紀州寒蘭界の誇り
「熊野速玉大社」は、皇室の御尊崇極めて厚く、古来より”熊野御幸”として有名なのは「上野
元」氏の項でも
紹介しましたが、昭和天皇、皇后両陛下は昭和37年5月の御参拝、52年4月の那智高原の植樹祭と二回に
亘り来熊され、御幸事務局の配慮で光栄にも紀州寒蘭を一鉢を飾る事を許されて、天覧を賜ったとあります。
御参拝当日は、上野宮司の一代一度の重要な接遇で、厳粛な正装の衣冠束帯で案内され、神前の御座所
幄舎の横に、昨夜来、その葉を念入りに拭き清めた準素心の「緑苑」の一鉢を飾り、御参拝後に天覧を賜り、
その有難い光栄を記念して「みゆき」と改名、今もなお紀州の古典的名花として愛好家に親しまれています。
那智高原の植樹祭では、両陛下がお泊りの那智勝浦の「越ノ湯旅館」に、上野氏が吟味して持参したのは、
植樹会場が那智高原であるのに因んで、五蛇谷産の蘭で葉丈35cm、巾1.4cmの厚肉露受け立葉で、濃緑
で光沢のある白黄深覆輪縞の高尚な葉姿のもので、上野氏が昭和40年頃から愛培されて来た貴品でした。
その蘭を江戸時代(享保年間)に開窯した紀州の名窯、”瑞芝窯”で焼かれた逸品、青磁の蘭鉢に植替えて
桧柾板に墨で、「紀州寒蘭 那智山産。
名称 龍寿の光。 葉 白黄覆輪。 鉢
瑞芝焼青磁透彫牡丹文。 出品者
紀州愛蘭会」と謹書、ご休憩室に飾られて天覧を賜り、名称はこの時の光栄を記念して命名されました。
昭和46年11月、皇太子、美智子妃殿下(当時)のご参拝時、「熊野赤蘭」や「みゆき」らを台覧頂いた時に、
「紀州には、このような美しい蘭が沢山あるのですか」とのご下問に、こんな名品はそうはある筈はないのに、
嬉しさの余り、つい「はい、紀州の山にはこのような美しい寒蘭が一杯生えています」と答えてしまったとか...
また山野草を含めて植物全般に亘り大好きだった、「秩父宮妃殿下」が昭和40年11月に御参拝の折にも、
丁度咲き頃の寒蘭を台覧賜った後日、上野氏がお礼言上に宮邸に伺った際の話で、内庭の山野草畠は自ら
のお手で世話されていると聞き、妃殿下の一草、一花を愛しむ心が伺え、一層の近親感を覚えたそうです。
また過日、上野氏が妃殿下に拝謁した時、枯れかかった寒蘭の並物一鉢を示されて、「何とかなりませんの」
とのお言葉があり、先年の夏は軽井沢の別荘へ避暑の際にも持参されたそうで、「駄物だ、捨ててしまえ」と、
誰もが言いそうな安物の命を、大切にして助けようとする優しいお心に拝し、上野氏は大いに感動したと言う。
さて、昭和55年11月8日、上野氏、糸川会長、尾宇江副会長が世田谷の国香会の出品で上京時、秩父宮
邸に寒蘭の献上に参上されていますが、妃殿下は、宮中へ参内される直前の由でしたが、特に時間をさいて
「遠い所を、わざわざ立派な寒蘭をお持ち下さって有難う」と、にこやかに労いのお言葉をかけられています。
献上した蘭は、紀州寒蘭の名花「白雪姫」と「丹鶴」で、妃殿下は「とても美しい。
良い香りがします。」と大変
喜ばれ、その際、肥料や水の与え方、用土、置き場所、注意事項など、色々とご下問があり、三人がそれぞれ
説明をされるのを女官と一緒に熱心にメモを取られて、帰り際にはお下賜の煙草を拝受されたのでした。
この後、11月3日に皇太子妃殿下、紀宮内親王殿下(当時)が大社に参拝になられた時、上野氏が御奉迎
の招待をされ、併せて寒蘭の台覧も賜っていたので東宮御所に参上して、お礼言上の記帳をされており、この
ように紀州は、土佐や薩摩に比べて寒蘭を通じて皇室との関りが強く、紀州寒蘭界の誇りとしております。
参考文献:「紀州寒蘭」
第25号・28号・30号・37号 紀州愛蘭会 (昭和53・56・58・平成2年)
皇族の大社ご参拝と紀州寒蘭の天覧・台覧
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