2012.02.08(水)

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紀州寒蘭界の誇り

 「熊野速玉大社」は、皇室の御尊崇極めて厚く、古来より”熊野御幸”として有名なのは「上野 元」氏の項でも
紹介しましたが、昭和天皇、皇后両陛下は昭和37年5月の御参拝、52年4月の那智高原の植樹祭と二回に
亘り来熊され、御幸事務局の配慮で光栄にも紀州寒蘭を一鉢を飾る事を許されて、天覧を賜ったとあります。

 御参拝当日は、上野宮司の一代一度の重要な接遇で、厳粛な正装の衣冠束帯で案内され、神前の御座所
幄舎の横に、昨夜来、その葉を念入りに拭き清めた準素心の「緑苑」の一鉢を飾り、御参拝後に天覧を賜り、
その有難い光栄を記念して「
みゆき」と改名、今もなお紀州の古典的名花として愛好家に親しまれています。

 那智高原の植樹祭では、両陛下がお泊りの那智勝浦の「越ノ湯旅館」に、上野氏が吟味して持参したのは、
植樹会場が那智高原であるのに因んで、五蛇谷産の蘭で葉丈35cm、巾1.4cmの厚肉露受け立葉で、濃緑
で光沢のある白黄深覆輪縞の高尚な葉姿のもので、上野氏が昭和40年頃から愛培されて来た貴品でした。

 その蘭を江戸時代(享保年間)に開窯した紀州の名窯、”瑞芝窯”で焼かれた逸品、青磁の蘭鉢に植替えて
桧柾板に墨で、「紀州寒蘭 那智山産。 名称 龍寿の光。 葉 白黄覆輪。 鉢 瑞芝焼青磁透彫牡丹文。 出品者
紀州愛蘭会」と謹書、ご休憩室に飾られて天覧を賜り、名称はこの時の光栄を記念して命名されました。

 昭和46年11月、皇太子、美智子妃殿下(当時)のご参拝時、「熊野赤蘭」や「みゆき」らを台覧頂いた時に、
「紀州には、このような美しい蘭が沢山あるのですか」とのご下問に、こんな名品はそうはある筈はないのに、
嬉しさの余り、つい「はい、紀州の山にはこのような美しい寒蘭が一杯生えています」と答えてしまったとか...

 また山野草を含めて植物全般に亘り大好きだった、「秩父宮妃殿下」が昭和40年11月に御参拝の折にも、
丁度咲き頃の寒蘭を台覧賜った後日、上野氏がお礼言上に宮邸に伺った際の話で、内庭の山野草畠は自ら
のお手で世話されていると聞き、妃殿下の一草、一花を愛しむ心が伺え、一層の近親感を覚えたそうです。

 また過日、上野氏が妃殿下に拝謁した時、枯れかかった寒蘭の並物一鉢を示されて、「何とかなりませんの」
とのお言葉があり、先年の夏は軽井沢の別荘へ避暑の際にも持参されたそうで、「駄物だ、捨ててしまえ」と、
誰もが言いそうな安物の命を、大切にして助けようとする優しいお心に拝し、上野氏は大いに感動したと言う。

 さて、昭和55年11月8日、上野氏、糸川会長、尾宇江副会長が世田谷の国香会の出品で上京時、秩父宮
邸に寒蘭の献上に参上されていますが、妃殿下は、宮中へ参内される直前の由でしたが、特に時間をさいて
「遠い所を、わざわざ立派な寒蘭をお持ち下さって有難う」と、にこやかに労いのお言葉をかけられています。

 献上した蘭は、紀州寒蘭の名花「白雪姫」と「丹鶴」で、妃殿下は「とても美しい。 良い香りがします。」と大変
喜ばれ、その際、肥料や水の与え方、用土、置き場所、注意事項など、色々とご下問があり、三人がそれぞれ
説明をされるのを女官と一緒に熱心にメモを取られて、帰り際にはお下賜の煙草を拝受されたのでした。

 この後、11月3日に皇太子妃殿下、紀宮内親王殿下(当時)が大社に参拝になられた時、上野氏が御奉迎
の招待をされ、併せて寒蘭の台覧も賜っていたので東宮御所に参上して、お礼言上の記帳をされており、この
ように紀州は、土佐や薩摩に比べて寒蘭を通じて皇室との関りが強く、紀州寒蘭界の誇りとしております。

 参考文献:「紀州寒蘭」 第25号・28号・30号・37号 紀州愛蘭会 (昭和53・56・58・平成2年) 

皇族の大社ご参拝と紀州寒蘭の天覧・台覧

        

昭和37年両陛下が速玉大社ご参拝で、上野宮司が案内。

昭和52年植樹祭で天覧の光栄に浴した「龍寿の光」。
昭和46年、神宝館前で皇太子、妃両殿下が寒蘭を台覧。
昭和55年11月、咲き香る寒蘭が美智子妃殿下と紀宮内親王殿下を歓迎。 紀宮様の名前に所縁の、”紀の国”を案内するために大社にお越しになられたとか。 昭和55年11月、秩父宮邸玄関前で拝受した煙草を手に糸川会長と尾宇江副会長が記念に。 撮影者は上野宮司。
 
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