’03.04.30(水) エビネの人工交配に思う
あるエビネ展示会を見ての帰り、車中でのエビネ好き二人の雑談記です。 (フィクション)
A:随分、今まで見た事のない素晴らしい新花が出て来たね。自生のエビネはもう絶滅したと聞いていたのに、まだまだ新しい花が発見さ
れ続けているんだね。
B:いいや、もう自生地からの新花の発見は殆どないよ。今見てきたのは人工交配種だよ。
あんな梅弁のイシズチなんかは典型的で、天然では出て来ようがないものだよ。
A:人工交配と言っても昆虫の代わりに人が手を貸すだけで何も変らんのじゃないの?
B:それは違うな。昆虫は花を選ばず、無作為の交配で神のみが知る花を産むのが、人は形や色合いの良い特徴の有る親ばかりを選び、
人間が優品のみを造りたいとの意図を込めて造った人造美人で味のないものだよ。 それに、自然界では産まれようのない九州と
四国産のエビネの交配などで産地不明の造花になるんだよ。 ヒゼンやサツマからニオイエビネの匂いがしたら幻滅だよ。
A:しかし見て綺麗であれば人工交配のものでも良いと思うがなあ。
B:それは好き好きだから否定はしないが、本来エビネの良さは自然の神が創りだした妙味と言うか人の創造を超越した美しさであって、
その神秘性には遠く及ばないものだよ。
A:まあまあ、そう言っても天然物がない時代になったんだから仕方ないじゃないの。
交配種が「蘭博」でも主流になって来て、随分色んな賞も取っていたじゃないか。
B:なったんじゃなく、人がこういう時代にしたんだよ! 無尽蔵にあった山の財産を、金のために絶滅させ、なくなったから今度は人工的に
造って金儲けしようとしているだけで賞の件も意地悪な目で見ると、人の目を交配物に向けさせる演出、PRだと思うね。
高い評価で高値で取引する狙いもあると思っているがね。
A:そう言えば値段は随分と高かったように思うよね。
B:高値なるが故に人が追う心理を突いていると思う反面、交配で産まれる優品の確率が極めて低く、生産性の悪い現状では、そう安く出
来ない業者の事情も分かるがね。
A:しかし、えらく天然物に力が入っているが、何故そうこだわるのかなあ。
B:前から言っているように、エビネの魅力は花色が多彩で微妙なところにあって、それが天然の自然交雑だからたまらないのだよ。
元来「土」に育ってきた物が「寒天培地」で生まれた物は土からの自然の生命の魅力が消えて行ってしまう思いがするんだ。
これからも俺は交配物には手を出さず、天然物を大事に育てていくよ。
A:お好きなように! 相変わらず頑固なんだから・・・・・。

’03.04.23(水) 伊豆エビネ展めぐり
初夏を思わせるような先週の18〜19日に「伊東」、「下田」、「松崎」のエビネ展を5ヶ所程廻ってきました。 伊東の荻で開催されていた
「第1回日本ニオイエビネ会展」は、会場に入るや、むせ返るような芳香と、目くるめく艶やかなエビネの競艶は素晴らしく圧巻ものでした。
広い会場に200鉢はあろうか、ニオイエビネ、コウズの銘品ばかりを一堂に集め、これほどの内容の濃い展示会を見るのは初めてで、地元
のTVカメラや新聞社の取材も入っており、アマチュアの趣味家グループのものとしては他に例がないのではないでしょうか。
会長さんと話もしましたが、この会の設立趣旨は「世界に誇るニオイエビネの健全な育成と、後世まで保存、伝承していく事」と熱く語られ、
栽培歴30余年の大ベテランの話は説得力が有り、ニオイエビネの特異性を考えた栽培ポイントについても親切に説明頂きました。
どれもこれも初めて拝む銘品ばかりで、3時間もかけて、じっくり観賞眼が養えました。近くの専門店も覗きましたが、最初にスゴイのを見て
しまったのでその感動は今一でした。
下田観光の後一泊し、翌朝早く近くの旅館で趣味家が開いていた「コウズ展」も覗きに伺いましたが、100鉢程の展示品は、非常に丁寧に
育てられ、その品の良さに感心しました。
次いで「松崎」に行きましたが、ここは地元の「地エビネ」を中心に、エビネが大好きな人達により大事に育てられた150鉢近くが展示され、
会話の中でも田舎の素朴な人柄が偲れ、エビネを愛する気持ちが良く伝わって来ました。 その作も非の打ち所が無い健康な株ばかりで、
葉先が枯れ込んだり、食事中の鉢もなく、行儀が良く、清潔な印象を受けました。
そう言った事で、充分楽しく満足出来たエビネ展巡りで、これからも毎年足を運びたい展示会でした。 たった1日家を空けただけでしたが、
行く前は蕾が上がっていただけの我が家のエビネ娘達もほぼ満開状態に、主人の帰りを待っていたかのように.....
「あちこちと乱れ咲きたるエビネ展」

’03.04.16(水) エビネ展示会 始まる!
冬の寒さが長引いた為か今年は何処のエビネ達も開花が大幅に遅れ気味との話を聞く中11日、上野グリーンクラブへ今年最初の展示会
を覗きに朝一番で行って来ました。 人出は平日だったのでそう多くもなく、ご婦人方はチラホラ、殆どは男性の年配者でした。
開花状況はまずまずで、天然物と交配物との割合も半分半分と言ったところでしょうか。1階の即売場に比べ2階の展示場は人目を引くよう
な新花がないこともあってか閑散としており、交配物よりシッカリ咲かせた一昔前の天然種の銘品の方が一段と魅力的でした。
概して今一、訴求ポイントのない展示内容でガッカリ感を覚えたのは私だけでしょうか。 かって、雛壇の前で人を唸らせるような新花が得ら
れない今、業者組合としてもエビネの普及促進のために、もう少し工夫した展示方法でカバーして欲しい思いがしたものでした。
コウズとニオイエビネの地元のお店も覗きましたが、一週間程早かったようで、咲くには咲いていたものの、花茎の伸びも不十分で、本来の
色の冴えもまだまだでした。かってのブーム時はこのお店も看板はサツマ、ヒゼンでしたが、今は一鉢も置かれていない状況です。
反面、価格はブーム時なみで、うん10万クラスの銘品がズラーッと並んでいる内、ボーナス払いだと言って、二鉢も予約の札を挿している人
を見て、この不景気なご時世にとチョッピリ羨ましい思いがしました。
もっとも、高い物ほど人は欲しがり、売れるのがこの世界だと言うこ
とでしょうが、私はやはり安ければ安い方が良いですね。
「御蔵島物産展」のニオイエビネの掘り出し物を期待して、初日の14日、また朝一で行きましたが、既に先着の人達が目ぼしい株を抱え込
んだ後で、残っていたのは長い船旅で疲れ切ったような花ばかりで、こんな時は人が抱え込んだ株が妙に良いように思えるものです。
折角、田舎から浜松町まで2時間かけて来たのだからと、まだ半開きでしたが透明感を漂わす藤色の花弁に、僅かな望みを込めて、購入し
ましたがさてどんな結果になるやら? 今週末は伊東、下田、松崎方面の展示会に観光を兼ねて一人で一泊旅行してきます。

’03.04.09(水) エビネ本番!
さあー、桜前線も北に去り、次は巷のファンには待ちに待ったエビネ前線の到来です。
エビネの万華競艶に酔い痴れるこの一ヶ月間は、
誰もの気持ちが異常に高ぶり、自分の花より東奔西走で色んな展示会巡りに、朝早くから一日が忙しく楽しい時期です。
今年の冬は、「エルニーニョ現象」の予報に反して暖冬にならず、早咲きのコウズ、徳之島エビネの開花も例年よりひと月近くも遅れ、やっと
二、三のエビネが先週から咲き始め、庭のあちこちの地植えのエビネも、昨年来の古葉の陰から花芽を覗かせた所です。
この時期、愛しい花芽を両手のひらで覆うように、三枚の新緑の葉が左右からそっと抱き合う、その中心から目に見えて花茎がぐんぐん伸び
出し色付き、一番下の蕾から下を向き始め、やがて可愛い花を咲かせて行く過程が、何ともわくわくする楽しさと言えますね。
天然種のエビネには多くの種類があり、それぞれ特有の良さを持っていますが、その内の幾つかを、私なりにその魅力を一言ずつでまとめ
ますと、次のようになりましょうか。
@ジエビネ (原種) 変異が多く、日本人の「侘」の心に訴える「渋い野趣味」
Aキエビネ (原種) 色彩は単純だが群生で、一際引き立つ「大輪の華やかさ」
Bニオイエビネ (原種) 透明感のある清々しい色彩と馥郁たる「香気」
Cキリシマエビネ(原種) 清潔で、女性的な恥らうような「可憐な優しさ」
Dサツマ(ジ+キ+キリシマ) 弁と舌色の配色が絶妙な「渋みを有する華麗さ」
Eヒゼン(ジ+キリシマ) 凛とした、たたずまいに一寸すまし顔の「気高い品位」
Fコウズ(ジ+ニオイ) 澄んだ鮮やかで「多彩な花色」と仄かに漂う「芳香」
Gタカネ(ジ+キ) 派手で豊満な美人を彷彿させる「豪華絢爛さ」
Hヒゴ (キ+キリシマ)
大味ながら明るく包み込まれるような「包容力」
ところで、私は何時もエビネの時期になると、ちょっぴり感傷的になってしまうのです。
エビネの花をあれこれ見るにつけ、以前にも述べまし
たが、一緒に「エビネ開眼」した今は無き蘭友の面影が二重写しになって、その思い出が私の胸に迫って来るのです。
「今はなき友が残したエビネ咲く」 拙作

’03.04.02(水) 「安庵」開局 一年
このHP「安庵」の開局は、昨年の3月29日で早いもので、もう一年が過ぎてしまいました。
定年退職の記念にとの思いで始めましたが、
一年間で1万件を超える多くの訪問を頂けるとは当初全く思ってもいなかった事で、本当に嬉しく大変感謝しております。
えびねとか東洋蘭は、まだまだメジャーな分野でないのでカウンターを付けて確認し、余り訪問者が少なければ直ぐにでも閉局しようと思い
初のひと月の様子を見たのですが、予想に反して一日平均20人以上の訪問を受け、嬉しくなり続ける事にしたのです。
しかし、花時は新しく開花した蘭の写真で更新を図れますが、過ぎると次の開花時期まで変らないHPは多分覗いて貰えないでしょう。
何とか継続して覗いて貰おうと5月から「安庵雑感」を追加し週一回の更新で、蘭に関する所感を記載しようと思ったのです。
又、厚木が第二の故郷になって20数年も経つ割には、その歴史、自然、文化について良く知らない事に気が付き、健康維持も兼ねて市の
観光ボランティアにも入り、市内を歩き回って四季折々の移り変りを写真に撮って、隔週更新で「プロフィール」に紹介いたしました。
所が気紛れに書き出した上に、文才が無いのもあって、数ヶ月で止めたくなったのですが、覗かれた方々から「HP見たよ」とか「なかなか良
いじゃないか」、「頑張ってるね」とかおだてられ、乗せられ、励まされて「よし、まず一年間は休まずに書こう」と頑張ってきました。
面白いもので続けている内に色んなテーマが浮かんで来て、分からない事は文献も参考にしながら書く事が苦痛でなくなって来たのです。
又、何よりも文を書くという事は適当に頭も使うので、ボケ防止にも良いように思え、これからも続けていきたいと思っています。
今後とも変わりなく「安庵」の一層のご支援ご鞭撻を賜りますよう、お願い申し上げます。
さて、
いよいよ待ちに待った「エビネ」の季節が巡ってきました。 ウキウキしてきますね。
5月にはエビネ写真集のバージョンアップも行う予定ですのでお楽しみに....

’03.03.26(水) 日本春蘭界の父 「高坂鳳仙」
今回は、日本春蘭(以下春蘭)界の最大の功労者で、伝説的な蘭商「高坂鳳仙」氏の話です。 その名は日本中の蘭商に知られていたも
のの、その誰とも親密な人間関係を持たず、単独で春蘭を全国に得意の弁舌で普及活動し、人は先生、神様と呼んだと言われます。
明治9年に新潟県三条の豪農に生まれた鳳仙は、幼少の頃から頭が良く、学問を好む傍ら南画も修得、席画を得意とし越後鉄斎と呼ばれ
ました。 蘭商を始める前は乾物屋、紫金牛、万年青の売買等の曲折を経て、文人墨客の南画の対象でもあった春蘭に辿り着きます。
明治30年年代までの春蘭は、まだ観賞植物として認知されておらず、同じ蘭でも「金稜辺」や「尢磨vがその中心で花の香りが薄い春蘭は
上流社会の華族、富豪には受け入れられず、せいぜい覆輪物が、蘭商でなく植木職や盆栽職人の扱う端物に過ぎなかったようです。
明治末以降、鳳仙は春蘭の全国普及に乗り出し、紋付に羽織でピシッと身なりを整え、大隈侯爵、彫刻家朝倉文雄など当代一流の愛蘭家
と接見し、国粋春蘭の普及と、必要性を力説します。
彼らに疎まれず春蘭道なる高説を垂れる事が出来、彼らをして先生と呼ばしめたのは
育ちの良い鳳仙の人柄と高い教養によるところだったのでしょう。
大正8年鳳仙が大日本春蘭研究会を組織した頃から、春蘭の真価が徐々に認められるようになり、その精力的な普及活動は、本場新潟、
福井の勝山、山形の米沢、埼玉の飯能、東京の青梅等々全国に渡り、昭和の蘭商達が、何処に行っても、その足跡にぶつかり、その活動
範囲の広さに驚かされたと言います。
彼が説いて歩く対象は、誰でも良い訳ではなく、彼の哲学を理解出来る教養を備え、その地域で趣味グループを組織できる社会的地位と資
産のある人で、千葉医大学長酒井卓三、勝山の大旦那市橋定祐、甲府の医師雨宮才一氏など後の春蘭界のリーダーとなった人達です。
全国行脚のもう一つの目的は、春蘭が豊富に自生する地域を探し、そこの住民に春蘭の魅力を教え彼の極秘の仕入先を育てる事で、中で
も茨城県筑波郡と熊本県天草郡はその代表な地域でした。 彼が播いて歩いた春蘭の種は昭和以降、色んな形で芽を出し、実を結びその
後、飛躍的な発展を遂げ、現在に至っております。
参考文献:「春蘭」
保育社 大栄 浩・平野綏 共著 (昭和61年)

’03.03.19(水) 赤花春蘭 「紅明」のこと
生まれて初めての競馬に、その道のベテランに連れて行ってもらい、その買った馬券が、たまたま万馬券で大当たりを取り、その後競馬に
病みつきになったと言う話を良く聞きませんか?
赤花春蘭の名花、「紅明」を発見した千葉県の山採りの愛培家「菊地明」氏も、初めての山採り人との山行きで、思わぬ覆輪の大株採取の
幸運に巡り合い、この発見が菊地氏をして終生山採りに興味を持つきっかけになったと、述懐されています。
氏はわざわざ、休暇の多い現場勤務の千葉大学に勤める傍ら、休暇を利用しては、春蘭山採りに熱中し、昭和30年代の蘭探しは最高潮に
達し3回に1回は何かしらの優秀品が採れたというから、もう山採り名人の域で、楽しくて、益々拍車がかかったと言います。
特に赤花優品については、必ず自分の手でとの念願を強く持ち、足繁く山に入ったそうです。
昭和40年3月末、いつものように休暇を取っ
て10キロ先の目指す山へ自転車で駆けつけ、探索するもこれというものが無く、今日はこれまでかと諦めて帰りかけた時です。
なにげなくふと先に目を向けると、5本立ちの株から1本赤い蕾が鶴の首のように見え、近づくと正に待望の赤花で、思わず胸が高鳴り欣喜
雀躍したと言われます。その話は電波のように蘭仲間に伝わり、その実物を見た人は誰も「うんー」と唸っただけで後の言葉が続かなかった
そうで見る者、誰一人その花の気品に心打たれない者はいなかったそうです。
この紅色は混り気の無い明るい色であり、自分の名前が「明」であることから「紅明」と名付け、「榎本敏一」氏の研究により、更に「紅明」の
発色は飛躍的に進歩を見せる事になります。
更に6年後の昭和46年にも菊地氏は、又しても同じ山で、これまた後年名品となった「紅梅仙」を発見の幸運に見合いますが、その感激は、
「紅明」の時に勝る喜びは無かったと述べられています。
参考文献:「日本シュンラン」
カラー園芸選書 誠文堂新光社 (昭和54年)

’03.03.12(水) 蘭を風流に
中国では蘭の花は古くから薬草として重宝され、食用や蘭茶としても親しまれて来ました。特に蘭茶は日常的に飲用され、その香りと共に
心身の癒し、安らぎに効用があるとも言われお祝いの膳にも日本でよく飲まれる桜茶と同じような使われ方をしています。
日本でも春蘭を塩漬けにして桜の花と同じように、おめでたい席での、飲み物に使われています。 花弁を一輪、湯飲み茶碗に入れてそれ
に熱湯を入れると、桜茶と同じように今まで押し潰されてくしゃくしゃになっていた花弁が、生き物のように伸び始め満開となります。
湯の中に浮かぶ蘭の花は、他に見られない自然の造形美、可憐で高雅な花姿で、それを鑑賞しつつ、ほんのりと漂う芳香を楽しみながら、
塩味のする蘭茶を味わうのは、なんとも言われず風流この上もないものでしょう。
この蘭茶を結婚式などのおめでたい席に出されるのは、「ずい柱」と「唇弁」を男女に見立てて、夫婦和合になぞえられた事と言われます。
この春蘭の塩漬けは伊豆地方では古くから行われており、本場の新潟地方では商品としても販売されています。
また、蘭花酒というのもあり、開花後すぐ摘み取り、その量の数倍の焼酎と適当量の砂糖を加え一月以上漬け込みます。
日本春蘭の場合
は香りがないので香気は有りませんが、寒蘭や中国春蘭の芳香の強い種類の蘭花酒の味は他に類を見ないものと言われます。
春蘭の花はこの他、おすましや刺身のつま、和え物、酢のものとしても食用にも供せられ、この時の湯どうしする処理の仕方で、元の色を損
なわず美しく仕上げられるのです。
精進料理のひとつである黄檗宗普茶料理でも、二汁六菜の一汁として、献立の初めに、蘭や桜の花の塩抜きしたものに、昆布だし汁をはっ
て、前汁として出される事が知られています。

03.03.05(水) 今年の「世界蘭博」を見て
前日までの寒い冬日から一転、春を思わせる晴天に恵まれた先週の一日、東京ドームの「世界蘭博」を覗きに行ってきました。
展示場は
一足早く春爛漫の呈で、蘭からの溢れ返る芳香のシャワーを浴び、人出の多い中でも久々に清々しい気分になれました。
昨年の東洋蘭のコーナーは、日中国交正常化記念の「孔子と蘭」でしたが、今年は、「江戸開幕400年・日本の蘭の魅力」がテーマで戦乱
の世も治まり天下泰平の当時、大名や豪商は「風貴蘭」、公家階級は「長生蘭」が贅沢な趣味として始まり、今に伝わったようです。
当時の江戸は現在の東京とは比較できない程、その環境は静寂で、空気も水も緑も綺麗な自然の中で、優雅に蘭の観賞も作法にのっとり
楽しむ模様が紹介されていました。
東洋蘭コーナーのディスプレイを中心にじっくりと見て行くと、洋蘭とは一味違って、何かしら会場の喧騒感の中でも、しっくりと落ち着いた気
分になれるのは、一種独特の清楚で風格の有る東洋美に対する感性の原点が、我々東洋人の血の中に有るからでしょうね。
販売コーナーも見て回わりましたが、年々値段も下降気味で、一昔前なら指を加えて見る事しか出来なかったエビネや、東洋蘭の名品の開
花株が水苔巻きで並べられているのを見て隔世の感がしたと同時に、今趣味としてスタートする人には良い時期だと思いました。
いよいよハッキリして来たのは、エビネは勿論、東洋蘭の交配物も姿を現し始めた事です。新花の発見が底を付いてきた今後は、だんだん
人手の入った、味気ない洋蘭と同じ世界に入り込むのも近いのかとちょっと寂しく、ガッカリし、面白くない思いです。
一方、展示会で何時も思う事ながら、決まった会期に合わせてキッチリと開花調整出来る作者の栽培技術に感服しながら、疲れも覚えず5
時間近く、楽しく遊ばせて貰いました。

’03.02.26(水) 「膝にわらじ」をつけて
日本春蘭(以下春蘭)の名品の大半は、昭和初期から終戦までに発見されていますが、今もその数は少なくなったものの、まだまだ新しい
名品が発見され続けています。
今、私達の心を楽しませてくれている、数多くの春蘭・名品の陰には、これらを世に送り出してくれた先達の山採り人の方々の、ひたむきな
執念と努力、苦労に感謝すべきでしょう。
人の新花に対する際限なき欲望に、先人達は長野の山、筑波の山麓と人の侵入を拒絶するような雑木林の中を毎日のように探索し、その
様は「膝にわらじをつけて」と形容されたように地面を這うように探し回る為、顔や体は常に擦り傷だらけだったと言います。
春蘭の場合は、寒蘭のように名品の出る「坪」のような場所は一部を除き殆ど見られないので、これらの名品は、万に一つ、いや、億に一つ
の夢の中から見つけられた貴重なものと言え、その在り処は正に神のみぞ知る「宝捜し」のようだったのでしょうね。
その山採り名人と言われる人達は、長年に渡る経験によって、鋭く研ぎ澄まされた特有の「勘」を持っていたと言われ、名品の出そうな場所
はそれなりにピンと来るものがあり、其処を通る際の空気でわかり、無いと感じる場所では、まず何も採れなかったそうです。
彼らは山に入ると、当たり一面に春蘭が絨毯のように繁茂していても見向きもせず、たいして生えていない場所でもピンと来るのか、猟犬が
獲物を見つけたように目付きまで鋭くなり、ここらで探そうと例の「膝にわらじをつけて」で、一本一本丁寧に探し始めるのです。
そして不思議と思えるぐらい、かなりの確率でその辺りから赤花を採って見せたものでした。
山採り人の中には、意識的に公表を嫌い中央との交流も求めず、又展示会のような賑わいにも溶け込まず、一人黙々と蘭作りを楽しむ人も
居り、そんな人の「かくれ棚」で今まで見たことの無い、数寄者が目を剥くような名品が潜んでいる事もあり得ると言われています。

’03.02.19(水) 日本春蘭 その魅力
日本春蘭(以下春蘭)には、「えびね」や「寒蘭」とは一味違った趣の魅力があります。その花色に魅力がある春蘭ですが、えびねの花色の
多彩さには足元にも及ばないでしょうし、寒蘭の香り、花形、咲き方、葉姿がかもす全体の調和美、気品にも適わないでしょう。
春蘭の持つ一番の魅力は、えびねや寒蘭と違い、一つの茎に一つの花をあっさりと咲かせる容姿の何とも言えない「可憐さ」「愛らしさ」にあ
るのではないでしょうか。
早春の穏やかな日差しを受けて、林の中の日溜りにひっそりと咲いている優しく、澄んだ緑色の花姿は、まるで孫がニッコリと微笑みかけて
くるようで、何とも可愛く、いとうしく心を捉え、思わずキユーッと懐に抱きしめたい気持ちになります。
私も同じ東洋蘭の寒蘭と一緒に楽しんでいますが、寒蘭は晩秋から陽光が日毎に薄れ冬に向かう心の侘しさを、その花その葉の描く姿で
表わしているようで、その美しさは控えめな美と言おうか、孤独で、どこか淋しさ、やるせなさを感じさせる美しさと形容されます。
一方春蘭はと言うと、厳しい冬を耐え抜いて来て咲くその凛々しく、がっちりした姿は、やっと迎えた春の息吹、喜びを表わす躍動感と言うか
うれしさ、希望を自己主張する力強さが感じられ、寒蘭と比較して「静と動」、「月と太陽」と言った対極の美を感じます。
今から20年程前だったか、東京の春蘭展示会で人だかりのする一段高い中央の棚に置かれ咲き誇る、あでやかで冴え々とした朱紅色の
三輪咲きの「日新」の花を目にした時、野に咲く春蘭しか見たことの無かった私には鮮烈な驚きで、「この世にこんな花があるのか」とさえ思
う、息を呑むほどの衝撃を受けたものでした。
何時かはこの手で咲かせたいと漠然と夢に抱いていましたが、はからずも株数も増えた事もあってか価格も安くなり私にも手に入れる事が
出来、花芽を見て、開花を見た時の、夢の現実に感激したのはつい最近の事でした。
その魅力溢れる春蘭の蕾もほころびかけ、一日も早い開花を待つ今日この頃です。

’03.02.12(水) 蘭道その五 (仙味の道)
仙味とは広辞苑を引くと「仙人の趣味 脱俗した高尚なおもむき」と言う意味で、蘭道に入り長年の困苦修行の果てに、その道を極め、悟る
と言った大袈裟なものではないにしても、何となく蘭の心を理解できるような心境に至った状況を「仙味の道」と定義したのです。
蘭との長期に渡る戦いの済んだ時、やっと今までに無い澄み切った心になり、迷いも吹っ切れ、人は蘭への執着から脱皮できるのです。
そして達観の世界に身を委ね、蘭の語りかけに耳を傾け、蘭に話しかけ、気持ちを通い合わせるゆとりが生まれてきます。
今までのように栽培に心を砕き本作を喜び、人より少しでも良い作を求め、逆に人の作に羨望した生臭さに、嫌悪感すら抱き人は人、「凡作
ででも結構」と背伸びせず、無欲にして謙虚に、無念無想で自然のままに蘭と遊び、楽しく蘭と共に生きたいと願うようになります。
ゆるゆるとした日差しのおだやかな昼下がり、のんびりと蘭を眺めながら蘭友とのとりとめもない蘭談義に、生きる事の冥加ここに尽きると言
った至福の時、初めて蘭に出会い「趣味の道」に踏み込んだ遥か昔に思いを馳せ、今の我が身の幸せに感謝するのです。
蘭の尊さ、貴さがわかって来ると、蘭の内面の美しさにも目覚めることになります。 今までのように、最高の貴稀品のみに執心した心も
次第に消え失せ、駄花で無銘の「蘭」でさえも、いとうしく美しく思えてくるのです。
蘭の心がわかり、その内面的な美しさを理解できた時、人は安らかに蘭と語らい楽しむ最初の「趣味の道」に生き続けて行くのです。
以上思いつくままの遊び心で、勝手な私だけの五つの蘭の道を述べてきましたが、分かったような分からない話で失礼しました。

’03.02.05(水) 蘭道その四 (名人の道)
狂うほど日夜蘭に執着して、根気良くひたむきな研究で、高度な栽培技術を身に付けねば辿り着けない頂点が「名人の道」です。行きつ戻
りつの繰り返しの中で一つ一つノウハウを積み、蘭に教わりながら何10年にしてやっと自分の栽培法が確立出来た道でしょう。
「誰々さんの日光」、「何々翁の紅明」と、後世語り継がれる花を咲かせ、この道で名を残せる人が「名人」と呼ばれます。
「名人」とは 蘭を
思いのままにその花特有の持ち味や、本来有する自然美を出し切れる「本作」の栽培法を完成した究極の技術者と言える人です。
そうなる為には「蘭のことは蘭に習え」と年頭にも述べましたが、もう少し具体的に言いますと自然を良く見習い、自然に逆らわないで、蘭の
特性を呑み込み、それに近い環境作りが出来る栽培理論にかなった、管理技術を習得出来た人が「名人」ではないでしょうか。
しかし、「名人」には一朝一夕になれるものではなく、長い年月をかけて、蘭の事を考えて考えて考え抜く努力を惜しまぬ、ひたむきな情熱と
他人の話も聞き、自分の独創性も盛り込み、試行錯誤を繰り返す根性と、更に何よりも蘭を愛せる人が名人となる条件でしょう。
この段階では最早、今までのように蘭に振り回された、かっての風狂の人ではなく、あくまで主人は人間で、蘭にかしずき、支配されていて
は蘭蘭に驕りを生じさせると言われます。 その結果、蘭も愛さている主人に従順に、その自然美を晒してくれるのではないでしょうか。
名人に教えを乞うても、決して名人と同じ作りにはならないのは常で、その人、その蘭に基づく体験的なもので言葉や文字にもならないもの
です。 前にも「蘭作りに王道なし」と言ったように自分の蘭にあった自分だけの技術を苦労して身に付けねば名人にはなれないのです。
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