急行能登 と 北陸縦断
▼ 一瞬の青さ輝く若狭湾、今は昔の「鯖街道」、小浜線を行く

小浜線路線図

 ここ敦賀からは、若狭湾沿いに東舞鶴までの84.3キロを結んでいる小浜線に乗る。

 北陸と山陰を結ぶ重要な路線であり、沿線には若狭高浜や美浜、和田など著名海水浴場がある。同時に、今では原子力発電所が点在する「原発銀座」としても有名である。

 かつては夏になると、大阪や京都、名古屋方面から海水浴列車が乗り入れ、中には旧(ふる)いディーゼルカーとは似ても似つかない「エメラルド」という胸ときめくような愛称名の急行列車もあった。反面、日常は肌色と赤のツートンカラーの煤けたディーゼルカーが、のんびり走るローカル線だったように思う。
小浜線の「電車」(敦賀駅で)
 ▲小浜線の電車はわずか1両

 ところが、沿線に原発を多数擁する地ゆえ、電力会社や行政から何らかの働きかけや補助があったためか、2003年になって直流電化が行われて、今は真新しい電車が走っている。

 小浜線は、敦賀駅の最も駅本屋に近い専用ホームから発着する。直流電化したとはいえ、多客期に京都から東舞鶴経由の特急が小浜まで乗り入れてくる程度。日頃は1時間ないしは2時間に1本程度の普通列車しか走っていない。

 12時2分発の東舞鶴行は、1両きりの電車がぽつりとホームに停まっていた。

 1両だけのディーゼルカーには慣れているが、「単行」の電車は初めて見た気がする。電化を機に新造された車両で、見た目も車内も大阪圏でよく見る新快速や快速のステンレス電車に酷似している。
小浜線電車の車内
 ▲車内は2人掛けのシートが並ぶ

 車内は一席の猶予もないが、立ち客もいないという、JRの需要予測が見事に当たった結果となって、敦賀駅を出発した。

 客層は買物帰りらしき地元老人らが大半を占めているが、ローカル路線には不似合いな背広姿のビジネスマンが10人ほどいる。

 原発関係かそれとも県庁など役所関係の出張かは分からないが、発車前から忙しそうに駅弁をほおばっている。
山の切れ間から湾が望める
 ▲敦賀を出ると山間を走るが時折、海も見える


 ループ線に入る北陸本線と別れ、市街地を抜けた列車は、迫る野坂山地を迂回しながら走る。

 粟野という小駅を過ぎ、敦賀と美浜を隔てる関峠を坦々と越えた。
 小浜線は地図上では海に近い所を走っているように見えるが、しばらくは山間部が続く。

 時折、山の切れ間から入り組んだリアス式の湾が見え、行く先の車窓に期待を抱かせる。
小浜線の美浜駅
 ▲漁船も展示している美浜駅

 20分ほどして線路が最も若狭湾に近づいた頃、列車は美浜駅に停車。緑の水田の向こうには青い海原がかすかにうかがえるが、湾が入り組んでいるためか、湖のように見えなくもない。
 ここで3分の1ほどの乗客が下車した。

 湾とつながる三方五胡の姿をちらりちらりと望みながら、列車は軽快に走る。
 運転席を覗くとスピードメーターは80km/h。ディーゼルカー時代と比べ、敦賀〜小浜間での所用時間が10分程度短縮しており、これが「電車」の威力なのであろう。

運転席の様子
 ▲列車はワンマン運転だが軽快に走る

 この列車はワンマン運転なのだが、運転手が駅に停まるたびに車内を見回し、深々と一礼をしてから発車させている。
 JR西日本の管内に入ってから、ホームで運転手が手を前に組んで、恭しく列車を待つ姿を度々見かけるなど、どうも態度が丁寧すぎる。
 何もそこまでしなくても、という気はするが、今年4月に起こった尼崎脱線事故の影響なのかとも思う。
 事故以後、同社の運転手や車掌に対し、御門(おかど)違いの暴力事件や暴言を浴びせるなどの行為が相次いでいるというから、規律を正している姿を乗客に見せているのかもしれぬ。

 国鉄時代は、昼夜関係なく遮光幕を下ろした運転室で煙草を吸うなどは日常茶飯事で、中にはパンを食しながら平然と運転する職員さえいたが、今は遠い昔話だ。
小浜駅
 ▲中心駅の小浜に到着

 三方を出た列車は、南へ方向を変えて海と離れていく。古い蔵も散見される山間の小集落駅を幾つか過ぎて、中心駅の一つである上中(かみなか)に停車。
 鯖街道の宿場町「熊川宿」の最寄り駅で、滋賀県の近江今津へ抜けるJRバス「若江線」も発着する。

 上中を出るとようやく車窓に市街地が現れて、13時2分小浜に到着した。

 路線名の通り、小浜は最重要駅で、人口3万2千超の歴史ある城下町。小浜へ来たからには、新鮮な魚が食べたいし、名物の焼き鯖寿司も捨てがたい。昼食も兼ねて下車した。

 平日の午後、うたた寝しているかのような古い商店街を歩いてみたが、めぼしい店は見当たらない。商店街とは対照的に立派な市役所庁舎の前に、いくつかの食事店があった。
小浜市役所
 ▲食事に困ったら目指すは役所

 これまでの経験上、知らない街で食事に困った時、まず目指すのは役所である。近くには必ずその街で一番の店がある、ということが言える。

 地方都市では、議員や役人が最も高所得者である場合が多いので、そこに店が集中するのではないか、という仮説も自分の中にあるが、単に役所が街の中心部に位置しているからだと思う。

 魚が気持ち良さそうに泳いでいる水槽を一瞥して、しっかりとした店構えの寿司屋の暖簾をくぐってみる。店の前に価格表示はないが、旅に出て気が大きくなっている旅行者に怖いものなどない。

 店内のメニューを見ると、すべてが数千円台。痩せ我慢をして食そうかとも思ったが、現実に直面して次第に弱気になってきた。
 「またよろしゅう(よろしく)……」などと明らかに呆れた口調で発する店主とは目を合わせず、店からそそくさと退散。旅の恥は掻き捨て、という言葉も思い出した。

焼き鯖寿司の販売風景
 ▲焼き鯖寿しは名物だが産地は…

 海に向かって再び足を進めると、蘇洞門(そとも)巡り遊覧船乗り場の近くに「若狭フィッシャーマンズ・ワーフ」なる施設が見えた。土産物店やレストランがあり、寿司や刺身も売っている。寿司コーナーには、その場で食すことができるスペースが設けられていた。

 先ほど高価な寿司屋から敗走した反動で、名物の焼き鯖(さば)寿司や地魚の刺身、握り寿司などを手当たり次第に購入。

 「地魚」「地元産」というステッカーによって暗示にかけられたかのごとく「地元産はやはり新鮮で旨い。さすがだ」などと若干興奮気味に、妻と感想を述べ合いながら、気分よく昼食を終える。

 帰り際、何気なく焼き鯖寿司のパッケージ表示を凝視してみると、「原産国・ノルウェー」とあった。

 胃に流し込んで満足した後なので、ノルウェーでもアイスランドでもデンマークでも良いが、かつての「鯖街道」も今は昔話なのであろう。

車窓から見た若狭湾
 ▲小浜を出ると若狭湾が広がる

 若狭フィッシャーマンズ・ワーフから小浜駅までは歩いて20分弱。少々遠いが、黒い家々が立ち並ぶ路地や、全国系店舗がほとんどない商店街など、歴史深さを感じるような風景がそこかしこで見られ退屈はしない。点在する寺社仏閣を巡れば、あっという間に一日が過ぎてしまいそうな街である。

 小浜発14時42分の東舞鶴行は2両編成でやってきた。車内は高校生を中心に7割ほどの乗車率。進行方向右手、海側の座席に座る。「青春18きっぷ」のシーズンを外した甲斐あって、普通列車の座席が楽に確保できる。

 いよいよ若狭湾を車窓に望める区間にきた。
 短いトンネルを二つ越えると、国道越しに海原が広がった。リアス式独特の入り組んだ湾には雄大さこそないが、これはこれで趣(おもむき)がある。
小浜線 加斗駅
 ▲駅舎で床屋を営む加斗駅

 あっという間に列車は再び山間に入り、トンネルを越え、駅舎で床屋を営むことで有名な加斗に停車。古い瓦屋根の庇には、白いタオルがいくつも干され風になびいている。
 荒れ果てた無人駅が多くなった今、人の匂いがする小駅を見ると無性に嬉しくなる。

 加斗を過ぎると、若狭湾と再会。大飯原発のある大島半島と蘇洞門のある内浦半島に囲まれた湾のせいか、島々が海原で重なり合っているように見え、まるで瀬戸内海のような温和さである。

 大飯原発への近道用か、海上にかけられた巨大大橋を過ぎると、すぐに若狭本郷に着いた。この先、時折、入り江や湾も見えるが小浜線のハイライトは若狭本郷で終わる。
 若狭高浜を過ぎて、次の三松で若狭湾と離れると、列車は福井県最後の駅である青郷(あおのごう)に停車。戦国時代は合戦地だった吉坂峠をトンネルで越え、京都府に入った。

 峠を越えてすぐに松尾寺(まつおのでら)駅に到着。西国二十九番礼所・松尾寺へは徒歩で小一時間ほどかかるので、「松尾寺口」でも良いようにも思う。
 山間を抜けて市街地が見えはじめると高架となり、15時27分、終着の東舞鶴に到着した。

 海はそれほど見えなかったが、緑の森を抜けた後、一瞬の海原の青さが瞼に残る路線であった。


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「連なる丹波の山々抜けると新興住宅地 福知山線に乗る」


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