太宰治を訪ねた津軽紀行
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 瞼を開けると、列車は黄色い田園の中を走っていた。青い空には白い雲が散りばめられており、北の空に秋を感じた。

 野辺地を過ぎると、静かに波打つ陸奥湾が見えた。誰もいない海岸には、朽ち果て、完膚なきまでに赤錆びた一艘の船が打ち上げられていた。

 かって青函航路があった時代には、陸奥湾が見える頃になると、車掌が連絡船の名簿を配りに来たそうである。

 列車は朝7時14分に終点、青森に到着した。冷たい秋風が出迎えてくれた。

 駅裏の公園にはかっての青函連絡船の八甲田丸が展示してあった。ここは連絡船に貨物を積み込むヤードだった場所だ。今ではその面影もなく、青森ベイブリッジと称する真新しい白い橋梁が頭上をかすめ、留置していて動けなくなったディーゼルカーが列車休憩所として黄色い色が塗られてあった。

 ……海峡を渡ってくる連絡船が、大きい宿屋みたいにたくさんの部屋部屋へ黄色い明かりをともして、ゆらゆら水平線から浮かんできた……
 太宰が幼い頃に見た「思い出」の原風景も、今では見ることができない。

 今日は十和田湖へ行く予定である。駅前のバス停から多くの団体観光客とともに十和田湖行のバスに乗り込んだ。
 各地で出くわす大量の団体観光客にうんざりしながらも、奥入瀬の美しい風景を眺めた。
 十和田湖では観光遊覧船に揺られ、再びバスに乗り換え、花輪線の大館駅に抜けた。団体観光客だらけで、十和田湖にある高村光太郎の彫刻像さえ見る気がしなかった。
小坂鉄道
 宿に入るにはまだ時間が早いので、大館から出ているローカル小私鉄の「小坂製錬鉄道」に乗ることにした。秋田県北部の大館ー小坂間20数キロを走るこの小私鉄は今年で廃線になることが決まっている。

 列車は多くのさよなら乗車の地元民を乗せ、約30分で終点の小坂に到着した。何をするあてもないのでそのまま大館へ折り返した。

 大館からは奥羽本線を北上し、約20分、碇ヶ関へ向かう。
 碇ヶ関は青森と秋田の県境にある山々に囲まれた温泉郷で、鎌倉時代に開湯されたといわれている。この地の名の由来ともなった安土桃山時代に設けられた津軽三関のひとつ、碇ヶ関もここにあり、現在は関所が復元され、観光地として人気を集めているようである。

 秋田県に不似合いな都会型の電車を降りると、真っ暗な駅前の街並に温泉の煙が上がっている。夜空には手に届きそうな位の近さに無数の星が浮かんでいた。空に吸い込まれてしまいそうな感じさえあり、卒倒してしまいそうだ。

 駅から歩くこと十数分、碇ヶ関温泉郷の或る小さな旅館に投宿した。この宿は今から60年以上も昔、昭和5年「私たちは山の温泉宿であてのない祝言をした」という太宰が最初の妻、小山初代と杯をあげた宿である。今では自宅を大きくしたような、ただの温泉宿だ。

 太宰に思いをはせる暇もなく、温泉につかったあと、眠りについてしまった。


写真:廃止される小坂鉄道大館駅で
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