我が幻の山陰本線紀行
page-2
「だいせん」車内で 6時37分、島根県の中心駅「松江」に到着。約5分の停車時間中に缶コーヒーを仕入れ、車窓に映し出される宍道湖をぼんやり眺める。

 梅雨のためか相変わらず天気が悪い。

 列車は松江から各駅に停車しながら、7時28分、終点「出雲市」に到着した。


 
ホームで出雲そばを食べながら、昨日売店で買い求めたオレンジ色の時刻表を開き、これからの予定を考えた。先のことは何も考えていないのである。

 「とにかく西へ」と考え、7時55分発の大田市行に乗り込む。何とレールバスタイプの車両1両だけであった。列車をワンマン化したとは聞いていたが、レールバスを導入していたとは驚きである。

 松江からの接続列車が隣のホームに着くと、女学生が30名ほど乗り込んできて、ドアが閉められた。

 「この列車は大田市行ワンマンカーです」との無粋なコンピュータ音が流れる。時代の流れを感じずにはいられない。

 3分ほどで「西出雲」に到着。ほとんどの客が下車してしまった。この駅はかって「知井宮」と呼ばれていたが、車庫があり、この駅発着の列車も多いため、名を変えたのだろう。次の「出雲大社口」は新設された駅だが、出雲大社に全く近くない。紛らわしい名をつけないでほしいものである。
田儀駅で
 列車は10名足らずの乗客を乗せ、「コトンコトン」というレールバス特有の軽快音を立てて、結構なスピードで走る。同じボックス席に座る深い皺を刻んだ老婆は、うつらうつらと夢の中である。小田を過ぎると、松の木が生い茂る中、断崖の上から日本海を見下ろす絶景が繰り広げられる。かって旧型客車やディーゼル急行から眺めた美しく懐かしい風景だけは変わっておらず、限りなく嬉しい気持ちになってきた。

 左手に日本海が広がる「田儀」で列車交換のため7分停車。所々で交換停車があるのも単線である山陰線の特徴であり、昔から変わっていない。鈍行列車の停車時間が削られている現在では、旅の本当の楽しさを味わえるのは山陰本線だけかもしれない。

 薄日が差し込み、海は穏やかだが、少し風が強い。運転手とともにホームで煙草を吹かしていると、たった3両編成の特急「くにびき」がやってきて、列車は発車した。

 終点、大田市には8時45分に到着。中心駅なのだが、コンクリートの小さな駅舎は、なぜか寂れている。駅前の目抜き通りには同じく寂れた商店が建ち並んでいた。広島行きのJRバス発着駅なのに寂しい。

 9時23分発の小倉行急行「さんべ」に乗り込む。緑色に塗り替えられたディーゼルカー2両でやってきた。

 「さんべ」も今では山陰本線出雲市以西を走る唯一の急行になってしまったが、かっては山陰と九州を結ぶ山陰線のエースで、上下6本、うち1往復は夜行列車、鳥取・米子−博多・熊本間を結んでいた。「だいせん」と同じく、何とか生き残った急行列車ではあるのだが、やはり同じように鳥取−米子、下関−小倉の末端区間は鈍行列車になっている。

 一部区間が鈍行になったり、快速になったり、ホームライナーにでもなったりしなければ、急行の生き残れる道はないのであろう。これが今、急行列車の置かれている立場なのである。

 2両編成のローカル急行「さんべ」は、地元客と少しの観光客で7割弱が埋っていた。座席もバケットタイプのものに変えられており、車内は茶色を基調とした少し落ち着いた色調に変えられていた。

 エンジン音を響かせ、大田市を出た。トンネルと登り勾配が続く沿線を列車は難なく走る。時折、右手に日本海が現れるが、ほとんどが山の中だ。10分ほどすると、近年砂時計で有名になった「邇摩」に着く。さらに10分程で石見の古い温泉地「温泉津」に到着。いずれも数人の乗降があるだけだ。

 「石見福光」でちらりと日本海を望んだ後は、あまり海が見えなくなってきたためか、眠くなってきた。
 「江津」を過ぎ、うつらうつらとしていた頃、「タタタタタン」との聞き慣れたオルゴール音の後、浜田に到着の案内が流れ、はっと目を覚ました。私は浜田で降りる予定なのである。

 このディーゼルカーのオルゴール音は国鉄時代のものと変わっておらず、少し安心する。急行にはこのオルゴール音がよく似合う。

写真(上から):「だいせん」車内で、田儀駅で特急列車と交換
次のページ又はTOPへ