蘭と人の話 C

  か   た は  ま  や  ら 

                         

  た 田村 豊 ・玉利 進 ・谷村忠訓 

   ち 秩父宮妃殿下
 つ 
 て 
 と  戸梶伊織
 


’11.05.11(水)
   秩父宮秘殿下とビネ

秩父宮妃殿下」が御生存中の頃、植物、とりわけ山野草類を愛され、官邸の前庭の木陰に作られた山草畠や渋い鉢に自ら植えられ、水
遣りから施肥、害虫駆除、草むしりまで、ご自分の手でやられ、その都度、花の顔を見ながら、いとしく話しかけられるほどの花好きで、山
草会の展示会にもよく出向かれたと聞いております。

昭和46年5月16日、千葉県九十九里浜近くの成東町の「千葉蘭園」の「えびね園」にも見学に行かれており、二町歩(六千坪)の杉林に
は、昭和41、2年頃から園主の「
長野正紘」氏が四国や九州各地から集めたエビネ約十万本を植栽、その年は約五万本が開花し、艶を競
って丁度、「第三回のえびね展」が終わった時期でした。

当初、千葉蘭園側は9時50分新宿発の急行でのお召しを勧められましたが、「せっかく、エビネを見に行くのに、そんなに遅く出発したので
はゆっくり見る時間がない....」と、三時間も早い6時43分の新宿発の急行、”犬吠号”で、お供の方々は、「川津くに」侍女長と作家の
「角田房子」さん、歌人の「白鳥悌子」氏ら三人だけでした。 

9時前に成東駅に着くと町が新調した車で蘭園へ、町長始め婦人会長、えびね会会員、長野家一族に迎えられご休憩もそこそこにエビネ
展や山草展での出品物を見学後、「えびね園」に向かわれ、その中央にある7mほどの小高い古墳の丘から見下ろせる、広大な杉林に群
生するエビネの眺望には、ただただうっとりと...

開花した五万本は展示会後に、殆どを東京市場に切花として出荷後で、精々一万本程の残り花になっていましたが、妃殿下は、「こんなに
沢山咲いているとは全く予想外でした...」と大層お喜びになり、園内を廻って説明する正紘氏に耳を欹てられ、専門的なご質問をされた
り、要点をメモをされると言ったご熱心さでした。

そして一度長野宅に戻られ、エビネ原産地の状況を撮影したスライド等をご覧になり、再び古墳の丘に戻り、ここに敷き広げた”花ござ”に、
お座りになって十数人が車座を作ってのご昼食に、妃殿下は「こんなにくつろいだお食事は何年ぶりの事でしょう...」と、子供が遠足に行
った時のように、大変お喜びになったそうです。

 松山人らしく、趣味で俳句も嗜まれた正紘氏の父親の信正さん(俳号・深青)は、その時の状況を俳句に、

         若草にござ敷き広げ山の宴    山の宴蝶舞いもつる妃の御前  と詠まれています。

このように、四時間余りにわたるご予定を総て終えられ、町営の食虫植物園と、県の天然記念物となっているクマガイソウの自生地をご覧
になり帰路につかれましたが、その間、妃殿下の優しさと植物にご愛好の熱心さに救われ、一同の緊張でガチガチだった気持ちが次第に
ほぐされ、皆がひとしお近親感を持ったのでした。

なお、この時お傍におられた歌人「白鳥悌子」氏は妃殿下があるエビネに見入り、正紘氏に呟かれたのを、静かな色と 賞賛されし えびね
新種園主はこれより 静と名づく 
詠まれ、これは宿毛産のサツマで、複雑できめ細やかな色彩と、周囲の森の調和を、”静”と表現された
妃殿下の洞察力の見事さに感嘆したそうです。

数日後、信正、正紘の親子で官邸に、お礼言上に伺った際、妃殿下がお好きだと言われていた菊の御紋に似た、キエビネの大株立ちを持
参したのを自らスコップを持ち、前庭のエビネ畠の一角にお植えになられたお姿と、その時、官邸の奥庭の躑躅が真っ赤に燃えるように咲
いていたのが、印象的だったと語っておられます。

  参考文献:「千葉えびね会 会誌」 第1号 (昭和46年) ・「えびね銘鑑」 第一巻 池田書店 (昭和54年)