旅日記、徒然に。

「だいせん」「大阪近鉄」やり切れぬ思いだけ残る秋
2004/10/31更新 (第29回)

 随分久しぶりの更新となりました。夏から秋にかけて、大型台風の相次ぐ襲撃に続き、新潟では大地震が発生するなど災害続きで大変な秋となっています。

 個人的な話ですが、これらの災害以外にも、私にとって今年はこれまで本当に辛い秋を迎えています。

客車時代の急行「だいせん」 この10月、JR各社のダイヤ改正で夜行急行「だいせん」(大阪〜米子)が廃止になりました。
 関西から山陰方面へは智頭急行の開業などでスピードアップ化が進んでおり、急行「だいせん」も運転区間短縮や編成減が行われながらも、なんとか生き残ってきたのですが、それもこの秋が最後となってしまいました。

 自由席のある急行夜行列車など、もう時代遅れなのだとは分かってはいても、もう何十年も昔からこの列車を愛してきた身としては、何とも言えない残念な気がします。

 そしてもう一つ。
 鉄道や旅行とは少し外れる話題ですが、この秋、プロ野球球団パリーグの大阪近鉄バファローズがその長い歴史を終えました。

 私にとって旅の次に大事な趣味が、この球団の試合を見ることでした。ファンになってから約15年、弱い時も強い時も、球場やテレビ、ラジオで応援を続けてきました。

 かって、南海ホークス(現ダイエーホークス)という球団のファンだったのですが、売却により大阪を離れることになってしまいました。
 落胆していたその年、1988年10月19日、伝説とさえ言われる優勝決定戦「ロッテvs近鉄」のダブルヘッダーの試合を観て、涙を流して感動して以来、この秋まで大阪近鉄バファローズを応援してきました。やはり、南海と同じ大阪の球団ということや、身近な鉄道会社が運営していたこともあり、すんなりとファンになることができたのかもしれません。

 親会社はご存知の通り、大阪、京都、奈良、名古屋に路線を構え、日本一の私鉄として良い意味でも悪い意味でも第二の国鉄的な雰囲気を持った近畿日本鉄道です。
 かって、どこの大手鉄道会社もそうでしたが、鉄道会社の経営が悪化するなど思いもしなかったですし、この安定感こそが、赤字であっても球団を持ちうるに相応しかったのだと思います。

 ただ、時代は変わり、南海、阪急に続いて、最後まで頑張っていた大近鉄でさえついに持ちこたえられなくなったということなのでしょう。球団は赤字を垂れ流すだけですから、真っ先にリストラされてしまうのは当然といえば当然かもしれません。
 しかし、長年、近鉄というチームを応援してきた身としては、合併という形で球団消滅させてしまったことに大きな失望感とやり切れなさが残ります。親会社には、球団や選手、ファンに対する愛はなかったのか、と。

 急行「だいせん」にせよ、この球団にせよ、愛すべきものが次々と消えていく現実。これまでも、多数のローカル線や愛する列車などが去っていき、もはや、自分の中には諦めの気持ちだけが残っています。

 青く硬い直角シートで過ごした夜も、朝の宍道湖も、空色の客車列車も、日生球場のコンクリートの椅子も、藤井寺球場のヤジ合戦も、近鉄に不似合いな赤字ドーム球場も、敗戦後に飲んだくれた夜も…、数え切れない想い出や思いは、今は心の引き出しにそっとしまっておきたいと思います。


▼参考内容
「最後の日の涙を忘れない」(「estbf web」<筆者の日記>2004年11月9日分)



▼前回6/6 鉄道ブーム真っ盛り?ついにNHKや文芸誌でも… を見る▼

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