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Last modified : 08/15/2000
三校定期戦のルーツを探るために一中の先輩方の原稿から定期戦に関するものを読んで対戦成績の空欄を埋めてみた。
三校定期戦は昭和4年に始まったようである。当時は対二中戦とか、三中戦、関学戦、滝中戦というふうに対抗戦が多く
開催されていた。その中から一、二、三中がまとまって定期戦を行うようになったものと思われる。
昭和6年の記録には、単に三中戦と書かれているから、この年は何故か二中の参加がなかったのかもしれない。
この年を省くと、昭和14年に第11回大会でなく第10回大会を記述されているのも数が合うことになる。
対抗意識は相当なもので、例えば、「昭和11年10月11日、市民グランドでの一、二、三中対校定期戦に備えて
諸大会にあえて出場せず、全力でぶつかった結果、1部51点、2部37.5点で共に優勝した。」のような記述が
ある。旧制中学時代は5年生まで学年があり、上級、下級と分かれて戦っていた。(中略)
昭和18年から20年の記録がなく、昭和21年に14回大会とあるから、3年間は戦争で中止となったようである。
昭和23年からは新制高校となり、神戸、兵庫、長田の三校定期戦となるのであるが、旧制時代に15回行われている
ので昭和23年は通算して第16回大会とすべきである。この年だけは垂水高校が加わっていたような記述がある。
現在まで60回以上続いている文字通り伝統の定期戦であるのでこれからも長く続けてほしいものである。
稲森義雄(20回生)「神戸高校陸上競技部・部史」(平成9年発行)より抜粋
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