執筆後記と解説

急行「だいせん」「さんべ」から眺めた山陰本線の蒼い海
「我が幻の山陰本線紀行」と「蒼い夏」

 「我が幻の山陰本線紀行」は1995(平成7)年6月、急行列車に乗って山陰へ出かけた時のことを書いたものです。「蒼い夏」は1996(平成8)年夏、幼少からの山陰本線の思い出をどこかに記しておきたくて書いたものです。
急行「だいせん」1995年6月
 
 今でもそうですが、突然思い立って夜汽車に乗ってどこかへ行きたくなることがあり、そんな時に一番旅情をかき立てられたのが、「我が幻の」に出てくる急行「だいせん」(当時は大阪〜出雲市)でした。

 “私の記憶の底に眠る古き良き時代の鉄道の原風景”である、山陰の日本海を望みながら走る「旧型客車」も「煤に汚れたディーゼル急行」もこの時、大半がすでに消えていましたが、急行「だいせん」と、それに接続していた急行「さんべ」(鳥取〜米子〜小倉)が唯一、当時を思い起こさせてくれる生き残りの列車だったと思います。
急行だいせん(1997年6月出雲市駅で)
当時は寝台車も連結していた急行だいせん
(1997年6月・出雲市駅で)

 「だいせん」は当時すでに寝台車2両、座席車3両という短い編成になっていましたが、夜汽車の象徴的な姿ともいえる"空色の客車"は、現実を忘れて旅をするには最適な列車でした。

 夜の「みどりの窓口」でミニ周遊券
(「山口・秋芳洞ミニ周遊券」は山陰本線全線と帰りには下関から山陽本線も使え、しかも15000円程度とお手頃で大好きでした。<当時は学割なのでさらに3割引でした>)を買い、ただ夜汽車に乗って海が見たいがために、この「だいせん」に乗り込んだものです。
深夜の駅弁販売(1991福知山駅)
深夜の福知山駅で行われた駅弁販売
(1991年2月・福知山駅で)

 自由席が1両しかなく、通勤帰りの会社員らでいつも篠山口あたりまでは混んでいましたが、その後はほとんど乗客がいなくなり、真夜中の福知山駅や早朝の米子駅で駅弁を売っていたり、途中の倉吉からは「快速列車」になったり、夜明けの宍道湖が見られたりと車窓も環境も変化に富んでいました。

機関車交換する急行だいせん(1991福知山駅)
福知山駅ではディーゼル機関車を交換
(1991年2月・福知山駅で)
 その「だいせん」は、区間(大阪〜米子)、列車編成(ディーゼルカー2両編成)ともに短くはなってしまいましたが、幸いなことに2002年8月現在でも奇跡的に残っている数少ない夜行急行列車です。鉄道離れや高速バスの普及、また新幹線と特急乗り継ぎ、智頭急行経由高速特急の台頭など、決して状況は良くありませんが、大阪と山陰を結ぶ唯一の夜汽車として残っていてほしいものです。

※非常に残念ながら、急行「だいせん」は2004年秋に廃止されてしまいました。


急行さんべ(1989)
末期はたった2両編成だった急行さんべ
(1989年・山陰本線内で)
 一方、急行「さんべ」ですが、かっては山陰地方と九州を結ぶ重要な急行列車でした。

 1980年台には鳥取から熊本まで走り通すだけでなく、途中、別編成を美祢線経由で運転したり、夜行列車も含め1〜6号まで運転していましたが、鉄道の衰退と特急化に押され、最後に残ったのがこの鳥取〜小倉間の一往復(旧「さんべ1・2号」の時間帯)でした。

 急行「だいせん」の2時間後に「さんべ」が接続しており、この2つの急行列車を使うと山陰本線を急行列車だけで縦断できたのです。
(「だいせん」は福知山線経由ですが、現在も深夜の福知山駅で京都からの山陰本線最終列車に接続しています)

「急行さんべ」のサボ
 わずか2両の古いディーゼル列車になっていましたが、山陰と九州を結ぶ唯一の急行列車であり(ミニ周遊券は急行列車なら無料で乗れました)、遅くもなく、速くもないスピードで山陰の海を眺めながら、安価で山陰本線の旅が満喫できる列車だったと思います。残念ながらこの旅の2年後、1997年11月に廃止されてしまい、山陰と九州を結ぶ急行列車は全部なくなってしまいました。


 2001(平成13)年7月には山陰線(安来〜益田間)の高速化にともなうダイヤ改正が行われ、古びた特急列車さえも高速なスーパー特急に変わり、「旧型客車」はおろか、「煤に汚れたディーゼル急行」さえも、ますます昔話になったような気がします。

 ただ、文中にも書いていますが、車窓に見える美しい日本海や風景があり続ける限り、山陰本線の魅力はきっと変わらないと思います。

(2002/8/11更新)
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