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page-6 レイクショア・リミテッド号(2)
(エリー〜オルバニー・レンセラー)
エリー〜オルバニー間の地図

 隣の部屋からトイレを流す轟音が聞こえて目が覚めた。外を眺めると、列車はまだ暗い中を走っている。
 時計を見ると5時を少し過ぎているので起床し、頭からカーテンをかぶるように車窓を見る。こうすれば室内の明かりがガラスに反射しない。

 東の空に雲の形が微かに浮かび、赤みを帯びてきた頃、空港らしき土地の横を通り過ぎているのが分かった。
左手にエリー空港が見えた
 ▲エリー空港の横を過ぎた


 昨夜から枕元に常備しておいたノートを手繰り寄せる。あらかじめ列車が走る沿線の地図をインターネット上から探し出し、それをプリントして貼っておいたものである。初めて目印らしいものを発見し、興奮しながら眺めると、ここはエリー空港(Erie Int'l Airport)のようであった。

 地図上ではこの先、次のエリー(Erie)からバッファロー・デピュー(Buffalo-Depew)駅直前までエリー湖岸に沿って線路が通っている。
 いい時間に目覚めたものだと思う。人気リゾート地になるほどの湖であるし、この列車は「レイクショア特急」と名付けられているのである。

                        ◇


遠くにエリー湖を望む
 ▲遠くにエリー湖が見える
 教会の塔が突き出だしている赤茶色の街並みが近づいてきて、5時41分、定刻より2分ほど遅れてエリーに到着した。
 貨物駅のごとく簡素なホームに、一人の老人が重そうな荷物を抱えて降り立っていた。

 列車が走り出すとわずかで街並は途切れ、家が点在する緑の中に入る。時折、遠くにエリー湖の水面が見えたと思ったら、すぐに木々に遮られてしまう。

 ノースイースト(North East)という湖畔の小さな街に入ると、赤い古風な駅舎が突然現れ、PENNSYLVANIAと書かれた旧型の客車や蒸気機関車が見えた。この集落にはアムトラックの駅はないので、博物館として残されているのだろう。駅舎があるのに、列車は一本たりとも止まらず毎日通過していくだけである。
湖畔を通るが木々で遮られる
 ▲湖が近付くと木々に遮られた

 ノースイーストを過ぎ、我らが「レイクショア特急」はペンシルバニア(Pennsylvania)からニューヨーク(New York)州に入った。
 相変わらず湖畔に近い場所は走っているけれど、車窓にはその姿をほとんど現してはくれない。この丘の先にはさぞ美しい湖が隠れているはずだ、と頭の中で風景を創造しているうちに、列車はバッファロー・デピュー(Buffalo-Depew)駅辺りからエリー湖を離れ、内陸部に入ってしまった。
車窓には牧草地帯も現れるが…
 ▲時折牧草地帯も現れるが…

 牧草地のなだらかな丘とサイロという、独仏のローカル線で見られるような景色も散見されるようになってきた。

 だけど、突如雑草地が現れたり、地肌の見えるところには大量の廃車が置かれていたりもする。車窓に酔おうとすると、急に素面(しらふ)に引き戻される、そんな生殺しのような状態が続いている。
CSXの貨物列車
 ▲壁のような無蓋車が
 延々と通過していく…

 列車はバッファローから100キロ近くを一気に走り抜け、オンタリオ湖(Ontario)に最接近し
た頃、ロチェスター(Rochester)に到着。8分間停まって駅を出たものの、すぐに急停車してしまい動かなくなった。

 そのまま30分が過ぎた。
 「CSX」と書かれた貨物列車が真横に現れて通過していく。
 窓からは黒い壁にしか見えない巨大無蓋車を62両目まで数えてみたが、あまりにも長いので阿呆らしくなってやめた。

                       ◇
CSXの貨物列車(イメージ)=ボルチモア市内で撮影
 ▲CSXの長大貨物列車

 今、米国の鉄道は日本の10倍近い22万6千キロの路線を持っているが、そのほとんどが貨物会社によって所有されていて、旅客列車は線路を借りる形で走っている。
 しかも全路線中でアムトラックが運転されているのは15%ほどしかない。

 人を足止めして貨物列車を優先する光景を見ていると、アメリカの鉄道を支えているのは貨物輸送なのだと感じる。鉄道全盛期の頃でさえ、旅客列車は鉄道会社のイメージ向上を担う存在でしかなく、利益は貨物で稼ぎ出していたとの説があるくらいだ。
「20世紀特急」のワッペン(B&O鉄道博物館で購入)
 ▲「20世紀特急」のワッペン

 こうした歴史や現状は頭では分かるけれど、「レイクショア・リミテッド」号の前身は、「20世紀特急」という、その名を聞いただけで栄華が偲ばれるほどの名列車だったのである。

 貨物ごときが追い抜くとは何事か!

 釈然としない私は頑固爺のごとく貨物会社を叱りたい気持ちになった。

 機関士も苛立っているのか、貨物列車が去った後、汽笛を12回乱打して急発進した。
小さな集落を幾度も通過する
 ▲小さな集落を幾度も通過した

 列車はオンタリオ湖を離れて、州を縦断する形で東へ猛スピードで走っている。窓の外は白い綿毛が吹雪のように流れている。

 場所を示す目印が何一つない小さな街が次々と現れては、その度に私は一生聴くことも行くこともないかもしれぬ名を地図上で追う作業を繰り返している。

 妻は景色に飽きたのか、朝食の時に食堂車へ行って以後、頭上のベッドから下りてこようともしない。
シラキュース駅ホーム
 ▲立派なシラキュース駅

 列車は牧場と湿地帯の平野を坦々と過ぎ、定刻より58分遅れて10時24分にシラキュース(Syracuse)に着いた。
 駅には列車出入口ドアと同じ高さのプラットホームがあり、到着と同時に放送が流れた。立派な三角屋根の駅舎前には、銀色のグレイハウンドバスが並んでいる。ようやく活気のある駅を見たためか、嬉しくなってホームに降りたが、車掌がずっと私の姿を注視しているのに気付き、すぐに車内へ戻った。
コンテナターミナル(シラキュース)

 シラキュースを出て、積み木のように巨大コンテナが積み上げられている郊外の操車場を抜けると、平地の森の中に入った。山間部のように上下変化がなく、青空と雲と緑のコントラストだけが映えている。


 眠気で意識が朦朧としてきたときに、部屋がノックされた。
シラキュースを出ると森の中に入った
 ▲平地の森の中を走る


 昨日以来、久々に見る世話係の彼がニューヨークタイムズを持って立っている。
 昼食は11時半に食堂車で、と言い残し新聞を置いて帰っていった。

 まもなくローム(Rome)という小駅を通過するはずである。街の外れでわずかに駅舎らしき建物が窓から見えた。駅があると現在地が確認できて有難い。

                        ◇

右側にエリー運河が見える
 ▲エリー運河沿いを走る

 列車は巨大な石造りの駅舎が鎮座するユチカ(Utica)を1時間17分遅れて出発。まもなく欧州の山間地帯のような小さな街並みが見え、アムステルダム(Amsterdam)なる小駅を通過。
 右側にエリー運河が近づいてきた。

 私達の部屋は左側にあるが、幸い、右側の部屋にいる爺と中年の息子がカーテンを開け放しているし、既に客が下車して空いた部屋もある。珍しく妻も起きてきて、別の右側の部屋に行って景色を眺めている。

 変り映えのない沿線風景の中では、エリー運河沿いの景色は随一のビューポイントなのでだろう。車内に置いてあった車窓の紹介冊子にもカメラ撮影を推奨するマークが付いている。

 しかし、運河ならではの不自然な水際や単調な川筋は、迫力という面では欠けている気がする。鉄道開通以前にエリー運河の水運が果たした役割は大きく、見逃すことはできない遺産ではあるけれど、車窓からそうした痕跡が見られる訳ではなかった。
スケネクタディ駅に到着
 ▲スケネクタディに到着

 「日本の高山本線のほうが、よほど迫力があるな」

 私は思わず発した。

 妻は、ああそうですか、といった素振りをして、また頭上のベッドに戻っていった。

 列車は次のスケネクタディ(Schenectady)駅の手前でまた10分ほど停車。今度は貨物列車も来ない。ちょうど1時間半遅れてホームまでたどり着いた。

 ボストン方面へ行く客は、次のオルバニー・レンセラー(Albany-Rensselaer)駅で同駅始発の連絡列車に乗り換えを強いられることになっている。
オルバニー・レンセラーでボストン行き(右)に接続
 ▲ボストン行き(右)が接続

 この「レイクショア・リミテッド」号には、かつてはボストンとニューヨーク編成がそれぞれあったが、合理化の末、今ではニューヨーク行だけが残り、ボストンへは座席車だけの別列車が連絡する形に変更された。

 寝台車に閉じ篭っているのも飽きてきたところなので、座席車に移るのは面白そうだとは思う。が、折角の個室寝台なので、多少損をした気分にもなる。

 列車はスケネクタディから20分ほど走って、13時44分、定刻より1時間14分遅れてオルバニーに到着した。

 州都らしく、日本の私鉄の郊外駅のような橋上駅舎が見える。


>>page-7 レイクショア・リミテッド号(3)

(オルバニー〜ボストン)

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