大峯奥駆道縦走 5月!
日時 2011年5月3日〜6日 天気 1日目 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 登山コース 1日目(5月3日) 吉野下千本駐車場 ⇒ 金峯神社 ⇒ 四寸岩山 ⇒ 大天井ヶ岳 ⇒ 五番関 ⇒ 洞辻茶屋 ⇒ 宿坊龍泉寺(雨風強く宿坊に素泊) 6時15分 7時40分 9時35分(10分) 12時(10分) 14時20分(25分) 15時30分 (歩数 31436歩) 2日目(5月4日) 宿坊龍泉寺 ⇒ 阿弥陀ヶ森分岐(結界門) ⇒ 大普賢岳山頂分岐 ⇒ 七曜岳 ⇒ 行者還小屋 ⇒ 一ノ垰 ⇒ 奥駆道出合 6時 7時(20分) 8時20分 11時(休憩行動食30分) 聖宝ノ宿跡 ⇒ 弥山小屋(雨風強く小屋に素泊) 15時 (歩数 28841歩) 3日目(5月5日) 弥山小屋 ⇒ 八経ヶ岳山頂 ⇒ 楊子ノ宿小屋 ⇒ 迦ヶ岳山頂 ⇒ 深仙ノ宿 ⇒ 太古ノ辻 ⇒ 前鬼 小仲防 (テン泊) 6時 6時25分 12時(30分) 13時(昼食1時間) 14時20分(10分) 16時10分 (歩数 26374歩) 4日目(5月6日) 前鬼 小仲防 ⇒ 前鬼口バス停・・・・・近鉄上市駅・・・・・・近鉄吉野駅 ⇒ 吉野下千本駐車場 6時 9時20分 12時 (歩数 18251歩) 昨年のGWに計画していた奥駆縦走、仕事が入って歩くことが出来ませんでした。 なんとしても今年のGWは、歩きたかったので連休前から溜まった仕事を片付け5月3日〜6日休む事ができました。 前日の5月2日夜10時30分に仕事を終えて帰宅、日付けが替わって1時自宅を出発し吉野下千本駐車場に午前2時到着して仮眠。 なかなか寝付けずウトウトしただけで明るくなってしまいました。 5時半に起きて菓子パンと缶コーヒーで朝食、車中から外見ると曇って歩く吉野山方向は、ガスっていて全く見えません。 駐車場管理人が来て色々と指図、車はこのスペースへ、前もって電話で聞いていたけど登山届をフロントガラス越しの見える所に置いて 派出所のポストにも登山届を投函せよ でないと連泊で停める場合は不法駐車と言う事になるらしい。 話しが長く時間が勿体無いので言われた通りにします。 登山靴を履いて7ヶ月ぶりに60リットルの重いザックを背負い6時15分出発。 日本を代表する桜の名所、吉野山。 私自身吉野へ桜を観に来たことも無く、これから歩く吉野〜大天井ヶ岳までは未踏エリアで楽しみと不安の歩きになります。 桜の開花時季は、大勢の観光客で賑わいマイカー通行止や一方通行等の交通規制されてシャトルバスが運行するらしいです。 今は全山葉桜で早朝のひと気の無い、名物の柿の葉寿司や葛菓子などの土産物店や旅館が立ち並ぶ静かな参道進みます。 そんな中、今日はじめて会う登山者、挨拶を交わし暫く一緒にお話をしながら歩きました。 東京から来られた親子で、子供さんは7歳小学校2年生らしい。 昨晩吉野駅に着いて待合室で仮眠させて貰ったとの事。 行先は決めていないが、紀伊山地(奥駆道)を歩くつもりらしい。 関東の山を縦走しょうと思ったけど原発の放射能が気になり止めて 10日間も休みがあるので、滅多に来れない関西の山を選んだ “7歳の子連れ” この時は紀伊山地をナメたらあかんよ!と思いましたが・・・・・ 金峯神社まで歩き、一息。 霧雨が降って来たのでザックカバーを付けレインウエアーの上だけ着て先を進みます。 古道は黒滝村で林道に出て、直に植林の中へ、この辺りで霧雨が止むどころか酷くなる一方でレインウエアの下を履き、スパッツも装着。 いつの間にか四寸岩山の山頂に着き足摺ノ宿跡を過ぎると、また一度林道に重なり川上村に入った事が分る大きな標識があります。 二蔵宿小屋で一息、ここで大峯山寺本堂で2日の深夜に行われる戸開式に参加した役行者と出会うが、登山者とは今だあの親子と会っただけ。 ここからが大天井ヶ岳への登り、大天井ヶ岳はピラミッド形の山容していますが、一昨年に逆コースで五番関から登った時、隠れピークが多くヘトヘト になりながら登りました。吉野側からの登りは、途中まで荷物運搬用のモノレールと並行していてアップダウンも無く歩き易い登りでした。 ガスと強雨の山頂で行動食と水分を補給、ここから先は、歩いた事があるコースです。 アップダウンを繰返して自然林から植林の根っこ道を下り五番関に着きました。 仁蔵宿小屋で出会った行者さんの話では、五番関の先で土砂崩れの箇所があって気を付けるようにと聞いていましたが、難無くクリアして その先の雨で濡れた岩場の長いクサリ場も越えて洞辻茶屋に到着。 「よう参り!」休憩している行者さんと挨拶を交わし重いザックを下ろします。 お茶を頂き一息します。「何処から何処まで」と聞かれ、今日は吉野から小笹宿まで歩いてテン泊する予定と言うと 「雨の中、そら大変や!」「無理せんと宿坊に泊ったら、雨やから空いてたで・・・」 行者さんと話しをしていたら あの親子がここまで辿り着きました。 子供さんに「よう此処まで来たね!エライエライ」と握手、お父さんにも「お疲れ様!」と労う。 歩いて来たコースの話しをして 雨の中の難路を乗越えて来た子供さんに驚く お父さんに宿坊がある事を伝え、私は強い雨が降り続く様なら宿坊に泊ろか迷っている事を言う。 西ノ覗岩まで来て、血まみれの行者さんを五人の行者さんが、タンカーに乗せたり岩場では背負ったりしながら下山しているのを見ました。 西ノ覗岩で滑って怪我されたらしい。 雨の登山道、特に根っこ道や岩場は細心の注意をして歩かないと況して私は単独行 「無理をする必要がない。」と自分に言い聞かせ、今日は宿坊にお世話になる事を決めた。 五軒ある宿坊の何処にするか? 先の洞辻茶屋で行者さんに尋ね「一番高い所にある宿坊何処ですか?」「値段は皆一緒やで」「高い場所です。」 「隣接しているので変わらんと違う 龍泉寺かなぁ〜」と聞き、龍泉寺に決め玄関を開けます。 入って直に食堂兼休憩室、その奥と右に広い畳部屋があります。間仕切りをして三部屋にする事もできるようです。 食堂兼休憩室の中程には、寺なので仏間もあります。 温かいお茶を頂いて宿泊の受付を済ませます。食料は持っているので夜は自炊で朝食だけ頼みました(素泊り4000円) 空身で大峯山寺へお参り、此処へは何度も来ましたが、本堂は1691年に再建されたらしい。歴史の重きを感じる建造物です。 紀伊山地は雪が少ないですが、それでも1700m以上ある大峯主峰は、2メートルを越える積雪があり、そして雨の多い地域でもあります。 そんな気候風土の中、300年以上耐えてきた重層な建物です。2日に戸開式があって天気が良ければ役行者で賑わっていたと思いますが、 お坊さんが中でウロウロしているだけで参拝者は、誰一人居ません 雨とガスで視界なしの笹原へ、山頂お花畑にも寄って宿坊に戻りました。 宿坊では、あの親子が食堂で休憩していました。五軒ある宿坊の内、偶然にも龍泉寺を選び、そして同じ部屋になりました。 濡れた物は干してザックの中を片付けます。宿泊客は行者と登山者、親子を入れ7・8人ほどで皆さん宿坊の夕食、私はその隣りで自炊 外は益々雨風が強くなり、大木の枝が風で大きく横に揺れ、宿坊の窓ガラスに雨が叩き付けます。 宿坊の方や客から親子に奥駆縦走は7歳の子供では絶対無理、明日も天気が良くないので下山しなさいと皆さんから言われていました。 お部屋で子供さんとお菓子を食べてお話したりして寛ぎました。 お父さんからは明日の歩きのことで相談を受けました。 エスケープするには、洞辻茶屋、レンゲ辻や山上辻から洞川に下りる事や先が進めそうなら大普賢岳から和佐又まで下りれば和佐又ヒュッテ、 和佐又口まで行けばバスがある事、大川口や行者還トンネル西口まで下りてヒッチハイクするか その先まで歩くなら弥山まで歩いた方が良い事など 3人は夜8時には、床に就きました。
朝4時過ぎ、外は相変わらず強い雨が降っています。 5時に宿坊の朝食を頂きました。 レインウエアーを着て6時に宿坊を出発。宿坊から先を進むのが、私と親子、洞川から登られ弥山まで歩かれる単独男性の3組です。 先に出発した2組は、本堂で待機してどうしょうか迷っていたみたいでしたが、私が先を進むと後をついて来ました。 テン泊予定地であった小笹宿を過ぎ、阿弥陀ヶ森の関所では雨が小降りになったので小休憩。 大きな森の尾根を進み明王ヶ岳らしいピークを越えて和佐又からの道との分岐に着きました。 天気が悪くても大普賢岳に登る日帰り登山者が多いです。 大普賢岳へは、何度も登っているので頂上を踏まずに水太覗への西面を絡む道を取りました。 水太覗を過ぎると登山者と会わなくなりました。 また、雨風が強くなって休憩して行動食を摂りたくても無理で進むしかありません。 弥勒岳のピークを越えて国見岳を巻いた風当たりの少ない所でザックを下ろします。 この先、七曜岳までロープやクサリ場が続くので、ここでチョコレートと乾燥フルーツを口に頬張り水分も補給して、直に出発。 雨のクサリ場や根っこの登りを慎重にクリアーし七曜岳山頂に着きました。眺めの良い山頂ですが、視界なし雨風強いだけで先を進みます。 無双洞への分岐で行動食を摂っている単独男性と会いました。 本宮から歩いて来られた方で天気が良かったのが初日だけ、後は天気が悪く一昨日と今日は特に酷いとの事。 これから先の情報交換して進みます。 稜線は、強風がまともに体へ当たり真っ直ぐ歩けません。あの親子は? 何処かでエスケープしたのか、この風は7歳の子供には、無理です。 行者還岳山頂への分岐からトラバースしてクサリ場や急な梯子を下り行者還小屋に到着。 小屋の中は登山者でゴッタ返していて、ザックを下ろすところを確保し立ったままで行動食を摂り休憩。 雨に濡れて寒かったのでバーナーを使って温かい棒ラーメンでもと思っていましたが、全く場所がありません。 悪天候で身動き出来ないで2階のロフトで寝ている人もいます。 やはり、一之垰や奥駆道出合までの稜線歩きは台風並みの雨風でした。 レインウエアーのフードを絞って眼だけを出して歩きます。 稜線の道は、笹原やバイケンソウの一面緑の中についた一本道、何度も歩いた道で下を見て歩いても迷うことは有りません 奥駆道出合では、団体の登山者が立ったままで休憩していました。 ここから先は、行者還トンネル西口から登って来られた登山者で賑やかになりました。悪天候でもGWを利用して百名山を目指す人が多いようです。 弥山到着は15時頃… と言う事は、皆さん小屋泊。 私も今日の天気でテン泊する気も起りませんし〜 昨日に続き小屋素泊、混雑しそう! GWの弥山・八経の登山は、今まで遠くから来られた色んな方と出合いました。 埼玉県から来られた百名山を目指していた初老の男性、残雪の中を運動靴で登られ下山して、大台ヶ原に移動して日出ヶ岳も登り、大阪市内の息子さんの 下宿先で一泊して、次の日は大山へ行くと言っていました。 東京から来られた若いOLさん、この方も運動靴で登られて弥山小屋からの階段で足を痛め、一緒に4時間ほど掛って下りました。 奥駆道出合からの根っこ道の下りで大変苦労され泣きながら下山されました。 天川村の名に憧れて東京から来られユースに泊まって登山をするつもりなかったらしいですが、団体のおばちゃんに誘われ一緒に弥山へ、 途中で団体さんに逸れてしまったらしい。 今回は、弁天ノ森で出合って一緒に弥山まで歩いた鹿児島から来られたご家族4名(50代のご夫婦と息子・娘)九州の山は高原が多いので紀伊山地の 大きな森に感動していました。テン泊の予定でしたが悪天候で弥山小屋に泊まると言っていましたが、お母さんがエライ出費で嘆いていました。 結局は、弥山小屋に着いてお父さんの一言でテン泊になったようです。 予定通りで3時に弥山小屋に到着。小屋は全身ズブ濡れの登山者でいっぱい、スタッフも右往左往しています。 素泊りの受付を済ませ、レインウエアーや登山靴を脱ぎます。登山靴の中までビッショリ濡れて下を向ければ、水がポタポタと落ちます。 とにかく寒い。廊下には、登山客と濡れたザックが並んでいます。空いた所に私もザックを置き、指定された部屋へ真中に石油ストーブは置かれていて、 新しくて明るいカイコ部屋、弥山小屋へは、テン泊の受付に何度も来ましたが、中の部屋はこんなに綺麗とは知りませんでした。 周りの人に挨拶して雑談、寝転がっていると30分ほど寝てしまいました。 4時半ごろ自炊場へ、最初は空いていたけど5時頃には、若い8人グループでいっぱいになりました。 無洗米を炊いて蒸らしていると玄関に例の親子が到着、近寄ってお父さんに「お疲れ様」子供さんに「がんばったね!」とドライフルーツを小さな手のひらへ 「お父さん、コレ!」「ありがとう 頂きなさい。」 美味しそうに食べてくれました。
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