あの海に抱かれたい〜北海道まほろば紀行
page-9 あの海が鳴いている
白糠駅 糸魚沢駅に戻り、13時48分発釧路行鈍行列車に一人で乗り込む。いらっしゃい、と鉄道にはいささか奇妙な挨拶で運転手に出迎えられる。

 たった1両の列車は湿原の真ん中を走る。湿原の中に築堤を築いてレールを通している。国道さえ峠を越えて迂回しているのに、よくもこんな所にレールを敷いたものである。線路の保線が大変だろうなと案ずる。

 ワンマン列車の運転手は、口に煙草をくわえながら、窓に腕をかけ、片手でレバーを握る。態度は良くないにしても、北海道の雄大な景色にはなぜかよく似合う、などと思っていたら、あっ、という声とともに列車はスピードを落す。エゾ鹿が逃げて行く。
 車だけでなく、鉄道も鹿にとっては大敵なのであろう。大変である。

 厚岸を過ぎ、各駅でたくさんの乗客を乗せながら満員状態で釧路に着く。
 すぐに札幌行特急「おおぞら10号」に乗り換える。これもまた帰省のUターン客らで通路まで満員。何とか次の白糠駅で降りることができた。

 何をするあてもないが、ホームの「白糠線のあった町知っていますか」という看板に誘われ、一度この白糠駅で降りてみたかった。
 国鉄白糠線は、ここ白糠から30キロあまり先の北進という所まで通じていたが、さらに北へ延ばす計画だったといい、そのため、何もない原野の中の終着駅に北進と名づけた。しかし、昭和58年、全国の廃止対象路線のトップを切って廃止されてしまった路線だ。
 今や人々からその記憶も消されようとしているのだろう。駅の看板だけがその存在を必死に訴えているように感じる。

 駅から15分ほどの所に、石炭岬という岬があるというので行ってみたが、日が暮れた上に、氷のような歩道をつま先に力を入れ、必死に歩いていたら、迷ってしまった。仕方ないので防波堤を乗り越え、夜の海を眺めた。遠くで大型船の灯が揺れていた。

 白糠から再び、釧路に戻り札幌行特急「おおぞら12号」に乗り込む。時間が遅いためか先ほどの列車より少し空いている。それでも札幌まで約5時間、長い道のりである。

 うつらうつらと寝かけていたら、突然、ドン、という鈍い音がして止まった。車内はざわつく。今度はついに人でも轢いてしまったか、と思って緊張が走ったが、どうも犬を轢いたらしい。列車はそこで十数分立ち往生。鉄道や国道、犬も鹿もさぞかし暮らしにくいことだろう。
 22時35分、札幌に着く。今日も夜行列車に乗り込む。23時30分発・函館行快速「ミッドナイト」号である。多客期は自由席も増結するが、基本的には全車指定席で、車内にカーペットを敷いたユニークなカーペットカー2両と座席車1両の3両編成である。

 座席車の指定席に座る。車内の電気も消され、快適に寝られるはずだったのだが、若い18きっぷ旅行者の諸君が深夜まで騒いで寝させてはくれなかった。仕方なく窓の外を眺める。黒い雲が飛ばされて月が闇夜を照らす。明日は北海道最後の日であるが、天気は良くないようである。

 朝6時半、函館に到着。ホームに出るといきなり、顔に雪が吹きつけた。これほど厳しい目覚めもない。一気に目が覚める。

 7時6分発、江差行普通列車に乗り込む。松前に行った時と同じように木古内まで海峡線を走る。木古内で乗客のほとんどが下車。残ったのは眠って動かない旅人5人。車内は眠気が襲ってきたのでデッキに避難する。

 大動脈の海峡線と別れ、単線非電化のローカル線を行く。激しく雪が降りつける中、誰も乗り降りのない駅に停まってゆく。私以外はみんな寝ていて、私にも眠気が襲ってきたのでデッキに避難する。

 列車はちょうど峠に差しかかっている所で止まりそうな速度で動いている。やはりこの運転手を口に煙草をくわえながら、独り言のように「これ以上降ったらこの峠を越えられないよ」と私に向かって呟く。日頃ではめったに見られない大雪なのだという。
江差の海
 峠の樹林の中を越え、右に左に凍りついた天ノ川が寄り添う頃、中心駅の湯ノ岱に着く。ようやく地元客がどっと乗り込み車内が明るくなる。反対列車と交換のためタブレット片手に駅長が吹雪の中駆けてきた。運転手はタブレットを受け取り、発車。
 列車は上ノ国を過ぎ、荒れ狂った日本海を車窓に望みながら終点、江差にたどり着いた。

 外は風が強く駅の扉がガタガタ鳴っている。早速、街の見物へと駅の外に出た瞬間、つき刺すような強風と雪の塊が顔に直撃した。これまでの吹雪とは違う、と悟り、数歩歩いて再び駅に戻り、完全防備で出直した。

 江差は人口1万3000人あまり、檜山地方では中心の街である。その歴史は松前や函館と共に古く、松前藩領の天然の良港として、大阪から松前の国へ商いに行く北前船の商場として栄えた。鰊漁の基地としても賑わい、松前藩の台所と称されたのは有名だ。

 そんな歴史のある街を見たいと思ってやって来たのだが、とても街を見物できる状態にはない。10分も歩いていると顔が痛い。特に耳が凍りついてちぎれそうだ。海からの強風と雪で前に歩くことさえ困難である。

 それでも1時間ほど歩いていたが、こんな時にまた、道に迷ってしまった。一体、どこを歩いているのかも分からなくなり、意識がもうろうとしていた。

 さらわれるのではないかと思うほど波が高い海沿いを歩いていると、奥尻島へ渡るフェリーの待合室を見つけ、なんとか救われる。もちろん船は休航。人一人いない。

 気を取り直して街を歩く。旧道沿いに入るとかっての鰊漁で栄えた廻船問屋の屋敷があった。木造の重厚な建物はさすがに大きい。当時、いかに鰊漁で賑わっていたかがわかる。
 鰊の漁期は1年1回、春、鰊の大群を水揚げすると、残りの月日は遊んでも暮らしていけたとも聞く。この屋敷の大きさがそれを証明している。

鰊が採れなくなった今、その面影を残すのはこの街にあるこれらの古い建物だけである。
江差の街並み 2時間くらい街を歩いただろうか。この猛吹雪の中の散歩に、そろそろ限界に達し、誰もいない駅に戻り、大きなストーブの前で煙草の煙を眺めながら時間をつぶす。

 今回、松前、江差と歴史的にも町の規模も同じような所へ行った訳だが、決定的な違いがあった。
 それは、松前には鉄道がなく、江差にはあることだ。
 鉄道や駅は町の玄関口である。その顔を失った松前には、地元の人々や旅人が憩う場所がないのである。江差にはそれがある。

 用もないのに駅のストーブに当りに来る老人、息子の帰省切符を買いに来る母親、次の列車で着く家族を迎えに来た老婆、それら地元民と会話を交わす一人しかいない駅長…。

 列車が着く。駅が賑わう。迎える人と迎えられる人の喜びの声が上がる。見送る人の悲しさもある。
 鉄道の駅には人の温かさがある。
 町の雰囲気をじかに伝えてくれる良さがある。駅は町の縮図だ。

 吹雪でほとんど何も見られなかったが、江差は良い町だと思った。
 北海道の多くの町や村で鉄道が消えた今、鉄道のある町はそれだけで幸せだ。旅人もまた幸せだ。
 もう一度、鉄道の時代が来ることを心から祈りたい気分になった。

 13時25分発、函館行普通列車は、見送り客が手を振る中、江差駅を離れた。
 たった1両だけの列車だが、車内は満員。帰省客、地元の買物客、旅人、いろいろな人が乗り合う、それが鉄道の魅力なのである。

 少し嬉しくなって眠りにつく。安心して寝られるのもまた、鉄道だけだ。

 木古内に14時35分に到着。吹雪の中、15分遅れで青森行快速「海峡」が着く。

 赤い電気機関車に引かれた青い客車は、幾度もトンネルを繰り返しながら、落ちて行くように青函トンネルへと入る。
 津軽海峡の下、轟音が響く。
 この人類の偉業は、かって何万年も前、陸地だった頃、ナウマン象が行き来した津軽海峡の下に鉄道を通した。
 青函連絡船洞爺丸事故の犠牲者、トンネル開通に夢を託し、掘削中に亡くなった人々、すべての魂がこの海の底に眠っている。

 轟音はさらに増す。海が鳴いている。波がうねっている。魂が叫んでいる。
 私は、この長いトンネルの出口がいつまでも来ないような気がした。

(完)=1996,1


写真(上から):白糠駅で、江差の海、江差の街並み
次のページへ又はTOPへ