鉄道旅行百景

潮風を浴びて蒼い海を行くレール、国鉄大隅線
−鉄道旅行百景(第5回)−

大隈線MAP
 大隅線は、鹿児島県中央部に位置する国分駅から、大隅半島を南下しながら鹿屋へ至り、そこから半島を縦断する形で県東の志布志駅まで約100キロを結んでいた。

 廃止対象の特定地方交通線に指定され、国鉄末期の1987年3月に廃止。JRの姿を見ることなく去った赤字ローカル線である。

 大隅半島から鉄道が消えて15年以上。もはや鉄道としてではなく、今は廃線跡巡りの場所として生き続けている路線かもしれない。

 この線に乗ったのは、1986年の暑い夏の日。これが最初で最後の乗車となった。

大隈線のディーゼルカー
 タラコ色のディーゼルカー1両だけで走る
 (1986年8月大隈線大隈境駅で)
 門司港から夜行急行列車に乗り、西鹿児島で日豊本線の普通列車に乗り継ぐ。
 国分駅に着いたのは朝の7時過ぎ。大隅線経由・志布志行の普通列車はタラコ色のディーゼルカーが1両。すでに通学の学生らで一杯。天井につけられた国鉄マークの扇風機が、生暖かい風をかき回していた。

 車掌室の後ろの席は車掌と対面に向き合う恥ずかしさがあるのかそこだけが空いている。仕切りはなく、逆進行方向の“展望席”だ。旅行者である中学生に恥ずかしい気持ちなど起きず、喜んでそこへ座ったのを覚えている。

1986年11月発行・交通公社「時刻表」より大隈線の時刻表
 1986年11月発行・交通公社「時刻表」より
 国分を出た列車は、金剛寺、銅田といった小集落の小駅に停まりながら、海沿いを目指して走る。この付近、国分と海潟温泉までの間は、1972(昭和47)年の開業だというから、この時、まだ15年しか経っていなかったことになる。大隅線が“短命ローカル線”と呼ばれるゆえんだろう。

 次第に海が近くなってきたのか、開け放された窓から潮の香りが漂う。左手に海岸線の姿もチラホラ見えてきた。
 大隅境駅で反対列車と交換。集落の向こうには錦江湾が広がっている。

 新線らしく、時折山沿いを高架トンネルで越えながら、海潟温泉駅に到着。錦江湾の向こうには雄大な桜島がそびえている。朝は湾の向こう側の日豊本線の電車からも見えた風景だが、ローカル列車から見ると、鹿児島の奥を旅している気になる。

 次の垂水駅で快速「大隅」と交換。すでにこの時、急行「佐多」とともに、快速列車へ格下げとなっていたが、赤とクリームのツートンカラーのディーゼルカーは線内唯一の「優等列車」を誇示しているかのようだった。中学生の私にはとても格好良く見えた。
大隈線の車窓から見えた海(1986年8月)

 この先はトンネルと海が続いた。トンネルの中の冷たい空気を浴び、そこを抜けると太陽に照らされた蒼い海が広がっている。陽を浴びた空気と潮風が入り混じり、レールを打つ音を聞きながら、夢見心地で車窓を眺めた。

 まばたきするほど多いトンネルで目を覚まされ、気がつくと列車は、大隅線の中心駅・鹿屋に到着。
 いや、その後、志布志まではほとんど記憶に残っていない。

 初めて見た鹿児島の蒼い海と風、それだけで胸が一杯だった。鉄道の旅はこんなに美しいのか、と幼心に感じた瞬間だった。

 翌年、廃止になるまでに大隅線の再訪はかなわず、もはや自分の心の中だけで生き続けているような路線だ。このローカル線と美しき風景に出会えたことを、今も感謝している。



志布志駅駅舎(1988年8月)
 廃止翌年の夏、1988年8月に日南線に乗り、志布志駅を再訪したことがあった。大隅、志布志、日南の3線が合流していた頃の賑わいは何もなく、わずか1年半でローカル線の、のんびりした終着駅になっていた。

志布志駅の機関区跡(1988年8月)
 駅付近には、かっての賑わいを示すかのような大きな機関区跡があり、大隈線と志布志線のレールはアスファルトで寸断されていた。

大隈線と志布志線のレール跡(1988年8月志布志駅付近で)
 実は大隅線に乗る前、日南線とどちらに乗ろうか少し迷っていた。当時は選べるだけのローカル鉄道路線が、九州にはまだあった。
 あの時、日南線に乗らなくてよかった、と錆付き撤去を待つだけのレールを見ながらふと思った。大隈線の良き思い出を胸に秘めつつ、志布志線の代行バスで都城に抜けた。

(2002/12/1公開)

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(鉄道旅行百景)

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