鉄道で行く北海道紀行
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〜北限の海へ向かって〜
宗谷本線の列車から 次の日の夜、いつもの旭川の安宿に到着しました。明日は全道的に雨模様らしく、どこへ行こうか考えあぐねていましたら、唯一「晴」マークが宗谷地方にあったので、そこへ向かって行くことにしました。

 早朝に起き、旭川6時12発、朝一番の宗谷本線・名寄行の鈍行列車に乗りました。
 列車は、旭川四条、新旭川、永山と旭川市街を走り抜けると、あとは平野の水田地帯をのんびり走ります。比布を過ぎると、列車は上り勾配にかかり、塩狩峠を越えます。

 塩狩峠というと三浦綾子さんの名作でも有名になりました。その昔、私もそれを読んで感動し何度かここを訪れたことを思い出します。
 峠の上の塩狩駅を過ぎ、下って和寒駅に到着です。ここで、通学の高校生らをたくさん乗せ賑やかになりました。

 旭川以来の大きな町、士別で高校生らを一気に吐き出し、替わって買物や通院の主婦や老人が乗り込んできました。学生や主婦や老人が多いのはローカル線の大きな特徴で、やはり宗谷本線も本線ながら長大なローカル線です。
 7時55分に名寄に到着で、すぐに隣のホームの幌延行の鈍行列車に乗り換えです。

 名寄を7時58分に発車した、たった1両きりの列車は最北へ向かう1本きりのレールの上をひたすら北へ向かって走ります。乗客は10名足らず、すうっと真っ直ぐに伸びたレールの上を気持ち良さそうに走りますが、駅に停まっても誰も乗り降りはありません。誰も乗ることなく、降りることもないバスの停留所のような駅にも一つ一つ停まって行きます。

 30分ほどで美深に到着し、ここで大半の乗客は降りてしまいました。残ったのは私含めて3名しかおらず、全員が最北を目指す旅人のようです。
 列車は山深い天塩山地の中、蛇行する天塩川に沿って走ります。冬は寒々と凍っていたこの川も、今はただ美しい緑が川面に輝いています。
ほとんど乗っていない車内
 山が少しひらけて集落が見えた頃、かっての鉄道の町、音威子府に到着です。分岐していた天北線も廃止され、ただのローカル駅に成り下がってしまった感がありますが、駅前のトーテムポールや名物の駅そば、また昔、真夜中のこの駅で朝一番の列車を待つ地元の老人と酒を酌み交わしたことなどが私にとって印象に残っています。

 反対列車と交換し、少しの乗客を乗せて発車です。相変わらず深い山の中を走り、集落のある佐久、天塩中川と停車してゆきます。その山が突然ひらけ、列車が平原の中を走り始めた頃、列車は終点の幌延に到着しました。

 あと少しで最北の稚内だというのに、列車は3時間近くもなく、ただ途方に暮れているしかありません。こんなにも北限の町だというのに、お昼前の太陽は眩しく、汗が流れてくるほどです。
 何をするあてもなく駅のベンチで煙草の煙を眺めていると、駅の中にあるバス案内所で無料のレンタサイクルがあることに気づきました。3時間の退屈しのぎにそれを借りてみることにしました。



日本海に沿って走る道道909号線
 道路も何もわからないけれど、とにかく涼しい風を求めて海の方向へ走ってみることにしました。
 ただひたすらに真っ直ぐに伸びた道路がどこまでも続き、ここにも先にも原野しか見えません。背後からはダンプカーが砂埃を立てながら私の自転車を軽々と追い抜いて行きます。

 いつしか国道を外れ、農道のような道路に迷い込んでしまいました。それでも道はどこかにつながっているはず、と考えひたすらペダルをこぎ続けましたが、相変わらずどこまでも続く原野と、ぽつりぽつりとある牧場くらいしか見えません。

 やがて遠くに利尻冨士の姿がぼんやり見えたので、それを目標に走りましたが一本道なのになぜか道路は真っ直ぐに走ってはくれず、何時の間にかあさっての方向へと導かれてしまいます。開拓者がその時の気分で道路を敷いたのかと思うほどいい加減なのです。道を聞くにも牛たちや空高く気持ち良さそうに飛ぶ鳥くらいしか見当たらず、どうしょうもありません。

 こんな壮大な風景の中にいると、すべてのことが何もかも馬鹿馬鹿しく感じてきます。例えば今、生きていることの意味を考えることさえ、無駄なような気がするのです。
 道路の先が水で濡れたように、ゆらゆらと陽炎が揺れています。流れる汗が眼に入りひりひりと痛くなってきました。それでもいつかは海にたどり着けること考え、ひたすらペダルをこぎ続けました。

 そのうちに国道らしき道路と合流し、サロベツ原野の中を走るようになりました。黄色いエゾカンゾウの花や赤いハマナスの花がチラチラ揺れて見えます。北緯45度通過点と書かれた看板を通りすぎる頃、草木や土の香りの中に、少しだけ潮の香りを感じました。海は近くなってきているようです。

 そして突然、道路の途切れた先が眩しくなった時、蒼く輝いている日本海の姿が見えました。不思議と感動はなく、自分の目的が達成できて胸をなでおろしたような心境でした。そのまま砂浜まで一気に自転車を走らせ、吸い込まれるほどに蒼い日本海をぼんやりと眺めていました。
日本海と自転車
 広大な気の遠くなる大地、花が咲き乱れる原野、高い空、限りなく蒼い海、ただ偶然に訪れたこの町ですが、旅に新たな感動を与えてくれたような気がします。
 帰りは国道に沿って駅に戻りましたが、稚内行の列車は汽笛だけを残して私の前を去ってゆきました。

 人口3千人、酪農が基幹産業のこの町、幌延も地元の活性化のため核燃料を貯蔵する施設の建設を予定しているそうです。駅には豪華なカレンダーやパンフレットなど無料で持ち帰れるよう多数置いてあり、この町を少しだけ知ることができます。

 それらのすべてが核燃料をPRする内容でした。こんな小さな町でこれだけ立派なパンフレットや本を無料配布できるのはなぜでしょうか。核関係の大企業や国家の姿がこの町の裏で見え隠れするようでなりません。私が借りた自転車もそこから提供されたものでしょうか。それを考えると複雑な気持ちになりました。
 
急行「サロベツ」(幌延駅で) 今回はこれ以上の北上をあきらめ、旭川の宿に戻ることにして幌延から札幌行の急行「サロベツ」に乗り込みました。
 古いディーゼルカーを改造した北海道オリジナルの車両を3台連ねやって来ました。宗谷本線内は特急列車は走っておらず、この急行「サロベツ」とともに4本の急行列車が走っていて、それに乗るだけでも楽しいものです。

 稚内が始発なので少し混雑していますが、それでも急行列車ならではの中途半端な混み具合で、すぐに座ることができます。改造したディーゼルカ−らしく速度は速く、流れるように山の中を走ってゆきます。

 途中の駅で少しづつ乗客を拾い、いつの間にか満員になってしまったので窮屈に感じ、途中の名寄で下車してみることにしました



深名線バス 名寄からは湖で有名な朱鞠内を通り、深川まで結んでいた深名線をバスで行くことに決めました。日本一の赤字ローカル線だった深名線は昨年夏に廃止されましたが、今はJRバスがそこを結んでいて、その途中には政和温泉という町民の保養施設があるので、そこへも立ち寄ることにしました。

 16時15分に発車した深名線バス・幌加内行は、やはり鉄道時代と同じく1ケタ台の乗客しか乗っていません。今年の冬に初めてこのバスに乗りましたが、雪深い冬とは違い、夏はバスも走りやすそうで日本最寒の地、北母知里へ抜ける深い峠も楽々と越えていきます。

 冬は凍りついてただ真っ白だった朱鞠内湖の水面には赤い夕日が写っています。
 途中には信号機や鉄橋、剥ぎ取られたレールなど、そこかしこに鉄道の残骸が見え、悲しい気分になります。かっての朱鞠内駅を通り、20分ほどで目的の政和温泉に到着しました。

深名線の廃線跡
 ここまでやってきたものの、温泉は定休日で、またしても途方に暮れてしまいました。
 幸いなことに本日最終のバスが1時間後にあったのでそれに乗って深川駅へ抜けることにしました。

 最終バスは誰一人として乗客は乗っておらず、私一人の貸切でした。
 観光バスを使ったタクシーのような気分で運転手氏と雑談しながらバスは幌加内の町へと向かいます。
 昔、鉄道時代にも乗客は私一人、ということが何度かありましたが、その状況はバスになっても一向に変わっておらず少し心配にもなります。

 北海道の鉄道は完全に斜陽で、今、残された鉄道さえも危ない状況です。このバスの運転手氏もかっては鉄道員だったそうですが、多くの路線が廃止となって人員に余剰が出た結果、JRバスの運転手に変わらざるを得なかったそうです。車社会という現実をここでも見せつけられた気がします。

 幌加内は蕎麦の日本一の産地らしく、白い花が咲く蕎麦畑の中を走り抜け、終点の幌加内駅に到着しました。バスはそのまま深川行になり、また誰も乗ってこない暗闇の国道を走り続けました。
 白い蕎麦の花が咲き乱れる美しい風景が忘れられない深名線バスの旅でした。たった1人の乗客を待っていてくれるこのバスや町のために、またこれからも訪れてみようと思いました。
(1996,8)

写真(上から):宗谷本線の列車から、ほとんど乗っていない車内(宗谷本線)、日本海に沿って走る道道909号線、日本海と自転車、急行「サロベツ」(幌延駅で)、深名線バス、深名線の廃線跡
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