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8月30日(日曜日)
昨晩ビールを買いに外に出ると結構涼しかったので、冷房を止め、窓を全開で寝たら、朝までぐっすりだった。大阪から自転車で僅か30分の所にある都心で、午前8時過ぎまで目を覚ますような大きな音がしない静かさがあるのがこの公団住宅の良さだ。少々入居費が高いが満足をしている。相変わらず食欲が無くて、朝もパンだけ。一体昨日の水泳で体調がどんなに変化したのだろうか。日中は残暑厳しい暑さだが、風は確実に涼しくなってきている。体は厳しいがやはり外国に出かけるのは気分が高揚する。この2週間情報武装もしっかり行ったので、後は出かけていって弾を撃つだけだ。
8月29日(土曜日)
新聞とカタログの取り込みを甘く見てたら結局午後1時までかかってしまった。それから、近くの、「咲くやこの花館」へ行って花との対面。ここと自宅とは自転車で8分程度、非常にアクセスが良い。今は夏休みなので小学生向けのイベントがあり、虫を食べる植物の特集があった。その後昼飯を食ってないが夕食に近い時間なのでプールに出かけた。プールで2km。ところが、ずいぶんと頑張ったのだろうか、プールから上がると先ほどまでの食欲がまったく失せているではないか。仕方なく、そうめんで済ませた。若いころ、冬場になると毎週スキーに出かけていて、スキーの初日が丁度こんな状態だった。食欲はないが、気分的にすごく飲みたくなった。というのは来週から2週間酒を飲めないのだ。飲むと英語が話せなくなるからだ(単語を思い出せなくなる)。帰国後仲間と浴びるように酒を飲む計画を立てた。
8月28日(金曜日)
インド出張の予定をつぶさに検討すると、9日にアメダバードで仕事を終えた後は、10日チェンナイまで帰らなくとも、ムンバイからシンガポール経由成田の便が使えることがわかった。土日もなく、早朝、深夜終業は当然の激動の8日間を過ごすので、最後のムンバイで飛行機の時間待ちとは言え休息の時間が確保できるのはありがたいことだ。テロは怖いがインド門だけは見てこようと思っている。週末の夜のこと、仕事が終わってから近くのマクドナルドに駆け込んで腹ごしらえした。ピリカラチキンセット630円。高い。いつも自炊をしていると、これだけの材料なら200円くらいだなと見当をつけた。それから難波のヤマダ電機に向かった。M氏は接客中で話ができず。では先に、インターネットの契約に行こう、できるだけプレミアムのあるサイトを選ぼうと相談するとNTTがポイント20,000円付加してくれると言う。さっそく契約だがよく聞くと、いろいろ入らなければならないものがあり、結局4,000円程はレスされる仕組みだ。旨い話には裏がある。そして、いろいろ聞かれるがその中にPCのOSや接続する機器の品番なんかもある。ルーター以降の環境は関係ないのに。結局契約に1時間ほどを要した。NTTもずいぶんと無駄なことをしているのだな、早晩NTTも苦境の波に飲み込まれるだろう。もっと効率化して利益を生むことができるとおもうのだが。後でM氏のいるフロアに行ったがもう帰った後だった。帰ってブレードランナーを観た。これは、結構深い内容のある映画として評判だが、僕は、アンドロイドが自我に目覚め、逃げ出して人間社会のなかに潜伏するのを、元警官である、ハリソンフォードが殺していくだけの単純なサスペンスとしか見抜けなかった。
8月27日(木曜日)
毎日同じ時刻に会社を退社して、午後9時前に帰りつき、ご飯をつくって、風呂に入り、歯ブラシと電動歯ブラシで2回歯を磨き、少し涼んで寝るのが10時半。これを繰り返す。そんな日々を送ると、体が楽ですね。これ、加齢の影響そのものですが。だがこの日の夜だけは、インド出張の準備があり、11時半に寝ることとなったら、これが眠れないんだなぁ。また、気温も微妙になってきた。エアコンを28度に設定すると寒くて目が醒めるし、29度だと暑くて寝汗をかく。写真の右隅におじさんが居て、この人がこの花を世話している。ひまわりも終わったので次に何を植えようかと聞かれたので、コスモスは?
8月26日(水曜日)
同じ日本人だが。
海外担当の人から日本の店を紹介してほしい依頼を受けたが、なんと彼は依頼をすると言うことは通訳も付けて、話す内容も事前に打ち合わせをしてくれていると理解してたようだ。一方、私は日本の感覚で、店を訪問すれば、いろいろ話すことはある、と解釈をしていた。お互い日程が迫ってきて蓋をあけてびっくりだ。これ、同じ日本人同士でもこんな祖語があるから、ましてや、外国人と本当のところで意思疎通をすると言うのは、相当ハードルが高いと思いましたね。文化の違いというのはこれから嫌と言うほど味わうことだと思いますね。今日は見事な夕焼け、上方の雲が良い仕事をしてくれている。
8月25日(火曜日)
ソニーファイナンスが一方的にエディーの取り扱いをやめる通知は知っていたが、一緒に付いているVISAも有効期限を待たずして廃止になる理解はしていなかった。それで、いろいろこのカードに回している決済が不履行となった。とりわけ、インターネットのソネットが止まってしまった。まぁこれもソニーだったので、やむを得ないかと思ったのであるが、当面はネットの恩恵が得られない。この件も含めてソニーは本体の経営が悪化するのに引きずられて、い
ろんな周辺対応が悪化している気がする。例えば、5月ごろに発売したBRAVIAはまだカタログでNEWの表示がある。デジタル家電は3カ月で寿命を終えると言うのにもかかわらずだ。今回のソネットは支払いの催促なしにいきなり回線切断だ。今ソニーは最悪のときにあるようだ。ストリンガー氏はこうした離れた人心をどうやって一つにまとめるのだろうか。下の写真は民家の庭先に咲く花。同じ花でも、撮影方向を変えると、上のような写真が撮影できる。今日の傑作でした。
8月24日(月曜日)
秋風が吹き始めた。
いきなり秋かよ。これなら、汗をかかずに出勤だ。昨晩はどうも体が重くプールを敬遠したおかげで今日は体も軽い。秋風に乗ってスキップしたいような気分だ。ラジオ基礎英語3とラジオ英会話。これを毎日暗証しているが、徒歩通勤で京橋の商店街に入る頃に、ラジオ英会話3を覚えこむことができる。帰りにもう一本だ。これを片道2本の速度に上げるのが当面の目標である。一本を覚えこむことができるようになったのは、7月始めの頃だった。
8月23日(日曜日)
エアコンの冷房にすっかりやれてしまい頭が痛い。何をするにも気力が沸かず、ただ一日を呆然と過ごした。今年の初リンゴが店頭に並んでいたので、早速勝ってジュースにして飲んだ。酸っぱかったが、呆然とした体には気持ちが良かった。少し本を読んでは眠りを繰り返したが、一向に体の不調は回復せず。
8月22日(土曜日)
今日は本を読むつもりで、家事を済ませて取りかかった。本の名前は「ど」。弓のような武器。印旛の国の百姓一揆にこの武器が使われ、攻めてくる侍達を撃破した物語。「七人の侍」は百姓が侍を雇う話だが、これは自分たちが武装した。夏季休暇で本を読む醍醐味を味わってからは、何もかにもがこちらにシフトするようになった。風通しは少々悪いが、窓を全開にして夏の読書を楽しんだ。夕刻プールに出かけ2.5kmこれはいささか疲れた。夜は大曲の花火大会を見た。ここはF氏と秋田県大曲にでかけ、本物を見た。花火を見て拍手したくなるのを始めて感じたのもここだったし、最期のフィナーレでは感動の余り涙が出たのも初めてだった。今回は涼しい部屋で照明を消して見た。見終えた後はすぐに寝た。実際の花火大会では帰るのが大変だった。すぐに寝るなんてとんでもないことだった。
8月21日(金曜日)
一緒に昔昇格研修を受けたメンバーの同窓会。勤め先が分かれてしまい、定年になった人もいる。が定期的に連絡があり飲み会を開催している。お互いに利害がないから集まれるのだろうか。今回は梅田で一番の魚を出す店との事前連絡だ。少々の出費はやむを得ないのかな。と覚悟。駅前のampmでマイレージをエディに交換して、店のある第1ビルに急いだ。ところが、この店は単なる居酒屋だったのだ。メンバーが集まると、奥さんや、ご主人が挨拶に来て、魚に関してはえらくこだわりがある感じなのだ。そして出てきたヒラメのお造りは高級料亭そのもの料理。1万円は覚悟がいると思わせる味でしたね。煮魚はほうぼう。仕上げにハモの雑炊。これで、一人4,200円。いやぁ参りましたね。店の名前は湯浅港。和歌山県から毎日通ってきているとのこと。大阪の中心地なのに奥さんのすれたところがない接客が好感だった。
8月20日(木曜日)
今日で3日目。毎朝起きるのがつらい、そして徒歩通勤もつらい。それで、毎日リポビタンDを飲んでいる。気のせいかも知れないが、これを飲むと勇気が出てくる。夕刻会社を出たときに涼しい風。秋を感じた。一雨毎に気温は下がるのだろうが、その一雨が来ない。部屋の温度は33.4度。今週はいろいろと録画する番組が目白押し。しかし、HDDは一杯と来ている。そこで、番組を編集して、タイトルを変更し、圧縮をかけて、適当な組み合わせでBDにダビングしている。こうしてできたディスクが160枚ケースに7巻になった。1,120枚。毎日6時間見るとしても、1年くらいは必要だ。見るよりも撮る方が多いというのは、いかがなモノかと思いながらせっせと録画に励んでいる。タイトルもパソコンで打ち込んでいるので、この時間を考えてもずいぶんと余計な時間も使っている。
8月19日(水曜日)
暑い。部屋の温度が33.7度ある。休暇前は33度を超えなかった。いよいよ暑さのピークを迎えている。そこへ持ってきて、選挙カーのウルサイがなり音。午後8時は終了する約束なのに共産党の宣伝カーは3分ほどオーバーした。約束なんかは破りますと身を持って実証しているようなもんだ。京橋の商店街で姉が小学6年生、弟が小学3年生くらい、この2人がかいがいしくも野菜店を切り盛りしている。両親の留守の間のお手伝いなのかどうかは不明だが、弟のほうはずいぶんと商売慣れしている、スイカを買ったが、どれが旨いかをアドバイスしてくれた。割れている方が甘みがあっておいしいよ。姉の方は、商品を並べるのに忙しそうだった。4分の一カットが200円だったので買った。ここから徒歩40分なので買った後に後悔した。
8月18日(火曜日)
妙に体が重い、夏休みの間に楽をしたためだ。運動らしきモノしなかった。体が鈍ってしまい、その上に飲み過ぎたから相当悪いコンディションにあるわけだ。メールも相当溜まっていると思いきや、そこそこな量で、夏休みの間に世界は動かなかったというわけだ。ぼちぼちと片付けていこう。
8月17日(月曜日)
午前7時の南風4号、ごめん発の列車で岡山に向かう。道中「キングダム・オブ・ヘブン」を観た。エルサレムを守るキリストと、そこを取り返したいイスラムの戦いを描いた物語。守るのは十字軍、この中心になる人が「オーランド・ブルーム」だが、パイレーツ・オブ・カビリアンの役者イメージが強くて、役に徹しきれてないような感じなのだ。例えば、エルサレム攻防戦のリーダーなのに、重みのある動きができてない、一人の優秀な戦士としか見えない。彼にはこの映画の重さを背負えるキャラが不足しているように思えるがリドリースコット監督は彼を重要視しているようだ。また、エルサレムの女王役にエヴァ・グリーンが妙齢な美女として登場する。この人は僕には強烈な音楽のイメージを残した映画「雨の訪問者」で、登場したマルレーヌ・ジョベールの娘だそうである。この女王が映画の筋を左右する台詞を言う。ここから、話が大きく変転する。この映画は、物語よりも音がスゴイ。地を這うような低音が随所にちりばめられている。この地では2,000年ものあまり戦いが続いていて、今でもエルサレムのあるイスラエルは不毛な地である。人の中にある闘争心の部分が、この地で異様に発達したためだろう。何かがここにある。一度自分の目で確かめてみたいモノだ。さて、岡山駅では50分ほど待ち時間があり、外に出て少し散策した。魚市場があったので一巡したが、とりたてての事はない。帰り道、名物ちらし寿司(530円)を買う。見るからにおいしそうだった。その帰りビックカメラによって、プリンター用紙の在庫を見てもらおうとするが、なかなか埒があかない。たかが在庫の確認ですが。結局あきらめた。このような対応がビックカメラでは許されるのだろうか?まぁ地方だからかな。駅正面にマクドがあったので、そこでコーヒーを買った。なんと、ここの人、コーヒーはアイスですかホットですか?「ホット」持ち帰りですか、ここで飲みますか?「持ち帰り」お砂糖と、ミルクはどうなさいますか?「ミルクのみ」。ここまでは普通の店と同じ。何とここで奇妙なことが、コーヒーの蓋を開けてミルクを全部いれて、再び蓋をして、ハイどうぞ!と来た。あっと言う間もない出来事。僕はコーヒーはブラックで飲むが、おいしく感じられないときのためにミルクをもらう、それが何としたことだ。新幹線で先ほどのチラシ寿司を開くと、大きなエビは縦半分に切ってあり、2匹とおもったのが、一匹だった。せこい。岡山での珍事3点セットで、この街には余り足を踏み入れたくなくなりましたね。
8月16日(日曜日)
妻の兄の家に法事のお供えを持って訪問。彼は現在失業中。今までフランス料理店に勤めていたが、景気後退と、高知市の商業ゾーンが、帯屋街から、イオンモールに移ったことによるダブルパンチで、帯屋街に構えた彼等の店は立ちゆかなくなったのだ。アドバイスは失礼に当たるので近況を聞くのにとどめた。高知県では仕事が見つからないようだ、だがあまり悲観はしてないので、何か魂胆はありそうだったがそこまでは聞かなかった。僕にも案はある、千葉の家は僕が居ない分だけスペースがあるので、ここに住み仕事を探したらどうだろうか。どうせ、僕は千葉に帰る予定はないのだから。と思うアイディアだが妻や子供が受けるかどうか何とも言えない。墓まいりも済ませやっと本を開いたのが11時。これから午後4時まで読書。本を開くとすぅーとその中に吸い込まれてゆく。時を忘れる。これが僕の望む一番の幸せだろうか。夕刻プール2km。夏季休暇は不摂生で腹が出てきて苦しいが幾分すっきりした。しかし、大阪では厳しい調整の時間が必要だろう。
8月15日(土曜日)
早トチリの典型的な事例。今日から読み始めたの「極北クレーマー」。これは山の物語で寒さと戦いながら登攀する物語、と勘違いして買った。何で勘違いしたのか想い出すと、これは浜松町の本屋で買った本だ。F氏と待ち合わせをしたのに、なかなか現れないので、つい本を物色し始めたのだ、ところが、彼は電話に伝言を残していたのだ。それで、あわてて買ったのがこの本。本書はとある北海道の田舎にある市民病院で、大学病院から研修のため2年を任期として赴任した今中先生の物語だった。赤字経営に苦しむなか、経営を立て直そうとするが、いろんな事件が起こり病院は閉鎖される羽目に。ほのぼのとした、ファミリードラマだ。読書タイムは昼まで。午後は切符を買いに南国市まで行く(田舎ではJRの切符を買うにも1時間かけて駅まで出かけなければならないのだ)、その後、散髪をし、妻の実家の墓参り。さらには45分かけて安芸市へ魚を買いに。この安芸市にある、「寺尾の魚屋」は、寂れた商店通りの中、唯一にぎわっている店で、近郊の客を集めている。これはスーパーで絶対できない商売。その一つは新鮮さが違う。二つ目には種類も多いが、とりわけ近海ものが多い。魚種は安定してないが珍しさがある。その三は調理を教えてくれる。ここで買った魚をオジサンところで料理してもらい飲むのだ。おじさん所では、今日新米を刈り取った記念で多くの人が集まっていたが、とりわけ親と一緒の男の高校生が3人もいて、ずいぶんと汗くさかった。これを采配するのが26歳の娘のリミ。あとは、農協の谷岡さん、すっちゃんくの息子のユウキさん。コウソの誠一さんとその妻アイコさんだ。話題は高校野球と、鮎の釣り方、農機具の扱い方。僕には異次元の話ばかりだ。ついてゆけない、しかし料理は珍しいものがありこれをネタに少し話がはずむ、とにかくおいしく頂いた。自慢の鮎の酢漬けはずいぶんとお薦め頂いた。外国でも自慢の料理はずいぶんと薦められる、そして進める人はあまり箸をつけないのも共通だ。いつも食っているからなのか。まだ道路がほのかに明るいうちに自宅にたどり着き、映画「マンマ・ミーア」を観た。この映画はメリル・ストリープが大活躍するミュージカルで、アバの音楽が使われている。タンシングクィーンなどは、46cmのウーハーが大活躍して楽しく見せていただきました。この歌にはインドのボリウッドダンスが採用されています。007のボンド役「ピアース・ブロスナン」が歌を歌って、父親役をするのは一寸どうかと思いましたね。全然似合わない。しかし、最後、メリル・ストリープと結ばれる筋書きは007を彷彿とさせ役柄がここでぴたりとはまったような気がした。
8月14日(金曜日)
12時間も寝ると酔いはどこえやら。犬の散歩にゆくと、都築さんと海岸で遭う。予定変更になった昨日のスケジュール、今日の10時にお見舞いにゆくそうだ。それまでの時間ミレニアム3下巻を。この本のストーリーは複雑で僕の筆では表現できない。5つのストーリーが同時進行して事件と裁判と報道が展開される。こんな面白い本は近年なかった。作者はもう亡くなっているので、この本でしか楽しめない。お見舞いは2台の車で出発した。一台は川竹さんの車の返却。もう一台は本命の車。無事車を届けて高知市北部にある病院へお見舞いに。病院はお盆休みで清掃作業に入っていて、ベッドを廊下に出して室内をワックスがけしていた。めぐみおばさんは割と元気で、僕らを見るなり感激のあまり泣き出した。日ごろは一人で寂しくしてたのだろう。94歳。僕と都築さんは近所でも間違えるくらい似ているらしいが、このおばさんはそんなことはない。「なんちゃぁやるもんがないね」。いつもこのおばさんは、何かお土産を持たしてくれる癖がある。それは患っても関係ない。しばらく昔話をしたあと、近くのイオンに向かった。ここで買い物と、食事をした。高知の中心地は帯屋街だが、いつの間にかイオンショッピングモールにお株を取られていた。南国では涼しくて買い物ができるモールが快適だ。帯屋街のアーケード街は暑いからすたれるのも当たり前だ。食事は回転寿司。エビが旨かった。帰りついてまた本にかじりついた。母は整形外科でもう一度検査してもらい、転んだけがは大したことはないので痛くても動かなければならないと先生の診断。一応この問題の峠は超したようだ。久しぶりに千葉の家族に電話。地震で揺れたそうだ。今回の揺れは長かったとのこと。妻は1週間後に高知に帰ってくるようだ。法事らしい。数カ月ぶりに妻と会話らしい会話。
8月13日(木曜日)
朝早くから友人の都築さんから電話。めぐみおばさんのお見舞いに行かないか?このおばさんは都築さんの母の姉にあたる。いろいろお世話になった人だ。行くと答えて、間もなく、川竹さんと都築さんの訪問を受ける、あれぇ?お見舞いに行くのじゃなかった?回答はなく、ただだらだらと過ごした、とりあえず、「ランボー最後の戦場」を上映し、みんなで観た。そして、支度をして、都築さんの家で合流となったが、なんと訪問すると酒盛りが始まっていた。もう、今日のお見舞いは中止らしい。いつの間にかスケジュール変更になっていた。まだ昼前なのにビールの缶が相当空いている。理由を尋ねると、のみたいきに。それじゃ家で飲んでも面白うないろう。それで、海岸に出て飲むこととなった。ここの海岸はいずれ世界遺産に登録されるだろう。多分そのはずだ。潮騒をバックに風に吹かれて飲むビールは心地が良い。時々ハマナスの香りが届いてくる。何を話したのか、みんながどんな境遇にあるのか余り話さなかったような気がする。ただ、ただ、飲んだ、延々6時間。もうふらふらで家に帰った。シャワーを浴びて寝たのが7時。まだ明るかった。年に3度はこのような酒を飲むようになったおじさん達だ。
8月12日(水曜日)
何もなければ今日もよさこい祭りへ出かけていただろう。ところが、昨日買った「ミレニアム3」によって休日の過ごし方が一変した。まずは読みかけの「鷺と雪/北村薫」を読み終えて、この本に取り掛かったのは昼飯を食ってからだ。芸西村図書館は家から自転車でほんの5分の距離。村役場の隣にある静かな避暑地だ。管理人さんともすっかり仲良くなりゆっくり本が読める。ミレニアム3はノッケから事件が急展開息つく暇なく午後5時の閉館。それから犬の散歩。夕食の支度。大阪でも自炊だが高知でも、母が寝込んでからは采をつくり、ご飯を食べて食器を洗う。単身赴任は将来一人住まいが予測され自炊を続ける覚悟があった。だから、田舎でも違和感はない。多くの人はなかなか自炊が続かないのはやっぱり妻に対して甘えがあるからではないかと思う。僕の場合はその呪縛からは切り離されましたね。午後7時過ぎ離れの自分の部屋に入り、再びミレニアム3を読み始める。一種の病気にかかったようだ。
8月11日(火曜日)
きっぱりと晴れわたった台風一過だ。準備してあった機材を自転車にセット。カメラ4本はさすがに重く、空気圧を8kgに。おっとその前に犬の散歩だ。ところが、ちょっとの隙に犬が逃げ出してしまい、探す羽目に。近所のオジサンが犬は賢いから「自分で帰ってくらぁよ」。と言ってくれた、しばらくするとほんとに帰ってきた。僕と散歩すれば遠くにいけるのに、自分で行くから家の近所しかいけない、真にもって浅はかだ。どうもこの犬は、僕の性格とよく似ているようだ。9時前に出発。自転車は快適に風を切って進む。気分爽快だ。汗もあまりかかない。だが、大事をとって高知市の手前のマクドで休憩。よさこい祭りの撮影は知寄町だ。昨年は有料の大手筋で行ったが、TVクルーが邪魔で肝心なところが撮影できないで失策に終わった。では、このTVは旨く撮影できているかと言えば実に下手だ。よさこいは踊りが激しいのでカメラは動かさないほうが真実の迫力を映し出せるのに、カメラが動くものだから見ている方もつかれるし、カメラの動きに踊りが相殺されて、つまらない撮影に終始するのだ。日ごろニュースの現場などしか撮影しない地方のカメラマンにもっと映像文化を勉強しろやと言ってもせんないことだが、せめて映画ぐらいは見て自分の職業にどう生かせるのか考えたらどうかと思いましたね。踊りは、いきなり十人十色が登場しました。このグループは飛びぬけている。よさいこいは自由な踊りが持ち前だが、あまり難しい御託や、意味の掴めない抽象的な語彙を並べて、動きを止める手法が芸術的だと誤解している振り付け師が居るが、この十人十色は、そこのところを十分わきまえてダイナミックな踊りを披露する。人の手や足の長さは一緒なのに、このグループのダイナミックな踊りは手足が伸びきって大きな踊りに見せる。持ち込んだカメラは新しく買ったGH1。ところが、写真についてはまるでダメだった。一つはファインダーも液晶なので、動きのある踊りはシャッターを切ったときはもう次の動作に入っている。それを見越して連写で挑戦したがほとんどが失敗。ピントが合うのに遅く、フェンダーでタイムラグだから、踊りには適さないことがわかった。また、顔認識は時々しか働かない。そりゃそうですね、踊りに合わせて頭は動きますから。それから、ISOの自動も全く用をなさない事が分かった。激しく被写体が動いているのに、ISOは100のまま。多くが被写体ぶれを起こしている。更に測光が弱い。太陽光が差すコントラストの強い写真は、ほとんど黒つぶれ。このカメラは、コンパクトカメラのような被写体、つまり、余り動きがなく、広角で撮影するようなシーンに合うような気がする。そして、背景が少しぼける一眼の良さ。これがGH1のカメラ部だと思います。GH1で踊りに挑戦するには、動画ですね。こちらの評価は、液晶で見る限り、なかなかのもの。ただ、バッテリーの心配がある。もう一台のカメラはハイビジョンムービー。こちらは使い慣れていることもあり、盛り上がりは大体押さえられたと思う。DVDムービーなのでひ弱な三脚を使ったため、モーターの回転でカメラが揺れてないのかだけが心配だ。静止画はキヤノンIOS20Dで撮影した。こちらは300mmの手持ちだがIS付きのレンズなので、手ぶれもなく、いくつかチャンスをモノにできた。帰りに宮脇書店によると、何と「ミレニアム3」を売っているではないか。これは夏休みの計画を大いに変更せざるをえないことになりそうだ。この本は一度開くと閉じることができない魔力があるのだ。<800カットの中でこれ一枚しか>
8月10日(月曜日)
こんなに降ってえいろうか?と言うほど雨が降った。NHKのデーター放送でレーダーを見ると、赤の強雨の部分は昨日から徳島から離れない。高知よりも徳島が降っているようだ。そして、ニュースでは徳島の被害が報道されている。ここ芸西村も時々赤マークとなっている。腰を強打した母はやっとのことで病院にゆく決心をした。歩けないほどの痛みなら救急車を呼んだらと言うが聞く耳を持たず、痴呆と我がままとで大変だった。入院の用意もして行ったが、夕刻には帰ってきた。骨折はしてないようだった。よさこい祭りの撮影はこのこと、と、まだ天候が不順なこともあり今日は断念した。おかげで読みかけの「出星前夜」を読み終えた。この島原、天草反乱は終盤にさしかかるほど悲壮感がましてくる。天気の悪い中ゆっくりと本を楽しんでいる気分ではなくなってくる。そう言う重い内容だった。今夜の映画劇場は「ワルキューレ」ヒットラー暗殺をたくらんだ物語だが、こちらも終盤にさしかかるほど悲壮感がましてくる。こちらは暗殺失敗だ。どうも重い。口直しが必要だ。福山雅治ライブを。オープニングにプログ風のメッセージが流れる。冗談と感謝の織り混ぜだ。歌には馴染みがなく入り込めないが、何となく見るには良いかも。
8月9日(日曜日)
昨夜から降り始めた雨は次第に激しさを増し本格的な土砂ぶりの様相を呈してきた。NHKのニュースによると熱帯低気圧がこちらに向かっているらしい。離れから母屋に行くだけでもずぶぬれだ。母が、昨日病院で転んだ痛みでおき上がれない。救急車を呼んで病院に行くか聞くが、寝ている方がましだと言う。骨でも折れていると大変だと言うが、構わんでくれと言う。そして、雨はますます激しくなる。まぁ今日はじっとしておこう。持ち帰った書籍「出星前夜」を読み始める。1612年島原に起きた松倉藩の圧政に耐えた領民の反撃物語である。最近目の衰えなのか読む速度が遅くなり、半日で250ページ進んだ程度である。あすはよさこい祭り、雨の心配さえなければ撮影なので、本は一時中断だ。夜はジョン・ウー監督の「レッド・クリフ2」を観た。孔明の作戦がまんまと当たった戦いを描いた物語で、書籍と違うのはしゅうれいの美人の奥方(小喬=リン・チーリン)が戦いを遅らせる役目を果たしたことだ。日本の大原麗子に似た美人だ。長編大作だが、流行の病気扱いの部分で妙に間伸びした。だが戦いの部分は46cmウーハーが立派な働きをしてくれた。夜になると再び雨が降り始めた。高知の雨は半端な降り方ではない。あすの祭りは無理かもしれない。
8月8日(土曜日)
朝4時半に起床、6時の新幹線で四国に向かう。あいにくと座席が残っているのは、早朝の便しかなかった。ヒカリレールスターはAC電源があるのが良い。充電をしながらこの文章を打ち込んだ。大阪駅から南国ごめんまで3時間半。飛行機を使うと2時間半。約1時間の差だ。伊丹空港が夏休みのため少々混雑していると、この差は限りなくゼロになる。そして列車の良いところは、DVDが見られること。と言うことで、昨夜録画した"地球が静止するとき"を見た。地球はこの宇宙の中でかけがえのない星だが、このままだと地球がほろんでしまう。それで、飛来した宇宙人は地球を救うと言う。人類を救うとは言わないところが味噌。その宇宙人は人類の格好をしていて妙に違和感がある、それはマトリックスの「キアヌ・リーブス」だからだ。彼はマトリックスから抜けられない。また、アメリカ大統領の代わりとして登場するのが、肥えたおばさん「キャシー・ベイツ」。何で、大統領の命令をこのおばさんが代行するのかよく分からない設定。ここに、大統領(男性)を登場させても何ら物語の進展に問題はないはずだ。あのおばさんを起用しなければならない理由が不明だ。そしてこの映画を滑稽にしているとしか思えない。高知に帰り、犬を散歩に連れ出すと、近所の奥さんが子供2人を呼び出して、この犬に盛んに触る。わが家の犬はほんと、撫でまわりたい気持ちにさせるくらい愛らしさがある。これぞ、ペットのペットたるゆえん。しかもこの犬はそうされることに慣れている。今度は小さい方の女の子が、自分ところの犬のことについて教えてくれる。こちらもペットのようにかわいい。暑い散歩の後、高知に出かけた。ヤマダ電機とベスト電器に勤めているヘルパーさんに会うためだが、どう言うわけか留守だった。ついでにデジカメのバッテリーの価格を聞くと、ヤマダ8,500円、ベスト7,300円。ポイントがあるとは言えヤマダは高い。買い物はやっぱり足を使って調べなければわからないことがある。夕飯はオジサンところに出かけた。午後8時ごろ家に戻ると、父が僕を待ってたらしく遅い夕食を食っていた。僕は出かけるときに母に伝えたが、全くその伝言はなかったらしい。もう覚えることなど期待できないほどボケが進んだ。
8月7日(金曜日)
出発前夜
昨晩は相当飲んだと思ったが、名残なく起きられた。ビールだけの酔いは浅い。今日から夏季休暇、田舎に帰るまでにどうしても済ましてしまわなければならないことがある。新聞と雑誌の切抜き整理だ。溜まりたまって、4月ごろからの分がある。スキャンしてHDDに保存する。なぁ〜に軽いさ、と甘く見ていたら一日かかってしまった。それからDVDのレンタル。この休暇に見る映画をバックアップする。自転車で京橋に出かけ切符を買うこともしなければならない。そんなことをしてたら22時を超してしまった。仕事をするよりも忙しい一日だった。友人のF氏は山の頂上に居るはずだ、電話しようと思っていたらいつの間にか夜も更けそのままとなった。
8月6日(木曜日)
カクも盛大なパーティーについて
この夜、ウイン企画20周年記念パーティーが道頓堀のホテルで開催された。うちわのパーティーだと聞いていたが、なかなかどうして総勢70名を超える大パーティーだったのだ。来賓のあいさつの依頼を受けていたので、一応原稿を作成して臨んだが何と同じことを、この会社の社長が冒頭に話してしまったのだ。焦りましたね。パーティーは内勤のスタッフが趣向を凝らしたもので、これでもかこれでもかと次々に注目ポイントがあり楽しかった。もうここに集う一部の人ぐらいしか知った人が居ない。会社の業用はすっかり変わり成長を遂げたのだ。情報企画課のある女性が、この部署に配属されやりがいと豊富を語ったパートでは、感動しましたね。一人の人間がこの仕事に賭けるというのだ。この社長のマネジメントのどこがそうさせたのか?仲間内の会社だったはずなのに。まぁそんな変化がないとカクも大きくはなりませんが。昔の名残は日本橋の販売店の面々がいて、懐かしい会話ができたこと。商売でずいぶんとお世話になった人も、仲間として会話ができる。それに病気で休職中の角川さんが元気に話ができるようになっていたこと。酒まで飲んでいたこと、などうれしい限りだ。正木さんがカラオケの伴奏をギターでやったこと。酔っぱらいの吉田さん相手に歌い出しのスタートを何度も繰り返したこと。歌わせができてないと言い訳しながらも、あの音程では、歌合わせなど関係なかっただろう。それにしても正木さんのギターが旨いのには参った。仕事を変わっても食っていける。最後に、これから、主権をバリバリの女性に移行しようと思うと締めくくった。派遣会社のTOPの多くは女性が務めており適任だと思った。これから、ウイン企画は本格的に成長してゆくと思う。帰り際、山崎さんをつかまえて北浜で軽く一杯。写真は社長夫人。
8月5日(水曜日)
二日続けて事務所をあけるとメールがどうなっているのか不安。海外から来ている人たちはどうなっているのだろう?と聞くと、少し大きめのブラックベリー(カナダ リサーチ・イン・モーション社)携帯電話で見ているようだ。なかなか格好が良い。このような工業製品のデザインや高機能は日本のお家芸だったが、いつの間にかお株を外国に売ってしまったようだ。2000年の国内のリストラは、いろんなカタチでノウハウが流出してしまった。そして開発期間を含め2〜3年後に製品化され、日本の企業はしっぺ返しを受けている。そして、そこにグローバル化がやってきた。一気に開発して、収穫するスピード経営がグローバル時代の経営ノウハウだが、日本の企業はまだ、このことを十分理解してなく、慎重に慎重を重ねて過剰品質の製品を開発しているように見える。高機能携帯電話は日本が独自の発展をしたかのような記事が多いが、スマートフォンに見られるように、世界の舞台では全く日本の携帯電話は高機能化の分野でも歯が立たない。もう少し様子を見てからの事なのか。話はそれてしまったが、メールは明日まとめて見るとして、夕刻久しぶりに懇親だ。女性二人を伴って関目にある、高級割烹へ、この店は、以前F氏にご紹介を頂いた。魚がなかなか旨い店なのだ。話の中心は、右手にいる若い女性の彼氏について。酒の肴としては格好の話題ですね、この職場では相当できる男性が自由に采配を振るっている、そんな姿を日頃見慣れていると、市中にたむろする男性では物足りなくなるようだ。まぁ楽しい飲み会でしたね。
8月4日(火曜日)
朝早く目が覚めてしまった、夢の中で英語で話し掛けられて意味がわからず考え込んでいたら目が覚めてしまった。苦しい目覚めだった。セミがやかましく鳴くが、鳴き始める時間が5時50分頃だったものが、今日は5時15分ごろから鳴いていた。いよいよ夏のピークを迎えているのだろう。部屋の温度も32度。今日もきっぱりと晴れていてまぶしい光があふれていた。今日は朝から出張、駅の喫茶店でお茶でも飲もうか?と仲間と待ち合わせをしていたが、何とJRの事故で遅れに遅れて約束の時間には到底及ばない時間に着いてしまった。仲間にはメールを送ろうとするが、I-PHONEでは思うように文字が打てなくて失礼した。日本ではこの電話機に人気が出ないのはここに問題があるような気がする。それに静電タッチパネル方式の操作は、誤操作を誘発しやすく、誤操作はお金のかかる方向に常に動作する。例えば、電話の履歴などを見ようとすると、リダイヤルになってしまう。この電話をいろんな物に使えるからと評価するには月に10,000円を覚悟する必要がある。大変難物の電話機である。
8月3日(月曜日)
今日の感動は焼魚だ。前にも書いたと思うが、電子レンジでホッケの開きを焼くことだ、自動できれいに焼き上がる。それが余りも見事であるからだ。しかも非常に美味である。魚は炭火で焼くのが一番だと思い込んでいたが、蒸気で焼くのもなかなか乙な物。そしていつ焼いても仕上がりが一定と言うのもいいですね。こんなすごい商品を商売ネタとして使えるのはすごく気持ちが高ぶりますね。満足な食事の後は急速に睡魔が襲ってきた。今日は市内の出張があり、万歩計で2万歩をカウントした。ぼくの持つ総エネルギーが一日当たり2万歩前後だと思うから、今日のエネルギーをすっかり使い切ったわけだ。
8月2日(日曜日)
昨日カメラを4台担いで歩き回ったら、腰を痛めてしまい、昨晩はうなされるほどの痛みを覚えた。フィリピンへ行ったときの後遺症だ。湿布と一晩寝ることでやっとの事で回復をした。が、まだ妙に痛みがあり、布団に横になって北村薫の「鷺と雪」を読んだ。直木賞。昨年の、悼む人が余りにも良かったので、今回も期待したが、なかなかでした。昭和初めの頃の令嬢の話で、文章に気品が感じられる。どちらかと言えば地面を這うような生活をしてきた自分としてはこうした高貴な文章とか生活を見るのは興味深い物があります。軽いサスペンスのような物語の展開があり、2.26事件で終わる。全部で3部作であるが、最後のクライマックスから読んだ。午後、腰痛の回復にプールへ。こちらのプールは夏でも多くの人で混雑しないこと。そこでいつもの速度で泳いでいると、おばさんの人が後をついてきた、大概20往復もすれば離れるのに、今回は50往復目でも振り切れなかった。おかげで普段でないタイムで(1時間)泳ぎ終えた。習志野のプールでも僕のように長距離を泳ぐ人は2人しか居なかったのに。こういう人は、自分の格好の標的を狙っているのだ、僕はいい鴨となったのだ、次回も同じような事が起きるので時間帯をずらすことがポイントだ。フィリピンのみ写真掲載しました
8月1日(土曜日)
京都行き
早起きして京都に出かけた。天候は晴れていて駅までの15分で汗だくだ。眠っている間に三条へ。ここから北山へ、いつも思うのは京都の地下鉄ほどわかりにくいものはない。例えば地下4階位の深さで、西とか東とか方向を示すアナウンスをしている。地元の人でも、おそらくエスカレーターの乗り換えをしている間に方向感覚はなくなるのではないかと思うのだが。北山には府立植物園がある。駅を降りた途端に大雨。入場はしたものの、しばらくはビニールハウスで休憩だ。雷が鳴り、真っ黒な雲に覆われての雨だから、カメラファンもカメラにビニールシートなどをかけて防水していた。30分位待ってやっと小降りとなった。約1時間降り続いたようだった。目指すはこの奥にある熱帯植物園。この中で、昨日買ったGH1のデジカメ性能と、ムービー性能を試すのだ。まず、デジカメ性能だが、比較したのはEOS20D。購入したときが3年ほど前なのでエンジン性能の差でしょうね。ずいぶんと色が違う。自然に近いのはHG1。それに解像度も切れのあるレンズと言う感じ。EOSは幾分センサーが広いので、GH1よりは絞り込まないと同じような解像感は得られないかも知れない。次にムービー性能、こちらの比較はパナソニックDX3と言う、これまた3年ほど前のフルHDムービーだ。このムービーと比較をすると解像感はDX3が高く、発色はGH1が良かった。ただ、リモコンスタートとか電池の持ち具合などムービーとして使う分には、やはりムービーの方に部があるかなと言う感じ。また、HG1のムービースタートはボタンが重たく、三脚を使用したが、ボタンを押し込むときは画面が揺れていた。
7月31日(金曜日)
珍しき人
今日は上司からのお誘いがあったがあまりにもやることが多くてお断りした。まずは、日本橋にゆき安価なSDカードを求めること。この夏季休暇用だ。次にHG1と言うデジカメを買うこと。これは、会社からの強要だ。次にLAVIを訪問しM氏の接客を見ること。予定表を見てなかったが旨い具合に居た。見ていると彼の接客は旨い。特に女に強い。女の客は彼の接客を待っているようだった。そっと近づき耳をそばだてると聞こえてくるのは、選択するのはあなたです。と言う軽い突き放し。欲しがると逃げて、欲しがらなければやってくる心理をついたものですね。みんなができる手法ではない神業。帰りに難波王将に寄った。王将は連続増収増益の好決算をたたき出している。理由はボリュームがあることと、店によってメニューが違うことと思う。入りたての中国人が一生懸命仕事を覚えようとしていた。おばさんがマンツーマンで教え込んでいた。だが彼はなかなか覚えきれない。しかもおばさんはコテコテの大阪弁だ。インド人の英語と同じだ。彼は聡明そうな顔つきだったが、小回りが効く方ではない。帰ると名古屋のH氏から久々のメール。松田聖子が青いサンゴ礁でデビューした頃からの付き合いだから、24年になる。なぜ松田聖子かと言えば、刈谷の市民会館に彼女のコンサートを見に行ったからだ。H氏は気のあう人で沖縄にも、土佐カンにも行った。そしていろいろと教えを乞うた。僕のようなひねくれた人間が教えを乞う人と言うのはあまりいない。と言うことで今日は一日の間に2度も珍しい経験があった。
7月30日(木曜日)
嘘のようなホントの話
熱帯の国から帰ってきた。胃腸の弱い僕としては異様なくらいおなかを壊さなかった。いろんなものを食ったのだが。その熱帯にはエアコン商戦があるとのこと。日本と同じように3カ月程度らしい。熱帯に夏が存在するというのだ。3月から5月が熱帯の夏。それ以外は過ごしやすい夏だと言う。いつでも熱帯と思っていたら違うらしい。したがって、食べ物も季節によって幾分か変化するようだ。ほとんどの国が食糧自給率100%を超えているので、食べ物は豊富。だから、微妙な変化はあるものの、あらゆる種類の野菜や果物が年中ある。僕が引かれるのはトウガラシ系の野菜。あの緑色には思わず手が出てしまう。喫煙する人が食後に一服する、あの感じです。そして、このトウガラシはびっくりするほど辛いものもあるが、大概ピーマンのような味。そして、これを食べると妙にすっきりするのです。熱帯に居た延長上で、こちらで自炊の時もピーマンを必ず選びます。最近は満願寺と言う、ピーマンより幾分細く長く緑が濃いのに凝っています。こちらに来てもうすぐ1年になるが全て自炊で生活している。3ヶ月で自炊はあきらめると言われたが、まだ続いている。
7月29日(水曜日)
大変な天候に
真夏の日本に帰ってきたかと思ったが、ずいぶんと大雨が降り九州では甚大な被害が出ているとのこと。地球シュミレーターがはじき出した2050年の地球の天候は、巨大ハリケーンと、干ばつのメリハリがつく地域がいくつもできると言う。温暖化に対しては、政治的な駆け引きが展開されているが、中国を含む低開発国の車から出される二酸化炭素は想像を絶する規模だ。流暢なことは言っておられない段階に達したと思うのだが、いかがだろうか。この天候も、低気圧がとうのこうの話ではなく、地球温暖化がもたらしていると考えたが良い。僕のようにまだアジアの一部しか知らない人間でさえ思うところがあるから、政治の上層部の人たちにはもっと深刻な情報が入っているはずだ。だが、それは公表されない。マスコミもあえて探ろうとしない。これでいいのだろうか?人類は先のいろんな悲観的なものに蓋をして今を謳歌しているような気がしてならないのだ。もちろん僕もその一人として地球資源を他社よりも、もっと使っていただくようなプロモーションを行っている。それで家族を養っている。そんなことを思うと夜も寝むれない。
7月28日(火曜日)
5時起床。9時の飛行機でマニラ経由関空に向かうタイ航空にのるのである。今回は思わぬ出費がありお金がなく、ホテルから空港までのタクシー料金は宿泊費に含めてもらった。こうするとカードで支払える。馴れはあるとは言え、心細いものがある。タクシーはホテル契約のボルボだった。100kmで2,500回転。ずいぶんと回している感じを受けた。路面状況を知らないので、乗り心地は不明。30分で国際空港に到着。運転手曰く、乗り場は?タイエア。通じない。TG?。yes。やっとこれで通じた。タイではTGが一番通じやすいようだ、たの国ではSQと言うのも使えることを確認している。バンコク空港は先日十分散策したので、今日は乗り場へ直行。チケットは一枚で、マニラから関空までもこれで通すとのこと。4時間後にマニラ着。前回訪問時見覚えがある待合室で30分の待機。インド、インドネシア、フィリピンは空港のにおいが同じ。いやな予感のするにおいであります。30分少しの待ち合わせで、関空行きに乗る。同じスチが同じような食事を配膳した。朝飯と昼飯を機内食で済ます。もう始めのころのような感動は失せてウイスキーで流し込んだ。量は少ないがカロリーはしっかりあるから、晩飯はなしとしよう。午後7時15分に到着したが関空初7時36分の南海電車ラピートに乗っていた。客が少ないのと要領を覚えたからだろう。今晩は自分の臭いの染みついた布団で熟睡できるはずだ。でも毎日熟睡だったんですが。今回の旅は一人で歩いたので結構困ることもあった、インドの税関では往生したし、マニラやバンコクの商業施設を見ると、新たなビジネスモデルの台頭を感じるし、得意先と話をするともっといろんな情報交換したくなるし、気持ちを揺さぶられる。ここで自分のブランドを確立したい、それで、できもしないようなことも言い、自分を追い立てるようにして、虚勢を張っている、果たして今までのようにつじつまを合わせることができるかしら?不安。それは何をするにしても英語に一旦は変換しないとすすまないから、効率が40%程度落ちるわけ。だが、これさえも表面的な理由で、僕に読み取る(いろんなこと)能力があるのどうかが問題である。
7月27日(月曜日)
飛行機に乗らない一日。9日間の出張で9本の飛行機に乗るから、ほっとしている。朝食はホテル、フロアに入るとウエイトレスが早口の英語でまくしたてる、最初は怖かったぞぉ。それで、ホテルの外にあるコンビニで食べていたのだ。だが今は落ち着いて答えられる。僕だって落ち着けばその程度の英語はできるようになったのだ。これから食事の事。どうも、これがホーだと言えそうなものがあり注文した。トッピングにいろいろ加えて、いただくが、少ししょうゆをたした方が旨いかと思った。赤い皮に白い果実、黒い種。これは、ドラゴンフルーツ。旨い。南国で味わうとことさら旨い。この国では、主事クラスでも車を一台運転手つきで与えられている。カムリ。その車で8時半出発、9時15分現地会社に到着、オフィス横の会議室で昼まで会議。昼飯はゴルフ場のレストラン。このゴルフ場はきれい、平坦。日本人の中に一人だけタイ語が話せる人が居て、前に食ったことがあると言う、カタ焼きそばを注文する。なるほど、すごく美味しかった。それだけでは少ないと言うので、ご飯とカレーを一緒に頂くがこれは多過ぎた。ここではカレーは食わないぞ。一旦事務所に帰り、市内の見学だ。日本人の責任者と、英語をタイ語に通訳する女性がついてくれた。バンコクの中心地へ行った。東京、クアランプール、シンガポール、ジャカルタ、風景に何ら差違は感じられない巨大なショッピング街。違いは東京と比べて人々に熱気があること。ここで買い物をするのは楽しいはずだ。タイ語で接客を受けたが、わからんでもない。店員はどこでも親切だ。この街は大きく、精力的に歩いた。大概の日本人は途中で断念するとのことだが、僕は違うぜ。重いリュックを背負ったまま歩く。最後にホテルまで送り届けてくれたが、最後の交通手段は高架鉄道。電車の中で携帯をいじっている人はいない。日本の異様な風景はここにはない。ホテルで別の日本人にバトンタッチ。今度は彼等と夕食に向かう。屋台がどちらかといいのだが。海外出向の日本人は上品だ。上流階級の雰囲気がある。レストランも上級クラスだ。ドメスティックで生きてきた身としては、すこし品位にかけるところがあるのを感じながら、タイ式のしゃぶしゃぶを頂く。ここで、新しい話題に触れながら朝の続き。海外では動かないので朝、昼、晩と食うと腹の調子がおかしくなる。程々で辞退。ホテルであすの荷作りを終え就寝。
7月26日(日曜日)
午前5時、インド時間で2時半、タイ、バンコク国際空港に到着。ここで仲間と分かれる。タクシーの乗り方、両替の仕方を教えてもらい出国ゲートへ。ここの税関でもひっかかったが、説明をするとOKだった。タクシーはクーポンを買って乗るとのことだがドルしか持ってない。APOと言うカウンターで申し込むとドルでもOKだと言う。40ドルだ、高すぎはしないか。いやな気分になる。そして、到着したホテルでチェックインしようとすると、このホテルではないと言う。再びタクシーをつかまえて(今度は流しのタクシー)本命のホテルへ。メーターは67バーツをさしているのに120バーツだと言う。おかしい、だが、そのことをいうと急に怒り出した。やっぱりタイ人は嫌いだ。このホテルの部屋は普通のクラス。先日1,800円のホテルに泊った自信でどこでもOKだが。まずは腹を膨らせてから寝ること。昨日の昼から食ってないから15時間程度の間隙だ。衛生面もあろうが、タイではとにかく屋台で食べたかった。朝粥の店で一善、隣のラーメンの店でもう一食。やっと落ち着いて眠ることができる。風呂の湯は黄色く濁り歯磨きは危ないな。ゆすぎだけはミネラルを使おう。いつも、歯磨きの基準はバスタブの透明度で決めているが、間違いはなさそう。12時に起床、レポートをまとめると15時。空が暗いがとりあえず散策しようと出た途端に豪雨。熱帯地方の豪雨はすごい。雨宿りしている軒下で、店を見るとパブだった。これ幸いと入る。ビール。あなたの国ビールはこれだよ、アサヒを指された。No,I like this country beer.で、出てきたのがこれ。旨いです。128バーツ。小瓶2本の値段。僕の一連の行動をそっくりまねた日本人がいる。そして、彼も僕と同じくビールを撮影していた。窓際の席を陣取り雨の中を通り過ぎてゆく人々を眺める。せっかくの休日でただの散策ではなく、もっと濃密な時間を過ごしたらどうか?と疑念も湧かないないわけではないが、このほうがほっとする。毎日刺激が多すぎたせいだろう。しばらく待つと雨は小ぶりとなり、散策開始。歩道は屋台が軒を連ね歩きにくいが、雨をしのげる、+マイナス0だ。散策した道はスクンビットと呼び一番の繁華街だが、スカイレールと呼ぶ高架鉄道が中央分離帯の上をはしり、通り自体がうっとうしく景観が悪い。見ているといろんな店があるがマッサージの店が圧倒的に多い。先ほど僕と同じ行動をとった日本人もマッサージ屋に消えた。僕の関心は屋台、とりわけホーをみたかった、少し歩くとありました(と思った)が少しボリュームがある。昼抜きだが夕食の約束があるので断念。代わりにピーナツの茹でたのを購入。歩きながら食べる。何とも言えない味、ほんのりと甘みがある程度。ホテルの入り口で、何やら煙。近づくと肉を焼いている、しかし見慣れた肉ではない。相当皮が厚そう。並んでいた若い女の子が買って帰ったので、僕も列に並ぶ。でも、この肉はなんだろう?聞くが相手は価格を言ってくる。タイでは英語は通じないのだ。店の後ろで食べていた若い兄ちゃんが、再び価格を言ってくれる。価格は判った。それで、焼いている肉を指さして鳥?と手ではばたいたら、どうも違う反応、そこで鼻を指で上げると首を立てに振った。Pigの発音は初めてお互いの間を行き交ったのです。これをビニールの袋に包んでくれる。先の人はたれを別のビニールの袋に入れていたが、僕は一緒にしてくれと伝えて、その場で食べた。ほかにマッチする飲み物があると紹介してくれたが(先ほどの兄ちゃん)断った。もうすぐビールの時間だから。タレは春巻のタレに似ているがすごく辛い。肉は脂身が多くそれほど旨くはなかった。こうしてタイの休日を終えたのです。夕刻はレクサスのお迎えで日本料理の店に出かけた。インドからの帰国で日本食が懐かしいだろう。はい。ご配慮ありがとうございます。と言えば大人の会話。なんでタイへ来たのに日本食なの?とつい口を滑らせてしまう。タイはマッサージとか遊びと自由だと言う。いやいや、僕の関心は写真と屋台ですと答える。今度タイにお起こしになるときは、そこをご案内しましょう。その他いろいろタイ事情を仕入れて会食を終えた。印象に残る話は3万円で人は殺せるとのこと。また、腰痛がぶりかえし早々ベッドへ。
7月25日(土曜日)
良く寝て、5時に目が覚めた。6時過ぎにレストランにゆくと6時45分からだと言う。ロビーで新聞を見ながら、時を過ごした。腰痛は最高潮に達し下を向くことさえ困難になった。しばらくすると従業員が呼びに来た。この朝食は18時間ぶりで、朝食とは思えない量の食事をした。とりわけ、ここのコーヒーの旨さは特筆ですね。ちょっとほかでは味わえない旨さであります。ポイントは水と豆でしょうか。普段見慣れない容器に入って提供されます。豚肉のベーコンもとろけるような脂が乗っていて、ここはインドだ、豚はOKなんだ、と思い出したわけです。(牛がだめ)朝からずっと椅子に坐った会議で腰痛はますます激しくなり、ついに休憩に10分ほど横になった。頭もぼやっとして、どうにもならない。会議終了後熱い風呂に入った。気持ちと腰の筋肉とがほぐれました。ホテルは午後8時までの予約で、これからバンコクに向かう。デリーの空港は昔と変わらないと同行のK氏が言う。僕にはきれいな近代的な空港と映った。税関を通り抜けると、ここでもお金はなんぼ持っているのかとしつこく聞く検査員がいる。彼の英語はまったく不明。同行者がいて良かったが、いないとどんなことになるかわからない。その時は、名前を控えて、言っていることを録音して、公にすると、引く場合もあるらしい。それにしてもインドと言う国は一筋縄で行かない国です。好きでも嫌いでもない気持ちです。ラウンジの休憩で、始めてキングフィッシャーのビールを飲んだ。このブランドは、何度か乗った飛行機会社も運営している。特徴は、スチが飛びぬけてきれいなのだ。だから、ビールも旨い?そうではなかったですが。そうこうしていると1時間半前から搭乗が始まると言うアナウンス。早すぎはしないか?ところが、バスで、飛行機まで移動という。そして、バスに乗った途端に交通渋滞に巻き込まれる。飛行場での話ですよ。荷物の車や、タラップの車、牽引のトラクター、送迎のバス、これらがめいめいに勝手に動き収拾が取れなくなっているのだ。早めの搭乗には理由があったのだ。飛行場内での追い越し、警笛、かつて聞いたこともない現実がここにある。飛行機はタイ航空ボーイング777。スチはきれいでない。こちらも疲れていて気分が乗らないから見る目がないのかもしれない。隣のインド人は、飛行機が動き始めても携帯電話を切らなかった。もちろん、飛行機が着地したときから電話をしている。
7月24日(金曜日)
レストランで、ターバンをまいた威厳のあるウエイターがGoodmorning ser。Japanies food this corner。僕は一発で日本人だとわかるようだ。No I like indeian food。途端にこのウエイターの表情が良くなった。とにかく15時間以上食ってないので、なんでもおいしい。もう目新しさはなくなったが、果物に変な毛の生えた赤いのがあった、コックさんがあまりに薦めるので頂いたら、確かに旨かった。会議は議論百出、インド人らしい会議のあり方だった。議論しても感情は残らない。休憩時間にあまりにも意見の多かった人とたまたま隣り合わせになり、その根拠はなんだ?と聞いた。相手の言うことの10%理解ですが、筋はつかんだつもり。インドの上流女性はほんとにきれい。これも休憩時間にホテルのマネージャー(女性)をつかまえてビデオに収めた。一度あったきりなのに僕の名前を覚えている。インドは酷い何億人かいて、ほんの数千万だが、このようなずば抜けたひとがいるような国。ずば抜けた人は顔を見れば人目でわかる。顔が違う。これは、男も女も同じですね。昼食はインド風。これにはすっかりなじみ別に違和感なく頂く。デリーの方と一緒だ。僕が質問すると、機関銃のような巻舌の英語が帰ってくる。1%の理解度。わからん言葉をつかまえて、聞く。相手も日本のことが知りたいので、お互いに1%の理解の会話を行う。会議は午後7時ごろ終えた。その後ディナーが開催されるらしいが失礼した。このすばらしいホテルでゆっくりしたいし、まずは寝なければ。まずは入浴。深くて長くて幅の広い浴槽はくつろげる。午後8時だが寝ることに。20時間も起きていたことになる。腰が痛くてかがむのも大変だ。立派なホテルなのに本格的に寝たのはこれ一回限り。2泊3日の料金を払うが。
7月23日(木曜日)
クエート航空は普通のA340だった。格別変わった雰囲気はない。空きの座席を見つけて、少しゆったりした。そしてドアが締まるとそのまま眠りについた。眠くて仕方ないのに眠れない状態がしばらく続いたが、離陸の音は夢の中で聞いた。気持ち良く寝ていると、飯だと言って起こされる。午前1時ですよ。そのまま寝たふりをしていると行ってしまった。バンコクでは、空港カウンターで打ち合わせをした通り僕の名前をかいたカードを持った職員が居て、荷物の引き渡し場所まで案内してくれたのは良かった。そこで言われたことは4時に荷物を持ってくる。後2時間どうしよう。半端だな。そこで空港を探索することに。だが、重い荷物を移動してきたので、腰痛もある。無理はまずい。ベンチシートの上で横になったが落ち着かないし、危険だ。困った。その時に歴史が動きました。目の前にマッサージ屋さんがある。ドルしかないがOKだと言う。1時間20ドルのコースを頼んだ。足にはあまり神経がないのか気持ち良さはなかったが、1時間背中を伸ばせたのが良かった。お姉さんにチップを渡し、写真を一枚。トランジットカウンターの近くはイスラムの女性ばかり2−30人が椅子に坐ったり、寝たりしている。この中に紛れ込むと大丈夫だろう、と勝手な解釈でここで2度目の仮眠。午前4時、結局荷物は届かず航空会社同士で受け渡しされたようだった。ものすごく少ない語彙の交渉なので、確実度は低い。ここからタイ航空。デリー行きの飛行機は大きい。ボーイング777に、エンジンが4個ついている。何という名前なのか?エアバス340だった。あまりにも大きいのでスチさんにシートの最後尾まで何列あるのか?興味本位に聞くと日本語で58列と答えてくれた。金髪の女性だった。その後、食事も日本食のメニュの紹介をやはり日本語で紹介。僕はI like indeian foodと要求して、vezitarianを出していただいた。3列が使える席は俗称エコノミービジネスと呼ばれている。空いている席に移動して寝転んだ。ここまでが良い話。悪い話はインドデリー空港で税関から、クレームが入り、真っ暗な部屋で在り金を没収された。わいろですね。さらに出口のセキュリティーでもたかられて5,000円。合わせて25,000円の散在をした。困った国だ。インドのイメージは極端に落ちましたね。人は裏で何をしでかすかわからないものを持っている、それはインドだけとは限らないかもしれない教訓を得ました。空港で待ってくれてたのはホテルの車。そのホテルはそれはそれはすごいホテルで、昨日の1,800円のホテルとは雲泥の差。とりあえずチェックインし、天井からもシャワーが出て、浴槽内にもシャワーがある豪華絢爛浴室で浴びて、事務所に向かう。なかなか立派なビルに入っている。前回来た時に少しだけ面識のある人もいる。メールをとりたいので、IPアドレスを頼むと、高速の手際でいきなり開通だ。インドは酷い国ではあるが、こうした人材がごろごろいるんですね。午後3時にピザを食べた。午後5時過ぎにホテルに帰りそのまま寝る。午後11時前に電話があり、会場の準備、そのまま徹夜。朝7時に準備完了。
7月22日(水曜日)
集合時間の間際まで寝て食事にレストランへ。ほとんど言葉がわからないが、いろいろ選択があるようだが、不明。ビーフだけが耳に入ったのでそれを。何と朝から牛肉だ。そして、この朝食込みで宿泊料金は900ペソ。1,800円だ。仕事はこのホテルで開催される。小さな虫が飛び交うが気にしない。休憩の間にホテルの外へ。あまり離れると危ない。背後を気にしながら、写真とムービーの撮影。フィリピンの田舎へくることはあまり機会のないことなのでしっかり撮影。昼食はフィリピン食。ご飯の周りに肉や野菜の炒めたものを並べていただく。これは旨いと思う。昼食の後もう一仕事をして、午後3時半にホテルを後にした。ここから空港に向かい、マニラに帰るのだ。飛行機はセブ航空、この会社は新しいビジネスモデルとしてサービスを廃止し低料金で運航するシステム、あまり愛想の良くないスチワーデスが車内販売を行う。飲み物は100(200円)ペソ。だれも買ってなかった。日本の新幹線でさえお茶は150円だ。定刻より早く到着。出発までに時間があると言うので、同行の日本人の方に日本食を食べに連れてってもらう。秋田屋さん。少し辛いのは現地風の愛敬か?居酒屋だがお酒は飲まず我慢。空港でのトラブルが心配だから。そして案の定、トラブル発生。一つは荷物オーバー、追加の料金を払うつもりだが、えらい済まなさそうに話が回りくどい。これは理解がむつかしい。そして、バンコクで航空会社どうしで荷物を受け渡してくれず、バンコクで受け取らなければならない。なぜなら航空会社が違う。かなり美人のお姉さんが眉をしかめていう。その表情いいぞ。だが問題は、解決しない。そこから、押し問答。一旦出国するの?いいえ、空港でスタッフが荷物を渡します。どこのスタッフ?クエート航空です。どのような方法でその人を知る?現地でカードを下げている。どうやって通信した?テレックスで。メモをくれ、メモは渡せない。言葉ができないが何とかなるもんだ。ゲートでは荷物のチェックが全部で3回ほどある。最後が出発ゲート。かばんのすべてのものをチェックする。これがいやで騒いでいるアラブ人がいる。やれやれ。
7月21日(火曜日)
まだ頭は寝ているがピックアップの車に遅れるわけには行かない。午前2時にめざましをかけて3時チェックアウト。4時半のフィリピン航空に乗った。こちらの超過料金は800円。ダバオ市は豪雨の後だった。ダバオはマニラの南にある、ミンダナオ島の都市、現地の責任者たちと一緒にまずは朝飯を食いに。うまいおかゆの店があると言う。道路はマニラのような混雑はないね、と思ったがまだ時間は6時半だ。目指すおかゆの店は中国風の店だった。おかゆと、トッピング。トッピングは豚の爪のような、ゼラチン部と揚げ豆腐に3杯酢をかけたもの。スリ降ろした生姜ものっている。おかゆは米のにおいがプ〜と匂う、さすが米の国だと思ったわけ。かき混ぜると底から鶏肉が出てきた。すごいボリューム。仕事は、高級なリゾートホテル(現地ではと言う意味)の会議室を使った。中庭がなかなかきれい。あっという間に昼が来た。少しだけいただく。現地の食事は、ご飯の上に野菜を炒めたものや、肉をにこんだものを周りに並べていただくもの。フォークとスプーンを使う。この食事意外と旨いんですね、大丈夫か(この食事は食べられるか?と聞かれたが、Foodの言葉がすぐにわからず、この食事のように咀嚼しているうちに、にじむように湧き上がってきて理解できた。Yes I like this food。夕刻カガヤンに向かう。カガヤンはミンダオナ島のもう一つの街。今いるところから反対側の海岸である。道中こちらで有名な量販店を訪問した。一人の店員さんに話をうかがったが、良くわかった。さらに店内をブラついていると、女子高校生のようなお客さんから日本の方ですか?ときれいな日本語で声をかけてくれた。きれいな言葉やねと返した。言葉もきれいやねとは言えなかった。ダバオの空港は意外ときれい、チェックカウンターで一人一人の体重を測り座席を決める。飛行には重量バランスがとても重要なのだ。ミンダオナ島を横断するのに45分の飛行だと言う、意外と大きな島なのだ。眠かったがここで眠るとベッドで眠れないかもしれないので我慢。空港には現地の社員さんが出迎え、ホテルへ。トヨタのハイエースだが、道が悪くひどい乗り心地。ホテルは中心地から少し離れたところにあるデラックスホテル(と言う名前)何と部屋には窓がない。シャンプーもスリッパもない。水も飲めない(もちろん飲むつもりはないが、飲めないと書いてある)。水しか出ないとあきらめていたが5分くらい待つとお湯が出た。この辺あたりは、インドの経験が生きてます。夕食は豚の爪のフライ。野菜のごっちゃいためとご飯。なんでも食えるから大丈夫。困ったのはエアコンの温度調節がFの表示で60。これが適度かどうかは不明で寝たらとても寒かった。
7月20日 (月曜日)
午前10時20分の飛行機でマニラに向かう。TG621便だ。3時間30分で到着する。座席が空いているのに僕の列のシートは満席だった。拘束時間も少ないことだし我慢するか。それに妙にけだるく眠い。食事と睡眠の半々で到着。今回は一人の行動だし、50kg近い荷物で、超過料金を払っての移動だ。マニラ空港でジョイスさんと待ち合わせたが運良くめぐり合わせることができて、高価な国際電話を使わなくて良かった。ジョイスさんは今回一緒の旅ができないので残念そう。代わりにバスで11時間の移動をするそうだ。ここから市内にある旅行会社に向かうのだが、ものすごい道の混雑。1時間半くらいをかけて20km位の商業都市の一角にはいる。ここで、クレジットカードの支払いができず、現金で支払うことに、店員さんに両替に行っていただき、我々はコーヒーとケーキをいただきながら待つ。ジョイスさんから話し掛けていただくが、なかなか会話が通じない。主に今回訪問するダバオについて伺った。よく聞くと、ここで仕事をしたのち、夕刻、カガヤンに向う。ミンダオナ島の反対側で、島を縦断するようだ。車ですぐやんか、ところがどっこい車で6時間の移動とのこと、福岡から鹿児島の感じですね。このあと、市内にある量販店を訪問することになるが、今回の出張は結構スムーズにことが運んでいると思ったら、なんと大事な電源変換器を忘れてきた。220Vを100Vに変えるやつですね。急遽ホームセンターにも寄ってもらいゲット。日本では4,000円程度のものが、1,000円くらいで買えた。訪問した量販店では、店員の話はほとんどわからないので相槌を打つしかないが、いつの間にかHow,Whyになっていることがある。このときは、Soryと聞きただして勘を頼りに内容を把握しなければならない。こうなると、言葉では尽くせないから筆談が始まる。言葉がわからないのは怖いが、内容は怖くないので、何度かやりとりすると理解する。その後は、すごく打ち溶けた関係になりますね。と、言うことで本音は20時が来れば床につく予定なのに、20時にホテルイン。食事はここでとる、バイキング。日本のエビはほとんどフィリピンから来ているはず。そのエビが氷の上に乗っていたので注文。野菜のスープもトッピングを選んで注文、すっかりホテルの食事になじんだようだ。今からすぐに寝ても4時間しか眠る時間がない。明日は2時起床だ、そう思うとなかなか眠れない。今回のベッドはあまりにも広く、縦よりも横が長かったから、悶々とするにも動きがいがあった。
7月18日(土曜日)
毎日新聞
仲間からメールが入った。この新聞にインドのことが掲載されていると。実はこの新聞の記事のためにインドに行くことになっているのだ。その準備もあって今日はヨドバシカメラに買い物に出かけた。あいにくと200V仕様の機器がなくて断念した。せっかくだからぶらぶらしていると、お姉さんがパナソニックのヘッドのフォンの新製品が出たので聞かないのか?と声をかけてくれた(誰でも声をかけているのですが)このヘッドフォンはイヤリングのように綺麗な装飾が施されている、なかなかおしゃれなのだ。そして耳のフィット感がよい。12色の色から選べることができる。買うつもりが無いのにお姉さんの薦めでとうとう買ってしまった。早速CDプレーヤーに接続して聞いてみる。音質は少し高域よりのバランスなのかと思われる。弦楽に向いている。例えば熱い風呂から出てきて、キンキンに冷やした部屋でビールを飲みながら、室内楽を聞く、そんなシーンに合いますね。このヘッドフォンは小さいので耳に入りやすい。インナーイヤーホンにありがちな挿入の角度によって音が違うことはない。そして何よりも軽い。2,500円の買い物としてはまずまずですね。それと、もう一つ、別件、余り使ってなかったがソニーのMDレコーダーが壊れた。ソニー製品はソニータイマーと言って時間が来ればほとんど壊れるが、このMDレコーダー(JA3ES)もその道を見事にたどりました。ソニー製品はいろいろ買ってはみたが、ことごとく壊れましたね。残された物はプレイステーション3とこの前買ったデジカメのみ。なぜこうも品質が弱いのか?これはちゃんとした理由があるかも知れない。それは白物家電を手がけてこなかったことと密接に関係があるのではなかろうか。白物家電は使い方が荒い。しかも通電時間が長い。例えば冷蔵庫は休み無く10年動かなければならない。壊れると甚大な損害があるものもある。そして白物家電メーカーは品質に気を使った。それが、耐久性に余裕を持たせたのではないだろうか。ところが、AVはやはり趣味性が高い。使用時間も少ない、それが品質の耐久時間を短く設定したのだろ。ソニーはAVしか手がけてこなかったので、白物のノウハウが入らなかったのだ。たとえて言えば車業界で、トラックも持っているメーカーは乗用車も壊れにくいと言うことでしょうか。これは新聞にかけない話。。。。出かけるので2週間HPお休みです。
7月17日(金曜日)
どう読むか007
「慰めの報酬」は余り評判が良くない。友人のT氏は最低だと言う。映画の目的には、2つあると思う、一つは娯楽だ、楽しめればよい。もう一つはメッセージ性だ。旨く二つが噛み合わさるとアカデミー賞ものだ。では娯楽だとこの映画のようにドンパチすればよいのか?と言うとそうではなく、正当な理由が必要だ。犯罪で言うところの動機ですね。この映画が娯楽性を欠くポイントは、この動機に当たる部分がどうしても読み取れないこと。そして、その理由は3つあるかもしれない、一つは物語を端折って流れを良くする意図的な物と、もう一つは旨く演出できないまま、時間の制約上決行してしまった。もう一つ、監督は、分からんかったら何度も観て欲しいので、わざと複雑に仕上げた。そうすると、この映画の深さが読み取れると思っているかも知れない。と言うことで、監督の意図は計りがたく、なかなか複雑な映画でありました。疲れていたが、きちんとご飯をつくって(今日は生姜焼きだ、滅多に肉は口にしないが金曜日だからまぁいいかということで)、サントリーのビールを飲みながらの映画干渉、理解が薄いのはとうぜんでありますが。
7月16日(木曜日)
アラブの人
昨日から気になってしょうがない人に、会議に出席したアラブの人がいる。今日も服装が決まっていた。休み時間に"Your
take a picture?" "No problem"この人も首を横に振って答えた。それが、この写真。暑い大阪でこの姿は涼しそう。履物はセッタだ。公式の服装だ。話は変わるが、酒も飲まず、夜更かしもせず、せっせと英語とAVを勉強している。今まで、こんなに根を詰めて、しかも長期にわたって取り組んだことはない。続けられるのは一人暮らしだからだ。冷えた部屋でJAZZをかけて打ち込む。これはモチベーションが上がりますね。それと冷たい妻の態度。この2つの環境が整い、何とかせなあかんと。出張の準備で忙しい日々が続く。
7月15日(水曜日)
外国の人々
アジア、中近東、中国関係の人たちが集まって会議が開催された。先日はアジアの人たちであったが今日はもっと広範囲。とりわけアラブの人の服装が気に入った。うえから下まで白装束だ。頭にも白い布をまいて孫吾空のような環っかをまいている。ビッシと決まっている。近くまで来たのでYou
good look。ニコッと笑って挨拶。僕に語学力があれば、仲良くなれるのに。そして、珍しい話を仕入れることができるのに残念。だがこうした強い刺激を受けると燃えますね。ふり返るとこの半年で、ずいぶん遠くまで来たものだと思いました。来週はインドで最も親しくなったラミッシュさんと逢う。このインド人の英語はわからんが、何というかフィーリングがあうんです。最初は僕の言うことに首を横に振るのでおかしいなぁと思っていたら、賛同するとこうするらしい。(インド人はyesに対し首を横に振る)。彼は仕事のことは別として個人的なことならほとんどNo
problemで通してくれる。知識人の顔つきだがユーモアがある。ということで、来週は海外に出る。今回は、少しハードで、フィリピンはセブ島にゆく。その後バンコク経由でインドの首都デリー。再びタイのバンコクで打ち合わせをして帰国する。地球を半分回る距離を移動しますね。
7月14日(火曜日)
さすが大阪大学教授
今日はビジネス英語を大阪大学の杉山先生に教授いただいた。ポイントは3つ、eメールの書き方、特に断り方。商品のプレゼンテーション。人物の紹介。いずれもビジネスシーンには必須の要素だ。たくさんのコピーが配布されたが、自分の書物なのでコピーはフリーなのだろう。そのコピーの中に、日本語となった英語と言う特集があり、200語に渡って紹介がある。ぱっと目を通しただけだが、確かにこれは必要だというのがたくさんあった。例えばイメージアップ。これ和製英語。本当の英語はimprove
the image of 〜。それから、300ページにも及ぶ書籍を頂戴した。これも飛ばし読みでは、なかなか勉強になる。氏の大学での講座は英語検定1級、TOIEC 900点 他にも2点ほどの検定があり、全て最高点を取って始めて免許皆伝だと言われていた。この先生ならそこまで求めるだろうなと思う。ぼさぼさの髪で童顔ではどう見ても普通のおじさんにしか見えないのだが。昼間は市内にある販売店を訪問した。もう15年以上も昔に訪問したきりだったが、相手の方はきちんと覚えてくれていて嬉しかった。商売人というのはこんな人のことを言うのだろうと思いましたね。と言うことで今日はとても充実した一日だったのです。
7月13日(月曜日)
挨拶の後は、逃げるようにして
今日はアジア全域の会議で僕も末席に参列した。もうこちらに来て半年が過ぎ次第に顔見知りができた。だが言葉がしゃべれないので挨拶しかできない。Well come to Japan。そして握手して、逃げるようにしてその場を離れることしかできない。ある社長さんは前にお会いしたことがあるが、別の人から紹介を受けて2度目の名刺交換。前に挨拶をしているとはどう表現すればよいのだろう。これが仕事のこと、プライベートでは、久しぶりに晴れ渡った炎天下を1時間通勤で歩いた。気持ちが良い。あまり汗をかかないタイプだが、今日は特別だ。だが、どうも汗くささが自分のにおいと違う。食べ物が変わり体臭が変化したのかな?と考えを巡らせていると、やっと思い当たる節にあたった。クリーニングだ。いつもお願いしているクリーニングは時々臭いがついている。これだ。あまり乾かないうちにビニール袋に入れるためだ。やれやれだ。だが、ここのおばさんは愛想がよいのでついついそこに出すのだ。
7月21日(日曜日)
ものすごく深く寝込んで目が覚めた。肩の荷が下りるという表現があるがまさにぴったりの目覚めだった。この頃の朝の楽しみは、日経新聞の裏面に掲載されている、加山雄三を読むことだ。生まれたときからスターへの道を歩んでいったと言っても過言でない生き様。密度の濃い人生を過ごしている。過去は当然美化されるから読んでいても爽快感がある。あんな嫌みのないスターはいない、と僕は思う。今日は晴天。夏の太陽が照り、クマゼミが鳴き、夏到来。窓を全開で風を入れる。ところが、朝から共産党の街頭演説だ。ここは住宅の密集地なので、演説には効率が良いので、延々と自民党と民主党の欠点を指摘しまたね、だが、自分たちは何をやりたいのかは不明のまま。それやったら、ワイにもできるで。室温は33度まで上昇。暑いがここでやらねば鳴らないことがある。BDレコーダーにため込んだ番組を編集しBD−Rに焼き、HDDを空にすることだ。早くしないと次の番組が始まるがな、今日は「インディー・ジョーンズ」を全部ハイビジョンで放映する、これを見逃すことはない。夕刻プール。満員だが1時間15分で2.5km。今日の晩飯はご飯を炊くのを忘れていて、そうめん。野菜たっぷりだが喰いきれない。
7月11日(土曜日)
Enter the Dragon
1973年有楽町で観たこの映画は生涯忘れられない歴史に残る名作だ。職場のおねえ様(そのころは全員が僕より年上だった)が試写会に誘ってくれた。予備知識がなかったが、瞬く間に引き込まれしまった。襟の長いワイシャツとか、長い髪は、そのころ東京でも違和感がなかったので、ブルースリーのスーツ姿はすんなりと受け入れた。映画を見終わった後、僕も含めて男たちは鼻息が荒くなっていた。奇声を発するものもいた。あれから36年。ツタヤの店頭でBDのレンタルとして貸出されていた。懐かしさのあまり、さっそく借りてみました。このオーサリングはフィルムを一枚一枚スキャンしたようで、結構画面が揺れている。斜めの線には階段状のぎざぎざも見える。BDに焼き直しても解像度はそれほど高いとは思えなかったが、記憶のストーリーに欠けがあり、新しい物語として楽しめた部分もあるし、発見もあった。撮影は実写なのでアクションは素直に楽しめた。ブルース・リーは亡くなったが、もし今生きていてぶよぶよ太った格好で(まるでジャッキー・チェンのように)登場してもらっては困るのだ。あの敏捷なイメージでいつまでも心の中にしまっておきたいスターだ。
7月10日(金曜日)
But also
仕事でかかわりを持つことが多いのが英語。その文章が正しいのかどうかチェックすることもある。特に私の友人でもあり、仕事の仲間は英語が堪能で1級を持っていて、会話は英語の方が楽だと言う、奥さんも英語は達者でガイドができるほど。その彼が書いた文章をチェックするのだ。彼の悪いところは、僕の英語力をまったく疑ってないことだ。一緒に外国に行って、僕が話せないのはわかっているはずなのに。そこで、表題のことば、我が社の商品を紹介するのに「Butはないやろう」もっと「適切な単語があるとちゃうか?」、たとえば「moreとか」があるだろうと指摘すると、しばらく気まずそうにして、But alsoで「更に」と言う意味なんです。とやんわりと。俺にそこまで見抜く能力はないぞ。と居直った。英語は魅力的で奥が深い。PCを理解したようには行かない。あと、2〜3年かかるぞ。そうなったら定年だがね。この嘆きはぜひ子供たちに伝えよう。彼等にはまだ時間がある。
7月9日(木曜日)
クラウドとグリット
すっかり誤解してて文献にも目を通さなかった反省が表題のクラウドコンピューターについてだ。これはサーバー側の充実で端末には通信機能だけ備えるコンピューターネットシステムのことだ。つい最近までWeb2.0と呼んでいたものだ。一方グリットコンピューターシステムと言うのは、サーバー側がネットで繋がっていると、パーソナルコンピューターを並列駆動し、あたかも一つのコンピューターとして働かせる仕組み。前者を後者とばかり理解していたので勉強への出足が遅れたわけだ。グリッドの方はどう見てもまだ実用化には程遠いと見てたわけだ。一方クラウドはもしかすると未来のコンピューターシステムになる可能性を秘めている。旅行の写真なんかは結構こちらに移行してきている。この方面の研鑽を怠ると世の中の動きから取り残されるかも知れない危機感を感じた。そして、私見ですがこの課題は、地球温暖化ですね。サーバーはものすごい発熱を伴い、空冷にエネルギーを使っている。このサーバーは先進国に設置されているが、人口の多い後進国がいずれ利用数で勝ることはわかりきっている。エネルギーの消費をどう分配するのでしょうか。もしそれが分かったら、その国に消費分だけ振り替えるのだろうか。サミットで議題にするのだろうか?するわけ無いだろうな。
7月8日(水曜日)
中南米の事情を聞く機会があった。冒頭地域の概況を紹介いただいたが、なんとミスユニバースの大量生産地が含まれている(ベネズエラ)ことを知り大いに興味がわいた。アジアも良いところだが、混血による美人はいない。帰りに膝の故障を見ていただいた街の外科医に伺いレントゲンの撮影でも膝の骨は異常ないと診断された。かといって、昔のように自由に歩けないのは変わらない。皿の上が痛い。そして、今週から右の人差し指も曲がらなくなっている、強く曲げると痛みが出るのだ。これは、PCの使いすぎだろうなぁ。年齢とともに弱いところに支障が出始めている。故障には無敵だと思っていたが実はそうではなかったのだ。夕食は、にら、もやしと、豆腐に青トウガラシを、沖縄の塩で味付けして頂いた。これは合格。塩加減が味噌である(なんだか意味不明)。昨晩つけたキュウリの漬物もまずまず、今度は糠を入れて挑戦しよう。仕事はともかく料理はぐんと成果を上げてきている。
7月7日(火曜日)
昨日に続き今日も電子レンジのページをめくると、レンジで朝漬けと言うレシピがあった。さっそくキュウリで試したが、これは失敗。ほかにも失敗が重なり今日の夜はあまり食べてない、夜も遅いしもう出かける気にはなれず、水を多めに飲んでやり過ごす。昨日キュウリが安かったので多く買いすぎた、それで帰りにコーナンに寄って朝漬け器を買った980円。その後レンジのレシピを見つけてがっかりしてたが、この機械の生きる場所が見つかった。さっそくキュウリ4本をセットして冷蔵庫の中に保存した。明日の朝、今日の分も含めて食べようと思っている。
7月6日(月曜日)
水で焼く。今使っているレンジはかなり多くのメニューがこなせる高級タイプであることは知っていたが、今まで積極的に使おうとしなかった。が、今日はどうしても魚の干物が食べたくなり、ホッケのみりん干しを買ってしまった(今読んでいる本に影響されて)。さっそく取り扱い説明書を開き読んでいくと、何と自動メニューに調理が登録されているではないか。21番を選択すれば良いわけだな、フムフム。待つこと16分、本当に過不足なく焼けてましたね。これに、昨日炊いて熱いままチルド保存してあったご飯を加熱して、キュウリと白菜の炒め物でいただきました。なかなか美味でした。寝る前に30分ほど時間がある。これを使って英語でも勉強すれば良いのに、昨日からとりつかれてしまい何にもできなくなっている。その原因はIQ84下巻である。
7月5日(日曜日)
昨日昼寝をしてたら、ドアホンが鳴った。意味のない訪問販売が多いのだ。それで、ドアホンを改造して鳴らなくしてしまったら、ドアに宅急便の不在連絡表が挟まっていた。ドアホンが鳴らないので留守と思ったようだ。ドアをたたくなり少し気を利かせばよいのに。関係ないが今日で57歳になった。誰も祝ってくれるわけではなく、一人で静かにIQ84を読んで過ごした。と書けば妙に寂しく映るが、実はこの本は相当おもしろい、と言うよりか手が離せない。自分の持てる時間を全てこれに投入して読み進んでいると言う感じだ。金曜の夜から読み始めて上巻を今日で読み終える。できるだけお金を使わない生活を、しかも充実した生活をとなると一番手っ取り早いのが読書だ。昔から本を読むのは嫌いではなかった。他にエキサイティングなことが多くそちらに気を取られていただけだ。
7月4日(土曜日)
資格
昨晩は関目高殿にある王将で夕食。焼き飯定食を注文するものの、おじさんは食べきれないで残してしまった。焼き飯だけでも普通の店の倍はある。最近はこうした資格をどんどん失ってきている。例えば羽目を外すこと。羽目を外すと、翌日体力的なしっぺ返しが必ずやってくる。ビールも中ジョッキ3杯が限度ですね、もうこれ以上は受け付けなくなっている。得意なPC操作、最近右の人差し指が使いすぎで曲がりにくくなっている。無理に曲げると痛みが出てくる。時々PC操作を休むこともあるのです。僕に丸くなれってことなのかな。今日のトピックスはヨドバシカメラで、ソニーデジカメT90を買った。マイルを使って買った。そのカメラを早速試してみた。海外ではソニーのカメラの評価が異様に高いのだ。その実力を知る意味でも使ってみたかった。まず、操作ですが、液晶パネルを直接タッチするのでべとべとになりますね。これはどうも頂けない、それで付属のペンで操作するのですが、他のデジカメと比べ操作方法が違うので一寸面食らう。キヤノンやカシオなど、初めてでもある程度は自由に使いこなすことができるのですが、このカメラは難しい。近くの植物園、「咲くやこの花館」へ早速出かけて写真を撮影してみた。一言で言えばこのカメラは写真を撮るにはおもしろくない。シャッターボタンが小さく、液晶がキレイくないのだ。それに比べると、カメラメーカーのキヤノンやフジのカメラはシャッターを切ることそのものが楽しい。そうして写真の出来だが、これは余り大差ない。一つだけ、白い花だけは紫色の擬色がでてくる。キヤノンのカメラにも出た。コンパクトデジカメはこんなものだろう。なら、楽しく撮影できる方がいいですね、と言うのが結論。夕食にモロヘイヤとオクラと余り辛くない唐辛子をベーコンで炒めたがこれがなかなかいい仕事をしてくれた。久々のヒット商品だった。料理を作る資格はまだ残されているみたい。
7月3日(金曜日)
昨夜部屋に戻ると室内の温度が30度を切っていたので、エアコンなしで寝たらすごく気分良く眠れた。エアコンで寝ると途中で寒くなり、布団を着る、今度は汗をかいて目が醒める。これを夜中に繰り返していて眠りが浅いのだ。今日は草津に向かうため、それを理由に少し早く出て修理に出しておいたウイルコムの携帯電話を受け取った。もう電話契約は切ってあるが、この機種に搭載しているメモ機能はずいぶんと使い勝手が良いのだ。しかもエクセルもある。まだメモマシーンのポメラよりもこちらが良いはずだ。何で今頃なのかと言えば、このポメラが日常、結構便利に使えそうだと、説明を受けていて気がついた。それなら、家に転がっている故障したままの携帯電話を直せばよいのではと修理に出した次第。特にこのメモ機能が真価を発揮するのは、海外に行った時だ。海外は見るものする事が新鮮で、いろいろと感じたことをメモ用紙に書いて、ホームページに記載する時、パソコンで打ち直すから二度手間だ。次回から効率良く良くHPに掲載できるはずだと思う。草津を出発したのは午後8時前だった。昼飯は立ち食いうどんだけだったので空腹のまま大阪へ。金曜日の夜、予定もなく空きっ腹を抱えているのはなんだか寂しいですね。早く帰って村上春樹のIQ84を読もうと言うのはもっと寂しいですね。
7月2日(木曜日)
今日は昔のメンバーと懇親だ。同じタイミングで上司からも誘われた。僕の上司は職場のボスだから、結構みんなそちらに参加しているが、今回だけはパス。みんなで向かったのは、京橋の商店街の外れにある魚屋さんだが、何と満席。代わりに手前の中華料理店で。もっぱら僕が提供できる話題は英語の苦労だ。今日もフィリピンでアテンドをして頂けるジョイスさんから、歓迎のメールをいただいた。当然英語。こちらも返事を書いたが、翻訳機の英語で正しいのかどうか不明で悲しい思いをしたばかりだった。仲間達は大きな環境の変化もなく結構楽しくやっているみたいで嬉しかった。世の中の変化を受けて、付き合いが変わるのが一番つらい。今日は飲んだ勢いで歩いて帰る元気もなく、電車でGO。
7月1日(水曜日)
抜けるような晴天が大阪の空に広がる。梅雨はどこに行った?と思わせる空。田舎の友人K氏は「臓をもんでいる」だろうな。だが、夕刻からバケツをうつすような雨。家路を急いでいると外科の個人医院が目に入った。左ひざが痛み、歩くのが困難になっていて、この週末は何としてでも医者に行かねばと思っていた矢先だ。とりあえず見てもらうことにした。見立てでは神経の炎症とのこと、動かさないのと、薬を飲むことでしばらく様子を見ることに。万歩計を15千歩に合わすよう歩いているのは、やりすぎとのこと。少し養生。それとは別に、今日は嬉しいことが一つあった、なかなか上達しない英語であるが、今日初めてラジオ英会話の一日分の文章を全部暗記できたことだ。日本語のストーリーを頭に浮かべて、英語単語を記憶とはいえ並べることに成功したのだ。だが、なんでこのような文章構造になっているのかはまだ見えてこない、ただ記憶できただけだ。
6月30日(火曜日)
門真へ、懐かしい立川さんに挨拶。ますます肥えられて、この暑さは大変だろうな。帰りは雨。雨だと、電車で帰ることになる、そして駅前のスーパー、「アプロ」で夕食と朝食の買い物となる。今まで朝食はパンとフルーツだったが、先週からシリアルとフルーツにしている。まずまずの味で不足はないのですが、シリアルの袋からぱらぱらとお皿に振りかけて、牛乳をぶっかけるだけの食事は、妙にドッグフードを犬に与えるような感じで、さあこれから食事をするぞと言う高揚感はないですね。まさにえさを与えられている感じ。しかし買ったのもは食べきらないと、それで最近はスーパーで買うのは夕食のみ。その日の夕食分だけの買い物となると相当量が少ない。他の人の買い物かごを見ているとやはり少ない。だからこのスーパはレジ前の行列はできない。僕を含めみんな生活の事を真剣に考え精一杯に生きているのだろうなと思いましたね。消費は低迷するのはよく分かる。
6月29日(月曜日)
東京を起点する家電店ラオックスが中国の家電店「蘇寧電器集団と資本提携に入った」と。今日の本題は資本提携の話ではない。事の次第は、新聞やWebでもずいぶんとこの「蘇寧電器集団」を見かけるのに、読み仮名がふってない。一体日本人の何人のひとがこの文字を読めるのだろう。未だに読めない。だが気がつくと、こんな事を最近よく見かけるようになった。例えば駅ビルです。いろんなお店が入っている、店名表示はあっても何を売っているのか不明。試しに文房具屋さんを捜してみてください。看板を出した人達は自分たちだけで満足しているようだ。道路標示もすぐ近くの町名表示はあるモノのその先の市の表示はない。例えば広島に向かって運転しているのに、いつの間にか、大きな看板が海田町になったりするのだ。プルサーマル原子力についてもしかり、これは一体どんなモノか?の説明はなく、利用している施設や安全性の事を書く。これは原子力発電の廃棄物から燃えかすを利用する、そして、、、、。最初に、こう書けばすぅ〜と入っていける。国会の審議などもっとひどい事なんですが、それは止めて。この基本的なポイントの欠如は、どうやら日本人が主語抜きの会話を行っているからではないのか?と最近思うようになってきたのです。
6月28日(日曜日)
とうとう昼から晴天となった。建物の最上階なので暑さは尋常ではない。どんどん気温が上がって32℃。窓は全開。マイケルジャクソンが無くなった。スリラーは何と1億枚のレコード売り上げを記録した。アメリカの新聞ではきちんと彼の業績の評価があり年代毎に功績がたたえられている。今でも掲載している(ニューヨークタイムス)。一方、日本の新聞は冷たいモノだ。死去をただ報じただけ。世界の音楽史を変えた男をなぜもっと報道しないでしょうか。マイケルジャクソンを見て思うのは、若くしてお金を得るとやはり人間というのは弱いものでしょうかね。あのお金を自分ではなく、恵まれない人達に尽くす活動をすれば、別の結果となったかも。人ごとだから自由に言えるが。もしかしたら、マスコミがこうした人を殺してしまうのでしょうかね。世界の電子辞書ウキペディアでは、きちんと修正があり、没日が記入されていた。さて、スリラーは丁度LPからCDへの変わり目の時に登場した音楽だ。LPレコードも低音がよく記録されていてずいぶんと楽しめた。LPの方が音が良いと息巻いたのもこの頃だ。また、ミュージックビデオなるものも登場したのもスリラーからだ。VTRにステレオタイプが登場し、深夜のミュージッククリップを録画して見た。当時はソニーのベーターしかステレオタイプが無く、このためにこのビデオを購入した。録画した番組はステレオに接続してノイズ一杯の音楽を楽しんだ。今のAVシーンからは考えられないことだった。
6月27日(土曜日)
昨日は楽しかったが、ずいぶんと飲んだようだ。午前3時頃洋服を着たまま寝ているのに気がついた。頭がボワァーとする。シャワーを浴びてもう一度寝た。次の目覚めは9時だった。朝飯を食べた後、本を読みながらまた寝てしまった。次に起きたのが2時。やっと普通の状態に戻った。頭が痛いと言う二日酔いはしたことはないが、頭が回らないと言うのが僕の場合の二日酔いでしょうね。今読んでいる本は「怪傑ハリマオ」。実在する日本人で、マレーシアを舞台とする盗賊の頭だ。僕は正義の味方だと思っていたが実際はそうではなかったようだ、しかし、マレーシアの地元住民には絶大なる人気があったそうだ。怪傑ハリマオが頭にターバンを巻いているのは、イスラムに改宗したことと関係があるとのこと。本名は谷豊、福岡県出身の人物。ずいぶんと寝たつもりだったが午後9時には起きていられなくなり睡眠。土曜日はほとんど何もしないでつぶれている日が続く。
6月25日(金曜日)
先週に約束してたN氏との懇親会だ。一人ゲストをお招きして開催した。場所は「らくや」、京橋商店街を抜けたところにある居酒屋で、地元を知る通の店だ。地元のW氏に紹介いただいた。まずはビールと行くところだが、最近ビールはダメだという人に出逢う機会が多い。本日のゲストもビールがダメだと言うことで、瓶ビールのスタートとなった。こういうスタートを切ると調子が狂いますね。この店は鳥の店だが、お造りもなかなかのモノ、しかし鳥の刺身盛りというのは更に輪をかけたスゴイ内容だった。居酒屋を始めるというN氏の話から盛り上がりを見せたが、いつの間にか映画の話になった。僕が映画を見ながら酒を飲むという話を切り出したところ、お二人ともそれならハイボールだと口を揃えて言われる。僕はとろりとした日本酒の「菊水」かチョーヤの「梅酒」だと思いこんでいるので意外な伏兵が現れ話が逸れていった。そして映画の話となり、ヨーロッパの映画は暗い(内容が)となり、そんなことはないだろう、ミスタービーンなど明るいよと反撃したが、どうにもならなかった。音楽論議に入る前に帰りの電車の時間が来て、お開きとなった。なかなかおもしろかった。写真は本人に許可を得たので掲載だ。
6月24日(木曜日)
真夏日が戻ってきた。朝、川沿いを歩いていると、蝉をツグミが追いかけている。何も遮るものがない川の上なのでとうとう鳥に捕まった。自然で生きるのは非情だと思いましたね。ラジオの英会話最終週はいつもと違う特集があるが、今月は世界的に有名な詩。英語の詩である。日本語でも詩の理解は難しいのに、ましてや英語となるとちんぷんかんぷんである。だが、じっくりとその単語なり文章をかみしめているとやっぱりにじみ出てくるモノがあり、英語の深さというモノを感じた。それは浅いかも知れないが、同じ発音のする別の単語を使って文章を構成するとか、文章の強弱の付け方が同じになるような文章構成にするとか、いろいろ手法があるのだ。そして言葉が少ない分、その後どうしたのだろうか?とか、いろいろ想像させるのも詩の持つ魅力だがきちんと英語にもそれがあるのだ。浅いなりの理解だが。帰りの道筋で、立ち飲みの感じの良い店に出逢った。蒲生4丁目。
6月24日(水曜日)
昼間社員食堂で食事を取るが、今日は仲間も出張で一人、窓際の外の風景の見えるところに座っていただいていると、隣に座った人が声をかけてきた。K氏は名古屋時代、経理の仕事をしていた人だ、聞くと、その後も本社や広島とか経理の仕事で全国を歩き、最後に保険の営業をしていると言う。経理マンが年取って営業マンをするのは相当ご苦労があったと思うが、その話は出てこなかった、と言うことは、意外とスムーズに移行したみたいだ。もともと素養があったのだろうか。えらい。毎週水曜日は定時の日。今日は職場のM氏のお誘いで近くの居酒屋に。夕食500円の献立で生きて行く身としては5,000円の出費は惜しいが、惜しいがどうも飲みたいと気持ちに揺れてお誘いに応じた次第。いつも顔を合わせている人と飲むと話題はどうしても仕事の延長線上になる。しかし、彼等の話題は広く国内で生きてきた身としてはそれでも刺激になる。そして海外でもアメリカを経験したのは話題が広い。
6月23日(火曜日)
エアコンと冷蔵庫の市場はどうなっているのだろうと、仕事を終えて難波にあるビックカメラに向かった。京橋からは地下鉄で割と便利なはずなのに、地下鉄を乗り間違えて門真の方向に向かったりして時間を無駄にした。心斎橋で下車して日本橋方向に徒歩で、心斎橋の商店街も、地方のアーケードのある商店街と同じように衰退が始まり、シャッターを閉めている店がある。そしてツタヤとかスギ薬局とか全国的に有名な店が少しずつ増えていていわゆる地物の店はだんだんと姿を消している。まだ大阪の中心地だから閉めた店の後を狙うビジネスもあるだろうが、ここにマッサージなどが出始めると、もうこの街はおしまいだろうと思う。その中心に大丸があり、そごうがある。そのそごうは大丸に吸収されるため店じまいセールを行っていた。そごうは不振で一旦店を閉じ、建て替えたばかりだった。調査を終えたのが8時半、もう帰って食事を作る時間もない、そこでマクドナルドに入ってビックマックを注文した、ウエイトレスはインド人だった。僕の言い方が伝わらなかったのか、ビックマックのセットの受付をされた。そこで、This only orderとビッグマックを指さした。するとそのインド人は「単品ですか?」と答えた。そや、ここは日本なんやと気がつきました。
6月22日(月曜日)
ポメラが売れている。今までだったらすぐに買ったんですが、年俸を300万円!も下げられると一寸どうにもならない。しかし、メモは必要だから、昔使っていたウイルコムの携帯電話を修理して使うことに。修理代が7,000円位かかると言うが、必要だから仕方ない。電話帳は、これも使ってないドコモの携帯電話を使い、携帯電話はi-phonで、結局携帯電話を3台持ち歩くことになる。電話帳はi-phonにまとめても良いはずだが、まだその方法を知らないでいる。今日はインドから帰任したY氏のおめでとう会をするというので、天満に駆けつけた。なぜ天満かというと彼の勤め先は東京でこの日に新幹線で帰らなければならない、それで交通便の良い天満だ?それと、天満の立ち飲みは相当有名でいろんなタイプの店があり、今をときめくトレンドだということのようだ。Y氏の勤め先は僕の基居た職場で何かと親近感があるので祝ってあげたいと思っていた。ところが、僕の出発が少し遅れたので、はぐれてしまい、天満をくまなく歩いたがとうとう見つけられなかった。だが、店を一軒一軒覗いている間に、この立ち飲みやの凄さに感動した。いろんな料理タイプの店がずらぁ〜と並んでいる。その数多さ。そして飲んでいるビールがサッポロの黒ラベル。いわゆる「通」の人達が通う店でもあったんです。なにやら開拓してみたい闘志のようなモノが沸いてきたのでもあります。
6月21日(日曜日)
じっとしていても汗が滲んでくる。玄関のドアも開けてとにかく風通しを良くして過ごしている。この部屋は7階建て7階なので、太陽が照りつけると部屋の温度が急上昇する。暑いがエアコンの力を借りず、久しぶりの英字新聞を読んでいる。なぜ休日に英語なのか?先週飲み仲間に簡単な英語で挨拶文を送ったら、英字の返事が来て、こりゃいかん。英語の勉強を加速しなければと思った次第。イランが混乱している。中東では絶対にイランが中心の存在であるらしい。なぜイランなのか?ペルシャの国だから。アラブはペルシャから始まった。そうした歴史を持った国なので気品も高く、しかも自由も知っている。すんなりとはまとまらない。中東の平和はイランが握っていると言っても過言でない。アメリカが固唾をのんで成り行きを見守っているというのは、こういう背景があるからだ。その情報を得た上でヘラルドトリビュー紙を見ると、記事がなんとなく理解できる。プールで2km。挽肉は安くて旨いと言うのを始めて知った。もやしと組み合わせるともっとも安価な食事ができそうと言うのも知った。いろいろ知らないことが多い。インドネシアの写真をここにリンク。
6月20日(土曜日)
晴れていたのでシーツまで洗った。部屋の温度は30℃あるが、窓を開けて寝ると何とか寝られる。風が吹くと木の葉がさらさらと鳴ってまるでトトロの森のようだ。だが、やっぱり汗をかいているので洗えるモノは全て洗濯だ。自転車のタイヤがすり減ってもうこれ以上は使えないので交換することにした。25Cと言うタイプで在庫がないと言う。28Cなら今すぐできるが少し路面抵抗があるとのこと。この夏は自転車で四国に帰る予定なので、150kmは乗るからと言うと、25Cがお勧めだと言う。注文で対応してもらうことにした。午後難波に出かけた。なんばパークスでLEXUSの発表会をしていた。650万円のRX450hに座った。ヘッドライトとか計器板に電源が入っていたので聞くとデモ用として照明機器にはAC100Vから電源が入るように改造してあるという。ハイブリットで一番気になるのは山に上がるときの充電と放電の配分だ。地図のナビと連動すれば、山の頂上付近では相当放電状態になってていいはずだ、なぜなら下りで十分に充電できるはずだから。その辺の話を聞こうと思ったが、説明員はありきたりのことしか答えてくれなかった。まぁ答えたとしても買わないけどね。紳士的な穏やかな人だったが、もう一つ切れが欲しかったです。ヤマダ電機では、ドコモが新製品のキャンペーンを行っていた。見ていると携帯はネットの方向と、カメラの方向に進んでいるような感じを受けた。フルブラウザとあるが、フラッシュは対応できているのかと聞くと、カメラのフラッシュですかと来た。まぁアルバイトでは無理だろうな。冷蔵庫の所では、若い夫婦が熱いモノをそのまま保温できるか?聞いていた。店員は、400リットルクラスでは対応機種が無いですねと答えていた。食品を熱いまま保温したら味が落ちるのは誰が考えても分かる事だが、若い人はホントに基本を知らないね。洗濯機の所では、三洋の洗濯機は靴も洗えると説明していた。良く聞くとイオンの力で消臭と除菌だけだ。過大表現ですね。洗うことの一番定義は「汚れを落とす」なんです。なんだか、世の中は間違っていると思いながら帰った。映画「バンディダス」、何かの間違いで録画したとはいえ、非常に精細感高い映像でよかった。その上、ものすごい美人が登場する「ペネロペ・クルス」、「サルマ・ハエック」この2人を見ているだけで楽しくなってくる。ペネロペ・クルスは妙に惹かれる顔つきだ。そこでネットを当たってみると、映画「ボルベール」にも出演している。この映画もお気に入りの映画でDVDに残してあった。美人というのは癒しでもありますね。
6月19日(金曜日)
ヨドバシカメラに出かけた。ここはいつ行っても楽しい。最近ポメラの売り出し中だ。キングジムのメモができる電子機器で非常に売れていて10万台が見えているそうだ。一方、デジタルペンも魅力がある。これは、紙の上に手書きで文字を書くと、このペンの位置を把握して、パソコンにどんな文字を書いたのか再現してくれる。文字変換もしてくれる。両方ともおもしろい事務機器だ。ついでに隣にある電子辞書も見てると、カシオのマルチペンタッチ画面の使い方と、シャープのカラー液晶の見やすさといい勝負をしていることが分かった。隣で若い女性に非常にわかりやすい説明をしている店員がいたので顔を確認すると、テラシタの従業員だった木村氏であった。思わず声を出してしまった。オーディオをかじったことのある人はこういった電子辞書でもわかりやすく説明をするもんだと感心した。キヤノンの服を着ていた。写真は出勤時、近くの運河(寝屋川)で魚釣りをしているおじさん、その魚を狙っている鶴。距離が近く余りにも親しみがある鳥の態度だったので撮影した。
6月18日(木曜日)
社員食堂でばったりとNさんに逢った。昔一緒に仕事をしていたことがある。なんと来年の9月で定年だという。もう少し話を聞くと、定年後は居酒屋をしようと考えていると言う。僕はこの話を聞いて彼にぴったりの仕事だと思った。食事に関する味覚は抜群だし、酒の選び方も旨い。音楽のセンスもあるので、きっといい雰囲気のある店ができるだろうと思う。後は運ですね。僕は早速HP立ち上げの支援を約束した。来週の金曜日一緒に食事に行ってそのプランをもっと現実化する話をしようと思う。今年1年は料理の学校に通うそうだ。こういう話を聞くと何となく勇気がもらえますね。
6月17日(水曜日)
草津に出張した。大阪からJRで1時間ほどかかる。丁度昼時だったので、午後の睡眠にぴったりとはまった。うんざりするような大阪の湿度から、快適な冷房と電車の揺れはまさに最高のゆりかごでしたね。草津の駅前にパン屋さんがあり、ここで前回旨いパンを買ったので今回も帰り際食パンを買った。今週分の食パンは近くの業務スーパーで買ったのがあるが、これがとてもまずいのだ。堅くて喰えないといっても良い。噛むというよりかかじる、しゃりしゃりと音がする。相当まずいモノを喰うことに自信がついてはいたが、こればかりはどうしようもない、これはもったいないが捨てようと今朝ほど決意したばかりだから丁度良かった。食べ物を買って捨てたことはほとんど無いが、仕方ない。
6月16日(火曜日)
もう一つの病気。おなかの調子は回復したが、別の病気にかかってしまった。病気の時、布団の中で読み始めた「ミレニアム」は余りもおもしろすぎて、目が離せない。昨晩一巻目を読み終えて今日は2巻目を早速買ってきて読み始めた。とにかく熱病に冒されたみたいにこの本にとりつかれてしまったのだ。食事を作りながら読み、食べながら読み、風呂に入りながら読み、布団で横になって読み、自分の生活が全てこの本に飲み込まれてしまった。だが、どんなに集中しても80ページくらいしか進まず、週末までこの調子が続きそう。
6月15日(月曜日)
昨晩は腹痛が続き、2時間おきにトイレに。これは大変な病気かも知れない。出勤しても良いが、もし重い病気だった場合はみんなに迷惑がかかる。それで、とりあえず病院で見てもらい安心を得てから出勤しようと決めた。病院の診断は急性腸炎、結局喰ったモノが悪かった。いつも外国から帰ってきてからおなかを壊すのは、水に関係がある。外国では一切生水は飲まない、おなかも壊さない。しかし帰国すると大阪の水道水をそのまま飲みます。どうもこれが原因のようだ。今回は東京に行ったりして、生水を飲まなかったので帰国後も元気だったが、大阪に帰ってきてからダウンしたから因果関係が分かった。病院でもらった薬は抗生物質と、整腸剤、腸の活動を抑える薬。一回飲むだけでころっと直ってしまった。
6月14日(日曜日)
朝から猛烈な腹痛。昨晩喰った何かが悪かった。古い出汁じゃこかな。とにかく起きあがれず、最高傑作ミステリーと評判の高い「ミレニアム」を読みながら一日を過ごす。夕刻腹痛が遠のき、そうめんを食べて、今週の出来事をしたためる。しかし一日喰ってなかったせいか力がわかず、PCで文字を打つのもしんどい。この辺りのエネルギーの蓄えの少なさが、年齢と関係しますね。
6月13日(土曜日)
突然目覚まし時計が鳴って8時に目覚める。必要なときにならずに不要なときになるが目覚まし時計。息子は起きていてこの機会を逃したらしばらく逢えないので、無理矢理外に連れ出して写真を撮影した。僕はその足で出かけることにした。向かう先は谷津。谷津の駅前は、昔の商店街風の店が軒を連ねていて、庶民生活の味わいが残っている。癒しの場所だ。ここのバラ園は毎年撮影に来ている。昨年は6月4日。しかしどうやら今年は盛りが早くて花は少なくなっているとのこと。それでも広大な敷地にバラばっかり。中には見応えのあるのもある。3時間余り撮影し、電車に乗った、ところが寝過ごしてしまい船橋を通り過ぎて八幡まで行ってしまった。ここで下車しJRに乗り換えたところ、総武快速は不通だという。寝過ごした結果良い目を見た。新幹線の出発には時間があったので、秋葉原散策。ヨドバシカメラには時代を反映してなのか、真空管アンプコーナーがあり、少し郷愁を誘っていたが、肝心の音楽が流れてない。これが昔のオーディオ専門店とは違う店ですね。手書きメモをPCに取り込み文字変換できる機器がいくつか展示されていて高い関心を持った。新幹線ではひたすら寝て、大阪には7時前に到着、家の近所の業務スーパーでオレンジを買って帰宅。焼酎をオレンジで割ってちびりちびり舐めながらネットのチェックをするのだ。
6月12日(金曜日)
関空に9時到着して南海電車で帰宅する。家に帰るともう11時だ。急いで洗濯をして、報告書を仕上げてメールして、荷物を片付けて出発する。今日は千葉の家に向かうのだ。少々寝不足だが夕刻友人のFさんと懇親する約束なので、3時出発は必須なのだ。新幹線に飛び乗って雑誌をめくること5分で夢の世界に没入ですね。名古屋の手前で目覚め、静岡過ぎてまた夢の中へ。東京はさわやかな風が吹き、そして大都市なのに空気がなんてキレイなんだと感心しましたね。アジアの国は活気があるが空気が汚い、よどんでいる。懇親は伊呂波。東京時代にはよく通ったそば屋ですが、今日はお客さんも少なく不況の風を受けている気がしましたね。その手前の秋田屋と言う立ち飲み屋さんは行列ができていた。この店の行列も始めて目にしましたね。懇親はどうも僕が一方的に話したみたいでみんなに悪い気がした。なんだか酒を飲むといらんことまでしゃべってしまうような気がしている。友人は槍ヶ岳登頂計画をしているとのこと、僕もタイミングが合えば一緒に行きたい。彼等とはいずれエベレストのトレッキングを計画しているのだ。それまでに僕の言語を磨いておくことがポイントだ。家に帰ると不機嫌な妻と脳天気な息子と、疲れ切った娘がいた。娘は明日の朝も早く顔を合わすのがこのときだけ。クラブ活動で忙しいらしい。僕は約40時間ぶりに布団で寝れる喜びで余り会話もなく寝てしまった。
6月11日(木曜日)
今日も終日会議、会議に参加するメンバーがすでに入り口でたむろしていて騒いでいる。とにかく彼らは元気で陽気なのだ。僕も準備をして会場に駆けつける。何名かは前回の会議で僕の名前を覚えてくれていて声をかけてくれた。Your Remember? 英語がわからない人たちなのでフィーリングで意思を通じあう感じ。今日は会議の終わりの時間は不明だが、僕がここを去る時間は決まっている。午後5時だ。旨く退散が出来るようにスケジュールを組み替えていただいた。今日のジャカルタ発シンガポール行きの便は、シンガポールからの出張者と一緒で迷わなくて済む。その上、彼はゴールド会員だからラウンジにご招待いただいた。ここのラウンジは非常に質素で、食べ物の種類が少ない。僕はスープとビールの妙な取り合わせを頂いた、スープは旨そうだったし油濃かったので立派におつまみの役目を果たすと思ったからだ。そして同行の人に、僕がまだ訪問してないタイの事情を聞く。もう治安は安定していて大丈夫だという。来週に行く予定だと言う。そこで、タイの料理や観光地、人柄などを聞くとなかなか興味あふれる国のようだ。そして、ぶらぶらとホテルから出かけても危険でなく、朝飯に屋台の朝食をいただけそうなのだ。訪れてみたい気持ちがはやる。シンガポールへの飛行時間は1時間半。座席は最後尾で揺れるの何の、それでも夕食にはワインも一緒に頂く。シンガポール空港に着くとなんだか文明の中に戻ってきた安堵感がある、誰もがそういう気分を味うらしい。ここで仲間と別れ、タイガービールの飲める店に向かう。ハードロックカフェーがありました。持参したオーディオを聞きながらビールを楽しんだ、もう一杯はジャックダニエル、〆て1,200円。音楽はラリー・カルトン。70年代のロックをJAZZ風にアレンジしたもので、強烈なビートがありながらノリが少ないのは、あの時代の混沌とした不安のようなものが無いためだと思う。現在の不安はもっと多方面に渡り複雑で音楽に気持ちを託すようなものではないかもしれない。そうこうする内に出発時間。現地時刻午前1時。ジャカルタ時刻0時、飛行機に乗ると眠ってしまった。途中トイレ休憩。他の客を見ると、3つの座席を占領して横になっているではないか。早速僕もそのスタイルで寝ることにした。座席の端が体に当たりちょっと痛いが我慢して寝ることに。朝飯のgood mornigの挨拶で目が覚めた。これだけ眠れたのは今回が初めてだ。朝飯に日本食の魚か洋食のスクランブルエッグかを聞いてきたので、スクランブルエッグと伝えたのに日本食が出てきた。日本から離れている間だけは日本食からも離れていたいのだったが。
6月10日(水曜日)
万歩計を見ると、まぁ一日10,000歩ってところです。しかし少し足りない。部屋の中を往復して数字をあわせる。今日は重要な会議の一日。食事も弁当で済ます。今日の弁当は、インドネシアで屋台を続け評判をとってのし上がり、店を構えたという立身出世の物語のある店からのデリバリー。チキンの辛いのとご飯、ついていたサラダは食べた後、あまり食べないほうが良いとアドバイスを頂いた。なるほど、サラダ菜にはギョウチュウが着いていそうだったが後の祭り。今日の夜もみんなで食事に行くという。僕はくたくたに疲れていて、みんなと一緒に宴会をすると22時頃まで遅くなりそうな雰囲気だったので、一人だけ退散した。道路事情が悪く、7時に会社を出てホテルに着いたのが、午後8時過ぎ。昨日と同じくホテルで食事、今日は目の前で調理をしてくれるメニューを頼んだ。仕組みがわからないので、従業員に教えてもらいながら、内容の半分は勘を活かして理解ですね。食事を終えた後、良く見るとチキンの串焼きがあった。旨そうなので食べ方だけを伺った。秘伝かどうか不明だが、たれに漬けていただくそうだ。食べてみるかと聞かれたがもうこれ以上は入らないのでNo。熱い風呂に入ると10時ごろに眠くなった。日本時間の0時です。体は日本時間ですね。朝は現地時間で合わせてますね。
6月9日(火曜日)
目覚まし時計がなるまで不覚の睡眠だった。疲れている?一日8,000歩しか歩かないのに?緊張しているのでしょうかね、せめて10,000は歩かないと。それで、部屋の中を20分間歩き万歩計のつじつまを合わせた。朝食は昨晩の食べすぎを調整するために、フルーツとパン。昼前には旨く腹がすいてきた。今日はかねてよりお願いしていて、危ない屋台で食べることだ。日本人の出向者は絶対に行かないようだが、今日、案内してくれる彼はまだ若く冒険心旺盛だから付き合ってくれた。同じく日本からの出向者の気の強そうな女性も一緒だった。料理は、ご飯とココナッツミルクに肉やら野菜やらを一緒に煮込んだ健康食。これに、なにやら判らないミンチのような揚げ物2種。サービスでインドネシアのお漬物もある。アジアの食器はフォークとスプーンが基本だ。左にフォーク、右手にスプーン。ご飯を掬って、スープの中に浸し、それを頂く。日本流に言えば、ご飯に味噌汁をぶっ掛けて食べるのと似たような感じ。ただし、具には肉が入っているのが違い。スープの基本となるココナツのなんともいえない香りは懐かしい感じがする。昨日も懐かしいと書いたが、あれはココナツだったんだ。昼食から帰って事務所の玄関を入ると、従業員が漬物を広げていた、今屋台で食べたのとは違う食べ方、どうぞと言われるので頂いた、この人のはミソに似たドレッシングにつけて食べる。明日は本番だから、今日は遅くまで会社に残り準備作業。今日は僕だけホテルに帰る。ホテルで一人の食事だ。営業時間を聞くと10時半までだという。まだ時間があったので安心した。もしこのホテルのレストランが閉まると明日の朝まで食事が無いのだ。ホテルからぶらぶらと出歩くことは危ないし。食事はブュッフェスタイルで、朝とは違うメニューが並んでいる。だが料金は一定なのでここで思い切って食うと明日に残る、腹8分目で止めましたね。2,500円ぐらいなので元が取れてない。その上まずいことに、ここのマネージャーと目があってしまい、よく帰ってきたと挨拶。わからない英語で話しかけられ往生したぜ。
6月8日(月曜日)
5時ごろの目覚め。昨日は9時半ごろ寝たが、日本時間では23時半。旅の疲れだ。だが、5時ごろに目が覚める。
6時から食事が出来るというのでチケットを持って出陣。夕食は機内食のみだった。中途半端に飯を食ったので、ホテルで食べるには量が多いし、食べないにしては空腹だしという感じだがこれで寝たのだ。朝方は空腹の絶頂で、良く食った。ご飯に野菜を煮たのをかけて食べるのはインドネシア料理の喰い方。ご飯に微妙に味と匂いがついている。それが凄く懐かしい感じだ。2ヶ月前に食っただけなのに。九州で焼酎の白波を飲むと、25歳で始めて営業に出たときに、九州は小倉の鍛治町に上司の西尾課長に連れて行ってもらったことを昨日の事にように思い出す。僕の中では白波=西尾課長のイメージなのだ。それと同じですね。今日の仕事は事務所でプレゼンテーション。一番最初に若い女性が挨拶に来て握手をする、と、握手の仕方が違うと言われて、親指を絡ます方法を教えてくれた、これがインドネシア流だと。フムフム。だが、他のメンバーが後から現れたが、普通の握手だった。いったい何の意味があるのか。こちらはブレイクタイムにお菓子が出る。それも相当大きな箱に入っていて、カステラや、春巻きに似た揚げ物やら、これだけで昼食分の物量なのだ。そしてものすごく甘いミルクコーヒー。これが実に合うんですね。それが、朝のブレイクと昼のブレイクに、結局食べ通しだった。昼食は事務所とは違う別の建物に用意してくれている、それで外に出るとなんだかむせるような土の匂い。雨が来る直前の風ですね、そしてその建物にはいると同時にバケツをひっくり返したような雨と雷。こちらの雨は半端ではない。屋根がトタンの建物ですが、石が落ちてきているかのような音。そうなんだ、ここは熱帯なのだ。当たり前といえば当たり前のこと。でも昼食が終わることになると小降りになって事なきを得る。夕刻7時半に仕事が終わった。ここは危険なので日本人が三々五々帰るわけには行かない。みんなまとまって日本人の車で送ってもらう。一緒に食事に行くという。その店が「GYOZA」餃子の店。注文をその日本人に任せたら、ものすごい量が出てきて食べ切れなかった。みんなおいしいと舌鼓を打った。僕はみんながお箸をつける前にカメラに収めるため忙しかった。僕でも出来そうなのは、野菜をにんにくで炒めたもの。少し塩味が効いていてさっぱりしている。ベトナムやタイでもこのような料理があるそうだ。一緒のメンバーは国際人なので、いろいろ世界を知っている。入社したときから海外畑の人たちなのだ。僕のような経歴の人はいない。いろいろ料理について、あの国はどうとかこうとかの話題を聞く一方だ。鼻につく?と思われるかもしれないが、今は吸収モードなのであまり気にならない。それに、僕はどこでどんな料理を食ったのか具体的に写真に撮り、店の名前を記録しているのだ。彼らの記憶より絶対的なデーターベースを作る自信があるからだ。ホテルに送ってもらい、ギンギンに冷えた部屋に入る。熱めの風呂にゆっくりと浸かり今日の汗を流す。眠くてしょうがない状態になる。
6月7日(日曜日)
やっぱり今日も目覚まし時計がならなかった。何かの相関関係があるかな。そしていつものことだが、地下鉄や難波駅での通路に施設した案内板に気分を害しながら南海電車のラピートに乗る。この特急列車は、急行電車並みのスピードと停車駅の多さにうんざりするが、それでも、先発のこの電車が速く到着する。だが特急券が必要なのだ。今日はたまたま、後2分と言うタイミングで出発に間に合い、ホームで特急券を購入すると指定座席が一番先頭車両だった。切符売り場は最後部の更に後ろのほうにあるから、端から端まで歩かなければならないのだ。そして、各車両を見ているとほとんど席が空いている。歩いている途中で発車の時間となり、あわてて駅員が手助けに来た。こういう現象を見て何か対策を講じることは思いつかないのでしょうかね。ホームにたって「おはようございます」とか言わなくても良いので。関西空港にはずいぶんと早くついたので出発時刻までわりと時間があった。久しぶりの音楽、ローリングストーンズbridges to babylinを聞きながら時間をすごした。ノイズキャンセリングヘッドフォンなので場内アナウンスが届かず気がつくと周りの人がいない。あせりましたね。ノイキャンの盲点。シンガポール航空は細身の美人が揃っている。そして見るからに薄着の制服で大変色っぽい、なのだが、今日はインド人のスチュワーデスを見かけた。最初は配ったおしぼりを回収していたので、インド人のメイドなのかと思っていたがそうではない、後で配膳もしていたのだ。インド人は頭部が小さく大変きれいだが、どうも、日本人や中国系のスチュワーデスと比べると物腰が貧相なのだ。言っていること(良くわからないが)や動作がマニュアル(があると思う)から外れているということではないのだが妙に違いを感じる。これが生まれた環境がそうさせるのかなとかんぐりましたね。チャンギ空港の乗り換えは迷った。なぜならジャカルタ行き便数が多いので、別の便と間違え違うターミナル向かっていたのだ。インドネシア行きは英語とインドネシア語の案内で一層不安が募る。しかも、今は税関に渡す申告書のほかに、インフルエンザの関係でもう一枚申告書類があるのだ。よく見れば英語とインドネシア語の併記なのだが、最初は見慣れない単語を一生懸命辞書で引いていた、辞書はエラーが出るのであせったのだ。(インドネシア語は英語と同じアルファベットを使う、たとえば、写真のことを英語ではphotographと書くが、インドネシア語ではfotoと書く。旨く短縮してある)。僕の外国での実力は3歳児以下なので不安な上になれないことが起きるとパニックを起こす。到着してビザの発行でも時間を要し、税関ではアラブ系が多い列は時間がかかるだろうと、中国系の後に並ぶと、逆だったりして。その上、30分を過ぎるというのに荷物カウンターに荷物が届かない(結局荷物は一番最後に出てきた)。とうとう到着してから1時間を要して出口に向かうことになった。この効率の悪さは、どうやら空港の仕組みの問題ではなく、ただただインドネシア人が怠惰なだけという感じがする。荷物を受け取ると、今度は手荷物の検査だ。外に出るのにですよ。意味不明。そしてこのゲートをくぐると危ない地帯だ、現地人が日本語で気軽に近寄ってくるのだ。ここは目も合わさずひたすらまっすぐ自分の名前を持った運転手さんのところに向かう毅然とした態度が大事なのだ。この運転手さんとはもう面識もあり、やぁと言うことで握手をしてホテルまで送ってもらう。
6月6日(土曜日)
明日は仕事だと思うと落ち着かない。とりあえず出発の準備をして、部屋を磨いて、後腐れ無く出かけられるようにした。幸い午後から太陽が出てきて洗濯物が乾いた。今回は4泊6日の予定で帰りはくたくたのはずだ。だから、シンガポールでの乗り換え時間を多めに取って、タイガービールでも飲みながらゆっくりしようと思っている。そのくつろぎの為の荷物も詰め込んだ。夕刻プール。今日は少しセーブして2km。この住宅のことについて。ここは公団住宅だが、非常に静か。夜も窓を開けてくつろいでいると、サァーと風がながれてゆく音がする。トトロの森に住んでいるような感じなのだ。もう少し暑くなると窓を開けて寝られる快適環境なのだ。最高の環境から少しやばい環境の国へ出かけてくる。
6月5日(金曜日)
やっとインドネシアへの出発の準備を整えた。これから単発的なこうした出張も次第に間隔が短くなり、国から国への移動も今後出てくるだろうな。今、各国のお金は封筒にいれて持っているが(インドだけはお金がきたいないので、別途財布を用意)、各国のお金はその国でしか使えないので、運転資金としての死金が数万円分残っている。厳しい家計のなかなので困っている。さて、金曜の夜だけは心おきなく酒が飲めるから、明るいウチに帰って投稿動画を見ながら酒を飲んだ。睡眠不足は相変わらずだが、これを続けると一つだけメリットがあるコトに気がついた。それは体重が落ちると言うことだ。先週日曜日のプールで体重を量ると57kgもあった。僕の場合身長が低いので、この体重は問題だ。まだ腹は出てないが時間の問題だ。チビ、はげ、デブの順が女に嫌われる理由と言われるが、3大ポイントを全部取得しそうで一つだけ糸口が見つかった。
6月4日(木曜日)
久しぶりに子供の声を聞く。一緒に暮らしていても会話がないなかで、こうして離れているともっと会話が少ない。それで、今どんな暮らしをしているのか聞いてみた。息子はクラブを止めて久しい。止めた理由はクラブの先生と合わなかったようだ。一緒に止める仲間を募って集団退団しようとしたが、どうやら息子だが辞めたようなのだ。それ以降学校が終わると家に帰ってきてTVをみているらしい。彼の友人関係は中学校時代の方が多いようだ。僕の場合、中学時代はさんざんな目にあったので、すべて切り捨てて、高校時代の友人に入れ替えた。村では同窓会もあるようだが絶対に参加しませんね。彼は、今、中間試験の真っ最中とのこと。成績はあまり自信がなく大学は私立しか無理だろうと言う。私立に行くとお父さんの夕食は500円から、100円位に落とさなければならなくなるなぁと伝えた。どうやら娘の方も私立志望でお金がかかるようだ。
6月3日(水曜日)
もうスリランカのビジネス。この間紛争が終わったばかりのスリランカ。昔お茶の産地でセイロンと呼ばれていた国。もうこの国もビジネスが動き始めているようだ。民族紛争や宗教が絡むと解決も一筋縄ではいかないと思うのだが、そこに暮らす人達はたくましく、昨日よりも今日は良い日だと信じてビジネスが展開されているそうだ。それとバングラディッシュ。ここは世界の最貧国だと思う。だがここでも富裕層があり、そこにビジネスが生まれているようだ。世界各国で戦争よりもビジネスの方が儲かると人々が考え始め、独自のビジネスを始めている。いずれ世界の舞台に登場するようになるのはもう時間の問題だ。一方で地球の温暖化の問題や、酸素が枯渇するのも時間の問題だと思う。日本も世界の中の一つだと思えるようになって、いろんな国の事情が少しずつだがわかり始めてきた。今まで、こんな視点はなかったですね。
6月2日(火曜日)
日曜日の夜、あまりよく眠れなかったのに、昨晩も眠れない。重い頭を抱えているのだ。今まで6時間くらいは寝てたのに、今週から5時間を切るような時間になっている。当然疲れているはずなのにどうもそうではないのだ。眠れない原因となっているのが、ネットでの登録画像の閲覧だ。寝る前にネットサーフィンをすると目が冴えて眠れなくなる。悶々と2時間くらい布団の中で待っているといつの間にか寝てしまっているという状態なのだ。それで重い頭をコーヒーで覚醒させて出かけることになる。では、ネットサーフィンなんか止めてしまえば良いのだが、ついつい手が出てしまう。そうするとのめり込んでしまう。いつまでこんなコトが続くのだろう?と自分でも不思議ながら、毎日の習慣となりつつある。
6月1日(月曜日)
インドネシア語について
今週の週末からインドネシアに行く。これで2回目だが、この国は今までの国と比べて何かとやっかいである。まず言葉の問題がある。タクシーの運転手も英語が通じない。あまり現地のヒトとの接触はないが、ちょっとしたことでも壁になる。もう一つは日本人は狙われやすいと言うこと。お金のない国なので、お金を持っている日本人は格好の餌と映るようだ。だから、一人で出歩くことは御法度なのである。インドに比べて街が清潔で、車の警笛が四六時中鳴らないと言う良さはあるのだが。気を許せない国なのだ。今回訪問すると、当分の間は訪問はない。この国は、余った時間を使ってバリを制覇しなければならないと思っている。バリでガムランの踊りを撮影するのだ。心に秘めておこう。会社を終えて帰りにスーパーによって夕食と明日の朝飯を買い込んで短時間で調理をして食べる日常の生活が続く。しかし、自炊は外食よりも野菜が多く取れ、待ち時間を含めると、そんなに違わない速度の速さもある。自分勝手な生活でもあるのだが。そのスーパーの話。近所に業務スーパーがある。午後9時まで営業をしている。素材はよくないが本当にやすい。たとえば牛乳パックが105円で買える。もやしやうどんの玉は50円以下。高知のニラは2束で100円。この店が最近繁盛している。僕がこの店にゆく時間は9時前が多いのだが、こんな時間でも結構な客がいる。大阪の食品スーパーは「ライフ」が一番店だが、そこと比べると40%位やすい。人々は生活防衛にシフトしている傾向が見える。
5月31日(日曜日)
読みかけの本を2冊仕上げた、気分によってあっちの本をかじり、こっちの本をかじりしていたが、丁度のこりが少なくなってしまったので同時に読み終えた。昨日はだらしなく過ごしたが今日は少しだけ充実して過ごせた。土曜日の過ごし方をもう少し工夫する必要がある。BDの「ダークナイト」を見た。このBDはここ最近の中で最高の映像を誇る作品でHIVIでべたほめだ。あいにくと24型のPCモニターでしか見れないが、精細感のある映像はこうした小さなモニターでも十分読み取ることができる。香港を空から撮影してあるC7のシーンではビルの窓が克明に見え、ハイビジョンの醍醐味とはこういう事なんだと大いに感じ入った。映画のストーリーは少し理解できない部分もあるのは、余りにも綺麗な映像をうっとりと眺めていたというのもある。50型のPDPで照明を落として是非見てみたいモノだ。
5月30日(土曜日)
上新電機にBDレコーダーの修理を出しておいたのに一向に連絡がない。そこで訪問すると、今修理ができあがってきたばかりと言う。なんだか、そば屋の出前のような感じだったが、手に入ったので文句もない。修理代は無償だった。ヒューズとダイオードの交換だけだったようだ。最近土曜日の過ごし方が不安定で写真をアップロードしてだらしなくしているともう夕刻。膝が痛いからプールは休憩。それにプール代の700円も痛い。この前、娘に電話をすると元気な声で「オッス」と言った。彼女たちの合い言葉はこんな男古葉を使っているのだろうか。今住んでいる住宅の隣には女子校がある。毎朝、出勤時に彼女らも登校してくる。我が娘もこんな感じなのかと思いを馳せていた。彼氏はできたのか?「まだ」。普通はいてもまだと言うだろうな。友達は彼氏はいるのか?「いる」。でも、「充実した生活を送っているよ」。何が充実なのかよく分からないが。僕は、高校生の時を少しだけ話した。高校3年生の初夏。森山加世子の「白い蝶のサンバ」がはやっていた。中間試験の後はみんなで集まって酒を飲みタバコを吸った。タバコを吸うことで大人の仲間入りができたと大いに自身を持った頃だ。そして仲間は多かった。娘は信じられないと言った。子供達と接してないから、僕を知りようがない。僕の娘のことはほとんど知らない、が、仲間を作ることは大丈夫なようだ。
5月29日(金曜日)
断酒の状態で一週間すごしたら今日は酒が欲しくて気が狂いそうになった。かといって、財布には5,000円しか残って居らず、ビールなんてとんでもなく、近所の業務スーパーで一番安い梅酒1リットル500円を購入した。やっぱり一人住まいはストレスが溜まるんでしょうか?週末の夜、狂ったように酒を飲む。映画を飲みながら飲む。新聞で一人飲む酒は病気にかかる確率が高いと掲載してあったが仕方ない面もある。今日の映画は、「レッドクリフ」。映画を見ながら、昔読んだ「三国志」を想い出した。風の力を借りて船を火攻めする、諸葛孔明のアイデアを想い出した。映画では小喬(ショウキョウ)演ずるリー・チーリンは誠に美しい。曹操はこの女をめとるために呉を攻めたというのはわからんでもない。見終わった後、買っておいたウイルバスター2009をインストールした。ウイルス対策無しでここ半年過ごした。バックアップHDDがあるので、インターネットを長時間使った後は、HDDを元の状態にして、ウイルス対策をしていた。この方法だと例えウイルスに感染しても、昔の状態にHDDが戻るので同時にウイルスの無い状態となるのだ。こんな面倒から少し解放された。
5月28日(木曜日)
今日は仕事で兵庫県の滝野社(たきのやしろ)に行ってきた。三ノ宮の山の向こうかと思っていたらとんでもないところ。大阪駅からバスで中国道に乗って滝野社インターまで行く行程だ。例によってバス会社は、客はバスのことをよく知っているはずだと思いこみがあるらしく、ネットで調べてもバス乗り場の掲載がない。そして当日並んでバスに乗ろうする段階で切符を持っているのかと聞く。切符は信号の向こうにある建物で販売しているという。電車は切符を買って乗ることは全国一律だが、バスは車内で販売したり、自販機があったり、売り場で切符を買ったりまちまちなのだ。だから面食らう。時間が無く急いで買いに走った。その少し前、丁度昼にさしかかったので阪神百貨店の地下で弁当を買った。阪神百貨店の弁当が一番洗練されているのはやはり甲子園球場を控えているからだと思う。しかし、1,000円は覚悟する必要がありますね。滝野社では炊飯器のうんちくを教えていただいた。炊飯器は竈でご飯を炊く、その通りにプログラムを組むと、竈で炊くのと同じ味が毎回決まって得られるとのこと。料理は火加減で決まると教えていただいた。AVの世界にも色の再現性についてのうんちくがあり、コードや電源などいろいろとノウハウがあるが、調理関係にも深いノウハウがあるのだ。
5月27日(水曜日)
雨が降りそうな気配があったが、帰りはいつもの通り徒歩で、少し寄り道をしてヤマダ電機で「ダークナイト」のBDを買い、食品スーパーで食材と、ドラッグストアーでシャンプーとリンスを。天候のことは気にせずに帰ったが、玄関の手前で雨に3粒だけ打たれた。そして部屋にたどり着くとすごい雨になっていた。僕は雨には強い。リンスやシャンプーは切れてしばらく経っていたが買わずに過ごせたのは、ホテルに宿泊したときにもらってきたシャンプーとリンスがあったからだ。だが最近気がついたのはホテルのシャンプーやリンスは品質が余り良くないのだ。髪がぱさぱさになるのだ。ここらで切り替えておかないと少なくなった髪が無くなると思い少々高価だが国内のきちんとしたのを買った。それでも詰め替え用を買うと安価ですね。ここで暮らすことになって少しずつ周囲の景色が見えて来始めて、日常雑貨はここ、食品はここと安価な店、少し高価だがそれなりの品物がある店と使い分けることができるようになってきた。
5月26日(火曜日)
今日は仕事のこと。世界中で仕事をする人達が集まっての会議があった。そこで語られる世界の事情はテレビの探訪番組よりも迫力がある。それはビジネスという足かせがあり、ここを通じて世の中を見るからだ。北朝鮮が核実験を再開したとか物騒な話も聞こえてくるが、世界は平和なのだと言うことがよく分かる。20世紀は戦争の時代。21世紀は平和の時代と誰かが言ったがまさにその通り。アフリカのある都市のスライドがあったが、こことて、世界中の首都と遜色ないほどのビルが建ち車が行き交い、人々は忙しくしている。少し黄熱病とか特殊な病気に気をつけることだとあったのだが。バルカン半島はこの前、戦火にまみれた地域だと思っていたが、もう経済活動が完全に復活しているとのこと。今まで日本が唯一の生き方だったが、海外に目を転じてみると、日本もその一つだと思えるようになってきた。経済新聞で海外情勢を克明に読んでも分からないことが、そこに身を置くことでずいぶんと視野が開けるのだと気がついた。
5月25日(月曜日)
followについて。この単語がビジネスによく出てくる。早速ライトハウス英和辞典第5版を開き読み込むと、基本的には「後に続く」とある。応用例としては「後から行く」もある。フォローアップは日本でよく使われますね。日本語の意味としては、「(誰かを)支援する」的な時に使いますね。英語では「・・を続けてやる」。少し違いますね。すこしづつ頭の中の単語の整理をして行こう。問題なのは覚える速度と忘れる速度が均衡している事だ。新しい単語帳の記憶はできるのに、前の単語帳はすっかり忘れ去っているのだ。この頭ずいぶんと衰えたもんだ。
5月24日(日曜日)
昨日は体が固まっていたので水泳で少しほぐしたら凄く疲れてしまい、今朝は9時起床となった。食事を作って昼飯分も併せて喰った。食事は新しいメニューが加わった、季節限定モノだ。今真っ赤な桜エビが出回っています、これに野菜を加えて炒めるのです。野菜は何でもOKで、炒める時間を短縮するために細かく刻みます。昨晩電子レンジで同じメニューをやってみると9分かかったが、ガスで行うと5分でOK。ただし混ぜるので野菜のカタチが汚くなりますね。そして読書、残念ながら読書時間はほとんど寝てしまいページが進まなかった。夕刻もう一度プール。二日間で5km泳いだ。
5月23日(土曜日)
外出したい気持ち半分もあったが、まずはいろいろ雑用があるのでそれを済ませてからとごぞごぞしてたら12時を過ぎてしまった。とりわけ、BDレコーダーの修理を申し込むことがこの日の一番の出来事だ。BDレコーダーは中を空けてみると、200Vに差し込んだ被害はヒューズやその付近の電子部品も真っ黒で、電圧についてはヒューズは守ってくれないと分かりましたね。まぁ日本の機器を200Vに差し込むことは普通ないのですが。デジタルとなり、機器は海外であろうが国内であろうが、問題なく行き来出来るようになりホント便利になったのだ。それで出かけるには時間が中途半端となり、近くのレンタルやさんでDVDとCDをレンタルした。借りたソフトはノートに書いていっているがつい見落とし、今回も同じCDを2回借りてしまいました。それはスティビーワンダーだ、とりわけ「キー・オブ・ライフ」が聞きたい。この音楽は僕が昔東京を離れるときになじんだ音楽だ。新宿のピットインでライブが始まるまでに延々と流れていた。このことが頭を離れず、2回も借りてしまった。借りたDVDは2台のPCでバックアップ行うので、10枚であるがあっという間にリッピングできた。後はじっくり見るだけだ。今夕はデス・レースを見た。車の運転となればジェイソン・ステイサムの他に適役は見つからないほどドライバーが似合うキャラクターだ。それと、彼に意地悪を仕掛ける刑務所の意地悪女所長役にジョアン・アレン。彼女はボーン・アイデンティティでも見事意地悪役をやってのけた。唇の薄さが薄情さを加速させたような感じだ。
5月22日(金曜日)
昨夜遅かったのに6時には目が覚めて食事。今日は日本に帰るので、少々大目の食事だ。まず、肉類と、ウインナソーセージ。飯も少々。ホテルを12時にチェックアウトするとき、目の前に壁が突然出現して衝突しそうになったのでびっくりした。アメリカのバスケットボール選手達で、背の高さが2mを越していたのだ。僕の驚きにフロアの人達も笑っていた。僕の身長は彼等のズボンの高さしかなかったのだ。空港には12時半頃到着した。出国カウンターをしばらく行くと、税関の前でなにやらお金を払っているようだ。出国に際しお金が必要だ、とは聞いてなかったぞ。しかもドルで。しかしこの辺りが慣れですね、インドネシアでもこのようなことがあったのでドルは常に持ち合わせいて冷静に対処できた。税関をくぐったマニラ空港はホントに何もないです。関空よりも殺風景。しかしマッサージだけは多かったです。ビールを飲むにも妙に胡散臭そうで、持参の水だけで我慢した。そしてペットボトルの水はまったく問題なく機内持込ができた。そして飛行機は当初の出発時刻には離陸していた。午後3時頃昼食にありつけた。前回タイ航空について悪いことを書いたが、今回はいい事。旨いワインを搭載している。しかも、ひっきりなしにお代わりのボトルを持った人が回ってくる。そして食後にはすぐにトレイを引き上げてくれる。しかも機内の温度が適温。快適な空の旅でした。太陽がまぶしい国から一転どんよりした関西の空港に降り立った。家族に電話をすると最愛の娘の血液型がB型だという。娘は僕の性格を引き継いでいててっきりO型だと思っていた。なんだか娘に裏切られたような感じ。夕食を食べに行く程は空腹でなく、タマネギを電子レンジで湯がいてビールのアテとした。「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」を見ながら飲んだ。
5月21日(木曜日)
今日は市内から少し離れたところにあるモールの視察だ。マニラ市内を車で移動していると結構大きな街で、もし目隠ししてつれてこられたらここが何処の国なのか分からない、それほどの都会である。L氏が案内してくれるという。片言の日本語と英語の会話。このモールもでかい。南国のモールが住民に人気があるのは、暑さをしのげるとのことだ。今回の出張では車の冷房や建物の冷房に守られているが、一旦外にでると蒸し暑さに包まれる。暑さは湿気が多く日本の夏に似ている。猛烈な暑さだ。昼食は昨日と同じ中華風のファーストフード。飲み物はコーラー、当然コーラーには氷が入っている、じたばたしても仕方ない。夕刻、事務所で作業を追えた後、他のメンバーと市内で合流。「辛丹波」冷酒を飲んだ。この店は日本の居酒屋だ。メニューも日本語、ウエイトレスはフィリピン人で日本語を話す。「マグロのカマは無いか?」「無い」「代わりにぶりのカマがある」「それを注文だ」こんなやり取りで酒を飲む。帰る段階で、次の店に行くという、僕は帰ることを主張したが、大勢は行く気満々。カラオケだ。いまさらカラオケも無いだろう。だが、このカラオケシステムは好きな女性を選んで横で給仕させ一緒に歌うシステムなのだ。ガラス越しに20名近く若い女性がこちらを向いて座っている。気に入った人の名前を指名するのだ。みんな美人ばかりで目移する。僕は手を振ってくれた人を指名した。申し訳ないが誰でも良かったのだ(ホント)。そしてカラオケ合戦。ここに限らずフィリピンの女性は人懐っこく尽くしてくれる親切がある。まぁ商売上ですが。これを日本の男性は好意と錯覚するのではないかと思いましたね。そして大阪の新地の高価なラウンジより濃厚なサービスが得られるのだ。更に、価格は5,000円。「又来てね」「Yes
next moth come back」しかし、僕はもうこんなことが楽しくなくなってしまった。彼女と握手したら手がかさかさだとか、意外と手が硬いなぁ、生活大変だとか結構シビアに見ていたね。
5月20日(水曜日)
朝8時にホテルをピックアップいただいて事務所に向かう。途中に貧民街がありすかさず撮影する。昔はこんな程度ではなかったと、話す副社長は10年前にもこの国に赴任した経験のある方。当時はご夫婦で赴任してたとの事。今回は単身、アジアは今回の豚インフルエンザとは別の鳥インフルエンザの影響で、会社は家族の赴任を禁止している。貧民街のすぐ後ろ500mくらいのところには高層マンションが立ち並んでいる。この国は大きな変化の中にあるのだ。道中にひっきりなしに出会うのは、ジープを改造してロングボディーにして、10名ほどの人が乗車できる「ジプニー」。「これに乗りたいのだが」、「たぶん誘拐、もしくは強奪にあうだろう」とのこと。事務所で午前中プレゼンテーションを行なった後、昼食に2人の女性と出かけた。少し離れたところにあるデパートメントだ(僕にはスーパーマーケットと映るが)。僕は社員食堂でOKだと言ったが、聞き入れてくれない。そこで中華風の昼食を摂った。彼女たちがおごると言う。それはありえないので断ったが、この感覚は大阪のおばさん的だ。3人分僕がおごることになったが、3人で1,000円。もっと安いのかと思ったのだが。食事をしながら次回来るときにはセブに行けばよいと勧めてくれる。飛行機で1時間程度らしい。セブは今、読んでいる本「青い鳥の住む島」崎山氏の島があるところ。7月来るので週末に訪れたいと伝えた。フィリピンで何に興味があるの?僕はすかさず、ジプニーに乗りたいと言った。そうするとOKだと言う。「危険だろ?」、「まったく問題ない」と言う。そして、乗った。カースレオが大きな音で響き、窓がない、風が吹き抜ける。暑いが我慢できる。カメラで写す勇気はなかった。車内は両サイドの長手方向にフラットな椅子がある、詰めて座る。日本の電車では、女性は隣に座るとき少し間隔をとるが、ここでぴったりくっついて座る。その理由はたちまち分かった。急発進、急停止があり、ぴったりくっついてないと危険なのだ、後ろのドアも無いので、下手すれば道路に転げ落ちる。この車は停車駅がない、車内に吊り下げた紐を引っ張って降りる場所を指定するのだ。もちろん道の真ん中で下車する。突然後ろの人が何かを言ってお金を差し出した。そのお金は、見ず知らずの人に渡されリレーで運転手まで伝わり、両替して乗車運賃を引いた後、同じルートで客の手元に返却される。全然危険ではない、むしろヒューマンではないか。と思いましたね。午後のプレゼンを終えたのが5時半。プレゼンはアメリカ人風の白人社員に通訳を助けていただき事なきを得た。彼は非常にユーモアがあり知的。次回訪問時にはこの人に照準を当てて友達になろうと思いましたね。それほど魅力的な人だった。そして英語が分かりやすい。年齢も同じくらいだ。その後メール受信発信。夕食は市内にある中国式のしゃぶしゃぶの店。鍋の半分に仕切りがあり、半分はあっさりスープ。半分は濃厚スープ。僕は濃厚が好きなのでこちらを選択したが、濃厚タイプはおいしくなかった。最後の仕上げはマンゴー。腹がパンパンに膨れ上がり本日の活動を終えた。帰りは歩いて帰りたい雰囲気だが危険なので、目で見える場所だが車で送っていただく。
5月19日(火曜日)
今日はフィリピン行きだ。出発は10時20分で、朝7時前に家を出発する。何時も思うのは電車のホームや地下道の歩きにくさ。盲人用に作られたあの黄色の案内板は、車つきのバッグでは本当に邪魔だ。目の悪い人がこの案内標識を使って歩いているのを見たことがない。変な施設をするよりか、必要に応じて人が対応するほうがよほど親切だと思うが、これでは工事を伴わないから民間にお金が落ちないので採用されないのだ。さて、今回は現地の責任者が丁度国内に出張から帰るのにタイミングが合い、案内してくれるので心強い。今回始めてタイ航空に乗る。シンガポール航空しか知らなかったが、やっぱりタイ航空は格が下だ、というのは、各席に液晶の表示画面がないのだ。また、シンガポール航空にはi-Podの再生が出来る端子もある程で機内が充実している、更に機体は主翼の先が跳ね上がっている最新式だ。マニラ空港には4時間で到着する。食事をとり、少しまどろむと到着だ。空港からは会社の車でホテルまで送っていただく。ここで待つこと1時間で、現地の女性スタッフJさんと男性スタッフが現れた。ホテルは街の真ん中にあり、歩いてこの街の中にあるお店を案内いただくのだ。僕はあらかじめ一人と聞いていたのでお土産を一つしか持ってこなかった。どうしよう。アジアの街というのは大きなモールだ。そしてモールがつながっている、広い敷地を上に下に左右に歩いた。外の風景は見えないので、一体どう歩いていたのかは不明。平日だと言うのにものすごい人出、そして6時を過ぎた頃からものすごく混雑してきた。アジアのエネルギーを感じますね。道中で、ミュージックDVDを買った。人口が1億人に近くなると、必ず現地人の音楽が存在することを知ったからだ。CDは高価だが、DVDは安価だ。建物中とはいえ汗をかくのでのどが渇く。案内いただいた店でサワーを飲むと言う。僕は氷入りの飲み物が怖くて、コーラーだと言い張ると、別の店を案内いただいた。それが、ジョッピーと言う、この国では有名なファーストフードの店。マクドナルドよりも有名だそうだ。でも、このコーラーも氷が入っている。腹をくくるか。午後8時半までご案内いただき開放された。日本時間だと午後9時半だ。夜の一人歩きは危険なので、ホテルでの食事。多分、外での食事の3倍位かかるだろう。レストランはバイキング方式だと案内された。ブュフェだと言わないのが日本人に対する配慮。魚介類を選択し焼いてくれるサービスもあったが、やばいのかも知れず敬遠。ビーフとチキンに限定した。仕上げはフルーツ。とりわけマンゴーが最高。持参したBDレコーダーに電源を入れると大きな音で破裂した。そうです、100V専用の機器に220Vを接続したのだ。しまった、と思うが後の祭り。明日の為に持参したのだが残念、作戦の見直し必要。そしてこれから、今日撮影した写真を元に資料をまとめるのだ。熱い風呂に入りキンキンに冷やした部屋でパソコンを打った。
5月18日(月曜日)
今朝は軽やかだ、昨日は出張の準備で忙しく水泳をしなかったので疲れが残ってない。いつも少しオーバー気味かなと思いつつ運動をしている。携帯電話をiPhoneに変更してこれで海外でも使えると安心したが、海外で使う電話は、ものすごく高いので注意だと、同じ携帯電話を持っている人から注意された。そして3Gは切っておくこと。つまりパケット量が増えると目の飛び出るような金額になるとのことだ。これじゃ怖くてさわれない。夜、遅く帰ってきて時間がないのでPCのitune連携も出来ず、とりあえず携帯電話だけ持ってゆくカタチとなった。
5月17日(日曜日)
海外でも使える携帯電話を持たないと海外に出かけてはいけない通達があり、ドコモの電話を替えたい気持ちもあったので、ソフトバンクに変更した。前回ドコモで嫌な気分を味わったが、今回も回線の契約を解消する際にも、嫌な気分だった。変更の理由を尋ねられて、海外で使いたいためと言ったが、本当は、ドコモの対応が非常に悪いので止めたいのだよと言いたかったが、話が長くなるし、貴重な情報を言うのも煩わしいと思いとどまった。しかし、どうもこれはこの携帯電話の業界の常であるような気がする。ソフトバンクで契約するときにも少しうさんくさい感じを抱いた。まぁ余り文句を言うと、手に入れることが出来ないので少し目をつぶった。電話はiphoneだ。16Gタイプで、少し音楽も入ると思う。電話番号は同じだし、メール番号も後ろのドコモがソフトバンクに変わっただけだ。
5月16日(土曜日)
二日酔いではないが、何もかもやる気が起きない。とりあえず、頭が動き出すまでは映画を見る「シービスケット」。感動の物語。トビー・マグワイヤが騎手になる。彼はスパイダーマンのイメージが強く、馬に乗っていても何かハプニングを期待してしまう。少し頭が回復してきた、近くの植物園で癒されよう。だが、ここは大阪、静かにしてくれない。ひっきりなしにアナウンスが流れ、アナウンスが無いときは、熱帯の動物が鳴くテープを流している。もう少し大人のセンスを持てや!中国人のカメラマニアが来ていて、植物の中に入り、不要な花をちぎったりしてめちゃめちゃしていた。ひんしゅくモノだが、この植物園のあまりのひどさに、何も言わないでおこうと思いましたね。広場では、切りバラ展が開催されていた。バラの花が少し痛んでいたがそれなりに楽しめた。家に帰ると、ものすごい虚脱感。うたた寝した後、映画「クライマーズハイ」日航機事故の取材を巡る地元新聞社の悠木記者の心模様を描いた秀作。その後食事をしながら「日本の首領完結編」三船敏郎が渋い。あの重さはどうしたら演出できるのだろう。風呂の後、「モンゴル」シンギスハーンの半生を描いた物語。日本ではとうていあり得ないスケールの大きさに感動。今日はだらしなく映画ばかりを見て過ごした。こういう時のためにコレクターには駄作はない。
5月15日(金曜日)
職場の仲間と飲みに行った。親分が日本酒党だから、鳥せいへ行った。ここには、生酒がある。伏見が本店だが、そこと同じ酒がある。これが旨いですね。今日はろれつが回らない程度まで飲んだ。これだけ飲んだもの久しぶりだ。
5月14日(木曜日)
健康診断でバリームを飲んだ。腹が重くなり、トイレで口に指をつっこんで戻そうとしたが、もう胃の中には残ってないらしく、胃液しかでなかった。下剤をもらったが、腹が痛いまま一日すごした。平日に酒は飲まないと決めていたが、今日だけは、ビールで流そう。ビールだけでは足りず、梅酒もお手伝いいただいた。飲み始めるとなかなかセーブしにくいです。
5月13日(水曜日)
毎週水曜日は提示の日が定着してきたので、今日は5時半に仕事を終え、阪急北口西宮ガーデンに足を伸ばした。西日本で一番のモールとのことでその建物は百貨店が4個くらいはいるほどの大きさがある。一日楽しく過ごせる。雨風もしのげるし、空調も効いている。アーケードの商店街のように外気に左右されなくて良い。LOFTが目についたので、入ってみた。知らないグッズがあり、つい手が出そうになり心を鬼にして買い物を控えた。時間もよろしくレストラン街を覗くと食事の平均価格が1,500円ほどで少々高い。場所柄この価格で良いのかな?と思った。入り口の阪急百貨店はほとんど人の入りが無く、百貨店冬の時代と言うのがよく理解できた。ここで買わなければならない物がないのだ。一方11年頃をめどに、梅田の百貨店は今の杯ほどの面積になるようだ。今の店でも前年を割り込んでいるのに、面積が増えて果たして売り上げが上がるのだろうか疑問だ。
5月12日(火曜日)
録画済みのDVDにタイトルを記入してないので、整理をしていると2003年の吉崇君がボーリングをしている時のものが出てきた。彼は体が小さくて、まだ僕の膝の上に乗った位だから、かわいい盛りであった。だが、僕は当時少し問題を抱えていて気分が荒れていた。だからと言うわけではないが、子供を相手に過ごす時間が少なかった。あのころが一番良かったのに残念だ、過ぎた日は戻らない。映像は記憶と違って非常に鮮明だから、善し悪しですね、記憶と同じように多少風化した映像が良いのかも知れない。
5月11日(月曜日)
元気を与える人がこの世の中に必ず存在する。ものすごい配慮の人で元気を与える人もいれば、素直な一言が励みになったと言うのもある。TVの中にも、身の回りもいる。何が幸いするかも知れないような偶然もある。今日はそんな中である一人の人と少しの間の立ち話だったけれども話をしてて、凄く元気を頂けた。今は、昔の職場のように親分丸抱え的な人間関係はなく、割とクールな関係だから、昔の片鱗が少しでもあるとほっとするのかも知れない。心の置き場所が大切な時代になったかも知れないと思った。また、そのようなビジネスが出来るかも知れない時代になったと思うのです。
5月10日(日曜日)
静かな朝、昨日の写真の成果を確認。花の写真はよく見ると蜘蛛の巣があったり、花びらにシミがあったりで、意外と当たりが少ないのに愕然とする。昨年までバラと言えば谷津の京成バラ園で楽しんできたが、今はあれほどの規模のバラ園情報を持ってない。BDに録画した昨年末の紅白歌合戦を見るつもりだったが、これはビクターのBD−Rに録画したのだが再生出来ない。ディスクを受け付けない。BDはまだ一流品を買うべきですね。代わりに、録画済みの番組で「チューリップ(歌手)」と「ペルーのお祭りインティ・ライミ」を見た。「心の旅」は財津さんが歌ってないのを始めて知った。名曲なんですが。ペルーに暮らす人々は、「ゆっくり生きられるから・・」と言うことを取材の中の、何カ所かで聞いた。ここで考察だ。一方で、先進国を頂点としていやがおうにも更に激しい変化が引き起こされる。この最先端と、ゆっくり生きていきたい人々との落差が大きいと、その間を取り持つビジネスが生まれるはずだ。それは今までのような単なるリゾートではない、体験型の何かだろうとおもうのだがどうだろう。夕刻2.5kmプール。夏の風物詩そうめんを5束食ったら腹がふくれて動けなくなった。
5月9日(土曜日)
京都府立植物園へ。ところがどうも今朝は頭がおかしいのだ。駅までの道中で、部屋の鍵をかけたのかどうか忘れてしまい引き返した。そしてどういう訳か近くの地下鉄に乗ってしまった。あわてて太子橋今市で下車して、京阪電車に向かうはずなのに気がつけば淀川向いて歩いていた。のどが渇いたので自販機で水を買うつもりなのに、コーヒーのボタンを押した。自分の行動が信用できないのだ。どうしたんだろう。ぽっかり空洞ができたみたいだ。それでも、なんとか植物園にたどりついた。チケットを買ってもぎるおじさんに何人目かと聞けば500人目。開園してまだ1時間しか経ってない。目的はシャクヤクとバラ。シャクヤクはまだ全開ではないが、太陽の光を受けてしっかりと輝いている。花びらを太陽の光がすかして見事な陰影を魅せているではないか。今朝の事は忘れて気分が急に豊かになりましたね。今回は70−300mmのレンズで撮影。後で同じシーンをハイビジョンムービーDX3で押さえた。このムービーはサイズがでかいが、CCDサイズも大きくキレイなのだ。その後バラの方へ足を運ぶ。水の補給をしただけの休憩で、再び撮影。こちらもまだ3分咲きという感じ。太陽は頭上にあり、逆光も順光もない。おばさん達の集団がやってきて撮影してくれと言う。大阪のおばさんほど図々しく注文されたのは初めてだ。さすが関西。シンガポールでフランスのおばさん達に撮影を依頼されたのは気品がありましたね。急に英語に切り替え、そして、やんわりと切り出したのだ。I'm sorry・・・。帰りにビックカメラ京都店へ。ソニーの小型液晶TVが下から見ると真っ黒になるのを確認。デジカメの顔認識も試したところ、顔を認識するがシャッターを押すと別の所にピントが合う、キヤノンとオリンパスを確認。ソニーのデジカメは、液晶のタッチ画面操作だが、操作体系が相当深く、その上、独自のレイアウトなので相当とまどいとうとう自分の設定にできなかった。カタログでは出来るとあるが、実際出来ることを確認した方がよいですね。部屋に戻るとPCのモニターが点きっぱなしで、ガスは漏れてないようだったがガスコンロのコックが少し開いていた。危ないなぁ。
5月8日(金曜日)
藤原正彦さんが、英語の重要性について語っているNHKの番組を観た。かれは、まずは語るべき内容が重要であり、表現としての英語はその次の問題だという。なるほど!大阪に赴任して自由な時間を英語の勉強にどれだけ配分したらよいのかずいぶん迷い、とりあえずの指標は朝の1時間45分。夕刻の50分。と決めていた。だが、休日の振り分けはどうしたものやら、最近余り本も読んでないし。決めかねていた。だが、氏のアドバイスで妙に吹っ切れた気分になりましたね。家に帰って、「NEXT」を観た。ニコラス・ケイジ主演、彼は2分先の事が事前に見える能力を持っている。ところがそれが災いし、事件に巻き込まれていく、ところが一方では、核をアメリカに持ち込んで国家に脅迫をかける集団がいて、この解決にクリス(ニコラス・ケイジ)を当てようと、これまた、彼を追いかける。この時間のコントロールは空想にもってこいの題材で、ずいぶんと僕もこの件については創造をして楽しんだことがある。
5月7日(木曜日)
連休中に撮影した写真の現像に、55ステーションを訪問した。一寸した写真だとプリンターよりも、DP屋さんの方が安価だ。そこで、タッチパネルで操作しようとしたがさっぱり要領を得ない。とまどっていると、隣の女子高校生が親切にSDの差し込み口や、仕上げの速度、サイズの設定など教えてくれた。この高校生はウチの娘と同じ年頃だ。彼女にはデジタル機器に疎いおじさんと写ったのだ。まだ、世話になりたくないわ!と本心では思っているが、てきぱきと指示してくれるのには参った。何ともはや!雨が降っていて、関目駅前のスーパーで夕食の食材を買う。うどんの玉、水菜、もやし、シメジ。なんとレジのお姉さんがこれらをビニール袋に入れてくれた。この人わびしいおじさんの一人住まいなのか、と言う同情が袋入れに込められていましたね。自分では年を取ってないつもりなのに、世間の人に写る自分はおじさんなのか。まだ生き方に迷いもある56歳なのだが。
5月6日(水曜日)
腰が痛く動けない、静かに、読みかけの「女達のジハード」を読み終える。1997年の作品で、今の人からすれば少し感覚はずれるがおもしろい読み物。たぶん前に読んだことがあるはずだ。4人のOL(この言葉も古いが)の生き様を描いている。午後1時に高知からのアンプが届く、早速セッティング、今までのスピーカーが生き返ったように切れ込みのある音を奏でてくれる。BW730からは音声を光で信号を送ると、アンプはビーと言う発信音。このアンプにはAACのデコーダーがなく、こうした音が出るのだ。早速BDレコーダーの音声を全てPCMに変更し発信音は止まった。ついでにMDレコーダーも持ってきたので、FMとかで少し録音も始めるとするか。
5月5日(火曜日)
どうも道路が混雑するようだとの情報で、帰宅を一日繰り上げ、友人のT氏が車で明石に向かうのに便乗をお願いした。朝の内に本を読み上げ、大阪に送る荷物をまとめヤマト運輸に持ち込んだ。今回の荷物には本格的に音楽を聴くためアンプを用意した。前回の帰省時にもアンプを持ってきたがこれは初級クラス、今回は本格的なSU−V100D、デジタルアンプ搭載タイプだ。重量が30kgあり腰を痛めた。出発間際プールでリハビリをかねて泳ぐが改善の兆しはない。Tさん宅にはK氏も車を取りに来ており、Kさんのみまたもや酒盛りが始まっていた。結局車は回収できない、僕とT氏が車2台に乗車して、(一台は明石に帰るT氏の車、一台はK氏の車)K氏の家まで送ることになった。午後6時、高知自動車道に乗る、割と車はスムーズ。T氏曰く、一度も車の停滞に巻き込まれたことはない。ところが、徳島県に入ると渋滞19kmの表示が、車の速度は遅くなり、とうとう止まってしまった。それでも、7時過ぎに吉野川休憩所に入り、たらいうどんを食べる。そしてここから11時まで、19kmと40kmの渋滞をくぐり抜けて明石海峡を渡った。私は橋のたもとで下ろしてもらい、エレベーターでJR垂水駅に。最終電車2本を乗り継いで、京橋へ。ここで京阪電車最終で関目に。帰り着いたのが12時40分。何とか無事に。家を出てから7時間の行程だった。後でこの渋滞が一番長くて68kmだったと。
5月4日(月曜日)
今日はと「ことんわかる有機EL」の本を読み上げるつもりで、机に向かっていたら、Kさんが友人宅のT氏宅に来ているので来ないかと誘いの電話があったのが午前10時過ぎ。T氏宅は私の家から200m位の近所なのだ。これから、ミカンを収穫に行くという。ミカンは小夏と言い、甘皮毎食べられる初夏の食べ物。100個ほど収穫した。みんな久しぶりと言うことで11時くらいから飲み始めた。ビールが底をつき、海辺で飲もうとみんなで出かけるのが1時位。ここでも500mlの缶ビール6本を開けた。目の前に広がる太平洋と波の音を聞けば、お酒も弾みますね。飲んだビールの
空き缶を標的に、的当てのようなゲームを1時間ほど楽しんだ。T氏が1番、私が2番、K氏が3位。酔いを冷まそうと、1km西にある1、1/2(一と二分の一)と言うレストランへ。僕たちが飲んでいた海岸を一望する風光明媚な場所に立っている。ここでコーヒーとシフォンケーキを。それが4時半位。そこから、T氏宅に帰って、今度は、朝収穫してきた「小夏」を絞って焼酎で割って飲む方法に切り替えた。これが思いの外旨く又盛り上がった。結局午後8時過ぎまで飲んだ。一日中飲んだ。
5月3日(日曜日)
昨日まで良かった天候も今日から曇り空に。写真はあらかた撮り尽くしたので、静かに本を読む。有機ELの本は、やさしいタイトルとは裏腹に非常に難しい最先端の本だった。有機ELのキモは、発光する材料にあるため、元素記号が並び難解さに輪をかけていた。更に、オングストロームなど、長さの単位も普段使わないし、まぁこの本は何の収穫も得られなかったと言うのが本音ですね。夕刻、おじさんところでビールを飲みながら食事。今回の出し物は手作りのこんにゃくだった。しょうゆとわさびで頂く。栄養にはならないのがこんにゃくだが、実際はこんにゃくも栄養はあるとのこと。まぁ現物を見ればそんなことは分かるボリュームがある。ビール3杯を頂いて退散した。勿論自転車だから行動に制約はない。
5月2日(土曜日)
昨晩酒を飲まなかった割には体の調子が悪く、妙に心が弾まなかった。が、今日を逃してはもう他の日はあるまいと言うことで、田野町にあるモネの里にでかけた。ここから自転車で29km。2時間弱の行程だ。道中四国88カ所参りのお遍路さんと出会う、彼らの多くが時計回りに四国を回る。僕はその逆を行くので出会う度に挨拶をしなければならない。挨拶をしない人もいるが、これは登山しているとき挨拶をしない人もいるので同じ感覚だと割り切ればよい。大型連休でしかも四国への橋が1,000円で渡れるとあっては利用しない手はないだろうと言うことで、ここモネの里も駐車場はいっぱい。僕のように自転車だと全くそんな心配はないのですが。咲いている花は少し盛りを過ぎた感じだった。花の選択を行ってきちんと撮影した。立派なレストランには高級そうなワインもあるが、一人ではそう気持ちも高まらなかったし、ここを出て少し西に行くと田野「道の駅」がある。ここには地元の物産展があり、食べ物や飲み物が格安で手に入る。ついお金のことに考えが行き、この高級なレストランでの飲食に手が出せなかった。この園でもウグイスが鳴き素晴らしい風景に色を添えてくれたので、撮影は写真の他にハイビジョンムービーでも行った。こう言う辺りが、デジカメとムービーの一体もののメリットですね。帰りは、先ほどのお店で弁当を買って、海沿いの風景の良いところで食事と計画した。道中に酒屋さんを捜したがこれはなく、コーラーで我慢した。堤防の上で広大な太平洋を眺めながら優雅な食事をしましたね。
5月1日(金曜日)
もう5月だ。もう少しで新しい生活が始まって一年がやってくる。しっかり自分を見つめて生きなければ。犬の散歩の後、安芸市にある内原野公園に行く、ここは小学生の頃訪問して見事な箱庭風の風景が広がっていたことが記憶に残っている。安芸市にはいると内原野の表示看板はあるが、何と公園の入り口は何処にも案内がなかった。地元の人のための公園のようだ。人一人居ない寂しい公園で、その影響で弁天池の水は非常に澄んでいてこれが公園の水かと思えるほどの清澄だった。静かな公園も又よろしいと、上の方にある茶室で風景を愛でながら佇んでいると、にわかに人の声が高まってきた。近所の小学生の遠足だ。そしてしばらくするとこの小学生達が、この茶室まで押し寄せてきた。田舎の小学生達は元気で目が輝いている。物怖じせず、僕にもみんな挨拶をして、話しかけてくる。中にはこの茶室で弁当を開いて良いか?とも。もう風景を愛でることは出来る雰囲気でなく退散を決めた。帰り道、僕の前を同じような速度で走って行く若者の自転車を見つけた。じわじわと追いついて何処から来たのか聞けば千葉だという。若者の自転車は同じマウンテンバイクだが、タイヤの空気圧が低く苦労して居るみたいだった。僕は励ましの言葉をかけてと先に行った。きちんと整備された自転車だと、パワーの有り余っている若者の自転車より速いのだ。午後父がかかりつけの整形外科に行くので一緒に行った。右の腰が痛く、泌尿器科、内科と見てもらったが解決せず、今回整形で検査。結果筋肉痛だと診断された。まぁ僕としては一安心。それで、友人宅のKさんとこまで送り届けてもらい、父には帰ってもらった。僕としては祝杯を挙げたい雰囲気だったので彼と飲むことん決めていた。まず、Kさんに頼んで、持参した自転車のタイヤにチューブをはめに高知一番の自転車やサイクルショップヤマネさんに伺った。チューブをはめてもらいながら、ここのご主人に、ペダルに靴を固定するタイプがあるのだが、これの効果はどうだと聞くと、人間の生態学上、ペダルは毎分80回転するのが一番効率の良い漕ぎ方だと言う、大きなギア比で漕ぐのは乳酸が溜まりやすいとのことだ。だが、靴とペダルで2万ほど必要だ。なるほど。その後いったん友人宅に戻り高知市内へ電車で。昨日訪問したひろめ市場へ。目指すは食べ物持ち込み可能なワインのお店。別の店で唐揚げとナスの炒めたモノを買い込んでここで、白と赤の極選ものを頂く。白はお店推薦の超辛口、僕は少し辛口。2つをのみ比べてみたが僕には味の違いが分からなかった。Kさんは分かるという。美味しいお酒を頂き満足した。高知駅から奈半利行きの列車に丁度間に合い飛び乗った。普通電車だが40分で到着。今晩は疲れたのか映画まで触手が伸びず早い時間に床につく。
4月30日(木曜日)
朝6時に目が覚めて、食事の後犬の散歩。この犬はホントかわいい。そして、誰よりも僕に懐いていて、朝起きたときから散歩に連れてゆけと鳴いてせがまれる。よしよし、と言うことで1時間ほどカメラを持ってぶらぶらと芸西村を半周した。春の花盛りで、各家で育てている花を撮影させていただいた。帰って直ぐに自転車のタイヤの空気圧を6kgに調整して高知に出かけた。高知の五台山にある牧野植物園で花の撮影の為だ。晴天で向かい風もなく、気分良く飛ばすことが出来た。途中マクドナルドで、ポテトとコーラーで補充。友人のK氏宅に寄ると今日は仕事で留守だと奥さん。声だけかけて五台山へ。もう少し気温が上がれば、汗の玉を落とすだろうが、今日はその直前で頂上に到着。植物園は中学生の遠足とぶつかり植物園はにぎやかだった。花の撮影にはFZ50が最適だ。このカメラは、液晶部分が動くため、自由なアングルで撮影できるから便利だ。特に背の低い花などに重宝する。「なんじゃもんじゃ」の花も満開でそこら当たりに匂いを振りまいていた。初夏の匂いですなぁ。資料館で酒と植物の特集があって期待したが試飲のようなものはなく、ただパネルの羅列だった。高知には酒好きの人が多いので、そういう企画を打てば繁盛するのだが。仕方なくレストランの方でビールでのどを潤したが、腹が減ってきた。そうだ、ひろめ広場へ行って、たたきを食べよう。と言うことで、ここから5km位西にある市内の中心部、大橋通商店街にある、ひろめ市場に行きました。たたきは店の中の実演コーナーで藁で焼くパフォーマンスがある。これとビールを、だがたたきは期待したほどの味でなかった。僕の座った後ろにはインドの家庭料理の店があった。懐かしさのあまり見ていると、サモサがあった。餃子の皮みたいなもので包んだジャガイモのカレー炒めを、揚げてある食べ物。インドを代表するおやつである。真っ赤な顔をして酔いを醒ましながら帰路についた。途中、中古品の店を物色しながら、高知はこの中古品の店が非常に多い。ホントにこれだけの需要があるのだろうか不思議なほど。赤岡の旧市街の道を行くと、見事なサボテンの花が咲いていて、そこのご主人が居たので写真を撮らせていただいた。毎年140個程の花が咲くそうである。寝る前には、「父親達の星条旗」を見た。クリントイーストウッドが、日本側とアメリカ側の見方で、硫黄島の戦いを撮影した。日本側の映画(硫黄島からの手紙)は先に見たので、今回はアメリカ側の映画だ。こちらの音環境は46cmウーハーが2個ある本格的なステレオに接続して聞くので迫力がある。この映画はここまで低音が入っているのか。評論家が音のチェックに使う理由が判明した。映像よりも音の方に魅力がある映画だった。
4月29日(水曜日)
午後3時9分の新大阪発新幹線に乗るが早めに家を出た。途中での食事と、ヨドバシカメラの買い物のためだ。今回、田舎に置いてある42PX10でハイビジョンを見るのにPS3用のD端子ケーブルを買うのだ。時間に余裕があったので問題ではなかったが、何とヨドバシカメラのおもちゃ売場はレジが混雑していて、30分も行列に並んだ。ここは行列が常態化していて、レジ専用コーナーが出来ている。当然店員も横柄になる。まぁこれが普通の人間の性だろう。新幹線は500系で電源の取れるタイプとは違い期待はずれだった。電源があれば、DVDで映画を見て行くつもりだった。書籍に切り替えた。人気の「悼む人」、冒頭から引き込まれ行きおもしろさがある、だが睡魔に勝てず、途中居眠りをすると岡山着だ。ここから南風17号に乗り換えて一路高知へと向かう。四国路の列車は左右に揺れるのは仕方ないとしても、上下の振動もきつい。首都圏や関西圏の線路施設する工事屋さんの知恵を借りたらどうだろう。インドネシア出張時、観たニーベリングのマイスターシンガーの続きを見る。このオペラは長編で、DVDに3巻にも渡って記録されている。今回は2巻目、このオペラは意味深な部分があり、一度で理解するのは難しい。次にビゼーのカルメン。こちらは、非常にわかりやすいストーリー、しかも、聞き慣れた音楽なので、浮き浮きしてくる。バッテリーが切れると、南国後免駅だった。DVDプレーヤーLS95は2時間強しか電源が持たない。わずか2分の乗り換え時間で、奈半利行き土佐黒潮鉄道にのる。明るいうちに到着、我が芸西村はミカンの花の香りに包まれていた。飯を食った後は、「プラダを着た悪魔」を観る。メリル・ストリーブがビジネスの厳しさを演じていた。そしてアン・ハサウエィが次第にビジネスウーマンに仕上がっていく課程が違和感なく盛り込まれていた。なかなかいい映画だった。
4月28日(火曜日)
昨日は18,000歩も歩いている。朝起きると昨日の疲れがどっとたまっている。今日の徒歩通勤は途中の公園で休憩をしてしまった、休憩をしたのは初めてだ。今、ラジオ英会話はオーヘンリーの小説が題材なので、少し厄介、それで、いろいろつぶやきながら公園の日当たりの良い場所に座り込んでいると、リタイヤした人みたいに見えたらしく、目線が行き交う人の目線がきつかった。昨日に引き続き仕事に没頭した。もうすぐ帰れる頃にちょうど原稿を見て欲しいと要望がくる。ちょっと難しいな、ということで修正をお願いしたので、その原稿が上がるまで帰れなくなってしまった。まぁ大阪は遅くなったら電車で帰ると約30分で着くので、いくらでも遅くまで仕事が出来るのだ。電車がなくなっても歩いて帰れる。
4月27日(月曜日)
あと2日で連休かと思うと足も軽いと思いきや、妙に疲れている。もう昔のように体力が有り余っているわけではないかもしれない。軒先に春の花が咲いている、なかでも、ジャスミンの咲き誇っている家があり、撮影していると、そこのご主人が出てきて、「撮ってくれはりますか」と声をかけてくれた。記憶ではジャスミンは梅雨の頃なので、ここでは少し早いのかな。とりあえずリポビタンDの元気をもらって1時間の徒歩を完遂する。この2日間は休み明けに如何に楽に仕事を進められるかで、かなり真剣に仕事に没頭したら夕刻から目がかすんできてPCの文字が見えなくなった。トイレで目を冷やして一時休憩。とにかくめどがつくまで頑張るぞ。ということで、9時前に終えて帰宅。今日は妙にかしわが食べたい、かしわ鍋と行こう。比較的大きな鍋で炊いたら余ってしまった。明日の晩も鍋か。
4月26日(日曜日)
さわやかな晴天の日曜日だが、ものすごい風。昨晩雨の中干した洗濯物は団子になっていたが乾いていた。吹き飛ばされないうちに取り込んだ。今日はポリスの再結成のツアー、ブエノスアイレスライブを観た。いきなりヒット曲のシンクロニシティーからはじまり、観客はほぼ三分の一が総立ち。残りの三分の一はカメラで撮影ですね。ポリスと言えばスティングですが、実はポリス時代のスティングは余り知らず、解散した後、85年に「ブルータートルの夢」で一気にファン化したしたのです。80年代は洗練されたロックの時代だったのです。僕の中ではワムと一緒に盛り上がった記憶があります。音楽系の映像は2度観ができる唯一の映像ソフトで、BDにしっかり保存しておきたいと思ってます。午後から台風のような雨と風。その合間を縫ってプール。2km。カレンダーを見ると、あと2日で連休だ。根を詰めて進めないと、休めないかもしれない。インドネシアの写真はここに掲載。
4月25日(土曜日)
NHK-BShiにプレミアム8と言う番組がある。日本のアーチィストを特集した番組で、第一回は竹内マリア、二回回目がユーミン。このユーミンの番組がすばらしかった。ユーミンが曲を作るために籠もる長野県の蓼科での出来事が取材されていた。ユーミンが立科の中学生に声をかけたときから物語が始まる。中学生は写生をしていたのだが、しばしの会話の中にあまりにの素直さに痛く感動する。そして交流を続け、何と卒業式に参列するまでに至ったのだ。卒業式に歌う歌は当然ユーミンの「卒業写真」ですね。音楽教室で練習しているところをそっと覗くと、彼等のオドロキ。そして唄の練習のピアノはユーミンが弾くのだ。ユーミン曰く「彼等にパワーをもらった」。この物語は本当に飾らないことで構成されていて、僕も素直に涙を流した。近年まれに見る感動の物語だった。その後、長野県にある天体望遠鏡をみて、またユーミンが感動の涙を流した。これも今までの作品を聞けば分かりますね。彼女が宇宙をどれだけ恋いこがれているかということが。今週のヒットチャートで久しぶりのアルバム「そしてもう一度見るだろう」が4位のランクインでした。FM802でも4位。久しぶりにユーミンに接近した日でした。
4月24日(金曜日)
さわやかな朝、近所では新緑の中に見慣れない花が咲いている。すっかり風景が初夏に変っている、ここでウグイスでも鳴けば最高ですが。千葉では毎朝これが聞けたのですが。さて今日は冷蔵庫の勉強のために草津に出張。草津と言えば温泉。ずっとこのことを思いこんでいたのですが、千葉に住むようになり関東の事情が分かり、滋賀県の草津と群馬県の草津と両方あることが分かった。冷蔵庫は冷えれば良いと思っていたが、なかなかどうして、日本の「技」は日進月歩で進歩して遙か彼方で「匠」の域に達している。AVの世界のように専門書を読み勉強しないとついて行けないと言うことはないが、それなりの勉強が必要だと言うことが分かった。帰りに梅田下車、久しぶりに茶屋町のタワーレコーを覗く。ジェフベックのDVDが燦然と輝いているではないか。値段は2,500円。演奏曲目を見ると、何と、エリッククラプトンが2曲参加している。世界の3大ロックギタリストの内2人が参加するなんとも豪華なアルバムなのだ。早速ゲット。飯も食わず(歩きながらパンを喰った)帰って見ましたね。ジェフベックは過去のヒット曲にとらわれず、年々自己の音楽成長をはかっていくスタイルで、彼の挑戦的な生き方には多くの人が賛同している。もちろん僕も尊敬。このライブもその通り、最初からギターテクニックの贅を尽くした演奏。本人も楽しんでいる。あいにくと2chのヘッドフォンでしか聴けないのが残念。
4月23日(木曜日)
朝の新幹線で大阪に向かう。当たり前のことですが、駅の表示や案内が日本語、車内販売も自由に買える。ホント嬉しいです。仕事を済ませて早く帰りたかったが、少し留守するとそうはいかず遅い帰宅となる。やっぱり我が家はいい。マシーンが揃っていて不自由がない。夕食はざるそばの弁当とサラダ。昨日娘が何か言たそうだったが、妻に聞いて分かった。大学に行きたいと言うこと。我が家はお金がないので奨学金を受けるつもりだったのが、僕の収入では対象外になると昨日学校で説明を受けたそうだ。実際のところ2重生活で厳しいのに。そこで、娘は大学に行くのをためらっていたらしい。僕としては何としてでも教育だけは受けさせてやりたいので、お金の節約のために、夕食は500円で収める努力をしているのだ。先日まで旨いモノ食い過ぎの調整もあるのですが。
4月22日(水曜日)
昨晩は21時15分に床に就いたがすぐに眠れた。日本時間の23時15分。体がまだ日本の時計を覚えている。3時前に起床し、清算。今回はプライベート分も含まれるので、請求を分けてもらった。請求書を見ると余計なものが乗ってたりしてその値引き交渉もして請求をしてもらった。このあたりなんとなく分かってきたぞ。3時30分にシルバータクシーを予約してたので乗車。シルバータクシーはジャカルタにおける唯一信頼できるタクシーです。ホテルで予約しなければならない。車種はベンツの新車ですよ。時速107kmでちょうどエンジンの回転数が2,000rpmとなる。静粛性と安定性を備えた車ですね。問題は料金メーターがどんどん上がり三分の二を越えたあたりで、100万ルピアとなったことだ。そんなにお金を持ってないぞ、不足はドルで支払おうか。ということで、料金メーターに目がいきっぱなしで、ベンツの高速クルージングは楽しめなかった。到着して英語の話せない運転手と支払い交渉をしていると、領収書を出した。170,000ルピアという。ほっとして、200,000ルピア渡しました。後はチップだ。彼は喜んでいた。さて、空港はどこに並んでよいのか不明、まだゲートが開いてないのだ。アメリカ人が並んでいたので聞くとここでよいという。荷物のチェックの後、空港カウンターで出国税を支払い、出発ゲートへ、だがそれも案内がなく困っていると、先ほどのアメリカ人がこちらと指をさす。関税を抜けて出発ターミナルへ、これも不明、掲示されてないのだ。またもや先ほどのアメリカ人がThis way。Thanksだ。2時間このターミナルで過ごして、空路シンガポールへ。シンガポールはジャカルタより西にあるが、時差は1時間早い。これは、シンガポールの首相が日本を見習う政策を打ち出したため、時差があってはいけないと、1時間に収めた。シンガポールでは隣のゲートが成田行きだった。やっと日本語に逢える。B747、隣にA380があったので写真。シートが一番後ろの端だったので、四六時中揺れて、PCを開いて仕事でもしようにも無理。飛行機は主翼を中心に回転するため、一番後ろ席は飛行機の少しの挙動でも揺れるのだ。久しぶりに飛行機に酔った。夕刻再び我が家、旅の疲れに肩モミを子供たちに頼むと、仕方なしという感じで、それぞれ10分づつやってくれた。ありがたやです。22時がくるともう眠くなる。
4月21日(火曜日)
今日で仕事納めだ。一週間は厳しい。最後の打ち合わせをして帰る準備をしていると屋根を叩く大雨。しばらくすると雷が鳴り出した。雨は半端な降り方ではない、雨水は側溝にあふれ事務所の中まで流れ出してくる。あまりにも豪快なのでしばらく見ていると、社員の方が退出カードを持ってきて外に出るのか?と聞く。「No」だ。出られるわけがないだろう。今夕はホテルで食事。明日の未明に出発しなければならないからだ。バイキングコース。ホテルの支配人のような人が出てきて話しかけてくる、どこから来たのか、初めてか、ワインはどうか、家族はどこに住んでいるのか、この次いつくるのか、メールアドレスは?I can speak only Japanese. だがお構いなくどんどん。ウエイトレスは僕の名前を確認する。何で名前を知っているの?前回の肉の所は魚介類に変わっていてアムール貝やえびなどが並んでいた、例によってわけのわからない注文方法で焼いてもらう。これが旨いんですね。魚介類の味というよりかソースの味ですが。一杯目のビールはなくなり、どうしようか迷ったが心を鬼にして留めた。お値段250,000RP。一人で過ごす外国もここらあたりが限界か。この国はとにかく危険だから独り歩きができない。街も散策できない。だが、個々の人を見ると気がいい、すぐにお友達になれる親しさを持っている。イスラムだが、女の人に覆面の人はいない。頭にスカーフをかぶった人がちらほら。男は酒も飲む。いろんなものがまざった国がインドネシアだ。否定も肯定も全部ある。
4月20日(月曜日)
今日も天気が良い、こちらに来て一度も雨にあってない。それとは関係ないがホテルのレストランで朝飯を食うのも、だんだん慣れてきたが、だんだんと飽きてきたというものある。そして今日は肉類、魚類には手が出せなく、野菜と果物とパンになった。こう言う所が日本人ですね、だんだんと食べ物が淡白な方向に戻ってゆく。そして今日のメインイベントは現地人と丁々発止をするのだ、100人位が相手なので、こちらもエネルギーが相当必要。問題は、僕も少し英語で話したが、英語が通じない人々なのだ。ここで笑いを取るなんてちょっとハードルが高いと感じましたね。お祈りの時間も含めて3時間。結構楽しかったが疲れましたです。ハイ。夜、経理責任者の方々と食事。なんと彼はカメラを趣味にしている。キャノンEOS5DmkUを買ってバリ島の写真を撮影していた。ガムランを踊る女の子と懇意で、きっちりと目線を合わせ、しかもフレーム枠いっぱいに人物が納まった写真を披露していただいた。プロでも踊っている人を旨く枠に納めきれないのだ。僕はいたく感激しこの写真に見入った。この国にではカメラの素材に事欠かない。カメラの趣味が活きる環境にあるのだ。できれば僕も彼女の写真を撮影したいと思っている。次回訪問時にぜひトライしてみよう。あっという間の懇親会、割勘のお金が25万。ビビルが2,500円と考えれば高くはない。桁の多さに戸惑うのだ。
4月19日(日曜日)
一昨日、ゴルフのお誘いを頂いたが、ここまで来ていやなことをする必要はあるまい、ということで丁重にお断りをした。昼食抜きのつもりで朝食を腹いっぱいに食べたあと、報告書を書き上げ、普段はなかなか見られないオペラを見た。「ニュルンベルクのマイスターシンガー」。NHK−BShiのDVD録画だがなかなか音質が良く楽しめた。午後2時、弱い太陽が出ているので、ホテルにあるプールに向かった、ホテルの敷地内なら安全だろうと思いここで運動不足の解消。スパも併設する脱衣場で着替え30分ほど泳ぐ。水の鮮度が不明なので、できるだけ水を飲み込まない潜水を中心とした。何度かトライする間に端から端まで潜ることができるようになった。言葉も通じない中で、まぁ何とかなるものだと思った。部屋に帰ると今度は、「モントルージャズフェスティバル」のDVDを見た。ジャズではなく、ロックだが。こちらもすばらしい音質で楽しむことができた。夕食はホテルで頂くことにする。とにかく外に出ることができないのだ。Buffet方式だと言う。最初のお皿は「焼き飯」に「ピザ」に野菜。肉類がいくつか並んでいたので、まさかこれは生ではないだろう、給仕さんに頼むと焼いてくれると言う、ソーセージ、鶏肉、ラム、牛肉をそれぞれ焼いてもらった。ほとんど会話となってないが、何とかなるものだ。飲み物はTea。毎日酒だったので、ここらで抜かないと。不思議なもので、午後10時がくるときちんと眠くなる。
4月18日(土曜日)
待望の通訳さんに逢える。彼女は社長の秘書だ。ジャカルタ市内から車で1時間半〜2時間かけて、クンジャニ(kunjani)へ向かう。こちらは、金持ちの別荘がある地区の入り口に当たるようだ。ここで合宿のメンバーと落ち合い仕事がある。熱帯雨林を切り開いたところに、屋根のみの小屋があり、ここで一仕事。熱帯雨林の下は短い葉のある下草で覆われていて、非常に雰囲気が良い、始まるまでしばしの間散歩した。仕事でなければ呆然となれるほど気持ちの良い風景だ。しばらくするとじわじわと汗がにじんできた。一仕事の後、昼食。典型的なインドネシアの料理。ご飯に、鳥のから揚げにわけの分からない汁をぶっ掛けていただく。悪くはない、小鯵の開きを、から揚げにしたものがある、これ旨そうだったが、塩辛いの何の。そして時々、唐辛子にあたり、口から火を吹く。みんなが飲んでいる水を飲んだ。大丈夫だろう。食事の後、今度は市内の工場見学。僕はもともと工場の生産技術に配属された機械マンなので、結構設備は読める、少し専門的なことを聞いてみたら真剣に答えてくれた。凄く暑い中で皆さん仕事をされていた。土曜日なのに仕事?地域の電力事情があり、火曜日は強制的に休みとなり、その代わりに土曜日が出勤日。工場の中には立派なモスクもある。90%の人がイスラムだから、お祈りの設備は立派だ。ここは7時始まりで夕刻4時には仕事が終わる。夕刻三々五々人々が会社から出て行く。僕たちは社長の車で市内へ。日本食を食べながら懇親しようと言うことになった。ジャカルタには日本人が1万人ほどいて、店も300軒ほどあるとの事。何曜日に、どの店に築地から魚が届くかリストがあるとの事。この店は日本語が飛び交い、TVは日本のテレビが放映され、日本の居酒屋で飲んでいるようだ。それなりにおいしい食事を頂き、割り勘で15万だと言う、びっくりするが、「0(ゼロ)」を2つ取ると日本のお金に近くなる。ホテルまで車で帰り、部屋に向かうエレベーターに一緒に乗り込んだ人が携帯電話を充電させてくれと言う、そら来た。「No」。その人は途中で降りたが、降りた人のことを、もう一人の人と目を合わせて肩をすくめる。ところが、今度はもう一人がカードを出して、何とか言う「No」。刺されはしなかったが、危ない。
二人の共同作戦かも知れない。ホテルで、更にビールを飲みながら「遠藤実」の作曲家生活をつづった物語を持参のDVDで見た。ミノルフォンというのは遠藤実の実る(ミノル)から来ていたんですね。
4月17日(金曜日)
朝の7時半に迎えが来る。昨晩は結局床に就いたのが日本時間の0時、時差が2時間あるため10時に寝たことになっているが、体は疲れているのだ。向かったのは現地の事務所。道は車とバイクであふれている。高架下に散髪屋さんがある。料金は40円位とのこと。30cm四方の鏡が一個と椅子があるだけ。この日はいろんな人のお話を聞くだけ。例によってインドネシア語はまったく分からない。パワーポイントがあるシーンでは理解ができる。午後、市内視察に出かけた、同行の人は日本人だ。向かったのはSenya Cityこの国一番の高級ショッピングモールだ。入り口にGucciがある。建物の構造や完成度は日本の百貨店をはるかにしのぐ規模と綺麗さがある。ジャカルタは東京と同じ都会だ。まずは食事。「大戸屋」と言う東京に本店がある和食の店。僕はフードコートで現地の人が食べているものを食べたかったが、彼は日本食を食べたいようだ。彼の立場で考えると、毎日現地食ばかりだから、たまにはと言う気持ちだろう。良く理解できる。その後、CDショップへ。一番ヒットしているミュージックDVDを買う。720円。ジャカルタの町はぶらぶら歩くことができないとのこと、物取りが横行しているからだ。では、一旦セキュリティーを潜り抜けたこのようなモールはどうかといえば、ここでもやはり気を抜けないとの事だ。数人の人に囲まれ、身包みはがされるらしい。その割には女性が一人で来てぶらぶらしているのをみるが(現地人は問題ないようだ)。次には大阪日本橋のような電気街へ。そのうちの一軒を覗く、照明もつけず、プライスも品番もない展示。価格だけが勝負。昔の日本橋もこんな感じだった。とても一人では行けない。身の危険を感じる。道中の風景はインドと同じ所もある、リヤカーで屋台を開店してるとかはほぼ同じ。最初インドを体験しておいて良かった、インドに比べればと言う目で見れるからだ。一旦事務所で会議に出席し、夜みんなの懇親会に参加する。都会の一角にできたオフィスビルの低層階がレストランになっている所で、東京でもよくあるしゃれた店だ。味は良いが、料理が遅い。僕は何でも食べられるのでメニューは適当に注文した。みんなはステーキだ、「?」イスラムの人は肉を食わないのでは?正解は「豚は食べないのだった」牛肉は関係ない。牛がだめなのはインドだった。頭が混乱。この会社の副社長がワイン通だというので話を伺った。もちろん隣に日本人の方がついてくれた。映画を見ながらワインだけ飲むとしたらどんなブランドが良いのか?「オーストラリア産、Cloudy Bay」だと言う。価格は10,000円位。僕らと身分の違う人だ。もっと低価格はないのか?彼の辞書にはないようだった。アドバイスとしてPort wineがお勧めだと言う、僕はPort wineと言えば赤玉ポートワインが思い浮かぶので、えらい安価なものを紹介されるね。と聞き返すと、Port wineはそんなに身分は低くないと返答された。浅はかな会話となったようだ。又、今夜も12時頃の就寝。
4月16日
成田空港も日本人の設計らしく非常に分かりにくい表示となっている。外国人は戸惑うはずだ。何が分かりにくい?成田空港には第一ターミナルと、第二ターミナルがある。だが、今日乗った京成電車には第一ターミナルの表示がない。私はてっきり成田駅が第一なのかと思い込んでいた。どうやら正解は、第一ターミナルは成田空港のことであった。その上、北ウイングと南ウイングがあるが、そこにどこの航空会社が入ってのかこれまた不明。割と新しい空港なのに。だが今回は許そう。というのは、突然ではありますが、搭乗する飛行機がA380なので。A380はエアバス社がボーイング747に対抗して作った巨大飛行機で、なんと700人くらいは乗せることのできる2階建ての飛行機です。今回は乗り継ぎの時間が限られていたので、2階席は断念したけれども、なんて大きな飛行機だろうと思いましたね。垂直尾翼が他の飛行機の間から飛びぬけている。大きいから離陸は少しまどろっこしいのではないかと時間を計ると、1分で舞い上がりました。乗車フィーリングとしては、最新式の観光バスが高速道路に入ると、わりと短時間で100kmに達しますね、ちょうどあんな感じでとてもストレスなしに加速する。あたかも空に引っぱられて行かれるような感じで舞い上がります。ちなみに、普通の飛行機は約40秒くらいで離陸。道中はずっとBookoffで買った105円の「インドネシア」の本を読んでいった。1980年までの歴史が書かれていて、少し古い本ですが歴史を知るには問題なし。インドネシアの文化は古く(600年ごろ)はインドからの影響がある。そういえば奈良を訪ねたときにやっぱり700年くらいの年代に日本もインドの影響を受けている。昔はインドは強かったんだ。その後、イスラムの影響を1300年代から受け、1700年ぐらいからオランダの植民地となる、その後日本、その後、独立。一冊の本からその国のことを分かったと早合点するのは申し訳ないが、300年近くオランダの影響下にあったにもかかわらず、その国の影響をほとんど受けてないと紹介されている。一方わずか3年近くの日本軍の影響は教育のこととか、組織論とかでずいぶんとこの国の独立に反映され、好感が残っているようだ。そういえば、長崎の出島はオランダとの窓口であってこちらも300年近くの歴史がありながら、日本にオランダが定着してない。福砂屋のカステラぐらいか?オランダの国民性についてようわかったぞ。そうこうしている間に、シンガポール空港着。30分遅れ。通常外国便は30分前が締め切りなのだが、今回は空港職員の案内で事なきを得た。空港内を30分間移動し、最終ゲートを通過したのは、出発の5分オーバーだった。ここからジャカルタまで1時間15分。ジャカルタとバリ島の距離と同じ距離。ジャカルタ空港でビザを買って出口へ。この国は怖いから気をつけろと言われてきたが、確かに。トイレでは過剰親切な掃除夫が立っていたり、強引なタクシーの勧誘とか、カモの日本人を狙っている。この国の言葉はインドネシア語、少し英語に似ていて分かるかなと思いがちだがまったく分からなかった。ジャカルタの市内に入ると、高架の高速道路が走り、30階建以上のビルが並び、シンガポールやクアランプールと同じ様相。道には車があふれ、その車もほとんどが新車のように新しい。モータリゼーションが始まったばかりという感じ。ホテルはPark Lane。普通のホテルだった。車の音もバンバン入り、付近の部屋のドア開閉音もドンドン。
4月15日(水曜日)
今日も目覚まし時計はならなかった。何でだろう。出張の度に時計がならない。急いで携帯電話で新幹線の出発を30分だけ変更。東京には10時に到着した。ここで荷物を置いてビックサイトに出かける。東京駅は毎日過した駅で、雨のときはここをくまなく歩き万歩計を稼いだこともあり、ロッカーの場所は目をつぶってもいけるほど熟知している。ビッグサイトでは近未来の照明を見た。有機EL照明だ。有機ELはテレビにも有望だが、照明にも有望だ。薄いスタンド照明は優れものだ。時間ぎりぎりまで見て自宅に帰る。子供と再開、娘は世間で言うところのブスの部類だが、父から見る娘はこの世で一番かわいい。高校3年生の難しい年頃なのに、昔と代わらない応対がうれしい。早速写真を撮影。息子との会話は、まるで友達に話すような感じで、そして場違いな大きな声で話す、ちょっとおかしいぞ、とたしなめると、外ではこんな声で話さないと言う。信じがたい。息子の言動は常に疑い深いのだ。妻の作る食事は少々パワー不足。いつの間にか僕は食べる量が増えていたみたいだ。関西で1kgオーバーの原因が分かった。息子の机を占拠してメール作業。ジャカルタから宿泊ホテルの連絡が届いていた。一安心だ。お世話いただいたのは、向こうで通訳をしていただける社長秘書の方。
4月14日(火曜日)
とうとう天候が崩れた。昨日まで花びらを付けていた桜が一気に散った。今年は咲き始めて寒くなり、葉の方が先に出て、しばらくしてから暖かくなり花が咲いた。結局平年並みの開花時期。それから晴天が続き、空気が乾燥しあちこちで火災が発生したが、桜の花は散らずに楽しませてくれた。今年は徒歩通勤なので、結構しげしげと桜を眺めることができた。明日から出張なので、今朝は見納めだと思った。もう自炊することができず、今夕は王将で食べた。牛肉の炒め物。向こうはイスラムの国なので「肉」は食えないだろうと思ったからだ。
4月15日(月曜日)
海外でも使える携帯電話に変更したい思い、ヨドバシカメラへ、ところが非常に応対が悪い。しかも価格が高い。今の電話をキャンセルしたほうがよっぽど安い。一旦失礼してから、今度はNTTドコモの店に出かけた。だが、こちらでも態度が横柄だ。僕はそんなに横柄な態度で接しているのだろうか、それとも先方が横柄なのだろうか。きっと2箇所の対応が同じだったということは、僕の方に原因があるかもしれない。そういえば、今朝は夢見が悪かった。雷に感情が備わっていて、僕を追いかけてくるのだ。逃げても逃げても追いかけてきて、とうとう僕に落ちた。バチッと感電したところで目が覚めた。場所はいつの間にか高知の自宅に帰っていた。夢がものすごくリアルで怖かった。夢見心理分析があるとすれば、深層で私が何を感じているのかが分かるかもしれない。電話交換するのは一旦中止し、旅行用のカバンだけ買って帰ることにした。
4月12日(日曜日)
結局「英雄の書」上下巻とも読み終える。今日は出張の準備とかいろいろとしなければならないのにずるずると本を読んでしまった。でも、本を読むのは充実感がある。映画を見たり写真を撮影したりするのも楽しいが、充実感という意味では読書が一番だと思う。関西の生活も一応こなれてきたので本が読めだしたのだ。
4月11日(土曜日)
夜中の3時頃に目が覚めた。服を着たまま寝てた。それからシャワーを浴び再び寝床に入って寝ることに。結局この日は天気がよいにもかかわらず、布団に横たわり、先週の続き「英雄の書」を読み続けた。途中、プールで2km泳ぐ。今日の水泳はひどく堪えた、一日中寝てたのに、夜になると、また眠くなる。
4月10日(金曜日)
友人でもあり、セールスの先生であるK氏に商談の手法を聴きに行く。短時間で教えてくれと言うと、本当に短時間で要点を教えてくれた、感謝。関係先の重要VIPが補聴器の情報が欲しいと言う、この件を受けて、これまた昔の人間関係をたどって情報収集。週末はこうしてあわただしく過ぎた。予定していたメンバーが一人欠け2人だけで隠れ家の飲み屋さんに行った。ここの料理は非常においしく、話が弾む前に酔ってしまった。その上、日本酒に八海山がありこれを3倍ほど飲むとできあがってしまった。
4月9日(木曜日)
職場の仲間が飲み行こうと誘う。本当は帰って本でも読みたい所だが、この職場では僕は新米だから、色々と話を聞くこともあるのだ。京橋駅前の立ち飲み屋さんで大ジョッキを2杯飲んだら、えらい酔ってしまった。そろそろ気温が上がってきて、のどが渇く季節になったんだと思いましたね。満開の桜を愛でながら帰宅。
4月8日(水曜日)
桜満開、弁当を買って外で食事をしないかと仲間が声をかけてきたので賛同。少し肌寒いが、桜の下で弁当を広げた。安い弁当でも格別に旨かった。夕刻の打ち合わせで急遽インドネシアに行くことになった。インドネシアは初めてだが、ジャカルタはどうやらシンガポールと遜色のない都会とのこと、ただし危険らしい。それで来週末の予定が頓挫した。久しぶりに杯を交わせると楽しみにしていたが残念だ。家に帰りTVを点けると昭和の歌謡曲特集をしていた、早速録画開始。春日八郎とか懐かしかった。
4月7日(火曜日)
ファジー会の開催。ファジー会とはおじさん達が集まって最近人気のスポットを尋ねるとか、格安の旅行をするとかの集まりだったが、お互い忙しくなって、久しぶりにあったら飲み会しかなくなった。そして今日は僕が店を案内する日。立ち飲みやさんになかなか有名なお店があるので、そこに行こうとするが、一人が「しんどいですね」。と言うことで普通の居酒屋さんに決まった「赤のれん」さん。もう一名僕の郷里の友人がいるが、風邪気味で欠席。今日のテーマは6月5日に福井に旅行する話。先のことは不明だがとりあえず計画だけは立てた。
4月6日(月曜日)
OBPで書籍フェアを開催していた。いわゆる古本市ですね。見てみると結構高い。マニア向けも書籍も多い。しばらくたたずんでいると、篠田節子の女達のジハードがあった。300円。これなら買える。今月は出張の予定がなく、来週末に千葉に向かう計画を立てた。東京のメンバーとも会えるかも知れない。今週末は、職場の女性達と飲み会だ、取引先のWさんに京橋の隠れた飲み屋さんを予約してもらう。
4月5日(日曜日)
宮部みゆきの「英雄の書」を手に取ったら話せなくなってついついのめり込んでしまった。他にやることもあるのですが、全てが止まったままとなった。中学1年生の兄が仲間を刺して失踪した、小学4年生の妹がその兄を捜す旅に出る話。SFだから、結界とかそのような裏のある不思議な物語。日常の水泳の2.5kmをこなすだけが精一杯の一日だった。
4月4日(土曜日)
長居公園、昔は浮浪者の巣窟のような所だったが、今日出かけた感じでは痕跡はない。大阪でスポーツのイベントがあったからだろう。太田房江さんも少しは仕事をしたと言うことか。長居には植物公園があるので向かったのだ。広大な敷地に四季折々の草木が植えられている。あいにくと途中から雨になった。雨はつらいが、来園者がいないので誰にもじゃまされず桜を自由に撮影できた。光線がないので発色が今一だがそれでも、写真と動画を収めた。ここにはボタンやシャクヤクやバラがあり、一寸目が離せない公園だ。京都の国立植物園と併せて楽しみが一つ広がった。家の近くには咲くやこの花館もあり3カ所が僕のテリトリーとなる。帰り着いてキャロルキング特集を見た。僕が始めて東京に転勤したとき、このキャロルキングは無くてはならない名盤として君臨していた。もう一人の雄として、アン・マレーがいた。両名とも詩がポイントの歌を歌った。さてキャロルキングだが「つづれおり」と言うアルバムが有名。僕はこれが彼女のデビューかと今まで信じてきたが、なんと、もっと昔「ロコモーション」などヒット曲を作曲する人で有名だったらしい。
4月3日(金曜日)
アルコール依存症なのかと思えるくらい今日は朝から酒のことしか頭になかった。酒は金曜日と土曜日に集中する飲み方にしているが、今週は月曜日に飲んだにもかかわらず木曜日の夜から禁断状態に陥ったのです。ストレスだろうか?仕事を終えるとヨドバシカメラに写真を編集するソフトを買いに出かけた。写真と音楽をAVCHDでDVDに焼き付けることができれば、BDレコーダーで写真を楽しめると思ったからだ。だが、そのようなソフトは一枚もない。DVDに焼く段階でMPEG2のSD画質になってしまう。こんな事考えるのは僕だけだろうか?梅田からの帰りは谷町線で一本、関目高殿で下りて、駅上にあるたこ焼きを買い、コンビニで缶ビールを買い、やっとのことでお酒にありついた。帰り道作を見ながらビールを煽った。
4月2日(木曜日)
東京ほどではないが、ここ大阪でも通勤途上にいくつかの花を愛でながら通えるコースもある。今日は朝から抜けるような青空が広がり、桜とか木瓜とかを撮影した。桜は一旦寒くなり咲いて良いモノやら、待ったらよいのやら迷っているウチに後の葉が出てきたというような木が多い。普通はぱっと咲いた後に葉が出てくるのだが。そして今日は夕日もなかなか良いシーンが広がった。職場は35階にあるので、大阪の夕日が実にキレイに見えるのだ。
4月1日(水曜日)
とても寒い、冬のような寒さだ。厳しい就職戦線をくぐり抜けた来た人も、今日は晴れて入社式だ。目的の会社に入れた人は運が良かった人。この経済の冷え込みにはずいぶんと人生の方向を変えられたことだろうと思う。そんな新聞記事を読んでいると、突然、少し古い新聞で3月27日のエネルギー特集が残っていて目に止まった。朝の忙しい時間だが目が離せなくなって20分ほど集中した。石油の代替えエネルギーとして原子力や太陽光発電やバイオマスや風力発電などがピックアップされていて、太陽光発電と風力発電のページは興奮しましたね。読んでいて夢が広がる。うっとりしますね。アメリカ大統領オバマさんはここに経済発展の鍵があると政策を立てている。エライ。彼がどんな人格であろうと、この政策だけで僕は彼を支持しますね。一方NHKで日本の製造業についての特集を放映しているが、中国の取材の場面で、中国の風景が映し出された、ものすごい空気の汚れである、本来地平線の見える国なのに、ホンの1km先が見えないほど空気がよどんでいる。経済発展のために更に空気を汚す事だと思うが、この国こそ代替えエネルギーが必要だと思いましたね。
3月31日(火曜日)
昨日は食費のことについて詳細を書いたが、今日はどういう訳かものすごく疲れていて、仕事を終えると食事をつくるのもおっくうになってしまい、蒲生4丁目食堂で外食。このように時々もう動けないや、と言う疲れが襲ってくる事がある。その疲労は体を動かした後にやってくるような疲れであり、そんなに体を酷使しているのではないのに、どこからかやってくるのです。前には毎日の万歩計が20千歩を越しても「ああ疲れたな」で終わっていたんだが。いよいよ年齢の影響なのだろうか。前と比べて変わったことは、食事。やはり自分で作る食事は偏っているのだろうか。
3月30日(月曜日)
今日は定年退職者の送別会だ。つきあいの無い人だが、同じ職場から去っていくのでお見送りする義務があるので参加した。いわゆる義理ですね。しかし、参加費用1万円はきつい。爪に火をともすような生活をしている私としては10日分以上の食費でもあるのだ。最近の夕食は、ほぼ500円以内で献立できるようなカンが備わってきた。そのポイントは、季節の野菜を買うことです。量が多くて150円以内のモノが多い。肉、魚類はできるだけ加工食品、これに主食の米か麺類を加えると、ほぼ500以内に収まる。9時までだったら、近所の業務スーパーが開いているので、更に安く仕上げることができる。朝飯は、300円ほどかかりますね。パン一枚とトマトかミカンにリンゴ。もうリンゴは100円でなく、厳しくなっている。その代わりグレープフルーツが100円近くでいい仕事をしてくれる。昼飯は、会社の食堂で450円位。一日1000円の食事が見えてきた。
3月29日(日曜日)
昨晩早く寝たら、0時頃あまりの寒さに目が覚めた。また冬がやってきた。毛布と掛け布団では不足だった。眠い目をこすって電気毛布を出してやや強めにして寝た。雑誌HIVI4月号を読むと冒頭に「ガンジー」のソフト紹介があった。DVDとBDの発売とのこと。今まで国内でDVD化されてなかったようだ。このディスク英語版のコピーものだが本場インドで買ってきたので持っている。40円だった。買ったまま見てなかったので少しだけ見た。南アフリカで人種差別にあい、本国インドに帰り次第にガンジーが政治的に目覚めていく。字幕もなく雰囲気だけだが、流れは読める。夕刻プール、体重を量ると今まで見たことのない数字56.7kg。積極的に泳いでいたら、おばさんの人にマークされしっかりと後を追いかけられてしまった。大概500m位であきらめる人が多いが、この人は1.5kmも(ここで目標の2.5kmに達してしまったので終了した)付いてきた。少々気負ったこともあり、帰りの体重を見ると56kgに落ちていた。夕食を抑えめにしてあと1kg落とそう。マレーシア紀行はここに添付。
3月28日(土曜日)
海外出張で何が一番しんどいのか?シンガポールからの帰りですね。まどろむだけ。ここで一気に体力をダウンして帰り着くのです。そして、一週間分の洗濯。入浴。食事。この一連の事を済ませてとりあえず寝る。いざ寝ようとすると妙に眠れない。そして起き出してごぞごぞする。ここが体力が一番落ちる時。それで録画した番組でも見るか、と言うことで、「さだまさし」のコンサートを見る。妙なぶち明け感のあるトークで嫌悪感がある。「案山子」はいつも感動する歌。もう一つ好きな歌に「檸檬」があるがこれは収録されてなかったので消去。「甲斐バンド」も見た。こちらは好感。福岡に住んでいる頃スカイラインジャパン、テクニクス限定車が発売され早速買った153万円。1988年の事だ。この車は天井にカーオーディオが装備されものすごく音質が良かった。そのカーオーディオで、甲斐バンドの「それは今」を聞いたのを想い出した。甲斐さんのはBDへ保存だ。夜、妻に電話をすると娘が大学に行きたいんだけど希望校が見つからないと困っているとのこと。「そうか」としか言えない。息子は修学旅行にシンガポールに行くとのこと。こちらも「そうか」。僕らビシネスマンにとっての大敵は高校生の修学旅行客と一緒になることだ。その大敵を子供が演じる。日本の恥だ。
3月27日(金曜日)
酒は酒、ビジネスはビジネス、朝7時にレストランに下りて行き食事を摂っていると、仲間が下りてきた。夕べは覚えてないほど飲んだとのこと。ぼくの席はそこまでエキサイトしなかったので助かった。午後の時間が空いたので、無理を言ってクアランプールの郊外を案内してもらった。インドのように、あちこちに椰子の木があるわけでもなく、緑多めの住宅地の感じ。あいにくと大雨で、周りの景色が見えにくく、写真も撮影できなかった。郊外にある有力店を訪問ししばし懇談した。僕の方が壊れた英語で申し訳ないと言うと、先方は胸に手を当ててハートがあれば十分だと返してくれた。ありがたい。問題はここからだ。市内の事務所に帰るのに1時間、事務所から空港へ向かうのに1時間半。マレーシアは交通インフラが無く、車が主だからこうなるようだ。結局飛行機の出発ぎりぎりにクアランプール空港に到着した。飯を食ってない。とにかく遅れてはまずい、出発ゲートへ急ごう、ところが、出発ゲートである「C11ゲート」が見つからない。矢印はやや上向いているので、2階にも上ってみた。無い。時間が迫る、どうしよう。もう一度入り口から捜してみる。そして、C11に通じる「路地」が見つかった。幅1,5m位。「国際空港だろう?何とかしろや!」と日本語で叫びましたね。飛行機の中で提供されたオレンジジュース一杯で空腹をしのいだ。午後11時前チャンギ空港に到着。今度は切符にゲートが記入されてないが問題なくやり過ごせたのは、マレーシアからの団体客が日本に向かったからだ、この後をついて行けばよい。まずは腹後しらえ、ラーメン600円。この店で飲み物を聞かれたがNO。腹が朽ちたところで猛烈なのどの渇き。きっとあるはずと捜したのがタイガービールの専門店。ありました。ここで生ビールを。活き返りました。ここで0時まで過ごして、出発ゲートに向かった。出発はいつものように午前1時。ゴールドメンバーなので、騒いでいる若い兄ちゃん達を尻目に先に乗らせてもらった。エコノミー席だが、ビジネスマンは前の通路側席が多い、僕もそのうちの一人。団体やグループは後ろの席だ。眠れない。三船敏郎、椿三十郎を英語字幕で見た。音無し。チャンバラを英語で見ると間延びするが、それでもずいぶんとこうした見方は勉強になりますね。深夜だが一人で楽しんだ。
3月26日(木曜日)
昨日みたいな寒さだとやられてしまうとダウンのジャンパーを持ち込んだら、席が来賓席であり、割と明るい。僕だけ特殊な格好をするわけに行かず断念。ふたたび寒かった。休憩時間に外に飛び出して熱帯の太陽を浴びて暖を取る。会場となるこのでかいショッピングモールの案内がありでかけるが、興味があちこち飛び火して、僕はすぐにはぐれる。すると、親切(すてき)な女性が、「okamura san」と声をかけてくれ、要所要所でお世話になった。後でどなたかと聞くと、社長の秘書だった。夕方の会議は各地でビジネスを営んでいる方の集まり。と言うことは中国人(華僑)もいて、司会は英語の後、中国語で同じ事を話す。それがものすごく格好いい。パワーポイントは左右にあり、右が英語、左が中国語。これだけの構えで僕は感動しましたね。もちろん中国語は全く不明。英語のプレゼンは理解です。午後7時から懇親会。僕の右隣にはマラッカの人、左隣はボルネオの人、マラッカの人に昼間はビジネスで、夜は海賊かと聞くと笑っていた。ボルネオの人には、隣のインドネシアへは行けないのか?と聞くと、ジャングルがあり、死を覚悟しないと無理と言われた。(このややこしい話は日本人に通訳してもらった)地元に人の話を聞くのは楽しい。そしてこちらの乾杯はスゴイ。声を限りに叫びながら伸ばす、声が途絶えると飲み干すのだ。乾杯が始まるとうるさいのなんの。中国式?懇親会はエンターテイメントがあり、「王将」の歌に感動した、デジカメでAVCHD-liteハイビジョン記録しましたね。とっさの動画には、デジカメは非常に便利。
3月25日(水曜日)
遅く寝たが、7時半から朝食ミーティング。ベッドが快適だったので、長旅の疲れがすっかり取れていた。このホテルはロビーがすでに13階であり、宿泊したフロアは16階。食事の場所が1階。つまり、地下に降りて行く感じです。しかし、13階のフロア分、地面を掘り下げてあるので、1階はとても視界は広い。そこに、プールがある。単なるプールでないことが写真でおわかり頂けるだろうと思う。マレーシアは日本を見習えと、マテハール首相が音頭を取って政策の舵を切った。その中で、そこまでしなくても、というのが、標準時間の問題だ。日本との時差は1時間。シンガポールと同じ。ところが、実際の太陽の位置から決めた時間でなく、強引に日本との誤差1時間にした、だから午前7時でも依然としてまだ暗い。8時半から内部の会議。大きなホールで開催されたが、これには堪えた。ものすごく寒い。たとえて言えば、2月の厳寒期にコートなしで風が吹きすさぶホームに立っている感じ。余り寒くて歯の根が合わなくなる。会議ではtreeが出てくる。目を閉じて聞いていると、エコのための木なのかと錯覚する。本当はthree。数字の3をツリーと呼ぶのだ。1,000のことをタウザン。アジア一帯がこの発音だ。夕刻6時に終了。7時に今度は別のお客様を招待しての食事会。僕は言葉が分からないのでできれば外して欲しかったのだが、ご一行様の一人にはいっていて、バスに乗って市内のKLタワー(ツインタワーでない方)に向かった。バスガイドさんが盛んに観光案内をするが、誰も聞いてない。僕はガイドさんの横に座っていたので仕方なく相づちを打ち、時々質問をいれる。話に詰まったガイドさんはそれをてこに話を展開する。1時間ほどで到着。250mの大きなタワーに登り、そこで食事会だ。塔の上は回転レストランになっていて、一周1時間半。料理はマレーシアとインターナショナルがある。僕はマレーシア料理に牛肉を混ぜていただいた。時折、夜景を撮影する。夜景には部屋の照明が映り込むので、ナプキンで覆って撮影するとキレイに取れる。招待客の中にはプロのカメラマンもいたが、僕の手法に感心していた。あれぇ知らないの?まぁこういう芸の細かいことは日本の得意とするところですね。再びバスに乗って帰り着いたのが11時。妙に「ル」の多い英語が聞こえてくるなと振り向くと、インドからのお客様だった。インドの英語が判別着くようになったのだ(意味は分からないが)。それからリハーサル。12時。疲れますね。
3月24日(火曜日)
海外出張も3泊程度だと国内出張も同じ程度の荷物。荷物も機内持ち込みして手軽だ。今回の失敗はひげそりのシェービングクリームが検査にひっかかり没収されたこと。昨日航空機の事故があったばかりだが、シンガポール航空だからきっと安全だろう(この世界では一番安全なのはシンガポール航空と言われている)と信じている。それは乗れば分かる。着陸時にタイヤが接地するのに、「ドン」とは行かず、「コトコト」と音がしてから接地する、スゴイ腕のパイロット達がいる。他の航空会社ではそうはいかないのだ。無理矢理の意味づけですが。マレーシアにはシンガポールを経由して行く。久しぶりに一人だ。道中に使われる英語は分かる。実は旅行で使われる英語は数少ないので、本当は話していることは一つも理解してないのに、言っている意味は事前に分かっているので、英語が分かると錯覚するわけだ。外国に住むとその国の言葉を覚えると言われるがきっとこのような感じだろうな。シンガポール、チャンギ空港で2時間ほどの時間があったので、乗り継ぎの飛行機ゲートまで歩いた。空港は、U時型になっていて、今回たまたまUの左上(T1)から、右上の所(T3)までの移動だったので、店を見ながらぶらぶらしたら1時間を要してしまった。5,000歩。(東京駅から浜松町駅まで)でも、すっかり、この空港の全容がつかめた。次回からは迷わないぞ。50分の飛行でクアランプールに到着すると、同じ飛行機にシンガポール在住の仲間が乗っていて、出口で合流となった。現地の出迎えの人に乗せてもらってサンウェーピラミッドと呼ばれる巨大ショッピングモールへ向かった。大阪で言えば西宮に大きなショッピングモールができましたが、あれに相当するものです。ここは、リゾートも兼ねていて、別ページで紹介するが広大な土地に人工の海を作って泳げる設備がある。夜も更けたが、一応みんなで晩飯を食った。タイガービールがことのほか旨かった。このホテルは素晴らしい。部屋の大きさも丁度だし、シャワー室と風呂とが別にある。ベッドは相当な広さでパリパリ感のあるノリが効いている。両手を広げて眠りましたね。
3月23日(月曜日)
明日から出張となると、いろいろと処理をすることが多く、あわただしく過ごした。あっという間に昼が来た。昼から健康管理室の「医師」を訪ね、現在の健康状態の問診を行った。とりわけ食事と運動の事については相当模範的なことをしているので感心された。15,000歩の歩行とか、塩分を使わない料理とか、野菜2種は調理して食べているとか。こういう事に関しては「意志」は硬いのだ。夕食は、本意ではないが外食。自分で調理して変なものを食べると明日の出発ができなるのを避けるためだ。いつもとは違う食堂に行くと、なんと調理に30分ほど待たされた。夜の貴重な時間なのに。もうこの店には二度と来ない。京橋から、関目までの道中にある店はどうしてまともな店はないのでしょう。飛行機で移動の8時間はスーツは着ない。かといってスーツケースを別に持つのもはばかれる。それでスーツを鞄の中にいれてしわが無く持ち運びできる方法を考えついたのが、編み目の洗濯ネットに入れたらどうか。洗濯ネットは100円だ。(細かいしわは、ホテルに備え付けのアイロンで手を加えればよいと)
3月22日(日曜日)
やくざ映画「日本の首領」野望編を見た。佐分利信が佐倉一誠(親分)の役でいい演技だった。モデルは山口組とのこと。やくざ映画は肝の据わった応対に惹かれる。僕はどちらかと言えばちゃらちゃらしているのでとりわけ惹かれる。WOWOWでもう一本完結編を録画したので、次回の楽しみだ。もう一本物語では、「告白」湊かなえを読んだ。愛娘を殺された学校の先生が、犯人の小学生にHIV入りの牛乳を飲ませるかなり壮絶な物語。いろんな人が同じ事件を語るので少しうざい気もするが、最後のどんでん返しが爽快。復習モノというよりか、ホラー的作品。書店の店員からは絶賛の評価があるとのこと。夕食に昨日のインド風の野菜炒めを少しもじって作った、昨日は塩ベースの味付けだったが、今回は同じ塩でも「イカの塩から」だったらどうだろうと試してみたら、何とか食べられた。
3月21日(土曜日)
早速、「咲くやこの花館」に出かけてデジカメでハイビジョンムービーを撮影した。撮影そのものはスムーズだが、電池の消耗が激しく、1時間半程度の撮影ですっかり電池が無くなってしまった。Motion JPEGからAVCHDに代わり、SDカードは余裕ができたが、バッテリーの余裕が減った。電池はもう一つ必要だ。更に、追っかけフォーカスが花を写すときには重宝するが、これをONにすると、マクロが効かなくなる。どちらを選択するかだ。画質の面ではISO80のポジションが新設され画像はすこぶるキレイ。一眼レフカメラも相当頑張らないとこの映像を超えられない。きりっと締まった映像にコクが乗っている。お昼頃に撮影を終え帰宅、帰宅と言っても自転車で10分程度。おなかが減ったのでスーパーに寄って物色していると、宮崎産の大きな緑濃い唐辛子(万願寺唐辛子)があった、これを見て思いついたのが、インドで少年が屋台を引き、野菜を細かく刻んだモノを売っていた、アレをどうしても食べたいと思いながら現地では衛生上どうしても手が出なかったことだ。そこにあったのは、この緑濃い唐辛子と紫のタマネギだ。このスーパーであのイメージに合う野菜を買い込んで早速トライしてみた。まず、買ってきた野菜をみじん切りにする。インドではこれに、胡椒なのか塩なのかを振りかけて食べていた、少し試すが、少々厳しい。そこで、塩をベースにフライパンで炒めた。まぁまぁ、彼等はこんなモノを喰っていたのかと思いましたね。撮影した映像は、付属のPCソフトでYou-Tubeにアップロードできるので試した。ここに貼り付けます。You-Tubeのサイトから、「sakuyakonohanakan」と打ち込めばヒットします。映像はダウンコンバートされ格別な感動はないが、やってみなければ分からない。ちなみに、Motion-JEPGは付属の専用ソフトを使わなくても、You-Tubeのサイトからいきなりアップロードできる。
3月20日(金曜日)
昨晩の酒の威力は凄く、結局午後2時頃まで酔った感じが残っていた。酔いが醒めてから梅田に出かけた。デジカメのTZ7、ムービーも撮影できるカメラを購入するためだ。ついでにBDレコーダーのHDDが一杯になったので、整理するのにBDディスクも。何とビクターからLTHのディスクが発売されているではないですか。価格は一枚290円。もうDRモードで録画しても安心だ。早速購入して試すが、フォーマットに凄く時間がかかる。いらちには、普通のBDディスクが良いようだ。一方シャープから7倍長時間のBDレコーダも発売されていたので見せてもらったが、これは相当ひどい映像だ。VHSの3倍は画質が劣化したが見ることはできたが、この7倍長時間は、映像がカクカク動くので疲れる、このモードは目が悪くなっても良い覚悟が必要だ。夜、BDに落としながら、NHKの「日本のフォークソング特集」を見た。その中に岡林信康が出演していた、始めて見る人。ものすごくおもしろい人。何で今まで知らなかったのだろうか?
3月19日(木曜日)
今日一日で明日から休みだ。気持ちが軽い。しかも、今夕は親友のF氏と懇親だ。まずは、仕事を終えて取引先の会社へ、ここに友人のM氏が関西名物の「くぎ煮」を届けてくれているのだ。くぎ煮とは、明石海峡付近でしかとれない新鮮なイカナゴをじっくり煮込む。煮込んでいる間に、イカナゴがくぎのように見えてくるのでくぎ煮と言うらしい。それぞれ家庭によって煮込み方や、一緒に入れる具材が違い味が違う。僕はM氏の家庭で作られる頂いた後にぴりぴり感が残る味が大好きだ。このくぎ煮とご飯だけで食事を終えられる程の味がある。その後、関目の料亭へ。ここは会社を定年になって辞めた方が料理屋を営んでいるとのこと。少し狭いがお客様で一杯だった。ここで当面の話題を話し合うことに。ところが料理がスゴイ。話どころではない。ご主人は壱岐の出身で、新鮮な魚貝類が直送で届く。何と今日はアワビの刺身だった。本物のアワビ。さらにはサザエ。お酒もセンスが良く旨くて、本当に申し訳ないほど旨かった。それで羽目を外しすぎたようだ。帰り道で酔いが回ってきて、帰り着いた頃にはすっかりできあがっていて玄関のドアをしばらく開けることができなかった。
3月18日(水曜日)
一緒に働いていた今城さんと昼飯を食った。相変わらず大飯ぐらいで、そして彼独特のおいしそうに食べる。世界でこれほど旨そうに食べる人は居ないだろう。大阪では近くに住んでいるがなかなかタイミングが合わず一緒に食事する機会はない。彼は5万円もする通信教育の機材を買って国家試験を受けているそうだ。向学心があると言うことは立派なことである。でもあの大酒飲みに記憶ができるのだろうか。
3月17日(火曜日)
笑いに笑えぬ間違い。英語の単語カードを作って覚えようとしているが、その中にdefinitelyと言う単語がある。意味は「確かに」。ところが、この綴りを、difinitelyと書いて懸命に覚えようとしていてやっと間違いに気がついた次第。「確かに」「間違って」覚えてました。同じ英語話題。息子に電話したら、彼は英語の成績が良くないらしい。そこで、私は自分の勉強法を教えてあげた。文章の丸暗記だ。彼は、ポケモンカードを記憶するのが得意だったので丸暗記は得意だろうと伝えた。文法もへったくれもないぞ。これは試験の成績によく効くぞ、と。すると、こんな返事が返ってきた。「お父さんの言う通り早速明日から試してみるよ」。この返事を聞いて、絶対にしないだろうと思ったね。しかし、よく、平気で、おべんちゃらが言える。将来、詐欺師にならなければよいが。
3月16日(月曜日)
日一日ごとに暖かくなる。今日は大阪府一帯に春霞がかかり、本当に春が来たのだ。それとは関係なく、大阪で全世界からの人々が集まった会議があった。英語が共通語として使われていて、活発な意見の交換。その波に乗れないが悔しい。
3月15日(日曜日)
昨日の反動で、一旦起きて飯を食った後、もう一度寝て、やっと正常に、気分すっきり。天気最高だったが、自宅でごぞごぞ。夕刻プール2.5km。久しぶりに妻から電話、VISAの引き落としにお金が不足している用件。出張の精算が1ヶ月ずれているためだ。海外出張は金額がでかいので、運転資金に余裕が必要だ。
3月14日(土曜日)
職場のM氏に誘われて、奈良のお水取りを見に行くことになった。それで、まずは奈良県生駒市にある氏の家を訪問、美人の奥様の料理が出てきて昼食だ。息子のT君がいろいろと僕に質問があるという、カメラのことだ。高校一年生。我が家の吉崇君と同じだが、T君の方がもっと素直。その上パソコンが操作できる。さてお水取りだが、クライマックスは二月堂の火の粉を振りまく行事だ。それまでの時間奈良の観光地を巡ることになった。K氏の奥様は英語で奈良県の観光地を案内できる免許をお持ちだ。この家族は夫婦で英語しゃべれる。入江泰吉氏の写真館。奈良県内しか撮影しない写真家。スゴイ。静止画なのに動きを表現している。そして、縦撮りの写真が多い。普通写真は横に撮影するが、縦は結構難しい。新薬師寺、東大寺戒檀寺、奥様は私には日本語でご案内くださった。だが、いきなり天平の時代が出てきたので面食らった、600年くらいだろうと推測はしたが、700年の時代だった。そして、この頃の層の名前にはインド仏教の呼び名が使われているとのこと。さて、二月堂へは5時頃到着、少し人が多いかなという感じだった。始まりは6時半からだという。ここで立ったまま1時間半を過ごす。次第に寒くなりふるえが来始める。もうこのころだと人で動きが取れない。下はぬかるみ立っているだけでも厳しい寒さだ、そしてトイレ。ものすごい人で、動きが取れないままひたすら待つ。K氏のご夫婦といろいろ話したが話も尽き無言の時が過ぎる。苦しい。そして待ちに待った6時半、周囲の照明も消えてしばらく経つ。僕がえらい「じらすね」と言うと、周囲で笑いが起きた。そして何かが燃えている匂いが漂ってくると、左手の階段を炎が駆け下りて、大きな炎が駆け上がった。それが、上段の舞台の上に現れると、拍手が上がった、寒さに飢えていた参詣の人々はこの炎の恩恵にあずかろうと見守った。次々とたいまつが舞台に現れては右隅の方に並んで掲げる。今日は最終日で11本のたいまつが掲げられるとガイドさん。そして11本出てきたところで、「回すぞ」とかけ声が上がり、このたいまつを回した。漆黒の夜空に火の粉が舞い散りそれはそれは綺麗な演舞となったのです。全員が感動して拍手。花火の大輪を見たときの感動にも似てますね。ずいぶん待った甲斐がありました。時計を見ると僅か10分間の出来事でした。ふるえが止まらず二月堂を後に。遠くの駐車場に駐めた車に戻り、シートに座る安堵感と、しばらくして効いてきた暖房はまるで天国のようだった。晩飯もK氏の家に戻っていただき、門真まで送ってもらった。厳しくて感動の夜だった。そして家に帰る着くと、部屋の鍵を開けっぱなしだった事に気がついた。この頭どうなったのでしょうか。
3月13日(金曜日)
今まで遅れを一度に取り戻すべく、遅くまで頑張った。夕食を作るには遅すぎるし、退社した頃は腹ぺこだ。京橋の眠眠で、店長お勧めの、もやしの入った焼きそば650円。ライフ(スーパーのこと)で買えば、もやし35円、そば100円なのだが、、、。雨の一日だった。部屋の中にはいると暖かい、ホットする。ホットなわけだ、朝からエアコン入れっぱなしだった。
3月12日(木曜日)
晴天だ、青空をバックに木蓮を撮影。千葉にはこの大木があったが、こちらでは、街路樹しか見あたらない。電線がじゃまで旨いカットがすくない。電線と電柱がこれほど街を汚しているとは誰も思わないのでしょうか。今日は夕刻上司から飲み会のお誘い。各部署の責任者が一同に揃って飲んだ。日本酒からスタート、いいねぇ。この部署は海外部門だから、話題が豊富。昔のように何処に猫の子が生まれたとか下世話な話がないのがよい。2日続けて飲むとしんどい。それでも徒歩で帰宅。
3月11日(水曜日)
水曜日は定時の日だ。申請がないと管理職でも職場から閉め出される、いい傾向だ。今日は本をたっぷりと読めると思いきや、職場のM氏が一寸ビールでもと誘いがかかる。一寸だけなら、が10時まで。大変だ。帰りに普段通らない道を歩くと、木蓮が満開だった。もう春が来たのだ。明日、早速撮影しよう。
3月10日(火曜日)
本を読む時間が無い。無いと嘆いては話が進まない。ほんの少しでも余った時間を読書に回す、風呂でもトイレでも、そうして積み重ねた時間でやっと特選街3月号を読み終えた。月刊誌を読み終えるに必要な時間は8時間、細切れだが2週間で8時間を確保したのだ。
3月9日(月曜日)
昨晩ご飯を3合炊いて、余りを冷凍しようと釜を取り出して冷やしておいた。ところが、これをそのまま放置して出かけてしまった。調理台の上に乗っているので目に入っているはずだが、この日に限ってこの大きなモノが見えなかった。そして頭の空白時間がますます激しくなっているような気がする。自分に自信が持てない。
3月8日(日曜日)
NHK−BShiでフォークの特集があった。BDに残せるように高画質モードで録画した、青春の想い出の音楽がこの番組の中に詰まっている。70年代はどんなに音楽を聴いたモノか。音楽と季節が一体化して、秋風の中ガロの「学生街の喫茶店」を秋葉原で聞いたなぁ。と蘇ってくる。このごろ毎日家に帰ると、アンプの電源を入れて、PCM放送でジャズを流す。PCMの9chのこのジャズ放送は60年代のビバップのジャズばかりだ。ビジネスでは最新を追い求めているが、個人はどんどん昔を充実したがっている。買い置きの小説も昔に返り始めた。これってやばいことだろうか。インドの写真集はやっと掲載し終わった。ここに掲載。
3月7日(土曜日)
今日は友人に誘われていたが、風邪で急遽中止と言うことで、代わりに京都の植物園に出かけた。もうクロッカスの咲く頃。クロッカスと言えば美樹克彦の「花は遅かった」を思い出す。実は絶妙のタイミングでクロッカスが満開だった。「花は遅くなかったのだ」。梅は散りかけだったが、これを狙ってメジロが蜜を吸いに来ているのでいいショットが撮影できた。温室では、蘭の展示。70〜200mmのタムロンの望遠で押さえた。手ぶれ補正が無いので相当失敗がある。太陽があり、逆光で花弁をみるとえもいわれぬ美しさがある。その瞬間を切り取るのは本当に幸せだ。「ミズキはどうか?」。残念ながらまだ早かった。疲れて出口にたどり着くとおじいさんの人が話しかけてきて、一眼レフカメラを持つのは「しんどいやろう」と聞く。「ほんとやりきれんわ」と答える。ひとしきり昔の話があって、僕が撮影した写真を魅せると、「これLUMIXやろ」。と聞く。「手ぶれに強いらしいなぁ」。もう80歳を回った感じの人だったのによう知ってた。帰り着いて関目の駅前で早めの夕食というか、遅めの昼飯を食った。森重久弥の「知床旅情」が流れていた。1971年春、この歌を聴きながら大阪に出てきた事を思い出した。帰り着いて「蒲田行進曲」を見る。僕の思い描く妻の姿を松坂慶子が演じていた。この映画は映画館に5回通い、βのVTRで10回くらい見た。
3月6日(金曜日)
また雨、カッパを着て、長靴を履いて出勤。そろそろ太陽が欲しい、光と言えば、まだ経済の底が見えないが、どうやら、第一四半期が底のような記事が増えてきた。相当消費が落ちていると思いきや、車はホンダのインサイトとトヨタのプリウスがベスト10に顔を出していた。不況の中に光る消費のようなものを取り上げ人々を元気にして欲しいものだ。他にも家電芸人なんかもおもしろい。ずいぶんと売れ筋が変わるようだ。夕刻、今週の仕事の区切りをつけようとしたら、職場のM氏が誘いに来た。1週間酒も飲んでないから、まぁ行こうか。と言うことで、ビルの一階に入居している居酒屋へ。いろいろな事を話したが、結論は酒を飲むにはお互い共通に酷評できる人がいないとおいしくないと言うことだった。これがサラリーマンの酒の飲み方なのだ。
3月5日(木曜日)
昨日に続き、今日は電気毛布の電源を入れっぱなしで出かけてしまっていた。生活には完璧を期しているのにこうもぬけが多いと困る。とにかく思いついたことはメモをする。それをチェックする。映画「明日への記憶」を思い出す。自宅では誰ともしゃべらず、土日の休日も話すことはない、そんな生活が記憶に影響を及ぼしているのだろうか。
3月4日(水曜日)
今朝は妙に体がだるく、朝飯の後、1時間くらいもう一度寝た。すると元気を取り戻した。疲れが一晩では取れないことがある。夜、自宅に帰ると部屋が暖かい、そうか、もう春が来たのか?何と、朝2度寝をしたので、すっかりカーペットの電源を切るのを忘れていただけだった。そして、風呂のお湯を落とすとき、またもや洪水。髪の毛が詰まっていたのだ。えっ、一週間前に掃除をしたばかりだ。髪の抜け具合が早くなっているような気がする。ものすごくやばい。
3月3日(火曜日)
冷たい雨。雨は2週間目に入る。今年はどうしたことだ。もしかしたら、夏にものすごく暑くなって景気が上向く可能性ありと言う前触れなのかな。昼間ビルから外を見ると雨の中に少し雪が交じっている。寒いわけだ。千葉の家族に久しぶりに電話をかけると向こうは雪が降っているとのこと。娘に、雪だるまは英語で何という?「snowman」。たいしたもんだ。こんな事で感心してはいけないが。息子からはインドのことをいろいろ聞かれた。振り返ると、彼からは聞かれることばかり。僕が話すことがなかったようだ。
3月2日(月曜日)
昨日高知から送ったアンプが届いた。1976年製のプリとパワーアンプ60A、70Aだ。Webの書き込みを読むと結構いい評価がある。今晩は、食事もそこそこ、ともかくこのセッテング。音楽源は、CDをBW730。放送はCS−PCMのミュージックバード(現在はクラシック2本、JAZZ2本、ロック2本、ポップス1本、演歌1本になってしまった)。FM放送は同時に送ったチューナーST−G90。HDDに録りためた音楽はオンキョウの外付けのDAコンバーターSU−G55GXでコンバートしてアンプに接続した。これで、クラシックからポップスまであらゆるソースが聞ける体制が整った。スピーカーは、パナソニックSB−FP800トルーボーイ型。これで音楽ライフが充実した。
3月1日(日曜日)
昨晩8時から寝て7時半に起きた。はやり自転車の疲れだろうか。しかし朝は快適だった。太陽が顔を出して春の陽気となった。犬の散歩に出ると、近所の若奥さんは野良犬がいるので気をつけた方がよいと忠告。野良犬は人相が良くないですね。卑屈な顔つき。長い生活の疲れが出ているとでも言おうか。人と犬の関係は昔から良かった。だから犬は人を頼りに生きてきた歴史がある。自分で孤高に生きる生き方ではないのだ。だから人に見放された犬は惨めな人生を送ることとなる。すると顔がすさぶ。猫はそうではない。猫は孤高に生きることができる。野良猫は決して卑屈な顔をしてない。高知で唯一動くMacでこの一週間を文章にして、懐かしいフロッピーディスクに保存して大阪に持ち帰る。久しぶりにANAに乗ると飛行機の中の清潔さに驚く。移動は疲れるので、もう今日はプールはやめにして、1週間分の洗濯をして寝ることとする。
2月28日(土曜日)
2月最後の一日。曇り。今日は高知市にある牧野植物園を訪ねた。この植物園は高知市の東にある小山。その小山の頂上全てが植物園である。私の実家からは自転車でほぼ2時間弱。調子の良いときは1時間半でアクセスできる。今日は久しぶりの自転車で2時間を要した。途中マクドナルドでイタリアンチキンのハンバーグを喰うなど休憩を挟んだこともあるが。インドから帰ってコーラーを飲む習慣がつき、のどが渇いた→コーラー→マクドとなってしまう。多くのおじさん達に塩気味のないハンバーグは得意でない。その割にカロリーが高いとなれば敬遠するのは当然だ。しかし、おばさんはそうでもないようだ。見ていると結構喰っている。さて、今の時期はラン、牧野植物園もランで埋め尽くされていた。出来るだけアップで撮影したが、少し痛んでいる花びらもあり、少し遅かったかなと思った。10倍と12倍のカメラを持っていったが、随分と表現に違いがあり、背景のぼけという点で12倍の優位性を感じた。2時間半撮影し退散した。Kさん宅訪問したが留守。ヤマダ電機高須店がオープンしていて覗く。最近のテックランドは書籍も売っているようで、ズバリ「本を買おう」と訴求がある。本を買っても5%のポイントがつく。近くの書店やコンビニにも影響があるだろう。田舎にも関わらず大勢の人で混雑していた。帰りに魚屋さんを覗くと、清水鯖があるではないか。一本料ってもらいおじさん宅で喰った。鯖の脂は格別で旨かった。おじさん宅では動脈瘤で亡くなった人の話題だった。「病気と死」は避けて通れないことだが、ひときわ高齢者の多い田舎では身近な存在である。
2月27日(金曜日)
朝の支度をして玄関のドアを開けるといきなり雨が吹き付けてきた。この建物は南向きで、部屋から眺める外の景色では相当雨が降ってないと雨の気配がない。今日は田舎に帰る予定だし合羽を羽織るわけにはいかないなぁ。と言うことで電車通勤。毎朝7,000歩を歩く身としては、妙に体の引き締めが無くだらしなく感じる。昨晩、オバマさんの就任演説の新聞記事を読み、日経新聞には一部原文のまま掲載された。It is not about helping bank. It is about helping people(銀行を救うのではない、国民を救うのだ)オバマさんの言うことが、そのまま詩になる。相当表現にこだわる人だ。このような人と、麻生さんが会話して果たして旨く会話が設立したのか?表に出ないだけに興味がありますね。夕刻6時過ぎの新幹線で高知に帰る。新大阪のホームを歩いていると、日本橋の電器屋さんKK小池さんとあった。彼は別府へ行くそうである。市況は厳しいが元気そうだった。電車の中でイラン映画「ハーフェズ ペルシャの詩」を見た。イスラムの教えの映画、実生活にコーランがどれだけ影響しているのかよく分かる。面白くはないが、興味深い映画だった。土讃線ではミッションインポシブル2を見た。何度見ても安心して楽しめる。映画2本で高知に到着。
2月26日(木曜日)
仲間達がニューズレターを発刊するという。僕は前の職場で相当苦しい思いをして4年間ほどこれを続けた。後半は多くの人にも見てもらったので止めるに止められなかった。毎週の行事とすると厳しいのである。しかし彼らはやると決意した。僕も協力しないわけに行かない。また一つ重い十字架を背負った気がする。原文は日本語で書き、英訳はベテランが担当するという分担になるはず。ただ今回はすごくデザインセンスの良い人がいて、彼のフィルターを通すと駄文が美形に蘇る。反響に期待ができるかも知れない。一週間ぶりに風呂の水をながす。前回風呂の水を流したら、風呂の下水が詰まってあわや漏水と言う事態の直前まで至った。今回はきちんと排水にたまった髪や垢をきちんと取り除いて排水。自分は器用な方だと自覚していたが、生活全部に器用さと言うのは発揮されないモノだと認識した。
2月25日(水曜日)
大雨が降っている。寝てても雨の音が部屋の中に入ってきた。2月に大雨はないだろう。天候は明らかに温暖化の様相を呈している。だれかが、経済停滞によって温暖化の速度が弱められると言ったが、僕はそうではないと思う。経済停滞で、燃費効率の良くない設備や機器が稼働し続けて、地球の温暖化の速度を速めているのではないか。まぁそんなことは置いといて、今日は合羽を羽織り雨靴を履いて徒歩で出勤をした。雨だと何か自分の中で我慢することがあり、例えば靴に雨がしみてくるとかで雨の日は厭だと思うが、完全武装をして雨の中を歩くと意外と気持ちが良い。約1時間だが豊かな気分になれましたね。
2月24日(火曜日)
再びダイエーの事、前回は弁当の蓋が開いてしまい。ビニール袋の中にぶち蒔かれてしまったことを書いたが、今度は巻きずしを買ってビニール袋入れようとすると、あまりにも鋭角の薄い梱包材で手を切ってしまった。この部分は蓋を開けやすいようにとの配慮だが、諸刃の刃だ。このように、配慮のなさがダイエーであり、従業員のだれかは気がついているだろうがそれをすくい上げる風土が無いのだ。昔のダイエーの元気はいつのまにか霧散してしまった。買ったモノを鞄に詰めるときレジ側を改めて見ると、単色の蛍光灯が薄暗く感じ、ああこの店は死にかけているのだと思いましたね。もう2度とここでは買い物はない。
2月23日(月曜日)
インドの写真をHPにアップする作業をしている。膨大な数の中から選択するとなると、よりインパクトの強いものからとなるがなかなか決めきれない。それに写真はもっぱら、移動中と、ホテルでの時に限られ、インドの全部を伝えられるのではない。そんな折り、アカデミー賞が発表され、インドのムンバイを取材した映画「スラムドック」が賞を獲得した。この映画はカーストの下級の少年が夢をつかむ話だが、ホントのインドは人種差別の激しい国だけにアメリカンドリームとは行かないと思うが、インドが脚光を浴びるのは良いことだと思う。インドは人口が多く、独自の文化が流通できる下地がある。僕としては映画は言葉の障壁で難解だが、音楽は楽しめる。今回の出張でインドの音楽を手に入れたが、聞けばなかなか味のある音楽もある。このノリはいつか世界にも出て行けるレベルにあると思うのだが。
2月22日(日曜日)
インドの香り
やっと体も心も落ち着いたと言うべきか。インドは寿命を縮める。十分に体力を温存して臨み、使い果たして帰る。このようなパターンだろう。いくつか録りためたDVDを見る。NHKのエコツアーだ。アジアの国々が紹介されている。機会があれば行きたいと思う。雨降る景色を眺めながら、うたた寝した。エネルギーが貯まったところで、いつものプール。今日は1時間で2.5kmを少しオーバーした。体力も元に戻った。インドでは宿泊したホテルのシャンプーやリンスを持ち帰った。ケチの気持ちも無いわけではないが、容器がなかなかしゃれていて、香りがよいのだ。毎日違う香りを楽しんでいる。
インドの写真は、ここに掲載した。
2月21日(土曜日)
3,300円の安心
眠いが5時半起床。今日は予定がいっぱいあるのだ。洗濯の後、メインの予定である守口にある会社の病院に伺うと土曜日は休みだという、なんてことだ。それで滝井にある、関西医大付属病院へ。紹介の無い人は2650円の追加料金が必要だという。なぜなのかの説明はない。伺った目的は、背中の腰の上の方が痛い。背中の痛みは良くない病気の可能性があると聞いたことがあるので大事を取って診察を受けたのだ。とりあえずエコーで検査がしたが、肝臓も膵臓も背中が痛くなるような兆候はないですよと安心の言葉を頂いた。整形で腰を見てもらった方がよいとのこと。ほっとした。その足で2番目の目的であるヨドバシカメラへ、年明け以降、春の新製品がどのように展開されているのか見たかった。相変わらずこの店は一杯で活気がある。活気があるので安心感がある。その後、紀伊國屋書店へ。この店も一杯だ。リュックを担いだままではじゃまになる。いろいろと仕入れて帰宅。自転車でひとっ走りの行程にこれらの訪問先があるから都心に住むのは非常に便利ですね。帰り着いたらそのまま寝てしまった。
2月20日(金曜日)
再び懇親
今日は東京からU氏が来るという。それで晩飯となる。今週は一番忙しい時なのに、こんな時に限ってお誘いがある。だがこんな時に限ってお誘いは僕の人間味の収支バランスを整えてくれるから重要だ。帰り支度はいろいろ急いだので、インドのメモを忘れてきたのが残念。U氏の他に、大阪勤務のSさんも一緒で話が意外な方向に流れていった。S氏はワインが得意、それも、チリワインが専門だという。なぜ?「チリ産は絶対にはずれがない」と言うのが持論。しかし、この店では紙パックに入ったフランスワインを飲んでいた。外国の話は女の話。僕よりよほど情報があり、僕たちは聞く一方だ。店はホントに安易に選んだとしか言えない会社の入り口にある店。先日のメニューの半分くらいの料理単価。
2月19日(木曜日)
近くのメリット
平日酒を飲むと翌日が確実にしんどい。今朝もきちんと起きるに起きたが、7時頃支度を始めようとすると眠くなり、8時まで睡眠。それから自転車で出勤。この追加1時間の睡眠はずいぶんと楽になります。だが、酒の後遺症はまだあり、いろんな物をあちこちに置き、それを捜すのに時間がかかると言う頭の混乱がある。結局この日は普段の7掛けの能率。
2月18日(水曜日)
懇親
インドで1年暮らし、今は同じ職場で仕事をしているM氏に誘われて、京橋にある、280円均一メニューの店、「鳥貴族」さんへ行った。おすすめの、串焼きはスゴイ。他は量が少ないので、このメニューに集中すべきだ。ビールも280円、焼酎も280円。飲んでいると女性客で一杯になった、今時、商店街のはずれでありながら、満杯になる店は珍しい。2人で5200円。可もなく不可もない。帰りは古本屋に寄って、「悼む人」・天童荒太とモーパッサンの「女の一生」を買った。いつか時間があれば読もう。
2月17日(火曜日)
まだ寝たりない。インドの強行軍はまだ体の回復が追いつかない。鏡で顔を見ても明らかにやつれが見える。弾んだ顔が映らないのだ。反省会と対策の会議とか、今週末までに仕上げる当初の仕事かがあり、夜の8時過ぎまでかかっている。ダーエーの弁当を買って、野菜を調理して食べることが夕食のパターンとなったが、今日はリュックサックの中で弁当の蓋がはずれ、ご飯やおかずが買い物袋の中にぶち巻かれた状態になっていたのだ。情けないやら、みじめやら。冷蔵庫の中に残っていたかすかな食材を暖めて喰った。晩飯の時に流す音楽だけが高貴な雰囲気。ダイエーはやっぱりいろいろと配慮が足りないんだ。後日ライフでお弁当を買うと、蓋がはずれないようにラップで止めてあった。
2月16日(月曜日)
毎朝5時半に起きて近くのコンビニに新聞を買いに走るのが日課だったが、今日はとてもそんなに体が動かない。記事はネットで読み、新聞は出勤時のコンビニで買う。しばらく休憩していたラジオ英会話の復活。単語帳をめくると以前覚えた単語がすっかりと消え去っていた。全てが真っ白になっていたので、情けない前に驚く。ビジネスでは溜まり溜まったメールの山を整理することで今日は一日を終えた。夕食は京橋のダイエーで30%OFFの弁当を買うことを覚えた。これに、野菜を買い足して夕食にすると、一食500円以内で収まるのだ。給料が来月からカットされる、4万円程度らしい。これで家賃と併せて12万円収入がダウンする。慎ましい生活をしなければならないのである。
2月15日(日曜日)
朝から、インド旅行記を書き始めたが、夕刻までかかって7日分を書いただけで終えてしまった。メモを読み直したり、旅程を確認したりすると結構時間を食ってしまった。昼寝も取って体を休めるが回復しない。夕刻プールで1時間、2km。最速記録の2.5kmからはほど遠い記録となった。9時に就寝。
2月14日(土曜日)
少しだけ眠れた。機内の案内では気温は16℃だと言う、熱帯から冷蔵庫の中に戻るのかと腹をくくっていたが拍子抜けだ。とにかく暖かいので助かった。10時頃帰り着き、とにかく熱い風呂に入って眠ること。もちろんこんな事では疲れは取れはしない。午後3時頃起き出して、2週間分の洗濯。インドの旅はことのほか汚れるので、持って行った物は全て洗う事。夕刻までかかって洗い終えた。DVDレコーダーに録りためた番組を見ながら、日本酒を飲んだ。久しぶりの日本酒は旨いですね。朦朧となって眠る。
2月13日(金曜日)
なにわともあれ無事先進国の土を踏んだ。前回同様、市内のインターコンチネンタルホテルを昼間利用でチェックインし、斜め向かいあるカフェレストランでビーフンとラーメンで腹を満たす。シンガポールはどの店でくっても安心。ホテルに帰るなり、ベッドに潜り込んだ。ここのホテルのベッドは最高。4時間くらい寝て目が覚めた。これから、カメラ、ムービーを持って「ボタニック ガーデン」へ。前回見逃した植物園だ。タクシーで800円位。入り口にレストランがあり、皆ここでゆっくりしている。この公園はつかみ所がないほど広大で、僕は蘭にねらいを定めていて、まずは近くを一回りすると、大量の汗が噴き出しシャツが濡れてしまった。ここは熱帯だったんだ。気をつけよう。水分を補給しないと。と言うことで先ほどのレストランでタイガービールを。シンガポールで飲むタイガービールはことのほか旨いのは、気のゆるんだことも関係しているかも。今年は東京ドームで開催される世界の蘭展東京大会を見ることができないと嘆いていたが、今日、世界で一番大きな蘭の植物園に来ることができて幸せに感じる。ここは日本のようにビニールハウスで育てる必要が無く、自然だから、蘭の匂いが辺り一面漂っている。一つ一つ丁寧に写して回った。カメラモニターを見た老婦人はbeautifulと感心していた。休憩所ではスペイン人から写真を撮影して欲しいと頼まれたが、綺麗な英語で話しかけてきた。僕は三脚と数台のカメラを持っていたので、カメラマンと間違われたかもしれない。あっという間の5時間が過ぎてしまい、胸に挿した園内案内パンフレットは汗で溶けていた。ホテルのロビー6時集合にぎりぎり間に合い、ラッフルズショッピングセンターへCD買いがてら、食事に出かけた。食事はフードコートと呼ばれる屋台の集合みたいなところで、ビルの一角を占めている。そこで選んだものを中央のテーブルで頂くしくみ。一通り覗いただけで、アレも喰いたいこれも食いたいと食い意地の馬脚を現してしまい、仲間に迷惑をかけてしまった。とりあえず、鶏肉とスープ。次は野菜だけのおかずとご飯。全部で600円。タイガービール2本480円。シンガポールは物価が高いが食い物だけは安価。その後、ラッフルズホテルの喫茶店でコーヒーを飲み、ホテルでシャワーを浴びて支度。深夜便はとかくしんどいので、入浴後のさわやかな感じは少しだけ負担が軽くなる。チャンギ空港のラウンジで休憩の後、午前1時の飛行機に乗り込んだ。ここからは日本語の案内がある。
2月12日(木曜日)
僕たちの宿泊した10階からは、ホテルの近くにある民家の様子がよく見える。水道が共同なので、みんながここに水を汲みに来ている。井戸端会議は女の特権。長い時間話し込んでいた。それを見ている方も暇なのだが。このフロアにも朝食はあるが、インドを高層ビルから眺めても一つも感激はない、スモッグでもやっているというのもある。それにメニューが少ない。今日はこのホテルで会議があるから、食いっぱぐれることはない。食事は軽めに。日本人講師によるセミナーだ。この講師は名刺交換すると、先方は僕のことを知っていた。非常に分かりやすい英語で、レジュメで補足すると僕にも理解できた。昼食の時間、今回の飛行機代を支払いに市内の旅行代理店へ。再びホテルに帰り、昼食をいただいた。カシワの料理が旨かった。旨いとほめるとたくさん出てきた。夕刻一旦部屋に引き上げシャワーを浴びて荷造りして懇親会場に集合。立食だが懇親会が開催されている。こういう場合日本人は群れるのだが、僕はインド人の中に入り、分からないなりに話を聞き、ジョークを言った。ジョークは下ネタ。インドの便器について、なぜ背が高い。僕の英語が不十分だから、回答は、それじゃ日本から背の低い便器を持ち込めと言うユーモアたっぷりのお返しがあった。屋台で野菜を細かく切って売っている例のスナックは、日本人が食べても大丈夫か?全く大丈夫という回答。Really?、9時過ぎ荷物をまとめてチェンナイ空港に向かう、午後23時50分の便でシンガポールに向かい帰国の途につくのだ。空港のラウンジで腹の足しになる物を頂く。僅か3時間半だが、2時間半の時差を逆に進ので、シンガポール到着時には明るくなっているのだ。無理にでも酒を飲んで寝る。
2月11日(水曜日)
朝7時半に目覚め、カメラを持って散歩。昨晩見たとおり汚れている。歴史に残るような昔の建物も多く、撮影した。犬が僕を見て追いかけてきて怖かった。インド人には吠えてないのに僕に向かってくる。通りがかりのインド人が犬をなだめてくれた。インドの犬は狂犬病にかかっていて、年間3万人くらいが命を落とすらしい。もしもの時は三脚に取り付けたムービーをハンマー代わりにして殴ろうかと覚悟していた。通勤客相手の屋台が並んだ一角に遭遇した。この人達は気のいい連中で、食べたかったが、ホテルにはきちんとした食事があるのであきらめた。瓶を磨いている少年がいて、瓶はぴかぴかだったが、磨いている布は真っ黒だった。どうしてあんなにぴかぴかに仕上がるのか不明。ホテルに帰って食事。いつものインド食。9時過ぎ迎えの車に乗ってビジネスに出かける。コルカタの街を車の中から眺める。道ばたの水道で髪を洗っている人もいた、ご飯を炊いているシーンもあった。信号待ちでは物乞いが子供を腕に抱いてやってくる。中谷美紀の本によると、この物乞いの多くはバングラデシュの難民とのこと。最初の訪問先で相方の話が長くなり、僕は一人で、この店の姉妹店である別の店に行くことになった。夕刻の4時を目指して帰ってくる約束で車に乗った。初対面の人と挨拶をしなければならない。How are you。これしか知らない。少々不安だが、割り切って頑張ろう。商品説明のパフォーマンスはこの店でもうけた、一安心。質問もあるが、だいたいの感じで理解して、回答をした。向こうも半分くらい理解しただろう。夕刻6時半コルカタを後にして、空港に向かう。インドの本拠地チェンナイに戻るのだ。これで乗った国内便は9本。車の走行距離は約1,000km。満月の夜、インド洋を眼下に見下ろす空路で、月が海に反射して一条の光の道ができていた。この道をたどれば日本に帰れるのかと感傷にふけった。チェンナイ空港着。重い荷物を抱えて、ホテルの迎えの車を捜す。22時半到着。ホテルはマリオットホテル。アメリカ系でテロの標的となる為か、ホテルは頑丈な鉄の扉でシャットアウトされている。車で入るときは、犬が車の下を嗅ぎ、人間が車の下を鏡で確認した後でないとホテルの正面玄関には行けない仕組みになっている。このホテルはキレイ。ゆっくりと休めそう。晩飯は機内食だった、こんなにキレイならここで喰った方が良かったが後の祭り。この旅ではよく機内食をくったなぁ。
2月10日(火曜日)
第三コーナーを回った感じだ。今日の出発は昼前、それで、このホテルのプールで泳ぐことになった。ホテルはトライデントホテル。ムンバイのテロ事件があったホテルのチェーン店。プールは小さかったが、約3mの深さがあり十分に楽しめた。30分ほど楽しみ上がった。疲れが飛びますね。その後、ホテルの部屋から見えた広大な庭が気になり、尋ねてみると、裏庭と前庭があるという。僕は裏庭をお願いしたら、一端外に出てホテルの門まで連れて行かれ、そこから庭が広がっていると言う。散歩道には徒歩900mの表示があり、その広大さが分かる。カメラ撮影を楽しんだ。バラ園があり、ここに庭師がいて、珍しいバラを紹介してくれた。あちこち連れ回される度に汗が噴き出る。強い太陽光線と、芝からの蒸気に蒸され夏全開でしたね。この庭のドアで指を詰め、右の薬指の肉が削げる。バンドエイドできつく縛ったが、インドの水で破傷風にならないか心配だった。今日はここから、クタックに向かう。ここは更に小さな街。この街の悲惨さは息をのみますね。道路の脇にあるどぶ川にうんこをしている少年がいて、そこから10m手前で中学生くらいの少年が屋台を引いて、食べ物を売っている。そのどぶにはコンクリートの蓋がしてある所があり、そこでは、50歳くらいだと思うが、男性が寝ていて、その向かい側に体を洗っているおばさんがいて(この人は後で写真を撮れと催促されたので撮影した)、道そのものが生活の場所であるのだ。当然臭いだろうが、臭いになれてしまったので、少し臭う程度になっていた自分に驚く。この中学生くらいの少年が売っているのは、様々な野菜が小さく刻まれていて(その中には青唐辛子もある)、それを雑誌の一枚を破って丸めた物の中に少しずついれ、たぶん塩(だと思うが違う調味料かもしれない)を振りかけたもので、見るからに旨そう。のどから手が出るほどだった。だが、彼の使っているナイフは真っ黒で、時々手をすすいでいるのは、小さなボールに入れたそこら辺りで汲んできた水。これでは、僕の腹が言うことを聞いてくれまいと断念した。夕刻ブバネッシュアルの店に戻り、若手従業員にインドの有名なヒット曲を紹介してもらい、そのDVDを買いがてら、空港に向かうことになった。CDショップは地元の人と一緒でないと入っていく勇気が起きないような猥雑を極めた雑踏の繁華街にあった、薦められたDVDと店推薦のCD、全部で4枚を買った。500ルピー。1,000円。これは海賊版でなくきちんとしたディスク。インド音楽はうるさいが、しばらく耳を傾けていると、意外とノリのある音楽でもある。先入観念で判断せず、自分の感性で判断して欲しい曲が結構ある。ブバネッシュアルの空港で待ち時間があったので併設しているレストランへ入った。僕は焼きめし、仲間はポテトフライ。だがなかなか出てこない、30分後ようやく焼きめしが出てきた。焼きめしはそれなり旨かったが、ポテトフライが出てこない、50分後もう時間がないのでレストランを出ようとする間際にポテトフライは上がってきた。このポテトフライ代は僅かなお金ですが払わなかったのは言うまでもありません。(ポテトフライは少し頂いたが)。これが午後8時、これからコルカタ、昔名ではカルカッタに向かう。昔のインド首都ですね。インド第三の街。街は汚れて古く悲惨で活気があり人がひしめいている。インドがここに凝縮されている。コルカタはホテル代が高く、レベルを落としたホテルに宿泊した。部屋はディスコハウスの上で、音もスゴイが振動もスゴイ。仲間の交渉が成立して、2階上の部屋に移った、まだ音は響いてきたが、振動は止まった。なんともはや。0時に就寝。
2月9日(月曜日)
土日がないと曜日の感覚は完全に失われる。新聞が英語なのでなおさら感覚が失われる。朝食は野菜のアラカルトを炒めた物。後で考えたら、これ冷凍食品の定番ではないか。ま、田舎のホテルだから許してあげよう。ホテルの朝食を済まして待っていると、昨日訪問した店のオーナーの運転手が迎えに来てくれた。だが、車は、1,000CCのタタ。小さな車だ。僕たちの荷物は100kgは少し割ったが、それでもボストンバッグ7個。しかし、無理したら何となく入ってしまった。彼の運転でアムリツァーの空港に向かう。小さな空港だ。ここから一旦デリーへ、そこから乗り換えて、ブバネッシュアルに向かう。問題は、乗り換えの時間が1時間しか無く、次の便に絶対に乗れないことだ。乗れないと言うことは、訪問先に伺えない事になる。関係先に連絡を入れて予定の変更をお願いしよう、だが待てよ、とりあえずデリーに着いてからの事とした。というのは、インド時間があるからだ。インド時間というのは時間に不正確なという意味。案の定、デリーには15分遅れで到着したが、乗り換え便は、インド航空であり2時間の遅れだという。デリーでの乗り換えはバスで移動という仰々しい事になって1時間を要した。前にも書いたがインド航空は汚い。ましてやトイレは言うに及ばずだ。それに反して食事は旨かった。機体はA320でファーストクラスがある。こちらの給仕のスチワーデスさんは若くてキレイだった。午後3時半到着。気温32℃。ムッとする。ずいぶんと南に下がった。こちらも、チェンナイのように道ばたに人がたむろしてない。民家の家はきちんとしたコンクリート製だ。ホテルで荷物を下ろして、ビジネスに向かった。向かった先の軒先では道路工事中だった。古いコンクリートを壊し、新たな舗装を行う作業だと思うが、このコンクリートを壊す作業はハンマーでの手作業。30歳代の女性が作業に当たっていた。その側でその女性の子供とおぼしき少女がたたずんでいた。見るからに、かわいそうだと思いましたね。だが、この国の制度がそうさせているから、下手な同情は禁物だ。話は変わるが、いろいろ観察した中で、日本人とインド人の違う点はいくつもあると思うが、爪が短いと言うのが目につきます。必ず握手をするので手を見るのですが、男も女も爪が短いのです。そのため妙に不器用に映るのです。ハンマーとか大きな物は得意だが、折り紙とかはホント苦労してますね。午後9時終了。缶ビールをもらったので、持参した「するめ」をかじりながら頂いた。7日ぶりの酒である。
2月8日(日曜日)
よく寝た。休日はないからホテルだけはきちんとしたところを選んでもらったら疲れが取れた。ちなみにこのタージホテルは、ムンバイでテロがあったホテルチェーン。朝食の写真はカメラが充電中につきパス。選んだ料理は鶏のささみと思ったら魚料理。凄く旨い。そういえば昨日も魚の旨い料理を食った。このホテルはそちら方面のコックが居る。それとパンは格別だ。イギリスの統治下で腕を磨いたのだろうか?だが、待てよ、先進国の中でイギリスの料理だけはまずいと言われているのだがどうなっている。チャンギガールは花の街と呼ばれ、なるほど、道端には花が植えられている。その花を喰う牛も少ない。そして、ターバンを巻いた人が多い。ここから北はターバンが相当多くなると言う。ターバン=余り頭を洗わない人のイメージがあるので、僕としては近寄りがたい存在である。そして、ここは自転車が多い一方、BMWがある。貧富の差が激しいのだ。どちらかと言えば貧の方が多い感じ、交差点では始めて物乞いにも逢う、目線を合わせられない。今日はこのチャンギガールから車で、パチアラ〜アムリツァーに行く。ほぼ一直線の300km。道の両脇にはポプラのような並木道。北海道を彷彿とさせるが、距離がとても長い。そして10km毎に大きな街がある。人が多いので街も多いのだ。北に向かうに従って貧しさが増してくる。今まで見てきた最低の家屋は椰子葺きだったが、北には椰子がないのでテント生活だ。そこら辺りに汚水が溜まっている。ここまでくると朝晩は相当寒いので彼等の生活も大変だろう。しかも夏は47〜8℃になるという。街のない所では、道の両側に小麦畑が広がる、地平線の彼方まで小麦畑だ。こういう緑と、視界が開けた風景を見ると心が洗われる。訪問先のパチアラは停電だった。停電だが、ここの人々は花とテープカットで迎えてくれた。スゴイ歓迎。その後、新聞記者が来て、取材と写真を撮影して帰った。翌日の新聞に日本からのプロモーションというタイトルで掲載されるようだ。一仕事終えて外に出ると、まず目についたのが散髪屋。ひげも剃っているが、タオルが真っ黒だった。ここで散髪する勇気はない。遠くで大きなドラムの音が聞こえてきたので、見にゆくと、教会で結婚式だった。インドの結婚式は派手だと聞くが、これだけの楽団を揃えるのを見ると納得。13時過ぎ出発。これから4時間強の大移動だ。14時半頃、警察に捕まる。信号無視だ。だがこのドライバーは強気で、捕まったのに警官に文句を言っている。そしてなかなか免許証を出さない。何度も交渉して、警官に連れられて行った、しばらく経って帰ってきて60ルピー必要だという。要は賄賂ですね。しかしこれで片が付いた。120円ですね。安心すると腹が空いた、だが、現地人のスケジュールがあるのだろう、ここは黙って過ごしていると15時半頃車を止めた。ドライブインですね。高速道路のドライブインです。大勢の人でにぎわっていた。その人々は正装だ。休日の外出だから普段着では出かけられないと言うことだろう。家族単位での外出だ、貧しい国だが、まだ幸せそうな家族がここにある。うらやましいですね。僕たちは焼きそばを。しかし、スパイスの辛さに加え塩辛い。塩分がきついと思っていたが、後で聞くと、マサラと言う香辛料とのことだ。とにかく口の中がやけどしそうなので350ミニリットルコーラーを、50円。その後、トウモロコシをゆでたのにバターとレモンを絡めたのを、紙コップ一杯。これも旨い。その後、サモサ。インドではサモサは軽食の標準メニューとして何処でも流通している。この広い国土に食べ物には地域性という物がない。休憩後アムリツァー目指して北上。だんだん気温が下がる、ネパールの緯度はとうに越した。途中でお祭りに出会う。高速道路の半分を閉鎖してのお祭りだ。とにかく人の多い国なので、お祭りの人出も多いのだ。500km位は人の密集がありましたね。そして、その向こうで何をやっているのかは不明18時目的地に到着。ここでも大きな花束で迎えられる。恥ずかしい。仕事を終えたのが22時半。これから運転手は300kmかけてチャンギガールに返るという。料金の支払いの件で少しもめたが、一応解決。この地では有名なホテルだとのことだが妙に落ち着けず浅い眠り。
2月7日(土曜日)
出張中は土日もない、今日の朝食はホテルで食えるので嬉しい。当たり前の事が嬉しくなる。バイキング方式のメニューは半分から左側が洋食で、右側がインド食。インド食はカレー。毎日カレーを喰っても大丈夫だ。問題なし。だが、体としては塩分の取りすぎだろうな。問題はナグプール空港。荷物の検査でことごとく引っかかるのだ。カメラメーカーは何処のメーカーなのかとも聞かれる。彼個人の興味もあるだろう。SDカードケースも調べられた。安全といえば安全かもしれないが、煩わしいことには違いない。極めつけは万歩計。軍:「それは何だ?」私:「万歩計」軍:「どんな物なのか実演してみろ」私:「検査台の上で走る、そしてカウンターが上がったことを証明する」(苦笑)。今日の移動はスゴイ。ナグプール→デリー。ここで乗り換えて、デリー→チャンギガール。2つの飛行機会社は違うので、デリーでは一端外に出て、別の空港カウンターに向かい更に荷物のチェックを受けて、飛行機に搭乗と言うことになる。デリーに向かうインド航空は最悪だと聞いてはいたが、これほどまでとは思わなかった。まずはスチワーデスさんがおばあさんだ。明らかに60歳前、もしくは過ぎくらい。荷物を上の棚に上げるのに往生している客がいても全く動かない。食事は頂かなかった。おばあさんに給仕してもらうのは申し訳ないのだ。デリーの空港は建て替え中だ。たぶん近代的な空港に変わるだろうが、あと2年くらいだろうか。敷地は十分広いので、世界に冠たる空港になることだろう。デリーでは久しぶりに日本人を見かけた。空港で4時間も待っているとのこと。突然だが少し思ったことがある、この街も住めば都で、楽しくくらしていけると思う。何処の国にもいいところと悪いところがあり、一方的に良い国なんて無いように思い始めた。どうしてこんなことを思い浮かべたかと言えば、重い荷物を移動するとき、日本のきちんと整備された空港は、例の盲人用の黄色のベルトがキャスター付きのバックにはものすごくじゃまだからだ。空港なんていろんな助ける人がいるからこんな歩きにくい物は外したらよいと思うが一律が好きな日本ではそうも行くまい。汚いデリーの空港でさえ荷物の移動にはそんな障害は無いのだ。汚さと移動のしにくさの比較に優劣はない。日本がいいとも思えなくなった。デリーからはジェットエアー。あまりに室内がキレイなのでほっとする。キングフィッシャーに美人が多いと言うが、僕はジェットエアー便に綺麗な人が多いと思う。ライムのジュースもひときわおいしかった。もう一本もらった。僕らの旅は幹線を外しているのでプロペラや小型機が多い。飛行機に搭乗して約1時間、霧のために出発が遅れそのまま待機。そして案内もなく突然の離陸。?しばらくすると、右側になんとエベレスト連峰が見えてきた。相当高度がある飛行機と同じ高さに聳えている。いつかはあの山に押上のメンバーと登るのだ。それまでに僕の語学力を高めておかないと。話すのはともかく、聞くのが難しい。インド人の英語は難しいのだ。チャンギガールの空港では、壁を塗っていたインド人の工事人がいた、カメラを向けるときちんと起立する。僕は作業をしてくれと頼んで写真を撮影した。インドの壁は土を壁に投げつけて塗っていくのだ。結構たくみな作業であったのだ。ここで働く現地人(ニティーさん)と合流。彼が、ものすごい男前。映画俳優としても通じる位のフェイス。トムクルーズと良い勝負ができるレベル。宿泊するホテルは一級のタージホテル。インドでは、このホテルに泊まると間違いがない。綺麗なフロントのお姉さんに部屋まで案内を頂く。遅まきながら午後4時過ぎに昼食を取った、パスタとサラダと魚の料理。パスタは短く切ったものをチーズで和えていた。魚料理は、これもミンチ状にして、スペイン風の味付けをしたとのこと。ナカナカ旨い。喰えるときに喰う。これで今日の食事は終わりだ。チャンギガールの店でインド人の客にデジカメを説明したら何と購入すると言うではないか。もちろん価格の交渉は店の人が行ってくれたが、自分の実力をしる上でとても良い経験になった。店の人にも示しがついた。後でこのことを店主に申し上げたら、実演が良かったのだろうと分析してくれた。甘いクッキーと甘い紅茶の接待が延々と続く。
2月6日(金曜日)
3時半起床、ハイデラバード空港へ、昨晩寝たのは0時半くらいだから3時間少々の睡眠。4時半の車をチャーターしたが、車が来てない。フロントに問い合わせると、まだ時間が早いので車は来ないのだ(5分前だが)と言う。待てど暮らせど車は来ない、今度は35分にもう一度フロントに問い合わせると、今度はフロントの人も焦りだした。結局10分遅れできたが、運転手は来るなり「申し訳ない」からではなく、遅れた理由を延々と述べるのだ。これがインド流だと聞いてはいたが現実の事なんだ。もういいから、早く荷物を積んでくれよ。そして、この遅れを取り返すように、この運ちゃんはコーナリングでカウンターステアを当てるとか、インーアウトのコーナリング攻めとか、テクニックを駆使して飛ばすのである。インドの道は例え直線でも、途中から追い越し車線に対向車が来たり、通行止めだったりで安心して運転はできない。日本と同じように右側ハンドルなので、後ろの席ではずいぶんと力が入る。そして、カーラジオのインド音楽だ。インド音楽は五月蠅い。よくよく聞くとノリ良いの部分もあるが、なにしろ3時間の睡眠だからこちらは音楽が頭に入らない。それでも無事ハイデラバード空港に到着、チップは払わない。運転手の目は悲しそうだった。空港ではカシューナッツをお土産にすると良いとアドバイスを受けた。とは言われても鞄が一杯なのだが。キングフィッシャーの綺麗なお姉さんの案内で、ナグプールへ移動。朝食はインド流ベジタリアン食。インド=カレーは切っても切れない存在。日本=お醤油と同じですね。ナグプールでホテルにチェックインし、睡眠を。ところが寝込んだ途端に電話、相手は英語、もう一度かけ直すので電話番号を教えてと伝える。電話番号をこちらは繰り返し確認し一致を見たが結局通じなかった。電話主はチャーターした運転手だったようだ。それで目が覚めてしまい、1時間寝ただけ。昼食はブッフェスタイル。ナグプールは地図で言うとインドの本当に真ん中にある。それで、今までのインドとは少し違った食べ物があり、コックに説明してもらって選んでいく。食い物に関してはみんな親切だし、食い物は英語でまくし立てられても、目の前にある物を説明しているので理解できる。ピーマンは高知では冬の収穫だが、当地ではノーマルな夏野菜として調理されている。肉が厚く、中身も詰まっている、甘くて食いごたえがありますね。ピーマンの本質を見たと思った。ピーナツとトマトの炒め物は最高だった。このホテルは大臣が宿泊するとのことで、機関銃を持った軍人が多く、食後の散歩もやばそうだったので中止。ビジネスの先の人に、以前東京の事務所で一緒に働いていた徳永さんと雰囲気がよく似た人がいて、この現地人と彼が言うことと、よく似た言い方をするのでおかしかった。それは、「あなたはこうして生きていった方が良い」的な事だ。現地人の人とのきわどい会話は文字をPCに打ち込んでもらい、翻訳機にかけて意味を把握するのだ。これで結構深い内容の話ができた。インド人との会話で困るのは、彼等は理解したときに頭を横に振るのだ、日本人はそれを理解してないと思うのだ。では、理解してないときは頭は縦に振るのかと言えば、やはり横振りなのだ。振り方が違う。間違いやすいことをするな!と言いたい。21時に終了し、ふらふらの状態でホテルへ、今日はよく眠れるだろう。
2月5日(木曜日)
昨日は昼からの仕事だったが、活動は深夜0時までで12時間だ。結構きつい。きつい上に隣の人の物音で目が覚めた。壁が薄いのだ。地震がないのは幸いだが、あれば相当の建物は崩れ落ちるだろう。食事はビュッフェ形式。蒸しパンのような酸っぱいパンに、カレーをかけていただくのが正式な朝食。日本のみそ汁に、めざしとご飯のような物ですね。バター茶もあり試したが、酸っぱい乳酸飲料。飲めないことはないが、おなかを壊してはまずいと断念。この日は久しぶりに移動のない一日。11時出発。夕刻に僕の出番があるので、それまで訪問先で準備。せっかくだから付近を撮影したら、パンを揚げている人の目に止まり、撮影してもOKか?と聞くとOKのサインが出たので撮影を始めると、緊張して「気をつけ」のスタイルになってしまったのがおかしい。CDショップもあるので、ここでインドの踊りDVDと、アメリカ映画「フェイス」のVCDを購入。夕刻のパフォーマンスを終えたのが22時半。相当くたくたの状態でホテルにたどり着く。そのまま就寝。
2月4日(水曜日)
朝食はすばらしい物だった。野菜は相当危険だと聞いてはいたが、このクラスのホテルだと大丈夫だろう。栄養バランスは昨日の不足を取り戻すように少し配慮。最後にドーナツで仕上げ。甘い。今日の出発は11時。食後はプール。今回は絶対に忘れてはならない持ち物として、海水パンツがある。ホテルには立派なプールがあると聞いていたが本当だった。幅20mで短いが水深2.25mもあり泳ぐのには楽しいプール。潜ったり、バタフライなど15往復し運動不足と体のこわばりを取り除いた、疲れが吹き飛んだという感じ。朝食は少々食べ過ぎたと思ったが、これでリセットできた。これから、コーチンの旧市街地に向かう。ここは昔ポルトガル領、その後イギリスの統治下に置かれた場所で、インドの中でも「わりと西洋風景」が残っている。国際空港があり、ヨーロッパ人の観光客も多いそうだ。大きな地図では分からないが、拡大すると、コーチンには大きな入り江があり、旧市街地は入り江の向こう岸にある。早速訪ねてみる。車を降りた目の前に、漁師達がいる。大きな三角形の網を水の中に浸けて、魚が入った頃にこの網を揚げて魚を捕る漁法だが、装置が大がかりで大人5〜6人で操作する。この漁師達が早速呼び止めるので、この装置の上に上がった。少しデモンストレーションを行ってくれたのでビデオに収めた。チップを要求されたが、現地の人が安く交渉して100ルピー。それから、少しだけ散歩をした。おじさん達がたくさんたむろしていたので、写真はOKかと聞くとOKだという。土産物売りもある。是非ともインド人が着ている白のシャツみたいな物が欲しいと思っていたので値段を聞くと300ルピー。早速現地人に頼んで半額で購入。日本人は交渉下手だがインド人は交渉に強いとよく言われるがその通り。彼等は手強い。昼食は入り江の突き出た半島にある、こちらでは有名なホテル。タージ・マラバーホテル。ブッフェスタイルの食事。2回に分けて興味のある品物を頂く。インドのツアーは食べられるときに喰っておかないとが原則。しかし旨いので、ついつい食べ過ぎてしまうのであるが。隣で、頭から黒のベールをすっぽりかぶったイスラムの婦人が食事をしているのを見た。目だけしか出してないので、食事はどうするのか?ベールの下から口に差し込むのである。口にスプーンを運ぶたびにベールを持ち上げる。早食いができないだろうな。しかし目だけを出していると、インド人は目が大きいのですごい美人に見える。しかも上から下まで黒装束だ。相当決まっている。隠すので素顔を見てみたい誘惑に駆られる。別の席では、老イギリス人夫妻が窓際で白ワインで乾杯していた。とてもいい雰囲気だった。僕たちもゆったりとした食事を終えた。この地には会社の事務所があるというので訪問した。ビルの奥まったところにそれはあった。ビジネスを終えたのが18時15分、これから、飛行機に乗ってハイデラバードに向かう。地図では2cmだが、移動は飛行機で2時間半。コーチンの空港は、セキュリティーが厳しくい。まず空港に入るには、パスポートと予約のチケットが必要。そして、荷物を預けるために更に奥に進もうとすると、もう一度同じチェック。預ける荷物の検査。次に、手荷物検査。ここではICレコーダーが引っかかった。彼等の目には、ライターのように見えるようだ。後で気がついたが、このときはカッターも持ち込んでいたのだがノーチェックだった。ハイデラバードはチェンナイより少し緯度が高い。内陸部の街だ、少し涼しくコオロギが鳴いていた。ハイデラバードの空港はインドの中では一番進んでいると言う。IT受託はバンガロールだが、IT企業はハイデラバードに多いとのこと。キングフィッシャー便は赤のジャージを着た人に頼めば、ポーターの代わりをしてくれる。僕らの荷物は100kgあるので、人の手を借りない限り移動は無理なのだ。ここでは、英語の分からないチャーター車の運転手さんが出迎えてくれた。ホテル名を告げるのに四苦八苦。ホテルは市内にあるグリーンパークホテル。普通のホテル。この街はホテルが高価なので、少し格を落とした。ナビスコのビスケットとドイツ製のピクルスが晩飯。寝たのは午前1時。
2月3日(火曜日)
午前5時起床。少ししか寝てない。6時の飛行機で南のトリバンドラムに移動するためだ。空港で搭乗券発券の際、僕のチケットが取り消されているトラブル。この問題が解決すると、次に荷物サイズが大きい過ぎると言う問題。だがお金が物を言って、ノープレブレム(No
Problem)。この言葉は、嫌という程聞かされることになる。便はキングフィッシャーで赤と白がトレードマーク。機体から、従業員の制服やカウンターの花まで、さらにはお土産のボールペンまで徹底している。日本人の感覚ではケバイ。だがこの国では似合っている。7時45分離陸。空腹でもあるが少し我慢して機内食で満たす、スチワーデスさんは少し不機嫌。まぁ毎回、食事の世話ではモチベーションも上がらないだろうな。9時15分ケララ州トリバンドラムに着陸。この街は意外と小綺麗、家並みが煤けてないのだ。それに、道ばたで人々がたむろしてない。キリストの置物や教会がありインドの中でも異色なのだ。だが、インド風はある。例えば交通マナー、ヒヤリ・ハットは当たり前、ホンのかすかなタイミングで交わす。例えばボクサーが相手のパンチをよけるのに、少しだけ首を振りますね、あの感覚。バイク、自転車、車が一斉にこのノリで道をシェアしてる。インド人は目がよいのだ。日本人が運転するとたちまち事故を起こすだろう。現地人をトリバンドラム駅前のホテルでピックアップして、喫茶店のある別のホテルに向かう。ホテルのドアマンの姿が余りにもインド風なので写真を撮らせていただいた。少しだけ食パンを所望すると、何と10枚位の食パンが出てきた。何も塗らなくても旨い。この市内でビジネスを14時まで。次の訪問地はバルカラ約2時間の道のり。インドの三角形の左端を北の方に向かって移動する。左手にはアラビア海が見え隠れする。椰子の群生があり、風景は熱帯。当然漁師がいて道ばたで魚を売っている。炎天下で魚を売っているのです(氷りも無く)食事は時間がないので、バナナとサモサを車の中で頂く。ここのサモサが今までの中で一番旨い。バルカラの街はグット格が下がって、少し汚い。いわゆる普通のインド風になる。だが、現地人曰くここは出稼ぎの街で、外貨収入が多く、裕福な街だという。こちらの出稼ぎとは主にドバイを中心とするアラブ諸国だ、彼等は主に港湾労働者や建設労働者としての職業に従事しているので、それほ
ど外貨が稼げているわけでない(この部分は私の意見)と言うことで、田舎の商店街という感じだった。極めつけはトイレを借りたときのことだ。こちらの便器は背が高いが、ここのは完全に届かなかった。力を込めて上向けに飛ばした。靴を修理するおじさんが声をかけてきて挨拶をした。インド人は人なつこい。もちろん日本人はいないから珍しいのだろう。さて、問題はここから。疲労の極限にあるにも関わらずこれから、250kmの道のりを移動してコーチンに向かう。時速60kmが相当困難な道を4時間半。もう食事などする暇も無い。夜道をヒヤリ・ハットですり抜けていく。いちいち気にしていたら神経が持たない。シートベルトを締めて眠ることが一番だ。時々目が覚める、外を見るともう夜の9時だというのに道ばたで、まだ魚を売っている、もう相当臭いだろうな。22時50分やっと目指すコーチンのホテルに到着。ホテルは立派。天井には扇風機がある。とてもゆったりとした気分。エースコックの焼きそばとミカンの缶詰で夕食。倒れ込むようにして眠る。
2月2日(月曜日)
旅に出る前は部屋をきちんと片付けて出ることにしている。もしもの場合家族や誰かがこの部屋に入ってきたとき、散らばっている部屋を見られるのは嫌だと思うからだ。気持ちとしては憂い無しで出かけたい。南海電車の乗車券を無くするとか、一派に詰めた鞄は蓋が開いていたとか、どうも朝から調子が悪い。パスポートをなくさないようにとの戒めかもしれない。荷物は機材の関係で18kgオーバー。これでも、ゴールドカード特典を活かした上でのことだ。総重量は何と100kg。インドまでの追加料金4万円。ものすごい旅の始まりである。11時出発。行きは体力があるのでしっかりしている。16時半シンガポール、チャンギ空港着。このラウンジで、シンガポール名物のカシワをゆでた汁で炊いたご飯と、そのカシワを甘く煮た料理を頂く。あっさりとした上に、ほのかな肉汁のしみた手応えがあっておいしい。これから2週間こうした奥行きのある味は当面お預けだ。19時再びシンガポール航空でインド向けて出発。すでにこの飛行機からインドは始まっている、機内の匂いがインド風なのだ。機内食はインド食。小さなカップに入った赤い蜜みたいな香辛料(?)をご飯にかけたら、火が出るほど辛かった。機内で八代亜紀を聴きながらうたた寝。その後、ターミネーター「サラー・コーナー1.2」を。午後10時。日本時間では午前1時半にインドチェンナイ空港に着陸。ものすごい喧噪と熱気と、僕たちの持参した大量の荷物でうんざり。ホテルの車3台に分乗して移動。いつものトライデントホテル。静かなたたずまいで清楚な部屋。現地の日本人とミーティング。現地時間午前2時(日本時間午前5時半)に解散。やれやれ。
2月1日(日曜日)
ファッションについて
オバマ夫人が話題となっている。大統領就任式に着た服はキューバ人のデザイナーでイザベルさん。人気トークショーに出演したときの服はJ・クルーの89ドル99セントのカーディガンとスカート148ドル、タンクトップ99ドル、計338ドルだったとのことで、今アメリカで無名のデザイナーから量販品までファッション旋風を引き起こしているらしい。この経済効果はいかほどの物なのかと詮索中とか。翻って我が事、出張が2週間にもなると着替えだけでも相当になる。そこで、鞄にはいるように減らした。とりあえず着られれば良いのだ、シャツは2日着ようとか。もうファッションは関係ないけんね。しかし、飢えは困る。活字と音楽の飢えだ。1週間程度だと我慢ができるが、2週間となると渇望するかもしれない。そして現地調達が困難だとパニックを起こすかもしれない。と言うことで、アルバム15巻、書籍2冊もしっかりと鞄に詰め込んでいるのである。いわば心のファッションですね。
1月31日(土曜日)
家のこと
大阪の住居は全く会社の負担がなく全部自前だが、何と今日正式に届いた契約書は、敷金まで必要だとの通知。いきなり30万円だ。厳しいですね。まぁ転勤は望んで来たのだし仕方ないと言えば仕方ないですが、せめてもう少しという気持ちはありますね。今更移動もできずただただ困惑中です。そして月曜日からは出張だからお金の振り込みができないので妻に頼むと、嫌な返事。四面楚歌ですね。外は寒く気持ちも凍えている。こんな時は早く布団に入って好きな本を読むのに限る。目黒考二の「本の雑誌風雲録」は、本の雑誌を刊行したとき、配本を自社で行ったが、その配本の助っ人の物語である。この目黒さんは多少自虐的な部分はあるが、自分の作った会社にしっかりとした方針はなく、気分屋で、しかも気づきが遅いと何度も述べている。その点、僕もしっかりその通りで共感する部分大で、慰められたというわけ。
1月30日(金曜日)
突然の体調不良
朝起きたときは何でもなかったが、9時前から妙におなかが痛くなり、関節が痛くなり、頭が痛くなり、これは風邪の兆候だ。健康管理室で診察を受けると熱もある。問題なのは、月曜日の朝早く家を出て、2週間のインド出張があることだ。仲間には、緊急の場合を想定して対応を考えていただいた。でも、風邪をひいて体調が悪くなると言うのは、朝起きたときからではないか?僕は5時半に起きるので4時間後に風邪がひどくなると言うことは考えられないのだと夕刻家に帰って考えた。すると、原因が浮かび上がってきた。今朝、古くなったバターを喰ったのだ。別に色も変わってないし、いいだろうと。どうもこれが原因で軽い食中毒ではなかったかと思うのでした。
1月29日(木曜日)
お誘い
飲み会が続く、今日は別の人からお誘いを受けた。少し悩みがあるようだ。だが、僕の体はお酒を受け付けない状態なので今日は勘弁してもらった。お誘いがあるのは嬉しいことだが、どうも連続はしんどくなっている。お酒を飲むと眠れないので翌日つらいのだ。岐阜の友人からもメールが届いた。もう20年ほど前からのつきあいだ。だが、まだ強い絆で結ばれている。メールでは雪が積もったとのこと。そういえば岐阜では長良川沿いに住んでいて、相当寒かった。エアコン、石油ストーブ、カーペットこの3つをフル動員して寒さをしのいだ。雪が積もりドアの開かないこともあった。この友人達とは白馬にスキーに行ったことや、おいしいケーキとコーヒーを求めてずいぶんと街はずれの喫茶店に出向いたことなど、仕事以外の想い出が詰まっている。メールでは岐阜に来ないかとお誘いも頂いたが、少しこちらの仕事が優先されそうな状況だ。
1月28日(水曜日)
おじさん達の食事会
今日は東京の事務所にいて、大阪に転勤した人ばかりが集まって食事会をするという企画があり参加した。場所は守口のとある場所で開催された。では東京の事務所で親しく話をしたのか?と言えば全くだ。挨拶程度だ。だが、今日の集まりは戦争中に同じ釜の飯を食った感じの同窓会的な親近感がある。??。気持ちのあり方としては、単身で見知らぬ国に転勤をした。孤独で寂しい思いをしていて辺りを見回すと、違う会社だが日本人がちらほらといるではないか、では、日本人会を作ってやれと言うことでできた集まり、これによく似た感じですね。実際に海外には日本人会は必ず存在するようだ。アフリカとかアジアは特に活動が活発とか。今日は始まりが遅かったので終わりもしっかり遅かった。
1月27日(火曜日)
美人と食事
相当前から約束していたことに、美人との食事会がある。インドを凄く嫌っている人で、その人にインドのすばらしさを伝えてやろうと思った次第。嫌みな魂胆ですね。その人曰く、「インドではシャワーの時も目を開けてはならない。歯磨きはミネラルウォーターで。昼飯は現地の人と一緒だと現地食(カレー)になるので食べない。トイレは汚いので我慢する。インドには絶対住みたいとは思わないわ」。あまのじゃくの私としてはその全て反対の事を実行したのでした。だから食事会は相当おもしろいと思ったのです。2人だと気詰だろうから他の人も交えたらどうかと提案したが、それも不要という。何処の国でも美人は気が強いのです。そして食事会は、相当議論百出で楽しいものとなりました。そして最後に意見の一致を見たのが、この世界経済の不況を手っ取り早く解消する方法は何か?と言うテーマで、彼女は「戦争だ」と言った。僕も同感だった。後日紀伊國屋書店で本を物色していると、田原総一郎氏が同じような事を書いてある書籍を2巻も出していたのでびっくりした。
1月26日(月曜日)
意欲の減退
年齢を重ねるに従って意欲の減退が起きるそうだ。そして、それは健康と密接に関係していているそうだ。そういえば、大阪時代は、朝起きると、いつも今日は何か良いことがあるぞとワクワクしていた。(が、実は何も起きなかったので、夕刻はがっかりしていた)。だが、最近はそんな気分に滅多におそわれることがない。特に前日に酒を飲んだら確実にない。だから、細心の注意を払って健康管理をして意欲の減退だけは避けなければならないと思うのです。ところが、気分屋の私としては目の前に興味を引かれる食い物屋があると、ついつい気移りがして、のれんをくぐるのです。それは次のようないきさつです。徒歩の帰り道はだんだんと腹が減ってきます、交差点の信号がたまたま赤で、いつもとは反対側の道を歩くこととなった。すると普段気づかなかった東大阪病院前にある「チトセ」さんと言う食堂が燦然と輝いているのです。そして、ふらふらと中に入って脂っこい定食を注文する羽目になった。と言うわけ。食欲はまだ減退してなかった話。
1月25日(日曜日)
巣ごもり
新聞を買いに玄関を出ると何と、「雪が降っている」ではないか。今年一番の寒気が流れこんでいるとの情報は正しかった。外に出るのは中止して、ほとんど何もない冷蔵庫の中をあさって朝食に。こう寒いと巣ごもりとなる。しばらくすると晴れてきた。晴れると日差しは結構強く、暖房を切らないと暑くなる。しばらくすると、今度は曇ってきて空が真っ黒になる。たちまち寒くなりエアコンを入れる。今日はこの繰り返しだった。巣ごもりだから、朝から読みかけの本3冊を全部読み終えた。どんどん本が積もる一方だからこうして平らげていくと気持ちがよい。夕刻はプール。1時間で48往復。時速2.5kmが出なかった。
1月24日(土曜日)
旧交を温める
相当寒い、寒いが太陽が差すと部屋の気温は上がる。ぽかぽか陽気で、横になっていたらいつの間にか深く寝込んでいて電話のベルで起こされた。スミダさんだ。彼は寝技の営業をやらせたら彼の右に出る物はいない凄腕だ。用件は今晩の懇親の件。西三荘の駅で5時半に待ち合わせ。関目から徒歩で1時間。スミダさんいきつけの店で飲み始める。いろんな話が飛び交ったが、80cmの鯛を揚げた話は迫力があった。余り大きすぎて帰りのクーラーにはしっぽを切って入れたそうな。秋は北陸で鯛やハマチ、夏はイカ、春はメバル。年間を通じて海に通っているとのこと。この店の名物は、団子。これは、里芋を煮込んで、それを唐揚げにした物だ。(先日の三ノ宮の店で同じ調理方法のジャガイモを食った、関西で密かに流行しているかもしれない)。8時過ぎに解散。いっそう冷え込んできた、顔を切るような冷たさ。帰りは電車。なんと京阪電車は暖房がない。凄くけちな会社だと思いましたね。できるだけこの電車には乗らないような生活にしようと思いましたね。寝る前に「ハムナプトラ3」を。
1月23日(金曜日)
寛(カン)坊はいつまでたっても寛坊
友人の名前だが、おじさんの年齢になってもそう呼ばれている。僕の息子もそう呼んでいたので、母がそれはないでしょうと注意したが、呼びやすい名前であることは確かだ。そして、彼の家族もみんなそう呼んでいる。その寛坊と、K氏と3人で、三ノ宮にあるジャズライブレストラン「ソネ」に行った。2晩続きの神戸だ。この仲間は、今日欠席したW氏を含め4人のグループであるが、今日のW氏の仕事は京都方面であり、しかも遅くなる為やむなく欠席と言うことになった。だが4人で何かをしたことはない。寛坊を除く3人では、北海道から九州までずいぶんと旅行した。6時半に待ち合わせ三ノ宮駅を背に北野の方に歩いて10分ばかり行くとソネがある。ライブ演奏は60歳くらいのおじさんのピアノトリオで、高岡正人(P)村松泰治(B)御薬袋一男(D)の穏やかなジャズ。酒を飲んだり、おしゃべりしたりするのにぴったりだ。最初は演奏を聴いていたが、すぐに自分たちの話題となり話が弾んだ。今日は寛坊の楽器にまつわる話が多くついついそちら方向に話が流れていく。K氏も高槻のジャスフェスティバルのことを話題として、いつもとは違う話が聞けた。このグループは今日のJAZZと同じように、セッション(会話)の中にソロ(独演)が入る。今日のソロは寛坊だった。さて、料理であるが、ナカナカ旨い。ビールとウィスキーに合うような調理で、なかなか酒が弾んだ。とりわけ、肉とパスタは絶品だった。大阪駅まではK氏も一緒だったの話をしながら帰ったが、大阪駅から僅か10分の地下鉄で寝てしまい、乗り過ごした。不覚。
1月22日(木曜日)
三ノ宮懇親会
今日は昔の得意先で、姫路に住んでいるY氏と懇親だ。今まで深いつきあいはなかったが、昔々、なかなかできる人であるとマークしていた人。今の仕事の中で紹介してもらった人が、Y氏であり、たまたま昔よく知っていたと言うことで、関係が深まり、早速飲みに行こうと話が決まったのだ。店はお互いの交通アクセスの間を取り神戸の「三宮」となった。JRでは「三ノ宮」と言う。駅から5分位の所にある「くりや通り7丁目」という店で、創作料理。少し高級風。男二人が懇親するには少しもったいない雰囲気。極めつけはジャガイモ。煮たのか揚げたのか分からないが、今までかつてこんな旨いジャガイモを食ったことがない。次の話題が貯まったときに再会を期して解散した。
1月21日(水曜日)
自炊も考え物だ
英単語は少しの間休憩すると完全に頭の中から飛んでしまっていて、昔の単語帳をめくると、始めて出会った単語のように感じる。記憶が飛んでしまっている。積み上げてきた記憶はいつの間にか霧散していたのだ。そんな状況でもう一度インドに行くことが決まった。今度はニューデリーの方向で、違ったインドが見られるかもしれない。10日以上滞在するため相当広範囲の移動を伴うようだ。英語が間に合わない。話は変わるが、一人暮らしは本を読む時間が相当あるだろうと期待していたが、東京時代と比べ極端に読書量が減った。それは2つの理由があり、一つが英語の勉強に時間を割いていること。2つめが自炊だ。自炊は嫌いではないが、こうも時間を拘束されると考え物だと思い始めた。多くの人が割高なことや、手間の関係で単身の自炊は3ヶ月で頓挫するデーターがあるが、僕もその口に加わりそうだ。少しの出費は仕方ないとして、本を読む時間を増やさなければと思うのです。
1月20日(火曜日)
駅弁について
いつもの5時半に起床し、いつもの通勤電車に乗れば、見慣れた顔が座席に並ぶ。首都圏の通勤電車での風景である、みな元気だったんだ。今日はお台場で仕事があり、昼過ぎに解放されて大阪に戻る。いろいろあり昼飯の時間がなく、駅弁に決める。駅弁は有名な大丸の「デパチカ」で、「サワラの西京焼き」と「チーズベークルパン」を買い電車の中で頂く。列車の中で喰うと妙に旨いのはなぜだろうか?帰り着いて会議の後、メールを見て退散する。昨日も本日も万歩計は21,000をカウントして、旅は相当ハードだった。蒲生食堂で夕食。自宅は冷えていたが、熱い風呂でなんとか平静を取り戻した。
1月19日(月曜日)
日本食
海外のお客さんと新橋駅で落ち合い、市内や埼玉を巡回し、夕刻6時過ぎに東京駅に帰り着いた。南国からのお客さんは、どうやって冬服を用意するのだろう?心配したが、きちんとジャンパーを羽織っていた(クアランプールでは冬服を売ってなかったようだったので)。ハードな移動だったが、電車の座席に運良く座ることができ体力を回復できた。銀座のH&Mとユニクロでしばし観察し、Uさんに紹介いただいた有楽町にある「響」と言う日本食の店で懇親。供される日本食を各人デジカメで撮影した。いわゆる撮影教室ですね。牛の肉以外はOKと言うことで、刺身も平気のようだった。基本的にアジア系なので、少しの興味があれば体質的には受け付けると言うことだろうか。帰り着いたら11時。東京の生活はどうしても寝るのが0時近くになってしまう。
1月18日(日曜日)
久しぶりの家族
朝の7時半の新幹線で東京に向かった。マレーシアのお客様を迎えるためだ、それで「マレーシアの歴史」ザイナルアビディン氏の著書を読みながら行った。2万年ほど前の北京原人との関係から始まる壮大な歴史が掲載されていて、この著書に書ける思いは半端な物ではない。近代はポルトガルの植民地、オランダ、イギリス、日本、イギリスと次々と征服した国が変わる。(日本軍の進出については相当辛口の文章)かくも大国に侵略され続けるのは、天然資源が豊富なため。そういえば、小学生の頃にゴム園について習った記憶がある(ゴム園に関しては世界の三分の二をしめたことがあると記述)、各国の餌食にされたマレーシアも1957年に独立を果たした。僕が生まれてからの出来事だ。100ページも進まないうちに東京。秋葉原のヨドバシカメラを見ようと電車を乗り換えたらいつの間にか錦糸町に来ていた。どうしてこんな事になるのだろう。興味は調理器具。圧力釜の料理の実演があり野菜料理の豊富なことに関心が高まる。自宅は昼過ぎに到着、娘と近くの神社にお参りに。娘は厄年に当たる。夕刻船橋総合体育館のプールへ、やはりここは泳ぎやすい。なじんでいる所為もある。時速2.5kmで1時間泳いだ。この速度は僕としては相当頑張っている速度で、帰り着くと綿のように疲れ8時には床についた。
1月17日(土曜日)
9時起床。昨晩寝たのが22時だったので、11時間も寝たことになる。疲れていたのだろうか。あまりにも良い天気で洗濯や布団干しなど積極的に家事をこなした。昼食は関目駅前の良心的なラーメン店で食事。550円で旨いラーメンと餃子が食える。ここは推奨だ。40歳前のパートのおばさんがてきぱきとラーメンを作る。関西独特の緑のネギが乗っているのも好感だ。午後「咲くやこの花館」へ。寒い時は、温室に限る。ここは植物が変わらないのでおもしろくないが、近いのが何よりのメリットだ。家に帰って「ライラの冒険」を見た。セラフィナ・ペカーラ演じるエバー・グリーンに好感。この魅力的な笑顔はどこかで見たと調べると007 カジノ・ロワイヤルに出演していた人。もう少し記憶を探ると名取祐子に似ていると思ったが記憶違いだろうか。ハリー・ポッターがおとぎの国の物語をつくりヒットした。そしてこれにあやかった映画が大量に制作されている。丁度CGが商業ベースに乗り始めたことでもあり、大量生産に貢献した、と見た。明日は千葉の家族の元へ行く。下着も替え服も下げて、まるで親類のおばさんところに泊まりに行く感じだ。
1月16日(金曜日)
ウイン企画の新年会に参加。仕事での関係は切れてしまったが、長年のつきあいの延長線上で接している。長い人では27年にもなる。人間はそんなに変わるわけはないのでお互いを察して話せる。そんな安心感がある。大阪での僕の財産である。今日の宴会の場は通の人しか立ち寄れない京橋の商店街を抜けた所にある隠れ家みたいなお店。刺身は旨く、肉は香ばしく、鍋は薄味で、情景を変えると高級割烹の数万円コースの味である。先週賞味した中国老舗の店と勝負しても互角だ。料理の量も多かった。満足、満腹だった。
1月15日(木曜日)
いよいよ今年最高の寒波。朝から北の山は雪がちらついている。寒くて寒くて。毎日暑く、冷房を入れた部屋で過ごしていた先週の生活から一変した。頭ではよく理解しても体は理解してないだろうと思う、なぜなら寒さにものすごく弱くなったからだ。いつもは寒くても何とか我慢できた。昨年の今頃、千葉では朝の6時10分には自転車に乗って寒風の中を駆けていた。寒いが何とかなった。いまは何ともならない。家に帰って、少しずつインドの写真を眺めている。相当失敗作の中に、これがインドと言うのがある。これはフォトショップで少し修正を加えトリミングし保存版として永久保存するのだ。
1月14日(水曜日)
今朝は歩くぞ!と決意してたが、どうもおなかの具合が良くなく、電車通勤に。やっぱり2晩眠れない帰りの便が体に相当負担になっているようだ。鏡で自分の顔を見てもやつれた顔をしているのだ。こんな自分の顔を初めて見た。この辺当たりが年齢から来るものでしょうか。英語の勉強を復活したが、年末からのお休みはすっかりと記憶を消し去ってくれてて、また最初から積み上げだ。
1月13日(火曜日)
インドのトリニベーリーでいただいた日記に出来事を書いている。立派な製本だが、紙質が悪く裏に文字がしみ出る。お正月前から冷蔵庫の電源を切っていたがマーガリンも堅いままで、この寒さが冷蔵庫を切っても冷蔵庫の役割を果たしてくれたようだ。余りにも寒い所為なのかすっかりと寝過ごしてしまい、目が覚めたときは太陽が出ていた。こういう時のために自転車があります。ゆっくりと食事をして自転車で15分。寒さが身にしみますね。久しぶりの事務所でやることが山積していて少々帰りは遅くなる。
1月12日(月曜日)
記憶が新しいウチに文章化しようと、朝からこのページの編集。少しつじつまの合わない想い出もあり、写真の時刻を参照してやっとできあがったのが夕刻。一日が終わる。プールに行って1.5km。文章の校正と写真の掲載は別途としよう。
1月11日(日曜日)
朝8時半に関空到着。眠ってないのと酒の為頭がぼんやり。その上灼熱の熱帯から冷凍庫に入ったような環境で現実感が伴わない。重い荷物を抱えて家に帰り着き、まずは洗濯。インド食生活はスパイスの効いた食事で肌着まで臭くなっていたのだ。それからゆっくり熱い風呂に入り睡眠。夕刻重いまぶたを開けると日本にいることを実感した。インドの旅は地図の上で整理をすると左のようになる。走行距離は1,000kmに及ぶ。日本の道とは事情が違うのでものすごい移動を行った実感がこもる。夜は写真の整理
1月10日(土曜日)
少しまどろんだらシンガポールだった。乗り換えの待ち時間が20時間もあるので、荷物を取り出してホテルで眠ることに。さて、そのホテルの交渉は空港で行うのが安価だと言う。理由は、普通昼間の宿泊は2泊分の料金を請求されるが、ここからの交渉だと一泊分でOKのようだ。契約が成立したのは、街の中心にあるインターコンチネンタルホテル。スゴイホテル。通常料金は35千円だそうだ。今回は14千円で宿泊する。チェックイン後、猛烈な空腹。外に出れば何とかなるだろうと歩くと、中国系のファーストフード店が。ビーフンと卵焼きとタイガービール。シャワーを浴びてベッドに入る。今までかつてこんな気持ちの良いベッドと枕で寝たことはない。すぐに夢の中へ。だが3時間後熟睡から目が覚める。仕方ない、出かけるとするか。まずはラッフルズホテル。100年の歴史を誇るホテル。白壁のモダンな建物。僕はジーパンに冬用長袖だが、街行く人は半袖。少々暑さと服装の違和感を感じる。次はマーライオン。娘がシンガポールはマーライオンだよと言っていたのを想い出した。別にどうって事はないが、記念に撮影。帰り際、妙に気になる岸
辺が見えるではないか。早速そちらに足が向かう、気がつけばタイガービールを注文していた。11.5ドル。気持ちの良い海風に吹かれて飲むビールは格別だった。蟹がくくられて売られている。値段は50ドル、でも今日は20%ディスカウントだと言う。他の店でも価格を聞くがほぼ同じくらいで、同じディスカウント料金。ここの場所のことを後で聞くと「ボートキー」と言うところで、有名な飲食街らしい。何処の国でも飲食街は独特の雰囲気があって、そこを探し当てる勘は大体当たるもですね。たぶん他の人も同じ感覚をお持ちだろうと思う。明るいからまだ大丈夫だろうと時刻を見ると、夕食の待ち合わせの午後6時にぎりぎりの時刻、あわててホテルに帰る。夕食は由緒ある中国料理の店。今までは、強烈なスパイスで味付けした料理を食ってきたので、このような奥行きのある味は文明の社会に帰ってきたんだというのを思い出せてくれる。このあと、ラッフルズホテルを紹介いただく、中
庭があり優雅に食事ができるレストランもある。今回は奥まったところでコーヒーを飲んだ。カップは専用のマーク入り。普通のコーヒーの味で、今まで飲んできたコクのあるコーヒーとは一変した。ホテルでシャワーを浴び着替えをして9時半に出発。今夜の深夜便で日本に帰るのだ。1時半に飛行機は出発。やっぱり眠くなくて、日本映画ゴーンインを見た。変に凝った撮影とか照明、意味のない行動をするシナリオとか、明らかにB級映画だった。豪華俳優だから申し訳ないと石井隆監督は思わなければならない。調べてみるとこの監督はエロ映画監督だ。仕方ないか。
1月9日(金曜日)
このホテルの朝食事は2度目。食事の要領は分かったので、前回よりもレパートリーを広げる。全てインド風のカレーを選択した。こんな所まで来て西洋風の食事を選択するのは申し訳ないと思う。このホテルはチェックアウトを夜の9時にしているので出発の荷物は軽い。今日はポンデチェリーに向かう。国策の戦略道路が開通していて車は快適にスピードを上げる。運転手は別の人で車はフォードのFIESTA。ディーゼル車。この車が多い理由は、こちらに工場があるとのことだ。この道は逆走は見られないかと安心していたら、時々ある。そして、牛も自転車もある。雨季なのか道路の左右には湖が広がる。ポンデチェリー手前は
再び悲惨な家屋が続くが、ゲート(有料)をくぐると綺麗な街並みに変わる。とてもインドとは思えない。ここは昔フランス領だった所為らしい。しかし、これもしばらく行くとだんだんとインド風となり、とうとう中心部は何処にでもあるインドだった。こういう風に何でもインド化していく、物事が風化するようにインド化するのはインドの力とでも言うべきでしょうか。インドに魅せられる理由の一つにこれがある。インド化された風景のみカメラに収めた。この国でどうしてもAVファンとしては、興味を持っている事がある。文化の代表である音楽やDVDを購入したいのだ。そしてデジタルは世界共通であることを確認したい。街の人にCDショップを案内
してもらった。まず4話入りのDVD。コピー物のDVD、本当のDVD、インド音楽のCD。併せて4枚で375ルピー、800円だ。どうだ、この安さは。ちなみに映画館の映画は100ルピー。娯楽が無いと聞いていたが、十分安く楽しめる。ちなみに30話入りのDVDもあった。これはDVIX規格。日本ではPCでしか対応機器がない。この街に入るにはお金が必要なゲートがあるが、帰りは別のルートを選択するとゲートがない。帰りはインド洋を眺めながらのコースだった。同乗のインド人R氏が「okamura san can watch the sea」と伝えてくれたので、私は「I see」seeは見えるのではなく、「了解」の意味での返答(だじゃれ)をすると笑ってくれた。途中に世界遺産のママラプラム建造物群があり、そこに続く道へそれた後、ここで本日の昼食をとることに。豆の入ったパンを注文頂いたが、周りを見ていると、カレー風のパン定食があり(現地ではそんな名前ではない)これも一緒に注文
。屋内はハエが一杯飛んでいて、僕らは外で食べた。インド人の同行の人達は建物の中で。食べた後の食器を返却しようとしたら注意された。ワークシェアリングの事をすっかり忘れていたのだ。ここは、テーブルを拭く人と、床を掃く人も別だ。床の人は女で裸足だった。小柄で細面のかわいい子だったが。日没の5時半に事務所到着。7時半までこちらで用件を済まし、8時にホテル着。シャワーを浴びて出発の準備を行う。深夜便だが、その前のシャワーと言うのが効きますね。空港のゲートをくぐったのが22時。出発まで1時間ほど。ラウンジでインド食を喰う、機内食は食べないつもりだからここでは本格的に。インド製のタイガーフィッシャービールも一緒に
。ところが、空港の警戒が厳しくチェックインに時間を要している情報が入り、泣く泣く食事を少し残した。手荷物検査はインド軍、やはり機関銃を持っている。おもしろいのは、この軍人は客さばきも行っている。暇なんだろう。日本の道路工事で交通整理のガードマンが時々スコップを担いでたりするがアレと同じですね。飛行機は定刻の23時15分に出発。シンガポールに6時に到着だが、インド時間では午前3時半。もう全く狂ってしまう。飛行機の中では眠くなくて、「アイアムレジェンド」を見た。ウィル・スミス扮するロバートが生き残った子供連れの女性助けられるが、そこからロバートは妙に怒りっぽくなる。その辺の豹変ぶりが僕には理解できなく、最後までずぅ〜と違和感を持ったままだった。とても良い映画とは思えない作品。映画を見ながらウイスキー2杯、ワイン1杯。
1月8日(木曜日)
トリプールのすばらしいホテル「グリーンリード」で目覚める。インドのホテルは風呂がないと聞いていたが本当だ、プールを備えたすばらしいホテルなのに。シャワーを浴びて、朝の準備をする。朝食は、プールの見えるテラスで。もちろんカレーに、ポテト、ビーフンのようなもの、肉を食わないインドでは珍しいフランクフルトやベーコンもある。周りを見ると西洋人が多いので、そのためもあるだろう。相変わらずコーヒーは旨い。コクが違う。久しぶりの朝ゆっくりなので気持ちが晴れる。天候も晴れ。水を買いにホテルから出た。ウォーター。全然通じない。指を指す、や
っと通じた。彼等は「ワラ」と言う。今回のビジネスでは英語を話す人ばかりだが、普通の人はタルミ語を使う。タルミ語は巻き舌であり、その延長線上で英語の単語をしゃべると、言葉が丸くなってしまう。ハウマッチ?「フォーティー」と言う。40ルピーなんてあり得ないので10ルピーを出す。不足だという。今度は50ルピーを差し出す、「no,no」と言って財布を覗くので、こちらこそnoだ。するとおつりをたくさんくれた。おつりから逆算するとフォーティーンだった。14ルピー。それ
で親しくなり、写真を。インド人はどれも同じに見えるので、価値はないのだが。訪問先で付近の風景を撮影していると、道路を挟んだ目の前にパパイヤ売りがあった。早速写真を撮影すると、その前に子供が来た。手を振るとOKだと言う。そこで写真を。すると別も子供達もやってきて俺も、俺もと言う(たぶん言ったと思う)それで、更に撮影すると、今度は写真を見に来る。彼等の目は生き生きとしている。こんな目を見たのは久しぶりだ。みんな自己紹介をするが、覚えられない。子供達は全員男の子。資料によると10〜15%男が多い。人間は男が死ぬ確率が多いので、4%程度男が多く生まれらしいが、この10%を超える数値はどうしたことか。中絶もあるようだが、出産後も間引きが行われているようだ。このパパイヤ売りは、後ろにある家のご主人で、奥さんは庭で洗濯をしていた。遠くからだが、綺麗な人だが、土壁の土間に住んでいる。パパイヤの空きは、この家の庭に捨てている。パパイヤにハエがうなっている。このご主人、3時間くらいの間に一個も売れなかった。この国では掃除をする人、ドアを開ける人、それぞれ別。ワークシェアリングが徹底している。この町には大きな川が流れていたが、みんな川にゴミを捨てている。先ほどのパパイ
ヤ売りの子供は、お母さんの言いつけで、お鍋に入れたなにかを川に捨てに行くシーンも見かけた。この国のゴミは、本当にゴミで、生ゴミは基本的に無し。生ゴミは人が食べるのである。だから、ゴミの山があるのにカラスが住んでない。カラスの食料がないからだ。もしかしたらカラスも食われたかも知れない。今度は、コインバトルへ向かう。道中は屋台で買った焼きめしと豆の入った揚げパン。もちろんカレー味。問題は、現地人は飯は手で食うため、スプーンがない。あわてて別のアイスクリーム屋でスプーンを買いに走ってくれた。焼きめしの飯はさらさらで日本の米とは違う。脂を相当使ってあるが全く問題なし。椰子の林が見える。この椰子の林をよく観察していると、この下に人が住んでいる。椰子葺きと土壁の家だ。都心から離れるとこの家もきちんと清掃が行き届いているが、都心に近い椰子葺きの家は傾きかけているとか少々悲惨。そして突然コインバトル空港に到着し、今までお世話になった運転手さんに別れを告げる。彼はこの街の出身とのこと。車を降りた目の前には機関銃を下げたインド軍人がいて、この国の治安を思った。早速断って写真を。このあたりがインドらしいではないか(何でもあり)。空港ではこの国でしか売ってないお菓子があるというので早速購入。帰りはパナマウント航空。当初は美人の多いキングフィッシャー便だ
ったが、予定が早まったので違う便となった。出発までの待ち時間に突然エアコンが止まり停電。暑くなりそうだったが、その前に出発。送迎バスは満席で乗れず、歩くのかと聞かれるのでOK。なんと、目の前に飛行機はあったのだ。飛び立つとすぐに食事。カレー。おからのようなものが必ず出てくる。成分は不明。これにカレールーをかける、もしくは、スプーンに乗せてルーに浸す。カレー食は重く、これだけ喰うと夜飯はいらない。夕刻5時半チェンナイ空港に到着。最初に宿泊したホテルに向かう。今日のスケジュールはこれで終わりだ。隣に人が来ないことを祈りながら寝る。
1月7日(水曜日)
ふらふら状態で食事。だが、カレーを2種類選んで、パン。カレー味の豆の入ったパン。インド風のジャム。紅茶。紅茶やコーヒーは「ストレート」と言わないと、ものすごい甘い紅茶はコーヒーが出る。ものすごい甘いと、紅茶もコーヒーも同じ味になる、これホントの話。今日のスケジュールはマドライからトリーティーだ。天候は曇り。薄暗いため、移動中のカメラが使えない。やはり、一眼レフを持参すべきだった。この道中が一番悲惨な光景。家は椰子の葉葺きで土壁、床は土間。8畳くらいの部屋一つ。丁度アフリカの土人を取材したTV取材などありますね、それと同じ。緯度も同じ程度なので、同じ生活様式であったも不思議ではない。しかし、家がある人はまだましで、家の軒先で寝ている人もいる。薪のための木を切る人、集める人、集める場所、それを裁く人、みんな分業だ。だが、木を切っても山が枯れる事はないように、木の枝を剪定しているような切り方だ。この木を燃やすので椰子葺きの家は虫が付かず長持ちするが、普通の家は汚れる。そのためなのかどうかは不明だ
が、普通の家の壁は、大体がペンキで宣伝をしている。多くが携帯電話会社の宣伝だが、そうでないのもあるようだ。こちらは、すすけてはないが、風景になじまない、インド人には関係無いだろうが。山を切り崩して、宣伝のペンキを塗った所もある。米の刈り取り〜まだ穂を付けてない稲〜田植え。これらのどれが最初なのか不明だが、いつでも米は収穫できる。田は小さく効率が悪い。刈り取った米を道路に干している場面も見かけた。昨日反対車線から車が来る話を書いたが、これは、道路工事が日常的で、道路によっては、片側のみ通行可能な所もあり一貫性が無いため、間違って反対車線を走ることもあるようだ。警官はいなく、事故などについては自己責
任が前提。しかも、追い越しは何処でも可能であり、対向車は路肩を走って難を逃れる場合もあるし、3輪車がやたらと多いので、これが追い越しする場合、普通車は更にその上を追い越しをかける。バスの転落事故で日本人の方が亡くなったが、こういう事情があるのだ。トリッティは裕福でないようだ。一段とひどい町並みである。仕事を終えた後、昼食は豆の入ったパンと瓶入りコーラー、瓶の蓋はさびているような感じ、これは店で。食事をしていると、かわいい男の子を連れたお父さんが来たので、断って写真を撮らせてもらった。露天でおいしそうな果物を売っていた、試食もあったが、はやる気持ちを抑えて断念。今度はセーラムに向かう。ずいぶんと風景が違
ってくる。タイの風景に似ている。川が流れ水田が多い。緯度も同じようなモノだ。悲惨な風景だが、今までとは幾分まし。川があった、ものすごい洗濯物を干してある。これは洗濯屋さんが、洗濯した物を干してあるとのこと。同行のインド人R氏はこのあたりの生まれとのこと。午後7時、これからトリプールまで移動。130kmだが、3時間かかるとのこと。理由ははっきりした。道がものすごく悪い。暗くても3重追い越しは平気。右に左に揺れながら。昨日の睡眠不足をこの車の中で回復。午後9時半、トリプール着。一段と疲れた。が、このホ
テルはすばらしいホテル。部屋は、プールを挟む中庭向いていて、車のクラクションはシャットアウト。天井は高く大きなプロペラが回っている、しかも大きな部屋。だが、トイレだけはキレイじゃない。それに、インドのペーパーは巻きが弱く、ロールが短い。半分ぐらいのロールだと一回で使い切ってしまうのだ。10時頃にみんなと解散したので、もう食事の雰囲気ではない。僕は持参したビスケットと缶詰とパイナップルの缶詰を喰った。少々悲惨だが、この空腹がどうも腹の調子を強くしたらしく、今回の旅で一度もおなかを壊さなかった。シャワーはお湯が出る。すごく匂いの良いボディーシャンプーと別の香りがするシャンプー。気分爽快。これは持ち帰ることにしよう。
1月6日(火曜日)
5時起床。6時にチェンナイからマドライに行く飛行機に乗るため。今回はタミルナード州の各地を訪問する為だが、九州の4倍位の面積で、人口は7倍の7,000万人。まぁ普通の一国分ありますね。それで州内をいくつもの飛行機が行き来している。ところが空港の運営がいい加減で、搭乗口からバスで飛行機に乗り継ぐのですが、僕だけ別のバスに乗ってしまった。あわてた仲間が探しに来てくれ事なきを得たが、僕の乗ったバスは何とデリー行きだった。一つの搭乗口から2つの行き先のバスに乗せるのです、当然空港バスですので、行き先表示はない。僕の間違いの後、空港職員が何度もバスの行き先確認を告げた。航空会社はジェットエアー。あらかじめ聞いてはいたがスチワーデスさんがキレイ。モデルさんだ。タラップの少し手前で目が合い挨拶、階段をこけそうになる。プロペラ飛行機。新聞
はThe Hindu。英語。アメリカのCESの記事が少し掲載されていた。機内食(インドの航空機は全てどの時間でも機内食が出る)はカレー。その前に得体の知れないスープ。聞くとマンゴーとヨーグルト。カレーにすっかり魅せられてしまいおいしく頂く。1時間半の飛行。マドライの手前で眼下に大きな一枚岩を見た。これは、道中いくつか見かけその頂上には必ず寺院がある。その中の一つは、Tirupparankundram(神と寺院)と言う。同乗のR氏(インド人)が教えてくれた。こうした自然崇拝の精神などは、日本人も共通の感覚。山を見ると登りたい欲望があるが、神聖な場所ならそれも不可能。飛行場からは車でトリネルベリーに向かう。3時間。地図で言えばインドの下のほうにある三角のとがった部分。車は、トヨタの1ボックスカー「イノーバ」ディーゼルエンジン車。高速道路か有料道路かは不明だが、お金を払って走る。この道路の特徴は、片道2車線だが、時々追い抜き斜線を逆走してくる
車があることだ。当然、分離帯の隣の車道を同じ方向に進むことも見かける。きわめて危険。危険なことを知っていて、逆走する車はヘッドライトを点けている。そんなら逆走するなよ。牛もこの道を歩く、自転車も、だから高速道路ではないだろうな。トラックの下で寝ている人を見て驚いた。何があってもおかしくない世の中になったが、こちらでは更に驚く事が多い。オドロキが余りにも大きく、つい笑ってしまう。13時過ぎ、仕事を終えて食事。食事はバナナ。2種類のバナナがあるが、小さい方が酸っぱくて重くておいしい。今日の昼食はバナ
ナだけ、そんなバナナ(馬鹿)なと思うでしょうが、よく熟れたバナナはランチの代わりを勤めてくれる。Good Job。この言葉よく使われるので覚えた。日本で売られているバナナは、まだ青いウチに収穫して、日本に移動中に熟れてくるのを待つ方式だから、少し堅い。現地版は全く違う。バナナを買った店は踏切の近くだった。僕たちの乗った車は、踏切が閉まる前に発進してしまった。??。だが安心したまえ、と言う。踏切が閉まった後でも、人は踏切を抜けて渡っている。踏切を抜ける獣道ができているのだ。なぜ、それが可能かと言えば、踏切は相当前に閉まり、しかも列車はものすごく遅いのだ。レールは広軌で高速可能だが、この国で高速列車が走るのは果たしていつだろうか。道路は全線に渡り工事中。世界は金融危機で経済が悪化しているが、
こちらもその影響は大だが、元々貧しい上に、こうしたインフラ工事が経済成長の最低の部分を支えているようだ。5時半、マドライに戻ってきた。やっと牛を見かけた。日本の飼育している牛と違って体に糞がついてなく毛並みが綺麗。昨日すすけた家屋が多いと書いたが、理由が判明した(僕の推測だが)彼らは、燃料に木を燃やす、当然ながら煤が出る、その煤によって家全体が、街全体が汚れてくるのだ。ついでに、牛の糞も燃やす。そのため、多くの牛を見かけたが、牛の糞が転がっていることはない。バナナの皮は道に捨てると良い。それを牛が食べるからだ。仕事の前に夕食を食べることに。パンの生地で包んだ豆をカレーで味付けしたモノだ。そのほかにカレールーと何か不明なヨーグルト上のもの(乳製品ではないが)これらが、バナナの皮の上に乗っている。同行のインド人の方は、器用に手で食べた。僕も手で食べたかったが、手洗いが余りにも汚く手の清潔が保証できなかったので遠慮。ここでは8時半まで仕事をして、ロイヤルコートホテルへ。この汚い街に果たしてホテルは存在するのだろうか?だが、こぎれいな玄関のホテルがありました。チェックイン。夕食はなし。僕は水を買うのと、街に興味があったので一人で出かけた。危ないとか不明だが、とにかくものすごい人で、例えば朝のJR新宿駅の混雑程度級が歩道に、車道に、あふれているのです。裸足の物乞いもいる。軒先でいろんな食べ物を調理して売っている。のどから手の出るほど興味がわいたが、病気でみんなに迷惑をかけるわけにはいかず断念した。CDショップでは007の5話入りを売っていた(1枚のDVDに5話が入っている)。規格はDIVIXで、8話入りとかもあった。価格の交渉ができないのでここでは買うのを断念したが、後でインド人に聞くと60円程度らしい。しまった。水は1,5リットル40円。他にも探索をしたかったが、はやる心を抑えて30分程度で切り上げる。聞いてはいたが実際にお湯がでない。心持ち冷たくはない水がでる。シャワーを浴びながらふるえた。水が心配だが、この水で歯を磨いた。ホテルは一晩中車の警笛、列車の汽笛、コーランのお祈り、で騒乱状態だった。疲れはピークに。
1月5日
目覚めは、コーランのお祈りの放送だ。ナザタクレー(神は偉大なり)。朝の食事前に猛烈に腹が減り、食事の時間まで待ちどうしかった。それで、時間つぶしに、プールを撮影に行った。広い芝生の向こうにプールが見える、余り大きくはないが運動の足しにはなるかな程度。緑がキレイでずいぶんと心が安らいだ。本場のハイビスカスは赤が強かった。青空に映える。食事はバイキング方式。カレーを。他にも、スイカのジュースとか南国特有のモノが。紅茶が旨い。イギリス仕込みだ。近くにはお茶で有名なセイロン(現スリランカがある)。それも
正論だ。こちらは普通、昼食を午後2時くらい取るようで、朝飯はしっかり食わないと持たないようだ。脂べとべとのベーコンも喰った。欧米の人達が多いので肉もありだ。8時45分事務所に向かう。ここで初めて喧噪と言う言葉に出会う。クラクションが鳴りやまない。あちこちでクラクションが鳴るので、誰に対して注意をしたらよいのか分からない。そしてスゴイ排気ガス。ものすごいバイクと車と自転車と通行人と、とにかく「ものすごい」を全ての名詞の頭に
付ける必要がある。チェンナイの市内に出かけることになった。再び、車と3輪車のタクシーとバイクと自転車、リヤカーの洪水の中を我々の車ももまれるように進む。道路は2車線でも車は可能な限り並ぶ、3台なんてざらですね。今まで見たこともない景色。「混沌としている」言葉がぴったり。はだしの人がいる。はだしは気持ちがよいので、あえてそうしている、とは違った意味でのはだしの人。犬小屋に住んでいる子供たち。ヘルメットなしのバイク、バイクは
3人乗り、子供がいる家族だと4人乗り。おじさんの3人乗りは少し気持ちが悪い。奥さんをバイクの後ろに横すわり乗せいるのは、ほほえましい。愛が感じられる風景。女性の人数は圧倒的に少ないので大事にされる。火災のあった後のビルに入居した感じの数々の商店。ドアと窓ガラスのないバス。有名な財閥の車タタの洗練されたデザイン(タタのマークはトヨタのマークによく似ている)。車道に張り出した果物売り。その店の一つでパパイヤを飲んだ。3つで15ルピー(30円)こんなに旨くて、量がたっぷりで、しかも炎天下なのに、少しだけ
冷たいのは申し訳ない。日本の都心では1,000円位の価値だろうか。何か不明だが大勢がたむろしている飲食店。道路には大勢の人が座っている。スカートをまくり骨と皮だけのやせ細った足を出して立っている老人。まるで人生を悟ったような超然とした牛(人生とは言わないが)、臭うどぶには、ごみがいっぱい捨てられ異臭を放っているのに、その前で堂々と飲食店や、果物屋がある。それにもかかわらず人がたかっている。とにかく、人が多くて、多くて、何で食っているのだろうと思われる(いや、ろくに喰ってないのかも知れない)。昼食に大学の隣に併設したファーストフードの店に入ることに。インドはセキュリティーがきつく、こうした飲食ゾーンの敷地に入るにも、車から降りて、入り口で名前を書き、検疫を受ける必要がある。目指すはKFC。マクドもあるが、インド人は牛を食べないので、KFCが有名。日本とは少し味が違う、スパイスが強い。コーラーを注文すると、申し訳なさそうにペプシで良いか?と聞く。やっぱりコーラ
ーはコカコーラーなのか。その後郊外へでかけ、夕刻事務所に帰宅。ここでしばらく仕事をして20時半に帰ることとなった。外を見ると車の大停滞。大停滞なのにクラクションは輪をかけて激しい。タクシーもなく、地元の人に交渉してもらい三輪車のタクシーと言うか乗り物を捕まえた。値段は140RP(280円)、日本だと、2,000円くらいの距離。単機筒のエンジンでコンパクトな車が走る。サスペンションはないに等しく突き上げが激しい、シートも木の椅子。しかしダイレクトな地面の感触が運転を比較的分かりやすくする。もちろんドアはなく、クラクションもなく、手でパフパフと鳴らす。手すりにつかまってないと振り落とされる。緊張。コンパクトなので、車と車の隙間を縫って走り、意外と爽快感がある。時速50kmくらいの速度しか出ないが、この停滞しかないインドではこれで十分。インドに高級車がないのは、この辺りに事情があるかもしれない。やがて到着。僕たちの宿泊するホテルは地元では高級ホテルなので、このような三輪車はホテルの敷地にさへ入れてくれない。危ない路肩で降りて、ホテルに向かう。ホテルの玄関で再び手荷物の検査。夕食はホテルで、ビール1杯にとどめた。形式はブッフェスタイル。1,000ルピー。ここまではよかったが、ホテルは寝静まると、隣の人が電話で話す声があまりにも大きく目が覚める。この部屋は、隣と行き来できるドアがあり、そこから話し声がもれてくるのだ。午前4時過ぎにも風呂の音で目覚める。大変だ。
1月4日(日曜日)
いよいよインド行き。5時半起床、新聞を買ってパンをかじり全てを整えても時間が余るが40kgの荷物を持って少し早めに出発。自宅から5分も歩けば地下鉄があり、エレベーターが完備されていてありがたい。空港で仲間と合流しチェックイン。シンガポール航空はANAのメンバーズ会員が有効で、待ち時間ここで過ごせるのは助かる。だが、シンガポール航空の飛行機は寒いので定評がある。寒風吹きすさぶ防寒服のまま乗り込むのが丁度良い。行き先はインドの南にあるチェンナイだが、一端シンガポールで下車し乗り換えが必要。この日の
ために、DVDをいくつか用意し、プレーヤーを持参した。他にもPCに直接DVDを記録してある。まずは「墨攻」。中国春秋の物語で、趙の国が攻めてくるのを、単身で梁城の防衛を行う話。この単身が主人公で「革離」と言う人物。この革離の生き方が凄く日本人的で厳格。たぶん外国の人にはこういう生き方は理解できないだろうと思う。原作は日本人だから仕方ないが。映画を楽しんでいる間にシンガポール空港へ到着。1番ターミナル。乗り換えは2番ターミナル。シンガポール空港は広いのなんの。乗り換え客や、出口に向かう人のため電車が走っているが、今回は時間もあるし徒歩で、20分。ラウンジで軽い食事と世界で二番目においしいと言われるタイガービールを(一番はドイツのなんたら、らしいが、僕はサントリースーパーモルツプレミアムだと思う)。おいしそうな焼きうどんがあったが、機内食のこともあるしここは我慢。ここでは、ビル・エモット氏の「アジア三国志」を読む。インド、中国、日本を題材にした本で、良い面も、悪い面も公平に扱っている点に好感が持てる。発売は昨年6月で、まだ金融危機は扱われてない。出発は8時30分だが、日本時間では9時30分。日本だともう寝る時間だが、これから2,500kmを移動しなければならない。今度の飛行機には日本人はほとんどいない。そして空気も幾分違う。そして着座。隣には中学生くらいの女の子。実はこれが大問題だった。中学生と見た女の子は実は立派な成人女性。細面なので幼く見えただけ。そして、ものすごい腋ガ臭。あまりの臭さは鼻ではなく目に来ましたね。そして機内食。隣は当然ベジタブル食。僕は言葉が不明の中で唯一聞き取れた単語lamb(ラム)を注文し案の定カレー味。こうしてインドは飛行機の中からすでに始まっていたのです。インド人の食べ方を見ているともどか
しくて手をさしのべたくなる。スプーンですくって口に入れたら良いのに、そのすくう前の仕草によく混ぜる作業が入るのです。そこまでしなくてもと思うくらいです。酒は、前の席の人がredと言い、赤のワインを注いでいたので、僕もそれに習った。本当は白を飲みたかったのだが、白は何というのだろう。Whiteでいいのか?機内アナウンスはヒンズー語と英語。チェンナイ空港22時。日本時間では午前1時半、草木も眠る時間。大勢の出迎えがいる。半端な人数ではない、200〜300人?それ以上だろうか、圧倒される。そして熱風と匂い、コーランのお祈り音楽。僕はお祭りかと思った。それは、この匂いがイカ焼きの匂いだったか
ら。ホテルの人が待っててくれて、車で10分位の所にあるトライデントホテルへ向かう。ホテルにはゲートがあり、金属(爆弾?)探知機を下げたガードマンがトランクとか車の下をチェックする。ホテル玄関では、更に手荷物はふたを開けてチェック。ボディーを金属探知機でチェック。このホテルでもう一度飛行機に乗るのか?ホテルのフロントのお姉さんの綺麗なこと。顔が小さくて幼い、高校生の感じ。その上、姿勢が良い。まっすぐに立っている。斜めのサリーの絞った部分に名札がある、見とれていると、きつい言葉でここにサインをしろと。そしてお金の交換を少し。チップの為に必要だそうだ。部屋とベッドは広くて申し分ない。ゆっくりと風呂に浸かって就寝。日本時間午前3時。
1月3日(土曜日)
昨晩帰り着いても妙に目が冴えて眠れないので、道中見てきた「母たちの村」の続きを見た。アフリカの村で生活する人達だが、子供を割礼させるのか、否かの問題で、男性陣と女性陣が対峙する物語。(割礼は子供の死ぬ可能性が非常に高く、母達は子供を失いたくないために、強要する男性陣と対峙となった)。場所は西アフリカのとある村となっているが、宗教がイスラムであり完全に男性上位の世界を前提とした物語であり、欧米の男女関係とは重さが違う(ことが映画から読み取れる)ものすごい重い映画で見終わった後ずっしりとした。ネットで検索すると、たくさんの受賞がある。アジアやアフリカの方面に関心を移すと、その先にイスラムが必ず登場する。これから数年間はイスラムについて相当つきあう機会が増えると思う。朝は割とゆっくりと起き、マクドの飯の後は、インドへの出発準備だ。今までの出張と違うのは、非常食として、ラーメンやお湯で食べられる焼きめしや、クラッカーなどの食物の準備。蚊などの虫除けの薬。タオルやシャンプーやウェットチッシュなど日常の生活装備が必要なことだ。ついでに懐中電灯なども用意した。更に、PCに映画5本を取り込んで移動の時に見る事ができるようにした。まだ、大阪の街は静かでお正月の雰囲気があるなかで、僕だけがあわただしく動いていいた。
1月2日(金曜日)
伊坂幸太郎のゴールデン・ストンバーを読み終えた。少し現実離れした空想が物語を軽薄化させている。が、人や組織の裏側とか、側面というのは確かに「そうだ、そうだ」と共感できるし、意外と人の行動を定義づけている面はあるかも知れないと考えさせられた。昨晩は、「アンチャッタチャブル」、精悍なケビン・コスナーが果敢にアルカポネ(ロバート・デニーロ)に戦いを挑んでいくのが印象的。(ケビン・コスナーはこの映画で有名になった)この映画にも賄賂で動く警官と表で動く警官とを描いており、素直な、実直な人生や人物よりも、やや複雑な人間関係がドラマをもり立てると思いましたね。自分は実直で質素傾向に魅力を感じる部分があり、多少しんどい部分もあったが、ドンパチがそれを救ってくれた。特別出演のショーン・コネリーがスパイス役。夕刻、犬の散歩の時、北を見ると、相変わらず雪が降っている。平野部まで雪雲は降りてこないが。寒い一日だった。
1月1日(木曜日)
まだお酒が残っていて、お屠蘇の気分でない。その上、母は透析に行かねばならない。僕はコンビニで新聞を買わねばならない。と言うことで、色んな手はずを終えてお正月を始めたのは午前9時過ぎ。この頃だと酒も抜けてやっと飲める体制になった。今年の休暇は短くあまり本を読む暇もない。お正月の新聞は日経、毎日、読売を買ったが、あまり大した記事がない。昨年のお正月の経済予測では随分と嘘を読まされたので記事が妙に薄く感じた。(特に日経では07年後半からアメリカが景気後退に入っていたとしゃあしゃあと書いてある、そんなら、円安でルーブルに置いて行かれるような記事書くなと腹が立つ)それで未来のことに言及している記事は避けて、歴史の分析記事のみ読んだ。過去は嘘をつかない。だが、それでも、経済周期などの説を展開する人もいるが、歴史からその周期に合致するモノだけをピックアップすればそれくらいの文章はできる(気がする)。そんな意味で新聞の信憑性が落ちたと感じる記事ばかりだった。もっと足を使った記事を書いたらどうなのかと思いましたね。
12月31日(水曜日)
昨晩は7時半に寝たので夜中の3時過ぎに目が覚めた。そこから伊坂幸太郎の「ゴールデンスランバー」を読み始めた。現職の総理大臣がリモコン式のヘリコプターに積んだ爆弾で暗殺される事件を扱った物語で、08年ミステリー1位を獲得した作品だ。今日はこの小説で一日を過ごせると思いきや、K氏とT氏が昼前に訪ねてきて昼飯でも一緒にどうかと言うことになった。矢流のドライブイン(古い名称だが、昔からそう呼ばれているので仕方ない)でランチ2つとビールになった。ところが少しビールが入るとどうもこの場は終えそうにもない雰囲気となり、焼酎となり、やがて大宴会へと発展していった。そして、今度は高知まで繰り出そうとなり、T氏の運転で(勿論T氏だけは酒を飲んでない)高知へ。そこで車をおいて今度は回転寿司へ。ここでやっとT氏もくつろいで酒を飲む。帰りはK氏の息子さんに送ってもらった。何と12時から飲み始めて午後6時まで延々6時間も飲んだ。こんなに長時間飲んだのは僕の人生の中でかつてなかった。この日はこれで終了。
12月30日(火曜日)
いろいろやることがあったので紙にリストアップして済ましていった。その中の一つに地デジアンテナの線を草刈り機で切断したので、つなぐ作業があった。5C用のF接線と中継端子をホームセンターで買ったら、何と1,000円かかった。帰りのJR便をごめん駅(「こめん」の謂われは、年に2回も米が取れるし、温暖でよその国から来た人に申し訳ない、ところから来ている)で問い合わせると、予定の3日便は満席だと。仕方なく2日の午後便に。今日の予定を全部済ませてやっと念願の本を読み始めたのが昼過ぎ。夕食は5時過ぎからで、6時過ぎには風呂も何もかも終え後は寝るだけ。藤あや子、20周年リサイタルをDVDで見る。この人ほど官能的な人はいないと思う。昔は五月みどり、今、藤あや子だ。歌あり、芝居ありの1時間30分。記念に残る優れモノ作品だった。
12月29日-A(月曜日)
大阪駅から快速電車で30分のJR明石駅でT氏と待ち合わせた。彼の運転する車で高知に帰省する。5時45分に合流。一路高知に向かう。新幹線で見ると明石からいきなり淡路島に連絡橋があるようだが、車ではずぅ〜と遠回りして30分ほど本土側を回る、それからおもむろに橋に向かう。橋はライトアップされ綺麗。淡路島は周囲が200KMほどあり高速道路はその真ん中を進むので島の通過は案外時間がかかる。やがて徳島県に上陸。しばらくは一般道を走り、再び対面式の高速道路。吉野川沿いを西に向かって進む。この西行きの時間が非常に長い。おおよそ高知県の半分(東西)のところで、南方向の道が開ける。我が芸西村からすれば、随分と西に行ってから、再び東に向うことになる。それでも、明石から3時間半で帰り着く。話をしながらの3時間半はあっと言うまだ。
12月29日(月曜日)
猛烈な空腹で目が覚める。冷蔵庫の中のモノを食い尽くし何もない。昨晩は野菜炒めと土佐鶴で終えたので少々不足気味だった。それで近くのフレンドリーへ。子供を連れたお母さん、別の組は孫を連れたおばあさん。中年の夫婦二人。どうも僕と同じく、もう家の中を片付けて汚したくない。午後は田舎に帰るので朝飯だけここに来た、そんな雰囲気の人達だった。それなら、もっと豪華な定食を狙う方法もあっただろうと思う。甘ったるいコーヒーのドリンクバーなど、余り魅力がない店だった。スカイラーク、ロイヤル、そしてフレンドリーとも経営が悪く大幅な閉店を行っている、ファミリーレストランのコンセプトが終演を迎えたというのは分かるが、どうも自滅したみたいと言うのが僕の感想だ。午後、家を出て買い物の後、明石に向かう。ここでT氏に拾ってもらい車で高知に帰省する。
12月28日(日曜日)
年賀状を集中的に書き上げ時計を見ると11時半。近くの吉野家へ。昔の味と比べると非常にまずくなっている。それとも自分の舌が鈍っているのだろうか。年内の行事はこれで全て終えた。年末の静かなときがやってきた。早速、録りためた映像を見る(昔はVTRを見ると表現していた)「アップルシード、エクスマキナ」この物語の由来は何とアメリカの開拓農民の話から来ているという。漫画は士郎正宗が書くが、映画化はあの有名なジョン・ウー監督。BDが発売されれば是非一家に一枚は備えたい優れもの。「ボルベール」スペイン映画。主演女優のペネロペ・クルスがいい。世界一の美人だと称しても良い。監督の監督:ペドロ・アルモドバルもいい仕事をしている。「アラビアのロレンス」これはBDにハイビジョンで保存してある。1962年の映画だが、非常に鮮明。フルHDのディスプレイを余すことなく出し切る。砂漠の遙か彼方にベトウィンが現れるのをガイドが指摘する、ハイビジョンだとかすかに黒点が見えるのである。DVDの場合だとただの砂漠だった。などなど、知っている映画でも見直してみる価値がある。
12月27日(土曜日)
右の腰が痛い。ずいぶんと前から続いているので、もしかしたら結石?出張中にこれを煩うと大変だと思って、泌尿器科を訪ねた。エコーの検査では当面は大丈夫だとの事だったが、痛み止めの薬をお願いした。ついでに血液検査も。採血を見ると余りにも血が黒いので訪ねると、水分が少ないとどうしてもこんなに黒くなると言われる。さらさら度合いが低いと脳溢血の原因となるかも知れない、と言うことで帰り道にある酒屋さんに寄ると土佐鶴があった。この近辺の酒屋さんは大型店に客を奪われてめぼしい酒がない中で、この店は土佐鶴だけが燦然と輝いていた。夕食用にスーパー「玉出」で買い物。ここでは買いすぎたなと思っても、1、000円を超えない。お値打ちのお店である。
12月26日(金曜日)
午後3時、伊丹方面は雪が降っているのがわかる。早速写真を撮影した。一応、今日までが年内の仕事。ここは昔の職場のように、終了後、酒が準備してあり、皆さん気軽に立ち寄って飲んでいた。私は、帰ると言うNさんを無理矢理誘い王将の餃子へ。入り口の寒風が吹き抜ける中で冷たいビールを飲んだ。来年からは本格的な仕事になるだろうから、月末こうしてゆっくりしておられるのも今のウチかと餃子をかみしめた。お開きは早かったので京橋の紀伊国屋へ。すると新しい本が「次世代ディスプレイがわかる」。手持ちのカードをフル動員してお勘定をした。今年はようけ本を買ったけれどもほとんど手つかずに終わりそうだ。積ん読本が1mを超えた。
12月25日(木曜日)
卵の賞味期限が今日まで、一方小麦粉が相当残っている。と言うことで、夕食には、パンを作ることにした。パンと言ってもホットケーキのようなもの。今までの失敗から、砂糖を加えると旨くいくことを学んだので挑戦してみたら、見事旨いパンができあがった。これに、前から冷凍してあったキムチ鍋を解凍。甘さと辛さの混合で丁度の組み合わせとなった。即席にしては合格点が出せると思う。もう一つの前進は、フライパンの湾曲した部分のカーブを利用して、空中でパンをひっくり返すことができた事だ。次第にプロ級に近づいている。
12月24日(水曜日)
Heat-Tech。世間で注目を浴び、フリースよりも多くを販売したと言われるユニクロのヒット商品について。今朝は、冷え込みが激しかったので早速、はいて出勤。ところがこれは綿の下着よりも風通しが良くて、要はそんなに暖かくないのである。なぜ、そんなに人気なのか不明。やっぱり寒さには厚手の下着が一番という結論に達したのである。昼の休憩時、売店に寄ってカイロを買い、背中に貼り付けて何とか今日の寒さをしのいだのである。ユニクロはパッケージに工夫し、旨く宣伝に乗せて、しかも今年はタイミング良く時々きつい冷え込みがあったりして、作戦がまんまと当たったのだ。店頭は品切れで在庫の持ち越しはなさそうだ。一方、ケーキ屋さん、クリスマスなのに、人が群れている店もあるがそうでない店もある。明日は値引きして売るのかな。
12月23日(火曜日)
9時まで寝てしまった。早速ご飯を食べて、子供達を起こし、僕の身長を超してしまった息子の写真撮影。机を借りて英単語帳をつくっていたら、娘がやってきて、いくつかカードをめくって知っているという。僕の英語は、まだ彼女のレベルを超えてないようだ。自分のことを済ませば、ここにいる場所はないので早速失礼する。結局泊まりに行っただけ。帰りの電車の中で見た映画(DVDプレーヤを持って行った)、「つぐない」は良かった。もう一度見ても良いと思う出来映え。(来るときは「インディーズジョーンズ」。これも良かった)大阪の自宅には3時に着いた。妻から寒ブリが旨くなっている、これをしゃぶしゃぶにすれば。と聞き込んだので、早速買い出しに玉出に向かう。ブリは無いが、「つばす」があった。(同じ魚だ)大きな切り身が300円だった。買い物かごへ。玉出は魚が安い。あとは白菜と、青唐辛子、エンリギ。買い物から帰ると炊飯器をセットして、プールで2km。夕食は空腹の状態で、熱々のご飯と、つばすの水炊き。幾分薄味にしたが、まずまずの味だった。と思う。
12月22日(月曜日)
今日は年休を頂いて東京に向かった。気になる店が2店。一つは越谷のイオンレイクタウン。20万uを越すショッピングモール。日本で一番大きな店。もう一つは銀座にできたH&M。越谷は東京から50分くらいで行ける。アーケードのある商店街が一つのビルの中に収まった感じ。建物は3層建てで600店ほどの出店がある、直線が一つもなく、右に左にぶらぶらできる。これと言って目に止まる店はないが、とにかく店だけは多いので、一日つぶせる娯楽施設と言っても良い。そしてジャスコだけは、格別光っていた。さすが核テナントだけはある。さて次はH&M。今や飛ぶ鳥を落とす勢いで日本のファッションの話題をさらっている。さすが、ユニクロよりもセンスがよい。色といい、カタチといい。しかしよく見ると、ジャケットのポケットの部分とか、セーターの肩から肘への部分とか、パンツの膝のあたりとか、生地が引きつっていたり、糸がほどけていたりで、品質は今一と思いました(全て中国製だった)。せっかくだから、カーディガン1着、5480円を買いました。対する銀座ユニクロ、こちらは、きちんと商品説明がある、「去年になかった色」「アイロンが不要なシャツ」「暖かくなる下着」そして、縫製もきちんとしている。どうやら、この勝負はあった感じがするのだが。外に出ると、冷たい雨が降っていた。汐留のいつもの喫茶店で本を読んでしばし休憩。その後、押上。こちらで飲み仲間と懇親。着いたのが少し早かったので、そのお店の常連の方と、少し懇談。そうこうするうちに、みんなが集まって懇親が始まった。メインはコチコチになった日本酒。冷や酒は後で効くのだが、S子W子は関係ないようだ。お酒のピッチが後半戦になって速くなり、これはやばいと思ったときにお開きに。しかし案の定、電車で乗り過ごしてしまった。午後11時久しぶりの我が家だが、なんだかレイアウトも変わり、親類の家におじゃましたような感じだった。
12月21日(日曜日)
朝から偏頭痛。頭を酷使したのか、単なる風邪なのか不明。大事を取って昼まで寝ることにした。いくら寝ても寝たり無い。しかし、ここらで起きないと起きられなくなってしまいそう。2週間前に買った小麦粉がある。これを何とかしないと、捨てることになってしまう、それは避けたい。と言うことで、卵と水で溶いてフライパンで焼くと言う、勝手流のパンを焼いた。何とも旨くない。チャップを少しかけて牛乳で流し込んだ。「玉出を知らないと単身生活者と言えない」とI氏に言われた。それで千林の玉出に出かけた。なるほど安い、特にマグロは、500gくらいで500円だ。一人で喰いきれないほどの大きな切り身。ほうれん草は98円、太めのもやしは45円。ライフより安い。食事は毎日のことなので、この店を知ったことは心強い。今夜は野菜たっぷりの食事を頂くことに。
12月20日(土曜日)
田舎のおじさんにお歳暮を贈るため難波に出かけた。まずは日本橋のナニワさん、ベレー帽の中田さんが、「生きていたのか」と声をかけてきた。店の様相はすっかり変わったが、馴染みの顔はそのままだ。ここでしばしの時を。ラックスのSQ38のアンプとJBL S143mk2、CDプレーヤーはエソテリック X01D2で音を出してていた、たたきつけるようなスピード感ある音だった。それを中田さんに伝えると、もっとスゴイ音楽があると、かけてくれたのは、津軽三味線と太鼓のコラボ。太鼓の直径が優に1mを超えるねと感動を伝えた。SQ38は僅か30Wのパワーだが、店全体を揺るがしていた。久しぶりに心が洗われた。次、LABI1でM氏の接客を横で聞く、押しつがましくなく、ちょっと突き放すように絶妙のタイミングでおこなっている。このさじ加減はプロだ。絶対に僕にはできない技。あとオンキョウのヘルパーさんと近況の情報交換。もと柳屋西口の増井さんとも挨拶をかわす。この店には知っている人が一杯いる。もっと居たかったが夕食の準備もあるし、洗濯物の取り込みもあるし。えらい現実的だが仕方ない。
12月19日(金曜日)
インド行きが決まった。1月4日出発だ。問題は帰りの便だ。シンガポール空港で21時間も待つ事になる。この時間をどう使うのか?いろいろ教えていただいたが、結局ホテルを取って、眠ること。となった。考えてみると、インドから帰ってくるのに2回の乗り継ぎだが、この2便とも深夜便なのだ。これでは体が持たない。そして、今回は南のタルミナード州のみの訪問となる。州といっても飛行機が飛んでいて、ほぼ日本の面積ぐらいはあるのだ。訪問時はそこを車で移動する予定だ。インドの田舎はホテルが厳しいようだ、枕が臭くてどうしようもなかったとか、ベッドに虫がわいていたとか、その辺の話は何でもありらしい。昼間神経をすり減らすので、せめて夜だけはとおもうのだが、これはどうしようもないようだ。金曜日の夜なにの酒も飲まずにまっすぐ家に帰り、ラジオ英会話を聞いて寝る。至極まっとうな生活。
12月18日(木曜日)
今日はインドの会だった。現在担当している人、昔インドに住んだことがある人。北米担当だが、昔アラブの国で出稼ぎのインド人と親しくなった人。こんな人達と京橋にある「カトマンドゥ」とインド料理の店に行った。カトマンズはネパールなので、厳密にはインドとは違うが、料理は日本人向けにデフォルメされているので、どっちでも良いと言うことらしい。この日は、主にKさんという、アラブの国でインド人と親しくなった方の話を聞いた。極めつけはパキスタンでの商売で、値引きをしなかったらここから生きては帰れないと言う話。時は1990年代で、ソ連がアフガンに攻め入ってたころで、この取引相手はアフガン人だったとのこと。相手の据わった目つきが一番怖かったと言う。それとか、アラブのコーヒーの飲み方は上澄みだけをすするのが正しい飲み方なのに、それを知らずに底の溜まりまで飲んでしまって胃を壊した話とか、たんまりと知らない話が聞けた。その方の上司は僕のよく知っている方だった。この料理は、3種類のカレーと、3種類のナンと、スパイスの効いたチキンと魚。なかなかビールのアテに合って旨かった。食べ過ぎに付き、徒歩で帰宅。写真は近くの紅葉。
12月17日(水曜日)
今日はお通夜だ。しかし、ネクタイもなければ数珠もない。京橋界隈で捜すが見あたらない。仕方なく、枚方。サティの受付で聞くと、アクセサリー店でそれらしきものはあると言う。覗いてみると高い、理由を言って一番安価なものを出していただいた。ネクタイもサティで揃えた。生活の小道具と言うのはいろいろあるんだと思いましたね。時間も遅くなったので、駅近くのラーメン店で唐揚げ定食を食べた。こちらも、大阪らしいせこさのある小さな器だった。その後、京阪百貨店の食品売り場で、明日の食材を揃えたら、1,000円を超した。百貨店は高い。そして今日も万歩計は19,000歩を越していた。風呂に浸かって疲れをほぐす。
12月16日(火曜日)
昨日は万歩計が19,500歩を超えた。翌日に響く。毎日昼飯のあと、腹こなしに4階から、35階まで歩いて登っている。万歩計にして750歩10分間だが、今日はパスだ。今日の万歩計は16,000歩だが、10時半が限界。倒れ込むようにして布団に入る。関東時代に比べて確実に睡眠時間が増えいる。
12月15日(月曜日)
日曜日のページに、自分の行動について少し書いた。書いたもののどうもしっくり来ない部分があり、もう少し考えることにした。そうしたら、別の真実が持ち上がってきた、つまり僕の行動基準は何によって左右されるのかと言うテーマの解は、「そのときの気分」だった。これが一番しっくりくる。だから、時によって基準はぶれ、時々、自分は何処に向かっているのだろうと思うときもある。気分屋なんだ。今日はネパールからのお客様と少し話をする機会があった。ネパールというと、「山」ですね。押上山岳会のメンバーからも、ヒマラヤの事について大きな期待が寄せられているので、聞くことにした。彼曰く、ネパールは観光立国なので、受け入れの態勢はきちんとしている。登山は難しいがトレッキングなら、メールをもらえると、いつでも準備をしてあげると約束してくれた。ハンサムな男アシシさん。
12月14日(日曜日)
なんと目が覚めると9時前だった。やっぱり昨日は疲れていたんだろう。昨夜借りたインディージョーンズ・クリスタルスカルを早速返却。ここのツタヤは新作の貸し出しが1泊しか余裕がないのだ。見る時間がないが、とりあえずリッピングだ。昼は穏やかな日差しがあり、ゆっくりと本を読んで過ごした。昔のひなたぼっこ。ぽかぽかで気持ちがよい。年末商戦たけなわだが今日はウォッチングの気分ではない。食材は「スーパー玉出」が安いと聞く。ネットで探ると少し遠方だ。次回に。夕刻プールで2km。昨晩I氏のピースを吸ったので泳ぐのがつらかった。水泳とタバコは合わないのだ。
12月13日(土曜日)
それで、英語ばかりの世界は相当ストレスが溜まるかと言えば、そうではない。また、知らない人ばかりだが余り関係ないようだった。もともと鈍感だろうか。それとも、自分でこの世界に飛び込んだ根底があるからだろうか、それとも、もともと、知らない世界に飛び込んでいくのが好きだったんだろうか。そういえば、今から三十数年前、丁度この枚方に一人で乗り込んできた。心細かったが何とかなって、そして1年後、やはり自分の意志で早くも東京に脱出したのだ。ナカナカ変わった人である。研修は夕刻に終了した。中途半端な時間で、この興奮した気分はお酒しか収められないことは分かっていたので、I氏を呼び出し京橋で酒盛り。そういえば昼間食堂で、消息が取れなくなっていた太田氏にぱったりと出会った。いろんな人と巡り会っている。
12月12日(金曜日)
枚方社員研修所で幹部社員研修があるという。別に幹部ではないが、こういうときに限って仲間入りだ。講義は挨拶から全てが英語。討議の時間だけ日本語で、発表も英語。当たり前のことだが、全員がその能力を持っていた。そして僕だけがぽつんと浮いていたので大変。夕食の時間はビールが一人1本、少ないとは誰も言わない。その後ラウンジで、飲み放題だったのだ。僕は赤ワインを飲んだ、結構な味。意外とまともな酒をおいてあるではないか。場は盛り上がって相当飲んでいましたね。しかし僕は飲むとモノ忘れが早くなるので少しセーブして、いろいろな国の事情を聞くことにした。ロシアが大変だ。急転直下と言う感じだそうだ。カザフスタンの話もある。それって何処にあるの?てところから始まる。宿泊は会社の施設。きちんとしたビジネスホテルの上のクラスですね。もちろんズボンプレッサーまで完備。最新のドライヤーもある。TVは液晶デジタル。当然と言えば当然ですが。
12月11日(木曜日)
久しぶりに梅田の紀伊国屋書店へ出かける。ここにしか売ってない本があるからだ。ついでに、「インド厄介な経済大国」を捜したがなんと売り切れ、線路向こうの旭屋書店でやっと見つかった、残り三冊だという。。本来なら今頃はインドの最南端の街でビールでも飲んでいる時だが、例の爆弾騒ぎでこうしてここにいる。この本の人気を見るとインドは爆弾の事が無くても注目される国になっていたのだ。少し遅くなったので、関目駅前にある、関目食堂で夕食。この定食屋は結構人が入っているのである。昨日とは違う。
12月10日(水曜日)
えらい親しげな電話がかかってきて、夕方8時頃訪問するので、そこから打ち合わせをしないか?と言う。その人は、前の職場に居たS氏で、一緒に仕事をしたことは無く、挨拶程度の間柄だった。だが、お互い人脈のないところでの仕事時間を過ごしてきたので、今までのいろんな身の回りの話をして急に親しくなった。帰りは10時頃となったので、夕食の自炊はあきらめ関目駅前のラーメン店さんで。この店もせこい。ラーメンの器が他よりも小さい。量を減らしてコストを浮かそうという発想。大阪で急に増えた商法。そしてきっちり客はそれに反応してて、その店は繁盛してなかった(時間が時間だったが)。大阪の食いだおれ精神はもう霧散したのだろうか。
12月9日(火曜日)
英語の調子が良いので、覚える単語の数量を一気に20語程度に増やしてみた。そしたらなんぼ頑張っても10語以上は覚えきれんかった。覚えたつもりでも片方から消えてゆくんですね。そういう面では非常にしっかりとした頭の構造であることが分かりました。明日からまた元の分量に減らそう。夕食はハモの天ぷらと野菜を炒め。調味料を使わないので普通だと味気ないが、帰宅1時間の徒歩は空腹が募り、この程度の味でも十分食べられる。味覚が変わるのが怖いが、健康第一で。
12月8日(月曜日)
今朝は英語の調子が良くて、単語帳がすぅ〜と頭に入っていく。先週の苦戦はなんだったんだ?と言う感じ。昨日のインドのお菓子についてインド通のK氏に報告したら、本当のインド料理を食べたことがないだろう。と言うことになり、来週本格的なインド料理を食べに行こうとなった。北米担当の人も一緒だという。新職場では接する人がほとんどどこかの国について非常に詳しい人達ばかりで、僕はビールのことと食事のこと、危険度合いのことを中心に聞くようにしている。これで結構話が盛り上がる。インドのお菓子については他からも反応が返ってきてどうも小麦粉に問題があるとのことだった。マニュアルには全粒粉とあったが僕場合強力粉を使ったのだ。
12月7日(日曜日)
インドで簡単なレンジレンジのパーティーをすることを企画している。それであらかじめ用意したメニューが果たして旨く行くのかどうかが問題。そこで、実際に試してみることにした。全粒粉に塩とバターを混ぜたモノを焼くと言う非常に簡単な料理。スーパーに行くと全粒粉なるモノはない。仕方なく小麦粉を買った。これに、バターを少々いれて、レンジに入れるとほどよくバターが溶ける。それに水と塩を加えてよく練って、団子状態になったところでサランラップに移し、ラップの中で生地をこねる。コネ上がった生地をレンジで加熱してみたのだ。レンジは余裕を持って4分かけたら、なんと庫内からモクモクと煙が立ち上がった。失敗ですね。本にはフライパンで焼くと書いてあった。今度は、お皿に載せてサランラップに包み、それをレンジで加熱してみた。クッキーのように焼けたが、堅くて旨くない。結局残りの生地をフライパンで焼いたら、何とか口にできた。今回は失敗の巻きです。濱口優の無人島0円生活を思いだしましたね。まだ小麦粉が相当残っているので、他のメニューにも挑戦してみよう。夕刻プール2km。
12月6日(土曜日)
どうしても気になっていることを片付けないと今週は終わらない。と言うことで日本橋に出かけました。単三の電池ボックス12個分と、単三の充電電池12個。これでポータブルDVDを駆動させてみる。計算上では、単三の充電電池は2000mAある。一方付属のリチュームイオンバッテリーは2150mA。ほぼ同容量。つまり、映画1本分が可能となるはずであるが。もう一つは、朝の冷え込みがだんだんと本格的になってきて、部屋の温度も13℃となった。エアコンだけでは厳しいモノがあるため、電気絨毯を買おうとした。丁度昼時だったので、うどんでも食べよう。日本橋角の「なか卯」のうどん屋さんは行列。そうだ、今日は一年のウチで一番のかき入れ時なんだ。確かもう一件うどん屋さんがあったはずだが、捜すとありました。「木津のうどん屋」ここは高級うどん。メニューは1550円から。僕は「シメジカレーうどん」を注文。隣の家族は「だし巻き卵」を注文した。さすが大阪ですね、旨い。このうどんにはたっぷりと牛肉が入っていて、しかも、大きなシメジにカレーがぴったり。1,050円だった。普段食事の料金を制限している私としてはとんだ出費となったが後悔はない。このうどんは相当重く、夕刻になっても腹が減らない。帰ってプール2.5km。これでやっと元の状態に戻った。夕食は、ブロッコリーと、鰹のたたき。タタキにはネギをたっぷりと刻んで、ニンニクを一玉すり下ろしきちんと土佐流にアレンジしていただいた。飯時の映像は「アップルシード」。これはアニメであるが、ストーリー建てが非常にはっきりしていて、映像がキレイで、人類とアンドロイドの共存の問題を倫理で問いかけるなど主張もしっかりとしている良い映画だった。監督はあのジョンウーだった。
12月5日(金曜日)
インドでは1996年12月6日のイスラム人が襲撃を受け、この報復テロを2008年12月6日に実施するという。なぜ、今年なのか不明。そのため、インドでは一気に厳戒態勢に突入。日本でも海外渡航命令が下され、当初予定していたインド行きは中止となった。インドは食事やホテル設備などいろいろと大変なようで10日間の出張は僕にとって耐えられるモノなのかどうか不安だったから、これは良かったも知れない。当初、行きの航空便は、タイを経由する旅程で組まれていたが、深夜便でもあり、シンガポール経由に変えた途端に、タイでデモ隊空港突入となった。危機一髪だった、など、インド行きは最初から暗雲が立ちこめていた。悪い知らせはもう一つ。仲間だったSさんの病気がよくないとのこと。それで、夜W氏に会いに行く。とりあえず訪問してみると言うことだった。年を取ると誰もが病気と知り合いになるのだが。
12月4日(木曜日)
続くモンである。今日はインドからお帰りのMさんの歓迎会に誘われた。インドにはこの店のような雰囲気の店がないらしく、「菊水の冷や」を相当飲まれていた。僕はダメージの大きな日本酒はできるだけ避けてビールで踏ん張った。この店は雰囲気があり、料理は旨かった。だが店の名前を思い出せない。今朝の徒歩通勤は大雨となり中止、このため万歩計が進まず、歩いて帰る決意だったが、京橋の「都うどん」さんの前を通りかかると、急にうどんモードとなり一杯食べる。と、もう歩く勇気は薄れ電車で帰ることに。今週は酒漬けで単語が頭に入らない、と言うか覚えた単語が抜けている。
12月3日(水曜日)
昨日は調子に乗って土佐鶴を飲んだので、朝がきつかった。昼までもうろうとしていると、今度は中村さんから夜のお誘い。まだ体調が完璧でなかったが、久しぶりなので、京橋駅前の「まいど」さんに出向く。他にもメンバーT、M、F氏(昔のオーディオの仲間ですね)がいて、話に花が咲いた。話をしながらどういう訳か頭の片隅で録りためたDVDの音楽を飛行機の中で見ることに思いが固まっていった。6時間という時間を飛行機の中でどう過ごすのか結構重要な問題になっていたのだ。音楽モノはデジタル放送なので、どうしてもポータブルのDVDプレーヤーでなければ見ることができない。かといって、これはDVD一枚分しか電池が持たない。予備のバッテリーを購入するには価格が高い。単三の充電電池の利用が一番だろう。それと、現実の話題が混乱してこの日にあったことが余り思い出せないでいる。
12月2日(火曜日)
かねてより計画していたファジー会を挙行した。一年半ぶりの会合だ。インド行きを控え片山さんに旅行鞄についてアドバイスを頂くのに丁度の機会だ。しかもタイミング良く、待ち合わせに渡辺さんが遅れて来るという。この時間を使って鞄の買い物をした。いかにもカーボンファイバーと言うデザインがあったが、容量が小さい。最終的には片山さんのアドバイスを受けて鍵穴のない協和の105リットルの「85−73633」という品番の鞄にした。ヨドバシカメラで買ったので10%のポイントがついた。他を物色してないのでこれが安いのか高いのか不明。懇親会は同じく8階の「魚まん」さんで。会話はなんだか僕ばかり話して渡辺さんが話し足りなかったようだ。来る会合は海外でと言うことになった。大変だったのは、あの大きな鞄を抱えて家まで歩くことだった。中身は入ってないがきつい。中身が詰まったときは最寄りの地下鉄利用と言うことか。
12月1日(月曜日)
いよいよ世界経済が急転直下悪化した。これが底ではない。実態はもっと悪く、数字の方が後から追いかけてきているのではないかと懸念する。11月の数字は思った以上に悪く、しかも世界同時のようだ。体力のない所、基盤の浅いところは直撃を受けて悪さの加減が半端ではないだろう。こんな時は何事も悲観的になって先が見えなくなる。だが、こんな時こそ一歩引いて見ることを心がけると、アイディアが浮かんでくることがある。僕の立場はどうやら、この視点が求められているような気がする、しかしアイデアは泉のごとく沸いてはこない、どちらかと言えばだんだんと枯れかかっている。年とともに枯れている。今日はインドの赴任から帰ってきた方といろいろ話す機会があった。特に食べ物方向で。僕の興味の的は、毎日カレーを食えるのか?だが、この方も毎日、日本食ばかり食っていたとのこと。この職場にはインド食擁護ファンは一人もいない。
11月30日(日曜日)
新聞の整理をしていると、今年のお正月の記事が出てきた。日経新聞の一面の記事は、ロシア人はルーブル高でサハリンでの食事が4、000円位のを食べているが、日本人は1,400円のトンカツを食っている。とシュミレーションがあった。今年の冒頭では今の景気を予測した人はいなかったようだ。今日の朝日新聞は、この危機の株価の損失は全世界で850兆円と見積もっている。ここから僕の推測だが、土地と住宅の損失が同額あるとすると、1年半くらいで回復すると予測するのは相当無理があるみたい。こんな楽観的な言葉を吐いている人の記事も残しておこう。そのときになってどう言うか楽しみだ。この建物は7階で、周りも7階だから、見通しがよい。それで太陽がでると、7時から4時まで、一部屋まるまる太陽が差し込んで、20℃を超える温度となる。あまりの気持ちの良さについ家を出るのがおっくうになり、こうして読み物ばかりして過ごしたのでした。
11月29日(土曜日)
インドのムンバイで起きたテロについてヘラルド紙で英文を読む。知らない単語、約50語程を抜き出して無理矢理日本語に落とし込んだ。正しい意味なのかどうかは不明だが、日本の新聞と比べ表現がリアル。取材力の違いがあるのだろうか。ムンバイは最近の呼び方で、昔のボンベイである。この西海岸沿いはイスラムの人口が多いとのこと。このインドに来週から行くことになっているが、出発できるのかどうか不明。インドでは10日間ほど滞在するので、当然ターミナル駅も経由する可能性がある。友人は腰に雑誌、胸に厚い手帳を入れて歩けと言う。北の方はスーツが着用できるが、南の方は暑くてそうはいかない。他にも問題がある。水と食事。3食カレーは食えないだろうとみんな言う。だから代わりとなる食事を持参する必要があるとのこと。インドはテロの他にも大変であるようだ。ここにハマル人がいると言うが、本当だろうか。まさかインドでこんなモンは喰えんだろう思うのが、「じゃこ」。昨日買ったミキサーで、じゃこのふりかけを作った。これを炊きたてのご飯に欠けて、その上から、少しだけお醤油を落とす。これが旨いのなんの。こんな淡泊なモノを喰っていると、人間も淡泊になってしまう。カレーを喰うインド人はねちっこいらしい。まずは逢ってからの話だが。(余り旨くない夕食、熱い皿を置く下敷きに、新聞や雑誌が活躍する)
11月28日(金曜日)
「日本橋でんでんタウン」にあるマルタン無線の常吉さんに電話をすると、注文のミキサーが届いているとのこと。会社の帰りに寄った。すると、ここに電話をしてみたらとメモ用紙を頂いた。電話をすると浜谷順子さんだった。彼女はもう定年されて5年あまりになるが、一緒に仕事をしているときは僕の事務処理のまずさをことごとく指摘し訂正してくれた恩義のある人だ。電話の声は元気そうだったので、今度お会いしてみよう。と言うことで電話を切った。その後常吉さんとお好みで一杯と言うことになった。難波花月を黒門市場方向に回ったところにある店で、ここも個室。金曜日のゴールデンタイムなのに予約なしでOK。あいにくとこの店は自分で焼くシステム。僕はよく分からないので常吉さんにお願いした。近況を伺うと韓国映画に凝っているとのこと。ドラマに凝ると、抜け出せないという。悪役がキレイなのも良いとのこと。
11月27日(木曜日)
調べ物があるので、梅田の街をぶらつくことにした。その前に末広町にある、取引先を訪問した。ここには、友人のK氏が居て、近況を伺った。経済危機がそこまで忍び寄っていて市場が見通せなくなっていると話していた。しかし、来月は年間最大の商戦であるし、そこそこ踏んでいるとのこと。Kさんらしい強気。大阪は昔仕事をしていたので、他にも多くの懐かしい顔がある。H氏は今回僕の相談に乗ってくれた。仕事では一端切れたが、きちんと対応してくれた。人との関係は大事にしておくべき事だと思いましたね。夕刻、天気予報の通り雨になった。徒歩の生活を組み立ててあり、帰り道で夕食の材料を買うことができず、今日は外食。関目食堂さんで680円のサンマ定食。
11月26日(水曜日)
昨日と調子は変わらないが、本日は昔一緒に昇格したメンバー同士が連絡を取り合い懇親会を開催することになっている。全く違う職種の人達で普段は顔を合わすこともない。会場は京橋コムズガーデンの中にある豆腐料理の店で開催された。ここは個室で静かに酒を飲める。健康にも良いモノばかりが出てきておじさんにとっては最適の店である。しかし味はまずい。本日の盛り上がりの話題はCSRについて。一言で言うと企業の社会的責任ですね。このために、優秀な人材をこの部門に配置している。その中のエピソードが聞けたのだ。また、私のように劇的に仕事を変わった人が6名中3人もいて、何で?と言うことになった。この会合はブランクが相当あったのでもっと頻繁に開催する方向で話が進んだ。(太陽の当たっている少し向こうに森が見えるが、その左に我が家がある。徒歩50分)
11月25日(火曜日)
風邪なのか腸炎なのか不明な病気を克服して、早速プールに駆けつけた文章を先日書いたが、なんと病気は克服できて無く、今朝から猛烈な鼻水が出ている。やはり病気はきちんと治すモノです。そんなことで、今日も早々に退散し、風呂に入って早々に寝ることにした。
11月24日(月曜日)
久しぶりにまとまった時間本を読んだ。ナカナカ自活していると本を読む暇がない。外は冷たい雨が降っているので丁度よかった。本はipsについて。液晶の構造ではなく、動物を司る細胞の元となる組織のこと。これを制御すると、クローン臓器ができるようだ。新聞で時々話題になるので、それはいったい何なのだと興味があったのだ。そして体調は完治し、プールでは本格的にスピードを上げて泳いだ。また、37mの潜水も確認でき、回復していることが証明された。生活も元に戻り、自炊でおいしく頂けるようになった。食事そのものは質素だが、食事の時に秘蔵の音楽モノ映像を流している。今日は布袋寅泰、奈良東大寺コンサートだ。布袋さんは暴力事件を起こしたとか、曰く付きだが、ギタープレイは見事。寺内たけしさんを彷彿とさせるようなプレイ。自炊が続いている理由にこうした贅沢な時を過ごすことができるのもその一つ。
11月23日(日曜日)
朝起きて、英語の単語帳を持って散歩をしながら単語を覚え込む(よく頑張ってるぞ)、ついでにコンビニで新聞を買う。日経と毎日。帰って新聞を開くと、朝日と毎日。あれぇ。頭が混乱している。朝飯に、昨日買った大根の葉っぱの部分を鰹節で炒めて食べる。これはイケました。酒を飲むときの肴にもOK。何より短時間で可能だ。午後、「咲くやこの花館」へ、暖まりに。熱帯の植物が咲き乱れ外の寒さを忘れる。カメラが暖まるまではしばらく休憩(レンズが曇っているため)。この建物の中に鳥がいる、なんと野鳥も管理しているのかと案内嬢に聞くと、勝手に住み着いている。今も、ここで実をついばんでいた、という。体の調子は昨日病院でもらった薬で回復したため、今日は鈍った体をほぐすため早速プールへ。2km。帰ってくるとご飯が炊きあがっていた。ご飯だけでも食べられるコンディションに仕上がっていて病気払いができたようだ。9時就寝
11月22日(土曜日)
新大阪にある健康管理を一手に引き受けている近畿健康管理センターに出向く。接客がすばらしい。こうしてニッチな仕事も専門化することで一つの業種として成り立っていくビジネスモデルをかいま見ましたね。そして、なんとバリウムを飲むときに、どんな味にしますか?と来た、イチゴ、レモン、バニラと5種類の味の中から選択しろと。ずいぶんと進化した。バリウムは量が減ったが濃くなった。それを受付の人に言うと、そうだ、重いでしょう。これが胃の中に入ると、重力で胃が変形するので、診察台は角度がずいぶんと傾くようになった。血の検査は痛くないようにと言うと、「チクッとするだけ」と返されたが本当に上手だった。検査後、十分な食事を取ってくださいと言う。バリウムを早く出すためにだ。と言うことは、この食事は捨てるようなモノ。と言うことで新大阪の駅構内にあるうどん屋さんに向かった。ここは前からあるが、なかなか旨いし安い。名古屋に住んでいる竹内さんが1976年頃に教えてくれた。僕の前で喰っている女性は東京からコンサートをめがけて今着いたばかりの2人組。うどんを食いながらそんな話をしていた。それほど有名。次は、病院。休みの間、調子が悪くなるとまずいので、とりあえず受診だ。京橋駅前にある協和医院さんで、えらい親切な対応だった。鳥インフルエンザの心配をしたが、たぶん大丈夫だろうと言うことだった。熱がないのが根拠だという。一安心。歩いて帰る途中、マンションの一角でトラックに満載した野菜を即売していた。聞くと一品150円だという。立派な大根を一つ買った。この大根を買おうと思ったのは葉っぱが青々としていたからだ。夕食はこの大根を魚と煮た。ほぼ一月自炊したが、材料を捨てたのはないから食い尽くしていることになる。食料品店で買い物をするときに余り目移りしないのが、余分に買い込まないポイントでしょうか。
11月21日(金曜日)
昨日と同じ調子。調子は悪いが腹は空く。しかも週末だ。と言うことで、蒲生4丁目交差点近くにあるお寿司屋さんへ。なかなか活気があり一度覗いてみようと思ったお店、だがマグロは黒っぽいし、握りがあまりにも小さい。新橋烏森口にある立ち食い寿司屋の一巻75円の握りよりも更に小さい。少しせこい感じのするお寿司屋さんだ。だが、明日は健康診断だから、無理をして喰う必要もなかったのだ。
11月20日(木曜日)
体の調子はいぜん好転せず非常に気分の悪いままの生活。たった4日間の海外生活でこれほど調子を狂わすと、来月のインドはどうなる事やら。体の調子と関係ない話2つ。一つは、景色。毎日絶景かなと思えるような景色を見ながら仕事をしている。時々すばらしい夕日に出会えるのでカメラを机の中に常設するようにした。もう一つ、体の調子は悪くとも一切停滞できないのは英語の単語を覚えること。朝覚えた単語は夕刻にはすっかり忘れ去っている。もう一度最初から。サイの河原で石積みをするような感じである。全ての時間を英語に振り向けてもほとんど進展してない。えらいこっちゃ。四面楚歌とはこのこと。しかしがんばるぞ。仲間の角川さんは、前立腺の病気で休養中、26日に手術。年を取ると病気が近づいてくる。
11月19日(水曜日)
腰痛は落ち着いた。今度は腹の調子が良くない。だが、今日は年休を取って家の売却の手続きを行うのだ。約束の10時ぎりぎりに枚方に到着。弁護士の説明を受けながら、次々と用紙に記入していく。売却は同じ会社の人だから、手続きの合間にはお互いの仕事の話で退屈はない。銀行で振り込み手続きを終了するとともに、ローン先に返済した旨連絡し、抵当證券の抹消手続きを行うため訪問しなければならない。妻が送ってくれた印鑑は、口座開設の時の印鑑とは違っていた。しかし弁護士はあわてず、他の手だてを銀行員に教えた。全ての作業が終わったのが午後2時前。結局家を買って5年間住んだ収支を計算すると、住んだ価値が1,000万円だとすると、2,000万円無駄に使ったという感じ。うどんを食って家に帰った。洗濯物とかアイロンがけとかいろいろ家事を行って夕刻8時過ぎに就寝。
11月18日(火曜日)
幾分回復した。一過性モノだろう。気分良く出勤したが、今度は猛烈な腰痛。昼から座っていられなくなる。どうしたことだろう。帰りは歩くことがかなわず電車で帰宅。夕食は駅前のラーメン店で。昨日うどんに今日ラーメン。食事を作る根気が失せた。ラーメンと熱燗を喰ったら、腰痛が更にひどくなった。寝る前に妻から電話があった、「体大丈夫?」「大丈夫でない」と答えた。風呂に浸かると腰痛は幾分らくになった。そしてこの寒さは何だろう。部屋の温度も16℃となった。エアコンだけではこの冬越せないかもしれない。ここは7階建ての7階で明るく見通しがよく気分がよい、しかし、寒いのだ。
11月17日(月曜日)
朝起きたら寒気がする。こんな体では仕事は無理だろうと、午前8時までもう一度寝たら少し良くなったので出勤した。日曜日の深夜便が効き過ぎたのだろう。今日は早めに退散して調子を整えよう、と言うことで定時に退散。夕食は作る気分になれず一度行ってみたかった黒田さんのお店、「そば亭」さんに行く。寒気がするので、熱燗とうどんを注文した。料理が来るまでTVを見ているとまたひき逃げだ、隣で酔っぱらっていたおじさんと一体どうなっているのだと話した。おじさんはもっと話したそうだったが、あいにくと今日は余り話せる気分でなかった。申し訳ない。女将さんが、熱燗の温度が丁度だと説明されてお酒をついでいただいた。なかなかひょうきんな女将さんだ。飲むとだんだんと関節も痛くなってきて早々に帰宅、明日大丈夫だろうか?と床につく。