あの海に抱かれたい〜北海道まほろば紀行
page-8 カムイへの祈り
朝の厚岸湾 深川から特急列車で札幌に戻る。友人たちとは今日でお別れなので、地下鉄で歓楽街に繰り出す。時間もないので、有名な札幌ラーメン店に入る。確かに旨いが、俗化した名物店にうんざりする。店には、総理大臣から芸能人、スポーツ選手までサイン色紙がかまびすしい。
 大通り公園には光のイルミネーションが輝く。友人はしきりに美しいと感動していたが、この造られた美しさにも私はうんざりした。札幌の街はあまり好きではない。だから雪祭りにも行きたいとは思わない。

 友人たちと別れ、釧路行特急「おおぞら13号」に乗り込む。かっての夜行寝台急行「まりも」号である。札幌を23時ちょうどに発車する。

 北海道には今でも夜行列車が多い。札幌を起点に、稚内、網走、釧路、函館、青森と各方面を結んでいる。函館行の快速列車を除いて、急行か特急列車で自由席がつないであって、周遊券を持った旅行者にはありがたい存在である。

 昼間走っている特急型ディーゼルカーに、寝台列車をはさんだ北海道独自の形態で運転するこの「おおぞら13号」も昼とは違い、夜行列車ならではの空き具合である。
 高校生くらいの頃は、北海道へ来ると毎日、夜は夜行で過ごし宿泊費を浮かしていた。寝苦しい夜に隣に座ったいろいろな人と語り合った。
 朝、寝不足気味の顔で景色を見るのがとても楽しかった。お金はなかったが、好奇心と体力だけはあった。人と自然のやさしさがそれを支えていたのだ。

 1月3日、朝6時ちょうど、列車は終点の釧路駅に着いた。
 6時6分発・根室行快速「はなさき」号に乗り込み、根室本線をさらに東下する。夜が明けた頃、右手に厚岸湾が見えた。

 6時48分、厚岸に到着。下車する。厚岸は釧路と根室のほぼ中間地点に位置し、カキの養殖で有名な人口1万5000人余りの町である。

 駅から10分足らずの場所に国泰寺という寺がある。蝦夷三官寺の一つで、江戸時代、アイヌ人の教化、和人の慰撫などを目的に徳川幕府によって建てられた。
 そこへはJRバスとくしろバスが通じているが、本日、正月のためJRバスは全便運休とのこと。仕方なく歩いてゆくことにした。

 駅前の海岸沿いの道路を歩いていると赤い大きな橋が見える。厚岸大橋である。厚岸は厚岸湾を丸く抱くようにして街が形成されているので、橋を渡らなければ街の南側へは行けない。
 朝焼けに照らされた橋の上を渡る。美しい朝の風景が繰り広げられる。
 歩道には積み上げられた雪が凍り付いて歩きづらい。北海道東部は雪こそ少ないが、気温が低いのですぐに凍り付いてしまう。

 20回ほど転びそうになりながら、途中、重要文化財の正行寺に立ち寄り、何とか30分歩いて国泰寺に着く。

 
有名な寺だけあって案内板も多い。まず隣の厚岸神社に立ち寄る。早朝だというのに本殿は開け放されており、おみくじが置いてある。敬意を表しておみくじを引いてみたら見事大吉であった。やはり早起きは三文の得なのであろうか。

 少し嬉しい気分で国泰寺を見学する。1805年、徳川11代将軍・家斉の時代に将軍家と国家の安全などを祈って建てられた。徳川将軍家と関わりが深いためか、この寺だけでなく、街の至る所で徳川家の葵の紋章に出会う。

 江戸時代、厚岸は蝦夷では一番と言われるほどの良港であり、松前から東部アイヌ、千島アイヌらとの商場、交通の要所として栄えた。そのため、ここに幕府直轄の寺を建てたのだろう。

 うるさいほどに徳川家との関わりを示すこの寺へは余り関心が向かなかったが、寺の片隅に消えかかった字で彫られた石碑が立っているのに目がいった。

 「弔魂の言葉」と題された石碑には、次のようなことが彫られてあった。
 「由来厚岸は 美しい自然の資源に恵まれ、あなた方の楽土であった 然るにその後進出した和人支配勢力の飽くなき我欲により財宝を奪われた 加えて苛酷な労働のために一命を失うものさえ少なくなかったと聞く けだし感無量である 我等はいま先人に代わって 過去一切の非道を深くおわびすると共に その霊を慰めんがため このたび心ある人びとと相計り 東蝦夷発祥のこの地へ うら盆に弔魂の碑を建てる 1977年8月15日 アイヌ民族弔魂実行委員会」。

 何も言葉がでなかった。徳川の葵の紋ばかりが目立つ寺なんかより、この碑が、この地が、いや蝦夷全体が持つ過去の侵略の歴史を知ることの大切さを知った。
 蝦夷はアイヌ民族の地なのである。自然を愛し、崇め、自然とともに生きてきたアイヌの楽土なのである。
 我々の非道が決して許される訳ではないが、我々は認識しておかなければならない。我々の文化がアイヌ文化を侵略し、先人を育てた自然を破壊しつつあることを、未来永劫、心に刻み込んでおかなければならないのである。

 ただ漠然と日本史跡を求めて旅をしていた自分の勉強不足に情けない気持ちになる。
 落ち込んで歩いていたら、目の前でバスが去って行った。

 このまま帰る気にもならず、近くのバサラン岬に行こうと思ったら、土砂崩れが起きており、道路は通行止め。強行しようとしたら、近くの番犬に吠えられ、犬と一触即発状態の中、激しいうなり声に負け、直ちに退散する。
 それでもこの地を去る気にはならず、歩いて愛冠岬へ向かう。夏ならバスも走ってはいるが、この凍りついた坂道には乗用車さえも通っていない。

 やはり20回ほど転びそうになりながら、1時間ほどで山の上にある岬への入口に着く。枯れ木の中を一本の細い雪道が伸びている。風の音と、雪が木々から落ちる音しか聞こえない。あまりにも静寂だ。何日か前に人が通ったらしき足跡をたどり、岬へ着く。断崖の下には波が砕ける。久しぶりに晴れた青い空に鳥が舞う。海の向こうに無人島が見える。

 岬のモニュメントに鐘がついている。愛の鐘だという。
 新しい愛を求める人、終わることのない愛を誓う人、新たな人生に生きる勇気を与えてと祈る人、それぞれの願いを込めて打ち鳴らす鐘の音は愛冠岬のカムイの祈りとなって響き渡る。
 私はこの地に愛され、愛したい、そんな気持ちを込めて3度、鐘を打ち鳴らした。
 鐘の音は高い空に吸い込まれていった。私の祈りは果たしてカムイの耳に届いたであろうか。

 氷の上を滑るように山を下りた。もうすぐバス停、という所で、またバスに逃げられてしまった。
根室本線糸魚沢駅で 今度は黙って駅まで戻ったが、3時間ばかり列車がなかった。駅のダルマストーブの前でいじけていても仕方がないので、外に出て今度はタクシーに乗ることにした。ここから根室側へ向かった所に湿原地帯がある。そこへ行き、次の駅から列車に乗ることにした。

 タクシーの女性運転手は、国道を暴走する車に度々追い抜かれながらも自分のペースで走る。それでもスピードは60km/hは越えている。北海道の国道はまるで高速道路である。交通事故死が日本一多いのもうなづける。
 白くなった湿原をチラリチラリ望みながら、峠を2つ越えれば糸魚沢駅である。2つ目の峠の頂上で降ろしてもらった。

 タクシーを降りた瞬間、丘の上から誰かが覗いているような気配を感じた。
 顔を上げると、エゾ鹿の群れがいた。
 私の顔を見て一瞬、逃げようとしたが、思いとどまり、リーダー格の鹿が私を見ている。
 私も鹿の目を見た。
 他の鹿は車が猛スピードで行き交う国道を見ている。
 彼らの仲間の多くが車社会の犠牲になったのだろう。鹿は私の目と流れる車を真剣に眺めている。1分ほどその場に立ち止まり鹿の目を見ていたが、たまらなくなり、私が歩き出すと鹿も森の中に消えていった。
 私たちの文化はアイヌだけでなく、鹿の生息圏まで侵しているのか。また悲しい気分になって国道の隅を歩いた。

 峠を下りるとすぐに湿原の中にある糸魚沢駅に着く。最近ローカル線でよく見られる貨車改造の駅でなく、昔ながらの古い木張りの駅舎であった。

 時間をつぶしたつもりが今度も3時間ばかし列車がなかった。前の列車は厚岸始発で、次の列車は快速だからこの小駅には停まらない。自らの無計画さを恥じるほかなかった。

 湿原の中へと伸びている林道を歩いた。
 ただ、壮大というほかなかった。人間の手で造られたものはこの細い砂利道だけ。あとは自然の成すがままの姿である。
 白い雪の中から黄色い葦が背の高さほど伸びている風景がどこまでもどこまでも続く。もはや人間の手に負える景色ではない。

 自分の靴が砂利道を踏み鳴らす音が聞こえる。凍った川の氷が溶ける音が聞こえる。枯れ枝にとまる鳥の鳴き声が聞こえる。小さな生物が湿原を動き回る音が聞こえる。
 自然の中では人間もただの動物でしかない。我々はどこから来てどこへ行こうとしているのか。
 一歩一歩、道を踏みしめながら、永遠の悩みをこの自然に向かって打ち明けた。
 自然の中で人間は生かされているだけなのだ、という答えを教えてくれた。
 もう、どこへも行かず、ここにうずくまってしまいたい気がした。
(1996,1)


写真(上から):朝の厚岸湾、根室本線糸魚沢駅で
次のページ又はTOPへ