小樽行きの普通電車
 糸の切れた凧のように、突然大阪を飛び出し風に吹かれて北海道旭川に舞い落ちてから5ヵ月近くが経った。
 来た時、暑い夏の残影のような太陽に照らされていたのが、今では全てが凍りつくような暗く寒い冬へと季節が移り変わっていた。

 この年末、北海道へ来てから初めて大阪へ帰省することになった。
 年も押し迫った12月28日、近くの函館本線近文駅に向かい、列車を待った。
 1日、わずかの列車と乗客しかないこの駅だが、駅員が5人もいて時代遅れの硬券切符を売っている。

 列車を待っていると、駅長がコーヒーを出してくれ「来年こそは我が駅に特急を停めるから、君の所の新聞にも書いてくれよ」と笑いながら話してくれた。
 この駅を応援し、毎日愛用している私としては駅長の嬉しい決意である。車社会の北海道では鉄道の地位が極めて低いのだが、私はいつまでもこういう駅や鉄道を愛したいと思った。

 白色の世界の中、音も立てずに赤い鈍行列車がやってきた。白い雪の中に赤い電車はよく映える。懸命に存在感をアピールしているようだ。

 函館本線上り・旭川発小樽行普通列車。「小樽行」というのが昔の函館本線の名残のようで好きだ。
 トンネルを幾つも越え、列車は旭川の街を離れる。
 広大な雪原に降り続く雪は止むことがない。列車がレールを打つ音が雪でかき消され、不気味なほど静寂に走り続けている。

 深川、滝川、岩見沢と過ぎ、札幌に着く。大半の乗客が入れ替わり、終点の小樽へと向かう。

 小樽に近づくと右手に日本海が広がった。真冬の日本海は灰色だ。街も海も静かに冬が通りすぎるのを待っているかのようだ。



 小樽から先は単線非電化になるため、ディーゼル列車へと乗り換え、長万部へと向かう。列車はすぐに峠にさしかかり苦しそうに走る。眼下には海岸線が広がっていて絶景だ。

 峠を下ると積丹半島のつけ根の港町・余市に着く。96年2月のトンネル崩落事故で一気に有名になってしまった地だ。積丹半島は奇岩が続く海岸線が非常に美しい。その奇岩によりあんな大事故が起ころうとは予想だにできなかっただろう。美しい絶景は人の命さえ奪うこともある。

 余市を過ぎると今度はさらに深い峠を越える。雪も深く、上り坂はあまりにもきつい。列車は停まるかのようなスピードで峠に挑む。山の斜面には樹氷がどこまでも続いている。美しいが寒々とした風景が広がる。

 そんな風景を繰り返しつつ、列車はニセコ、倶知安と通り過ぎ、終点・長万部へとたどり着いた。ここで札幌から千歳、室蘭本線を走ってきた特急列車と合流する。
 長万部駅の名物駅弁「かにめし」を買い、特急に乗り込む。駅弁を味わう暇もないほど、鈍行列車とは比べものにならないスピードで、すぐさま函館に到着した。



 函館から青函トンネルを渡り、青森へ。
 青森からは夜行急行列車で上野へ向かった。地酒をあおるとすぐに眠くなり、気がつくと上野に着いていた。

 北海道の寒さが嘘のように温かい。
 東京近郊を1日周遊し、夜の新幹線で大阪に戻る。
 久しぶりの正月を大阪で迎えた。温かかった。
 友人と酒を飲み明かし、初詣に行き、家族で行楽へ出かけた。

 元旦の日、一人でふらりと紀伊半島へ出かけたりもした。
 温暖な南紀の海を見たいということもあっあたが、JR西日本の特急「スーパーくろしお・オーシャンアロー」に乗りたかったのだ。
 揺れて窮屈なこれまでの「くろしお号」に比べものにならない程、豪華な特急電車に少し感動した。こんな電車ばかりならば南紀の旅も楽しくなるだろうと思った。
 すべてが温かく感じ別世界の出来事のように思えた。

 正月3日、大阪の温かさを振り払うように、早朝の新幹線「のぞみ」号に乗り、帰路へとついた。
 途中、伊豆半島などへ立ち寄った。寒い所に住んでいると、温かい所が恋しくなるものらしい。人間なんて勝手な動物である。

 その夜、上野発の寝台特急「あけぼの」青森行に乗り込み、北へと戻る。
 かけ足の帰郷、何千キロも離れて1人で暮らしてはいるが、私には帰れる場所があり、待っている人がいた。家族であり、友達であり、恋人であり、そして生まれた街の風景であった。

 今、見ず知らずの北の地でこうして暮らしてゆけるのも、この人たちやこの街のお陰のような気がする。今度、いつ帰れるかは分からないが、心の片隅にいつも思い出しながら、これからも寒いこの地で生きてゆこうと思う。

 今度、また生まれ育った街に逢える日を心密かに楽しみにしている。
(1997,1)


写真:小樽へ向かう赤い電車の普通列車
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