ヨーロッパ鉄道紀行
page-20 紀元前の都・ローマを歩く
 テルミニ駅のホームに停車中の列車を眺めて見ると、ほとんどが落書の餌食となっていた。
 イタリアが誇る自慢の特急列車「ペンドリーノ」までが車両前面にスプレーされ、見るも無残な状態だった。

 ローマ地下鉄はさらに壮絶だった。列車の前、横、ドアー、窓、車内完膚なきまでに落書だらけ。元の電車が何色だったのかも分からない。外の景色も見えない。子どもの頃にTVで見て恐れた、かっての「ニューヨーク地下鉄」がここにあった。不気味さと治安の悪さを感じる。
 そんな状態だから気を抜く暇がない。少々人々を睨みつけるような目線で歩く。持ち物は「SPAR」の薄汚い紙袋1つだけ。漫画の「ゴルゴ13」ではないが、地下鉄車内では決して人に背中を見せないようにドアにもたれた。日本なら過剰反応だが、ローマではそこまでしても何ら違和感ないのが不思議だ。

コロッセオ
 ▲2000年近い歴史を持つコロッセオ
 何日いても見尽くすことがない、といわれるローマの観光地。やはり一番初めに訪れようと思ったのが「コロッセオ」。今から1900年以上前の西暦80年に石造された巨大な円形の闘技場。ローマの象徴ともいえる遺跡だ。

 地下鉄の駅を降りると、観光客は大挙してコロッセオに向かう。この旅行中、ほとんど見なかった日本人観光客の姿が目に付く。ちょうど日本は真冬に向かう一歩前。やはり暖かい異国に惹かれるのだろうか、それとも日本にはイタリア好きが多いからなのか。

 入場券を買ってコロッセオ内部に入る。当時のままと思われる急勾配な石の階段を昇ると、内部が見渡せる観客席部分に出た。巨大だ。今にも崩れ落ちてきそうな観客席の遺構が廻りを取り囲んでいる。

 当時は5万5000人を収容した。象やライオンなどの猛獣と人間が、どちらかが死ぬまで闘う、という血なまぐさい見世物がここで繰り広げられた。すでにアリーナ部分は朽ち果て、当時の地下室部分まで丸見えになっている。

 完成から1920年間、人類にもローマにも様々な出来事があったはずなのに、未だに同じ場所に残っている。この石の一つ一つが1900年という気の遠くなるような時の旅を生き抜いてきた。そう思うと頬ずりさえしたくなった。

 朝から何も食べていないので空腹だが、不明朗会計極まりないスタンドでは何を買う気も失せる。刀剣士の格好をした記念写真屋が近づいてきて鬱陶しい。
 遺跡は素晴らしいが、観光客を獲物とするこれらの商人は見ていて腹が立つ。これも観光国家イタリアならではのものだろうか。

 次の目的地は「スペイン広場」。映画「ローマの休日」でアン皇女がジェラートを食べたあの場所である。
 市内1日乗車券を買ったのでバスで移動することにした。丘の上の狭い路地に小さなバスがやってきた。マイクロバスをさらに小さくしたような四角いバスは、地元客で超満員だった。

 住宅地や商店街の裏道のような石畳の狭い路地を、縫うように走る。大型バスには真似できない芸当。どこのバス停でも乗り降りがあり、地元の生活路線は楽しい。
ローマのミニバス
 ▲狭い路地を縫うように走るミニミニ市バス

 スペイン広場の少し手前で降ろされた。食べ物を求めて狭い商店街を歩く。ピザを切り売りしている店に入ってみる。地元の買物客しかいないので信用できそうだ。買ったばかりのピザをほお張りながら街を歩く。空腹もあるが、ピザがこれほど旨いとは思わなかった。

 初夏のような気持ち良い太陽に照らされ、スペイン広場の階段には、目的もなく多くの人が座り込んでいた。とにかく人が多い。

 映画の雰囲気とは随分違うが、そのシーンを思い出して「ジェラート?」などと意味もなく呟いてみる。「ローマの休日」に洗脳されているかのようだ。さすがにこの場所にはジェラート屋はいない。

 スペイン広場を見下ろすようにトリニタ・デイ・モンティという大きな教会がそびえる。元々は教会への参拝客のために、この階段や広場が造られたという。教会の裏手、ピンチョの丘の上は住宅地となっている。この中に「ローマの休日」に出てきたあの新聞記者のアパートがあるというので探してみたが、見つけられなかった。

 低い丘の上からはローマの街が一望できた。街は雑然としてどことなく煙っている。教会や寺院の塔だけが空へと突き刺すように伸びていた。

 ピンチョの丘に立つ高級ホテルの前に人だかりができていて騒がしい。行ってみると警察官が交通整理をし、新聞記者やテレビカメラまで集まっている。野次馬根性を出し、近くにいた新聞記者に逆取材を試みる。

 「パドンナだよ」と彼。「えっ、パドンナ??」と聞き返すと、そんなことも知らないのか、と呆れ顔で「タタタ、タタタ」とマイクを持つ真似をして歌を口ずさんだ。

 アメリカの歌手「マドンナ」。イタリア流に言う「パドンナ」がこのホテルに宿泊しているらしい。野次馬からは「パドンナ」コールが巻き起こった。

 「“パドンナ”ローマ滞在」のニュースは、次の日の一般紙やテレビでも大きく扱われていた。さすがは「パパラッチ」の本場である。かって日本でも「マドンナブーム」なる時期もあったが、彼女は未だ世界で人気を誇っているらしい。

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