台湾鉄道紀行 台湾新幹線開通前夜の在来線風景
page-7 庶民的な「復興号」で台中へ
■西部幹線 台北→台中 準急「復興101号」
台湾島 鉄道路線図

・高雄までは「東京〜名古屋」とほぼ同距離

 台湾へ来たからには、南にある第二の都市・高雄までは鉄道で行ってみたい。首都・台北から375キロ、日本の東京〜名古屋間とほぼ同じ距離である。

 今年(2005年)秋の「台湾新幹線」開通後には90分で結ばれることになっているが、現在のところ、最速の自強号でも4時間を要する。

 在来線が活き活きとしている今こそ、苦労してでも乗っておきたい。途中の台中、台南に立ち寄りながら、高雄まで日帰りで出かけることにした。

 そのような決意を持ち、昨日(土曜日)、台北駅で切符の購入を試みた。往路は、台北〜台中〜台南と分割購入したので難なく出てきた。だが、復路の希望列車がまったく取れない。さすがは日曜日。夕刻に高雄から台北へ帰る上行(上り)自強号・呂光号がほぼ全滅だった。立席(自願無座)という手もあるが、4時間半は辛い。
自強号、復興号の切符

 次第に意地になって、例え1分で折り返すとしても、高雄に行かねばならぬ気がしてきた。

 「この日本人、また来たのか?」と言いたげな年配女性の窓口氏。希望列車を書いて並ぶこと4回目、ようやく見つかった。高雄15時20分発の自強号。滞在時間はあまり取れないが、切符を取れたことに意義があるような気がしてきた。窓口氏も満足そうな笑顔を見せた。

・日本の「14系」に似ている復興号客車

 昨日と同じく、まだ暗いうちから西門町のホテルを出発。徒歩で台北駅へ向かう。ホテルは朝食付きなのだが、阿呆な趣味人ゆえ食べている暇がない。また駅構内のセブンイレブンの世話になる。鉄道マニア活動にコンビニエンス・ストアと駅弁は欠かせない。

復興号客車
 ▲水色と白の復興号客車(台北駅で)
 台北6時4分発、準急「復興101号」に乗り込む。
 空色と白の復興号用客車は、一昔前に日本国鉄で活躍した14系客車(夜行急行の座席車などで使われていた)に雰囲気が似ている。
 ただし、手動の出入口ドアと、ビニール製のリクライニング座席、そして少し暗く垢抜けない車内は、いかにも庶民的な準急列車らしい風采といえようか。

 車両銘板には、「唐栄製造 中華民国69年」とある。誇らしい国産車だ。海外製造車には銘板を見なかった気がする。ちなみに、民国とは1911年の辛亥革命から始まる中華民国暦で、11を足すと西暦と同じ。1980年製造ということになる。それなりに古い車両である。

復興号の行先表示 私は途中の台中までの乗車だが、この列車は、基隆(Keelung)
復興号の車内
 ▲準急「復興号」の車内
から高雄より先の屏東(Pingtung)まで、425キロを途中45駅に停車しながら8時間かけて走り抜くロングラン列車である。

 台北から台中までは約170キロ。自強号なら最速1時間50分の距離だが、我が「復興号」は3時間を要する。

 なにせ、台中までの30駅中18駅に停車するのんびりぶりである。初めての路線は、できるだけスピードが遅い列車に乗りたいと考えて、選んでみた。

 「平快」や「普通」があればなお良いのだが、列車がほとんどない。数少ない便も今日(2005年1月9日)限りでほぼ全廃となる。各駅停車はロングシートの「電車(通勤電車)」ばかり。運賃は復興号と同じであるから、無理してまで乗ろうとは思えない。

台北〜台中の鉄道路線図

 ちなみに、台北から台中までの運賃は自強号で375元(約1310円)、復興号は273元(約960円)。いずれにしても安い。日本なら幹線の普通運賃だけで3000円近くかかる距離である。

・人口密集地帯の市街地を坦々と走る

 指定された座席に座ると、ビニール製のためか、古いバス座席に座ったような不思議な感覚になる。

 定刻通りに台北を出た列車は、5分ほど地下線を走って萬華(Wanhua)に着く。台北市街地にある地下駅。MRT板南線の龍山寺駅に近い。さらに6分走って板橋(Banciao)到着。都心らしく、近年になって地下駅化されたという。かなりの座席が埋まってきた。

 地上に出て、樹林(Shulin)に停車。ここには車両基地があり、始発着の普通電車も多い。台北の衛星都市然とした風景が続き、次の停車駅・鶯歌(Yingge)を過ぎると、台北県と桃園県境となる。住宅の数も少し減ってきた。

ようやく空が青くなってきた
 ようやく空が青くなりつつある6時45分、桃園(Taoyuan)到着。県庁所在地で、台湾の副都心として発展する街だ。中正国際空港に最も近い駅ということで、付近に新幹線の駅が設けられる予定になっている。

 10分ほどで中歴(Jhongli=本来の字は「土」偏が付く)に停車する。ここは人口約25万、桃園県第二の都市。この辺りまでが台北首都圏なのだろうと想像する。座席はほぼ完全に埋まってしまった。早朝の準急列車だというのに人気が高い。

 中歴を過ぎ、ようやく丘陵の緑も目立ち始めたが、県境を越えて新竹県に入ると、再び市街地の風景に戻った。
 湖口(Hukou)、新豊(Sinfong)、竹北(Jhubei)と県内の中都市駅で小刻みに停車し、7時41分に新竹(Hsinchu)へ到着した。新竹市は人口38万人、台湾のシリコンバレーと呼ばれるほど、IT企業が集中している街。乗降も多い。
新竹駅 駅名表

 ここ新竹からは、「内湾線」線が分岐している。山間部の内湾(Neiwan)まで約28キロを結ぶローカル線だ。
 内湾は、映画『川の流れに草は青々』(1982年)の舞台になった街。古い青色ディーゼルカーが幾度か登場し、ローカル線の牧歌的な雰囲気一杯に撮られていたシーンが印象深い。今では全列車が「冷気柴客」(冷房付ディーゼルカー)に代わってしまったとの事。残念だと思う。

走行中のドア 開け放されている
 ▲走行中もドアは開け放し
 我が「復興号」は停車駅こそ多いものの、駅間は90〜100km/h近いスピードで軽快に走る。出入口ドアは開いたままなので、デッキを歩行中に誤って落ちたら確実に助かるまい、などと良からぬ心配をしているうちに、列車は竹南(Jhunan)に着いた。

・西部幹線随一の見所、山岳地帯に挑む

 この駅から、本線は海側と山側に分かれる。苑裡(Yuanli)、清水(Cingshuei)を経由するのが「海線」、豊原(Fongyuan)、台中(Taichung)を結ぶのが「山線」と呼ばれ、両線は彰化(Changhua)駅の手前で合流する。時刻表に「海」や「山」の記載があるのはこのためだ。

 山線側には台中など大きな街があるため、今では大半の優等列車がこちらを通るが、勾配は厳しい。海線側はさしたる町はないが、勾配はない。北海道の函館本線、砂原(海)経由と大沼公園(山)経由でも同じような例が見られる。
旧復興号用客車の「平快」
 ▲旧復興号用客車の「平快」とすれ違う

 景色が良さそうな海側を廻ってみたいが、台中にも行きたい。二律背反する望みを叶えたいが、海線経由の優等列車は1日に10本程度しかなく乗りづらい。ロングシートの普通電車で行くのも気がひける。
 そのまま「山線」で素直に台中へ行くことにした。この手の路線は、マニア泣かせである。

 右手に分岐する海線の線路を見ながら、山線に入る。2つほど小駅を飛ばして10分強で苗栗(Miaoli)に着く。
 向かいの上りホームには、「平快1518」松山行が停まっていた。少し古い空色と白の客車で、一昔前の復興号車両を平快用として格下使用している。冷房車だが、窓は開く。しかしこの平快も今日限りで廃止。どうにもやり切れぬ。
山深くなってくる

 苗栗を過ぎると、次第に山の緑が濃くなってきた。菜の花畑の黄色がよく映える。

 銅鑼(Tongluo)、三義(Sanyi)と過ぎ、まもなく県境の峠が迫る。一段と山が深くなってきた。この付近は、2千〜3千メートル級の山々が連なり、その裾野を走る。

 1998年9月に廃されてしまった旧線時代は、大迫力の峠越え風景が展開したそうであるが、今はトンネル化してしまった。平野部より少しスピードを落とす程度で走り抜けた。
大安渓の鉄橋を渡る
 ▲水量のない大河「大安渓」の鉄橋を渡る

 ほとんど水量のない大河、「大安渓」の鉄橋を越える。遠くには、まだ新しい旧線のトラス橋も見える。

 8時52分、列車は豊原(Fongyuan)に到着。人口は16万余、県庁所在地だ。さすがにかなりの乗降がある。

 家々がひしめく都市近郊の風景がそのまま続き、5分ほど走って台中(Taichung)に着いた。乗客の半分以上が下車。ホームには人があふれた。

台中駅に到着した復興号



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