生まれた街を遠く離れて
近文駅で
 大阪で生まれ育って22年。日本全国、旅は数え切れない程、経験してきましたが、別の土地に移り住んだのはこれが初めてでした。
 「なぜ北海道へ?」と数多くの人に聞かれましたが、「移り住むのなら北海道しかない」と高校生位の頃から考えていました。

 人並みですが、北海道への旅を重ねるうちに雄大な自然、空気、風土などどれを取っても、この国の中ではもっとも素晴らしい土地であるように思えたのです。

 そして昨年の夏の終わり頃、少々、突発的に家を飛び出したのです。
 とにかく、大阪での生活が行き詰まったというか、退屈と倦怠の日々を過ごしていたせいもあり、生まれ育った街を離れ見知らぬ土地へ行く不安などより、退屈な街から離れられる晴れ晴れした気分で一杯でした。

 移り住んだ北海道旭川市という街は、一応、北海道では第2の都市ということになっています。もちろん「首都」は札幌で、北海道の中心というばかりでなく日本でも有数の都市です。
 都会の人の多さにはうんざりしていたので、人の多い札幌には絶対に住みたいと思えず、かといって突然、何もない所では職もなく、結局、落ちついたのがこの旭川という街だったのです。

 旭川は、全国的にもマイナーで中途半端な街です。都会でもなく田舎でもない……。
 田舎の自然や少々閉鎖的な所を残しつつも、コンビニやワンルームマンション、遊ぶ所の多さ、テレビ、マスコミなどの情報の速さ、交通網の整備、それなりに職もあるなど、物質的には何不自由なく暮らせる都会的な要素もあるのです。


旭川駅
 日本で最北の街らしい街、旭川に住むことになって大阪を飛び出したのが昨年の9月中旬のことでした。

 直前に2度ほど北海道へ訪れていたので、大阪を離れる深い感慨もなく、まるで通勤電車にでも乗るかのように青森行の特急電車に乗り込みました。
 青函トンネルを越え、札幌へ着き、鈍行列車に乗り換えました。私の借りたアパートは函館本線の旭川駅の一つ手前の近文(ちかぶみ)という駅の近くにあり、この駅は特急も急行も停まらない小さな駅なのです。

 2両編成の鈍行列車はゆっくりと小さな駅に滑り込み、石ころだらけのホームに私だけを降ろして列車は去り、さっき「頑張りなさい」と励ましてくれた車内で出逢った見知らぬ人が手を振っていました。

 夏の終わりの弱々しい太陽の下、この小さな駅のホームで一人立ち尽くしていると、「これから見知らぬ土地での生活が始まる」という緊張感がようやく心の中をよぎりました。

 何もない部屋へ大阪からの数少ない荷物を運び入れ、夜、目を閉じると北へ向かう夜汽車の汽笛が聞こえました。
 大阪へはもう戻れないと思うと、少しだけ悲しくなりました。

 移り住んでまず、北海道の旅を満喫しました。
 今まで行ったことがない積丹半島へ行ったり、近隣の観光地や温泉へと足を運んだりしました。休みの日は必ずどこかへ出かけていました。今まで遠かった北海道が自分のすぐ近くにあるということが嬉しくてたまらなかったのかもしれません。

 夏が終わり、秋から冬にかけては大阪にいる時の何倍ものスピードで季節は移り変わってゆきました。
 10月の下旬にはもう初雪が降り、11月の中旬には根雪になってしまい、今まで見たこともない灰色の空と真っ白に染まった街、長い長い冬が始まりました。

 冬の北海道、旅では幾度も経験しましたが、実際にそこで生活してみると、想像をはるかに超える厳しいものでした。
 通勤には鉄道やバスを使っていましたが、冬は駅までの距離が本当に長いのです。毎日、猛吹雪で前は見えず、道路も雪深く埋って歩くことさえ大変なのです。スキー用のゴーグルをかけて歩いたこともありました。

 バスは絶対に時間通りに来ることはなく、氷点下20度にもなるバス停で、いつ来るかわからないバスを凍えながら待ち続けていました。

 雪の降らない朝は風の音もなく、時折、太陽の光さえ差し込み、春のように静かで暖かく見えるのですが、一歩、部屋の外に出ると残忍なほどに寒く、家の玄関ドアが凍り付いて開かなかったり、水道が凍って出なくなったり、あまりもの寒さで暖房器具が壊れたり、とにかく何でも凍りつきダメになってしまうのです。

 特に2月が最も厳しかったと思います。その頃はさすがに滅入ってしまい、すべてが嫌になり、本気で大阪へ帰ろうかとさえ何度も思いました。



近文駅で
 そんな冬の苛酷な日々の中で唯一、楽しかったのがスノーボードを始めたことです。スキーもロクに滑られない私が、会社の付き合いで嫌々始めたのですが、最初は身体全体があざだらけになりながら、転ぶためにやっていたようなものでした。

 ところが3度ほどスキー場通いを続けるうちに、いつの間にか転ばずに滑れるようになり、そうすると雪景色の美しさや雪と遊ぶ楽しさなどが分かってきて、その後、スキー場通いを続けることになってしまいました。

 大阪の友人などに「スノーボードをやっている」というと、ついつい浮ついた感覚でとらえられてしまうのですが、北海道のスキー場は一部を除いて、本州のリゾートスキー場のような浮ついた雰囲気は全くありません。市民の7割くらいはスキーやスノーボードをする訳ですから、料金も安くて雰囲気もとにかく大衆的なのです。
 こちらでスキー場へ行くということは何も特別なことではなく、公園へ行くような感覚なのです。

 冬も少しだけ楽しくも思えてきた3月頃になるとようやく寒さも、雪が降る勢いも弱まってきました。
 所々に道路のアスファルトが見えたりもしてきます。スキー場の雪も固くなったり、溶け出したりと雪質が悪くなるばかりでもう行く気にはなりませんでした。
 4月にはほとんど雪も降らなくなり、温暖な気候の日々が続きました。景色は日ごとに美しくなり、青い空や流れる雲、木々の緑が眩しく見えました。

 大阪にいる時は、眠くなるばかりの温暖な春が大嫌いでしたが、こちらに来てから、春がこんなにも美しく嬉しいものであることを知りました。
 人は、季節の移ろいに一喜一憂できるものであることを、初めて気づかせてくれたのです。大きな自然の中のほんの一部として人間が暮らしているからこそ味わえる感覚なのでしょう。



 雪が解けた春になってようやく車を買いました。北海道は車社会です。車がないとどこにも行けないのです。
 かっての「鉄道王国・北海道」を崩した元凶である車にはどうしても乗りたくはない気分だったのですが、仕事の関係もあり、オンボロ車を手に入れることにしたのです。

 北海道はとにかく道路が広く、整備もされていて渋滞もほとんどなく、雪さえなければとても走りやすいのです。どこへ行っても駐車場がありますし、路上に停めても大阪のようにすぐに違反キップを切られることはまずありません。

 多少、車に乗る人々の気持ちも理解できましたが、やはり私は今でも車が好きになれません。確かに便利なのですが、人とのふれあいもあまりなく、渋滞以外で「時間を忘れてゆっくり待つ」ということがありません。
 やはり時間を忘れのんびりと本当の旅をするには、ローカルな鈍行列車や路線バスの「不便さ」というものが時には必要なのです。

 車は生活道具の一部としてのみ使ってゆこうと思います。そして、本当に感動を求めて旅をする時には、やはりこれまでのように鉄道や路線バスを使い続けたいと思っています。

 生まれ育った街を離れてようやく1年、四季の移り変わりの速さに驚いたり、自然の美しさや厳しさに一喜一憂したり、のんびりとした道民気質に少々戸惑ったり、案外都会であることに感心したり……、とにかく何とか今日までここで暮らしています。

 たまに大阪のゴミゴミとした街の中に自分を埋めたくなる心境になったりもしますが、再び、大阪で暮らし続けたいとはあまり思えません。今のところ、こちらの生活に満足しています。
 人生という旅は、計画こそしていても、その計画通りになるとは思えませんので、これから一体どうなるかは分かりませんが、とにかく当分はこの街でのんびり暮らしたいと思っています。
(1997,7)


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