパーが妙に止めにくい。それで、ボタンで代用して自転車に飛び乗った。本八幡駅の駐輪場で、どうも変だ。今時、妻が新しいジャンパーを買うはずがないし。改めて点検をすると、ジャンパーを裏表反対に着ていることに気がついた。少し違和感があるモノの大きな不快感として感じないので反対でも問題ないのだ。そういう面では感度の低下が起きている。だらしのないのは嫌だが、自覚症状がないのは仕方ない。いろんなコトに気を張って生きているつもりだ、抜けもあると言うことにしておこう。

5月26日(月曜日)
今日昼の休憩時間。第一回目の尾瀬登山打ち合わせが開催された。簡潔なスケジュール表と持ち物と旅費の確認。問題は当日の天候。ここからは別件。人柄がすごく良くみんなから慕われている、しかし仕事はあまりできないが、人柄がマネジメントさせた。と言う人の送別会が開催され、当然のごとく仕事の上でのつきあいはないが僕も関係がありこの送別会に参加した。丁度「のぼうの城」和田竜の小説を読んでいるときであり、小説の主人公とダブって見え楽しく時を過ごさせていただいた。「のぼうの城」は、北条家の支城で、今の埼玉県行田市にあたる、忍城で、石田三成2万人の兵力に3,000人で対抗した代理の殿様「のぼう様」こと成田長親の奮戦記である。この長親はでくのぼうと呼ばれるところを、家系の関係から「でく」をとって「のぼう様」と呼ばれた。


5月25日(日曜日)
疲れがとれない。午後1時頃まで寝ると何とか回復した。午前中は体がだるく動く気さえ失っていた。日曜日はいつもこれである。それで、いつも計画していた読書が頓挫するのだ。気持ちとしては日曜日にもっとも複雑な本を読み頭を悩ませ、それをほぐすためにプールに行く。こう言う思いだが、実際は布団の中で漫画に近い娯楽本を読み、寝てしまい、また目が覚めると本の続きだ。怠惰な午前中をすごしているというわけだ。今日もプールは3km。今日はこれが精一杯の距離だった。帰りに福太郎(鎌ヶ谷に本社のある薬の店)に寄って楊枝を買うと、キャンペーン中だと言ってチヨビタドリンクのサービスがあった。ビタミンBなんか食事から十分にとれないので、こういうドリンクがあると、非常に説得力ある説明だった。プールで疲れ果てていたので効くのかと期待したが、あまり効果ないようだった。

5月24日(土曜日)
眠いが今日はゆっくりと寝ていられない事情がある。谷津のバラ園で撮影を計画しているからだ。しかも天気予報を見ると午後から雨。太陽のある内に撮影をと、9時の開園前に並び撮りに撮った。3時間で500枚。すでに満開のピークは過ぎていて、撮影後よく見ると花びらにシミのある写真が多数。ばさっと切って150枚くらいに厳選した。フィルムカメラのおじさんは撮影した花の名前をメモ用紙に記録していた。僕の方は、覚えたい名前の花だけは、花の名前も一緒に撮影した。デジカメは便利ですね。撮影を終えると、今度は本八幡経由新宿。新宿から小田急線で成城学園前へ。ここからNHK技術研究所に向かう。ここで未来のTV「スーパーハイビジョン」の一般公開が催されている。スーパーハイビジョンとは、8000画素×4000画素で構成されるTVで、3,300万画素の動画が売り物だ。300インチのスクリーンでデモ映像を見たが、映画そのものだった。だが、街中の映画は4000画素×2000画素の精細度であるので、この四分の一だ。僕の目にはその差が見分けつかない。ものすごい人混みの中の見学だった。帰りは技研前から成城学園駅まで徒歩、途中大きな森があり、川もあった。川は清流だった。

5月23日(金曜日)
又、山歩きを計画しているので、万歩計はきっちりと15,000歩を刻むまでは自分を許さない。と言うことで、梅田に宿泊したが、朝、事務所である京橋までは徒歩で向かう。着替えとか書類とかを持っているので結構重い。その重さも山歩きの訓練だと思うと苦にならない。と言うことで新緑がまぶしい桜之宮公園に向かう淀川の橋を渡った。雄大な景色が見えたので早速撮影、3枚の写真を合成して全景を収めた。夕刻7時に今度は東京の事務所に戻り、メール作業をして、Fさんと早速押上に向かった。ここで、次回登山の計画を練るのだ。燧ヶ岳(ひうちがたけ)に登るのか、向かいにある至仏山に登るのか、この選択から始まったが、これはあっさりけりがついた。6月の初め頃はまだ、雪のため、至仏山は入山禁止とのこと。それで、残る燧ヶ岳に決まった。次はルートの選択。登り3時間、下り2時間。どのコースもだいたい同じだが、どうも山頂はまだ雪が多く、足跡がないと道を間違うおそれありとプロのKさんアドバイス。それで、天候が申し分ないときのみ登山するコトで決定。次に山小屋で宿泊するのか、その日帰るのか?については、今のところ、遅くなってもその日に帰る方向である。その日に帰るとなれば東京で大反省会が催される可能性が高い。

5月22日(木曜日)
久しぶりに日比谷公園を歩くと、バラが最盛期を過ぎ花びらにシミができていた。今週末の谷津のバラ園撮影を欠かすと、今年はバラに逢えないな、と思った。バラは蘭と同じで非常に気品が高い花である。きちんと育てるのは難しい。それで高性能カメラで撮影し愛でるのが一番だと思いますね。バラの撮影も美人コンテストのようなモノ。一番綺麗な花をクローズアップして、背景に余計な造作物や色が写り込まないようにポジションを構える。後はカメラが良い仕事をしてくれる。夜、大阪に移動。電車の中とホテルで今週のレポートを粗書きして、明日完成へとこぎ着ける。この作業はネタが貯まってないと苦痛だが、ネタがあると、後は書き上げる時間の問題だけで、時間が読める。今回は後者で5時間あれば何とかなるとこころの安堵感があった。
5月21日(水曜日)
雨。最近の雨は半端でない。折りたたみの傘で十分事足りたが、今はカッパか、大型の傘か、どちらか必要。反面雨量が少なくなっている地方が必ずあるだろう。天候不順は日本ばかりでなく、世界各地であるだろう。それには、化石燃料を燃やしているコトが関係しているはずだ。だが、市場はこのことに対してきちんとした仕事をしてくれているようだ。原油高である。1バレル(159リットル)=135ドル。石油ショックの時は1バレル20ドルだった。暴動が起きてもおかしくないと思うが、沈黙したままだ。しかし、これは徐々に石油の消費に効いてくるだろうと思いますね。この原油高は需要と供給の関係だけでなく、投機筋が買い占めをしているようだから、更に拍車がかかるようだ。詳しくは分からないが、投機筋が買った原油は備蓄以外にもパイプラインで運ばれているモノまで含まれているそうだ。次には、海底の汲み上げる前の原油まで買い手がつく可能性があるようだ。このことにふれた書籍は2007年発行だから、現在ではすでにそのことが起きている可能性がある。さらなる原油高で油の消費が減るシナリオができている。

5月20日(火曜日)
人間の自尊心と浮浪者の関係について
東京人はえい格好しだ。言葉遣いにしても、着るモノにしても、大阪人と比べると、「飾る」傾向が強い。大阪人が東京人を嫌う理由だ。大阪は「ぶっちゃけた本音」が好きだ。だが、この東京人のえい格好しも時には良い仕事をしていることがある。それは公園における浮浪者の数だ。圧倒的に大阪が多い。大阪の都市公園はブルーシートに覆いつくされている。何で大阪に浮浪者が多いかと言えば、ここでは浮浪者でいることが楽なのだ。ぶっちゃけた気風を認める風土が浮浪者を誘発していると思えるのだ。東京はそうはいかない、浮浪者にも自尊心があるのだ。自尊心を持ち得ない人は都心では浮浪者になれない。東京駅の地下街を歩いていてそう感じますね。

5月19日(月曜日)
いつもの通り、月曜日はエンジンがかからない。頭も口も回らない。が、会議は月曜日にまとまってある。みんなの後を追っかけているのが精一杯。早く切り上げて帰ることが肝要だ。だが、早く帰って体を休めたいときに限って娘の長風呂に当たってしまう。飯喰った後、何もしないまま40分も待つのは本当にもったいない。娘に何度催促しても馬耳東風だ。彼女は学校から帰ってきて少し寝る。その後なので、夜にはめっぽう強いのだ。


5月18日(日曜日)
昨晩は午後9時まで起きているのが精一杯。疲れで寝込んでしまった。朝起きて食事をして、また寝ると1時15分だった。
モントルージャズ1997年のDVDがなぜだか自宅にある。出演は「エリック・クラプトン」「マーカス・ミラー」「スティーブ・ガット」「ジョー・サンプル」「デビット・サンボーン」どの人も一人でアルバムを出せる実力者ばかりだ。異色はクラプトンだ。彼はロッカーだ。こうした有名人ばかりのセッションは個性があまりにも挙列過ぎてまとまらないのだが、そこは、スティ−ブ・ガット(ドラマー)が全体の土台となり引き締める。所々デビット・サンボーンが出ようとするが、ジョー・サンプルがきっちりと牽制する。このアルバムの主役はクラプトンだ。このアルバムを見て感動しない人はまずは居ないだろう、歴史的名盤である。だから購入したのだろう。

5月17日(土曜日)
新金岡のサティーでコインロッカーを利用しようとした。携帯電話で登録する方法で、利用直前までこぎ着けたが、コインを投入する段階で、100円が投入口で止まってしまいそこから先に進まない。仕方なくもう一枚コインを入れると押し出すのではとトライすると、うまくいったが、一枚は引っかかったまま。もうコインロッカー利用をあきらめ、とにかく投入したお金だけを回収しようと、このことを繰り返している内に、とうとう2枚とも引っかかったままとなり200円損失。やれやれ。結構頑張ったので、のどが渇き、マクドで朝マック。ソーセージエッグマフィンを注文し410円を渡すと、40歳前の店員は、こちらの370円の方がよい、410円のほうは甘すぎるのでと、強引に安い方に誘導する。親切と言えばそうだが、大阪らしいお節介なのか。悪い気がしないが。今度はタクシー、帰りも迎えに来てくれるか?いや昼から会議だからできないとにべもない。私は、昼前に帰ろうと思っていたが、あまりにもきっぱりなので何も言わなかった。仲間がいるだろうから仲間を紹介するとか、なにか思い浮かばなかったのだろうか。タクシー業界は不況のまっただ中にあるはずだが。かつて大阪は商人の街だったが、いつの間にか商売気まで抜けてしまった。

今度は東京の話。東京駅の地下1階はリニューアルして綺麗になった。その中になんと日本酒のバーがあった。一杯だけと思ったが、満席だった。仕方なくお酒コーナーを見ていたら、なんと、我が芸西村の酒「志ら菊」があるではないか。ここは田舎の実家から歩いて25分あれば行ける。妻の家はここから更に徒歩7分くらいだ。懐かしく涙が出てきた。バーでは飲めないので、総武快速の中で飲みながら帰った。

5月16日(金曜日)
朝、東京駅で切符を発券しようとすると、予約がないと電子案内。最近自分の行動に責任が持てない。結局窓口で調べても経歴がない。再度自販機の前で携帯登録し、発券する。13分程度の遅れで大阪へ。

その夜、東横インはやっぱり私にはふさわしくないホテルだ。大阪出張の際もう一回だけ、新しい東横インにチャレンジした、谷町交差点の東横インだ。だが、窓が薄く、外の車の音は部屋の中に筒抜け。しかも、上の階の水を流す音もすごい音で飛び込んでくる。時計の針音もかちかちと気にかかる。結局場末の旅館に宿泊してもこれだけの騒音はないぞと言う騒音の中で眠ることになったのだ。週末の夜は「酒」で盛り上げると言うのは多くのサラリーマンの習慣だろうが、私の場合、まだ午後9時の時点で今週のレポートが完成してなかったのだ。だから酒抜き。だが、ホテルでパソコンを開こうとするが、パスワードを忘れてしまい、何度もトライすると、復旧に3分、次は9分とどんどんと時間が加算されて立ち上がるのである。結局1時間ほどそれらしきパスワードを打ち込んで解決となった。昔の事を覚えている代わりに直前の事を忘れ大きな問題を引き起こすのだ。

5月15日(木曜日)
バラが咲いた。有楽町にある日比谷公園はバラが咲き始め、今週火曜日から撮影を始めた。バラの花は旬が短いから、美人コンテストのように、数あるバラの花から、これぞと言う花をピックアップし、拡大して撮影するのである。肉眼では綺麗でも、自宅の24型ディスプレイに拡大すると、花弁に傷がある。背景も綺麗にぼけていて採用したいのだが、やむなく消去。ピント、発色、背景のぼけ、そして花が痛んでないこと、光線の具合。いろいろ条件を出すと、決定的な写真がない。谷津(やつ)のバラ園もほぼ満開時期を迎えたようだ。来週の楽しみだ。

5月14日(水曜日)
尾瀬散策。職場の女性達にも声をかけ、大がかりな尾瀬散策ツァーが企画されている。友人のFさんが企画者で、私は広報である。今回は「♪夏が来れば思い出す、すてきな尾瀬、遠い空、ミズバショウの花が咲いてる〜」このミズバショウの花を見に出かけるのである。ついでに、この湿地帯を囲む山の登坂を組み込んでいるのである。我々おじさんは、金曜日の夕刻出かけ、直近の民宿に泊まり、仕事で忙しい人たちは、金曜日の夜行でやってくる。早朝この人たちとここで合流するのである。問題はこの登坂について女性陣は不安があり、今日はいろいろと質問を受けた。わずか2回しか登坂の経験はないが、山で快適に過ごす方法など少し判ってきたことがあるので紹介した。私の場合どうしても道具に凝る方向なので、話がマニアックになり、女性達には更に恐怖感を与えたみたい。

5月13日(火曜日)
人はナカナカ解らない。今日の夜は懇親会で、芝の「そじ坊」で飲んだ。この店は最悪です。料理の量が少なく、出てくるのが遅い。東京のそば屋さんは安価で量が多いと言うのが定番ですが、例外もあるのです。この店大阪にも展開しているので要注意。ところで本題。今日の仲間は責任者クラスばかりなので、少々退屈だと思っていたら、何とMさんが花の話をするではないか。しかも、その花は自宅の玄関とか庭に植えた花ばかりである。携帯電話には花の写真がいろいろ撮影されている。花の蘊蓄もあり、花談義をしながら酒を飲んだと言ういかにもロマンチックな話である。私の場合写真の被写体としてキレイだから撮影し始めたが、だんだんと回を重ねるに従って花の名前を覚え、いつの間にか一家言が語れるようになっていたのだ。いずれ、自分も栽培に手を染め、種や株を分けて貰い蒐集を始めるだろうと予測がつく。

5月12日(月曜日)
毎日ニュースをチェックし、雑誌に目を通し、ネットに気を張っているが、それでも抜けるニュースもある。「ATOM」はすっかり僕の網からこぼれ落ちていたニュースである。Intel社が新しく開発した低消費電力のCPUで、もっぱらモバイルの低価格のPCに使われる目的だ。PCの歴史は高性能化の歴史であったが、高速の通信回線が普及する段階で、ネット上で全てを済ませれば良いではないかという考え方に変わった。私なんかもメールは、IEを使わず、もっぱらヤフーメールを使う。こちらは、ウイルスチェックも行ってくれるし、不要なメールが届かないのが良い。googleがもうすぐ始める、表計算ソフトは、ネットの上でこのソフトを立ち上げ利用する方法だ。これだとマイクロソフトのEXCELが不要になる。と言うことで、これからATOMを使った安価なモバイルPCが普及する可能性が高い。携帯電話に、いろいろ高機能の機器が搭載されてきたが、これで一息つくと思う。それにしても世の中の変化が早く、置かれることもあるのです。


5月11日(日曜日)
まだ雨が降っている。読書に決めた。波乱の時代・アラングリーンスパンを読んでいるといつの間にか夢の世界に。この本は少し難解で1時間に30頁の進捗だ。今は中国のことについて述べてある部分。その中で権力は毛沢東>ケ小平>江沢民>胡錦涛の順で、市場開放度はその逆と明確に述べてある。旨いこと言うな。こんなコトを書いて大丈夫?小雨が残っていたが夕刻プールへ。3km。帰る道中に綺麗なバラが咲いていたので撮影していると、その家のおばあさんが出てきて、バラの横に咲いている黄色い花が珍しいだろう的な意味のことを話したが、あまりにも方言がきつくて分からなかった。そうだ、ここは千葉だ。東京とは違うんだ。笑顔でうなずいて退散した。

5月10日(土曜日)
秋葉原で街角ライブのお姉ちゃんを撮影しようとカメラを持って出かけたら雨で中止。電気街をぶらぶらしてたら、こんな街にもbook−offがあるではないか。何かおもしろい書籍はないかと探すと105円コーナーに、筑紫哲也のニュースキャスターと、藤原新也のアメリカがあったので購入。時間当たり一番安価な娯楽は書籍だ。そして一冊が105円とは。泣きそうになる(程嬉しい)。石丸ソフト館でジャズの輸入CDを試聴。ここの選定はセンスがよい。こんなCDよう探さんわと言う毛色の変わった音楽を紹介してくれる。地方に住んでいるとこのような店がない。雨が本格的になったから退散。映画ブラッドダイヤモンドを観る。

5月9日(金曜日)
ファンタスティック・フォー/銀河の危機をブルーレイディスクで観る。早速息子が嗅ぎつけていろいろと解説をしてくれた。まだ、DVDとBDの違いを知らないので、目の前に映し出されている映像の凄さに気がついてない。彼はストーリーにしか興味はないようだ。深夜なので、ヘッドフォンで観たが、さすがBDの音は違いますね。音の転送レートが1.5MbpsでCDと同じレベル。一音一音が粒立ちが見えるようだ。シルバーサーファーを追う衛星が地球全域から、次第に拡大していき、やがて街の建物が見えるようになってくるシーンがある。その時に息をのむのは、ハイビジョンだから、無数にある街の建物一個一個がつぶれずしっかりと見えることだ。ハイビションてこんなにすごいのだと再認識。

5月8日(木曜日)
夢の中で盛んに体が揺れる、疲れているので目が開かない。乗り物に乗っているわけでもないのに。とうとう目が覚めると地震だった。そして棚の上に置いたペットボトルが落下した。激しい揺れだったが震源地はここでないと分かった。が、もしものコトがあってはとPCを点けて震源地を確認すると茨城県の沖合だったのでほっとした。今度は眠いのに眠れない。これで少ない睡眠時間が更に少なくなった。それで今日はつらい。だが一つだけ良いことは、新しい事務所には食堂があり、食欲に応じて量を加減できることと、野菜を中心に選べることで体の調子がよい。今までは事務所の周りの飯屋さんで肉か魚の定食だったのだ。夕刻になってもどんよりとした満腹感があるのはつらかった。今夕方には気持ちの良い空腹感がおそってきて、気分まで晴れやかになる。駅までの帰り道、ナチュラルローロンがある。少し価格が高い。ここでマンゴージュース156円を買って帰途についた。

5月7日(水曜日)
昨日までの休暇気分を一新してビジネスモードに切り替えねばならないが旨くいかず苦しむ。今日から新しい事務所で前の職場から徒歩で10分強かかるところ。荷物の片付けやなんやかんやで一日終える。先日の過酷な登山と比べて、ビジネスの方は疲れが少ないやろうと思われるが、実は短時間の登山よりも、長時間拘束されるビジネスの方がよっぽど疲れが激しいのだ。そして、万歩計の歩数は、山で一日歩き回った歩数と、通勤+社内で動いた歩数とほぼ同じ15,000歩。朝日新聞によるとメタボ防止に万歩計を使って10,000歩を歩きなさいとある。解消するには12,000歩とあった。ところで、自分の3サイズはどれくらいあるのか、計ってみると、上から96−75−99だった。腰がでかいことがわかった。歩くことの成果だろう。


5月6日(火曜日)
昨日の写真を整理する。連続したシャッターシーンを思い起こしながら、パソコンで風景写真をつなげてみる。かすかに記憶に残っている写真の断片がつなぎ合わさると、見たような風景が現れてくる。コンパクトデジカメで撮影したので、遠景ではピントが合わず、いくつかは使えなかった。遠景写真は一眼レフが強いが、カメラの重さと、思ったときにさっさと出してシャッターを切る身軽さを考えると、コンパクトデジカメにはかなわない。

体に痛みは残っているが、午後のプールで3km。今日は最後の追い込みに力が出ない。昨日の疲れが貯まっている。道中にバラの花が見事に咲いている庭があった。ことわって撮影すると、10日後に、もっと良いのが咲くと声をかけてくれた。そのおばさんも一緒に写す。

5月5日(月曜日)
午前4時過ぎに周りが騒がしい。寝ている間、両隣から攻め寄られ、自分の寝場所を確保するのに苦労したと話すと、僕のいびきがすごかったのだと逆に聞かされた。枕の高さが違ったため、肩の筋を違えて厳しい目覚めだった。5時前に朝食。朝食は、山菜を自由に取るミニミニバイキング方式で、皆さんすごい食欲。僕の方はご飯一杯だけ。ウエストが細り、バンドが効かなくなっていた。みんなの話題ではヘリコプターが飛んでいるとのこと。瑞籬山で転落事故とのこと。登山道を間違ったとのこと。山荘前で記念撮影。歯磨き、洗面なしで出発。5時45分。

すごい霧。霧というか、細かな雨。強風。Tさんは登るのに反対するが、他のメンバーは、誰も反応ナシ。結局登ることに。右からの強い風と、霧で、右側のめがねの玉だけが曇る。歩きにくく、めがねを外す。この山荘から金峰山までの登りはきつい。しかも積雪深く、アイゼンが効かず滑る。これだけの勾配なら、軽装で十分と判断したが間違いだった。今までかつて頭が寒いと感じたことはなかったが、この日だけはべつだった。上を向いても、下を向いても視界は10mばかり。これでは、登頂後すぐ下山ですね、と思いきや、頂上付近で太陽が覗く。

そして頂上ではサァーと霧が晴れて正面に富士山が見えるではないか。皆さん感動の声とともに写真を撮りまくる。山の上は広く、360度の視界が効き、これが登山の醍醐味だとおもった。私も、この眺望は広すぎて、一枚のカメラには収めきれないと、何枚かを連続で撮影した。後で、パノラマ写真にするためだ。Fさんは、ムービー一本。気温を測らなかったが、2,200m付近で5度だったので、この山頂は0度以下だったろう。

下山は、好養軒の女将さんとペアでどんどん行く。「もう1時間半くらい休憩なしだよ」、と言われて、樹林帯でやむなく休憩。少しして、大日岩があり、ここで皆を待つことに。しかし、ここは風の通り道。待つには厳しいところ。当初の大日小屋まで降りようと出発。ここでアイゼンを外し、リラックスの体制に。約30分待ちで全員が揃う。ここで昼食だ。コーヒー、ココア、おにぎり、ハム、パン。軽食ですね。主な運動が下りだから、腹も空いてないと言うこと。万歩計では登山片道15,000歩だから、普段仕事をしているときと変わらない歩数。気分的に運動しているのかもしれないが、実は少ないカロリー消費量だったのだ。

つぎの集合場所は富士見平。ここは携帯電話が通じるので、タクシーを呼ぶことが可能だ。韮崎タクシーの雨宮さんだが、Fさんは、「雨宮山荘へ来てくれ」と呼び出しを頼んだので、きっと驚いたことだろう。下りは、確実に膝に来る。こういうとき事故が起きるのだろう。僕は、注意散漫にならないように、できるだけ人の通らない斜面を一直線に降りた、厳しいが短く気も張っておられるのだ。雨が降り出し、持って行ったカッパが少し役に立った。瑞籬山荘では遭難の取材のためカメラマンが来ていた。人の不幸につけ込むいやな面。遭難は携帯電話で助けを求めたとか、落ちた一は70歳くらいの女の人だったとか。(帰り着いてネットで見ると、瑞籬山で道に迷った、それで、妻に携帯で電話したとのこと。転落でもなく、怪我はないのだ)

韮崎では10分の待ち時間で特急あずさに。自由席はいっぱいで、通路に立ったまま新宿に向かう。車掌が忙しそうにしていたので声援を送る。車掌曰く、「今だけ忙しいのです」途中、立川で大勢の人が下車し、座ることができた。新宿では降りた隣ホームに中央快速が、お茶の水では、隣ホームで総武線が、都会は便利で動かなくても良い。錦糸町下車。ここで焼き肉パーティーを開催し反省会を行うのだ。押上山岳会の反省会は、にぎやかに、盛大に、そして次回の計画を練る内容だった。したたか飲んで喰って外に出ると、まだ明るかった。帰ると丁度子供達が玄関にいたので、臭くないのか聞いたがそうでもないという。2日位は大丈夫だと言うことか。

5月4日(日曜日)
朝5時起床、5時34分の東武線に乗り、待ち合わせ駅である新宿に。新宿駅でパンを買って、かじりながらホームに行くと、すでにFさんが待っていた。7時出発のあずさ1号で韮崎(にらさき)へ。ここでTさんが長いトイレへ。列車と連動して運行されるバスの発車には間に合わない、やれやれだ。と思いきや、Fさんがタクシーの運転手さんと交渉し、バスト同じ料金で目的地まで。幸先良いぞと一転。

瑞籬山荘(みずがき)の登山口で下車。山頂までは山歩きの達者な人が休憩なしに4時間10分行くルート。ここはすでに1,470mの標高があり、頂上まで高度差僅か1,000m。10時出発。登山道は少し緩やかな傾斜の後、いきなりきつい登山道に変身。そしてTさんがいきなりダウン。時間をかけて上ることに。最初の休憩ポイントで、先頭をゆくことに。だが、Tさんの荷物1kgを背負ったのでいきなり腰に負担、どうも自由がきかない。それでも今度は自分の息の続く限りとばしに飛ばした。

次の休憩は富士見平小屋。ここで大きな看板地図があり行程の全容をつかむ。瑞籬山と金峰山の分岐点で、我々は金峰山へのルートだ。昼食は大日小屋と決定。樹林帯のきつい登りをただひたすら下を向いて上る。めがねに汗がかからないように頻繁に汗を拭くが効果なし。一歩一歩が山頂に近づくと思うと、つらさが遠のく。この地道さは、僕の生き方と重なり、長距離の水泳やジョギングやサイクリング、読書などが好きなことと関係する。レモンを一かじり、疲労回復。

大日小屋到着。沢があり、手や顔を洗うが、雪解け水は容赦のない冷たさで、とても手を浸けてはいられない。昼食は持参したカツサンド。これは今回参加の好養軒の女将が手作りで作った優れもの。僕はこれに、持参のソース焼きそば大盛り。昼飯に重い荷物や水を消費したので、最初の頃の重量に戻った。すごい汗だったが、止まると急速に寒くなる、今回、下着とシャツは登山用に汗を吸わない高級下着なので、少し寒さを我慢すれば、後はひどい寒さが消える。技術の進歩はこうした快適さを伴ってやってくるのを実感。その後、セーターとジャンパーを羽織るととても快適。食事の後は、アイゼンやスパッツを装備して本格的な冬山登山の様相。再び羽織っているモノを脱いで、登山。

いきなり急勾配なので、吐き気を催す、ゆっくりとスピードダウン。しばらく行くと左手に大きな岩が。もう少し行くと、大日岩休憩ポイントがある。皆を少し待つ間にこの岩にとりつく。もう少しで、大きな岩を克服できると思ったが、落ちれば確実に死だと考え直し、引き返す。そこからは、金峰山の頂上が見えた。

再び登頂。自分に課する慰めは、標高100m稼げば休憩しようと決めた、それまでは頑張ろうと。だから休憩はあまり場所を問わず頻繁に行った。2,200m付近で休憩しているとき、向こうから来るおじさんが急に身構えた。行き交うときに話を聞くと、僕の黒い服を見て、熊かと思ったと。最初のアイスバーンは、山道をご丁寧にもコンクリートで整備してくれているわ、と感謝した。そして上に乗ると「ツルッ」と滑った。やや!これは氷なんだ。と納得。

しかし、15時過ぎ、標高2300mになると、一面の積雪。最初は雪渓が見えると喜んでいたが、こう雪が深くなり、アイゼンも時々滑るようになると、うんざりしてくる。僕でさえこうした難儀があるから、Tさんは大変だろうと「千代の吹き上げ」で心配する。ここからの眺望は、遠くに富士山、その手前に甲府盆地、かすかに中央高速の音、小鳥のさえずり。実に静か、実にのんびり。誰もいない。30分後、心配したTさんが、ベテランのFさんよりも早く現れる。皆さん、アイゼンに支障があるようだ。時刻は16時30分。日没にはまだ時間があるとは言え、このままでは山小屋到着は午後6時を過ぎる。

皆さんは、少しの休憩のあと、ここから山頂を目指し稜線を進む。右と左に景色は広がるが、すぐにガスって見えなくなる。稜線の富士山側は絶壁があり、キモを試すには絶好の場。岩場と積雪が交互。アイゼンは雪には強く、岩には弱い。僕は迷ったが、行動が自由なアイゼンを外すことに。「砂払いの頭」で右に行くと山頂、左に行くと山小屋の分岐点に到着。午後5時半。深い積雪を横切ってゆく。所々深く落ち込んだ足跡。この雪は圧雪ではないので、強く踏み抜くとズボットはまる。瑞籬山方向に太陽が沈む。眼下に深い霧。いわゆる雲海ですね。しばし見とれる。金峰山の方は、深い積雪の斜面の上に青空が広がる。雲が流れる。静か。

午後6時丁度山小屋に到着。汗で少しべたつくが何もできない。下着を替えただけ。すぐに夕食。全く食欲がわかない。ビールで乾杯するがまずい。小食の夕食を取る。後は布団で横になるだけ。ヘッドフォンステレオを持っていった。音楽を聴くためではない。周りの雑音を消すためだ。いきなり静謐の世界に入る予定だったが、先ほどのビールのため、自分の鼓動が大きく、うるさかった。寝付けたのは12時を過ぎてから。

5月3日(土曜日)
あわただしく準備をして、犬を散歩に連れて行った。この犬は非常に器量よしで、どんな人が見てもかわいいと声をかけてくれる。この犬が最大限の愛嬌を振りまいて散歩をせがんでくる。これには誰も断れない説得力がある。高知発9時50分の飛行機で大阪へ、ここで乗り換えて東京へ。道中、映画「オーシャン13」を見る。この映画はアメリカの有名俳優が一同に出演する。今回の内容は、ラスベガスのカジノホテルのオープンを阻止することだ。更に、このホテルの財宝であるダイヤモンドを盗み出すことにある。内容の展開が早いのでついて行けない部分もあるが、見てたら筋は読める。自宅に帰り着くとすぐに登山の準備を始める。食料は奇抜なモノを準備「トマト、蜂蜜チューブ入り、レモン」たぶん人気を呼ぶだろう。深夜、息子がもしも遭難したときのためにラジオと手回し発電機が一体となったグッズを渡してくれた。

5月2日(金曜日)
モネの里
朝6時に目が覚めるが、どうも元気が出ない。もう一度寝て10時起床。昨晩は8時頃から寝たので合計14時間寝た。昨日の60km自転車の影響か。これでやっと充電が足りて、今度は東の方に片道30km行ったところにある「モネの庭」に行く。モネが睡蓮を描いた池と寸分違わぬ設計を施した植物園。だが凡人には、ただの池と睡蓮が映るだけ。高貴な想像はできない。また、下の方には「花の庭」があって、今旬の花が咲き誇っている。ここも「絵」と同じレイアウトだが、想像力の低い私は、淡々と花の写真を撮影する。200枚ほど撮影。帰りは雨も上がり少々向かい風だが、潮風で気分が良い。大山岬の下の道を行くと喫茶店があった。眼下に太平洋を望む。営業時間は9時〜日没までとある。この景色なら納得。おばさんと娘が営業している。くつろげる喫茶店だ。ここから約1時間で芸西に帰れる。

5月1日(木曜日)
牧野植物園
自転車の空気圧を6kgに調整していざ高知へ。片道約30km位だが、久しぶりの長距離で少し慎重に。牧野植物園は約1年間立ち入り禁止となり整備をしていたが、やっとこの5月からオープンだ。

温室は見事な蘭が減り、何や分からんタイの装飾が施してあった。地植の熱帯植物がなくなり、多くが生け花だった。あの大きく育った熱帯植物はどうしたのだろう。外の広場は、昔からの沼地がなくなり、棚田様式の池になっていた。今までは、ここに不思議な羽を持ったトンボがいたのだが、こんなに沼をつぶしてはトンボの子、ゴヤは死んでしまったんだろうな。今回の改装は植物や昆虫のことを知らない人が設計したとしか思えない。綺麗になったが魅力が半減した。

撮影しているとだんだんと暗くなり、11時過ぎには退散。赤岡のトン太郎(ラーメン店)で唐揚げラーメンを。うまい。夜須にヤッシーパークと言う、海水浴場がある。ここは高知の「夏」を感じる場だ。久しぶりに海岸沿いを自転車で駆け抜けると、女子高校生達が裸で水浴びをしていた。僕が近くを通ったから、蜂の巣を突っついたような大騒ぎになった。「すまんね」と声をかけしっかり見ていった。

その夜、近所の谷岡さんがトマトと鯖子をもって飲みに来た。このトマト、色は薄いが、昔かじったトマトの味がする。10個で6,000円で売っている品物とのこと。鯖子は、脂の固まりのような食感。頭を外し、少し醤油につけて食べるとうまいのなんの。見た感じはそうでもなさそうだが。

4月30日(水曜日)
大阪の事務所で会議。定例会議だが、いつもの顔ぶれが揃うと安心する。このまま何年も関係が続きそうな気がする。この会議終了後、大阪を散策、大阪もやっと活気が戻ってきた、大阪駅前に三越百貨店が建ち、阪急百貨店が増床するようで、駅周辺が工事中だ。午後6時半の飛行機で高知に向かう。飛行場で「ブラック・ブラック」を半分見る。ユダヤ人がドイツの圧制下たくましく生き延びる物語。この手の映画はドイツ=悪い人、ユダヤ=良い人。だが、本当のユダヤ人はどうなんだろう?どうしてあれほどドイツ人に嫌われたのか理由が知りたい。高知空港に降りるとプーンと牛の糞の匂い。何をやっても自由だがこのあたりの感覚は治世を行う人には必要だろう。大阪〜高知の飛行機便数は激減している。高知の魅力が減っている。

4月29日(火曜日)
晩飯にセブンイレブンの春雨サラダを食べたが、これが実にうまかった。ところが、この春雨にかけたドレッシングが強烈で、くず箱に捨てた容器には、そのかけらもないのに、寝ていると匂って、夢の中に登場した。今日は神戸方面と大阪の東方面を巡回する計画で、相当歩くことを覚悟して軽装で出かけた。久しぶりに海を見て気持ちが和んだ。午前中に1万歩、午後に1万歩。よう歩いた。昼飯抜きだったので、午後5時、京橋のまつやの立ち飲みで大ジョッキ1杯。店の采配が若い兄ちゃんに代わり態度が横柄。もうこの店は二度と行くまい。大阪城公園を抜けてホテルへ。合計2万4千歩を歩いた。街を歩くにはリーガルですね。重くて堅いが、蒸れなく足下がしっかりしている。

4月28日(月曜日)
今朝は気合いを入れて、8時前には仕事を開始。もたもたしていると、今日のスケジュールが頓挫するためだ。作業内容は書類作成と引っ越しの準備。11時過ぎに電車に飛び乗る。電車に乗ってから新幹線の予約だ。品川駅に着く頃には指定の予約が完了、新幹線口の乗車券売り場で発券する。あわただしかった仕事も一段落。移動中は、マーラー5番をサイモンラトル指揮ベルリンフィルで見た(DVDで)。指揮者はだいたいが表情豊かなモノだが、サイモンも同じく顔で指揮をしていた。降り立つ駅は京阪枚方。かつて知ったる街のはずだが、7年の空白期間は街の変化と、脳みその流出でずいぶんと違う雰囲気に映る。この後、南森町。これで、一の予定は終了。駅前に妙に活気のある床屋さんがあり、そこで散髪。夕飯はコンビニ弁当を喰いながら、映画「マッチ・ポイント」。元プロテニスプレーヤーのクリスは、結婚しているのにノラ(スカーレット・ヨハンセン)に惚れていく映画だが、どう見てもノラ(この女優)に魅力を感じない。好みの問題でもあるが、もう少し女優の選択を頑張るべきではなかったか。


4月27日(日曜日)
サブプライム問題
昨年の8月17日に大々的にこの文字が紙面を飾った。以降毎日この言葉が登場しないことはない。この問題はビジネスをしていると避けては通れない。まとまった本を読もうと思っていたら、BooKoffで「サブプライム問題とは何か」春山昇華氏が見つかった。難しければ捨てればよいと読み始めたが、わかりやすい。それは、、、。そもそもサブプライムローンとは何か?低所得者層の担保物件がなくても、住宅ローンが組めるのがこれ。土地の値上がりや住宅の値上がりが期待できるので、最初の2年とか3年だけ、非常に安いローンの支払いだけをして、その後は転売をするという仕組み。そうすることで、うまくいけば売り抜けられて、儲かる。日本の80年代後半のバブル景気と同じ。違うのは、このローンをいくつかまとめてパッケージ化して、証券として売り出したことだ。この利回りが、一番リスクの少ないもので4%を超していたので、世界の投資家が集中したというのだ。この問題を読んでいくと、土地が永遠に値上がりし続けないといずれ破綻することが見えていたのに、ブレーキをかけられなかったことだ。そしてこれはそう簡単に回復しないぞと思いましたね。

4月26日(土曜日)
さかいやスポーツ店
5月の連休後半は登山をする。そのため、ズボンやリュックなどいろいろと装備が必要なので買い出しに行ってきた。神保町にある件の店。ここは専門店なので、買い物相談に的確に答えてくれる。僕は知らなかったが、この時期の登山は決して寒くない。普通の服で十分だという。ただ下着が問題だと言う。汗を吸う下着は寒くなるので厳禁だ。汗を吸わず、乾きやすい下着が肝心だという。僕の感覚では、寒いため防寒具を買う予定だったのだ。リュックも肩で背負うのではなく、腰で背負うのが基本だとか。1泊2日では30リットルの大きさがあればよいとか。その夜、一緒に登山するFさんから電話がありアイゼンが必要だという。アイゼンはアイスバーンの道用だ。それほど厳しいところ大丈夫かな?

4月25日(金曜日)
イケメン
僕の周りに40歳くらいの脂ののりきったイケメンがいる。男から見ても仕草やスタイルなどなかなかかっこうよいと思わせる人物だ。この二人に問いかけてみた。例えばですね、飲みに行ったとしますね、その店に来ている客の一人に飛びっきり美人がいたとしますね。その娘(コ)を誘ってこのテーブルまで連れてきて一緒にお酒を飲むことができるか、競争してみたらどうかと思うのですが。それで僕たち平民は、どちらが早く誘うことができるのか、お二人のどちらかに賭をします。こんな話をするとですね、彼らは自信があるのですね。「そういうことなら」と乗り出してくるのです。僕には全く経験のない世界を彼らは十分やり尽くしてきているという感を受けましたね。

4月24日(木曜日)
まとまった雨が降っている。しかし、今日自転車を回収しないと、今週は自転車を駅に預けただけのこととなってしまう。あまりにも寂しい。と言うことで、篠つく雨の中、本八幡から鎌ヶ谷まで10kmを強行した。道路が所々冠水して、タイヤが大量に水を跳ね上げるので、背負ってていたリュックが泥だらけになってしまった。しかしですね、雨の中を走るというのは実に気分の良いものです。久しぶりに自然に接した感がするのです。時々こうして自然に厳しさに接して精神の安定を取り戻すのも良いとおもいましたね。

4月23日(水曜日)
息子
今晩も晩飯時に息子の映画の話。晩飯と言っても午後10時過ぎだ、早く喰って風呂に入ってすぐに寝なきゃ。それに、疲れているし、こちらは日経の夕刊を見たいのだ。だが、普通は高校生の息子は親と会話しないのが当たり前なので、ここは我慢しても聞くことが大事だと鈍い私でも得心する。まとまってない映画の話をだらだらとしている、2本の映画の話を一度にするので、こちらはどっちの映画の話なのか分からない。チャチャをいれて、話題が変わることを狙っている。食事を終えたら風呂に行くのでこれで中断。やれやれ。

4月22日(火曜日)
骨酒
いろいろ悶々とすることが多く、Fさんを誘って押し上げのいつもの店に。この店を訪問するときはいつも雨だが、今日は大丈夫。お酒を飲みながら愚痴をこぼしたが、こういうお酒は江戸の昔から続いていただろうなと思う。東京の下町でお酒を飲むと、どうした訳か江戸時代を思い浮かべる。今日の肴に、店のご主人が新潟の山奥で釣ってきたイワナがあり、これを焼いて賞味した。そして、最後骨だけになった部分を炙ってもらい、これに熱々のお酒を注いでしばらく待つと骨酒の出来上がりだ。これが実にうまくてうまくて、Wさんを誘ってないので申し訳ない。こんなにおいしい酒があるとは。

4月21日(月曜日)
エネルギー問題
決して地球環境の話ではない。自分のことだ。いつものことだが、午後8時頃まで仕事をしていると、本日のエネルギーが枯渇した信号が点った。今日は自転車で来たことだし、自転車で帰らないと明日困る。とは言え、もうその体力がない。330円の出費となるが電車で帰宅した。自分はまだ若いと思っていたが、時々こうした疲れが顔を出してくる。全く話に継続性がないが、掃除のおばさんが、もうこれで最後ですねと、お別れの挨拶をしてくれた。私たちは事務所を移転するのだが、掃除のおばさんも、5月の連休を待たず、中国に帰るとのことだ。中国人はお土産がすごいだろうと聞くと、そうそう、制限荷物20kgに対し、なんと7kgもオーバーしているとのこと。それは手持ちで機内に持ち込むとか。マスコミに登場する中国人は嫌いだが、身近なおばさんは好きですね。このおばさんはいつもエネルギーが満ちあふれていた。

4月20日(日曜日)
音楽の充填について
日曜日の夜は月曜日から聞く音楽をポータブル再生機に充填する。CDのジャケットを眺めて、この音楽との思い出とともにPCに録音を行う。録音しながら、今すぐにでも聞きたいアルバムもあるが、はやるここを押さえて明日に持ち越すのだ。憂鬱な月曜日の朝の希望はこのアルバムが聴けることだけ。これ一点で朝起きられる。この作業を終えて、自転車で津田沼にオープンしたヤマダ電機LABIに行ってきた。1フロアが電気製品の売り場で非常に広く、お客さんでにぎわっていた。地域における集客の目玉に、いつの間にか電気店が組み込まれ、各地の商業施設の中核となっている。津田沼は船橋の隣駅で通勤経路でないから関心がなかったが、自転車でこの街を回ると、駅を中心として結構な街がある。私の中の千葉のイメージは漁師であったが、津田沼までは東京圏内だと思う。

4月19日(土曜日)
昨晩は「バイオハザード3」を息子の解説付きで見た。この映画は、ゾンビに噛まれると、普通の人間がゾンビになると言うのが根底にある。カプコンのゲーム「バイオハザード」が原作とのことだが、僕は昔97年に読んだ貴志祐介の「黒い家」にルーツがあるのではないかと思う。遅くまで映画を見てたせいで朝起きても呆然として、出かける気にもなれず、布団にくるまったまま分厚い小説「ウォッチメーカー」を読んだ。これは連続殺人事件を追う刑事物で、読み始めるとやめられない。500ページにも及ぶ2段書きの本を一気に読んでしまった。読み終えたのは午後6時だった。後書きにはこれはシリーズものだと紹介されていた。

4月18日(金曜日)
何でこんなに雨が降る?その雨も半端でない。すごい。東京駅から徒歩で浜松町まで50分を歩くには合羽が必要だった。先日もこんな雨があった。もしかして、今年の夏は干ばつ?雨の中を1972年の歌謡曲を聞きながら歩くと、意外にも昔の歌は歌詞のストーリーがしっかりしていたことを再発見する。あの頃は仲間を見つけるのに四苦八苦してたなぁ。なんせ、入社1年少しで早くも転勤だから。こんなことも思い出した。ある夏の昼下がり民家の窓から流れてくるラジオの音楽が小柳ルミ子の歌う「瀬戸の花嫁」だったなぁ。一転東京の生活になり、翌年は関東の歌が流行った「神田川」とか。思えば僕の本当の仲間は歌だったのかもしれない。

4月17日(木曜日)
新橋に「魚金」という魚屋さん系居酒屋がある。この店で懇親した。この店のすごさは、料理の量が多いこと。今回の仲間は20歳代の人6人、何と彼等も食べきれなかった程だ。東京の店は高い、高いが中にはこうした穴場がある。当然満員で予約が必要、不便だが満足。少し前「船酔館」と言うこれまた量のすごい店を知ったばかり。その気になって探せばまだあるかもしれない。

4月16日(水曜日)
家に帰るなりいきなり息子からマツドコクサイのバトミントンの話をされた。松戸国際とは息子の通う高校で、クラブに何を選択するのかの話だった。前置きなしの話ではなんだか分からない。要は、運動クラブが少ないからバトミントンしかないのでこれをやると言う話。いままでずっと野球をやってきたから野球では?すると、どれだけ野球にセンスがないのか聞かされた。テニスは?女々しい。陸上は?向かない。卓球は?オタクだから嫌。そこで私に話がふられ、チチは卓球をやっていただろう?と聞かれる。中学校時代に少しやったと答えると。「やっぱり」。「なんでや?」。「おたくだから」との解説。オタクは軽蔑の一つであるようだ。

4月15日(火曜日)
東横イン淀屋橋南は最悪だ。406号室だったが、何と風呂やトイレを流す水音がずっと聞こえてくるのだ。配管が悪いと言うよりか、壁の薄い風呂の隔壁の間に配管を通しているためだ。この場所は合理的だが、こうした落とし穴がある。さて寝る段になって、夢の中に入りそうになると、水音で起こされる。頭に来るので目が醒める。眠れない。そこで、考えた末、ノイズキャンセル付きのヘッドフォンを持っていたな?と思い出した。さっそく音量を絞って全曲演奏を設定。なんと、世の中から騒音が全滅し静寂の世界が訪れたのだ。

4月14日(月曜日)
いしかわじゅん氏の漫画の評論を読んだ中で、漫画もストーリーなどがしっかりした長編ものはもう受けない。なぜなら読んでもらえないからだと言う。漫画でさえ頭を使うものは読まれないと言う日本人の学力低下が指摘されていた。そこへ、日経新聞の夕刊で漫画市場規模が掲載され2,200億円程度の規模になったようだ。かつて(95年には)3,300億円もの市場があったと言う。少子化の問題以上に日本の頭脳の縮小化が問題なような気がする。


4月13日(日曜日)
朝起きて散歩しようとしたら結構な雨。仕方なく風呂を沸かし風呂の中で汗をかいた。今日のメインは昨日仕入れた写真を動画ファイルにしてDVDに保存する方法。パソコンにインストールされているソフトを整理してみると、3本くらいあり、試していると半日が過ぎてしまった。デジカメがブームなのでこうしたソフトが出現したのだろう。写真にエフェクトをかけて、それに見合う音楽を入れていくと結構意味のあるムービーができあがる、時間がかかるのがおもしろくないが、できあがった作品を見るとはまりそうな気もする。いくつか短編の映像を作成して、一つのアルバムとすれば良いいだろうな。プールで3km。

4月12日(土曜日)
いくら寝ても寝たりない。朝飯を食った後、午後1時過ぎまで寝てしまった。それから秋葉原へ。最近パソコンネタが不足しているので、ぶらぶらと。まずはマイクロソフトのデモコーナー。WindowsVISATAのムービーメーカーの説明を受ける。客は僕一人だから懇切丁寧に説明してくれる。これはソフトの追加なく今すぐにでも楽しめる内容だ。ついでにデジカメの動画もこれに追加して楽しめないか相談すると、若い兄ちゃんが出てきて、動画の変換を教えてくれる。次にアドビのデモ、フォトショップエレメント6が使いやすくなった。早速購入。このサイトに掲載する写真は今までフォトショップ6で加工修正していたが、デジカメ用に特化したこのソフトなら時間が短くてすむ。職人さんが道具を使って加工した作業を、見習い工が機械を使ってプレス成形するみたいなもの。いろんな知恵を仕込んで退散。駅前では路上ライブがピークを迎えていて、おじさん達が歌手の卵に群がっていた(僕も含めて)秋葉原はいつ行っても楽しい。

4月11日(金曜日)
バーチャルとリアル
昨日は久しぶりに出演する女優にあったと言う話。どこかで見かけたことのある人なので、忘れっぽい頭で絞り出すと、夢の中にしか登場しない人であった。本当に久しぶりなので、「よぉ〜」と声をかけたくらいだ。その人の顔は醒めても鮮明に覚えているが、身の回りには存在しない人である。たま〜に夢にでるのだ。居酒屋の娘に扮している場合が多い。と言うことで、夢の中にもう一つの世界があり、現実の世界と、自分と言う人間でつながっている。どちらもほぼ登場人物は同じだが、この女だけがバーチャルだけの存在だ。こんなことあり?と考えてみて、心当たりがあるとすれば、先週から読んでいる書籍「2012」に原因がありそうだ。この本は、リアルで「ワイリー」と言う作家と、バーチャルで「マーティン」と言う考古学者の同一人物が、バーチャルの世界で侵入者と戦う物語である。すぐに感化を受けるのであった。

4月10日(木曜日)
寝過ごした。電車の中の話でなく、喫茶店でだ。しかも朝。いつもは6時20分の鎌ヶ谷発の電車で出勤する。東京駅には7時5分に到着する。そこから徒歩で20分。有楽町の駅前にある喫茶プロントでお茶を飲む。ところが、今朝は起きたときから目の玉が痛く、妙に疲れていたのだ。その所為か、喫茶店に入って座るとぐっと疲れがこみ上げてきて、本を開いたまま、うつらうつらして、結局10分ばかり寝過ごしてしまったと言うわけだ。これではいかんと、今日は早く退社した。帰るには少し早かったので、新橋の駅前にあるヤマダ電機LABIに寄り、カメラの手入れをするブロワー¥760円を買った。その後ポイントマシーンに通すと500円の当たりが出た。嬉しかった。これからもヤマダ電機で買おうと言う気になりましたね。

4月9日(水曜日)
昨日と同じ夢をみる。同じ場所だが、昨日のは川の水が浅く蛇が出てきた。その蛇をスコップで切った夢、今回は川の水が多く、少年たちが泳いでいるのを見るだけだった。大きな岩の上で見ていると、そこから落ちそうになり、川底までの高低差があまりにも高く、気分が悪くなった(夢の中でも気分が悪くなった)。川は赤野川で、大きな岩は芸西村の笹が森へ行く道中、この道を行くと中学生時代の友人小松啓二君に逢えるのだ。つじつまが合わないが、どんな夢もほぼ100%高知県の夢ばかり。夢心理学があるとすれば、きっとわかりやすい分析結果を出せるはずだ。写真は銀座、店内がおもしろい装飾をしているとのこと。

4月8日(火曜日)
昔、地球が誕生して、少し冷えてきた30億年くらい昔のこと。このころは火山の爆発で二酸化炭素が充満し地球が温暖化を迎えていたらしい。そのころの天候は低気圧が600ヘクトパスカル位あり、とんでもない暴風雨だったようだ。これに似た傾向は、現在あり得るようで、神奈川県にあるスーパーコンピューター地球シュミレーターがその予測をしている。それによると900ヘクトパスカルを切る台風がいつ発生しても不思議ではない環境下にあるようだ。その予兆みたいなものが今日の雨。今ごろとしては尋常でない雨で、合羽のズボンを履いて出勤した。神奈川県の藤沢から来ている仲間はすごい雨だったと言う。帰ってニュースを見ると土砂崩れの被害が発生していた。中国を中心に二酸化炭素の排出は急勾配で増加しているはずだ。

4月7日(月曜日)
今日こそはレンタルするぞ、と朝の出勤時に本八幡のレンタル屋に飛び込んだが、残念。まだ、宇多田ヒカルはレンタル中だった。なぜ、このアルバムにこだわるかと言えば、音をメディアごと最適調整していると言うのだ。まずは、アイチューンズでダウンロードした。次にはCDを借りてリッピングし比較だ。このためのレンタルだ。音楽と言えば、昨日なかなかいい音楽が見つかった。徳永英明のVOCALIST3。おじさんの青春の思い出が詰まった唄で構成されている。物悲しい徳永の声を聞いていると、80年代がまざまざとよみがえってくる。あの頃は寂しい青春を送っていたのを思い出す。今日は雨で、なおさら切ない感じになる。