執筆後記と解説

年末、北へ向かう臨時夜行急行列車と「八甲田」
「急行八甲田、北へ」

深夜の駅に停車中の急行八甲田

 
「急行八甲田、北へ」は1994(平成6)年の年末から95年の年始にかけて、急行「八甲田」を使って北海道へ行った旅のことを、急行八甲田乗車と、飛行機で礼文島へ渡った、という2つのエピソードに絞って書いたものです。

 なにぶん、今から8年も前の学生時代に書いたものなので、若さゆえか視野の狭い「決め付け」的な文章になっているのが少し恥ずかしいです。

年末の上野駅、多くの臨時急行が運転されていた
 当時私は毎年、年末年始に北海道へ出かけており、ワイド周遊券愛用者でしたから、旅費を安くあげるべく上野と東北を結ぶ夜行急行列車によく乗っていました。
(ワイド周遊券は周遊区間内では特急に乗れますが、そこへ行くまでは急行列車しか乗れませんでした)


 安く行くため、という理由のほかにも年末の上野駅の独特の雰囲気がとても好きで、毎年、混雑すると分かっていても、故郷へ帰る出稼ぎ者らの酒盛りを眺めながら自由席を待つ長蛇の列に並んだものです。

故郷へ帰る人たちで混雑するホーム
 故郷から遠く離れて働く出稼ぎ労働の人々が、苦しい日々から解放され、家族が待つ故郷へ帰る期待を膨らませる…、その安らいだ顔をたくさん見られるのが年末の上野駅の夜行急行を待つホームであり、寝苦しい自由席での夜でした。

青森駅に到着した急行八甲田(1994年12月)
 1990年代初頭、東京と東北を結ぶ夜行急行列車は「八甲田」(東北本線経由・上野〜青森)、「津軽」(奥羽本線経由・上野〜青森)の2本だけが定期列車でした。
 しかし、年末になると「十和田」(常磐線経由・上野〜青森)、「おが」(上野〜秋田)、「おいらせ」(東北本線経由・上野〜青森)、「津軽の臨時増発」(上野〜弘前)、さらに羽越本線の酒田までは「天の川」も運転されるなど、多彩な臨時急行列車がありました。

北上線でディーゼルカー機関車に牽かれる急行おが
臨時急行おが。廃止末期には
北上線経由で運転されていた。
 どの列車に乗るかを考えて時刻表と"にらめっこ"するのも楽しい作業でしたが、年々臨時急行列車が削減されるばかりか、1993(平成5)年12月には定期列車であった「八甲田」「津軽」も廃止となってしまいました。

 「それでも夜行急行があるだけ幸福なのかもしれない」と文中に書かれている通り、1994年末には「臨時急行列車」として八甲田と津軽が"復活運転"していたのです。

 その臨時急行「八甲田」に乗って青森まで行き、昼間の青函フェリーに乗って北海道へ渡るという計画でした。

(八甲田の旅行記最後に「少なくとも隣に停まっている快速「海峡」と書かれた青い客車だけには乗らないだろう」と書いてありますが、当時、北海道へ渡る時は「青函トンネル」ではなく「青函フェリー」に無理やり乗る、という"信念"みたいなものがありました)


 ところが出発前日に八戸周辺で震度6の「三陸はるか沖地震」(1994年12月28日、マグニチュード7.5)が起ってしまい、東北本線が不通になったのです。

早朝の一ノ関駅に停車中の八甲田
 青森から来るはずの上り列車が夜になっても到着せず、その影響で出発時間が遅れ、「到着時刻は今の時点では不明。特に青森にはいつ着くのかさえまったく分からない状況。まるで戦時中の列車のようである」と青森までの"長い長い旅"を楽しむ?ことになってしまったのです。

 長年、上野発の夜行列車に乗って来た中で、もっとも印象深い出来事だったので文章化して残すことにしました。

 その後、上野発東北行の夜行急行列車は臨時でも運転されなくなり、残った寝台特急でさえも、2002年12月の東北新幹線八戸延伸にともない、上野発・東北行の夜汽車は皆無に近い状態となってしまいました。
 これら臨時夜行急行での北への寝苦しい旅も、年末の上野駅地上ホームの独特の光景も、上野から北へ向かう夜汽車も、今や思い出の中だけの風景となりつつあるようです。

(2002/8/11公開、2003/1/12更新)


▼関連内容
故郷目指し、奥羽路の長い夜を駆ける急行「津軽」(「鉄道旅行百景」)
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