鉄道旅行百景

寝苦しい夜汽車の雰囲気漂う「土讃夜行221レ」
−鉄道旅行百景(第4回)−

1987年8月発行・交通公社「時刻表」より
 1987年8月発行
 交通公社「時刻表」より
 青春18きっぷを使って夜行列車で高知へ行く、というと今では臨時快速「ムーンライト高知」という便利な列車がある。指定券を買う煩わしさはあるが、京都から高知まで直行してくれる便利な夜行快速だ。

 その前身とも言えるだろうか、その昔、高松と高知の間に「221レ」という普通列車の夜行があった。愛称や呼び名はなく「高知夜行」と言ったり、「土讃夜行」だったり、列車名の「221レ」(「レ」は客車列車の意)と呼んでいたりもした。

 この列車は宇野からの宇高連絡船最終便の到着にあわせ、高松駅を0時53分という遅い時間に出発。深夜の小駅を通過しながら、約3時間40分をかけて高知まで走り抜く。

 出発と到着の時間から分かる通り、寝るための夜行ではなく、ただ単に深夜を走る普通列車という位置付けになっていた。

 1986年の夏、青春18きっぷを使い初めてこの列車に乗った。

 四国への旅の出発駅としての座を岡山駅に奪われ、最近はすっかり薄れてしまった感もある高松駅だが、当時はまさに一大ターミナル駅であった。宇高連絡船から下船した多くの乗客が、行き止まり式のホームにずらりと居並ぶディーゼル特急に吸い込まれていく、そんなシーンが壮観だった。まさにこれから四国への旅が始まるんだ、と中学生ながらに感動した覚えがある。
赤い客車列車
 「221レ」折り返し便。赤い客車の普通列車。
 (1990年8月土讃本線内で)

 高知行夜行列車の「221レ」は、赤い普通列車用客車が3両で長いホームにポツリと停まっている。機関車が連結されていないばかりか、車内の電灯も消されている。「停車」というより「留置」に近い状態だが、ドアは開け放されている。

 お陰で暗い車内は蚊の遊び場となっており、発車まで2時間、誰もいないホームのベンチで待ち続けた。

221レへの機関車連結風景(1986年8月高松駅)
 「221レ」にディーゼル機関車を連結
 (1986年8月高松駅で)
 連絡船が到着する度に乗客がポツリ、ポツリと増えていき、そのうちにディーゼル機関車が連結された。最終便の連絡船が着くと、3両の客車は満員となった。

 前に座ったのは、白装束に杖を持つ老人。遍路巡礼者の姿に初めて接し、異国四国の旅を実感しながら、青い直角シートに4人、窮屈ながらも目をつむる。
 車内には冷房装置などはなく、窓を開け放しての睡眠。

 もちろん車内放送も電灯もそのままの状態で真夜中を走る。

 大して寝ることもできないまま、早朝4時35分、列車は終着の高知に到着。少しだけ白みつつある空を眺めながら、再び、折り返し列車に乗り込む。5時24分、224レ高松行普通列車である。
大歩危・小歩危の渓谷を走る列車
 「221レ」降り返し鈍行列車で朝の渓谷を満喫
 
(1990年8月土讃本線内で)

 深夜寝られなかった分、こちらで「昼寝」をしようとする訳だが、実際には初めて見る土佐路、阿波路の景色を見逃せるはずもなく、窓を明けて鈍行列車の旅を満喫する。レールを打ち鳴らす客車列車の軽快な音が心地良い。
 新改のスイッチバック、大歩危、小歩危の渓谷にハラハラ感動しながら、四国の旅を続けた。

 そんな楽しい「夜汽車」の旅も、1988年3月に宇高連絡船が廃止となり、四国の旅は一変した。客車の鈍行列車や古いディーゼル特急はもうない。
JR四国の夜行路線バス「とさじ」号
 一時期だけ走った夜行路線バス「とさじ」号
 
(1992年12月高知駅で)
 この221レは宇高航路廃止後も数年間は生き延びていたが、いつしか廃止となった。一時期、その代替措置として真夜中の路線バス「とさじ」号なるものも走っていたが、それも消えた。

 その後、四国の鉄道旅行スタイルの変化を象徴するかのように、大阪発高知行の夜行快速列車「ムーンライト高知」が生まれ、今に引き継がれている。

 221レ高知行夜行は、寝苦しい夜汽車、という言葉が最も似合う列車だったような気がする。

(2002/12/1公開)

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