小笠原航海記〜南の島の航路・路線バス紀行
page 5 母島航路で最遠の有人島へ
小笠原諸島の位置図(父島・母島)

 小笠原諸島のもう一つの有人島、母島こそが日本最遠の離島である。

 父島の南約50キロ先に浮かぶその島へは、東京から所要25時間30分の「おがさわら丸」を降りた後、さらに「ははじま丸」で2時間10分を要する。
 接続時間を含めると、日本本土から30時間弱を費やさなければ往来できない。

 人が日常生活を営む日本の地で、これほどまでに遠い場所は他には見あたらない。
 丸一昼夜もかけて父島の地まで来たのなら、最遠の母島へも行かないと、後悔しそうな気がした。

 おがさわら丸の大きさと比べて10分の1にも満たない小さな定期船に乗り、居住者が父島の5分の1ほどしかいない母島を目指した。

 この航路には「ホエールライナー」という愛称が付けられている。12月から5月初旬までは鯨(くじら)に出会う確率が非常に高いのだという。

 鯨の姿は一度見てはみたいが、今朝は辺り一面乳白色に染まっていて、船に備え付けられた双眼鏡で波高い海面ばかり見つめていると、船酔いが悪化しそうである。

濃霧の海を行く「ははじま丸」
 亜熱帯の南国気候というイメージが強いこの諸島だが、春は濃霧に包まれる日も多いようだ。

 ただ白いだけの太平洋に霧笛を打ち続ける船は、高波を淡々と乗り越えていく。どの方角へ向かっているのかもまったく分からない。
 50人ほどの客の大半は目を閉じたまま。船内はぶるぶると座席までしびれるエンジン音と、波に船体が叩きつけられる鈍い音だけが定期的に響いている。

 出航から2時間が経とうとする頃、ははじま丸の速度が落ち、揺れがおさまった。視界から少しづつ白色が消えていき、母島諸島を成すいくつかの無人島とともに、高い山稜が浮かんでくる。
母島諸島の無人島、向島か
 ▲晴れると無人島が現われた

 雨上がりのごとく、碧い海面に緑色の小島が光り、母島の長い山並みが輝いている。霧の中には、こんな風景が隠れていたのか、と偶然の演出に感銘した。

 船員が岸壁に向かってロープを投げて接岸すると、陸上に待機する若者と警察官がタラップを押し寄せてきて、船体の出入口と接続させた。船の様子を見守る人、宿のプレートを高く掲げる人、5人ほどが横に並んで笑顔で迎えている。

 本土と直結した父島に比べると、ここは日本各地に浮かぶ小さな離島と似た雰囲気を少しばかり漂わせている。全ての島民が一家族のごとく一つの場所にまとまって住み、海を隔てて外部からの侵入を謝絶しているかのような、小規模離島ならではの空気も感じる。
母島・沖港の下船風景
 ▲母島下船時に靴を洗浄

 だけど、本州近海の過疎離島のように、島民に高齢の人をほとんど見かけず、若い人ばかりが目立つ。母島も特殊な歴史を持つ新天地であることは、父島と変わりないようだ。

 船にかけられたタラップから地面へ着地するところに、靴を洗浄する水を含ませた土落としが置かれていた。靴裏を通じた種子や卵の伝播を阻止しようというもので、南島に行った時も船上で靴を洗浄させられた。
 同じ小笠原でも、多くの人が入り込む父島からは、固有動植物の生態系を脅かす外敵も一緒にもたらされるらしい。
沖港に停泊する「ははじま丸」

 日本で言う天保元年、動植物の楽園だった「ボニン・アイランズ」に欧米や太平洋諸島からの24人が初めて島民として定住した。それから180年。人が乱獲したり、意図的にあるいは無意識に外敵要素を持ち込んだりした結果、絶滅やその危機にある固有種が少なくない。

 この諸島は地球上に誕生して以来、一度も他の大陸とつながっていない海洋島である。人間の歴史と同様に、自然界も特異な道を歩んできたがゆえに、地球上で唯一という存在が多々ある。

 母島ではそうした貴重な動植物が、危機に瀕しながらも多く残っている。


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