「クルマのはなし」

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私が学生時代クルマに乗ろうと思ったのは、その頃の友人たちの影響も少なからずある。
しかし最も大きな理由は、あるクルマにどうしても乗りたかったからである。
そのクルマとは
スズキ マイティボーイ。

マイティボーイはセルボをベースとしたピックアップトラック。
昭和58年(1983年)2月に発売され、「金が無くてもマイティボーイ」というCMソングの通り、新車販売価格は50万円程度であった。
ちなみに昭和62年(1987年)11月に生産が打ち切られるまでの販売累計は僅かに2万2589台!
広いラゲッジスペース(なにせトラックだからね)と愛嬌のある(特異な?)外観で女性ユーザーが多いらしい。
グレードはAとLの2タイプがあり、Lタイプにはルーフから荷台につづく「スカイデッキバー」が付く。
発売当初は丸目であったが、昭和60年以降に角目の後期型が登場。中古市場では高い人気を得ている。
(伊丹十三監督「マルサの女」にも黄色の角目マイティボーイが登場していたっけ)


そして免許を取り念願のマイティボーイを手に入れるべく、あちこち探し回った結果
当時40万円くらいだったと思うが、角目の後期型、Lタイプの5速マニュアル車を購入。
それは大喜びで走り回っていたが、はっきりいって粗悪なブツであった。
もと白のカラーをクロにオールペンしてあり、クーラーもなし、購入時のシフトレバーは「水中花」だし(苦笑)
しかもどうやら事故車だったらしい。
でも、そんなことはお構いなし。運転することが楽しいと心から思えた。
マイティボーイさえあればどこにでも行ける気がした。どこまでも行ける気がした。
まさに私にとって「宝物」であった。

その後、愛車マイティボーイは峠道で私の未熟な運転技術のため大破、廃車となった。

私がマイティボーイに乗っていたのはわずか一年程度であった。
残りの学生時代はホンダCR-X(初期のバラードスポーツ)で過ごし、社会人になって数年後、ロードスターに乗り換えた。
社会人になった今でも、私に影響を与えた友人たちとの付き合いは続いている。
しかし、その友人たちの何人かが抱いている、私が乗っているクルマのイメージは
CR-Xでもロードスターでもなく、やはりマイティボーイなのだ。

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