太宰治を訪ねた津軽紀行
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 バスに乗り、約40分で津軽線の終点、三厩駅に着いた。ここから津軽線のディーゼルカーに乗り換え、蟹田を通り、約2時間かけて青森へと戻った。昨日以来、津軽半島をぐるりと一周したことになる。

 早速、フェリー会社に電話で問い合わせたが、北海道へ渡るフェリーはやはり欠航だった。明日にも台風が東北地方に上陸する予定だという。そうこうするうちに青森市内にも雨が落ちてきた。仕方なく、駅前のカプセルホテルに避難した。

 朝、雨はまだ小降りであった。北海道へ行く予定が狂い、何をするあてもないので、とりあえず三陸方面へ行くことにした。

 青森駅から特急列車に乗り、約2時間余り。盛岡駅に着くと、強烈な暴風雨に見舞われ、付近の列車はすべて運休となった。ここで身動きさえ取れなくなり、列車が動き出したのを見計らって、再び青森に戻った。

 降り飽きたのか雨も止み、列車の窓から虹が見えた。今日は1日何もできず過ごしてしまった。旅にはこういうこともまま、ある。

 そろそろ津軽を出る日がやってきた。
 早朝から、黒い雲がかかった八甲田山を見ながら、青森の街を東に歩いていた。
 歩くこと30分、海の見える公園に着いた。

 ……学校はちっとも面白くなかった。校舎は、まちの端れにあって、白いペンキで塗られ、すぐ裏は海峡に面したひらたい公園で、浪の音や松のざわめきが授業中でも聞こえてきて、廊下も廣く天井も高くて、私はすべてにいい感じを受けたのだが、そこにいる教師たちは私をひどく迫害したのである……。

 初期の作品「思ひ出」に描かれたように、太宰が通っていた中学校の裏にあるという公園が、ここ合浦(がっぽ)公園である。
 教師に迫害されていた、という太宰はよく学校をさぼってこの公園を訪れていたようだ。

 石川啄木の碑もある、松の生い茂る砂浜に立つと、津軽半島、下北半島を両側に挟み、穏やかな海の上を、毛虫のように這っている船の列が遠くに見えた。霞んだ北海道の大地がその後ろにそびえていた。今日は昨日とうって変わって穏やかな良い天気である。太宰もこんな風景を見て少年時代を過ごしたのであろうか。

 帰りはバスでバスで青森駅に戻り、今世紀最大の偉業である青函トンネルを通る函館行の快速「海峡」に乗り込む。土曜日だからか4両しかない客車内は大変な混雑だ。

 私は青函トンネルを渡るわけではなく、青森から30分、蟹田の駅に降り立った。
 駅前通りの真正面に青森湾が見え、外ケ浜沿いに三厩へ通じる国道がある。その国道を三厩方面へ20分ほど歩くと、観瀾山という高さが百メートルにも満たない小山がある。そこへ登った。
観瀾山から蟹田の街を望む
 ……この山からの見はらしは、悪くなかった。その日はまぶしいくらいの上天気で、風は少しも無く、青森湾の向こうに夏泊岬が見え、また、平館街道をへだてて下北半島が、すぐ間近に見えた……。

 太宰が見た日と同じように、今日もおだやかな上天気である。蟹田の街を一望できる場所に太宰の碑があった。

 「かれは、人を喜ばせるのが何よりも好きであった……」。

 太宰の性格をよく表している一文である。その場所からは、カラフルな屋根の家が立ち並ぶ蟹田の街並みと、静かに波打つ海峡に向かって、下北半島へ向かうフェリーの姿が見えた。

 「蟹田ってのは、風の街だね」。

 温和な蟹田の街に強い風が吹き抜けた。旅の思い出と太宰への感謝を込めて、蟹田の街をファインダーに写し込んだ。
 ありがとう津軽。さようなら。

(1995、10)

写真:観瀾山から蟹田の街を望む
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