ヨーロッパ鉄道紀行
page-17 楽友協会でのコンサート
 重い荷物を背負い、急ぎ地下鉄に乗り換える。妻が最も気合を入れている「音楽の都」ということで、街の中心部にホテルをとった。駅前のホテルに慣れているので、不安と面倒さが入り混じりながら地下鉄に乗り込む。

 路線を1つ乗り換え、国立オペラ座に近い「カールスプラッツ」駅で下車。地上に出ると街の中心部なのにとにかく暗い。その上、ホテルの地図がいい加減で、徒歩5分の距離を20分迷ってホテルに着いた。

 夜道で迷って疲れ気味だが、まだ時間は夕方5時を過ぎたばかり。音楽の都・ウィーンではコンサートを見ない訳にもいかない。ジーパンの薄汚い格好からスラックスに履き替える。ガイドブックによると、ジーパンでコンサートホールに入るのはマナー違反との事。日本人として恥ずかしくないように、最低限の格好で出かける。とはいえ、チケットを持っている訳でもなく、どこで何の公演があるのかも分からない。

 ホテルの近くにある「楽友協会」を目指して歩く。
 「ウィーンフィルハーモニー」の本拠地として日本でも有名なホール。その道に明るくないので、どれだけすごいのかは分からないが、妻の興奮ぶりを見ると、世界有数、いや世界一のレベルらしい。

 楽友協会の付近は道路工事やら建物工事やらで雑然としていた。それらしい建物に入ってみたら、何かの学校に迷い込んでしまった。どれも石造りの格調高い建物だから見分けがつかない。

 すぐ隣に「楽友教会」はあった。入口に近づいて行くと、毛皮に身を包んだ初老の女性に声をかけられた。S席で800シリング(約7000円)とか言っている。どうやらダフ屋らしい。世界一の音楽の都はダフ屋さえも優雅な雰囲気だ。
 「チープ、チープトラベラー」などと適当な単語を発すると、裏のほうにある正規のチケット売場で立席券を売っていることを教えてくれた。

 立席券なら1人約600円。今日は「ウィーンフィル」ではなく、「ヨーロッパフィル」の公演だというが、この料金で会場の中に入れるだけでも有難い。世界一の音楽の都は入場料も安い。

 開場まで1時間。コンサート前には豪華ディナーといきたいが、付近にどんな店があるのかさえ分からない。薄暗い街の中でも1つ、赤々と電光がともっているマクドナルドのお世話になる。世界チェーンはある意味、有難い。600円の立見客にはマクドナルドがよく似合う。

 立見客は開演の30分前に特別な扉の前に集合することになっている。学生や観光客、ラフな格好の者ばかりが並んでいる。
 すぐ前に並んでいた日本人の若い男性から話し掛けられる。近所のウィーン工科大学で学んでいるという東大からの留学生Nさん。専門は理工系なのだが、演奏留学生のように音楽に詳しい。今日のヨーロッパフィルの演奏レベルや、演奏内容についての話を、妻と熱く語っている。

 Nさんは立見席の常連らしく、「ドアが空いたら一気になだれ込みますよ」との言葉通り、立見客が一斉に前方めがけて走り出した。会場全体が見渡せる最前列を確保。手すりにハンカチを巻きつけた。これが場所を確保した証となる。

楽友協会大ホール
 ▲別名「黄金のホール」。楽友協会ホール
 100年も前に造られたというこの荘厳な大ホールは、別名「黄金のホール」と呼ばれるように、見渡す限り金色に輝いている。

 高い天井から大きなシャンデリアが吊り下げられた客席は、正面に右に左に広がり、2階には高貴な方々が座るようなボックス席もある。黒のタキシードや華美なドレスで着飾った老若男女が座席に着き始めると、映画の中で見た宮中演奏会の雰囲気になった。座席は何日も前に完売したらしく超満員だ。

 我々のいる会場最後部だけは、まるで映画の立見席のように服装も年代もバラバラ。優雅な演奏会の雰囲気とはかけ離れている。聞く演奏は同じなれど、手すりを境に異空間が広がっている。

 さざ波のような拍手に迎えられ、ヨーロッパフィルハーモニーの黒タキシード集団が入場してくる。

 ドヴォルザーク「スラブ舞曲」とベートーベン「田園」が今日の演奏曲目。Nさんと妻が色々と解説してくれるが、ベートーベンという言葉と「田園」くらいしか分からない。

 私たちの後ろには二重三重にも人の列が連なっている。場所を少し移動しただけで見えなくなるらしく、耳元でドイツ語の「すみません」という言葉がささやかれた。手すりに寄りかかりながら約1時間、ようやく「スラブ舞曲」が終わったようだ。休憩に入る。

 ロビーに出て見ると、そこは紳士淑女の社交場のようで、とても私のような薄汚い旅行者を寄せ付けない雰囲気がある。片隅で煙草を吸って即座に退散。記念に演奏プログラムを買ってみるが、ドイツ語なので写真だけ眺めて雰囲気を味わう。

 音楽に関心が浅いためか、立っているのがつらくなってきた。前方の場所を諦め、後方に退散する。私のような「落伍者」をはじめ、髪を逆立てた若者、音楽に興味のない観光客らが世界中から一同に集まっており、地べたに腰を下ろし、目をつむったまま時の流れに任せていた。人の背中しか見えない。

 私もその一員となって、世界有数レベルの音楽を子守唄に夢の世界へといざなわれた。贅沢な眠りである。

 Nさんとともに夜のウィーンを歩く。夜の地下道は、浮浪者もおり治安も悪そうだが、「この街はまず安全ですよ」との事。首都とはいえ、ウィーンの人口はわずか150万程度。「オーストリア全体でも800万人ですから、東京よりも少ないんです」とNさん。

 確かにロンドンやパリと比べると人は少なく、活気はない。冬の街は凍てつくように寒い。寒い街は概して治安が良いというのは本当のようだ。

 この近くの下宿へ帰るというNさんと別れ、我々もホテルに戻った。Nさんはこれからの留学期間中、幾度も演奏会へ出かけるのだろう。現役の東大生に向かって言うのも失礼な話だが、趣味と実益を兼ねた賢い留学である。

前のページへ戻る
前のページへ
欧州鉄道紀行のTOPへ
欧州鉄道紀行のトップへ
次のページへ進む
次のページへ
ホームに戻る 世界編トップに戻る