『BJCとの出会い』

僕がはじめてBJCの名を知ったのは
当時愛読していた「ヤングバージョン」なる雑誌の記事であった。
「ヤングバージョン」とはいわゆる走り屋系のクルマ雑誌で
その頃クルマに目覚めた僕は、定価の安さにつられ毎月欠かさず購入し、
そしてクルマの知識を少しでも多く得ようと、それこそスミからスミまで読んでいたものだ。

記事のほとんどが「ベストな足回りは〜」とか「こんどのマフラーは・・・」とかばかり。
そんな記事の中に数ページだけ音楽(新譜紹介)のページがあったのだが、
1991年の4月号を読んでいて、その過激な文面に目を見張った。


自称ロックグループを震撼させる本物がやっと登場。
ウンコみたいなことやってる連中はさっさと引っ込
みなッ!! THE BLANKEY JET CITY
こいつらのが<リアル・ロック!!
〜ヤングバージョン 1991年4月号(171ページ)より抜粋〜


これには驚いた。
まさか走り屋雑誌で「現在の日本のロックシーンは・・・」などというゴタクを目にするとは思ってもいなかったからだ。
「イカすバンド天国」(イカ天)のバンドブームもそろそろ翳りがみえてきた頃だった。
「ロックとは」などというムズカシイことや精神論が嫌いな僕でさえ、くだらないバンドが多いなぁと思っていた頃だった。
その熱い記事に興味を感じた僕は、デビューアルバムを密かに待ちわびた。

そして数日後、はじめて彼らの音を聴いた。
それはSONY WALKMAN のCFであった。
激しくカン高い声で「わたしには〜っ」ときたとき思わず「え?」となった。
画面の右隅には「THE BLANKEY JET CITY」のクレジット。
(曲は「MY WAY」かなり後になって知ったのだが)
これが<リアル・ロック>??
過激な文面、ロックうんぬんの内容から、
僕は勝手にボーカルの声を低いorしゃがれた声だと思っていたのだ。
ちょっと待て。なんか想像していたのと違うぞ。
デビューアルバムが店頭に並んだ日、期待と不安でドキドキしながらCDを買い求め、
自分の部屋でプレイヤーにかけた瞬間、僕は一気に世界を見失った。


それが、僕とBJCとの出会いだった。
いまだに1stアルバムを聴くと当時を思い出す。
そして、いまはもう読むことのない「ヤングバージョン」の、あの記事を書いたライターに感謝するのだった。


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