あの海に抱かれたい〜北海道まほろば紀行
page-1 急行「八甲田」の夜明け
一ノ関に着いた「八甲田」 東京に着く。山手線に乗っていると、また憂鬱な気分になる。あらゆる溜息を詰め込み、ただ都会の闇夜を走る電車。人は押し黙ったまま、何を急いでいるのか、一体、何処へ行こうというのか。

 上野駅地上ホームに立つ。憂鬱な気持ちなど一気に吹き飛ばされ、ピアノ線のように張り詰めた厳粛な気分になる。ここには故郷行の夜汽車を待つ人々がいる。自分の生まれた土地への里心を抱き、今、そこへ帰ろうとしている人たちが

 上野駅の空気は冷えているが、人々の顔は温かい。
 この駅にはまだ、不器用な列車がよく似合う。時代のスピードに逆らう、夜汽車がよく似合うのである。
 私のような行先不明の旅人にも、温かい顔の人たちの中へ入るスペースが残されていた。
 青森へ帰るという顔の赤いオヤジと並んで、壁にもたれて煙草を吹かす。なぜかとても幸せな気分になる。

 空色の客車が後向きにホームに入ってくる。堂々の12両編成。ここには古き良き時代の鉄道の姿がある。それを愛する人たちがいる。新幹線には決してない温かさがあるのだ。

 上野発22時16分、青森行臨時急行「八甲田」。座席車9両、寝台車3両、東北本線を経由し、青森までの所要距離735キロを11時間かけて結んでいる。

 列車に乗り込む。自由席に並ぶ列は恐ろしく長く伸びているが、あの醜い席取り合戦はない。整然としたものである。そして見事に全部の席が埋る。煙草の煙が上がる。酒の匂いが充満する。津軽弁が飛び交う。私は一人、北へ向かう期待と不安、様々な思いを胸に秘め、切符を強く握りしめる。

 列車が動き出す。機関車の力強い振動が客車へと伝わる。おびただしい数のネオンが後ろへ後ろへ糸のように流れる。レールを打ち鳴らす車輪の響きがこだまする。列車は北へ向かって走っている。

 12月30日、早朝4時33分、岩手県一ノ関駅に到着。寝苦しい夜から開放される。夜汽車は体力を使う。だけど私たちをとらえて離さない魅力がある。夜汽車に乗ると本当の自分が見えるような気がする。普段では決して見ることができないもう一人の自分に逢える気がする。だから寝苦しくても、不便でも夜汽車から離れられない。

 人は悲しみを忘れるために夜の旅をするのであろうか。

 冬の朝、平泉の街は美しかった。空一面がオレンジ色に輝いていた朝焼けの毛越寺、深い雪の中に埋もれていた中尊寺、もう何も言葉が出なかった。行く手を黄色く染めてしまった朝日を見ながら、私はただただそこに何時間も立ち尽くすしかなかった。

(1996,1)

写真:一ノ関駅に着いた急行「八甲田」
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