太宰治を訪ねて津軽紀行
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 平成6年9月下旬の或る日曜日、昭和の大作家、太宰治の追憶を求めて私は津軽に旅することになった。
 太宰を追い求めるのには理由があった。大学での卒業論文を書くために、私は太宰治を選んだ。太宰治の作品の数々は文学嫌いの私にその道への目を開かせてくれたような気がするし、紀行小説「津軽」に描かれた街を巡ってみたくも思ったからだ。

どちらかというと重い、苦しい、といったイメージさえ抱かせる太宰の作品の中で「津軽」だけは異彩を放っている。逃れ去った故郷の津軽を訪ね、数々の思い出の人々との再会が懐かしく回想され、読者を思わず心の旅に引き込んでしまう魅力が隠されているのだ。

 「ね、なぜ旅に出るの?」
 「苦しいからさ」。
 「津軽」冒頭は太宰の妻とのこんな会話で始まる。そして太宰は、
 「私も生きているうちに、いちど、自分の生まれた地方の隅々まで見て置きたくて、或る年の春、乞食のような姿で東京を出発」したのである。昭和19年のことであった。

 苦しいから旅に出る……、4年後に命を絶ってしまわなければならなかった太宰が、生まれ故郷をもう一度その目に焼きつけておくために、旅をしなければならなかった宿命がここに隠されているような気がする。

 私はあまりにも日々の大学生活に退屈さと倦怠と疲労とを感じており、この状態から少しでも脱したいがために、太宰を追い求めて旅に出る。就職活動などとは無縁の大学4年の初秋のことであった。

 東北ワイド周遊券を片手に、奈良へ向かい、関西本線の急行「かすが」名古屋行に乗り込む。2両編成の白く塗り替えられたディーゼルカーから、笠置付近の渓谷美を眺めていると、現在、関西本線が一部単線非電化なのに対し、東海道本線が一部複々線の大動脈となっている理由が分かるような気がする。

 急行「かすが」は関西本線唯一の一往復しかない優等列車だが、通勤、通学、買物客帰りの乗客でかなりの乗車率だ。名古屋まで乗り通す乗客も多く、少し驚いてしまった。

 列車は2時間余りかけて名古屋に到着。名鉄で岐阜へと向かい、東海道線でさらに大垣まで戻り、大垣発東京行の夜行普通列車、通称「大垣夜行」のグリーン車へと乗り込んだ。
 さすがに大動脈、東海道本線の列車だけあって、11両も連結している車内は日曜日の夜だというのにほぼ座席が埋っている。

 この列車は、東京までの400キロ余りを主要駅だけにしか停車せず、7時間16分で快走する。日本で最も走行距離の長い普通列車としても有名である。
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