我が幻の山陰本線紀行
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浜田駅で「さんべ」 10時21分、浜田到着。駅前の少し大きなバスターミナルへ向かい、窓口で「畳ヶ浦」までの切符を買った。やはり山陰に来たら日本海と向き合わなければならない。

 「畳ヶ浦」は、石見畳ヶ浦と呼ばれ、侵食した岩面が続く海岸線が見られる地である。南紀白浜などにもこのような海岸線が見られるためか、一般的には石見という旧国名が入っている。

老人しか乗っていないバスで15分ほどで「畳ヶ浦口」というバス停に着いた。ここから徒歩で10分ほどだというが、どちらに歩いてよいかわからないので、反対方向に行こうとすると、バスの運転手がクラクションを鳴らして「違うぞ。反対だ」と知らせてくれた。

 茶色い木造校舎の小学校を見ながら歩いていると、海岸線が見えた。今度は老婆が「海はあっちだがね」と道を教えてくれた。

 コンクリートの防波堤が続く整備された海岸を歩くこと10分ほどで、畳ヶ浦に着いた。目の前には断崖が迫っており、道はここで途切れている。海の家のような観光客相手の店が数件あるほかは静かで、ほとんど人もいない。6月下旬の閑散期ということもあるのだろう。

 大きな岩をブチ抜いたトンネルをくぐると、侵食された岩面がむき出しになっている海岸線が、はてしなく続いていた。時折、観光客や釣り客がいるほかは波の音しか聞こえない。かなりの時間を費やして付近を歩き、壮大な日本海の海を眺めていると不思議と心が満たされた。この旅の目的が達成されたような気がした。

 帰りはバスを使わず「下府(しもこう)」駅を利用することにして歩き出した。畳ヶ浦の最寄駅は下府駅なのだが、鈍行しか停まらない小さな駅なので、ほとんどの人が次の浜田駅からバスに乗るようである。迷路のような集落の小道を歩いて行くと国道9号線に出た。近くに持ち帰りの寿司の店があったので、昼食兼朝食を兼ねて駅で食べようと思っていた。

 ところが駅に着くと、出雲市方面行のホームに白いレールバスが進入してきた。どうやら一つ前の列車に間に合ったようなので急いで乗り込み、中で食べることにした。

 4つしかないクロスシートに空きがあったので座ったが、客は全部合わせても10人足らずしかいない。浜田から江津までの区間運転の列車ということもあろうが、レールバスを導入した理由が分かるような気がする。

 13時10分、「江津」に到着。次の列車まで1時間余り。暑いので駅前を散歩をする気にもならず、駅のベンチで新聞を読むことにした。少し広い駅構内を眺めると、赤いディーゼル機関車が1両停まっているほかは、例の白いレールバスしか見えない。三江線にも導入されているようで、方向幕には「三次行」と書かれてある。つい先日まで赤い客車列車が大量に走っていた線区とは思えない光景である。

 ホームが下校の高校生らで一杯になった頃、14時8分発、出雲市行がやってきた。また例のレールバスかと思ったが、今度は赤とクリームの昔ながらのディーゼルカー2両でやってきた。益田から出雲市の間は「浜田鉄道部」と呼ばれる独立した部署が運転を担当しているようで、この区間の鈍行列車に重点的にレールバスが導入されているようだ。

 しかし、一部には古いディーゼルカーも生き残っており、車掌も乗務しているものの、将来的にはすべてレールバス化されてしまうような気がしてならない。
温泉津駅で
 そんな思いを胸に、非冷房の古いディーゼルカーの窓を開け、顔を出して風を浴びた。
 こんなことをしたのは何年ぶりだろうか。
 昔はディーゼルカーも客車列車もほとんどが非冷房だったので、こうして暑さをしのいだものである。トンネルの中に入ると轟音とともに冷たい風が入ってくるし、時には蝉などの虫が入ってくることもあった。
 密閉された冷房車のレールバスはその楽しみを奪っている。
 そして車掌の肉声案内。駅に着くごとに車内を回り、切符を売る。そんな当たり前の光景さえ今は珍しくさえ見えてしまう。

 30分ほどで「温泉津(ゆのつ)」に到着。下車する。数年ぶりである。祖父の故郷がこの地にあり、幼少の頃から幾度となく訪れた。最近は近くの温泉が有名になったため、下車する人は多くなったものの、鉄道が栄えていた昔に比べ、来る度に駅は貧弱になってゆく。
 今はたった1人になってしまった駅員が迎えてくれた。

写真(上から):浜田駅で急行「さんべ」、温泉津駅に停車する鈍行列車
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