九州への鉄道紀行
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〜桜島を望み南九州を巡る〜
日南線の列車(青島駅で) 西鹿児島までやってきたものの、何の目的もなく、どこへ行こうか迷ってしまいましたが、鹿児島の海と桜島が見たくなり、日豊本線の鈍行列車で宮崎方面へ向かいました。

 3両編成の鈍行列車は、鹿児島駅を過ぎると、少しの間、錦江湾に沿って走ります。湾の向こうには大隈半島が迫り、少し雲に隠れた桜島がそびえ立っています。今日は噴煙は上がっていないものの、朝の光に照らされた桜島は実に雄大です。

 私は北海道が好きで、高校生になってから今まで足は北へ北へと向くようになりました。以来、九州に行こうなどという気はあまり起きず、旅の目的地としてはほとんど存在さえも忘れていましたが、南へ来ると北海道のように風景に感動することはないものの、何かほっとするような安堵感があります。

 北海道が「恋人」ならば、九州は「肉親」とでも言えるような気がします。
 だから心が病んだ今、何かをここに伝えに来たのかもしれません。

 列車は7時5分に終点の国分に到着しました。ホームは朝の通勤や通学客で賑わっています。さらに先へ進もうと特急「きりしま」に乗り込みました。国鉄時代の古い車両ながら相変わらず原色の派手な緑色をしていますが、車内は古いままです。

 国分を過ぎると高千穂岳の深い山の中に入り、宮崎県へと向かいます。歴史のある霧島神宮の駅に停車後、薩摩と大隈の国境を越えるために峠を登ります。電車ながら苦しそうに登ってゆく姿は、本線なのにローカル線のようです。

 国分から40分あまりで都城駅に到着しました。ここから急行「えびの」に乗って熊本へ抜けようと思っていましたが、発車時刻直前になって運休する旨が放送されました。昨日の集中豪雨で、鹿児島県と熊本県を結んでいる肥薩線の一部が不通になっているようです。九州の鉄道は昔から雨にやられることが多く、運休にも手慣れている様子です。



 さらに何をするあてもなくなり、駅前で途方に暮れていたら、JRのバスがここから海沿いの日南海岸方面へと通じていることを知り、それに乗ることにしました。

 やってきたバスはどこかの観光バスと見間違うほどの派手な赤色のバスでした。JRバスというと国鉄バス時代の白地に青ラインの車を思い出しますが、九州はどうも違うようで、鉄道と同じくバスも派手です。

 都城のお城を見ながら、市街地を抜けると、ただひたすら山と丘が続く国道222号線を走ります。辺りを見回してもポツリポツリとしか家がなく、さとうきびやじゃがいもなどの畑がどこまでも続いています。なだらかな丘の上には針葉樹が何本も伸びており、まるで北海道のような風景で驚いてしまいました。

 その後は、車酔いしそうなほどの深い山の峠道を、ひたすらクネクネ曲がりながら、私一人しか乗っていないバスはつき進みます。峠の頂上付近の道路からは、気が遠くなるくらい多くの山々が見えました。山の深さや峠の景色に関しては、北海道より九州の方が、はるかにすごい景色を見せてくれる気がします。

 駅が近づくにつれ、山の集落から多数の多数の老婆が乗り込み、満員になってしまいました。彼女らにとってはこのバスが唯一の交通手段なのです。

 都城から約1時間半、飫肥(おび)の街に入ると、区画されたような街並みのそこかしこに古い歴史を感じる建築物が目につきます。後で知ったのですが、飫肥はかって伊藤家5万5千石の城下町で、藩政時代の街並みを多く残している歴史の町だそうです。
 飫肥駅前で下車すると、駅もそれらしく古い建物風に仕上げてあり、観光案内所やレンタサイクルもありました。

 こんな街に偶然にでもたどり着いたら、いつもなら喜んで歴史散策でもするところなのですが、今回の旅は、心を癒すためにただ海を見たり、列車に揺られていたかったので黙ってこの街を通り過ぎました。




 飫肥からは日南線の鈍行列車で宮崎方面へと向かいました。ワンマン運転の2両編成の鈍行列車は、宮崎へ向かう地元客らで賑わっています。
 途中、太平洋が眼下に広がり心の落ち着く風景が続きます。何となくこのまま宮崎まで行ってもつまらない気がしたので、途中、近くに海の見える青島駅で下車しました。

 青島はかって新婚旅行地として賑わった宮崎県南部の観光地で、日向灘に浮かぶ周囲1.5キロの小さな島です。付近はフェニックスやソテツなどの亜熱帯樹が茂り、南の島を感じさせます。
 有名観光地としては今も健在で、多くの観光客がいて、中には海外からの団体客もいました。沿線には土産物屋が建ち並び、日本の一般的な観光地の様相を呈しています。

 島の周囲は「鬼の洗濯板」と呼ばれる波模様の岩が続いています。島に通じる橋を渡ると砂浜が続いており、そこを歩いて行くとすぐに神社があります。
 あの「古事記」に登場した海幸彦と山幸彦の伝説が残る青島神社だそうです。確かに朱色の社殿は立派で歴史を感じられます。

 そこで少しお参りをした後、島を一周してみました。神社以外に建物はなく亜熱帯植物が生い茂った小さな島は、無人島のような雰囲気があって楽しいものでした。
 梅雨の余波からか蒸し暑く、汗だくになって青島駅に戻り日南線の鈍行で宮崎へと向かいました。

 久しく訪れていなかった宮崎駅も西鹿児島駅と同じように、高架の新しい駅に生まれ変わっていました。宮崎もシーガイアや空港線ができて一段と賑やかになったことだと思います。
 宮崎からは再度、熊本へ抜ける急行「えびの」に乗るべくチャレンジしてみましたが、途中の吉松までしか運転しないという条件つきで宮崎駅を出発しました。


急行「えびの」
 4両のディーゼルカーもやはり派手な青色に塗られていて、車内も豪華なのですが、日豊本線内は快速列車としての運転で、学校帰りの高校生らが多く乗っていて騒いでいます。男子学生が座席を逆向きにして車掌に見つからないように煙草を吸う姿には笑ってしまいました。高校生は煙草が見つかると停学になってしまうのですから、慎重になるのも当然かもしれません。

 都城からは急行列車となり、都城と吉松を結んでいる吉都線に入り、吉松へと向かいます。
 学校帰りの高校生らはほぼ全員が下車し、車両も2両に減らされましたが、私以外には3人位しか乗っていないようで、途中の小林を過ぎると、ついに私1人だけになってしまいました。
 急行列車で貸切状態というのは初めての経験で、途中の駅では集中豪雨を取材中のTV局のカメラが列車の私の方を撮っていました。

 えびの高原沿いを走る吉都線の景色は単調ですが、急行列車で越えるのは悪いものではありません。遅くもなく速くもないスピードが私にはちょうどいいのです。人生もこんな風に進めたらと、ふと思ってしまいます。

 15時51分、とりあえず本日の終点である吉松に到着です。熊本方面へ抜けることができるのなら、ゆっくりと吉松の共同浴場にでもつかりたかったのですが、西鹿児島発の大阪行夜行列車の時刻が迫っているので、鹿児島方面へ向かうことにしました。

 肥薩線・隼人行鈍行列車は2両編成で、人はまばらです。扇風機がせわしく回り、開け放された窓から入ってきた虫たちが車内を飛びまわっています。
 窓から入ってくる夕暮れの風にあたっていると、昔、この付近の古いディーゼルカーに何度も乗り、旅をしていたことを思い出しました。

 あの頃は何もかも新鮮で、見るものすべてが珍しかったのです。いろんな所へ行き、いろんな人に出逢い、美しい風景を見て感動し、平凡で退屈な、人と価値観の合わない義務教育という名の学校生活を潤してくれたのです。

 心を痛めて旅に出て、懐かしいこの地を偶然訪れ、少しだけ明日が見えたような気がしました。

 隼人から日豊本線の鈍行列車で再び西鹿児島に戻り、大阪行の寝台特急「なは」に乗り込みました。
 灰色の空の切れ間には夕日が赤く輝いています。目的のない旅は、自分を見つめ直し旅だったのかもしれません。
 私にとって「恋人」の北海道ではなく、「肉親」の九州へも、心が痛んだらまた行ってみようと思います。
 その時までさようなら。
(完)

(1996,8)

写真(上から):日南線の列車(青島駅で)、急行「えびの」

▼関連内容
日向灘の車窓を眺め、著名観光地を巡る日南線の旅
(鉄道旅行百景)

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