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〜オホーツク海の町へ〜
紋別港 昼過ぎに旭川を離れ、今、紋別へ向かう高速バスに乗っています。紋別市は、オホーツク海に面した人口3万人の北洋漁業の町で、冬には流氷がやってくることで有名かもしれません。ちょっとした用事があって、紋別まで足を運ぶことになりました。

 その昔、紋別へは鉄道が通じていました。名寄から紋別を通り、湧別を経由して石北本線の遠軽へ通じていた名寄本線があったのです。本線とはいうものの、いつしか支線は廃止され、沿線に紋別以外に大きな町もなく、いつも1両きりのディーゼルカーが走っていたようなローカル線でした。

 その名寄本線は、今から7年前の1989年春に廃止されてしまい、オホーツク海の北海岸は鉄道の空白地帯になってしまったのです。今では鉄道跡を走る代行バスか、旭川からの高速バスしか交通機関はなくなってしまったのです。
周辺MAP
 旭川から紋別へ向かう都市間高速バスの名は「オホーツク」号。JRの特急列車と同じ名前を使うとは、おこがましい気もしますが、今では北海道全域に路線を持つ都市間高速バスの方が、地位が高いのかも知れません。
 昼過ぎに発車したバスは、買物帰りらしき子ども連れの主婦ばかりが乗っていて、満員で驚いてしまいました。

 北海道で高速バスに乗るのは初めてなのですが、あまり気分の良いものではありません。鉄道に乗る時のような安心感やときめきが全くないのです。また、高速バスとはいえ、一般道を走るため、途中、渋滞や信号に引っかかってイライラが募ります。
 鉄道や路線バスで遅いのは許せても、「高速」と名がつくのに遅いのは腹立たしくも感じます。



紋別バスターミナル
 耐えること3時間、ようやく紋別に到着です。かっての鉄道の駅は見る影もなく、跡地には白い立派なバスターミナルが建てられていました。ここでも、車社会の台頭を見せつけられたような気がして、少し残念な気がしました。
 鉄道の時代がいつかまた来る日を気長に待つしかないのでしょうか。
かっての紋別駅(1988年頃)
 今から8年前、私は名寄本線の鈍行列車に乗り、紋別へ来たことがありました。「流氷の町・紋別へようこそ」という駅の看板と潮の香りに誘われ、駅前通を真っ直ぐに歩くと、漁港があったのを思い出します。

 紋別に着き、まずその漁港に行ってみました。鉄道の記憶はほとんど消されているものの、漁港の雰囲気は8年前とまったく変わっていなくて、雨が降りだして煙った漁港には、カラフルな大漁旗を上げた多くの漁船が停泊していました。

 もやい網が雨に濡れる中、灰色の海の中から霧笛だけが鳴り響いていて、寂しい風景でした。紋別は海の町なのです。
 ホテルにいても一晩中、霧笛の音が鳴り響く音が聞こえ、窓を明ければ潮の香りが漂い、海の近くにいることをいつでも思い出させてくれました。
 流氷がやってくる冬、またここを訪れてみたいと思います。



札幌・旭川行きの高速バス(紋別で) 次の日は鉄道からバスに転換されてしまった「名寄本線バス」で遠軽へと抜けることにしました。
 朝早くに紋別のバスターミナルへ行ってみると、大勢の人がいたので、名寄本線バスもまだまだ捨てたものではないな、と思っていたら私以外の全員が旭川経由札幌行の高速バスに乗り込んでしまい、名寄本線バスへ乗ったのは私一人でした。

 バスは紋別の町を離れると、家などほとんどない原野の中ばかり走り、途中、乗ってくるのは数人の老人と学生だけしかいません。鉄道が廃止になった理由が分かる気がします。田舎と田舎を結んでいても結局は誰も乗ってくれはしないのかもしれません。

 約1時間半で石北本線の遠軽駅に到着です。ここからは鉄道で網走へと向かうことにしました。
 10時37分発、札幌からの特急「オホーツク1号」は、スイッチバック駅である、ここ遠軽で進行方向を逆にして網走へと向かいます。

 2日間、鉄道のない地域にいたので鉄道に乗るとほっとしてしまいます。この国の多くの人が鉄道を必要としなくても、私には何よりも必要な存在です。鉄道のない旅なんて旅する価値がなく、バスや飛行機、車には決してない一本のレールから広がる夢は、私にとっては果てのないものなのです。
網走駅で 列車は、残虐なタコ部屋労働で有名な常紋トンネルを抜け、留辺蕊を通り、1時間ほどで北見に到着、半数以上の乗客が降りてしまいました。北見市は人口10万人あまりの北海道では9番目に大きい都市なのです。

 ローカル急行ならぬローカル特急となってしまった「オホーツク1号」は、カーブの多い沿線を、特急とは思えないのんびりとしたスピードで走ります。
 空港のある女満別を通過し、左手に網走湖の姿が見えた頃、天都山のトンネルを越え、終点の網走に到着しました。

 今はまだお昼前なので札幌行きの夜行列車が発車する夜まで、網走見物に出かけることにしました。


 まず網走の町が一望できる天都山へバスで登ってみました。標高200メートル余りの小高い山の上からは、網走湖やオホーツク海までも見渡せましたが、大型バスで訪れる観光客のあまりもの多さにうんざりしてしまいます。
 ここには「オホーツク流氷館」という施設があり、実際に流氷を保存展示しています。その部屋だけは、氷点下20度に保たれており、私にとって唯一の居心地の良い場所でした。

 山を降りた所に「北海道北方民族資料館」があり、アイヌやエスキモーなど北方民族の文化資料が数多く展示されています。特にアイヌの熊送りやシャマニズムなどの儀式がビデオで見られる点などは、私にとって大きな収穫でした。人も多くなく今回の網走見物の中では最も楽しい場所でした。

 次は映画「網走番外地」であまりにも有名になった網走監獄を移設保存している「網走監獄博物館」に行きました。ここも相変わらず団体客がどっと押し寄せ、入る前から嫌になります。高い入場料を取りますが、移設保存しているという監獄の歴史価値は疑問で、ただ映画で有名になったから保存しただけ、という気がします。


夕暮れの網走湖
 3つも観光地に行き時間をつぶせたので、次は網走湖へ向かうことにしました。
 網走17時39分発、石北本線・遠軽行鈍行列車に乗り20分、駅にして2つ目の女満別で下車。駅前には夕暮れの網走湖が広がっていました。

 今日は7月最後の土曜日、全道的に祭りをやる所が多いのかここ女満別でも年に1度の祭りが開かれていて、多くの人々が湖畔に集まっています。
 駅前通りには多くの露天が立ち並び、組まれたステージでは若者がギター一本で熱唱し、派手なハッピを着た地元青年団の人たちは道路で踊り狂っています。

 祭りを見ているのは楽しいものですが、どうも私のような旅をしている者にはあまり居場所がないような気がします。

 近くにあった網走湖畔の温泉で汗を流し、網走へと戻ることにしました。
 乗った列車は網走から釧網本線に直通する列車だったので、夜の海が見たくなり、網走では降りずにそのまま乗っていることにしました。


夕暮れの列車
 網走から20分、4つ目の駅「オホーツクに一番近い駅」という北浜駅で下車してみました。
 すっかり夜になってしまった駅に降り立つと、潮の香りとともに暗い闇の中からは波の音が絶え間なく聞こえてきます。

 この駅にはこれまで幾度となくやってきました。冬から春にかけては目の前のオホーツク海を流氷が埋め尽くし、灰色の空の下、目も空けられないほどの猛吹雪に吹かれたことを思い出します。

 今は夏の夜、無数の星が夜空に散りばめられ、月の明かりがオホーツクの波間を照らしています。遠くでは祭りの花火が聞こえ、何とも言えない心地好い気分になってきました。
 誰もいないホームでたたずみ、闇の中から聞こえる波の音だけを、ただ、目をつぶっていつまでも聞いていたい気がしました。
(1996,8)

写真(上から):紋別港、紋別バスターミナル、かっての紋別駅(1988年頃)、札幌・旭川行きの高速バス(紋別で)、網走駅、夕暮れの網走湖、夕暮れの列車
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