あの海に抱かれたい〜北海道まほろば紀行
page-2 りんご色の列車に想う
上北駅で この度、北海道へ行く前に、平泉のほかにもう一つどうしても訪ねたい所があった。
 赤いりんご色の客車列車に乗りたかった。
 今、東北地方は急激な都市化の波に襲われている。この国の首都の常識が、スピードが押しつけられようとしている。

 その一つが鉄道の近代化である。
 客車列車は遅い。手間と人手がかかる。不器用な存在である。この国の常識は、決して不器用な存在を認めようとしないことにある。時代がそう、流れている。合理的なものだけを求めている。流れに乗れないこの客車列車たちは、次の春までのわずかな命しか残されていない。

 東北本線下り青森行533列車は、吹雪の盛岡駅を12時34分に出発した。

 盛岡から青森まで所要距離200キロ、40すべての駅に停まりながら、約5時間かけてゆっくりと走る。時速40Km/h以下、特急列車のスピードの半分にも満たない。赤い強そうな電気機関車に引かれる、りんご色の客車はたったの3両。

 白色の世界に飛びこんだ列車は、ひとつひとつ駅に停まりながら、雪の中列車を待つ人たちを拾ってゆく、家路につく人を下ろしてゆく。車掌は温かい顔でそれを迎え、送り出す。それが終わると無線機を片手に、離れた機関車で出発を待つ運転手に発車の合図を送る。

 「……こちらは533列車、車掌です。運転手さんどうぞ…」
 「……こちら、533列車運転手」
 「…533列車、発車!」

 雪の中に声が消える。車掌と運転手の呼吸が寸分の狂いもなく出会った時、列車は静かに動き出す。呼吸が狂うと客車に振動が伝わるほど、激しく動き出す。まるで、騎手と馬の関係のようだ。列車自体が心を持つ生き物のようだ。

 列車は石川啄木のふるさと渋民を過ぎる。凍りついた北上川が鉄路に沿う。好摩を過ぎ、次の岩手川口で特急に追い抜かれるため、7分停車。子どもも大人もホームに出て雪を丸めて遊んでいる。灰色の曇り空の下、車掌はおいしそうに煙草を吹かす。よく見ると運転手までもがホームに降りて雪を投げている。

 時が止まったかのような風景を切り裂き、特急列車が、すべてを黙殺するかのように轟音を立て走り去った。
 しかし、我が鈍行列車は、急ぎたい者は急げばいい、そんな言葉を発するかの如く、けだるそうに一歩を踏み出した。

 列車は雪深い峠に差しかかる。積もったばかりの粉雪を一面に舞わせ、汽笛とレールの力強い音を白い世界に刻む。ほんの一瞬の美をこの列車は見せてくれる。

 途中の小駅から行商の老婆が乗り込む。デッキで立ちつくす私に、幾重にも皺を重ねた笑顔で、中に入るよう手招きした。どうしてか私は、寒いデッキにもたれ、煙草の煙を眺めているほうが心が静まる。老婆に精一杯の笑顔を返した。

 二戸、金田一温泉を過ぎ、列車は陸奥の国に入る。三戸を通って14時50分、八戸に到着。列車はここで43分の大休止。ただホームに横たわって動かない赤く力強い機関車と3両の客車たち。時をゆっくり刻んでいる。すべてが急ぎすぎているのだ。人生も旅も早すぎて、私の手にもこの不器用な列車たちにも負えはしない。
八戸駅で
 2本の特急に抜かれ、ようやく動き出す。青いシートに腰を下ろし、駅弁の包みを開く。偏食家の私には旅に出て、食べるということに対して喜びを感じないのだが、鈍行列車で食べる駅弁だけは、何物にも変えがたい。どんな豪華な料理もかなわない。
 そっと、包み紙をかばんにしまいこむ。

 温泉旅館の大看板が立ち並ぶ三沢に15時55分に到着。下車する。
 ここ三沢から、十和田湖の町、十和田市までの間に十和田湖観光鉄道というローカル私鉄が通じている。それに乗ってみたかった。

 木造平屋の駅舎の中には、大衆市場のような雰囲気がある。一昔前のゲーム機しか置いていないゲームセンターや、正体不明の雑貨屋などが軒を並べる。立て付けの悪い引き戸の外にぽつんと1両の小さな電車が停まっている。大鉄道には真似のできない、独特の家族的な雰囲気がここには充満している。

 1両の本当に小さな列車は、右に左にガタガタ揺れながら、雪に埋もれたやせ細った線路をゆく。しかし、終点の十和田市駅に着いた瞬間、愕然とした。この小私鉄とは似ても似つかない大きなスーパーの中に駅があった。心が砕けてゆく思いがした。

 三沢に戻り、赤い客車列車でさらに東北本線を北上する。数分で青森県上北郡、上北町駅に着く。震えるほどに寒い。すでに大阪を出た時の服装では通用しない。

 夜空が落ちた街の駅前通りをまっすぐ進むと、地元の小さな温泉がある。温泉といっても町の人たちが利用する銭湯のようになっている。
 白い湯気が立ちのぼる浴室に入ると、津軽弁が聞こえてくる。湯船につかると、自分が今、旅の途中であることをつい、忘れてしまいそうになる。

 暖めた体を冷やさぬように、吹雪の街を駆ける。誰も居ない駅に黄色い灯をともし、赤い列車がやってくる。客室に入ると客車列車特有の不気味なほどの静けさが、その場を支配している。

 ガダリと列車が動き出す。心地好いレールの響きを聞きながら、水蒸気で曇った窓を見ていると、ゆっくりと眠りの世界に吸い込まれてゆく。
 闇の中に見えるはずの陸奥の海は、夢の中で見ることにしよう。
(1996,1)


写真(上から):上北駅に停車中の客車鈍行列車、八戸駅で
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