小笠原航海記〜南の島の航路・路線バス紀行
page 4 無人島「南島」上陸への道
南島へ向かう

 小笠原諸島の"首都"である父島を一回りしてしまうと、次は違う島も訪れてみたいという欲が出てきた。

 もう一つの有人島である母島へは、定期船こそ出ているが2日後まで便はない。
 父島の北に隣接するように浮かぶ兄島と、南西に位置する小さな南島はいずれも無人島だが、民間のツアー船なら渡ることができるという。

 観光案内所を兼ねた商工会館で「南島上陸プラン」と書かれたチラシを見つけ、電話を掛けてみた。
 最遠の離島らしく、携帯電話の音声がわずかに遅れて行き来する。テレビ番組での海外衛星中継のごとく、少し間の悪いやりとりしているうちに、「朝8時半に青灯台の前で待っていてください。海の状態が悪くて出航できなければお泊まりの旅館まで連絡しますよ」という内容が聞き取れた。
青灯台
 ▲白いけれど名前は「青灯台」

 翌朝、青灯台と呼ばれる小さな白灯台が立つ港へ行くと、同じようなツアーの参加者が20人以上いて、着岸する大小のボートに次々と乗って去っていく。
 都会の海好きが所有していそうな小型プレジャーボートがやってきて、スピーカーから名を呼ばれた。

 こんな小さな船で行くのか。

 前途に不安を感じたが、南島に着岸できるのは小型船に限られているらしい。ふらふら上下に揺れる船体へ、体重13キロの子を抱え、陸から妻に手渡しながら乗り込んだ。

南島へ向かうボート

 客は全部で11人。舳先に4人、船尾には我が子を含めて6人が座る。小型なのに案外乗れるものだなと感心した。

 船のオーナー兼船長は、完全な中年の域に達しているに違いないのに、生気あふれる顔でボートを操る姿は、どこか青年の名残がある。以前はこの島で漁師をしていたという。生まれも育ちも首都圏なので、小笠原の海がたまらなく好きで移住したタイプの住民らしい。この手の人々は、精神年齢と実年齢がリンクしないので、歳が分かりづらい。
南島周辺地図

 入江の二見港内の海上を飛ばしているうちは、大した揺れもなかったが、陸地が遠ざかるごとに波が高くなる。目の前の海面が盛り上がり、そこに乗り上げては落とされながら、小船は前へ前へと進む。

 しばらくすると、古代の溶岩がそのまま固まった野羊山の断層が見えた。海上から眺める父島は、なかなか荒々しい。

 十数分で島の南西端と南島を隔てる海流にかかると、船が飲み込まれてしまうのではないかと思うほど、水面の波動が激しくなった。

 父島の陸地から島までの間はわずか800メートルほどで、その間に幾つかの小島や岩礁が浮かんでいる。にもかかわらず、激しい潮流である。

南島に近付くにつれ、波が激しくなる

 小舟はメトロノームの振り子のごとく左右に振られている。
 バシャという音を立てて船底が海面に叩きつけられる度、波飛沫が降ってきて雨合羽が欲しくなった。

 海流から逃れたボートは、細長い陸地が抱き込む狭い口から、南島に入り込む。今までの激しい水面の動きが嘘のように一切の波が消えた。
 鮫池(さめいけ)という名の通り、池に海水が流れ込んだかのように静かな湾である。
小型船で鮫池から上陸する
 ▲小型船のみ鮫池から上陸できる

 11人を乗せたプレジャーボートが着岸すると、舳先には所々白くなった石灰岩の崖(がけ)が迫っている。突起が多く、手を切りそうな岩をよじ登らなければ上陸できないようだ。

 奇岩の陸地に二歳半の子を何とか引き上げたものの、この先、米袋くらいの重量を丘の上まで抱えて行かなければならないのかと思うと、子連れで来たことを若干後悔した。

 旧(ふる)い信号機の青灯みたいな色の水面をのぞき込むと、海底に黒い魚が何匹か潜んでいる。
 ホワイトチップとかネムリブカ(眠りフカ=サメ)とか呼ばれる鮫(さめ)で、呼び名の通り眠っているようでほとんど動かない。それほど大きくはないせいか、遠くから見るとどこか可愛らしい。ここは鮫池という名だったなと思い出す。

都の公認ガイド引率でのみ上陸できる

 例のボート運転手は、いつの間にか「東京都自然ガイド」という赤い腕章を腕に巻き、添乗員然として現れた。

 江ノ島より一回り小さいくらいの南島は、海面上昇によって沈下したカルスト地形が作り出した奇観や、無人島ならではの動植物が残る地として、観光客の人気が相当に高い。

 ただ、多くの来島者によって自然環境が年々悪化する傾向にあったようで、保護を図りながら一定数の観光上陸も認めるという折衷案的な規制が2003年から設けられている。

 それは、東京都が認定したガイドが引率することを条件に、一日合計100人まで決められた場所で2時間以内の滞在を許す、というものである。
扇池
 ▲南島を訪れる人は多い

 我が子を両手で抱えて、ごつごつとした丘を上っていたが、その先には梯子(はしご)でも昇るかのような角度の登山道が現れた。さすがにここは断念しようと思った。

 少し思案していると、都の公認自然ガイドに変身してもやはり海の男にしか見えない件(くだん)の若船長がやってきて、ひょいと片手で子供を抱えて、垂直気味の坂を軽々と登っていった。

 小山の上から島の全体を眺め、普段は出合うことがないような海鳥の姿を見てから下山し、最大の見せ場である扇池の砂浜に移動する。

 例の公認ガイド氏は、白砂の上に来ると、この島で「ギョサン」と呼ばれるゴム草履(ぞうり)を脱ぎ、裸足で歩きはじめた。

ヒロベソカタマイマイの半化石
 ▲1000年以上も前に絶滅したとされる
  ヒロベソカタマイマイが半化石状態で残る

 扇池は、洞窟の下部が崩れて海とつながり、湧泉のプールのようになっている。透き通ったトルコ石のような色の水面とアーチ状の奇岩は、一度で目に焼き付いてしまうような神々しさがある。
 
 取り囲む白い浜には、数千年前に絶滅したというヒロベソカタマイマイというカタツムリの殻が散らばる。奇跡に近い光景だ。

 我々同様に公認ガイドに引き連れられた幾つもの見学グループからは、同じ場所で似たような歓声があがっている。

 厳格に観光客を管理しているからこそ守られている美しさなのだが、自らの足で発見した時のような感動や訪問の達成感は少ない気がした。

 ここまで来れたからこその贅沢な思いを、さっきから独りで抱いている。

 「世界遺産になったら、規制がもっと厳しくなって、気軽には来れなくなるかもしれませんよ」。

 我らが素足のガイドから、つぶやきのような声が聴こえた。


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