太宰治を訪ねた津軽紀行
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 ……金木は私の生まれた町である。津軽平野のほぼ中央に位置し、これという特徴もないが、どこやら都会風に一寸気取った町である……

 駅には、太宰のふるさとへようこそ、と書かれた看板が掛かっている。金木は太宰の町なのである。駅前には商店街やスーパー、レンタルビデオ店やゲームセンターまであり、太宰が言うように、五所川原と同じくちょっとした小都会を気取っているようだ。

 「善く言えば、水のように淡白であり、悪くいえば、底の浅い見栄坊の町ということになっている」。
芦野公園駅で
 津軽半島の町というと、鄙びた田舎町を想像していたのだが、ゲームセンターやレンタルビデオ店には驚いた。しかし、どう見てもこの田舎町には似合っていないように見える。底の浅い見栄坊の町、という意味も少し分かる気がする。

 駅から徒歩5分の場所に赤レンガ塀に囲まれた入母屋造りの堂々とした家がある。ここが太宰の生家で、作品から名を取った斜陽館という名の旅館になっている。やはり太宰を研究する上で、一度は来ておきたい、と思いここに宿を取った。

 付近の大地主だった津島家は、明治40年、太宰の父、津島源右衛門によって、この2階建ての大豪邸が建てられた。津島というのは太宰の本名で、津島家は、小説家の太宰だけでなく、かっての貴族院議員や青森県知事、金木町長を輩出した政治家一家としても有名である。だが、今ではこの豪邸も手放し、この地にはいない、という。

 威風のある玄関を入ると、いきなり喫茶店になっており、有名人や文学者の色紙が飾られ、太宰関係のおみやげ品が多数取り揃えられていた。ここ斜陽館は津軽観光の名所としても有名で、宿泊者以外は200円を払って中を見学することになっている。かっての大地主の家は観光客への見世物となって今に残されている。

 中で名前を告げると愛想の良い女中さんが現れ、1階の洋風部屋に案内された。洋風刺繍のベッドが2つ並んでおり、和洋折衷で建てられたというこの建物らしい。

 とりあえず旅館内をすべて見学してみたが、よく分からない展示物と色紙がやたら多い展示室があったりする。総部屋数は19室で木製の立派な手すりが光っている階段を上がると、2階に客室が8室あり、太宰の勉強部屋だったという「蘭の間」には、宿泊者の鞄や着替えが置いてあった。

 多少の感動と、少しの白けた心で部屋に戻り、備え付けてあった「竹の間・雑記ノート」とやらを読む。
<ここにいると、太宰さんの笑い声、話し声、全てのことがよみがえってくるようでなりません。今にも太宰さんが現れてきそうです……>
 中学2年生の少女が、太宰に対する思いを延々と書き綴っていた。青春の文学、若者の文学と言われるだけあって太宰のフアンには若者が極めて多い。

 私にも太宰の話し声や笑い声がよみがえってくるかもしれない、と期待して目を閉じてみたが、聞こえてきたのは大広間で宴会している団体客の笑い声と、隣の部屋から流れ出ているテレビの野球中継の音だけだった。

 太宰に心酔できる少女をうらやましくも思いつつ、無感動な、にわか太宰研究者の私は電気を消してさっさと寝ることにした。


写真:芦野公園駅で
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