蒼い夏〜いつまでも変わらなかった或る風景
山陰地方(1989) もともと、暑がりなせいか、最近は夏が嫌でなりません。
 沸き立つような夏雲がフワフワと浮かぶ蒼い空は、見ているだけで気持ちがいいものですが、コンクリートに容赦なく照りつける太陽が、暑すぎて歩くことさえも嫌にさせてしまいます。
 道の先がゆらゆら揺れて見えるそんな日は、もう、何もしたくなくなってしまいます。

 私にとって旅をするのも夏はあまり好きでありません。
 最近は、夏になるとどこへ行く気力も消え失せてしまいました。
 冬が美しすぎるからです。雪のある冬があまりにも美しいものですから、冬になると北へ北へと足が向いてしまいます。
 よくまわりの人たちは、寒い時に寒い所へ行くなんて……、と不思議がりますが、私からすると、雪があんなにも美しい季節に、どうしてみんな家に閉じこもったり、温かい南の方へ行ったりするのかが不思議です。

 それでも、夏の蒼い空の下、少し冷たいさわやかな風が緑の香りをふりまいて通り過ぎる時、海からの風が潮の香りを届けてくれた時、夏も素晴らしい季節だと思い直してしまいます。

 そんな夏を追いかけて、幼い頃から、いろいろな旅をしていたような気がします。

 昔、私が小さい頃、お盆頃になると祖父や祖母に連れられて、よく山陰へ行きました。
 だから夏休みが楽しみでなりませんでした。
 大阪駅から急行列車で8時間近くもかかる島根県の日本海に面した小さな村が祖父のふるさとでした。そこへ行くには、大阪発浜田行急行列車の「だいせん」号をよく使っていました。

 大阪を朝の9時50分に発車する急行「だいせん1号」浜田行は、福知山線を通り、途中いくつもの小さな駅に立ち寄って、その村に連れていってくれます。
 肌色と赤のツートンカラーのディーゼルカーを何両も連ね、多くの人たちを詰め込み、青色の堅い直角椅子で、見知らぬ人たちと向かい合わせに旅を続けます。

 8時間も列車に揺られるので、祖母などは酔い止めの薬を多用していましたが、幼い私にとっては何よりも楽しい時間でした。

 大阪を出ると、途中、茶色や青色の古びた客車の鈍行列車と何度もすれ違います。その鈍行列車のドアがないので、不思議に思ったりしましたし、冷房なんてもちろんなく、国鉄マークの入った扇風機が忙しそうに生暖かい風を送っているだけで、乱雑に窓が開け放されています。
 ずっと遠くまでは行っているのですが、その目的地へ早く着こうなどという気はまったくなく、2時間も走ると30分くらい駅で止まっているようなのんびりとした列車でした。

 当時の私はそんなのんびりとした列車が嫌いで、速くてかっこいい特急列車にばかり憧れていました。
 その中でも大阪発、福知山・山陰本線経由の博多行特急列車の「まつかぜ」にもっとも憧れていました。
 何といっても速いのがかっこ良かったのです。時刻表をめくると通過を示す「レ」印ばかりで、鈍行列車や急行列車などのように抜かれるために駅で待つことは絶対になく、2人掛けのシートで、窓も大きく、食堂車もついていて、エンジンを唸らせながら快走する姿は、何よりもかっこ良く見えたのです。

1979年6月発行の交通公社時刻表(p172)より
山陰本線温泉津駅(1989) その列車は特急列車ですから、もちろん、私たちが目的の小さな村の駅には止まってくれませんし、指定券などは取れず、自由席もいつも混んでいました。それで、速すぎる特急列車と遅すぎる鈍行列車との中間を取って、いつもこの急行列車に乗ることになっていたのです。

 ある時、私が祖父に無理を言って島根からの帰りに新幹線を使うことになりました。その小駅から急行に乗り、米子まで出て伯備線の電車特急に乗り換え、岡山へ行ってそこから新幹線に乗る計画でした。
 特急列車に乗れると思うだけでわくわくしていて、早くこの田舎の家から帰りたい気分になりました。
 朝、タクシーで田舎の小駅に向かい、米子へ向かう急行列車「石見2号」を待ちました。

 その駅で堅く細長い硬券の切符を買い、電話で近くの大きな駅に新幹線と特急列車の座席を問い合わせてもらい、硬券切符に席番号を書き込んだ指定券を売ってもらいました。

 木でできた茶色い改札口の上には「9:16 急行石見2号 米子行」と書かれた木札が吊り下げられています。私は駅のキオスクでアイスクリームを買ってもらい、ベンチに腰掛け、今か今かと急行列車の到着を待ちわびていました。
 ところが、発車直前になっても駅にいる客は動こうとせず、改札をする駅員も出てきません。
 いつの間にかディーゼルカーがやってきて、あっという間に去ってしまいました。
 私も祖父もその列車が急行「石見」だとは気づかず、乗り遅れてしまったのです。駅員も誰も乗らないと思い、改札をしなかったのです。
山陰本線温泉津駅(1998)
 私は必死に涙をこらえ、次の鈍行列車に乗ることになりました。
 やはり、例の茶色と青の古い客車を何両も連ね、赤いディーゼルカーに引かれてやってきました。
 入口のドアも開け放されていて、扇風機の熱い風だけが誰もいない車内に廻っています。
 堅い椅子に腰をかけ、いじけた顔をして、開け放された窓からずっと景色ばかり眺めていました。
 窓からは潮の香りが流れてきます。トンネルに入ると、冷たいしずくが顔にかかります。いろんな人たちが乗っては降り、あっという間に顔ぶれが変わってしまいます。ドアのないデッキからは車輪がレールを打つ音が絶え間なく聞こえてきます。一度止まると特急や急行列車がたくさん過ぎて行き、なかなか動こうとしません。

 そんなことすべてが、不思議で不思議でたまりませんでした。しかし、それがなぜか嫌でした。

 だけど、それから大きくなった今も、その時見た山陰の透き通るような海の青さや潮の香りがする冷たい風が忘れられないのです。特急や急行列車から見た景色は不思議と覚えていないのに、鈍行列車から見た景色だけが、いつまでも消えないのです。不思議なものです。心に焼きついて消そうとしても消えないのです。
 夏になると、いつしか、山陰の海が見たくなるようになりました。

 それから、幾つかの時が流れて、私は夏になると何度も一人で山陰を訪れました。
 茶色い、ドアのない客車列車は、赤い自動ドアの客車列車に変わり、いつしかそれさえも消え、窓の開かないクーラーのついた白いレールバスが走っていました。

 それでも、海の青さだけは昔とちっとも変わっていないのです。
 私が大きくなっても海も山も空も潮風も昔のままでした。
 幼かったあの時のままで、いつでもやさしく迎えてくれます。
 また、夏になったら、あの海や潮風に逢いに行きたいと思います。

(1996,7)

写真:山陰線石見福光駅付近で(1989)、山陰本線温泉津駅(1989)、山陰本線温泉津駅(1998)


■執筆後記・解説(2002/8/11)
急行「だいせん」「さんべ」から眺めた山陰本線の蒼い海
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