南の島のバス紀行2〜グアム〜
page-1 ミクロネシアの小さな島へ
グアム島と日本の位置図 
 1年半前のハワイに味をしめた訳ではないが、また南の島に行くことになった。

 グアム島。日本の南東約2000キロ、総面積わずか540キロ平米、太平洋に浮かぶミクロネシアの小さな島である。

 年間の平均気温は28度。サイパン島があるマリアナ諸島とともに、成田からわずか3時間余りで行ける日本人リゾート観光のメッカである。16世紀にマゼランが発見して以来、スペイン領、アメリカ領、そして第二次世界大戦時には日本領、終戦後は再びアメリカ領の準州となって現在に至っている。日本から一番近い「アメリカ」ともいえる。

 北海道の冬が最も厳しい2月。旭川は相変わらず雪。気温は零下10度。そんな中、常夏の島に向けて「脱出」した。

 成田を夜に出発するミクロネシア・コンチネンタル機は満員。真冬に南国の島へ大挙する日本人軍団の中に自分もいることに、多少の恥ずかしさも感じながら、狭いエコノミーシートに腰を降ろした。

 灯篭のように黄色くぼやけた光が暗闇に浮き出てきた。真夜中の小さな灯りめがけて飛行機は小島に着陸。夏の匂いの中に微かな雨の匂いが混じっていた。
 真夜中の雨の中、バスは走る。道路の灯りが雨垂れを照らす。南国の島の華やかさはない。寝静まったホテルのフロントでは、ホテルマンが1人、笑顔で出迎えてくれた。

 会社帰りにも成田から気軽に行ける海外、という位置付けなのだろう。グアムへは真夜中に到着するツアーが多い。強行軍である。

 わずか数時間の睡眠ののち、翌朝から島を見て廻る。グアムは、日本でいう淡路島位の大きさの島に13万人が住んでいる。首都は「ハガニァ」。経済の中心地。ビーチのある「タモン」が観光の中心地である。

 ハワイ・ホノルルのような華やかさを期待していたが、小さな島である。免税品店とアミューズメント施設以外は見るべきものはほとんどない。観光客以外の人通りも少なく、街には日本語と日本人があふれている。泳げない私には、透明な蒼い海に照りつける太陽さえも恨めしく感じてきた。

 鉄道はおろか、公共交通機関はないに等しく、島内移動は、観光客を対象としたショッピングバスかタクシーだけである。

 いったい、私は何のために来たのだろうか。

 バドワイザーの空き缶ばかり並べていても仕方ないので、私なりに工夫して無理やりグアムの旅に出てみることにした。

グレイラインバス
 ▲グレイラインの島内一周バス。1日2往復ある。

 グアム島内には、観光客の移動を目的としたショッピング・シャトルバスの会社が3〜4存在する。そのうちの1つ、「グレイライン」に島内を1周する観光路線バスが1日2往復だけある。選択の余地もなく、それに乗ることにした。

 次の日、朝早くにホテルを出る。昨日から人の顔を見るたび「タクシーに乗らないか」とうるさい運転手が、玄関で暇そうにしている。

 「DFSまで行ってくれ」と日本語で頼むと、大喜びで車のドアを開けてくれた。
 全世界チェーンの免税店(ディューティー・フリー・ショップ)「DFS」のグアム店では各ホテルからのタクシー代を負担してくれる。実のところ、買物など毛頭する気もなく、観光路線バスの乗場が近いという理由だけで「送迎」タクシーに乗せていただいた。

 運転手は嬉しそうに日本語で色々と喋りかけて来る。夜のスポットがどうのとか、免税品店は他にも多数ある、というような話を延々としている。車内には若い日本人女性の「プリクラ」が多数貼られており、彼の口車に乗せられた観光客が多いとみえる。

 時折、タクシー無線が入り、彼が何かを喋っているのだが、どうしても聞き取れない。英語ではなく、トーンの高い、抜けるような音。

 現地の「チャモロ人言葉」なのかと思って尋ねてみると、「コレハ、フィリピンノコトバデ、タカログゴデス」と少し恥ずかしそうに返ってきた。一応アメリカなので英語が公用語となっているのだが、グアムの先住民・チャモロ族の祖先は東南アジア系と言われている。現在も住民の多くがチャモロ人で、彼もそうだった。

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