IARVニュース第141号Additional版U
チャン・リーブ・メアスさんは、カンボジア難民のひとりとして約20年間、日本に滞在し、大の親日家として、また、在日カンボジア難民の父親的存在として活躍されました。その間、メアスさんは,当会(IARV)と「日本カンボジア友好協会」が協力して行ったカンボジア支援事業にも、終始、多大の援助、指導をして下さいました。当会は、その業績について最大の感謝を込めてここにご紹介する次第です。 メアスさんは、当会に対して,XU1SS,XU1DKなど民主カンボジアのアマチュア無線局の建設について現地との諸連絡、作業についてのアドバイスなどをくださいましたが、その一方、他の日本のNGO団体とも協力して内戦下のカンボジアの子供たちのため、自費により小学校の建設を行うなど、母国カンボジアのため、多くの分野で貢献をされました。 1980年、カンボジア王国に対しベトナム軍による侵略が始まると、急きょ、祖国に帰り、三派連合政府軍のソン・サン首相の片腕として、現地でも大きな戦果を挙げられたと聞いています。その後、現地の内戦状態が終息し、カンボジア王国、初の総選挙が行われましたが、彼はファンシンペック(民族統一戦線)の国会議員候補としてカンダール州より立候補し、同氏を含めソンサン派は10議席を獲得しました。その後2年半、野党議員として、メアスさんは政権内の内紛解消に懸命に取り組んでおられましたが事態は一向に改善の兆しを見せず、最終的には、国民を省みないカンボジア政府の態度に抗議して、国会内の議員控室でピストル自殺を図り、殉職されました。国を心から愛する軍人らしい壮絶な死でありました。これによりカンボジア王国は有能且つ、貴重な人材を失うことになりましたが、メアス氏はその遺書の中で「私たち国民は、もう十分に苦しみました。一日も早く政治闘争をやめ、国民のために働いて下さい。」と訴えておられます。当会(IARV)のカンボジア支援活動に終始大きなバックアップをしてくれたカウンターパート、メアスさんの急逝に際し、当時、IARVは謹んでご遺族、関係者に哀悼の意を表しましたが、その後、JA1UT、林理事長自身、メアスさんが自殺されたカンボジア国会内の議員控室を訪れ、彼のご冥福を心より祈ってまいりました。それから20年、現在、奥様の田鹿令子様は日本に戻ってきておられますが、次女の「あすな」さんはカンボジアに留まってお父上の墓を守っておられます。
以上