急行能登 と 北陸縦断
▼ 今も残る上野発の夜汽車、座席急行「能登」で北陸路へ

急行「能登」(上野で)
 ▲上野発北陸行の夜汽車、急行「能登」

 2005年7月7日(木曜日)、仕事を終えてそのまま上野駅に向う。23時33分発の急行「能登」金沢行に乗るつもりである。
急行のサボ
 この列車は、上野から高崎線、上越線を北上し、長岡から信越線を経て北陸本線・金沢までの517.5キロを7時間弱で結ぶ。

 今や日本では絶滅寸前となっている「急行」の夜行列車で、9両編成のうち自由席は5両。青春時代の旅を急行列車の自由席とともに過ごしてきた私にとっては、最後まで生き残っている夢のような列車である。

 上野駅の行き止まり式の地上ホームから出発するのも魅力的だ。今や商業主義的な雰囲気さえ蔓延しつつある上野駅だが、地上ホームだけは別世界のように思う。ここに来ると、心だけがどこかに浮遊して、すべてを忘れて遠くへ行きたくなる。

急行券(自動券売機)

 自動券売機で富山までの急行券を1260円で購入。「急行券」という文字を凝視して独り物思いにふけっていたら、妻はそそくさと「禁煙車自由席」と書かれた札の所まで歩いて行き、ドンと荷物を置いた。

 「夜行なんだから指定席を取らないと心配」と懸念している彼女にとっては、座れるか座れないかは大問題である。

 「夜行急行は自由席にこそ真髄がある。座れなければ廊下に新聞紙を敷いて寝るのもまた一興」などという私の偏狭ノスタルジアに付き合わされる側は、たまったものではないとも思うが。

急行能登を待つ乗客

 発車まで30分。夏休み前の木曜夜ということもあり、自由席の札の前には大きな荷物を持った乗客が2〜3人が並んでいるだけで寂しい。

 15分ほど前になって、クリーム色に赤ラインの旧(ふる)い電車がホームに入ってきた。かつては日本全国で走っていたボンネットタイプの標準型特急電車で、今は第一線を退いて急行列車として使われている。
 車両の連結部分に張られているプレートには、「日本国有鉄道 近畿車輛 昭和46年」とある。今年で34歳、私とほぼ同年代であった。

 日本海の荒波をイメージした「能登」の青い大きなヘッドマークが取り付けられた頃、ホームに「16番線、乗車準備完了!」との放送が流れ、列車の扉が開いた。

車内のクーラー
 ▲車内には旧いクーラーが

 座れるかどうかいつもドキドキする瞬間だが、自由席にはわずか5人ほどが乗り込んだだけで無競争状態。週末ならもう少し客も多いのだろうが、平日はこの程度なのかもしれない。

 発車が近づくにつれ、背広姿のビジネスマンが一人、二人と増えていき、いつの間にか7割ほどの座席が埋まっていた。昨今、自由席のある夜行列車は「ホームライナー」的な役割を担うことによって細々と生き延びている。この急行「能登」も例外ではない。

 23時33分、発車ベルが鳴り続けている間に、階段から背広姿の男性が駆け込んでくる。ホームの駅員が苦笑いしながら、カンテラを高く突き上げると同時にドアが閉まって、列車が動き出した。

通勤電車と併走

 深夜の帰宅客を満載した通勤電車を横目に、急行「能登」は都内北部を走り抜ける。
 見飽きた景色も、夜行列車から眺めると趣き深くなるから不思議である。

 「ご乗車ありがとうございます、この列車は急行能登号金沢行きです。停まります駅は大宮、熊谷、高崎、直江津、糸魚川、泊、入善、黒部、魚津、滑川、富山、小杉、高岡、石動、津幡、終着の金沢には明朝6時35分に到着予定です……」

 オルゴールも鳴らさずに車内放送を始めるなんてけしからん、と独りで憤慨していたが、泊や入善(にゅうぜん)、黒部に小杉、石動(いするぎ)といった駅名を聞いているうちに、無性に嬉しくなってきた。
 これらは特急列車だと通過することが多い駅である。我らが急行列車は、北陸路の中規模ローカル駅も丁寧に停車していくので、車内放送にもどこかふるさとの香りがする。

検札するJR西日本の車掌
 ▲上野から西日本の車掌が担当
 早速、車内にはJR西日本の青い縞模様シャツを着た若い車掌が二人ほど現れ、淡々と検札を始めた。

 「あの服装はまるでコンビニ店員のようじゃないか。優等列車の車掌たるもの、夏でも白いスーツを着用し、胸には専務車掌のワッペンを付けて堂々としなければなりません。そもそも夜行列車には、乗務経験豊富なベテラン乗務員を充てるべきであり……」

 誰も聞いてくれそうにないので、妻を相手に一席ぶっていたが、「あら、そう」と気のない返事が返ってきただけで、「明日は早いのでもう寝るわ」とアイマスクを着用して、睡眠体制に入ってしまった。

急行「能登」の5号車にあるラウンジ
 ▲6号車にはラウンジもある

 相手にされないので、独りで先頭の9号車から順に車内を一巡してみる。

 禁煙の9・8号車自由席は6〜7割の座席が埋まっているが、7号車自由席に入ると、ツンと鼻につくニコチンとアルコール臭が漂う。
 乗車率は50%ほどで眠そうな赤ら顔の背広姿ばかり。
 夜汽車のけだるい空気に満ちている。

 次の6号車自由席は半室がラウンジ。5人ほどが座れそうなソファーと自動販売機が置かれている。ソファーでは腹の出たサラリーマンが一人、ネクタイを乱して眠りこけていた。
 木曜日は、金曜日とは違った形で不思議と飲みすぎてしまうものであるから気持ちは理解できる、などと独りで納得。
喫煙車指定席の車内
 ▲喫煙の指定席は閑散

 仰々しく赤絨毯が敷かれてあるが、大して豪華でもないグリーン車を通り抜け、3号車の喫煙指定席に行くと、乗客はわずか一人。

 そもそもこの列車、9両のうち4両が喫煙車という編成である。お陰で、新幹線のように車両を右往左往することなく、一服できる空間があるのは有難いとは思うが、いささか昨今の需要に逆行しているような感もする。

 上野から26分走って列車は大宮に到着。

 車内の大半を占める帰宅サラリーマンが15人ほど下車。こんな近距離でも利用が多いことに驚く。

 代わりに大きなリュックを背負った登山客風の老人が二人乗ってきたが、車内は空いていく一方である。

 久々に夜汽車らしい夜汽車に乗り、興奮しているためか眠れない。
 かつて座席夜行で、こんな夜をいくつ越えてきただろうか。
 「津軽」「八甲田」「十和田」「だいせん」「かいもん」「上諏訪夜行」「大垣夜行」……。
 学割のワイド周遊券や青春18きっぷを握り締め、果てなく長い夜を酒も飲まず、闇夜に浮かぶ駅名板を目で追って、朝の風景を思い描いた。

 今、日本で自由席のある急行夜行はこの「能登」を含め、「きたぐに」(大阪〜新潟)、「はまなす」(青森〜札幌)の3つだけ。夜行特急では、北海道の「利尻」(札幌〜稚内)、「まりも」(札幌〜釧路)、「オホーツク9・10号」(札幌〜網走、旧急行「大雪」)と九州の「ドリームにちりん」(博多〜南宮崎、旧急行「日南」)の4つが残る。
深夜の熊谷駅に到着
 ▲日が変わった熊谷での下車も多い

 「金なし暇あり」だった青春時代から愛用してきた列車ばかりで、今も残っていること自体に感謝するべきなのかもしれない。だが実際に乗ってみると、初恋の人に街でばったりと出会って、時の流れの残酷さを感じさせられるような、そんな気分にもなる。

 日が変わって0時33分、熊谷に停車。
 ここからの通勤客も多いのだろう。背広姿の10人ほどが下車した。携帯電話のアラームに起こされて、あわてて下車する者もいる。

ムーンライトえちご(高崎駅で)
 ▲高崎でムーンライトえちごと出会う

 さらに夜の中を坦々と走って、首都圏最後の停車駅、高崎には1時1分に着いた。

 隣には高崎線を先行していた新宿発の夜行快速「ムーンライトえちご」が停車中。

 両列車ともに国鉄時代そのままの赤い特急型電車を使っており、快速「えちご」の方が若干新しいが編成は短い。
減灯された車内
 ▲高崎を過ぎると車内は減灯される

 比べて、ボンネット型を9両連ねた「能登」はやはり風格がある。

 ホームに降りて、子どものようにぼんやりと眺めていたら、7分の停車時間はあっという間に過ぎた。

 快速「ムーンライトえちご」に道を譲られ、我らが急行「能登」は上越線を北上。4時13分の長岡までノンストップで走る。

 車内に残ったのは旅行者が5〜6人だけ。2人掛けのシートを回転させ、4席分を使っても何の問題もない。

 蛍光灯が減灯され、ぼんやりとした黄色い光が車内を照らす。ようやく眠りへ誘われる。


朝の日本海を右手に走る

 目が覚めると、列車は長岡で進行方向を変えて北陸本線に入っていた。

 4時45分着の糸魚川を過ぎ、右手には夜明けの日本海が広がる。親不知(おやしらず)付近であろうか。

 夜汽車明けのぼんやりとした頭で眺めるが、今朝は重い瞼が自然と閉じてしまい、夢の中で日本海を見たかのような感じがする。
富山駅に到着した急行「能登」


 泊、入善(にゅうぜん)、黒部と富山県内の中都市で数少ない乗客を降ろしていき、5時40分、急行「能登」は富山に到着した。

 寝不足の目をこすりながら、ホームに降り立った。

 一夜だけ青春時代に戻れたような、嬉しくもどこか照れ臭さが残った夜汽車の旅はここで終わる。

 列車は無人状態のまま、終着の金沢へと走り去っていった。



 (写真左)早朝の富山駅に到着した急行「能登」

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「富山港線と氷見線、富山県内のミニ支線に寄り道」

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