ヨーロッパ鉄道紀行
page-15 ザルツブルグとモーツアルト
オーストリア国営放送の山ライブ映像
 ▲国営放送から流れる朝の山ライブ映像
 朝、起きると、爽やかなヨーデルとともに、オーストリア各地の山の風景が国営放送に映し出された。定点カメラからの生中継映像が延々と流れるだけの番組なのだが、雪が多かったり、少なかったり、高い山々の生映像は案外楽しい。

 先日、日本の中学生も巻き込まれて多数の犠牲者を出した悲惨なケーブルカー事故のスキー場・カプルンはすぐ近くなのだが、映像では流れなかった。

 今日は昼過ぎの列車でウィーンまで移動するだけの楽なスケジュール。
 その分、過密観光をせねばならず、早速、街へと繰り出す。ザルツブルグは、あのモーツァルトを生んだ音楽の都として世界中に知られている。音楽好きの妻は、これまでになく張り切っている。

 鼻息の荒い妻に先導され、ザルツブルグの街を歩く。駅と中心部は若干離れている。
 歩いていて不思議に思ったのが、信号機や横断歩道が日本のものと実に似ていること。イギリス、フランス、ドイツはまったく異なったのに、オーストリアだけがなぜか日本風なのだ。オーストリアと日本の関連性を考え、どうでも良いことで頭を悩ませているうちに、本日1つ目の観光地「ミラベル宮殿」に着いた。
ミラベル宮殿
 ▲「美しい眺め」という意のミラベル宮殿

 「美しい眺め」との意味を持つミラベル宮殿は、映画「サウンド・オブ・ミュージック」のフィナーレとなった所。その昔、映画を見た記憶もあるのだが、何も思い出さない。確かに庭園は美しいが、こちらに来て庭ばかり見過ぎた。少々、飽き気味の感もある。

 緑の庭園を立ち去ろうとすると、1人旅の青年が「カメラのシャッターを押してくれませんか」と英語で頼んできた。ハングル文字のガイドブックを手にしている。
 「私は日本からです」と言うと、「Oh、Japan!」と嬉しそうに笑っていた。
 やはり同じような顔のアジア人の方が頼みやすいし、安心なのだろうか。先日のパリでも台湾人観光客にシャッターを頼まれた。

 少し歩くと「モーツァルトの住居」がある。1773年から14年ほど一家で住んでいたという。第二次世界大戦の戦災で焼けたため、再建である。

 近年の新装の際、日本の大手保険会社が多額の寄付をしたため、入口に同社名の書かれたプレートもある。館内では無線機のような日本語ガイドフォンも貸し出された。ちょうど日本のバブル時期の「遺産」なのだろう、現在なら考えられない大寄付を感謝しなければならない。日本語での解説を聞けるのは、この旅で初めてのことだ。

 館内では当時のピアノや楽譜、肖像画など、その場所に立ち止まるとイヤホーンから解説が流れてくる。モーツァルトの生涯を描いたビデオも日本語で聞ける。

モーツァルト像
 ▲市内にあるモーツァルト像
 モーツァルトはここザルツブルグで生まれはしたが、大司教と相いれず、街での評判も悪かった。自身もザルツブルグは好きではなく「もう帰りたくない」とまで言い、演奏の旅を続けたのち、ウィーンで没した。そんなモーツァルトの人生。妻は涙を浮かべながら画面に見入っていた。

 街を隔てるザルツァッハ川を渡ると、ザルツブルグ旧市街に入る。狭く曲がりくねった路地の左右にすきまなく店舗がひしめいている。土産物やブランド品などがショーウインドウに並ぶショッピングゾーンだ。その中の建物の1つがモーツァルトの生家として公開されている。

 看板も特になく、普通の建物の中にあるので、通り過ぎてしまいそうだ。内部は狭く、歩くとキシキシ鳴る木の床の上に、楽譜や楽器などが展示されている。先程、見たものとどう違うか分からない。もちろん、日本語の解説などない。
 この狭い部屋の中でも台湾からの団体観光客の添乗員が大声で何かを解説している。どこへ行っても台湾人観光客のパワーには圧倒される。

 外に出て歩くと、モーツァルト像、橋を渡ると「モーツァルト小橋」。モーツァルト尽くしの観光を終え、駅に戻る。

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