心のアイランドを行く 北海道への鉄道紀行
page-1

〜日本海へ沿って北へ走る〜
富山駅で「リゾート立山」  九州へあてのない旅をした2週間後、今度は北へ向いて旅に出ることになりました。
 梅雨も明け、照りつける太陽が夏の色をしてきた7月中旬の或る夜、大阪駅から北へ向かう夜行列車に乗りました。

 「リゾート立山」という名の臨時急行列車は、北陸本線を走り、富山を経由して立山へ向かう観光客向けの列車です。
 本来ならば、新潟行の急行「きたぐに」や青森行の寝台特急あたりに乗るべきなのですが、こう何度も北海道へ行っていると、正直、ネタが切れてきたような気がしましたので、少し変化をつけるために、富山までこの「観光列車」に乗り、あとは日本海に沿ってゆっくり北へ進もうと考えました。

 一応、夜行列車で急行列車というものの、昼間は特急として使っている新型の「サンダーバード」なる車両の3両編成で運転されていて、まるで私鉄の特急列車という感じです。
 JR西日本ご自慢の新型特急列車らしく、車内は豪華でスピードもよく出るようです。全車指定席ながら3両しかない車内は空席ばかりが目立ち、睡眠を取るにはありがたい環境です。

 列車は、大阪を先に出た急行「きたぐに」を追うように米原まで東海道本線を走り、北陸本線に入ります。真夜中の北陸トンネルを越え、気がつくと列車は金沢を過ぎ、高岡に入っていました。
 新型車両らしく神通川の鉄橋を揺れも少なく猛スピードで渡り、早朝4時55分、あっという間に富山に着いてしまいました。

 列車はそのまま富山地方鉄道という私鉄に入り、立山まで行くためか降りたのは私一人で、ほとんどの人はまだ眠っているようです。
 ここからは鈍行列車に乗り換え、日本海に沿って北上します。

 朝の空気が心地好い富山を5時35分に出る直江津行・鈍行列車は、昔、寝台車だった車両を改造した電車3両編成で、乗り込んだのは私一人しかいませんでした。

 列車は、滑川、魚津、黒部と日本海沿岸の各都市を一つ一つ訪れながら、乗客を拾って行きます。泊、入善を過ぎたあたりから、左手には日本海が広がりました。北陸本線で日本海が望めるのはこの付近だけなので、朝、早起きして鈍行列車に乗った甲斐があります。

 かっての難所であった親不知海岸も、今では国道8号線と北陸自動車道のコンクリートの塊が海の上高くそびえ立ち、かって幾人もの旅人を飲み込んだ日本海も、今日は青く穏やかで、朝の光が海面を照らしています。
 鈍行列車のスピードで眺める海が、最も美しく感じてしまいます。

 糸魚川を過ぎると、直江津方面へ向かう通勤や通学客がどっと乗り込み、地方都市の朝のラッシュ風景を目にすることができます。直江津駅で
 私の前には行商の老婆が2人並んで座り、当地の言葉で何か喋っています。私にはあまり理解できませんが、自らを「オレ」と表現するのには驚いてしまいました。
 地元の人たちを観察できるのも鈍行列車の旅の良いところなのでしょう。

 列車は越中の国から越後の国に入り、同じくして鉄道会社もJR西日本から東日本の管内へと変わってゆきます。
 終点の直江津には7時33分に到着、過ぎ行く通勤通学客の流れを見ながら、駅のそばをすすり、次の列車を待ちます。



 2本ほど特急電車が過ぎ去った頃、8時36分発の新潟行「赤倉1号」がやってきました。今では数少なくなった急行列車で、貴重な存在といえます。
 国鉄型の急行用電車3両編成ながら、ほぼ満員です。列車は信越本線の上田が始発で長野を経由して、ここ直江津を通り、新潟まで結んでいます。
 それでも特急列車では無視されてしまうような小駅にも停まりながら、乗客を拾って行きます。

 直江津を出てもしばらくは日本海に沿って走り、線路の側に植えられた防風林が日本海らしさを物語っています。冬は猛吹雪になる海も、今はただ眠たくなる位に眩しく、鏡のように光っています。こんな美しい風景を急行列車から眺められるのも幸せな気がします。
急行「赤倉」1号
 列車は柏崎を過ぎると、越後の国らしく一面が田園風景の中を走り、終点の新潟へ向かいます。急いでいるようで、それほど急いでなく、混雑しているようで、それほど混雑していない、この中途半端さが急行列車の良いところではないでしょうか。

 急行列車に乗っていると、急ぐだけが旅でもなく人生でもないような気にさせてくれます。

 10時30分、終点の新潟に到着です。さらに北上を続けたい所なのですが、鈍行列車はなく、特急列車は今、隣のホームを去ってしまいました。次の特急列車は昼過ぎまでなく、ぶらぶらと新潟の街を歩いてみました。
 何をするあてもなく街を歩き、駅に戻り特急電車で北上することにしました。
 秋田行の特急「いなほ5号」は満員で窮屈でした。自分で選んでしまったとはいえ、少し後悔せざるを得ませんでした。

 途中の村上を過ぎると、進行方向左手に日本海が広がり、美しい風景に沿っては走るのですが、窮屈で密閉された空間から見る海は、あまり気持ちの良いものではありません。特急列車に長い間、乗っていると旅をしているというより、自動的に運ばれているというような気がしてなりません。

 列車は鶴岡、酒田と日本海側の小都市でかなりの客を降ろし、替わって学校帰りの高校生らを少し乗せ、さらに北へと走ります

 終点の秋田には15時56分に到着、新潟から3時間半の特急列車の旅は疲れただけで、あまり気分の良いものではありませんでした。

 秋田駅は来春の新幹線開業に向けての大工事をしており、ごみごみしていてこれもまた気分の良いものではありません。それでも我慢してここまで来たのは、この先、急行列車で旅ができるということにあります。

 秋田駅を17時54分に発車する急行「よねしろ」は、奥羽本線を北上し、大館まで行ったあと、花輪線に入り鹿角花輪まで結んでいる急行列車です。
 3両の古いディーゼルカーで運転されており、かっての急行列車を思い出させてくれます。
 車内は改造されて少しは豪華になっているものの、快速より多くの駅に停車するなどは、これこそローカル急行といえます。

 発車直前になると、会社帰りの人たちで満員になってしまいました。それでも何かのんびりとした雰囲気が漂っているのは急行列車だからでしょうか



急行「よねしろ」
 秋田を出た急行「よねしろ」は、なぜか高齢の人ばかりを多く乗せ、車内では津軽弁が飛び交っています。列車は土崎、追分、大久保、早口などという特急列車では完全に無視されてしまう駅にもこまめに停車してゆきます。だからこそこれだけ多くの乗客が乗っているのかもしれません。

 列車はエンジンを震わせ、夕暮れの奥羽路を走ります。
 次第に薄暗くなってゆく景色は、何とも旅愁を感じます。特に秋田から津軽方面へかけての景色は、暗闇から山が迫り、次第にそこへ落ち込んで行くような感じがして悲しくもなります。急行列車から眺めているということもそう感じる原因かもしれません。

 19時30分に大館に到着、列車はそのまま鈍行列車なり、十和田南方面へ行く花輪線に入ります。駅前広場に降り立つと、街はしいんと静まり返り、もうすっかり夜になっていて、肌寒い風が吹いています。

 ここへ来てようやく暑さから解放されたような気がします。大阪では今頃、熱帯夜に苦しんでいる頃だと思うと、少しだけこの寒さを分けてほしい気がしました。

 20時17分発の弘前行鈍行列車もまたディーゼルカーでの運転で、嬉しくなってきます。この奥羽線内や東北全域には、愛想のない「都会型電車」が大量導入され、旅行者を嫌な気分にさせています。

 しかし弘前からはやはり「都会型電車」が待っており、乗らざるを得ない状況になってしまいました。ずらりと一列にならんだロングシートに腰を下ろすと、都会にいるようで悲しくなってきます。
 ただ眠るくらいしかすることもなく、気がつくと終点の青森に到着していました。

 いつも立ち寄る路地裏の中華料理屋で食事をし、無口な女将の顔や、店に飾ってある青函連絡線の古い写真を見て、ようやく自分が今、青森に来たことを思い出しました。青森に来るとなぜかこの店に立ち寄ってしまうのです。寝ぼけていても足が勝手にここへと導いてくれる不思議な魅力のある店なのです。

 冷たい風が吹く青森の港をふらふら歩き、岸壁に座り、ゆらゆらと街の明かりが揺れる黒い海を少しの間、眺めていました。

 ここが本州最北の地でこの先に陸地はなく、遠くに北海道の島影が見えるだけなのです。私は北海道に行く時はどうしても津軽海峡の上を渡って行きたいのです。
 いつものように、青森港へ向かい、函館へ渡る深夜フェリーに乗り込みました。
(1996,8)

写真(上から):富山駅で「リゾート立山」 、直江津駅で、急行「赤倉1号」(新潟駅で)、急行「よねしろ」(秋田駅で)
次のページへ又はTOPへ