鉄道紀行への誘い〜作者雑記
旅や鉄道の内容を中心に、日常の出来事も綴っています

急行利尻(1988年音威子府)

■心の中を走り続ける 北の夜汽車は永遠に
(2008年4月27日)


 これまで鉄道の旅を続けてきて、最も心踊る瞬間は夜行列車に乗っている時だったような気がします。

 夜汽車の良さは宿泊費を浮かすことができて、寝ている間も好きな鉄道に揺られながら、長距離移動ができること。明日の朝、起きたら雪が降っているかもしれないし、車窓から海が見えるかもしれない、翌日は今日とはまったく違う土地での一日が始まる、退屈な日常から、異次元へと誘(いざな)ってくれる神秘的な雰囲気も魅力です。

 懐寒いが暇多き学生時代は「青春18きっぷ」か「周遊券」(現在の周遊きっぷ)でも利用できる快速や急行の夜行列車に数え切れないほどお世話になりました。特に印象深いのが、北海道と九州内を走る夜汽車です。
北海道ワイド周遊券(1989年)
 ▲北海道ワイド周遊券。有効は20日間!

 学生割引のワイド周遊券を握りしめ毎夜、札幌や門司港、博多といった始発駅に現れ、何時間も前から自由席の列に並んでいました。

 そんな時間から並んでいるのは、同好の士か貧乏旅行の若者しかおらず、お互い無言の中でも不思議と居心地が良く、帰路を急ぐビジネスマンに邪魔な顔をされても、どこか自由を謳歌する誇らしさのようなものを感じたものです。

 列車の入線時刻が告げられる頃のソワソワする浮揚感、鈍い音を立てて機関車が現れた時の高揚感、無人なのに室内が明々としている青い客車が目前に現れた時の張り詰めた緊張感は、何物にも代えがたい醍醐味でしょう。

 透き通るような独特のリネン香や冷気、暖気香に包まれ、座席を確保して座った瞬間の安寧な心。まるで自分の家に帰ったかのような気分です。
急行大雪(1989年)
 ▲急行大雪(1989年)

 発車ベルが鳴り、ガクンと軽い衝撃とともに列車が動き出す。タタタタタン……と聞き慣れたオルゴールが鳴る頃には、再び気分が高揚。隣に通勤電車が並走していたりすると、自分が日常と断絶された空間に居ることの優越感も同時に湧き上がってきます。

 大人になってからは、この辺でビールや日本酒の蓋を開け、夜汽車の興奮をドーピングさせたりもしていましたが、学生時代はそんな必要もなく、通過する駅名板を見たり、時刻表を読んだりすることで、さらに興奮度が増したように思います。

 そして何よりも心地良いのが、レールの響きを聴きながら眠りにつけること。明日の朝は稚内だな、と頭の中に風景を想像しながらぼんやりと目を閉じているのは、人生の中でこれほど贅沢な時間がないとさえ思えるほどです。
深夜の旭川駅に利尻が到着(1997年)
 ▲深夜の旭川駅には札幌発の夜行列車が
 2本相次いで到着した(1997年)

 深夜にふと目が覚めて、外に目をやるのも愉しい瞬間です。黄色い灯りに照らされた駅名板が窓の外を流れていったりすると、誰もいない夜の荒野で親しい人に出会ったような嬉しさがあります。

 朝は、少し憂鬱な時かもしれません。夜の旅が終わってしまった事の寂しさと、寝不足気味でぼんやりした頭、まだ降りたくないと思うことが多々ありました。昨日とは違う待望の世界にたどり着いたはずなのに、不思議なものです。

 快速や自由席のある夜行列車は運転距離が短いから、味わい味わい足りなかったのかもしれません。だからこそ旅の間は、毎夜、夜汽車へと足が向かいます。
朝6時に稚内へ着いた急行「利尻」(1989年稚内駅)
 ▲朝6時に稚内へ着いた急行「利尻」

 こんな夜行列車の愉しみも、もはや過去のものとなりつつあるようです。

 九州にはまだ一往復「ドリームにちりん」という夜行特急が残っていますが、札幌を起点に道内各拠点都市を結んでいた夜行特急・急行は、すべてが臨時列車化され、定期列車は青森と札幌を結ぶ急行「はまなす」が走るのみです。

 今月、JR北海道は乗客減を理由に釧路、稚内、網走への臨時夜行特急を完全に廃止することを発表しました。他の会社では、なし崩し的に消し去ってしまうことが多いだけに、公式に発表をしてくれたこと自体は有難いことだといえます。

 定期運転が行われなくなった時点で予想できたとは言え、現実を付き付けられるとまた一つ、青春の欠片が消えていくようで、諦めに似たやり切れない気持ちになっています。

 もはや、夜汽車に乗った時の高揚感や心地良さは、自分の心の中だけに残された愉しみになってしまったのかもしれません。

(2008/4/27)

▼今回完全廃止が発表された北海道の夜行列車

■急行「利尻」(札幌〜旭川〜稚内)
急行利尻(1989年、稚内駅で)
【2000年特急化、2006年3月臨時列車化】

 日本最北を走る夜行列車。札幌を23時に出発し、稚内には翌朝6時に着く。1991(平成3)年にそれまでの客車列車からディーゼルカー化し、気動車にB寝台客車をサンドイッチ連結する夜行のさきがけとなった。

 札幌〜旭川間は最終・始発優等列車の役割を担っていたため、通勤・ビジネス利用が多く、ディーゼルカー時代は同区間だけの増結車両も連結していた。2000(平成12)年3月、宗谷本線の高速化とともに、特急に格上げ。2006年3月の改正で臨時列車化され、以後「はなたび利尻」なる列車名で夏季を中心に運転されていた。
ディーゼルカー(キハ400)時代の急行利尻(1997年)

 個人的には北海道内で最も好きな夜行列車で、闇夜の中を日本の最北に向うというシチュエーションも、どこか浪漫を感じさせてくれた。
 札幌出発時の「まりも」との併走や、夏季に稚内到着直前で左手に見える利尻富士、冬季に稚内へ着いた時の寂しさなどは印象深い。
 未明の音威子府で天北線の始発列車に接続していたことや、終着駅の稚内に到着後、その先に線路がない安心感からか、なかなか下車しようとしない乗客が多かったことも思い出される。

 いつか、この列車に乗って、稚内港からサハリンへ渡ってみたかった。

※写真右:ディーゼルカー時代(1997年)。深夜の旭川駅での増結車両解除風景

▼サイト内関連記事
北海道・冬の終着駅紀行〜宗谷本線・稚内駅(1998年1月)
冬こそ夜汽車 憂愁さ漂う最果てへ (2004v年12月6日)
稚内名物? あの客引き爺さん、まだいるのだろうか?(2004年12月7日)


■急行「大雪」(札幌〜旭川〜網走)
急行大雪(1989年、札幌駅で)【1992年特急「オホーツク」化、2006年3月臨時列車化】

 札幌を22時半に出発、網走には6時過ぎに着く。1992(平成4)年3月のダイヤ改正で道内夜行急行のトップを切って特急化し、「オホーツク9・10号」となった。
 自由席が最も空いているというイメージがあり、周遊券旅行の際、ゆっくり寝たい際にはよく利用した。網走到着後、すぐに折り返しの特急に乗り、惰眠を貪ったこともあった。

 そんな存在ゆえ、印象は薄いのだが、実は最も多く乗ったように思う。

 北海道在住時、車で闇夜の峠を超える時、この夜汽車の黄色い灯りが、どれほど心強かったことか。車輪を軋ませながら懸命に北見峠を超えていく姿は忘れられない。


■急行「まりも」(札幌〜帯広〜釧路)
急行まりも(1989年札幌駅で)【1993年特急「おおぞら」化、2001年特急「まりも」に変更、2007年10月臨時列車化】※特急「まりも」は今年(2008年)夏まで臨時列車として運転

 札幌を23時に出発、釧路着は6時前。1993年の特急化を機に「おおぞら13・14号」となったが、2001年に「まりも」の名が復活した。
 ある時期から自由席が1両だけとなり、いつも混雑していた印象がある。一度、夏季に通路まで満員だったことがあり、たまらずに深夜の新徳駅で下車。駅のベンチで寝たこともあった。

 客車列車時代、青函トンネル開業時には増結客車が足りず寝台車両を自由席に使っていたこともあった。近年は根室まで延長運転されたり、はたまた寝台車の割引運賃など、利用客が多いからこそさまざまな試行が行われていた。そのためか、道内夜行の中では最後まで運転を続けている。

 しかし、それも今年の夏が最後。最も鉄道利用が多いはずの札幌〜十勝〜根釧でさえ、夜行バスや都市間バスに屈したということだろうか。

 夜明け前、右手に太平洋が見える頃、最東端への思いを抱いて目覚める瞬間が好きだった。混雑がゆえに、隣席の見知らぬ人と語ったことも一番多かった。



雑記 バックナンバーはこちら
▼2年半ぶり再開、全線完乗で見えた地方の衰退(2008/1/13)

雑記のトップページへ

鉄道紀行への誘いトップへ

since 2001.12.1