私の10年は「鉄道紀行への誘い」とともにありました(西村健太郎)

 今年(2011年)12月1日で「鉄道紀行への誘い」は満10年を迎えました。開設したことがつい一カ月くらい前の出来事だったように思えるほど、一瞬で過ぎた感があります。
 ところが、10年前の2001(平成13)年12月号の時刻表をふと眺めてみて、そんな思いは吹き飛んでしまいました。

 「はやぶさ」も「さくら」も新幹線の列車名ではないのです。当たり前ですが、東京と九州を結ぶ寝台特急の名前です。「富士」「彗星」「あかつき」「なは」「銀河」「ちくま」「だいせん」「アルプス」「あけぼの」「北陸」「利尻」「まりも」「ムーンライト九州」「ムーンライト高知・松山・山陽」「ムーンライト八重垣」……。
 2011年末の今、こうした愛すべき夜行列車の名は時刻表上から跡形もなく消されてしまいました。
 やはり、10年という時間は長かったのかもしれません。

 自らの生活を思い返してみると、10年前の私は大阪から移り住んだ北海道での5年間の生活を自ら閉じ、ちょうど東京へ居を変えようとしていた頃でした。

 自宅隣のコンビニへ行くのにも寒いからと車を使い、鉄道は運賃が高いし駅に駐車場がないことを理由に道内移動はどこまでも自動車で走る、本州へ行く時には何のためらいもなく新千歳や旭川から飛行機へ乗り込む。それはそれで楽しいし、悪いことでもないのですが、移住した時、鼻水さえ凍らせながら雪道を歩いて駅へ行き、毎日同じ顔しか見ない1両きりのディーゼルカーに乗って喜んで通勤していたはずなのに。何が変わったのだろうか。お前の人生や旅は鉄道とともにあったのではなかったのか?
 そんな自問自答をしながら北海道を離れたのです。

 再び自分の原点を見つけ出したい思いで、過去に少人数の同人誌めいた冊子に書いた旅行記や雑文の類、仕事で書いた趣味のような「記事」を引っぱり出してきました。いつでも再読できるように残しておこう、と選んだのがインターネット上に置いたこのサイトです。

 最初は鉄道旅行記や紀行と称した雑文を公開しただけで満足をしていたのですが、「公(おおやけ)にした以上は、多くの人に読んでもらえるようにしなければならない」。そんな思いがあって、注目を集めそうな内容のものを選んで書き足していきました。

 2000年代前半は、今に続く“鉄道旅行ブーム”に火が付き始めたころ。世のデフレ化が進んでいたこともあって、格安の「青春18きっぷ」が広い層に浸透。話題が大きくなるとともに情報が氾濫し、さらに人気を集める、という状況でした。18きっぷをキーワードにすれば、ある程度の閲覧者を集められる、そんな思惑で旅をしながら書き残していったのです。

 書くための旅を繰り返しているうちに、かつて嫌というほど親しんだ鉄道旅行の愉しさが自分の中で蘇ってきました。旅自体が愉快ゆえに書き残すことも楽しくて仕方がない時期が続きました。車や飛行機に染まってしまった体を、知らぬうちに「リハビリ」していたのかもしれません。

 そんな3〜4年の幸せな期間を経て、冷静に辺りを見回すと、鉄道で旅をする環境が私にとって年々悪くなっていることに気付きました。
 毎年の恒例行事のごとく、夜汽車や長距離列車が次々と消され、地方のローカル鉄道も維持が難しくなりました。年々進む人口減少や交通環境の変化は、旅や移動の手段を鉄道から高速バスや飛行機、新幹線、自家用車に変えてしまったことをようやく知ることになったのです。

 悲しさと諦めと、前向きな感情は持てず、サイトの運営意義も見失っていた頃です。ふとした刹那(せつな)に、幼少からの目標であったJRと第3セクター線として残った旧国鉄線のすべてに乗るという目標が甦ってきました。鉄道旅行という趣味を終える儀式にしたかったのか、再び旅の楽しさを見付けたかったのか、どちらの理由もあったと思います。

 以来、週末が来る度に日本の隅々へ鉄道で旅をしました。周りから見たら笑ってしまうような目標であっても、本人にとってはそれを達成していくまでの道のりは楽しいものです。
 ただ、何ひとつ書き残せなかったのは、旅を通じて見えた風景がそうさせたのかもしれません。
 第3セクター鉄道の多くは廃止の危機に瀕し、JRの地方ローカル線では極限までに列車の本数が減らされていました。誰も乗り降りのない荒れ果てた駅、はぎとられた線路、バスよりも小さいワンマン列車。村や町が消え、どこまで行っても続く「市」。歴史や地域を無視したかのような平仮名の市町名。消費者金融の看板ばかりが目立つ地方都市の駅前。撤退したデパートの廃墟、昼間でも眠っているような商店街。目を覆いたくなるような光景を幾度も見てしまい、言葉にならない寂しさを感じる旅が続いていました。

 2006年5月、日光線日光駅で、この国に残るJR鉄道線と第3セクター鉄道の「完乗」を終えてはみたものの、虚しさが募る一方で何の喜びも湧いてきませんでした。かといって、唯一の趣味である鉄道旅行をやめたいとまで思えない。
 放心状態だったその頃、出版社から本を書いてみないか、との話があり、自らのこれまでの思いをすべて込めた2冊の本を2年かけて世に送り出しました。
 これらの本を通じて得られた出会いや反響は、かつてこのサイトで味わったような、「書き残す」ことの楽しさと意義を再び思い出させてくれ、鉄道の旅も書くことも続けてみようという勇気をもらいました。

 10年の自らの思いは、「鉄道紀行への誘い」と名付けたこのサイトと、『週末鉄道紀行』『週末夜汽車紀行』という2冊の書籍にすべて込めたつもりです。
 そして11年目を迎えた今、どんな旅をして何を残していくべきなのかが、まだ自分のなかで見えていません。
 今年(2011年)、私は仕事やプライベートでの移動が立て込み、気付いた時には日本を一周していました。北海道から青森、仙台、新潟、山形、名古屋、大阪、福岡、鹿児島、沖縄に加えて小笠原諸島へも半年間のうちに訪れたのです。
 青森から鹿児島まで伸びた高速鉄道網や、近未来に消えるであろう長距離夜汽車、陸路が使えない海上移動は長距離航路の力を借りて、移動を続けました。飛行機ではなく、鉄道やそれに近い交通機関に乗ることで、これから自分が書き残すべき何かを見つけたい、そんな思いがあったのかもしれません。

 その何かはまだ見つけられてはいないのですが、猛スピードで走る新幹線を降りて客がほとんどいないディーゼルカーに乗り換え、動き出した瞬間の安堵感と喜び、トンネルが続く深い山間を抜けると突如碧い海が現れた時の感動。狭そうで広い日本の隅々に隠れたまだ見ぬ風景との出逢い、そんな一つ一つの旅の喜びを自分のなかに集め、今は少しづつ前へ動き出そうとしている最中です。

 ここで待っていただいている人に感謝しながら、いつか必ず戻って来て、みなさんを鉄道の旅へと誘(いざな)えるような鉄道紀行を書き残します。
 10年間のお礼と、11年目のご挨拶に代えて。ありがとうございます。そして、これからもよろしくお願いいたします。


2011(平成23)年12月1日
「鉄道紀行への誘い」が生まれた日に。

西村 健太郎


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