
11月12日(日曜日)
朝起きると晴天だった。富士山が大きく見えたがもう真っ白だった。昨晩の雨は雪に変わったのだろう。植物園の写真の整理をしていた昼になってしまった。ここから3時間昼寝。まだ眠れそうだが、無理に起き出してプールへ。外の風は冷たく、手袋なしだと手がかじかんでしまった。寒くなってくるとプールは空いてくる。それで今日は50分で2km以上の記録を出そうと頑張ったが、2.1kmだった。30分くらい泳いだ後猛烈に疲れてきて速度が出なくなってしまった。こういうときに昔は無理が利いたが、今は体調任せだ。プールから上がると腕も足も脱力感がすごく、今週は移動が多かったので疲れていたんだと言うことを実感した。妻から娘の入学に40万円近くいる旨の話を聞かされた。いよいよ趣味の終演が近づいてきていると感じましたね。
11月11日(土曜日)
猛烈に腹が減っていて目覚めた。ホテルの隣の「なか卯」で鴨うどんを。電車に乗って五日市へ、ここでバスの待ち時間に、パンとコーヒーを。バスに乗って広島植物園に行き花の撮影を行うためだ。あいにくと雨だが何とかなるだろうと思っていると段々小降りになり、やがて会場に着きカメラを構える頃には雨がやんだ。この植物園はベゴニアとフクシアが凄い。日本一だ。しかし両方とも撮影が難しい。ベゴニアは植わっている位置が高いので、どんなアングルでも天井のガラスハウスの骨格が入るのだ。フクシアは鉢植え、どうしても鉢が階段状に展示されているので、背景にこの階段の鉄の骨格がはいるのだ。外は、まだまだ暑いが、木々は枯れ葉を落としていて秋を感じる。紅葉は目で見るのとカメラが見る風景とでは、どうも感じが違い、意外だったり平凡だったりする。注意して撮影ポイントを捜さなければならない。展望台では宮島が見えた。望遠で撮影した。午後は市内を散策し帰る。広島駅でさらにうどんを。移動は「県庁の星」を見ながら。県庁はリゾートマンションの建設に県民の声を活かそうとして、若手を中心に、民間企業に半年の研修として送り出す。その中で、満天堂へ派遣させられた織田祐司の挫折と奮起の物語。織田裕二がみんなとまとまっていくのは原作ではお弁当の競争だったが、映画では消防所からの指導に対応する部分に変わっていた。飛行機の中でこの物語は終わり。今度は、「クジラ島の少女」島に伝わる伝説は、クジラに乗って島に指導者が現れるという。その指導者を、おじいさんが村の男の子で捜すがなかなか見つからない。このおじいさんは、指導者は男で無ければならないと思いこんでいる。しかし、本当は孫娘が指導者の血を引いていたと言う話。
11月10日(金曜日)
更に朝1番の電車で広島に。駅でタクシー乗り場に向かって歩く。いつもは小型にするが、目の前に中型のゼロクラウンが止まっているではないか。大きな荷物持参でもあり、これに乗らない手はない。快適だ。運転手さんにガソリンなのか、ガスなのか聞くと、ガソリンだという。それでも年金もあり、月収は20万円にもなる。6万円のガソリン代を払ってもタクシーをやっていけると話してくれた。幸せな人もいるのだ。広島の会議を終えて、商談と懇親会へ。長いこと営業をやっていたので西日本には知り合いが多い。得意先のIさんと、仕事混じりの懇親を行った。広島は有名な牡蠣の本場で、設定してくれた場所は、街から少し離れた静かな通りにある店。鍋と、焼きが出てきた。焼きについては慎重に撮影した。湯気でレンズが曇らない程度に近づいて撮影。解散後少し歩き、タクシーでホテルへ。ところが、このホテルは予約のホテルとは違うと言う、もう一つの姉妹店だと。姉妹店は電車通りを隔てた5分ばかりのところにあると言う。仕方なく、重い荷物を持って移動した。そうして部屋に入って窓を開けると、そのタイミングで豪雨。先週もこれと同じようなことがあった。
11月9日(木曜日)
朝一番に名古屋〜東京へ。東京で会議があるため。今日は何故か腹が減って仕方ない。昼飯を思い切って食ったがどうも満腹感がない。会場は都内の有名な所。会場に向かう途中でパンでもかじりたい気分だったが仲間がいるので涙を忍んだ。それと、会議の後の懇親の場での食事はまずまずのものが出るので、そのためもあった。会議の合間に庭を散歩した。なかなかいい風景がある。あいにくとカメラ一式を駅のコインロッカーに預けていたので、携帯電話で撮影。この庭は明治の有名な政治家が私費を投じて作り上げたと言われる。都内にはこうした公園が他にもあり心がいやされる。懇親会の途中で抜け出して最終の新幹線で岡山へ。本当は広島に行きたいが、広島はホテルが一杯なので、手前の岡山泊。今度は「ダビンチコード」。原作を読んだこともあり、心の中にある映像と、DVDの映像がオーバーラップする。長時間のDVD視聴のため、PCのバッテリーは2本持参したので安心だ。岡山に着いて、ホテルの場所を電話で聞くが、さっぱり要領を得ない、何故かと言えば、この人は固有名詞と方角で話すからだ。まず、何とかビルを知らないし、深夜なのに、西とか東と言われても解らない。右と左で答えてくれといっても通じなかった。しかし4,500円。缶ビール付きだったので文句も言えない。
11月8日(水曜日)
今日はユックリ出来る。夕刻約束してあったHi氏と懇親の場へ。待ち合わせ場所がウォッチマン。しかし、この店は先月末移転して場所が変わっていた。さてどちらの場所だろう。と考える時もなく目的の人が現れた。連れて行ってもらった店は、玄関が一階でフロントが二階、座敷が一階と言う変わった店。全てが個室。名古屋名物、ミソ関係の食事を頂くことに。今日の話は、世間の事情を知るためだ。いつも同じ人と酒を飲むのは楽しいが、新しい話題には乏しい。こうして行った先で話をするのは見聞が広がりますね。と、言うことでビール2杯で3時間に及ぶ長話をしてしまったのである。豪華な作りとは裏腹に料金は@3,000エンだった。東京ではその倍はしますね。
11月7日(火曜日)
今日から5日間出張だ。だから電車通勤。久しぶりに日比谷公園を通る。菊の展覧会が催されている。落ち葉も地面を埋め尽くすようになり、段々と秋が深まっていることが解る。が、どうもそんな体感温度ではなさそう。まだシャツで歩いている人が多い。今週は撮影の準備をしていたので、この公園で少し撮影。夜はかねてから約束してあった他の職場の女性と、わがメンバーの女性を引き合わせ懇親した。いつの間にかおじさん度が高まり、こうした会合にも緊張が無くなりマイペースの酒をのんでいた。午後10時の新幹線で名古屋へ。日付が変わる頃にホテルへ。このつらい移動のため、DVDをたっぷり持ってきた。まずは「ホテルルワンダ」アフリカのルワンダの混乱の中で、ホテルの宿泊客を守ったホテルマンの話。最初ウツとフツ軍の違いがわからず、なかなか映画の中に入っていけなかった。酒のせいもあるが。
11月6日(月曜日)
昨日はプールで3km泳いだのに全く眠れなかった。ただ布団の中で横たわっているだけだったのに、今朝はそんなに疲れているわけでもなく、眠くもない。ここ最近身体の調子が妙に良すぎるのだ。体力が10年ほど若返ったような感なのだ。明らかにおかしい。自転車でいつももの本八幡駅へ。通勤には「若者は何故3年で辞めるのか」を読んでいった。ミスマッチでは説明出来ない根底にあるものがある。と言う事例が出てくる。社会の仕組みが変わった。と言うのが結論だが、もう一つ表現出来てないものがあるのではなかろうか。もっと人間の根底に潜むものみたいなものだ。人間が平和に慣れて世代交代していくと、集団としての人間という動物はこの様に行動するみたいなもの。例えばワーキングプアはアメリカで始まり、日本にもそのブームがじわじわと訪れている、この様な現象に対する回答があるはずだ。と思う。
11月5日(日曜日)
ブルーオーシャン戦略と言う本を読んだ。寡占化した競争下の中でいかに非価格競争帯に移行できるかを、戦略と事例を用いて描いた本。戦略の部分はあまり理解できなかったが、事例はおもしろくは意見できる。その後プールへ。左脇がかゆいのでプールの鏡で眺めてみると黒く腫れている。それはおいといて、僕には脇毛がほとんどないことに気がついた。昔は確かにあった。なぜか考えている間に気がついた。泳いでいるうちにすり切れたのだ。先週から3km泳いでいるが、今週も3km。こうした長い間、両手を回しているとすり切れるのだろう。帰り道農家のおばさんがブロッコリーを売っていたので買った。それを早速ゆでて食べると旨いのなんの。とりとめのない一日だった。
11月4日(土曜日)
昨晩は久しぶりの日本酒を飲んだ。呑みながらアイスエイジ2を見た。アイスエイジは実は主人公でなく、物語のイメージ役みたいな存在。主人公はマンモスと虎とナマケモノ。そのため朝起きてから頭が重く、出かけようにも体が動かなかった。10時半、二度目の起床でやっとエンジンがかかり、豊島区にある六義園と旧古河邸に出かけることにした。Fさんの紹介で一度は訪問してみたい場所だった。上野で山手線に乗り換えて巣鴨下車。巣鴨は老人の駅だから、この駅だけはどこにエスカレーターが設置してあるのかアナウンスしている。六義園の第一印象は、高松の栗林公園似ている。都心にこうした緑の森があるのはありがたい。多くの人たちはお弁当を持参して食べていた。こうした園は持ち込みについての規制がまちまちなので注意しなければならない。午後2時、腹が減ってきた、「小松庵」さんでソバを注文。そば屋さんでは日本酒を飲むのがしきたりだが、まだ今日は先が長いので断念。旧古川邸は見事なバラ園が広がっていて、しばし撮影に没頭。ここは古川邸の建物が背景になるのでバラの写真が冴える。少し疲れたので、園内で営業をしている「お茶屋」さん@500円を訪ねる。この玄関を入ったとたん、豪雨。僕は雨に遭わない運がつきまとっているが、今日こそはあまりの偶然に驚く。お茶は毛氈の上に正座をして頂く本格的なお茶だった。しきたりを知らず、ただ雨音に精神を集中し心の平静を保った(東京のおばさんは気取り屋が多いので大変だ)。その後秋葉原へ。秋葉原はどうしてか落ち着く。駅前で歌のパフォーマンスを繰り広げているので、ビデオで撮影。彼女達は踊りも兼ねているのでカメラで追いかけるのが大変。
11月3日(金曜日)
9時から2冊目のレポートに取りかかる。今週は日中ほとんど事務ができなかったのでその作業が残っているのだ。幸いに現在では机を電源があればどこでも開店できる。駅の待合室なんか気が散らないので事務所より効率が高いこともある。時代は変わった。午前中一杯、昨日までのことを引きずってやっと終えた。これから休暇開始。まずは稲見海岸の植物園へ。気分を沈めるためには花の写真を撮影するのが一番。花の博物館バス停で下りると、入り口から菊展が開催されていた。今年本格的な菊にお目にかかってないので丁度良かった。大輪の傷の入ってない菊を納めた。黄色をやや薄くしたような新種の色具合に感動した。が、この色を果たして再現できるかな?この植物園に併設されているレストランは秀逸だ。日本の植物園の中で最高の料理を出す。間違いない。いつもは30分待ちだが午後3時だとストレートに入ることができた。生牡蠣とワインのセット1.365円を注文した。ワイングラスとボトルを持ってきたお姉さんは、まだ少し残っているボトルを置いていってくれた。気前がよい。グラスに1杯半あった。いやしいとは思いつつ感謝。その後、稲見駅のイタリアレストランで本格的な昼食。「かわはぎのカルパッチョ」「鮭のパスタ」をいただく。初冬の淡い夕陽の残光と室内照明とのミックスで料理の色が格別冴えを見せた。ちょっと上品な物を食ったので腹が満足しない。駅でパンをかじりながら不足を満たした。
11月2日(木曜日)
日光へ自転車旅行に行こうと計画していたが、連日9時頃の帰宅と、今週のレポート2本がまだ完成してない。と言うことで、計画は断念せざるを得ない。日中時間を切りつめてこのレポートに取り組むがめどが立たない。9時は限界だ。これ以上ここで踏ん張っても進展はしない。結局自宅に帰り、11時から始める、夜も更けてやっと1本目が完成。メールして終了。週末に酒も飲まず、せっせと文章を書いたのは久しぶりだ。日付はとうに変わっていた。
11月1日(水曜日)
会社を定年退職したMiさんの感動物語の短編集をいただいたままになっていたので、帰りの電車で読んだら、涙が出てきて少し恥ずかしい思いをした。A4サイズの紙に2編の物語があるほどの短編なので馬鹿にしていたが、いやいやどうして。これほど心が豊かになる物語は最近お目にかかったことがない。申し訳ないがコピーしてみんなに配布してしまった。
10月31日(火曜日)
これまでさんざん馬鹿だと言ってきた息子だが、遅く帰るとまだ起きていて、このテストの成績について話し始めた。200人中16位を獲得したというのだ。僕自身これほどのランク入りをしたことがないので、負けてしまったのかもしれない。彼は土日はほぼ一日野球をしているし、平日も野球の練習をしてからの帰宅だから、どうやりくりしているのだろうか。昔ポケモンのカードゲームが強かったので記憶力でしのいでいるのだろうか。娘の方は結構勉強をして、下のクラスの成績だから、何となく理解できる。子供が少し遠くなった気がする。
写真は見事な朝日の出に見送られての出勤だ。自転車を止めてしばし撮影。
10月30日(月曜日)
本日のネタは先週の昼食の続き。昼食シリーズは先週で終わりにするつもりだったが、とびっきりのニュースがあるため特別掲載とした。ネタ元はベジタリアン。東京は人口が多いのでニッチな商売でもやっていける。昨年はよく通った昼食屋に「口福(こうふく)」さんがあった。しかし、いつの間にか閉店した。その後にできた店が件の「東京ベジタ」さん。持ち帰り弁当屋さんだが、弁当の中身は自分で選択する。まず、ご飯。紙コップに自由に詰め込んでよろしい。150円だ。別の容器にはお皿に盛ってあるお総菜を自由にバイキング方式で詰め合わせる。これは重量で値段が決まる。g=一円だ。と言うことで、野菜ばかりのお総菜をパックに詰め込んだ。野菜なので少々多めに取らないと腹が減るぞ。普段食べない豆類や芋類を多めにした。精算のレジを見ると、なんと!!!。1,350円だ。これに、お茶を自販機で買って150円。占めて1,500円の昼食だ。これには驚いた。ま、仕方ない、これも話題のうちだ。近くの公園で弁当を開いた。だが、野菜ばかりとはいえ、味付けがバラエティーでなかなかいけるではないか。価格のこともあるのでいつも利用できないが、たまには利用しても良いかと思った。
10月29日(日曜日)
この娘の一番すてきな写真が撮れるのはお父さんだけだ。これに近いキャッチコピーが新聞で掲載された。言い得て妙だと思いましたね。娘は今日友達と「船橋ららぽーと」へ出かけるのだ。そのときの洋服は今まで見たことがなかったのでちょっと撮影させてもらった。一方息子の方はニンテンドーのDSを買い、頭のトレーニングを始めた。トレーニングの結果、年齢が80歳とでている。馬鹿だから頭のトレーニングをしても仕方ないのに。僕の方はマクドでポテトとコーラーの昼食の後図書館で読書。「トヨタレクサス惨敗」と何とも衝撃的なタイトルだ。このレクサス店は日本のレクサスでアメリカのことではない。この書籍を貫いている原点は、レクサスは良い品を販売するだけに終始している。消費財社会からそろそろホスピタリティへと移行しなければならない。と言うのだ。平易に言うと、商品に文化が伴ってないとだめですよ。ふむふむ。少し速く読み終えたので、プールへ。1時間半、3km。少しやりすぎかな。
10月28日(土曜日)
昨晩の食事がそっくり残っている、不機嫌な女房の前でそれを朝食べた。そしたら猛烈な腹痛。無理はするなという警告なんでしょうね。昨晩酔った勢いで借りたDVDのコピー。それから、レンタルを返すがてら上野の山へ。上野ではエルミタージュ美術観が来日しているのだ。いつもの本八幡から京成で上野へ。東京都美術館へ。ところが、上野公園を歩くと、ずっと手前にある「上野の森美術館」で「ダリ回顧展」を開催していた。ものすごい行列だったので、当初の目的は断念こちらに入ることにした。音楽も映画も好きだが、どうしても絵だけは理解できなかった。しかし、カメラにのめり込むようになって、構図や色遣いや、背景などをカメラ視点で突き詰めていくうちに、街のポスターや新聞の掲載写真などが気になりだし、とうとう絵に到達するようになったのだ。そしてダリ。ダリは晩年にはコンピューターグラフィックで描くような抽象的な絵を描いている。その中で、たとえば「奇妙な廃墟の中で自らの影の上を心配でふさぎがちに歩き回る、妊婦に形を変えるナポレオンの鼻」と言うとても長いタイトルの作品は、5分くらい見つめなければ、妊婦が見えてこないのです。作品中央にあるナポレオンの鼻が、見方を変えると妊婦になるのです。この前後の作品以降は、ただ漠然と絵を見るだけでなく、角度を変え目線を変えて鑑賞しなければ見えてこない物がある。作品ごとに堅くなった頭はフル回転。建物を出る頃は、あまりに物人混みもあり疲れ果ててしまった。しかし、僕にとってはものすごいインパクトだった。
10月27日(金曜日)
自転車通勤。道を間違ったが普段通りに到着。普段の電車通勤に喫茶店に昼飯、これを全部足すと2,300円くらい。ところがきょうのように自転車に、マクドナルドのコーヒーに昼飯は食料品店の弁当、公園で昼飯だと850円。3倍もの差がでてくる。この差は大きいぞ。午後5時まで、今週はほぼ計画通りに事を運んだ、この後も週末の休みも計画通りと思いきや、大先輩のTさんから電話。今東京にいるので食事に行こうと誘われた。あまりにもクラスの違う先輩なのですべての予定をキャンセルしておつきあいに切り替えた。行き先は築地の寿司屋「江戸銀」さん。築地の老舗。Tさんは幼少の頃からこの店に出入りしていたそうだ。店の娘の案内を振り切って、大将の居るカウンターへ直行。店の娘がおろおろ。江戸っ子の酒の飲み方を教えてもらった。一合の酒瓶を自分の分は、自分でおちょこについで手酌で呑む。人に注ぐのは作法と違う。したたか酔ったが自転車で来ているのだ、いったん浜松町まで戻りそこから自転車で2時間かけて戻った。酔っぱらっていると鈍くなっているので、できるだけ歩道を走った。途中検問が3カ所くらい。最近は自転車だけの検問もある。だいたいがライトですね。
10月26日(木曜日)
晴れ、自転車通勤が頭に浮かんだが、帰りが遅くなるので断念。今日も1冊読み上げた。大体通勤時間と喫茶店で3時間ぐらいの時間がある。この間に読んでいる。今日の昼飯は魚釣り料理人の店、だが魚は築地製だろうと思う。この店は過去何度か来たことがあるがずいぶん久しぶり。米の量が多い。地下にあるので、普通の人にはわかりにくい。少し圧迫感がある。昨日と今日、腹ごなしの散歩で、やっと明日の昼食の店が見つかった。足を伸ばすとほんの5分で日常見なれたビジネス街の風景が一変した。この僅差の努力は結構つかえますね。毎日大飯を食っていたら体に飯が詰まってきた。できるだけ階段を歩き万歩計は18,000歩。
10月25日(水曜日)
やっと雨も上がり、本八幡まで自転車。雨雲が切れ少し青空が覗いた微妙な天気。通勤時間と喫茶店の読書で今日で2冊目を読み上げる。今日の昼飯は昨日と同じ店でもう一つの雄、「海鮮丼」を注文。握りとこの丼は店が同じでも食わなければならない使命感に燃えていたのだ。この丼は実に具が多く飯も詰め込まれていて、食うのがやっとだった。近年これだけ無理して食ったことがない。それだけの味だった。腹ごなしのために散歩を兼ねて近辺をぶらつく。東京の昼飯代は、850円〜1,000円くらいが相場ですね。大阪がそれより100円位安い。他の街はもう50円位安い。
10月24日(火曜日)
今日も雨。毎日自分の時間は同じことの繰り返しの中でいかに差異を見つけ出し書き留めるかは、毎日書いていると本当に書くことが無くなってくる。いわゆる枯渇と言うやつですね。それでも書くのは、もしこの習慣をやめた時、なかなか元に戻せないではないかと不安があるためだ。そこで、今週は昼食の話題について、昼食は仲間同士そろって行くことが多いが、どうも仲間は同じ店に行こうとする傾向がある。だいたい5つくらいの店を回しているのだ。僕は人生最大の楽しみをこうした食べる前から、食事が読める店で費やしたくないのだ。そこで、今日は仲間と外れて、「宇多田」さんへ行くことにした。お寿司屋さんだ。築地が近いのでこの辺りは旨い魚が上がる。1.8人前の握り1,000円は真に価値あるお値段で満足。毎日違う店で違うメニューを食いたいと強く思うようになった。
10月23日(月曜日)
いつものことだが月曜日は昨日のプールの疲れでしんどい。階段も上がれない程度だ。それで、本八幡駅まで自転車で頑張ると、そこから座っていける=寝ていける。これを週課としていたが、あいにくの雨でそれもかなわず、厳しい電車通勤だ。読書は「踊る大捜査線に学ぶ組織論入門」を読む。topになれないサラリーマンが中程度の職場の組織論を云々するには格好の良書と言うことで、広く読まれているらしい。6回も版を重ねている。朝から読み始めて帰りの電車でほぼ読み上げた。中でもモチベーションを高く保つ方法して、「見通しが良い」。項目に引っかかった。九州のNさんのお父さんが亡くなった知らせ。Fさんと連絡を取り、現地のMさんにお包みを依頼する。彼はご不幸が続いている。帰ると高知のKさんから新高梨が届いていた。高知のこの梨は価値ある梨だ。この大きさに惹かれる。娘を説き伏せてパチリ。こんな格好で平気なのは気分がまだ小学生なのだ。
10月22日(日曜日)
よく眠れる。朝9時15分起床。遅起きの娘よりもよく寝た。食事の後カメラを持って近所を散歩。秋の気配が少しずつだが忍び寄ってきている。今日の写真は秋がテーマだ。公園では小学生の女の子が小川の泥をすくって何かを探していた。聞くと警戒心あらわに「ザリガニ」と。いろいろ事件が多いので、子供にも簡単に声をかけられない。公園を通り越してヨーカ堂の中にあるミスタードーナツで休憩。電気屋さんでもらったカタログを読んでいたらコーヒーのお代わりがある。知らなかったなぁ。今日持って行った知り尽くしたはずのカメラにも新発見があるし、普段利用しているこうしたファーストフードでも知らないことがある。もっとゆっくりと街を歩けばもっと発見があるだろう。僕は急いで通り過ぎている。昼から3時まで昼寝。よく眠れるのだ。3時から水泳。水泳では紫のパンツのおじさんに追いまくられた。このプールで、この時間帯に連続高速で泳ぐ人は僕をおいていないから、今日は新たなライバル登場だ。笛がなって休憩の合図で泳ぐのをやめたとき、体から汗がしたたり落ちた。それほどハイピッチで泳いだのだ。
10月21日(土曜日)
名古屋の喫茶店は全国の中でもとりわけモーニングが豪華だ。この競争のため全国チェーンの喫茶店もここではいくぶん鳴りをひそめている。コンビニで買った新聞を読みながら地元資本の喫茶店でパンとコーヒーを。今日の仕事は店頭での販売応援だ。お客さんが多ければこれほどは楽しいものはない。昼飯も、近くの喫茶店でランチメニューを。700円でコーヒー付き。名古屋市内では、朝だけでなく昼も過当競争になっているようだ。この店は一家挙げての総力戦で戦っている。浜崎あゆみに似た娘が給仕、父と母が調理。近所の身体障害者を従業員に。トイレは、靴を抜いでご家庭のものと共用。厳しい現実を見ましたね。名古屋の味は濃いのが特徴。フライ物があったので、お醤油をかけようとすると詰まっていた。だれも醤油は使わないのだ。そこでソースをかけると無事開通。名古屋のソースは独特。大手ソースメーカーも名古屋特別仕立てを出荷しているとのこと。午後7時の新幹線で帰る。そのため、小腹を満たすにコンビニでおにぎりと飲み物。新聞ではコンビニも前年を3%程度割る厳しさの報道。どこも厳しいですね。
10月20日(金曜日)
昨晩日本酒「八海山」を飲んだ影響で、夜中の3時に目が覚めそれ以降眠れず、レポートを書いた。5時半に出発して、昨晩歩いた阪急東通り商店街を通って梅田駅に向かう。昨晩とは違う人種がいる。9時東京。昼間事務所で仕事をして、午後7時前の新幹線で名古屋へ、電車の中でウエストゲートパークの続きを見る。目の疲れるようなカメラ使いで見るだけでもコチラが疲れてくる。TVのカメラマンももう少し人間工学を勉強しなくてはならない。そうして日本のカメラ技術が上がらない限り、世界の舞台で戦える映画制作ができない。映画に於いてはアジアが力をつけてきているので、日本はこの世界でも置いてきぼりを食うことになる。3日続けて酒を飲んだので、今晩はコンビニ弁当。続いて中国映画「スピリット」を見る。この主人公ジェット・リーさんは見たことがある。「英雄=ヒーロー」で主演していた。ネットで検索すると、武勇が得意で、ニクソン大統領にも演技を披露したとか。その上、日本の対戦相手が、中村獅童さんで、この人は、「男達の大和」で軍曹役を演じて、あくの強い個性を発揮していた。今回も同様にあくの強い演技でこの映画をもり立てていた。もう一本、BS放送で録画した映画「ビクタービクトリア」を。古い映画だが、ぐいぐい引き込まれていく。主演のジュリーアンドリュースが魅力的だった。まだ、映画で歌っていた。
10月19日(木曜日)
大阪でさわやかな目覚め。東京に比べて大阪は幾分気温が高く、ワイシャツ一枚で十分だ。今年の紅葉は例年に比べて一週間程度遅いと報道されたが、多分その通りだろうと思わせる気温。会議の後、大日に完成した、西日本最大のショッピングタワーを覗いた。コレはでかい。そして楽しい。食料品売り場は相当混み合っていたが、それだけの魅力がある。梅田、阪神百貨店のデパ地下の雰囲気。今からずっと前、入社したての頃、自転車で千林商店街に出くわし、ものすごい人波で、その商店街を横切ることができなかった思い出がある。あの活気を彷彿とさせるようなこの新しい街は賑わいだった。このミニタウンを取り囲むようにして、高層マンションが何棟も建設中だ。衣食住のショッピングにプラスして、複合映画館がある。近くに電車2本の駅。コレによるフキンの商売上の影響は大。先ほどの千林や、土井の商店街は、ほぼ絶滅するだろう。夜、梅田にある阪急東通り商店街を歩いた。ここは、郊外のミニタウンではできないような歓楽街で、違う面の魅力がありにぎわっている。中古本屋を物色すると、カメラの撮影方法の書籍が200円で販売されていた。早速購入して読んだ。昭和56年の本だが、カメラの撮影基本は今も昔も変わらないので全く問題がない。
10月18日(水曜日)
今日はスケジュールが満杯。寸分の猶予もない。その間に横浜まで出かける予定を立てていたがこれは断念。3つめの会議を終了して午後7時半の飛行機で大阪に出かけた。最終便は時間変更が多く信頼出来ないが今回は無事到着。9時半大阪梅田に到着し、最後の仕上げとして、取引先と懇親。今日はそれぞれ逢う人ごとにテーマが違い頭の切り替えが必要だった。だが冷静に今日の出来事を反省してみると、僕が最年長者だった。もうこんなに年輪を重ねたんだという感慨を深くしましたね。ホテルは南森町に新しくできた東横イン。5階の部屋を頂いたが、何と、5階の高さは隣を走る阪神高速道路と同じ高さ。窓の横を車が走っている。少し心配したが現在の防音技術ではほぼ完全に振動も騒音もカットできて安心した。今日出かける時、DVDソフトの担当者から「池袋ウエストゲートパーク1、2、3」の3巻を借りてきた。石田衣良氏の作品だ。書籍では楽しく読んだので、キットTVのドラマ化もいけるだろうと踏んでいたが書籍ほどの物語性が演出出来てない。都会の現代人情物語がこのストーリーの心髄だと思っていたが、どうもTVドラマではパロディー風にちゃかされているのだ。
10月17日(火曜日)
今日は健康診断の日。昨晩午後9時までに食事を終えなさい、それ以降の飲み物は厳禁です。と注意書きがあったので、自転車を預けたまま電車で帰宅した。毎日昼食には高度なテクニックを要求される。食事の量が少ないと帰り着くまで持たなくて、途中でパンをかじったりビールを飲んだりしてしまう。食事の量をある程度摂取すると帰りの自転車に乗るパワーも残っている。ところが今日は帰りの自転車を前提とした昼食を摂取して電車で帰ったので、まだ腹がふくれたままの夕食となったのだ。こういう状態で明日検査を受けると必ず禍根を残すような結果となるのだ。年齢を重ね、検査には細心の注意を払って臨まないと正しいデーターがでなくなったのだ。昨年の検査と比べて進化を発見したのは、バリュームの量が100ccに減ったのだ。検査の人に聞くと、最新の医療機器は少ない量で検査できるように発達したのだという。帰りの電車で何気なく車内広告を見ると、胃カメラを鼻から挿入できる装置を導入した病院が掲載されていた。口からでも厳しいが、なぜ鼻なのかについては触れてないが、きっとこの方が楽なのだろう。
10月16日(月曜日)
先週のニュースで衝撃的だったのは、北朝鮮の核実験と同じ程度で地球を揺るがす事件があった。グーグルの「ユーチューブ」買収だ。まだ、日本の皆様は大きな事件だと感じてないようだが、きっとあと3年後にはグーグルは、映像コンテンツ配信やデジタル倉庫業としての存在が大きくなり、またもや日本のマスコミは大きなビジネスチャンスをさらわれたと大騒ぎするだろうと思われる。マスコミは先見の明がないから、こうした時代の萌芽を見過ごしてしまう。そこでだ、書店を覗くとPCやネット関連の書籍では、先ほどの動画コンテンツをいかに加工する(自分の使えるファイル形式に変換)のかという特集記事で満載だ。特に、端末にアイポッドとプレイステーションを使うのが定番のようだ。そのような雑誌を3冊も買ってしまった。時代に遅れないよう、これから解析だ。
10月15日(日曜日)
昨晩は太ももが痛くて横向きに寝ることができなかった。朝になってもまだ幾分か痛みが残っている。山の下りを走り下りたため、太ももに負担がかかったのだろう。休憩を入れても地図の時間よりも30分あまり速い時間で下ったのだから。それで、今日は本を読む予定だったが、いすに座っての読書は無理だから、布団に横になったスタイル。しかしこれは問題がある。すぐに眠ってしまうのだ。今読んでいる本は、非情にインパクトが強く、この本に関する感想はいつか書かなければならないと思う。結局最後まで読み上げずにプールへ。出かけるときGパンを穿いたが、太ももの部分はパンパンで足が通しにくかった。足が腫れている。(それとも筋肉)プールは全く普通に2km泳げた。
10月14日(土曜日)
ところが、今日は一転して、太ももが痛く階段を下りられない。昨日は相当がんばったので足の方が悲鳴を上げているのだ。この建物から一歩も外に出ずに過ごす。昨日の写真を整理してDVDに保存。3つのカメラでバラバラに撮影したこともあり、できれば時刻順に写真が並び替えられれば良い。そのソフトを探すのに午前中がつぶれた。写真にコメントを付けて整理したらおもしろいストーリーができそうだ。PCが写真の並び替えを行っているときに、映画「夕陽のガンマン」を観た。2時間を超す大作で一部忘れていた部分がある。音楽が心をかき立てるようなワクワク感がある。クリントイーストウッドの監督する映画はやりきれない部分があるが、このころはまだ俳優で安心してみられる。
10月13日(金曜日)
今日は年休を取り、せっかく会津にきたから、ここの一番名物、磐梯山に登ることに決めていた。朝5時40分起床。昨日の酒が効いて朝まで直行便で寝てしまった。猪苗代駅で下車、ここから猪苗代スキー場に向かってタクシーで1980円。地図によると、山頂まで3時間40分。7時40分にスタートした。スキー場のゲレンデを上っていく。3本のリフト分を上るのに1時間を要した。このスキー場の勾配は結構きついのだ。ここから、灌木の茂る森の中を歩んでいく。紅葉の盛りで、赤や黄色く色づいた葉っぱの間から磐梯山が覗く。この山は朝飯前だと思ったが、どうも腹が減ってしまい、赤植山の麓でコンビニ弁当(朝食)を食べる。よけいな荷物は持ってこないつもりでも食料と水と雨の用意が要るので、結構重い荷物を背負って来たが少し減った。ここの休憩ポイントから山頂を眺めると、人が居るのがかろうじて解る程度。出発してから2時間が経過していた。15分ばかりは平坦な山裾を回る道が続き、登り口からすれば裏の方に入った。地元の登頂されているご夫婦に追いつき、少々休憩。ここから、1時間で山頂に行けると声援をもらう。彼らも昔は私と同じルートで来ていたが、今では年とともにきつくなり、一番近いルートで登るんだと伺った。休憩なしで、ごしごしとよじ登る。桧原湖が見える尾根にでた。眼下にエメラルドグリーンの沼が森の中にあり、これが五色沼の一つだと(勘違い)し、写真に納めた。道中水の補給場所が2カ所もあり、1.5リットルの水は不要だった。結局3時間30分で登り切った。地図の時間通りである。
帰りは、桧原湖の方向。地図によると3時間の予定だ。走って降りた感じ。カメラは3台持参したが、途中でバッテリーが切れ3台目に、降りるに従って紅葉が復活し、自然の中の散策を楽しんだ。今回のルートは一番長いルートなので、道中で出会う人はなく、本当にひとりぼっちで長時間過ごしたのだ。頂上付近で見た五色沼と誤解した沼は「銅沼」(あかぬま)で、それは、それはきれいな沼で、しばらく撮影に専念した。沼の向こう側では蒸気を吹き上げて処があり、この山は活火山だと思いましたね。異様なにおいが時々風に乗ってくるのは、イオウのせいだったのだ。裏磐梯にある、高原駅に到着したのは、2時6分。出発してから2時間半。地図よりか幾分速い。
時間に余裕があったので、ここから五色沼を回ることにする。このコースをたどっても3時半のバスに間に合う。五色沼は19歳の春に一度来たことがある。そのころ東京の高円寺にある寮に住んでいて、職場は女ばかりだったので、妙に気が滅入って一人で旅行に出かけたのだ。まだ、新幹線などなく、上野から特急列車に乗って出かけた。朝、出かけたが到着したのは夕刻だった。その晩、どこで宿泊したかは記憶がない。朝方これほど良い天気はあり得ないほどだったが、夕刻は雲が出て、五色沼は一色沼に変貌していた。この沼コースも70分コースを60分に短縮して、3時半の路線バスに乗ることができた。バスは1時間に1本なのだ。このコースの終わりかけのところで、おばさんたちにいろいろ話かけられたが、必要最低限の返事にしたのが功を奏しバスに間に合った。
バスは猪苗代駅に向かっている。山を回り込むと、こちらは快晴だ。山の天候はごろごろ変わるが、南の方は安定していていたのだ。電車の待ち時間の間、DVDので「男たちの大和」の続きをみた。猪苗代〜郡山間は「ドミノ」を見た。郡山〜東京は「ミュンヘン」を見た。東京に着く頃には足の疲れは完全に回復していて、もう一山のぼれそうだった。
10月12日(木曜日)
今日は会津若松にきている。写真の撮影のためだ。まずは、昼食。「初瀬川ウメ記念館」でそばの食事。この店は、私たちの会社を定年された方が営んでいる店で、ソバだけの注文なのに、果物や、天ぷらやコーヒーなど、わんさと出てくる。そして、この店の奥様の趣味を見せて頂いたが、これは国宝級の腕前で、能の面を作ったり、江戸時代の地図(会津地方)を復元したり(調査に5年もかかった部分もあるとのこと)それは凄い方だった。ソバを食べながら、こちらの事情を伺うと、本当のソバの食べ方は、水ソバと言って、水にソバを浸けて食べるそうだ。味がないだろうと聞くが、いや、なかなかの味がするのだと言う。しかもお箸を使わないそうだ。何でソバをすくうかと言えば、ネギだそうだ。なぜ、ネギなのか?理由が書きにくい。
湯野上温泉駅の日本で唯一の茅葺きの駅舎を撮影に。撮影中に丁度「野口英雄」号の列車が入線し併せてそれも撮影。上下2本の列車が入ってきた。郷土の有名人を観光やブランドに利用するのはもっともはずれが少ないマーケティング手法だ。100枚程撮影したが、後でチェックすると、写真の醍醐味はやはり人のしぐさだと思いましたね。動かないものは写真の意味を知るのが難しい。ここでの撮影は、旅先のおばさんたちが、先ほどの野口英雄号の列車を一斉に見たシーンを納めたものだ。
次は、大内宿。昔の宿場町を温存した町並みだ。茅葺きの建物が500mに渡り続く。平日だというのに多くの人でにぎわっていた。ここ町並みの写真は、定番として一番上り詰めたところから、この町並みを撮影する方法だが、時間的にそこまで到達せず、逆方向の撮影となったのでベストショットの撮影ができなかった。人出は多いが店は暇らしく、店先の桟敷で店員がストレッチを行っていた。そこをパチリ。帰ってきてから調べるとこの宿場町はかなり有名だった。
明日は年休を取ったので、ここでもう一泊する。ホテルの隣にえらく繁盛している居酒屋がある。看板もなく、飲食街でもない。だが夕食はここに決めた。店名は「よしむら」さん。僕の入ったのは午後8時。その繁盛具合が異常で、みんなテーブルの上に一升瓶を置いて飲んでいる。隣の人に席を譲ってもらって着席だ。会津は酒が旨いと聞いてきたので、左隣の兄ちゃんに聞くと、「栄川」がお薦めだという。さらりとしてコクががかすかに感じられる。マスターは「花泉」だと言う。こちらも賞味。これは濃い。旨い。強烈だ。一杯だけだったら「花泉」でしょうね。右隣の別の兄ちゃんもいろんなことを話してくれた。この店は客同士でも十分に話が弾む店だ。少々飲み過ぎたが旨く酒が飲めた。最後にこの店のマスターや従業員さんの子供たちが集まっていたので、彼らをからかって写真を撮影。ここでも、子供たちの屈託のないはしゃぎようが楽しい写真となった。
10月11日(水曜日)
会津に移動だ。とにかく新幹線から乗り継ぎのある地方は時間がかかる。3時間の乗車だ。それで、東京駅にある大丸地下弁当街で中華風の弁当と、サラダのお総菜を買う。駅弁で済ますにはあまりにもわびしいためだ。道中は「男たちの大和」を見ていった。戦争映画はどうしても悲惨で涙が出てくる。しかし、斜め前に座った女の人があまりきれいな人ではないので、涙を流しながら見続けた。ホテルの隣にスパの興業施設があり、ただ券ももらったが、メール山積の中出かけてきたので、PCにかじりつく。
10月10日(火曜日)
どう考えても北朝鮮が核開発を終え実験できたとは思えない。姑息さではピカイチと言われる金正日総書記は核を偽装しているとしか思えない。世界でも最貧国に近い国が注目されるのは核をちらつかせる外交をしているからだ。もしそれがなければ、無視されている国だ。そんな面では北朝鮮外交は効力を発揮していると言える。この国の崩壊が近いと言われながらもよく持ちこたえられているのは、崩壊すると隣国の中国が難民で困るから支えているとも言われている。この国は失うものがないだけに、強い。己をよく知っている。世界から非難されている国だが、それで何も変わるわけはない。それだけ底辺を歩んでいるとも言える。しかしこれから、寒くなってくるので、国民はなけなしの木を伐採して冬に備えなければならないだろう。一度彼らの実態を覗いてみたいものだ。本当の姿を見れば手をさしのべてやりたくなるのだろうか?
10月9日(月曜日)
体が固まっていてきしみ音を出している。昨日の向かい風は堪えた。新聞を見ると、海難事故が多かった。時速30kmは出せる脚力を持っている自信があったのに、今回の風では何度も立ち止まったのだ。急峻な坂よりも厳しかったのだ。一日その風と戦ったから、海や山はいかほどばかりかと推測が着く。写真の整理を半日行って、近所の農家へ。昨日田舎の父は知人に手伝ってもらって米を収穫したそうだ。その近所の人=Tさんにお礼の梨を送るために出かけた。こちらの農家は台風がなく梨がずっと後まで収穫できると喜んでいた。梨を買ったのに、お礼に梨の大玉を4つも頂いた。それからプール。今日は体育の日で、船橋体育館は無料開放。妙にこの3連休はツキがある。少しがんばって泳いだ。ノー天気な日本の休日の過ごし方を書いていたら、隣では核実験を行ったとか。と言うことは、日本にも核ミサイルが飛来する可能性ありと言うことになる。
10月8日(日曜日)
夜中に風の音で目が覚めた。あまりにもひどい風でこのホテルの角の
全部が鳴っている。朝からの自転車はひどいものになるのだろうと思いながらまた寝た。7時の朝食の時間まで寝て、食事。外を見ると目を開けられないほどの晴天。左は九十九里浜の海、右は防風林。自転車道が海岸沿いを走る。ものすごい向かい風。時速7km。人の歩く速度よりも少し上。しかし波も相当ある。銚子沖のあの波はほどではないが。消波ブロックとブロックの間で戯れている。消波ブロックがない部分は波が高いので敬遠しているのだ。僕からすれば、彼らは、やわなサーファー。格好だけのサーファーだと映りましたね。僕だったら、徹底的にやりますね。絶対に人がたむろするところで楽しまないぞ。もっとでかい波のくるところでしかやらないぞ。と思いましたね。僕はスポーツに関する限り危険思想の持ち主である。人を誘ってスポーツするのは御法度だ。
この厳しい向かい風は全線にわたって吹き荒れていて、九十九里町までのわずか30kmを3時間もかけた。気持ちよい海岸の自転車道も八日市市からなくなり、そこから車道を走る。橋を渡るわずかな坂道も、歩く速度に落ちるほどの向かい風だ。九十九里浜のほぼ半分の処から、右に折れ、東金市を目指す。どんなに方向を変えても風は向かい風。風が意地悪をして常に僕の方を向いているとしか思えない。この126号線は山を越えるので向かい風と併せて尚厳しい。千葉で電車に乗ることも考えたが、そう思った矢先に千葉から鎌ヶ谷に向かう国道16号線が現れる。気持ちを取り直し、このかなり整備された国道を走ることにする。幾分風の向きが変わり、速度が上がる。この国道は自転車が走っていると、電光掲示板にその旨の表示がある。
八千代の道の駅で休憩。この2日間の行程は220km位。食事以外ではほとんど休憩なしで走り続けた。自転車も体になじみこれといった疲れは出てこない。いまから東京まで走れと言われても、はいはいと出かけていけそうな感じだ。ここまでくれば近所も同然。ここからは歩道を細々と走り、途中で小さな抜け道に。この抜け道に千葉県国民の森がある。昨日はたっぷりと利根川の川を渡る空気を吸い、今日は九十九里浜の海の風に吹かれた。そして最後の仕上げは、昼間でもうっそうと茂る、森の空気を吸ってフィニッシュだ。全くもって気持ちの良い、しかも自由な旅行だった。本当に申し訳ない。
10月7日(土曜日)
休の休みを利用して銚子から九十九里浜を駆け抜ける旅に出た。前日は嵐だった。僕はほとんど雨に遭わないので安心していたら、予想通り、無事雨も上がり出発となったわけだ。自転車の旅は自由でよい。今までの人生であまり制約を受けずにきたが今回も気ままな一人旅ができる。木下街道を印西市に向かって15km。いつも通りなれている道だ。ここから利根川に出て川上から下流に向かって右側の堤を下るのだ。標識は海まで75kmとある。この川が海に出た処が銚子だ。追い風で思った以上にスピードが出る。
道路標示が「佐原」から「香取」に変更になっている。??。
その辺りから川の右側の風景の異常さが気になり始めた。昨日の大雨で利根川の水位があがり、こちら側の水が掃けないのだ。それで一面「沼」のような風景になっている。1km間隔でこの水をポンプでくみ上げる揚水場がある。揚水機はすべてエンジン駆動だ。どうしてエンジンなのかよく理解できる。その一つを見せてもらった。6気筒のヤンマーディーゼルが2機働いていた。大型漁船に使うような大きさで、回転数は500回転以下のような感じ。昨日の大雨から活躍していただろう。利根川との水位差は1m程度だった。また、こちら側の民家の方はあと1m位で床下浸水という感じだった。この辺りは水郷地帯で、川の反対側(茨城県側)は潮来の水郷で有名だ。そこを干拓して人が住んでいるから、ひとたび自然が暴れると大きな被害がでるだろうと思った。
なんと、12時前には佐原の街に着いてしまった。あまりにも速い。出発時はウナギでもと思ったが、まだ腹は空いてない。しかし、ここをでると銚子まで店はない。それで、マクドナルドでポテトとコーラーで小腹をふくらした。自転車の空気圧を6kg圧に高めると、ほとんどエネルギーを使わないので速度が上がるのだ。佐原から銚子まで40kmも2時間程度。ほとんど疲れがない。
ここから犬吠岬を目指す。きっと昨日の嵐で海はまだ荒れているだろう、と予測したが、これが、予想以上の荒れ具合。道路の脇から写真を撮影中にも、潮をかぶるなど、その波の大きさは想像以上。大きな波を見ると燃えるものがある。その上、500m位の沖合から、波の頂上が現れ、その山のてっぺんが砕け、風に吹き飛ばされているのがわかる。波のピークは 4つから5つくらい数えられ、次々と波がやってくるのはすごい。高知の波も凄いが、ここのは格別だ。しばらくは波の見物だ。並でないやつがくると興奮する。男女2人の見物人がいた。絵になる風景だ。
ここから起伏の激しい海岸線を経て、飯岡温泉に向かった。途中風力発電の群を見た。一つだけ止まっているのはどんな理由か?どうも気になる。到着時間を5時だと踏んでいたが、ぴったり。しばらく、ここで海に沈む夕日を撮影する。ホテルは温泉宿だった。しかし、こわばった体をぬるま湯でほぐすため、部屋の風呂で本を読みながらゆっくりした。このホテルは6,800円だったが、貯まったポイントを使ったのでなんと1,800円で宿泊できたのだ。交通費もただ。宿泊費もただに近い。何とも申し訳ない旅だ。食事は定食みたいな内容。ビール2本で流し込んだ。部屋に帰り、持参したDVDで「アイランド」を見る。人間の臓器提供用に作られたクローンが、意志を持ちはじめ、培養されてる地下基地から下界に出た。結末はだいたい予想できたが、ここで眠くなりダウン。午後7時半。
10月6日(金曜日)
全く嵐だ。ほぼ一日中歩くことを覚悟して登山靴で出かけたが正解だった。ひどい雨が朝から降り続いている。今日は幕張にあるイベントに行く。毎年一回イベントがあり、最新のエレクトロニクスを目にすることができる。少し分野の違うOA機器の方にも目を転じると、ここも凄い勢いで進化している。紙に書いた手書き文字を、ペンをペン置き台に戻すだけで、ディスプレイに文字が表示されるのだ。どこに仕掛けがあるかと聞くと、紙に座標の数字が打ち込んであるという。この座標から、ドット単位で文字を拾ってくる仕掛けだ。800万画素のTVは、現実を見るような存在感がある。翻訳機もあった。もう英語の勉強をしなくても、相手がしゃべってくれると、日本語で表示される。興味の範囲が広がる。どこに僕の興味の中心をおけばよいのだろう。時間は限られている。予算も限られている。多分多くの人が僕と同じで、選択肢が広がることで中心軸がなくなっているのではないだろうか。近年音楽のヒット曲が生まれないが、音楽を聞く人は多い。ヒット曲に固執しなくなっただけだ。ヒット不在の世の中に確実に進んで行っているのではないか。あれもこれも、関心は広がるばかり。
10月5日(木曜日)
久しぶりのお酒だ。日頃飲まないから、飲むのが楽しい。待ち遠しい。今日はFさんと山岳踏破の反省会だ。御徒町のお寿司屋さんで。いろんなことを話した。僕は今回の山行きで人生の方向が変わった。妙に吹っ切れたようになり、体の調子が非常に良くなり、ちょっと今まで出せなかったようなパワーがでるようになったのだ。こんな機会を与えてくれたFさんには感謝だ。人生はどこでどんなに変わってくるのか解らない。Kさんも東京入りして全体会議に参加しているが連絡がない。忙しいだろう。
10月4日(水曜日)
また、台風が来ている。この存在を知らず今週末には、千葉の銚子方面に旅に出るための旅館を予約してしまった。自転車での旅だ。本来は乗鞍へ行きたいがあまり無理しない方が良いとのFさんの忠告。乗鞍は旅費が大変。この2つの理由で九十九里浜方面に決定。旨い肴方面に決めたわけだ。一日の行程は100km。これならお釣りが来る程度の軽さ。印西市から利根川を下るルート。昼飯はウナギの予定だ。佐原まで届けば昼から銚子の魚が食える。長距離の場合、時速15kmで計算できる。だから今回は6時間程度である。今回はゆとりがあるのでDVDも持ち込んで夜旅館で映画も見ようと計画している。九十九里浜が飽きたら進路を向かって右方向にとると帰宅できると言うわけだ。千葉県の場合山が低いので150km位は移動できるのだ。
10月3日(火曜日)
いろんな指標。薄型テレビは1インチ5,000円だと世間で騒がれている。車は1リッター15kmがエコカーの基準だとか。今日読んだLED開発物語では、1W1lm(ルーメン)。電力を1W投入すれば、1lmの明るさが得られる。という指標だ。日本の技術者はいろんなところで技を磨いている。こうした切磋琢磨が積み重なって圧倒的な「力」を発揮するのだが、ここ数年こうした人達を冷遇する時代があり、この人達が海外に逃げ出した。しかも近隣に。それが、日本の競争力を阻害する要因となった。だが、日本の国情も安定化し、定着化が図れているので流出は終焉しただろう。だから、今後は海外勢に圧倒的な格差をつけられることは無いだろうと推測している。▲関係ない話だが、昼飯にワンタンを食べに行った。それをハイビジョンビデオカメラで撮影した。それをハイビジョンTVで見るとあまりにも美味しそうだった。最近のカメラは味まで映すようになったのだ。
10月2日(月曜日)
日産自動車があえいでいる。ゴーンさんの改革が功を奏したばかだから、市場の落胆は大きい。その上ライバルたちの戦い方は粘り強い。特にハイブリットカーでの差別化は衝撃が強い。この車の開発は莫大な投資が必要でしかも商品化しても赤字が発生する。経営者としては避けて通りたい選択だった。これによる社会のエネルギー効率化が大幅に進捗するとはいいがたい理由もある。だが人々の評価は違う。ハイブリットカーを販売しているブランドの車が欲しいのだ。日産の消費者心理の読み違いは大きい。と思う。「お客さまのため」の視線は外せないが、心理までも読まなければ間違いを犯す事例だ。
10月1日(日曜日)
昨晩不覚にも12時間も寝てしまった。帰ってくるまで平気だったのに電池が切れるように、急速に疲れが出てきたのです。今日は本を読んで過ごす。最近は経済全般が上向いてきたこともありバブル景気から今日までの日本を分析した本が多い。僕自身もこの日本の経済に対しバブル景気の後始末に日本は16年も費やしてしまった。と理解していた。ところがいろんな本によると、どうも本当は違う原因があるようだと指摘がある。この16年間の間に世界の隔壁(商売の障壁といっても良い)がなくなり、各国が経済の土俵に登った。それでみんなが戦い始めたので、その戦い方を知らなかった日本は、戦い方を勉強するのにこれほど時間を要した。と言うのだ。こちらの方がすんなりする。なるほど。そんな本を読んでいたらまた寝てしまった。昨晩遅く録画した東京jazzをDVDにダビングしながら見ていた。今年こそはこれを見るぞと計画していたが、ある試験受験勉強のため断念した。東京jazzでは今年、上原ひとみが活躍した。彼女の表情を見ていると、もうキースジャレットばりなのだ(恍惚とした状態でピアノを弾いている)。生の迫力はいかばかりか?と想像する。夕刻はプール。最後の500mを若い兄ちゃんに追い上げられた。気分良くとばしていたが、多分昨日のように、今は良いが後が大変、と思い、断念した次第。
9月30日(土曜日)
今日は昨日とうって変わって最高の調子、毎日良い、悪いが交代でやってくる。今日は体力を持て余しそうなので印旛沼に自転車ツーリング。まずは白井市のマクドでコーヒー。ここの店員は40歳くらいの女性。入れ立てのコーヒーをお持ちしますね!わずか100円なのに心がこもっていて気持ちがよい。80kmの行程。道中に咲く花をGETに。コンビニでビールとチーズ。目指すは佐倉。ここはコスモスが満開だ。いかにコスモスを捉えるかが腕の見せどころ。望遠を駆使して何枚か押さえた。次のオアシス(コンビニのこと)さらにビール。今日はなぜだかビールが旨い。旨すぎると言っても過言出ない。イカのピリカラ炒めと一緒で506円。景色の良いところで酒盛り。自転車の通行人の3人に一人は挨拶をしていく。僕の気持ちがわかっているからだろう。すっかり酔ってしまってから再び自転車。風が気持ち良い。見渡せる風景が気持ちよい。印西市に着く頃にはいつもは相当疲れているが今日は平気だ。今回のツーリングはあまり疲れないで終えた。もう一周できそうだ。ところがシャワーを浴びて食事をし、写真を整理し始める頃から急速に眠くなり、7時前には寝てしまう。
9月29日(金曜日)
一転して腰痛。昨日の自転車が効いた。一進一退の体調。頭の冴えている午前中に済ませたい案件があったが、別の用件で頓挫。午後、川崎のラゾーナへ見学。駅に隣接する大規模商業施設はカクあるべき見本がここにある。僕にとっては珍しい出店があるが、都内に住む若者にとっては、わざわざここまで来る価値はないと言う。彼等は商業施設に対しクールで移ろいやすいようだ。ここを運営する人が考えなければならないことがあるとすれば、どうしてもここ来なければならない理由を持つべきだ。それは人のパフォーマンスだろう。これが究極の集客だ。ところがむつかしい。目的は明確だが手段がない。偶然の人材に期待するしかない。事務所に戻ると仲間の一人が沖縄から帰ってきた。カメラの仕事で行ってきたから、その写真を拝見する。写真は風景を写すとともに自分自身を写している。写真を見ればその人がどんな状態(気持ちのありかた)でカメラに向かったのかが分る。動揺があれば写真に出てくる。今日は60インチくらいの大きさのプロジェクターで視聴したから全てがさらけ出された。写真から人材を見分けると言うのはどうだろう。夕刻リポビタンDでエネルギー補給。疲れている。家に帰るとアサヒビールの「プレミアタイム」が買ってあった。このビールは濃い。濃いので飲み応えがある。
9月28日(木曜日)
ところが、昨日と体調は一転し爽快だ。自転車通勤だ。銀座まで1時間20分。記録だ。自転車をクロスバイクからスポーツタイプに変えると1時間15分が見えてくる。帰りは道に迷い気がつけば東京に向かっていた次第。人形町に出くわして、娘のために盛重の「元祖人形焼き」を買う。娘だけが食べ物の価値を認めてくれる。両国で散髪。夜道はスピードが出ないが、どこまでも行けそうな気分。新大橋のたもとにある靴流通センターで靴を買って今日は計1万円の出費。通いなれた道に出たのでスピードアップ。家の中は静まり返っている。お勉強タイム。TVのニュースも見ないまま無言の食事。無言の風呂(あたりまえだ)。無言の就寝。新聞によるとNY株式の出来高が良い。この日一番のニュース。
9月27日(水曜日)
久しぶりに強い雨が降った。雨はこうでなくては、と高知県人は思う。東京駅から浜松町まで徒歩50分。たったこれだけなのに疲れて喫茶店でお茶しているとに居眠りしまう次第。昨晩も良く眠れた。のにだ。一体この疲れはなんだろう。そのうえ凄く腹が減っている。昼飯に若者が好む「キッチンジロウ」で大量の飯をかきこむ。それでも夕刻新宿へ出かける時腹が減って、豆乳とチーズを補給した。そんなに食ってもベルトの穴が変わらない。夏の疲れだろうか、山の疲れなのだろうか。新宿から船橋まで総武線の約1時間、ほとんどを寝て帰る。晩飯を食うと寝るだけだ。この状態は一体なんなのだ?
9月26日(火曜日)
自分の抱負を原稿なしでスラスラ言える。時代を背景に仕事人間が組閣される。総理大臣の記者会見を見ていると、安倍政権はもっと大きな変革をこの日本にもたらすだろうと思った。年功序列で育ってきたおじさん達にとって苦難のときがやってくる。おじさん達は前例と枠の中で生きてきたからだ。新しいアイデアが採用され、広く参画できる世の中になるとたちまちおじさんたち年功序列組は馬脚を表すのだ。せめて英語が読め新しい世の中の動きを抑えておく程度の情報網もない。たとえばユーチューブという映像ネット登録が脚光を浴びている。このアメリカの映像サイトは日本から大量の映像が送られているにもかかわらず、書籍の助けを借りずには正しくこのサイトを利用できない。アマゾンで書籍を買うよりも、八重洲ブックセンターに足を運んでしまう。おじさんに出来ることは世の中の1〜2年遅れの知識をせっせと最新知識だと理解して活字で吸収するしかない。職場の周りにはまだ外国人はいない。しかし時間の問題だ。高い教育を受けた外国人が隣に坐ることだってありうる。日本の商習慣を盾に彼のアイデアをつぶすことがあってはならない。が果たして感情はどこまで抑え込めるだろうか。しかしこれだけは言える。そうした社会にならないと日本は活性化、正常化しないだろう。
9月25日(月曜日)
調子は快適だ。自転車で通勤。いつもの京葉道路とは別コースを選択するが銀座までのタイムは1時間半で変化なし。脚力が安定してきた。真にすがすがしい秋晴れの中、自転車を漕ぐのは爽快。他の人にも分けてあげたいですね。どうしても体重が落とせない人や、どうしても食べ過ぎてしまう人には自転車が最適。軽い長い運動が脂肪を燃やしてくれる。今日はTさんの送別会。Tさんと直接の関係はないが何かと発言力のある人で多くの人を引き付けた。最後の言葉が「もう仕事はしたくない」。送別会を企画したK、Kさんはムービーに編集したクリップを上映した。拍手だった。帰路も自転車。錦糸町のヨドバシカメラでしばし休憩。新小岩でビール休憩。江戸川のたもとで警察の自転車取り締まり、「こんばんは」と声をかけて通過。彼らは無灯火の取り締まりだから、自転車のハンドルにビールの空き缶を入れていても関係ないのだ。
9月24日(日曜日)
9時に目が覚めた。疲れていた。先週のHPを書き上げたポケットワープロが文章を認識しなくなり、もう一度先週のことを想い出して書き上げる。ついでにずさんだったHPの整理をしてページを一新した。これで、過去ログもだいたい見られるようになるはずだ。その後、ハイビジョンムービーを担いで大町の公園に出かけた。この公園はアイディアがわくときはいろいろと撮影する素材が転がっているが、頭がぼや〜んとしているときは何にもないただの湿地だ。今日は後者だった。カワセミ撮影も多くの撮影者がカメラを構えていたが空振りだった。道中にはいろんなものがある、たとえば日本ハムイースタン・リーグの試合。今日はたまたま試合日で、帰ってからインターネットで調べると、ファイターズとイーグルスの試合だった。日本ハムファイターズの球場がここ鎌ヶ谷にあり、梨畑から観戦することができる。さすがプロで、投手の投げる玉が僕の目には見えない。音だけが聞こえる。応援団も本格的だ。彼らにはリズム感がある。風には金木犀が感じられる。20歳の頃、強制的に会社から奈良県にある山小屋のキャンプに参加させられてつらい思いをしたが、そのとき百姓屋の庭先から、この金木犀が漂っていたことを想い出す。その後、もう少し視野が広がってからは、堀内孝雄の「君の瞳は100万ボルト」に金木犀が登場するまでこの花とは無縁だった。千葉県では9月19日から匂いはじめ今が全盛期だ。夕刻はプール。先週はフォームがおかしく水を飲んだが、今日は元に復活していた。しかし今度は、先の人が遅くて(僕が早すぎて)ターンの時、水中で待機しなければならないのでやっぱり水を飲んだ。プールから出ると立派な夕焼けだった。巧妙が辻で、仲間由紀恵がなかなか良い演技。お拾いがちよに向かって「僕が捨て子だから寺に出すのですか?」と質問すると、一瞬詰まって「そうですと答えた」。ここが良かった。
9月23日(土曜日)
朝5時に目が醒めた。老人力がパワーを増しているから朝は強いのだ。風呂に湯を張り、アメリカの低所得の体験レポートの書籍を読む。汗が出たところで終了。出発だ。空港は歩いて20分くらい。マンジュシャゲの咲く坂道を登った。スーパーシートに空きがあり、アップグレード。朝飯を狙ってのこと。琵琶湖上空を横断し快適な旅だった。今日は昼間少し重要な人達に会う約束だ。浜松町から東京駅まで歩きコンディションを整える。昼食に銀座のサッポロライオンでビール2杯を飲んで本日のメインイベントは終了。今度は横浜へ、ここでAVフェスタ開催。コンパニオンの女の子をしっかり撮影した。とりわけコンパニオン責任者の了解をもらったところでは、思い切り近づいて連写した。彼女たちも思い切り商売用の笑顔を振りまいてくれた。おじさんは「僕に気があるのでは」と錯覚する。プロですね。1分足らずでおじさんをとりこにする。外に出ると空には羊雲。谷村新司「いい日旅立ち」を思い出す。横浜港でしっかり秋風に吹かれて今日の予定はすべて終了。帰ると高知の友から文旦が届く。
9月22日(金曜日)
山岳症候群を患っている。どんな症状かと言えば、階段があるとどうしても徒歩で上りたくなる。混雑したエスカレーターも右側を歩いて上りたくなる。それと重いリュックを背負いたくなる。リュックには何でも入れてしまえって感じ。それと歩き方はゆっくりと大股になった。早く頭を切り換えなくてはと思うが、これがなかなか難しい。折しもここは高松屋島町、目の前には切り立った山がある。高松には3年ほど住んだ経験があるので無理をすればアプローチできないこともない。しかしだ、明日はもう一つ大事なことがあるのだ。今日の行動はこれまでだ。しかしながら失敗に気がついた。ホテルは明日の行動を考えて空港の近くに取ったが、夕刻市内から空港に向かうバスの便はきわめて少ないのだ。その上何とかたどり着くが、今度は周りに何もない。階上から少し遠くに見える煌々とした明かりを頼りに歩いていくと、なんとそこは駐車場だった。外での食事は断念して、ホテルのレストランで。ところがここのシュウマイが絶品。加ト吉の系列だから、旨い冷凍食品を持ち込んだろう。
9月21日(木曜日)
博多で仕事、30年ほど前に住んだことがあるが博多の記憶は7年ほど前に担当した時の方が濃い。その頃は僕も営業としてこなれていて、いろんな人たちに接する余裕ができていたからだろう。と言うことで駅前のホテルに宿泊し、駅前の事務所に向かう道を少し遠回りして中州の先端を回り、住吉神社さんを経由した。しばしここで休憩。博多には大きな神社があり、大木が生い茂っている。喧噪の中でここの一角は落ち着ける場所。向かった事務所にはずっと昔一緒に仕事をしていた先輩Nさんがつとめているので挨拶に顔を出す。昔一緒だった人の消息と、大先輩の人物評を聞けて楽しいひとときだった。僕はそのころ地方だったので、中央(大阪)のことはあまり情報がなかったのだ。思い出は美化されて良い。昼過ぎに次の予定地のメンバーからスケジュール変更の電話があり、明日の会議開催は午後からと。では、本日博多から電車を乗り継ぎ強行軍で高松入りする必要はない。博多でもう一泊の手配。この夜は読みたい本があったのでホテルでコンビニ弁当。一緒にアサヒビールのプレミアタイムを買った。ビールを飲んだら途端に酔ってしまい、9時には寝てしまった。夜中の2時に目が覚めて本を読む。でも4時までが限界だった。
9月20日(水曜日)
夜の便で博多入りした。仲間とホテルの近くの「へんくつ」で乾杯。ここの女将さんは昔細面の美人だったが、いまはふっくら丸顔の女将さんに変貌していた。僕だっておじさんになったのだから当たり前かもしれない。「さば」の刺身を注文した。ここ(九州)以外では鯖の刺身は食べられない。まったりした九州独特の醤油と鯖の甘みが加わって絶妙な味。鯖の切り身一切れでビール2口分はいけますね。こんな旨いものがある九州では飽食で早晩病気になるだろうと思いますね。少し酔い覚ましに近くを散歩。OFICE24と言う文房具屋さんが開いている。文房具はアイディアの固まりだから見るだけで楽しい。楽しいが、一緒にトイレを催す。本屋さんでも同じ気持ちになる。
9月19日(火曜日)
高崎へ。もう風景を見る目が違ってきているぞ。山を見るのだ。ここにも名山がある。「赤城の山も今宵限りか・・」の赤城山はここの駅から出発する。2階建ての新幹線「たにがわ」からその方向を撮影する。もうすっかり頭は山のことばかりになっていたので、仕事モードに復帰するのに時間を要した。7時前に退社して銀座へ。アップルショップがあるので見にゆく。この時間帯に銀座を歩くときれいな女の人が格別多い。目移りしながら東の方へ。アップルストアで新しくなったiTunesの機能を教えてもらった。アメリカでは映画の配信があるが、日本ではない、と外人の説明員が日本語で教えてくれた。ゲームの配信が加わっただけです。4階にはiPodが実演されているとアナウンスがありさっそく向かう。エレベーターもアップル仕様。徹底している。ボーズのヘッドフォンとの組み合わせはなかなか音が良い。価格はiPodにプラス4万円だ。いろんなアクセサリーをそろえると15万円は覚悟。なるほど。別のフロアではiPodに収める写真の撮影テクニックについてプロの写真家を招いて講演会が企画されていた。これなら僕にもできるぞ。とりわけ山岳撮影なら。
9月18日(月曜日)
昨日あんなに良い天気だったのに、朝方は豪雨。昨日はついていたのだ。疲れも溜まり午前中は寝る。午後はPCがおかしくなったので復活作業。夕刻プール。泳ぎ方のフォームが崩れている。どこかが疲れているからだろう。いつものペース=50分2kmは泳げなかった。夕食後HPを更新する作業と写真の整理。大量の撮影をして不要な写真を削除すると意味のある写真が残るのだ。しかしこの作業も午後10時まで。それ以降は眠くて。
9月17日(日曜日)
いつの間にか朝。朝と言っても山の朝は早い。5時半くらいに騒がしくなり、6時には食事。朝は体がごわごわ、まっすぐに歩けない。荷物を整理して食堂へ、仲間は僕が荷物を整理している時、布団をたたんでいた。その時は自分の分は自分ですると言う気が回らなかった。この山小屋では男と女の区別が無く、一緒に行ったNさん(女性)は同じ部屋で寝たのだ。ところがトイレはウォッシュレットなのだ。ちぐはぐ。食欲はない。結局昨日の昼からまともに食ってない。しかし体が温まってくると元気も出てくるのだ。疲れてない。それから大きな湿原を半周する。昨日登ったひうちだけが、雲の間から時々覗く。湿原を大きく入れて写真を。水芭蕉は可憐なイメージだが、葉の出た水芭蕉は直径が1m程度の葉を広げている大型植物なのだ。これは意外。「龍宮」と呼ばれるポイントで昼食。食事はカップヌードルとクルミパン。クルミパンはKさんがバーナーで焼く。これが旨いんだなぁ。風味を添えると言う言葉があるが、とても良い風が吹いてきて味が際立ったのだ。Kさんに体力が余っているなら三条の滝に行くか、と尋ねられた。もちろん体力はある。帰りのルートは昨日登った山の麓を半周して、昨日の出発のポイントに帰るものだ。通常のルートと比べ滝コースは別途1時間必要。バスの乗り場で5時集合となった。女性のNさんと2人で目指す。結構厳しい岩場をのぼり下る。平滑の滝で撮影。休息も無く三条の滝に。昨日とあまり変わらない上下。Nさんは歌を歌って平気な様子。40分で三条の滝。凄い水量。僕は手すりの上に坐って撮影してもらった。少しだけ休憩し、メンバーの後を追う。途中で水が切れてNさんから少し頂く。Nさんは沢の度に顔を洗おうと言う。顔を洗った後は化粧だ。忙しい。心まできれいになったことだろう。次の沢では僕も顔を洗い、ついでに水も飲んだ。もう水が切れていたのだ。計算では集合時間に5分ほど遅れる模様。Nさんに無理を言ってピッチを上げる。Nさんは平気なようだった。最後の20分(地図上で)のところで本体に追いついた。1時間の遠回りを挽回した。少し休憩の後出発。バスの発射時間に間に合った。ところが問題発覚。すでにバスは出たと言うのだ。さぁ、困った。ところが、臨時のバスを僕たちのために出してくれると言う。それも、会津駅の電車の時刻に合わせて。と言う破格な扱い。2時間のバス工程を1時間で駆け抜け、ついでに定期バスまで抜いて駅に到着した。会津バスさん、ありがとう。快速急行に乗っていざ浅草へ。途中で特急電車に乗ったが満席で下車を要求された。仕方なく元の快速急行に乗り換える。電車の中での宴会計画は消えた。僕は途中ので降りて、鎌ケ谷へ。鎌ケ谷でうどんのチェーン店へ。これが当たり。ものすごく旨かった。今日は、1.尾瀬では雨だと言われてたのに晴れ。2.特別仕立てのバス。3.そして最後の極上の飯。3つの幸福があった。写真は厳選の上261枚。楽しい撮影タイムだった。登絆と併せ、一粒で2つのおいしさを堪能できた旅だった。
9月16日(土曜日)
民宿、吉田屋さんの布団の中で村の時報が聞こえてきた、あの尾瀬の歌だ。5時半には起きなきゃ、同僚Fさんの仲間が東京からやってくる。この民宿で一緒に朝食だ。この朝食がまた凄いことになっていた。山の幸、川の幸づくしだ。みなさん、2杯のお代りをしておえる。6時半のバスで尾瀬登山口に向かう。尾瀬は自然保護のため、途中からバスでしか通行できない専用道路となる。このバスは始発だから新聞も運べば、登山口でお土産屋営んでいるアルバイトの朝飯も運ぶ、ついでに人間もって感じの多目的車なのだ。7時半行動開始、緩いのぼり坂の木道が続く、ここでTさんがダウン、「おぇ〜」を繰り返した。夕べ寝ずにやってきて、2本のバスを乗り継いだのだ。体調を崩さない方がおかしいと仲間は言う。尾瀬沼が眼下に見えるポイントでTさん合流、休憩。そこからもう絵になる景色が広がっている。だらだらと下ると「夏が来れば想い出す、静かな尾瀬遠い空♪」の景色。あまりにも刺激が強すぎて頭がどうにかなりそう。とりあえずシャッターを押しまくり心を鎮める。一番良いポイントで(自分がそう思っているだけ)360度の全景をF値固定で撮影。ソフトウエアを使ってパノラマに仕上げるのだ。湖畔にサギが飛んできて慌ててシャッターを押したが撮影できなかった。その話をFさんに短縮して「詐欺にひっかからなった話」として披露したら、少し受けた。尾瀬に最初にできた小屋で休憩。Kさんがコーヒーを沸かしてくれた。格別の味がする。この後いろんなものがKさんから提供される。人里離れた自然の中で味わう日常の平凡さは、凄い非凡として感じる。今度は沼に沿って歩く、すべて木道。そうです、尾瀬の小道はすべて木道なのです。OZE=木道。CIですね。昼食のポイントで目の前に燧ケ岳が雲の中から姿を表す。今までの散歩は少し物足りない感じだったので、Fさんをたきつけて「あの山に登ろう」。「雨で道がぬかるんでいるので止めよう」となっていたのを覆したわけだ。見るからに大したことはない。沼1600mと山頂2300mで標高差は700m。これも大したことはない。地図では2時間半。1時間でいけるとちゃうか。と言うことで飛ばしましたね。ところが登っても登っても見えない。おまけにガス、雨、気温低下。結局4時間要しました。出発のとき沼を回る本体メンバーに6時到着、もし午後8時を回るようなら遭難届を、と冗談を言っていたが、少し心配。山頂を極めてがっかりしたことは、この山を三分の一ほど下り、目の前にあるもう一つ高い山に登らなければならないことだ。とにかく寒い。じっとしているわけにはいかない。そしてその山こそが関東以北で最も高い燧ケ岳だった。雲海が消えると眼下に尾瀬の湿原が広がる、その手前は樹林帯だ。この景色こそ登山の醍醐味だ。感慨に浸る間もなく下る。明るいうちに樹林帯だけは脱出しなければならない。下りは地図によると3時間半。しかし、というか、とうとうと、と言うべきか午後7時になってなにも見えなくなった。2つの懐中電灯で(といっても、一つは防犯用のポケット電灯、息子に感謝)下る。当然速度は落ちる。道が無くなる。少し遠くまで光が届く電灯で先を見極める。道は沢なので水が頼り。水は高い方に流れないからだ。また、別の人の足跡も。午後8時。まだまだ急峻な下りは続く。Fさんは救出が来るまで待とうと言う。ところが、沢の泥道で坐るような場所がない。とりあえず下ろう、休憩はその場にしゃがみこむ。食糧と水はある。森林地帯なので、何か動物に遭遇するのは避けたい。時々痴漢除けの警報を鳴らす。道導があって見るとあと2km。気力もなえる。とにかく前に進むべきだ。沢の水は避けて歩いてきたが、今は倒れないためには水の中の平らなところも、選択の余地なし(家に帰り汚れたズボンの洗濯があるが)。男2人が手をつないで山道を下る。滑稽な風景だがこちらは必死。遭難だけはしたくない。汗と泥にまみれたおじさん二人がその先に見たのは、沢水の中に沈む木道。その先に道導。やっと樹林帯を脱したのだ。二人して木道に倒れこみましたね。何もないことがこんなにありがたいことはないですね。午後9時を回っていました。あとこの木道を600m歩けば仲間と連絡がつく。よたよたと。電灯の光がまばゆい。やっと人間世界に戻れました。小屋で食事だけは頂けるとのこと。ところが本音は何も口に入らなかったが親切は無碍にできない。薬を飲むような感じでビールで流し込む。下着を取り換えてジャージで床に着くが、目が冴えて眠れない。そして仲間のいびきが凄くなる。ますます眠れない。さっきのんだビールが尿意を催す。何度もトイレに。
ますます眠れない。
9月15日(金曜日)
普段通り職場に出たが今日は年休扱い。と言うのは午後には退社するからだ。しかし午前中は会議がある。食事なしで浅草駅の東武線に向かう。ここから、鬼怒川温泉に向かって特急列車で移動だ。特急列車といえども、速度は遅く、3時間半かけて、福島県の会津高原尾瀬口駅に到着する。さらにここから1時間かけて檜枝岐(ひのえまた)村まで移動する。大きな峠をいくつも超えるうちにバス酔いしてしまった。真っ暗な道をひたすら進んで1時間後に到着。バスの運転手さんに民宿の名前を言うと、一番近くで止めてくれて、民宿まで教えてくれたのだ。(この会津バスは後に大きなお世話になるのだった)。民宿は女将さんが食事を準備してくれて、それはそれはすごい料理だった。本当の山菜づくしだったのだ。(後で聞くところに寄ると、檜枝岐は秘境中の秘境で、山菜が主な産業だった時代が長く続いたとのことだ)食べきれないほどの料理。一緒に行ったFさん(同僚)も感激。ビール1本、お酒2合で打ち止め。明日は早いのだ。
9月14日(木曜日)
この日は大事な一日なのだ。金曜日は何もすることがないほど仕事を片づける事。しかし、明日の準備があるので定時で帰ること。と言うことで、息(根をつめて)を詰めて仕事をしたのに、大阪から友来たるのだ。と言うことで、大門の交差点にある「ねじべえ」に行き、当店自慢の「けいちゃんなべ」を囲んだ。この鍋は、鉄板の上に紙のシートを置いて、その上で肉とか野菜などを煮るというか炒めるというか、その中間くらいを行うのです。店長が非常に愛想がいいので酒が進むのだ。だが今日は心を鬼にしてビール二杯で退散する。早速家に帰り着き準備をする。子供たちも関心があるのか見守っている。吉崇君から痴漢よけの警笛と電球が一緒になった防犯グッズを貸してくれた。(実はこのグッズがものを言ったのだった)それと、カイロ。普段リュックにはIT機器を満載しているので重たいが、今回は衣類だけの満載だ。重さは全然軽い。
9月13日(水曜日)
前回は試験日を間違った。今回は大丈夫。前回はかなり緊張して臨んだが、今回はあまり緊張はない。淡々と試験問題に答えて、無事試験を終えた。試験問題に間違いを発見したが、監督官はこの件に答えるすべを持ってないのでそのまま退散。駅前の中華屋さんでテレビを見ながら食事。小田急電車で新宿まで出て、新宿から都営大江戸線で会社に帰る。この日にレポートを書き上げて今週の山は越した。午後7時まで仕事。その後リュックサックを覆うビニールカバーを求めてお茶の水にある石井スポーツを目指す。しかしこの店が見あたらないのだ。確か前回来たときには。。駅の反対側に降りていたのです。お店に入ったときは閉店間際。急いで買い物をして退散する。ここから秋葉原へ向けて歩く。もうこの時間ではコスプレ女はいないが、アニメの店は満員。人口が多いので東京はニッチな商売でも経営できる。新製品のi−podナノも販売していた。
9月12日(火曜日)
週末は大イベントが控えているにもかかわらず、雨で運動ができない。しかも昨日は遅くまで仕事をして、家に帰り着いたのが10時半だ。だから今朝はあまり運動する元気もなく電車で最寄り駅まで乗車。また、明日は練習を積んできた家電アドバイザーの試験があるのだ。と言うことで本日は定時に退社し、これまた運動ができない。この試験は、若手のメンバーが合格し、おじさん組が落ちるというみっともないことは是非ともさけたいのだ。前日に豆腐を食べたりして結構真剣に臨むのだ。体力の限界まで問題集を読んで就寝。
9月11日(月曜日)
先日買った携帯オーディオプレーヤーSD800Nは大当たりの商品だ。音の素性が良い。名器と呼んでも過言でない。今日は全面的に倉木麻衣を聞く。彼女なかなかやるじゃないか。メロディーの美しい音楽をつくる。リズムが主力の音楽業界において特異な存在。小さな音量で聞いても音の質が高い。ついつい聞き込んでしまう。クラシックはまだ手を出してないが、この傾向だと相当期待できる。このようなオーディオ機器には久しぶりに出会った。2万円で買える幸せだ。職場では昨日のテストで盛り上がっているが僕だけ参加してないのでさみしい思いをする。どうやら気分が乗らないと頭の回転まで落ちているようだ。文章を読むのに時間がかかりすぎる。ほんちゃんのテストは13日だ。もう一頑張り必要。
9月10日(日曜日)
代々木の東海大学にでかけた。ここで家電アドバイザーの試験が開催される。ところが試験会場の僕の席には別の人が坐っているではないか。試験官に問うと、なんと、僕は試験の日程を間違えていたのだ。仕方なく退散。新宿で下車して新宿御苑へ。都心とは思えない静かさ、そして広い芝生の広場がある。ここの芝生は秀逸。ゴルフ上のグリーンのような手入れが施されている。どこで寝転んでも良い。だがあまり広くて居場所がない。多くの人は隅に寄っている。これでも僕の気分は晴れない。学校をサボっているような気分だ。熱帯植物館を見て早々に退散。亀戸からは自転車で帰宅。途中、小岩でアサヒのビール「プレミア」を買った。このビールは旨い。なんぼでも飲めそうだが「高い」。ほろ良いで今度は市川の植物園へ。ここで「カワセミ」に遭遇。旨く水の中に飛び込むシーンを撮影できた。今日の良い話はこの2つだけ。
9月9日(土曜日)
今日は子供たちの運動会だ。朝早くがたがたしていたが僕は起きられない。一つは昨日内蔵をかき回したので疲れていたこと。一つはDVD「暴風圏カテゴリー6」を遅くまで見たため。この映画は、なんと3時間強の大作だ。北アメリカを襲う南からの台風と、北からの低気圧がシカゴでぶつる前代未門の自然災害に立ち向かう物語。止められなくてつい最後まで見てしまう。役者、編集、撮影など2級だが、正しいアメリカの映画展開をしている。今日は一日机の前にかりじつく。明日のテストの勉強をするためだ。子供体育際は一度も行ったことはない。夕刻プールには出かけた。プールの自慢話。多くの人はプールで盛大に泡を立てるが、僕の泳ぎ方はあまり音も泡も立てない静かな泳ぎ方だ。それで、ここに来ている多くの人達よりも速度が幾分早い。多分滑るように泳いでいるはずだ。時速2.5km。30年やってきて会得した技。夜は娘が歌うのを阻止して眠りに着く。
9月8日(金曜日)
大腸の検査だ。ここは麻酔がない。だからものすごく痛い。ところが検査の医者はものすごく親切な方で、画面を見ろと言い、いろいろと説明してくれる。大腸のヒダとその働き、血管が水を吸収する仕組み、こちらは痛いのを我慢してその話を聞かねばならない。それより早く終わってくれやと言いたいが。。。延々と。こちらは口がゆがんで声も出ない。もちろん検査の結果も教えてくれる。大腸が過敏ですね。もっとおおらかに過ごされては?それは無理だ。運動をしてもっと腹筋力をつけたらどうですか?これはできる。運動は得意だ。と言うことで検査は午前中に終わってしまった。もともと係っている先生に19日に結果を聞きにくるが結論は見えた。6月ごろから気になっていた病名は「気のせい」だったのだ。午後から仕事に復帰。パナソニックメモリーオーディオSD800Nを買った。これにはノイズキャンセラーがついている。外部の音をマイクで拾い位相を反転して音楽に少しだけ音楽にミックスしてノイズを打ち消すものだ。これが非常に効果がある。耳に充てるがけで周りの騒音がパット消える。そして小さな音量でも音楽がきちんと聞こえる。そのうえ楽器の種類が増えているようだ。左右に振り分けた楽器が鮮明に浮き上がってくる。シンバルなどは音の消え方が非常に自然だ。たとえば、山崎まさよしなどは、ギターの弦をピーンとつまびいて音楽が終わるが、この弦の消え方が非常にきれいで、自然なのだ。また、普段乗りなれている電車の乗り心地が良くなる。体に振動しか伝わってこない。こう言えばよいだろうか、滑るように電車が発射する。音がないだけでこれで快適なのか。しばらくはこのとりことなりそう。
9月7日(木曜日)
青物横丁で一日研修。これで3日間事務所を明ける。メールが山のように溜まっている。しかし、家電アドバイザーの試験が終わるまではプライベートの時間は仕事に使えない。この試験だけはどうしても受からないとみんなの手前立場がなくなるのだ。明日は病院で検査。約一日を費やすので、ここで最後の仕上げの勉強するのだ。明日の検査は大腸の検査。前日から薬を飲んだりしなければならない。年とともにいろんな検査が必要になってきた
9月6日(水曜日)
昨晩の酒が残っていて頭がへん。伏見から名古屋方面の電車に乗ったはずなのに逆方向の電車に乗っていた。時間の余裕があったので助かったものの、普段のままだったら新幹線に乗り遅れていた。東京に着くと事務所にも寄らずいきなり仕事。こちらは頭が回転してないけど。夜はAさんの送別会。これで2回目。今年中に絶対彼の転勤先である金沢に行くぞ。11月16日以降が良いと言われた。この日からカニが解禁になるとのこと。でも、それまでに超えなければならない山がいくつかある。訃報もある。友人のUさんの父が亡くなった。
9月5日(火曜日)
今日は名古屋。新幹線に乗ると突然の睡魔が。昨晩は早く寝たのに。前後不覚から目覚めると富士市だった。久しぶりに富士山を拝む。12時前に名古屋到着。地下街を歩いていると、渚ゆう子の「京都の夜」をBGMにしていた店がある。覗くと「VAN」の店だった。1970年は「VANとJUN」の時代だった。つい白色のジャケットを買ってしまった。そして夜、友人のヘラさんと喜多山にある文福へ食事に。この店とは25年来の付き合いだ。お互いに言いたい放題。「赤いも」の焼酎をしこたま飲んだ。ヘラさんは酒に酔わないので一緒に飲むと飲みすぎてしまうのだ。満足して栄のホテルで爆睡。
9月4日(月曜日)
昨晩はあまり眠れなかった。日曜日は水泳もして結構疲れているはずなのに。それで今日は体がきついのだ。にもかかわらず、自転車で通勤。新しいルート、国道50号腺を走る(今までは国道14号腺)この道は少々危険。なぜなら橋を渡るとき、車道を走らなければならないからだ。しかし、会社まで1時間半で到着してしまった。自宅を7時半に出発すれば9時に到着できる計算だ。首都圏で通勤してない人には解らないと思うがこの時間帯の電車の混み方は殺人的なのだ。電車に乗っているだけで一日のエネルギーを使う。自転車がよほどましと僕は思いますね。往復60kmを乗ってこの日は終わり。明日に持ち越すエネルギー0で床につく。
9月3日(日曜日)
今日こそは勉強を。すがすがしい秋の風が部屋に吹き込んできたので、午前中は部屋で勉強。午後の食事時、近くの公園に写真撮影を兼ねて休憩に。午後本格的に近くの図書館で。この家電アドバイザーのための勉強は、前半戦は趣味の延長みたいなものだから何ら問題はなく、なめてかかっていたが、後半戦は法規で、全くとんちんかんな答えしか出せないのだ。後一週間。法規についてみっちり勉強をしようと心にきめた次第。1時間遅れでプールへ。再来週は山に登るのでプールで泳ぎ込んで腰痛を治しておくことが重要だ。夏期休暇とその前は水泳を休んでいたので腰痛が出てきたのだ。これは僕の中で相関関係がある。関係ないが、いよいよ娘の学費が僕の生活に影響し始めた。小手はじめに、通勤手当が塾代として消えることになる。通勤手当は半年分が給料に振り込まれるのでまとまったお金だ。実際には右から左に出て行くわけだが、切符を買って通勤している身としては、まとまったお金に見えるのだ。しかしこれが消える。そして馬鹿娘は感謝しない。
9月2日(土曜日)
あまりにも天気がよいので、レンタルの返却を兼ねて近辺をうろついた。本当は、かでんアドバイザーの試験勉強をしなければならないのだが。ついでに富士フイルムのF30と言うデジカメを持ち出し、初秋の風景を切り取った。このカメラは暗いときに被写体のぶれが少ないことで有名なカメラだが、明るいときの撮影はふつうのカメラより若干劣る。ピントが合う時間が長いとか、ホワイトバランスがすぐに崩れるとか、マクロ撮影の時ポイントではなく、背景にピントが合ってしまうとか少々使い勝手が良くないのだ。なかなか店頭ではこういうことが語られないので、買ってからしまったと思うことがありますね。夕刻はプールへ。この日は、僕と同じペースで泳ぐ若い兄ちゃんがいたので、ずっとマークして泳いだ。少しハイペース。正確には数えてないが、50分で2km以上は泳いだ。50分という区切りはこのプールの規則で、10分間の休憩を挟むためである。プールから出てきたときはまだまだ元気だったが、食事を終えて風呂にはいると「がっくり」と来た。エネルギーが枯渇した。
9月1日(金曜日)
朝から雨。電車通勤。いつもの有楽町の喫茶店に入ると防災訓練でうるさい。有楽町ビルディングの話。1階の路面の商業施設は避難の誘導も必要ないはずだ、すぐに飛び出せる。この訓練みそもくそも一緒と言う大雑把さ。このようなところに限って実際の災害の場合意外と落とし穴がある。それは平時でもこのように配慮がないためだ。夕刻にMOOCSと言う音楽配信サイトで鳥の歌を買った。1450円だった。さっそくCDに焼いてプレーヤーで聞くとこれが正解。今週はUAと2枚のアルバムをダウンロードした。CDショップに行く時間がないと言うときにこれは重宝します。今週は音楽の当たり時だった。土日出歩かなく勉強をするつもりなので、友ができた。
8月31日(木曜日)
朝は8時半に起床した。10時出勤だからなんとかなる。放置自転車は無事だった。普段より睡眠時間は長く取ったが疲れていますね。あくびの連発でした。この日は仲間のAさんの送別会。金沢に転勤。単身赴任10年目で少し大阪に近くなる。この送別会は70人近い人の出席でしかも女性がものすごく多い。たままたまその前に坐ったものだから話題探しに四苦八苦。そうそうに退散した。女は苦手だ。帰りは自転車。両国のラーメン屋で休憩。なんとこの店はラーメンにレモンを絞って食べるメニューがある。店員さんに聞くとさっぱりして旨いとのこと。お金を清算してドアから出る時大きな男が目の前に立ちふさがった。脇によって見上げるとお相撲さんだった。関取は今東京にいる。本八幡駅前でCDとDVDのレンタルを。土曜日返却の予定で大量に借りる。2時間かけて帰宅。
8月30日(水曜日)
体のコンディション良く自転車で通勤。銀座まで1時間半。最近時間は安定している。しかし、したたり落ちるような汗をかくのである。今までどんな暑い時にもこんな汗はかかなかったのだが。1時間を超す運動は体の脂肪が燃えるのでしょうか腹が確実にへこみますね。ベルトの穴を一つ進めなければなりません。やせるには体力がないと難しいと言うことだろう。この日は午後10時過ぎまで残業したので、さすがにこの時間から自転車で帰宅というのは無理。愛車を放置自転車と化したわけ。
8月29日(火曜日)
知らず知らずの間に溜まった歯石。今日はこれを取ってもらったが、痛いの何の。それで、回転する砥石でなく、手作業でやってもらった。歯石を取ってもらうと歯の間が空きますね。これが普通なのにいつの間にかこの間が埋まる。そしていつそれが埋まったのかわからない。大きな変化は解るのに、毎日の変化は解らない。いつの間にか人間の性格も時間とともに少しずつ変化しているでしょうね。これはリセットできないので自分で判断しようがない。同じようなことで、自分の中で勝手に過去のイメージが増殖していることもありますね。たとえば今日聴いた、今から20年ほど前によく耳にした佐野元春の「ガラスのジェネレイション」なんか、まったく違う佐野元春が歌っているようだった。
8月28日(月曜日)
今日は歓送迎会。メンバーが変わる。変わる度にこんな事をしててはお金がいくらあっても足りないが、今は期の始め、予算はある。と言うことでみんなで飲んだ。メンバーが多いので一人一人と杯を交せない。しかしとりわけビールを飲む人がいないのは残念だ。みんな自分の得意な酒を飲んでいる。これが現代風なのだ。飲み会で僕にできないことがある。飲んだ後、別の店で飲み直すというのはもう関心の外のことになった。帰りは本八幡からいつもの自転車。今日は大事を取って駅前のエクセルコーヒー店で少し休憩を。その間にこの文章をかいている。酔っても椅子と机と照明があれば文章は書けるのだ。
8月27日(日曜日)
朝新聞を開くと、浅草でリオのカーニバルもどきが公開されたと報道されていた。カメラのテストはこちらの方が良かったと大反省。午後から今度は植物園で花の写真を撮影しようと稲毛海岸へ出かけた。あいにくと雨が降りそうな天候で色が十分乗った花は撮影できなかった。植物園の庭にはゴールドマリーが一面に植わっていて、まずはこれを撮影。ほかにも人間の胴体よりも大きなカボチャが実っていた。昼間は良いとしても、夜このような大きな物体を見ると不気味だろう。電車を乗り継いでプールに行き、さらに電車を乗り継いで帰り着いた。この辺りは電車が3本走っているので、乗り継ぎさえいとわなければ大概のところに出かけられる。9月の登山を前提として相当運動をしている。
8月26日(土曜日)
不覚にも、たまった新聞を読み返していたら眠くなり、12時半まで寝てしまった。疲れているのだ。近隣を散歩すると、今日は公園でお祭りがあることが解った。夕刻プールに出かけ、今晩撮影に使えるだけのエネルギーを残して水泳は切り上げた。メシをかきこんで公園に出かけた。発熱電球の照明でいかにも夜店という感じ、昨日買ったカメラは夜の撮影にも強いのだ。そのごった返している会場で友達と一緒の娘を見かけた。暗いとは言え身内は間違えようがない。早速こっそり撮影にかかる。しかしなにぶんくらい中でどんどんと動き回るのにカメラが付いていかず難儀していると、彼女の友達と目があった。変なおじさんがカメラで撮影していると誤解されたら大変だ。と言うことで即中断した。実娘とは言え、公衆の中では一歩間違えば逮捕される。やばい。と言うことで、この夜は、最後の仕掛け花火を納め、撮影にはやった鉾先も納めたのでした。
8月25日(金曜日)
妻には内緒でもう一台デジカメを買った。ポイントがたまっていたので出費の金額は少なかったが。デジカメは3ヶ月に一度のモデルチェンジで新しくなる。そしてますます性能が良くなり、市場が活況付いているのだ。今度のデジカメは600mmに相当する望遠レンズが付いているのだ。一眼レフ用のレンズでは160万円程度の価格だから手が出ない。このレンズを使って明日は撮影大会だ。帰りはカメラを買った記念にビールを飲みながら自転車をこいだ。京成本八幡の駅前にセブンイレブンがあり、ここは酒のつまみが豊富なのだ。僕のような人物が大勢いると言うことだ。
8月24日(木曜日)
昨日の問題は一端電源を立ち上げるとダウンロードされてないことがi−tunesに残っていて、別の接続方法で解決した。これは気のせいかもしれないが、一端ダウンロードした音楽をCD−Rに焼いて聴くと、CDから自分でPC録音した音楽よりも音質がよいような。調子に乗ってもう一つ別の「ソフィー・ミルマン」もダウンロードしたら、なんとこれも大当たり。もうHMVや石丸ソフト館で粘って音楽を探さなくても、ここで十分間に合うのだ。これは大変なことだと思う。高知の田舎ではHMVも石丸ソフト館もなく、こうした掘り出し物のCDに当たるのは運みたいなものだ。もしくはラジオを聴いて音楽を探すしかない。しかしこうしたネットでは、どこにいても割とレアな音楽を探すことができるのだ。どこの田舎の都市も商店街が寂れている。こうした傾向に拍車がかかりそうだ。
8月23日(水曜日)
諏訪内晶子さんのバッハを購入した。I-TUNESのネットで購入。「音楽はレコードショップで買うものではない」このような常識がやがて当たり前のように定着する。まだ、音質や価格のことを考えるとレコード店にメリットありだと思っていたいのだが利便性においてはネット配信は魅力大。今日のダウンロードはひどく時間がかかった。ここで大問題発生。一旦ダウンロードさせた曲が消去されるのだ。????が点滅している。夜は歓迎会。飲み物半額の店で午後10時半まで。家に帰って寝たのが12時半。大変つかれた。
8月22日(火曜日)
神保町にあるスポーツ専門店「さかいや」に行って山登りの装具を整えた。ズボンと靴はこうした専門店でなければ揃えることができず、ポイントもつかない専門店を選んだわけだ。さすが専門店と思わしめたのは、靴の販売部門である4号店の出来事だ。店員の奨めによって清算までした後、女の店員が出てきてちょっと待ってください。もう一度足の格好を見せてくれますか。と言う。先ほどの店員には悪いと思ったが、あまりにも厳しい言い方だったのでそれに従った。靴はいろいろ試されましたか?「いいえ、価格とサイズで決めました」。それではこの靴を履いてください。と言う。「少し幅の方が楽かな」。それで紐をしっかり締めて、坂の登りでかかとが浮かないか。下りで爪先が空いているか。を聞かれた。専門店とはかくあるべきと感じた。この店員さん名札を見るとマネージャーだった。きびきびとして好感が持てた。一緒に行ってもらったFさんと近くの居酒屋で飲んだ。この店も店長がお奨め料理を出してくれて満足だった。9月の連休にFさんと尾瀬の山に登る計画だ。そのための装備をそろえているのだ。
8月21日(月曜日)
11日間もだらけていた反動が来て体がきつい。朝からガンガンと照りつける太陽も多分嫌気の方に加担だ。あまりにも喉が渇いて、帰りはビールを飲みながら。自転車に乗って片手にスルメ、時々持ち替えてビールで、結構忙しい。家に帰り着く頃酔うのです。
8月20日(日曜日)
夏休みの最後には締めくくる言葉が必要だ。今年の夏休みで一番時間を費やしたのは読書。普段なかなか時間の取れない読書の時間を多く確保した。あれも読みたいこれも読みたいと買った本がたくさんあるのだ。こうして自分で選定した本を眺めていると酒など飲んでないで寸暇を惜しんでも本を読まなければこの世界について行けない焦りを感じてしまう。しかし現実にはなかなかこの読書にまとまった時間を割くのは難しいと言うのが結論。11日間の休暇で6冊。帰りも列車。南風6号は「アンパンマン」列車だった。列車の塗装がアンパンなのと、シートの枕カバーがアンパンマンだ。土讃線は約3時間かけて高松まで届く路線だったが、現在は路線の変更なく、岡山まで2時間半でいってしまう。列車の性能アップにたよる短縮だ。この列車の揺れはものすごく、やっぱり今回も酔ってしまった。JR四国はレールの施設にもっと精度を上げて乗り心地を検討すべきだろ。6時間の列車の旅に、DVDの映画@「ロード・オブ・ロー」A「シリアス」B「サラボーン」と3本見た。@ではブリジット・モイナハンが魅力的だった。Aは難解で、一度見ただけでは意味不明。Bは先に彼女について少し勉強して見るべきだった
8月19日(土曜日)
夏休みも今日で終わった。明日千葉への移動。あさってからは激務だ。今日は犬の散歩の後必死で昨日から読みかけの「富の未来 上巻」を読んだ。午後4時に読み終えた。昼飯も抜きだ。文中でインパクトのある部分を抜き出すと、「富の基本的条件のもっとも深い分にある要因の一つに時間との関係に革命が起こっている。この点だけでも、我々の生活は変わり、子供の生活は変わる」。「世界60数億人の頭脳の記憶容量は、1,200ペタバイト」。「人生70年でおおよそ6Gバイトの情報に接する」。「金銭経済と金にならない経済もある、この金にならない経済も金に換算すると、金銭経済と同じ金額に換算される」。抽出すると妙にこの文献が味気なくなるのは、僕の抽出する範囲が狭いからだろうか。本を読み終えると近くにオープンしたコーナンへ。出張用の鞄の修理のための接着剤を買いに行った。なま暖かい空気から強烈に効いた冷房の世界へ。身の縮む思いがする。買い物を終えて外に出るとめがねが白く曇る。それから海老漁の引き上げだ。昨晩台風10号の雨で川が増水していたが、強行に引き上げにかかる。漁果は海老3匹。もうこの川には海老はいない。取り尽くしたのだ。来年の夏にはもう少し仕掛けの範囲を広めて施そうと思う。今日の海老はコーラーで煮た。砂糖と醤油で煮込む味とは違った風味だった。もう父と酒を飲み交わしてもそんなに話す話題はなく風呂に入って部屋に引き上げる。それが午後6時半。まだ明るい。田舎では午後5時に食事を始める。午後8時には就寝だ。
8月18日(金曜日)
台風10号襲来。中心は九州に上陸したが、高知県は南からのしめった雨雲の影響で朝から断続的な強い雨脚。昨夜、遅くまで「レジェンド・オブ・ゾロ」と「博士の愛した数式」「力道山の後半」 と3本の映画を見て眠ったら、どうしたわけか頭がさえて眠れず、朝6時に目が覚めてしまった。昨晩も酒を飲み余し食事をしてなかったので腹が空いた。頭はぼけているが腹は空くで、とにかく食事。腹が満たされるとどうしても体がだるくなりもう一度眠る。9時起床。だらだらしててはいけないと、犬の散歩。ところが途中で大雨。園芸組合の倉庫で雨宿り。母屋の掃除をして、離れの自分の掃除をして、近所のMおばさんの家を訪問。子供たちも都会に帰ったのでゆっくり話ができると思って。しかし僕の頭はどうも酒と睡眠不足でぼけていて、あまりこれといった話ができなかった。雨が激しくなり図書館で本を読むのは中止。自宅でガンガンに冷房を効かして本を読むことにする。うっとうしく激しく降る雨も、ガンガンに冷房を効かした部屋には浸透せず本に集中。「富の未来」アルビン・トフラー氏。相当重たい本なので(重量ではない)上下巻を読み終えるには4日程度かかる模様。おもしろい文面を見つけたので掲載する。富はいろんな条件の下で蓄積ができるが、その条件の一つに社会から見た速度と言うのがあるそうだ。アメリカ社会を例にとっているが、たぶん日本も同じような環境だと思う。この速度を時速にして表現している。時速100km=企業。時速90km=社会団体。時速60km=家族。時速30km=労働組合。時速25km=政府の官僚体制。時速10km=公共教育制度。時速5km=世界的な統治期間(国連とか)。時速3km=国の政治機構。時速1km=法律。それぞれコメントはあるが何となく共感できる。雨粒はISO感度を1600に設定して1/1600秒で撮影。
8月17日(木曜日)
コンビニのゴミ箱あさり。昨日の魚果は惨たる内容だった。ペットボトル500mlは全く役立たずだった。2リットルクラスのペットボトルでなければ海老は入らない事がわかった。そこで今日は3度にわたって近くのコンビニのゴミ箱をあさりに出かけた。少し惨めな気もするが、あの海老の魚果を思い出すと言ってられない。一回は店長と出会って、理由を言って漁らせてもらった。台風の影響は少し雨がぱらつく程度だから、川の増水はなく明日は今日よりも多くのペットボトルを仕掛けてくるつもりだ。家の掃除をして、図書館に出かけた。今日のテーマは「電子材料王国日本の逆襲」泉谷渉。半導体メーカーは伸び悩んでいるが、半導体製造メーカーは堅調である。ここからこの書籍の主題が始まった。文中で気になる文面に出会ったのは、@日本の半導体メーカーはコストダウンを要求するのに、インテルやサムスンは長期安定供給を要求してくる。A日本の半導体メーカーは、半導体製造メーカーに対して「材料屋風情」という態度で接するらしい。Bウエーハー最大手の信越化学の06年投資額は2,000億円。最大手の半導体メーカーの東芝は2,900億円の設備投資額。明らかに半導体メーカーは国内的で、半導体製造メーカーはグローバルだと言うのが文中からも見て取れる。「志は高く」と言うべきか。人間いつまでたっても頭は垂れろと言うべきか。なんだか、この本から人生訓をみてしまった。今日はあまり動かず、酒も弾まず父とも会話は進まず、母は透析で疲れ早く寝込んでしまった。
8月16日(水曜日)
一瞬の出来事だった。近くの川原に、海老取りの仕掛けを施しに言った。目の前をトカゲが走ったと思ったら、今度は黒い蛇。その後はごらんの通り一瞬にしてこのトカゲは蛇に飲み込まれていたのだ。蛇は飲み込むと同時に鎌首をあげてのどを通りやすいようにした。そのあと、図書館で「フラット化する世界下巻」を読んだ。下巻はいかにしてアルカイダがテロに走ったかを分析している。読者によってこのほんの解釈はいろいろあるのでコメントは差し控えるが、この上下巻によるフラット化する世界は、現在のビジネスマン必携の本となることは間違いない。夕刻、近くのコンビニをあさって大きなペットボトルを探してきて、海老取りの道具を大量生産して、いつもの川に仕掛けに行った。少しでもこれに引っかかると、大漁になるはずだ。懸念する事項は、台風接近で雨が降り川の水が増水することだ。
8月15日(火曜日)
海老取り
息子に初めて父としてしかできない遊びを教えてあげる事ができた。それは川海老取りだ。やり方はペットボトルを加工する。その方法は、ペットボトルに無数の穴をあけて、上から三分の一の高さでこのボトルを切り離す。その切り離した部分を反対にして、本体に押し込む。押し込んだまま、はずれないように、ここにも穴をあけて針金のようなもので固定する。この中にドックフードを3個程度入れて川の底に口を川下向けて沈める。このボトルがあがってこないように、川の石で重しをする。まる1日このまま放置をしておくと、このペットボトルの中に海老が入っているというわけだ。この海老は、砂糖と醤油でしばらく煮込むと料理ができあがる。息子に、この一連の流れを実地体験させてあげ「田舎は自然があるからすばらしい」と言わしめて、彼らは10時の便で旅立った。そのあと、牧野植物園に行き、トンボと百合と朝顔の撮影を行った。入社した頃ボーナスで購入した、キャノンの一眼レフカメラFtbも持参した、この昔のカメラの測光当てにならないので、デジタルカメラLUMIXで行い、そのデーターをFtbに施して撮影した。レンズは135mm。強烈な炎天下での撮影で、汗がほとばしった。この汗の代償にビール。ここのレストランは秀逸だから、ここで休憩しようと伺ったが、なんと満員。特に一人客は優遇してくれない。待てど暮らせど順番が回ってこないのであきらめて退散。夕食は子供たちがいなくなりひっそりとした中で父と酒を飲んだ。あまり飲んだつもりはないのに酔っぱらって午後7時頃から寝てしまった。
8月14日(月曜日)
昨日の仕掛けは間違っていて全然引っかかってなかった。それでもう一度トライする。しかし明日の朝息子達は帰るのだ。この仕掛けにエビが入っているのを一目見せてあげたい。昼から一昨日から取り組んでいる「フラット化する世界 下巻」を読む。この本は行間が詰まっていてしかも内容が濃いので一ページ進むのに時間がかかる。午後5時前にやっと半分読んで本日の読書タイムは終了。この本の下券の途中までの最大のポイントは、20世紀は強い国、強い企業とかが競争力の根元であったが、21世紀の今は、「強い個人をつくることだ」と結んでいる。そのことは日本の経済界を見ても何となく解るような気がする。夕刻散歩に出かけて、おはぐろトンボを撮影した。このトンボは止まっているとき羽を広げてないので、時々開くまで待たなければならないのだ。
8月13日(日曜日)
午前中小学生の頃にお世話になった先生のオタクにおじゃました。先生は80歳。まだまだ元気そのものだ。近況をお伺いした、昨年まで塾の先生をやってたらしいがもう止めたとのこと。この先生との出会いがなければ僕はゴジャな人生を送っていただろう。如何に幼少の教育が大切かを身をもって体験した。午後は、図書館で昨日の読みかけの書籍の上巻を読み上げる。夕刻息子を連れて近くの川にエビ取りの仕掛けを施しに行った。都市生活しか知らない息子には自然の中で食べ物を捕まえて口にすると言うことが新鮮に映ったようだ。明日の朝引き上げに行くのだ。しかし、問題が発覚した。この仕掛けについては父の弟が詳しい。この仕掛けをしたのちやり方が正しいのかどうか電話で確認をするとどうも間違っているようなのだ。そこで早速夕刻自転車で聞きに行くことにする。出かける前に虹が架かっていたので無理矢理少年少女を呼び出して記念撮影。自転車で行くのは酒を飲むからだ。そして良く理解した。早速明日から実演だ。
8月12日(土曜日)
朝の内は曇っていたが、8時頃からまた夏の太陽が顔を出した。犬の散歩から帰ってから、本を読むため「琴が浜」の松林に向かった。子どもたちが一緒に勉強に来るなら図書館でも良かったが、一人だともっと気持ちの良い場所に向かうことにしたのだ。この松林は太平洋を望む海岸沿いにあり、気持ちの良い風が吹いてくる。松の木陰で気持ちよく本を読んだ。昨日は衝撃的な中国の委託工場についての文献を読んだ。「Hon Hai」は世界最大の金型工場を併設していて、ここよりもコストとスピードと品質を競う会社はいないと言われる。任天堂もプレイステーションも、モトローラーの携帯電話も生産されている。社長曰く設計と販売以外は任して。この本の後、本日の書籍は「フラット化する世界」についての文献。コロンブスの時代は地球は丸いことを発見したが、現在では地球は平たいことを発見する。その事例を世界を歩いて取材してトーマス・フリードマンが纏めた本を本だ。彼は僕の1歳下の53歳だ。世の中は激しく変化している。その根底にネットワークがある。この2日間痛切に時代のスピードに付いて考えさせられたので、この休暇中少しネットワークに手を染めてみたくなった。ここ田舎にはマックの古い機種で「パワーマック8100 MacOS8.6」がある。もう一つのパソコンは自作のパソコンで「750MhzPen3、Win98」がある。いずれも一世代昔のPCだ。MacにはUSBは無く、この2つのPCのデーターをつなぐモノはPDと呼ばれる昔のリムーバブルメディア。そのメディアを抜き差しして、データーの橋渡しをしていた。ところが最近ネットワーク専用のHDDがあることを知った。これを利用してお互いのPCからアクセスすれば、このHDDのデーターは共有できるのではないか?。と言う仮説を立てて、早速ヤマダ電機安芸店に行き、バッファローの「LINK STATIONー250G」を買ってきた。これらの中心となるルーターは昔ISDNでネットワークを組んでいたときに使った「ヤマハのRTA52i」。これらを全部LAN回線で結んだら、当初思ってたように、違うOSでもデーターが共有化できるようになったのだ。この廃物利用のようなネットワークは古いマシーンでもまだまだやり方によっては使えることを実証した。Macは文章を書くのに最適だし、Win98はデジカメの写真を取り込むのに最適だ。勿論保存は250GのHDDだ。
8月11日(金曜日)
お墓参りの後、娘と一緒に図書館に出かけた。娘は今年度受験勉強なのだ。静かで、机があり、涼しい最高の場所がここ。昼飯も近くの喫茶「ピーマン」で済ませ、ほとんど缶詰状態。僕の方もNE誌や特選街など日常の読み残し雑誌がありこれを拾った。こうした雑誌を読んでいると世の中の移り変わりがあまりにも激しいことがわかる。書籍は体系的に整理されていてわかりやすい。特にネットに関しては少し離れていたので浦島太郎さんになりかけていたと反省。明日からも図書館通いが続く。
8月10日(木曜日)
高知市内で「よさこい祭り」が開催されている。これは日本全国にある祭りとは違い、毎年踊りを創作してゆく必要がある。しかも、炎天下で長い間を踊り続けなければならず自ずと若者に対象が絞られてくる。また、派手な衣装も毎年の更新が必要で相当お金もかかる。このため何かの団体に所属しなければならない。結構ハードルが高いのだ。だから観客はいつ見ても楽しい。カメラマンも腕の振るいようがあるというもの。そこで一眼レフカメラLUMIX-L1と高倍率デジカメLUMIX-FZ30と三脚を持って出かけた。昼飯は家族と落ち合いパエリアとビール2杯を飲んだ。撮影会場は知寄町を選んだ。大手筋まで行かなくてもここにもきちんと来てくれる。4時間の感想は「十人十色」が最高だった。こには美人を多く揃えていた。それにしても動くものを撮影するのは難しいですね。炎天下脱水症状にならないのが不思議だった。
8月9日(水曜日)
朝6時起床。風呂に入って7時の特急電車「南風」に乗車、9時半に後免に到着。土讃線は列車の揺れが激しく酔ってしまった。高知もきっぱりと晴れわたり光線が強い。昼飯の後、奈半利にある「モネの里」に向かう。途中、薬屋の佐和ちゃんに逢って高知の学業事情を聞く。彼女は1歳下の可憐な女性。話足りないようだが公園の時間も気になるので失礼した。奈半利行きは厳しい暑さだが自転車で走っているぶんには大丈夫。常時薄い汗をかいているので温度がこもらないのだ。「モネの里」で、まずはビールから。冷たい一杯が程よく染み渡る。体が潤ったところで撮影開始。まずは庭の花。ここは手が入ってなく蜘蛛の巣が多く、旨く撮影できていると思っていても、帰って拡大して始めて蜘蛛の糸を発見する羽目になる。5時の終了間際に有名な蓮のある池に。いくつかカットを押さえる。この風景を価値あるものにするにはRAWで撮影する必要があるが今回はJPEG。距離は30km。1時間半で帰りつくはずだったが、赤野の丘で列車と夕日を狙っているおじさんが居て、教えを乞いながら撮影開始。あいにくとこの日は太陽が早いタイミングで隠れていまい撮影は中断。寝る前に、ハリソン・フォードの「目撃者」を観た。オーディオシステムが46cmウーハーで構成されているので深夜には迫力がありすぎた。
8月8日(火曜日)
慈恵医大で腹の調子を見てもらっている。今日が3回目。しばらく飲み薬を続けたらどうなるのか?の診断だ。しかし、調子の良いときにまで薬を飲むのははばかれて3週間の間5回程度飲んだだけだった。医者は多分大丈夫と思うが念のために大腸の検査をすることを告げた。午後から岡山に移動。移動中に今週のレポート2冊を書き上げて少し肩の荷が降りたが、肩は凝った。岡山では打ち合わせがありそれを終えて懇親だ。岡山といえば「ママカリ」。おいしく頂く。岡山のおいしい地酒を賞味しながらしばし懇親。解散後近くのファーストフードのコーヒーを買い込んでPCで映画を見る。ところがこのコーヒーがあまりにも旨くて。旨くて。テイクアウトで420円だったが、それなりの味。
8月7日(月曜日)
台風が来ていると言うのにきっぱりと晴れわたった。こんな日は普通の行動をしててはいけないと本能がささやく。それで東京まで自転車通勤することにした。朝でも灼熱の太陽が照りつけてくるが、風を切って走るぶん影響は軽微だ。銀座まで1時間半。コンスタントにこの時間をはじきだせるようになった。タイヤの空気圧を6kgとし、江戸川区のショートカットルートを見つけたためだ。銀座から職場までは7分。時間ぎりぎりまで喫茶店で粘る。電車通勤と同じ30分の読書時間が確保できる。帰りは小岩のセブンイレブンでビールとおつまみを買って、小松川水系の公園で一服する。相当汗をかいた後でビールが旨い。一日の締めくくりにふさわしい
8月6日(日曜日)
今日も暑い炎天下だ。しかし今日は出かけるわけにはいかない。先週から読みかけの本を読み上げるのだ。それで図書館に出かけたら、図書館は満員。ここの少し効き過ぎる冷房は住民にとっては最高の避暑地なのだ。やっと席を確保して「エキスペリエンツ7」を読み始める。読み始めると世の中の出来事から頭は切り離される。あっという間に午後3時。プールで運動の時間だ。この夕刻の運動は日曜日の睡眠にとても重要な役割を果たす。日曜日に少し寝過ごしたと思えば、2.5km。割と速く目が覚めた時は2km。この加減は結構難しい。今日は2.3km。まだ眠くない。少し調整しすぎだ。子供たちは年に一度のお祭りに出かけて22時頃でも帰ってこない。お祭りと言っても駅前の道路を通行止めにして屋台が出るのと、駅前の広場で盆踊りを踊るだけだ。♪踊り踊るならちょいと東京音頭♪。。。こんな音楽が流れていた。
8月5日(土曜日)
今日もあまりの天候に、新聞の拾い読みをするのはもったいなくなり、リュックサックを背負って飛び出す。行き先は40km先の印旛沼だ。この日差しの下では汗をかくのに限る。自転車の運動は絶対に熱中症にならない。ごく微量の汗が風で体を冷やしている、玉のような汗は滅多にかかない。よく汗が体温を下げると言うが、玉のような汗は体温を下げないのだ。4時間乗ってから利根川の堤防にでてビールを飲んだ。首に手を当てて、吹き出た塩をなめながらのビールはなかなかいける。この塩は「純塩」だから、嘗めてみても旨いのだ。ビールに塩が合うとは知らなかった。午後6時過ぎに帰着。これほど気持ちの良い風を切ったのは久しぶりだった。だいたいこれくらい自転車に乗ると腹がへこむ。
8月4日(金曜日)
京浜急行に乗る。京浜急行太田駅に、僕が初めてデートした女の人が住んでいた。長沢真澄さんだ。お正月彼女の家を訪問した。着物を着た姿を見せてくれと頼んだ。父はタクシーの運転手。兄はサラリーマンだったと思うが記憶が薄い。当時は酒を飲むことを知らず、お正月だというのに、すぐに彼女の部屋に逃げ込んだ(酒から)記憶がある。京浜急行は想い出のある電車だ。その青物横丁駅で下車。ここのビルに缶詰で研修。いつも教壇経つ方だが、机側はしんどい。外は炎天下で燃えている。こんな日は仕事をするのがもったいない。休憩のたびに外の景色を見て青空に思いをはせる。午後5時半に解放。荷物をまとめに職場に帰る。
8月3日(木曜日)
夜中に腹痛で目が覚める。トイレに何度か行った後落ち着く。また一眠り。ところが、目が覚めると、なんと出発の飛行機までにあと30分。PCを開いて次の便に切り替えましたね。8時の飛行機で東京へ。目覚ましに気がつかないのは久しぶりだった。夕刻は名古屋で大変お世話になった知人の娘さんが東京に来ているというので落ち合うのだ。彼女は中学生の時に僕が意地悪をしてすっかり僕を嫌いになっていたが、20年の時効で許してくれるようになったらしい。一緒にメシでも思ったが、既に食事はすんでいるらしい。近くの喫茶店でお茶を飲みながら近況を聴かせて頂く。彼女もいっかどのビジネスピープルで仕事も深夜になるらしい。職場と家庭は車通勤。名古屋ならではの環境だ。彼女も僕のことを彼女の母が呼んでいた名前で呼ぶ。このような娘さんが高知にも一人いる。とても大切な人たちだ。
8月2日(水曜日)
仕事の打ち合わせで二日市に移動。先方は友達でもあり得意先でもあり、幹部でもある、複雑な関係の人と懇親。九州の欠点は魚があまりにも旨く、ここで暮らすと旨いものを食べすぎて体をこわす可能性があることだ。だから、こうした懇親があるとき以外はコンビニ弁当ですますのが良いと思う。左の写真はイカの刺身だが、他の場所で食べるのと味が違う。困ったモンだ。一人で一皿食ってしまった。帰りは西鉄電車で天神まで、天神から祇園まで徒歩。旨いものを食べすぎた反省だ。
8月1日(火曜日)
午後6時の便で福岡に移動。聴くところによれば、大堀公園で花火大会とか。これを逃すことは失礼に当たる。早速カメラを持って撮影に。ところが、あまりの人出。背の低い僕としては手を伸ばして撮影せざるを得ず、どうしても「手ぶれ」となってしまう。かといって公園の中にぞろぞろ入っていくのも帰りのことを考えると危険だ。入り口を少し進んだところで我慢しましたね。できるだけ大きな画素で撮影し、重要な部分を切り抜いて、画質補正をかけて仕上げるつもりで撮影した。ホテルに帰り着いて、PCでフランス映画「ナイト・オブ・スカイ」を見る。フランス版トップガンだが、ストーリーがめちゃめちゃ。しかし音の移動感はすごい。それだけの映画。
7月31日(月曜日)
月曜日は頭も死んでいる。エンジンが掛かり始めるまでに数時間はかかりそうだ。旅費精算もまとめてすると大層時間がかかる。誰とも話したくない気分。昼からやっと人間に復活して、夕刻はミーティングをできるまでに回復をした。重要な電話も結論は後回し。とにかく今日をしのぐのが先決だった。今日は速く帰宅して最近ヒットしているCDやDVDをレンタルして録音する作業が残っている。今日やらないと夏期休暇に見る映画がないことになる。早速帰り、2台のPCをフル動員して録画、録音を行いましたね。午後11時にめどがつき就寝。早朝、妻さんがレンタルを返却に行った。
7月30日(日曜日)
今週一週間分の寝不足がたたった。朝9時まで不覚にも眠り込んでしまったのだ。昨晩は遅く帰ってきたので、食事の後「三丁目の夕日」を0時まで見たことも原因だ。この漫画はビックコミックで掲載していた。今から20年ほど前名古屋に住んでいる頃よく見た雑誌だ。人情味が売り物の漫画だった。それをそっくり実写として扱っている。昨日大阪日本橋を歩いていると屋台に積んであちこちで販売している海賊版にぶつかったので購入した。このディスクはビデオテープからのダビングもので画質が悪く、しかもDVDの品質が悪く、I-0dataのDVDドライブでないと再生できなかった。と言うことで、今日はゆっくりと過ごす日。食事の後、「エキスペリエンツ7」堺屋太一氏の本を持って近くの図書館に出かけた。この本の内容は寂れた商店街を立て直す物語。しかしこれに携わるのはふつうの人ではない、それぞれいろんな方面で才能を持った人を主人公となる定年退職した「坂本さん」が集めたのだ。このストーリーは古くは「7人の侍」新たらしくは「アルマゲドン」だ。この特殊な能力を持った人たちが結託して、政府の規制をかいくぐって、または大資本の横暴とも立ち向かって目的を達成する物語だ。535ページもある大作なので半日では読み切れない。午後3時になると習志野にあるプールに向かう。今日はよく寝たので2kmを少し上回る時間を泳いだら、なんとやりすぎで、8時過ぎから眠くなり寝てしまった。
7月29日(土曜日)
朝から快晴。今日の天気予報は午後から雨とのこと。早めに起き出し大阪の植物園「咲くやこの花館」に向かう。大阪人は静かな森のたたずまいは嫌いだろうか。この公園の奥まった静かなところで、発電機を使ったカラオケを営んでいる人たちがいた。お客様は観客がいないけど大音量で歌えるので爽快感が得られるのだろう、朝から大音量で演歌が響いていた。全国の植物園を回ったがここは花博覧会が開催されただけあり、他の地区と違う植物が植わっていた。中でもへびウリは、夜明かりがないところでこれにぶつかると腰を抜かすだろう。夕方の飛行機で帰るため伊丹で待っていると関東地方悪天候のため飛行機が着陸できず出発が大幅に遅れるとアナウンス。僕はPCを開いて「ターミネーター2劇場公開版」を見る。この映画は既にDVDになっているが、後から発売される特別ディスクは高画質。旅には少々重いがこういう小道具を持っていると時間的な支障はあまり気重にならないですませられる。
7月28日(金曜日)
目覚ましで気がつけばホテルのベッドで寝ていたと言う大変危ないことをしてしまった。ズボンはエアコンの上に被さっていた。靴下もはいたままだった。一体皆さんと別れた後何があったのだろうか?そして朝会社に向かうが、とても仕事ができる状態ではなく、近くの公園に行って休憩だ。10時をすぎた頃にやっと頭が正常に戻ってきた。もう金輪際酒は飲まないぞと思いましたね。
7月27日(木曜日)
幹部のOBでTさんと会う。9月のイベントの打ち合わせである。待ち合わせ場所は天満橋の旧松坂屋の上。現在は百貨店の部分が家電販売店に変わっている。その後、美々卯でうどんすきを囲みながら懇親。ここでの失敗談。ここに旨い凍結酒がある。それを頂きながら歓談をしたのだが、この酒が旨いの何の。つい度を過ごしてしまったのだ。天満橋から扇町まで歩いて帰るのに途中どうしたのか解らない。また歩くのに偉い難儀したことを覚えている。この凍結酒は足にも来るのだった。
7月26日(水曜日)
朝一番の新幹線で東京に移動して、夕方遅い便で大阪まで移動する。移動も関西方面は疲れないのに東京から北の方への移動は妙に疲れる。この日はどうしても阪急東通り商店街の中にあるお寿司屋「魚心」さんで大きなネタの握りをカメラに納めたかった。こんな大きなネタの店はほかに見つからないのだ。マクロ撮影すると迫力があると思ったのだ。週末にカメラの撮影を計画していたので、鞄の中は重たい荷物で一杯、あまり歩きたくない気分だがしかたない。板前さんに大きなネタの握りの名前を聞き出し、それをカメラに納めた。少々注文しすぎたこともあり苦しい。ホテルは昨晩とうってかわって冷房があまり効かない少し安いホテル。
7月25日(火曜日)
高崎のアーバンホテルに宿泊している。静かで書き物ができる程度の机があり週末に書類を仕上げるにぴったりのホテルだ。なかなかこうした快適なホテルがないのだ。今日は旧友で得意先に転属した竹内さんと懇談だ。久しぶりの再開。この間お互いに大きな経済の波に巻き込まれてそれなりに犠牲を払った。人生はいろいろとあるが、なかなか自分の生き方を自分で決めることはできないと思いましたね。いろいろと話すことが多くて、話をしながら日本酒をいただいたので、したたかに酔ってしまった。
7月24日(月曜日)
月曜日は体がつらい。それで朝のリポビタンDの力を借りている。もう数週間続いている。夏の暑さは戻ってこず、停滞感にうんざりしている。新聞やマスコミの報道は景気回復だが実態はもう停滞している。決算報告だけで景気を読んでいる頭でっかちには現況は解らないだろう。天候不順で自転車通勤もままならず、出費がかさむ。
7月23日(日曜日)
いやがる息子と娘を別々に説き伏せて撮影。カメラのテストだからという名目で。中学生はなかなか言うことを聴かない。理由は親と一緒のところを仲間に見られるのがいやなのだ。その後図書館へ。夏の間は図書館で本を読むのに限る。冷房が効き居眠りもできる。専門書を読んだのでますます眠ることができる。午後3時に退散してプール。休日の2日目は十分な運動を行わないと眠れないのだ。土日とも雨はなかったが、九州の方では大変なことになっているようだ。8月2日は博多に行く予定だ。
7月22日(土曜日)
息子のPCがウィルスバスター契約切れとなりそのままとなっていたので再インストールを行うことになった。朝、子供いる前で行ったが何の関心も示してくれない。そのうちに野球の練習に出かけて行ってしまった。僕が彼の年齢だったころ、父の農機具の修理にヤンマーディーゼルの営業マンであり簡単な修理のできる小松さんが来たときは、目を皿のようにしてその一挙手一投足を観察したものだったが。世代というかDNAの違い。まぁその代わり僕は野球などと言うものに一生興味が沸かない。ウィルスバスターは更新手続きとソフトの再インストールが別のディスクを使うようになっていてややこしい。▲今日のメイン行事はLUMIX−L1の撮影だ。約25万円のデジタル一眼レフのカメラの売りはライカのレンズを使った解像感だ。このためにできるだけ画像処理エンジンを働かさないように基本性能を磨き挙げたと言う魂の入った商品だ。手ぶれ補正もあり今日の鈍天にぴったりだ。一方対抗するカメラはIOS20Dで、これにも手ぶれ補正機能付きの同じ倍率のレンズを装着をして撮り比べる。なかなか興味の沸く企画だ。撮影場所は雨の心配のない新木場にある夢の島植物園だ。ここのレストランがなかなか魅力的。まずは生ビールから始まった。撮影は楽しかった。そこから国際展示場に行き、船で日の出桟橋に向かった。つかの間の船旅。どんどん暗くなってきて撮影条件は悪化。撮り比べた結果わかったことは、LUMIXの方が断然良いですね。「絵」の出方が新しいのです。デジタルは一瞬たりとも古い機械はだめですね。次々と新しい機械に変えて行かざるを得ないですね。
7月21日(金曜日)
日本の人口が減少に転じて若者人口が激減し始めている。一世代で100万人。団塊の世代は300万人弱だから減り方はすごいことになっている。身の回りにも未婚の人が多い。その希少価値のある若者と酒を飲んだ。希望あふれる彼らにはまだ世界を動かせるパワーが感じられる。そうは世の中旨く行かないぞと言うおじさんの言葉は歯牙にもかけない。若者との対話はエネルギーを貰えますね。酒をだいぶ呑んだはずだがあまり酔わなかったというのもエネルギーのせいですね。それで帰りがけ駅のコンビニで「大関」を買って机のパソコンで「ハウルの動く城」を見ながら飲んだ。50型のPDPがあるのに、そこで娘と妻が寝ているので深夜は使えない。薄型TVもいよいよ2台目ですね。このような人も多いのでは。そして2台目はパソコンと共存するテレビというのが狙い目ですね。32型ならメールをしながらテレビも十分見られるサイズが確保できる。量販店の店頭にパソコンテレビが並び始めた。
7月20日(木曜日)
作新学園の前を通りかかった。そこで感じたことがある。場所は栃木県宇都宮市のバスの中だ。土地の人は首都圏だと思っているらしいが、ここは立派な田舎だ。なにがそうさせているか?。体感温の感覚だ。車内に冷房がなく、しかも窓も開けない。それが常識なのだ。乗り込んできた学生も平気だ。普通の人の感覚では暑いと思うが。仲間の一人が北海道で同じ経験をしている。特急列車のなかで大汗をかいたと。ここでも冷房なく窓開かずだった。以上バスで感じたこと。次のはホテル。高い汚い暗い。TKKです。 スタンドを借りても暗い、何でこんなに場末なのか、と言う疑問に答えるには、人口問題に解がありそうだ。すなわち日本の人口が減少に転じた。大都市では実感がないが地方都市ではかなり深刻化しているのではないか。特に少ない若者達は首都圏に吸い寄せられているからなおさらだ。地方財政が立ち行かなくなり破産申告をしたところもある。放漫経営が原因だとしても、まさかこんなにまでなるとは予測だにしなかった。というのが彼らの言い分だろう。と思う。このような地方都市でホテルは減る一方の客に対し、新たな投資をして集客をしようとは考えられないのだ。これから定年を迎えて田舎で暮らそうと思っていても、田舎暮しは金がかかり、その割に中身が薄い生活を計算に入れる必要がある。
7月19日
雨が降っていて自転車通勤は断念。もう2週間あまり自転車に乗ってない。全行程を電車で通勤するには切符を買う方式では赤字となるのだ。そこで自転車をつかって遠回りの電車ルートをショートカットして東京メトロ1本のみで済ませる方法は費用の点でも、読書のためにも極めて効率的な方法なのだ。最近買った著書に「電車の中で眠るのはやめなさい」がある。久垣啓一氏曰く、通勤には1時間の距離を選びなさい。そして坐っていける場所に住居を選びなさい。その時間で本を読んで勉強をするのです。とある。実に共感できる生き方ではないか。この世の中には読んでも読んでも減らない魅力ある文章があふれているし、それに費やす時間がないのだ。
7月18日(火曜日)
人はわからんもんだ
一番信頼できる人でもどうもこの点が気に入らん。たとえば、まぁまぁの人でもとんでもない背信行為をする。まじめな人なのに、ある点は非常に不謹慎だ。一生懸命なのに、全くずぼらな部分がある。二律背反とはこのことを言うのだろうか。そんな人の多面的な部分をすべてひっくるめて人格と呼ぶのだろうか。最近この人の多面的な部分で困惑している。どこを信用して良いのだろうかと。▲しかし、人はある一つの基準でしか動いていないのだ。その基準は深いところにあっていろんな表面的な現象で、それぞれの反応をする。それは多分その人にも解ってない部分もあるだろう。だから他人の僕でも理解しかねるという部分も出てくるのだ。天候がすぐれないので気分も滅入るのだろう。明日は大雨。
7月17日(月曜日)
手嶋龍一のウルトラダラーを読む。今話題の北朝鮮の金正日が偽ドル紙幣を偽造し、軍備を拡充する話である。あくまで小説なのにまるで現実の世界を読むようなライブ感がある。梅雨で部屋の中にいてもうっとうしく、自宅で冷房をつけるのももったいないので近くの図書館に行きここで読むふける。休日の夕刻はプールと決め込るが、妙に今日は元気がない。中断し散歩。妻は1日中家にいるのに掃除というものを一切しない。少し部屋を片づけたらと言うがTVに夢中だ。専業主婦なので外の世界が見えないと言えばそれまでだが、困ったものだ。
7月16日(日曜日)
早速タムロンのレンズ70―210mmを試すため文京区にある小石川植物園へ。今は花の盛りを過ぎていてお客様はまばら。ここは東大の研究施設なので飲食の準備がない。そこで、セブンイレブンで買い込んだビールと弁当を持参しての撮影だ。うっそうと茂る樹齢ウン百年の桜の木の下で弁当を食する。旨い。タムロンのレンズは被写界深度が低く、ピントの合う範囲がきわめて狭く、多くの写真がピンぼけのように写ってしまう。気持ち絞り気味が良いみたいだ。この足で上野に来ているルービル美術館に行きたかったが、なんと財布を見ると3千円しかない。お金がなければ行動はできない。今度は川崎のヨドバシカメラだ。もう一つレンズを購入するためだ。24−105mm。当初予定していた85mmは年末に持ち越すことにする。この購入したレンズがなかなかの優れもの。カチット写るのだ。カメラは金を食う。昔とりつかれたがお金のことで中断した。そして再開だ。
7月15日(土曜日)
いろんなこと
量販店の店頭に立ち販売業務。いろんなお客さまがくるが、その声に耳を傾けるのは面白い。いろんな考え方が見えてくる。名古屋は熱風が吹いていたが、一日中建物の中にいたので暑さからは免れた。そこでなかなか面白いフランス映画を見つけた。「ナイト・オブ・スカイ」戦闘機はみんなミラージュだ。CGを多用せず半分以上が実写と言う。必須の映画。今日の最悪はトイレに財布を忘れたこと。たまたま気の良いおばさんが拾ってくれて無事だった。こんな僥倖はめったにない。気を引き締めるべきだ。仲間の吉川さんからタムロンの70−210ミリのレンズを格安で分けてもらう。名古屋からの帰りの新幹線は「ターミネーター2劇場公開版特別編」を見ながら。映画も普通3回くらい見ないと理解できない。これでT2は完璧だ。いろんなことのあった一日。何とか今日中に帰宅できた。
7月14日(金曜日)
昨晩仲間とたこ焼き屋さんで飲んだ。冷房も無く、ビールは自分で運ぶセルフの店だが、安いので人気がある。外ではビールしか飲まないのに、誰かが勝手に焼酎を注文したらしく、酔った。それで今朝は朝食抜きだと決めていたが、朝には腹が減っている。少し前には腹の調子が悪く医者にかかっていたが。▲今日は夕刻名古屋に移動する。まだ家には帰れない。丸ノ内にあるアバホテルに宿泊したら缶酎ハイをくれた。これで今週は毎日ホテルで酒を貰う事となった。コンビニ弁当をたべながら映画「ポーラエキスプレス」を観た。クリスマスの映画なのに人生訓たっぶりで、なかなかの映画だった。このアパホテル6,000円と少し高い。しかし、ほんの少し高い分ホテルの仕様が良い。こういうプチ幸せが現代では受けるのだろうか。週末だというのに満員だった。
7月13日(木曜日)
今日も昨日と同じコースを歩く、大汗をかくが昨日程臭くない。昨日の汗で詰まっていた汗腺が開通し、古い汗が流れ落ちたようだ。大阪にも夏が戻ってきて、本格的な蒸し暑さとなった。熊ゼミが盛んに鳴いている。今年最初に鳴き声を聞いたのは7月8日。毎年この日の記録を付けているが一週間程早くなっている。地球温暖化の影響というのもあるだろう。
7月12日(水曜日)
上本町六丁目のホテルに宿泊している。毎日座ってばかりの仕事だから、今日は事務所まで歩いたらなんと一時間もかかってしまう。道中に大阪城があり、城内に登ることにする。付近の道路から隔絶されているので静と思いきやとんでもない騒音源があった。上空をひっきりなしに飛行機が飛ぶ。他にも天守閣付近の自動販売機へ飲み物を供給する車両の音、とか、とにかく大阪人は騒音には頓着しないのだ。大汗をかいて体が臭い。今日はめし屋で夕食、ビール抜き。頭すっきりだが寝付けない。
7月11日(火曜日)
前川孝幸さんの葬儀に参列した。病状が発覚してから2ヵ月で去ってしまった。本人は肝っ玉の座った人で病状を知っていながら泰然としていた。普通の人なら、掛り付けの医者が発覚出来なかった事を恨むだろう。また、病状が回復しないことに癇癪を起し家族に辛く当たるだろう。ところが前川さんは奥さんと濃密な時間を過ごしたと言う。惜しい日本人を亡くした。▲式場では、昔お得意先だった社長の吉田さんとお会いし、昔話に花咲いた。今は店をたたみ、隠居生活されていると言う。
お互いだんだんと葬儀のような辛い出来事の間隔が短くなってきているような気がすると言う話題となった。それから事務所に帰り一仕事。午後8時半に仕事を終えて仲間と一緒にお好み焼きへ。伯父さんばかりで、健康の話題となる。
7月10日(月曜日)
ホテルの宿泊はどうしても眠りが浅い。だから朝は頭が朦朧としている。今日は定時退社で仲間の前川さんの通夜に出かける。現役の仲間の逝去はつらい。若干48歳だった。今夜も眠れないだろうな。それでというか、ご冥福をお祈りするというか、一緒に通夜に出かけらHさんと井上さんを無理に誘って鶴橋の創作料理店で懇親した。注文した料理は出なかったが(忘れていて)なかなか旨かった。なぜ鶴橋かと言えば、僕の宿泊しているのがこの近くだからだ。定年退職された井上さんの近況なども聞けて良かった。
7月9日(日曜日)
雨で天候がすぐれないので、DVDを見て過ごす。「コーリング」「シン・シティー」。カーテンを引いて部屋を暗くし、42型のPDPで見るのだ。幾分古いPDPだが、部屋の照明を落とすとPDPの発色は豊かだ。音響システムは、ステレオだが46cmのウーハーから音が出るので、たとえばシン・シティーのブルース・ウイルスが持病の心臓病で鼓動がおかしくなる場面など、鼓動の低い音の迫力を十分再現してくれる。夕刻プールで一泳ぎして大阪に向かう支度をしていると携帯に電話。日曜日の電話は余りよいことがない。前川さん死去の訃報だ。一緒に仕事していた仲間だが肝臓ガンで入院をしていたのだ。喪服を妻に送ってもらうように手配した。あまりにも短い人生だった。
7月8日(土曜日)
雨には強い
台風接近の天候の中、高知に来た。牧野植物園で撮影を行うためだ。犬の散歩の後出かけた。普段は自転車だが、この天候では危ないということで車だ。植物園に到着すると太陽が顔を出して絶好の撮影日和。なかでもオレンジ色のゆりは今がピークでなかなかいいショットが撮影できた。もう一つは「トンボ」。アメリカのヘリ「アパッチ」を思い起こさせるようなトンボが居て、21倍のズームで撮影できた。これも収穫だ。植物園の中にあるレストラン(このレストランが、また最高の料理を出す)で食事をしていると突然の大雨。ところがこのレストランを出ると雨が上がっている。映画「十戒」を思わせるような体験。温室に入るとまたもや雨。車で帰るときまで雨は残っていたがやがて上がる。まるで雨が僕を避けているかのようだ。夕刻おじさんの家で懇親。さらに自宅に帰ってから父と酒を。これほど父と話したことはかつてない。
7月7日(金曜日)
2種類の分類について
2種類の男がいる。1種類は、世帯くささを感じさせる男。若くても、中年でもこの種の男がいる。もう1種はそれを感じさせない男。僕は後者だろうな。今まで自分本位に生きてきて家族ができても生き方は変えられなかった。その生き方だが、今最も関心があるのは娘の進学校でもなく、少年の野球でもなく、キャノンの85ミリレンズのことだ。このレンズは明るさが1.2もあり非常に明るい。開放値で撮影すると背景がきれいにぼける。このレンズを使って撮影することを夢見ている。本日賞与が出た。一部がこのレンズに変わる予定。家庭を顧みない男の計画だ。
7月6日
明日から大阪。そのための準備で大わらわ。大阪→高知→大阪→名古屋で、来週一杯は大阪での生活。週末の土曜日に名古屋。関西地方は台風の影響で天候が危ぶまれる。当分ホームページに掲載できないが、文面は手持ちの携帯電話WS003にワードの形で書き留めておく。16日に帰ってきて一気にサイトアップする予定だ。全く関係ない話だが、googleの掲載にも僕のホームページが引っかかるようになった。
7月5日
54回目の誕生日。個人的には何もないままに終わったが、日本国にはかつてないほどの緊張が走った。テポドンが発射されたのだ。その理由をがわからないと言うのがマスコミを始めとする関係国の疑問。私は北朝鮮側の現状打破だと推測する。そして、このような行動が現れると次が見えてくる。崩壊だ。この指摘がされて久しいが間もなくやってくる。先日娘はこのミサイルの名前で試験の点数を落としたが今回の事件で覚えただろう。それで、質問した。そのほかのミサイルの名前は。ノドンにスカッシュ、、、、。?
7月4日
どうしても体の健康は第一番だと言うことで、今日は慈恵医大へ行った。紹介状がないと3,000円追加。症状は下痢。その前後のことを細かく書いたら、結構えらい先生に割り当てられ3時間の待ち時間。腹の部分もCT検査するんですね。GEの最新設備を使っていた。料金は12,800円。まぁあれだけの検査をして以上がなければ問題なしと見ても良いか。と価格で安心感を買うような経験だった。これ買物にも似ているぞ。ブランドの安心感ですね。それに看護婦や検査員の対応がいいですね。
7月3日
北朝鮮がミサイル発射の準備をしている。このミサイルの名前は?というのが中学3年生の社会のテスト。これに対しうちの娘は何と答えたとオモイマスカ?「ポセイドン」。これじゃ夏封切りの映画「ポセイドンアドベンチャー」だ。テポドンとポセイドンは語呂が似ているといえばそうなんだが。なんて馬鹿なんだろう。どうせ勉強しても成績が上がらんなら勉強なんかやめたら?と励ましてやる。「そんなこと言わないで」と頑張る娘。来年は受験だ。コンビニの前で座り込み携帯メールするような友達のいる学校に行くのだろうか。
7月2日
今日も暑い夏の始まりだ。野球少年は9時に練習試合に出かけた。色白の少年だったが、今は真っ黒になっている。僕も一緒に学校の近くにある図書館に出かけた。ここだと、冷房が入って静かに本を読めるのだ。新渡戸稲造の「武士道」を読む。「義」についてのコメントが多い。ビジネスの世界ではこの義が薄れているような気がしています。久しぶりに朝から本を読んだ。昼飯は近くの公園でパンをかじる。ベンチでそのまま本を読んでいたら突然の雨。家に帰って続きを読む。結局この日は、日本の不平等/大竹文雄氏と2冊を読んだ。夕刻プール。2km。
7月1日
プラスマイナスゼロ
朝起きると、財布がない。昨日は夜遅くなって大阪に宿泊をしたのだ。速く出発をしなければ飛行機に乗り遅れる。焦るが見あたらない。仕方なく出発。しかし、一度テレビの上は確認してないぞ、と言うことでホテルに引き返す。フロントでもう一度鍵をもらおうとしたところ「おめでとうございます」と言われる。何のことやら?と思っていると、5,000円のキャッシュバックが当たりましたと言う。言われるままにお金を受け取り部屋に。しかしテレビの上には財布はない。
財布は小銭入れで足した金額は入ってないが、一緒に切符の回数券があるのだ。電車3ルート分なので、結構な金額だ。5,000円以上の価値があるのだ。だが仕方ない、もう時間がないので帰ろう。うちひしがれた気持ちで大阪を後にしたのでした。川崎の紀伊國屋書店で「トフラーの富の未来」と、秋葉原の石丸電気でデビリーボーンのCDを、この店は掘り出し物のCDが多い。以前はスイングジャーナル紙の書評で買っていたが、当たりはずれが多かった。この店の推薦は確実にヒットする(僕の心に)。家に帰って鞄を開けると財布は鞄の底に沈んでいた。一気に僕の気持ちは浮き足だった。プラスマイナス、プラスだ。
6月30日
宿泊したホテルは山西福祉会館。ホテルの設備は下クラスだが、朝食がすばらしい。この朝食のためにこのホテルに宿泊すると言っても過言でない。特にサラダとして添えてあるキャベツは新鮮でみずみずしく、トンカツ屋のキャベツのような切り刻み方なのだ。昼2番まで会議して、京橋でTさんと会う。電話がかかってきて急いでいるようだったので、タクシーで駆けつけようとしたが、なんとその前に僕の名前を呼ぶ人がいるではないか。それは、昔一緒に仕事をした得意先のUさんだった。リストラの後、運良く今までの仕事の経験を生かす仕事が見つかり楽しくしているとのこと。東大阪の人なので、一緒に徒歩で電車の駅まで歩き環状線に乗ることにした。「山登りは頂上を極めたら、下りもあるぜ」と心中を吐露された。彼と一緒に仕事をしているときは、僕は山に登るのが好きだったので、それで山の格言を言われたのだろう。
6月29日
大阪へ移動。先週に引き続き週末の大阪。体の調子が悪いので、酒のない夕食を。と言うことで阪急三番街へ。35年前初めて大阪にきたとき、ど肝を抜かしたのがこの地下街。地下なのに店の前を水が流れている川がある。しかもその川にはお金が投げ込んである。大阪の遠い親戚の「えっちゃん」「典子」「恵子」3姉妹に連れられてこの街を歩いた。大阪はおおきな町やなぁ。と何度も思いましたね。異国でしたね。そんな想い出に浸りながら、豆腐料理の専門店があったので入った。京料理風に装って薄味のなかなかしゃれた味だった。大阪の店は東京のように、混雑してないのがよい。そこから徒歩でホテルへ。
6月28日
少子化ジョーク集/坂井博通氏の本はおもしろい。晩婚の人に夜電話するときは「ばんこんわ」と言おう。うちの娘にガキって。産むを言わせない。とか、全編がジョークでつづられているが、行間には鋭い指摘がある。こういう本音とおもしろさを掛け合わせた著書というのはどんどん読めて、読書離れの人たちにも是非勧めたい一冊である。問題は電車の中で一人で笑うこと。ネクタイなんか締めているとまずい。
6月27日
昨日飲んだ酒のせいか体の調子が極めてよくない。最近「日に焼けているね」と言われる。体の具合と何か関係があるかもしれない。早いとこ病院で検査を受ける必要がある。街医者ではだめだろう。しかし、忙しいししなぁ。今日は久しぶりにメールなど自分のことに専念できる日、ゆっくりと見ていき、回答を書いたりしたら一日が終わってしまった。仕事ではいろんなことがあるので気分が参ってしまいそれで体が変調をきたしているかもしれない。それで気分転換にUさんと御徒町の鮨やさんに行った。最近顔は合わせど話し合ったことがないほど疎遠になっていたのもある。家族のことやら、デジタルのことやら、健康のことなどで生酒を7本。僕は目の前を流れる鮨を取ろうとするが、都度とってはいけないと注意を受ける。単品で注文をしろと。どうも僕は貧乏症で、あまり旨いものを食べることに執着がないようだ(彼と比べると)と言う自分を発見した。
6月26日
暑い山形
カンカン照りではないが朝から夏の太陽がどんよりと照り続けている。東北は涼しい?。とんでもなく暑いところだった。聞くところによると日本で一番暑い記録を出したのが山形だとか。帰りの列車には1時間ほど時間があったので、昨日訪問した大沼百貨店に向かう。地下食品売り場で日本酒を購入するためだ。だが売り場には若い女の子しかいない。うまい酒を聞くのは野暮なこと、退散した。それで駅ビルの1階にあるみやげ物売り場で尋ねる。ここは50歳前のおばさんがいて、そこそこの対応。そこで一番人気の酒を買う。計り売りの酒もあり、やはり酒の本場に居ると言う実感。在来線と同じ軌道を走る新幹線「つばさ」に乗って帰る。新幹線は在来線の上に広軌道のレールを敷いている。複線の余裕のあるところは、片側新幹線、片側在来線の使い分け。と理解していたが、新幹線軌道を在来線の普通電車が走っているのを見かけた。何がなんだか。列車の中ではクリントイーストウッドの「許されざる者」を見ながら。映画を見ることで列車の旅が少し楽になった。東京につくと夜の暗さではない異様な暗さ。大雨の予感。暑い夏から一転梅雨へ突入。日本は長いと思いましたね。
6月25日(日曜日)
山形へ。朝8時前に出発したが到着したのはお昼の12時だった。明日の仕事のために来たが、少しだけ撮影の仕事があるので早めに来たのだ。山形は快晴で、早速ホテルに荷物を預けて出かける。まずは霞城だ。ここは駅から徒歩でOK。二の丸入り口を目指したら、山形美術館前で「BEANS」のBEATLES コンサートを行っていたので、そのまま撮影。今回はSDムービーと、12倍ズーム可能なFZ30に三脚、雲台を持って出かけたので、撮影には全く支障がない。前半を終えたところで退散。今度は目的のお城の中に入る。済生館(さいせいかん)で休憩。このお城は大きく、巨木が生い茂り憩いの場所となりそうだが、上空をヘリが飛び交い、近くを走る電車の音が聞こえたりでのんびりした気分にはなれない。市民も同じ感覚なのか人はあまりいない。民家の間を通って街まで歩く。懐かしい駄菓子屋を見つけた。中を覗くと本当の駄菓子があり、買ってみたい気持ちになる。昭和の初めの頃に作ったような商店や、ツタで壊れそうな民家とか、旧家にある蔵のような倉庫の窓とか、この地方独自の風景があったのでカメラに納めた。そして繁華街。信号がまだ電球のまま。ほとんどの地方都市はLEDに置き換わった。これが遅いだけ保守的な街。大沼百貨店のデパ地下を覗く。日曜日の夕刻だというのに閑散としている。お総菜も少なく、購買意欲は湧かない。このデパートも隣の西友も、どのフロアに何があるのか表示したものがない。そのくせ、ロゴマークだけはやたらと多い。もちろん最近のブランドを僕が知らない事もある。しかしデザイナーは、まずどんな業界なのか知らしめることを考えるべきだ。中途半端なデザイナーが跋扈していて、5W1Hの要素に欠ける表示がものすごく多い。八文字屋(書店)で坂井博通の少子化必読ジョーク集を買う。何とここの本屋さんはカバーをつけてくれない。東京でしか本を買わないうちに、カバーのサービスをしてくれるのが当たり前の感覚になっていた。エコから外れていた。18,000歩も歩き、ホテルでシェフのお薦め料理を頂く。気持ちの良い風に吹かれた山形だった。
6月24日
下痢が激しくなり、又病院に駆け込む。薬を処方して貰うと、嘘のように回復する。妙な気分だ。薬が効かないとホントの病名は何だと疑うし、効くとホントにコレでよいのかと又疑う。明日は朝早いので、今日は家の中でじっとしておこう。集の後半の出張で読み始めた、クリエイターのひらめき集の残りを読み終わる。その後、映画「座頭市」ビートたけしを見る。あまりにも懲りすぎ、CGを多用しもっと迫る映画に仕立てて欲しかった。カメラワークも、コレがカメラワークだという感じのアングルで嫌みが強かった。まだまだ日本のカメラマンは、自然な目線のありかたと、斬新なフレームのバランスを考えるべきだ。夕刻はプールへ。2kmで切り上げるが、寝る前に運動が少し足りないような感じがした(9時頃に眠気が来ない)休日の夜はコンディションを旨くコントロールしておかないと眠れないのだ。
6月23日
昨晩京都の先斗町で友人のKさんと飲んだ。京都で飲むのも久しぶりだしKさんと飲むのも久しぶりだ。あいにくの雨で「川床」は使えないが雨の京都も風情がある。僕の方も昨日ですっかり肩の荷が下りたところだし大いに飲んだ。精神が解放されたような感じだった。宿は京都だったのでゆっくりできたが問題発覚。なんと昨日の会場に切符を入れた財布を忘れてきたのだ。朝一番の電車で東京に帰り仕事をする予定はすっかり頓挫。忘れ物を回収して大阪事務所に向かう。どこにいてもネットがあればおおかたの事務は片づくのだが。
6月22日
老人化
22歳〜24歳までの若い男女数百名に会った。どの人も同じような顔に見えた。少なくともこの中の3人は知っているはずだが見分けがつかん。一体この無能ぶりはどうしたことか。日本人は同質化しやすい。信号などもきちんと守る。など一般的な見方はありますね。しかし、それとこれとはわけが違う。今思えばこの兆候は前からあったような気がする。歌手の名前が覚えられない。ザードくらいまでか。それ以降スガシカオとかカツーンなど問題外だ。こうした傾向はますます強化され音楽なんか昔聴いたものでなければ受付けなくなる日もやがて来るだろう。最近のジャズのピアノトリオはもうそんな感覚だ。
6月21日
大阪に移動。一ヶ月ぶりの出張だ。今日は荷が軽い。出張先にSさんが責任者として仕事をされており、久しぶりだと言うことで酒を飲んだ。彼の部下のMさんも一緒だ。いろいろ話している間に共通の人を知っていて話が盛り上がった。懇親会場は枚方市。かつて僕のホームグラウンドだった場所だ。ここで乗り換えて支線の4つめの駅で下車。そこから徒歩で5分のところに自宅があった。懐かしい思いで電車を眺めていると、大阪方面からの電車が直接この支線に乗り入れしていた。非常に便利になったようだ。
6月20日
今日で仕事が一区切りついた。少し遅くなったが家に帰り祝杯を挙げた。自分だけにしか解らない区切りだから静かに、ささやかな祝杯だ。自分の知らないことに取り組む経験は、年を重ねると苦痛になる。胃が痛いのもそのためだろうか。しかし、その苦しさはしばらくすると、少し自分の幅を広げるのに役に立ったのかな?と言うプラス思考に変わる。いわゆる想い出は美化されると言うことですね。ともあれ、明日からは頭を切り換えて過ごすことができる。万歳だ。
6月19日
ヘッドフォンについて
音楽を聴かなくなった。酒に酔ってi−podを取り出したら落としてしまった。今回は付属のヘッドフォンが犠牲となって壊れてしまった。HDDは無事だったようだ。しばらく間ヘッドフォンがないままだったから余計音楽を聴かなくなったのだ。ヘッドフォンはそんなに高いものでないので買えば良いではないかと言われるかもしれないが、もし買うとすればAKGの「240」と言うタイプを買いたいと思っている。これは異常に音がよい。売り場で比較試聴をすると、このヘッドフォンだけ燦然と輝いてなっているのだ。ただ、18,000円もするので少し躊躇しているのだ。都会に住む人にとっては部屋の大きさは致命的に少なく、スピーカーを置くなんて贅沢きわまりない。と言うのが実情だ。そこで、ヘッドフォンのお出ましと言うわけだ
6月18日
この国のけじめ
藤原正彦氏の薯。どうも昔の日本は良かった的な文章だ。共感はするが現実的ではない。一つの視点で物事をはかれないと同じで、今の世の中はなかなかすぱっと割り切れない面がある。「風が吹いたら桶屋が儲かる」的なロジックが成り立たなくなっていると思うのだ。しかも日本は鎖国をしてないから、今の生活レベルを保つには必然的に世界を相手にしなければならない。そうなると、昔の日本的な精神を取り戻せと言うのは不可能に近いと思うのである。そのようなエッセイが三分の一ほど。後はユーモア。これはいける。氏は新田次郎の息子でもある。
6月17日
階級社会
今週はメールが裁ききれなかったので、土曜日にまで持ち越しだ。午後2時晴れて自分の時間となる。天候も昨日大雨とはうってかわって時折薄日が差すようになった。近くの大町公園に初夏の花でも撮影できたら良いな。と100mmマクロを持って出かけた。今年はトンボがやけに目につくので少し撮影させていただいた。もう少し行くと「カワセミ」を写しているおじさんがいたので、少し一緒させてもらった。カワセミは少しなら近くにも来てくれる格好の被写体だ。しかしどうも100mm程度では全く歯が立たない。隣のおじさんの機材はEOS1Dsと言うプロ級カメラで、望遠は600mm。三脚はジッツオ。連写の速度も全然違っていて、僕の持っているカメラが貧弱に見えた。この世界は階級が存在するのです。
6月16日
映画
ひどい雨だった。カッパを着て東京駅から有楽町まで歩く。少しデザインされたカッパなので、カッパのまま喫茶店に入り本を読む。今週は通勤途上でAVの月刊誌2冊を読む。今月は情報の掲載が少ない。通勤60分+朝の40分が貴重な読書時間。有楽町から新橋の間は通称マニアの散歩道を行く。JRのガードとJR沿いにある飲食店の間をくぐる狭い通路だが、雨に濡れにくい。映画ブレードランナーの冒頭のシーンに、路地に雨が降っているシーンがあるがあれにそっくり。そうだ、最近映画も見てないのだ。と言うことで、酒も飲まず帰ってきて映画「フライトプラン」を見る。ジョジーフォスター扮するママさんが、「ダイハード」のブルースウィルスのような活躍をする。DVDに録り貯めたディスクが300枚を超したので、気分に応じて選択できるような体制になった。
6月15日
老人臭
いつものことだが今日もポケットにハンカチが入ってない。妻がこうした日常品をポケットに入れ忘れることはよくあるのだ。しかも最近多くなってきた。いわゆる老人力が増してきたのである。僕は仕方なく最寄りのコンビニで小さなタオルを求めた。そのタオルにはこう書いてあった「気がつかない老人臭がしないタオル」早速それを選んだ。390円だった。コンビニを出たところで早速包装紙を破いてポケットに入れようとしたのだが、なかなかその包装紙が破れないし、開かない。最近こうした薄いフィルム状のパッケージを開くのを非常に不得意としている。なかなか老人臭まで行き届かないのでありました。
6月14日
朧月夜
中島美嘉の歌が(朧月夜)なかなか良い。廃退的な歌い方がうっとうしい梅雨時にぴったり当てはまるのかもしれない。昨日空を見上げると朧月が出ていて、ふとこの歌を想い出した。そして、音楽を聴く機会がめっきり減ったとおもった。音楽は聴かなくても日常生活に支障がないからだ。多くのおじさんたちもこのビジネス戦線で生き残っていくためにそんな余裕をなくしているかもしれない。ところが、どっこいこれが違うんだな、音楽を長く聴き続けると一見無駄のように見えるこの時間が、しっかりと心の安定に効果を発揮しているのだ。最近体の調子があまり良くない。それはきっと音楽を聴く余裕をなくしたためだと思うのだ。
6月13日
ストレス
いやぁ!まったくストレスの溜まる世の中になりました。やることすることが多くなり時間の余裕はなくなりましたね。今日なんかホント、分単位と言わないまでも時間単位のスケジュールで体力をすり減らしました。それで何かをなし得たかといえば、当たり前の出来事が、当たり前に過ぎ去っただけということ。元来サラリーマン社会はこれであって、「そこに生きがいとか、達成感を求めることそのものが異常である。」と言うべきか。でも毎日しんどい思いで過ごしているである。だから、どこかで「抜く」べきだろうな。それをカメラで補っているが、いずれ破たんが来るだろう。心はモノで補えないからだ。そのときに向かって何かをなすべきだろうな。
6月12日
体育系
六大学野球部の監督S氏が尋ねて来られた。久しぶりにお話を伺うが体育系なので威勢がよい。元気ハツラツと言った感じだ。我が職場には体育系の人材が多い。採用部は意図的に採用しているかもしれない。体育系の人間はやはり明るいことだ。心の中身を見抜くことはできないが明るくふるまっている。これからの厳しいビスネス戦線で生き残っていくには、この明るさと体力が必要なのかもしれない。そんな彼らと毎日顔を合わせていると体育系もいいなと思うようになってきた。わが家にもそんな体育系予備軍が一人いる。
6月11日
本物の文章力/樋口裕一氏の本を読むと、文章が旨くなるような気がする。文章は予告、エピソード、テーマ、まとめで書くとよろしい。と指導がある。ふむふむ。次回から考えよう。そんな「型」について教えを受けたのだ。それで、思い出した、映画も「型」にはまった作り方をしているというのだ。それは、主人公は平和に暮らしていたが、いつの間にか仲間はずれにされ、その地を追われるようになる。そして追われた先で幾多の困難が待ち受けていたが、すべて克服して郷里に錦を飾る、そのとき郷里は暖かく受け入れてくれるのだ。と言う型だ。そんな文章を読んだ後、映画を見るとあるある。多くの映画のストーリーはこの型にはまったままなのだと言うことに気がついた。
6月10日
ここ数週間撮影した写真の整理をした。写真はRAW撮影するので保存には現像をしなければならず、少し手間がかかるのだ。その代わり自分の思った色に仕上げることができるので楽しい。枚数が多いとそれだけ時間がかかる。一方ではDVDレコーダーに録り貯めた番組をDVDに焼く作業を行った。DVDに30枚程度あって、これも一日がかりの作業となった。途中眠くなり爆睡。仕事と休暇の撮影で体を休む間もなく酷使したので疲れたのだろう。それでも夕刻プールに出かけた、千葉は農業県だ。道中にはキャベツの大きな畑がある。こんなのを見ると癒される。
6月9日
今日は休暇を取って神奈川県の大船にある植物園へ。妻を連れて家を出ると土砂降り。そのまま妻は自宅へ引き返す。雨女だ。私は予定通り。到着してしばらくすると雨もあがった。私は晴れ男だ。この植物園は、もう来ることはないだろう。理由は、上空をひっきりなしに戦闘機が飛ぶからだ。しかも隣に学校があり、チャイムの音が間髪をおかず響き渡る。これではゆっくりすることなどできない。道路から車の騒音もある。要するに植物園全体が小さいから、下界からの騒音が入るのだろう。菖蒲が見所だったが、100mmのレンズでは届かず、ムービーの10倍テレマクロで撮影した。カメラを2本持参すると言うのは正解。
6月8日
今日は自転車で出勤だ。鎌ヶ谷から浜松町までだ。いつもと同じ時間に家を出ていつもと同じくらいの休憩時間(40分)時間をとって、いつもと同じだけの時間に職場に入る。これは何を意味するかと言えば、自転車で通勤しても、電車で通勤して、東京駅から歩く時間のことを考えたら変わらないと言うことだ。また、途中までの駅、本八幡まで自転車で行きそこから都営地下鉄を使って汐留に着くのとも変わらない。自転車が速いのか、電車が遅いのか?。帰りは、亀戸の少し先に「すしざんまい」と言う築地の寿司屋さんがある。そこで休憩する。お刺身数点と日本酒2合。携帯電話WS0003でロードオブリングを見ながらしみじみと酒を飲んだ。
6月7日
やっと元気になって出勤だ。電車で出勤するときは東京駅から歩く。東京駅では修学旅行の学生たちが地下の広場で待ち合わせをしているが、旅行会社も人も、学校の先生も生徒たちに一般通行人のじゃまにならないような指導は一切しないようだ。いくつもの学生の団体がめいめいの場所に陣取り座り込んでいるので、僕ら出勤途上のものはその間を塗って歩かなければならない。ゆとり教育で教師もふやけてしまったのだろう。コンビニで飲み物を買って日比谷公園で休憩だ。街の真ん中にこうした憩いの場所があるのは救い。ベンチでパソコンを打っている人もいる。浮浪者風の人は1人だ。本を読みながら疲れた目を上げると、広々としたグリーンが目の前に広がる。時間いっぱいまで本を読んで出勤する。途中ビルを見上げると夏の太陽が顔を出していた。
6月6日
一日寝ると疲れは取れる筈だったがどうもそうではない。今日もしんどい。病気なのか、と思うほどだ。そして、朝から眠い、午後になっても眠い。結局一日眠かった。それで午後の遅い時間だが、またしてもリポビタンDのお世話になった。それがまたよく効くのです。少し元気が出てきたところでもう一がんばりだ。帰りの自転車も元気がなくて断念した。そしたらそれが功を奏した。電車で帰ると最寄りの駅で結構強い雨が降ってきたのだ。
6月5日
昨日の水泳が効きすぎ今日はものすごくしんどい。それで朝コンビニでリポビタンDを買って出勤だ。ついでに実験で使う煎餅を買おうとしたが、これがないのだ。ファミリーマート、サンクス、ローソンでやっとあった。コンビニはどこも同じものが置いてあると思いきや。やれやれだ。今日の仕事はつらかった。夕刻早く帰宅しようともくろんだがいつも通り8時ごろの退社となった。
6月4日
横浜。久しぶりの横浜。旧三越がヨドバシカメラに変わったので見に出かけた。横浜の駅は僕の記憶違いでなければ、もう20年来工事中のような汚い駅のままだ。街の玄関がこれではと思うが慣れてしまった人にはわからないかも知れない。慣れと言うことでは、最近どうも思い込み間違いが多い。dental clinicをdegital clinicと間違い覗こうとしたりする。丁度昼時になったので、地下街「三崎港」のお寿司屋さんに入ったが、どうもぶっきらぼうの従業員がいていつ注文をしたらよいのか解らない。気分悪いままに少しつまんで退散。お寿司屋さんの半分はだいたいこの手の店が多い。回転寿司がはやり、老舗が厳しいのはこういった対応の問題もある。総務省統計局で調べると、3年で6万店減っていて75万店ほど。解るような気がする。現代人はマニュアルにならされた愛想の良い従業員のいるチェーン店が気楽なのだ。ここから津田沼まで快速電車。津田沼から新京成に乗り換えて北習志野下車。徒歩15分で、船橋総合体育館へ。1,800m泳いで退散。体育館出口の民家で個人タクシーのご主人がボンネットを開けてエンジンを磨いていた。見せてもらったが、走ってないようなエンジンの綺麗さだった。このご主人はタクシーを趣味としていて車の手入れには余念がないのだろう。いろいろあったが、「人」は難しい。
6月3日
雨にもなるかもしれないと半ば諦めかけていたが天候は持ち直したので、予定通り水戸の水郷あやめ祭りに行こう。充電したバッテリーを装着して船橋駅で特急電車の切符を買おうと相談すれば、今出たばかりだと言う。快速電車を乗り換えると3時間もかかってしまう。これではお昼を過ぎるので中止だ。それで行きつけの花の美術館(千葉市稲見海岸)に変更。ここで半日過ごす。帰りは京成電車で谷津下車。京成バラ園を覗く。どの公園にも仲の良い夫婦で来ているシーンに出くわす。彼らの特徴は旦那さんが理屈をこねる、たとえば栽培方法や、違う場所の花がよかったとか。それを奥様方は「まぁきれい」の感動で聞き流している。彼らには会話は成立してない。それが仲の良い夫婦だ。一方おばさんたちの仲間は、せっかく花を見に来ているのに、ごみの収集とか、近所の噂話とか、自分の生活シーンとかしゃべりまくっていて突然「きれい」という言葉が挟みこまれる。この話の急展開にはついていけないゾ。別に僕が仲間に加わっているわけではないが。
6月2日(金曜日)
やっと天気安定で自転車通勤が連続で可能となった。自転車通勤の問題点は前述したように、汐留では公園のベンチなどで本を読む場所がないことだ。ところがやっと見つかったのである。そこは、公園でなくビルとビルの間に挟まれた空間。そこにいくつか椅子とテーブルが置かれているのだ。どこの店の所有でなく自由に利用しても良い感じである。そこで早速、日経エレクトロニクスを。この雑誌は少々難解だが将来の技術トレンドが読めて面白い。高価な割に掲載記事が少なく割高だが価値はあると思う。このごろは日進月歩の世の中だからこうした分野外の雑誌でネタを補ってないと厳しい。帰宅時、秋葉原ヨドバシカメラで、EOS20Dのファインダーを買った。これを使えばローアングルの撮影も可能だ。
6月1日(晴れ)
いつの間にか6月だ。5月の天候不順がどうも暦の感覚を打ち壊したようだ。しかしやっと初夏の気候となり自転車で軽快に出かけている。昨日も自転車だった。綺麗な花が咲いているのを見つけた。今日はそのポイントで立ち止まって撮影だ花の名前は「ダールベルグデージー」菊科の花だがコスモスと間違いやすい。近づこうとするが地面を見ると小さな芽がたくさん出ており、踏んづけてはまずいと思い十分な構図が取れなかった。▲この頃自分の性格が妙に気になるようになった。椎名誠の並切り草を読んでいても、そう感じるのだ。たとえば、高校生となった、主人公の勇の性格がすごく前向きで、家族や周りの同級生を受け入れている。この「前向き加減さ」がどうも僕にはない性格で気になるのだ。小説といえども引っかかり、自分に嫌気がさしているのだ。これは先週一杯面談で人の分析ばかりをしたので、ついでに自分まで分析したのだろうか。花の写真を写すと少し心が晴れるのだが。
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