神のもとに帰ろう

説教日:1996年6月16日
聖書箇所:ルカの福音書15章11節〜32節


 ルカの福音書15章11節〜32節には、一般に「放蕩息子のたとえ」として知られている、イエス・キリストのお話が記されています。今日は、このお話から、私たちが帰るべき神さまがどのような方であるか、また、神さまの御許に帰ることがどのようなことであるかについてお話しします。
 


 まず、このお話が語られた背景を見てみましょう。
 1節、2節にありますように、「取税人、罪人たち」がイエス・キリストのお話を聞こうとしてやって来ました。すると、「パリサイ人、律法学者たち」は、「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。」と言って、イエス・キリストを非難しました。
 「取税人」は税金を集める人々です。その当時、ユダヤはローマ帝国の支配下にありましたから、ローマに税金を納めなければなりませんでした。その税金の取り立てを請け負ったのが「取税人」です。その際、納めるべき税金の額は定められますが、実際に税金を取り立てる上での限度額は定められておりませんでした。それで、納める額より多く取り立てれば、その差額は「取税人」たちのものになります。「取税人」たちが、不正な取り立てをしたり、金持ちたちから賄賂を受け取って「手心」を加えたりして、蓄財に励むことは、めずらしいことではありませんでした。
 「取税人」は支配者であるローマのために働いているばかりか、不正なことをするものとして、ユダヤの社会ではつまはじきになっていました。
 また、「罪人たち」というのは、様々な犯罪行為など、道徳的、社会的に許されないことをしている人々で、「取税人」と同様、社会の除け者となっていた人々です。
 一方の、「パリサイ人、律法学者たち」は、その当時のユダヤの社会の宗教的な指導者です。「律法学者」は旧約聖書の律法を研究し教えていた律法の教師です。「パリサイ人」は「律法学者」の教えをきちんと守っていた人々です。
 この「パリサイ人、律法学者たち」からの非難に対して、イエス・キリストは三つのたとえをお話しになりました。その最後のお話が、一般に「放蕩息子のたとえ」として知られているものです。
 このたとえでは、「取税人、罪人たち」が「」すなわち「放蕩息子」にたとえられています。その「」にたとえられているのは、父なる神さまです。そして、「パリサイ人、律法学者たち」が、その「」にたとえられています。
 
 12節にありますように、「」は「」に、

おとうさん。私に財産の分け前を下さい。

と言いました。
 その当時にも、父親がいわゆる「生前贈与」をすることがあったと言われています。しかし、ちゃんとした理由がない限り、子どもの方からそれを要求することは、「父親がいなければいいのに」と言うようなもので、父親の存在そのものを否定することになります。
 この「」の場合は、まさにそのようなケースでした。「」は自分の好きなように生きたいのに、父の許にいてはそれができないと感じていたわけです。父の許を離れることが自由な生き方の条件であると思われたのです。
 13節では、

それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。

と言われています。この「何もかもまとめて」という言葉は、ここでは「すべてを売り払って」ということを意味しています。「」は父から土地を分け与えられたのですが、それをあっさりと売り払ってしまったというのです。
 当時のユダヤの社会において土地は、単に先祖から受け継いだ相続財産ではなく、出エジプトの後、約束の地に導き入れて下さった神である主から委ねられている相続財産で、勝手に処分してはならず、子々孫々受け継いでゆかなくてはならないものでした。
 ですから、このことを聞いただけで、そこにいた人々の心には怒りにも似た思いが湧いて来たはずです。
 この思いは、さらに続く、

そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。

という言葉によって一層強くされたことでしょう。
 「」は父の手を離れて自由になったのですが、全く自由になれたのではありません。自分が選んで入って行った社会とそこにいる人々の生き方や考え方に影響されてしまいました。それ以上に、初めから罪の欲望に縛られていたことは変わっていないばかりか、ますます、その罪の奴隷になってしまっていたのです。

イエスは彼らに答えられた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。罪を行なっている者はみな、罪の奴隷です。」
 ヨハネの福音書8章34節

 
 14節では、

何もかも使い果たしたあとで、その国に大ききんが起こり、彼は食べるにも困り始めた。

と言われています。旧約聖書の中では、「飢饉」が神である主のさばきの一つの形として示されています。それで、この話を聞いていた人々は、「」は神さまのさばきを受けた、当然の報いを受けたと考えたはずです。
 15節では、「」が

その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。

と言われており、続いて、16節では、

彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。

と言われています。
 聞いているユダヤの人々にとって、これはもう、ぞっと身震いするような話です。というのは、旧約聖書の儀式律法の中で、豚は汚れた動物とされていたからです。
 旧約聖書の儀式律法は、いわば、「視聴覚教材」で何かを教えるようなものです。目に見えるものを用いて、聖いものと汚れたものを区別することを教えるわけです。その儀式律法の中に、食べ物に関する規定があり、その中で、豚は汚れたものとされていました。聖いものと汚れたものを区別すべきことは、決して廃止されることはありませんが、そのことを「視聴覚教材」をもって教えていた儀式律法は、イエス・キリストによる成就とともに廃止されています。
 いずれにしましても、この時の「」は、ただ飢えていただけではなく、聖いものと汚れたものを区別するという、神の子どもにとっての根本的なわきまえも失っていました。これに先立つ放蕩の生活の結果でしょうか、神の子どもであることの意識を全く失っている状態にあることを示しています。あの放蕩の生活を、罪が生み出す道徳的な問題としますと、これは、罪が生み出す霊的な問題を象徴しています。
 そこでは、

だれひとり彼に与えようとはしなかった。

と言われています。放蕩の生活をしていた時にいた取り巻きたちは、彼から得るものがなくなると、さっさと彼を見捨てて行ってしまったということでしょう。
 商売のためになる豚はそれなりに養われていますが、「」は飢えに悩まされていて、その豚をもうらやましく思うほどだったのです。まさに、役に立たないと見なされているものに対する世間の姿勢を、あるいは、利害関係でしか結びついていない世界の冷酷さを、骨身に染みて味わわされているということでしょう。
 
 17節では、そのような時に、「」は「我に返った」と言われています。
 「我に返った」というのは、「自分自身に行く」というような言い方です。自分の本当の姿を悟ったということです。しかし、それは、自分が飢えて死にそうであるとか、取り巻きたちに捨てられたというような、自分の惨めさを考えたということではありません。
 17節、18節に記されている彼の言葉を見ますと、そのようなことを考えているように見えます。しかし、そのような惨めさは、この時までに骨身に染みるほど味わって、思い知らされていたはずです。
 すると、何をもって、「」は「我に返った」と言うことができるのでしょうか。それは、自分を「」との関係で考えるようになったという、この一点です。
 確かに、私たちが何に心を奪われているかによって、人に対する見方が全く変わってしまいます。この「」の場合、彼の心が「あの自由と思える生活」に奪われていた時には、「」はそれを妨げるものとしか見えませんでした。そればかりではなく、「」の資産が自分の夢をかなえてくれるものであると見えました。
 彼は、かつて、自分にとっては自由を妨げるだけのものでしかないと思われ、「もらうもの」さえもらえれば用はないと考えて、あえてその許を飛び出して来た「」を思い出しました。この時、彼は、かつての自分の見方が全く間違っていたことに気が付いたのです。
 18節の、

おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。

という言葉は、罪の告白です。これは、自分は「失敗をしてひどい目に遭った」という、私たち日本人が抱きがちな歪んだ被害者意識ではありません。
 罪の告白には、その罪を自分自身の意志と責任で選び取ったという自覚があります。それは、単に「力がなくて失敗した」とか、「運が悪かった」というようなことを言うことではありません。また、「ひどい目に遭った」という思いからは「罪の悔い改め」は生まれてきません。「ひどい目に遭った」というのは、ひどい目に遭いさえしなければ、またやってもいいということです。しかし、悔い改めることは、それが損か得かに関わりなく、そのこと自体を罪として捨てようとする姿勢です。
 先程の、「我に返った」という言葉は、「悔い改める」というニュアンスを伝えていると見る人がいますが、確かにそれに近い意味合いを持っていると言えます。
 
 ここで大切なことは、「」が実際に「」の許に帰ったということです。悔い改めることには、方向転換をして帰ることも含まれています。
 人は、「それは身勝手である。」と言うでしょう。勝手に出て行って、しかも、もらうものだけもらって、後は用はないといって出て行って、困ったことになったといって戻ってくるのは、虫がよすぎはしないかと言うでしょう。
 それが、普通の反応です。「」もそれ位のことは分かっていたはずです。それでも彼は帰りました。恐らく、それほど切羽詰まっていた状況であったということがいちばんの理由でしょう。同時に、そのような状況によって、ということでしょうが、彼はまさに「全くの裸」になっています。「恥ずかしい」とか「面目が立たない」とかいった誇りはすべて捨ててしまっています。
 しかし、悔い改めるということは、そのようなことではないでしょうか。自分の本当の姿が「もはや神さまの御許に帰る他はない」状態にあることを悟って、恥も外聞も捨てて、神さまの御許に帰ることではないでしょうか。

  神へのいけにえは、砕かれたたましい。
  砕かれた、悔いた心。
  神よ。あなたは、それをさげすまれません。
 詩篇51篇17節

 
 私たちは、このような「」の態度は虫がよすぎると考えます。しかし、このイエス・キリストのお話に出てくる「」の思いは、それとは全く違っています。20節には、

こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。

と記されています。
 「」は、ずっと彼が帰って来るのを待っていたのです。もちろん一旗揚げて帰って来ることを期待していたのではありません。その時の息子の姿を一目見れば、息子が何をしたのかよく分かったでしょう。悪臭がひどく、よごれた服を着て、自信が無く、うつむきかげんに帰って来る「」の姿が想像できます。
 その時、父親が、息子に渡した財産のことに心が行っていたとしたら、どうだったでしょうか。息子の姿を一目見てすべてを悟った父親が、

かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。

というようなことは、決してなかったはずです。ですから、父親の心は息子自身に向けられており、その息子の帰りを待っていたのです。
 それにしても、この「」ほど非難と拒絶に価する者がいるでしょうか。父親を邪魔者のように考えて、もらうものだけもらって飛び出しました。父祖たちが大切に受け継いできた、神である主から委ねられた相続地をさっさと売り払ってしまいました。しかもそれを、放蕩の生活で浪費して使い果たしてしまいました。それなのに、自分が困ると、父を頼って帰って来たのです。
 それでも、父親は、彼を見るとすぐ、

かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。

と言われています。この父親の愛には何の計算もありません。ただただ息子を心配して待っていたので、息子が帰って来たことを喜んでいます。それ以上に、息子をそのような惨めな事態の中から取り戻したことが分かって、喜びも倍になったということでしょうか。24節の、

この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。

という言葉には、そんな思いが込められています。
 イエス・キリストはこのことをもって、父なる神さまの、私たち罪人に対する愛とあわれみが、どのようなものであるかを教えておられます。
 父なる神さまの愛とあわれみがこのようなものであるので、どのような状態にある人であっても、悔い改めて父なる神さまの御許に帰って来るのに、「もう遅すぎる」という時も、「もう手遅れだ」という事態もないことが分かります。
 
 ここで忘れてはならないことは、神さまの御許に帰ることは、悔い改めることである、ということです。
 この点に関して注目すべきことがあります。18節、19節には、「」がこのように言おうと前もって考えた言葉が記されています。それは、

おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。

ということです。これに対しまして、21節に記されている、実際に言った言葉は、

おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。

ということです。
 この二つを比べてみますと、実際には、「」は、

雇い人のひとりにしてください。

ということを言っていないことが分かります。
 一般には、父親がそこまで言わせなかったのだと考えられています。しかし、むしろ、息子がそれを言わなかったのだと考えるべきでしょう。
 遠い国で飢えて死にそうな時には、やはり、そのように言って助かりたいという、一種の「自分を守るための計算」が無意識のうちに働いていました。しかし、何の計算もなく本当に自分のことだけを思い続けてくれた父親の愛とあわれみに触れた時に、彼のうちからは、自分を守るためのいっさいの計算が無くなってしまったのです。
 もう、父親のそのような愛とあわれみに触れただけで十分だった、それで、もう死んでもよかったのです。「」は自分のすべきことは、ただ、この「」に対して悔い改めることだけであるということを悟ったのです。
 それこそが、聖書が教えている信仰の姿です。父なる神さまを信じる信仰は、神さまを信じて御利益をもらおうというような打算や取引の上には成り立ちません。そのようなものをはるかに越えた、神ご自身の愛とあわれみに触れて心が溶かされることが、信仰の初めです。
 そのように、「」は、ただ父親の前に自分の罪を悔い改めただけで、何の要求もしませんでした。
 しかし、「」は、その息子に「一番良い着物」を着せ、「手に指輪をはめさせ」、「足にくつをはかせ」ました。これらのことはすべて、その家の「子」として認めることを表わしています。それは、ただ、「」の一方的な愛とあわれみから出たことでしたが、息子が遠くの地でひそかに描いた、あの「せめて雇い人と同じように」という「計算」をはるかに越えた答えでした。
 
 さて、振り返ってみますと、私たちは、「」の許に帰った「」は虫がよすぎると感じたのではないでしょうか。それは、私たちが、「」が犯した罪をそのまま赦すことは、逆に、不正なことで「義」が立たなくなってしまうということに気が付いているからです。
 確かに、いくら神さまが愛と恵みの神であるといっても、不正や罪をそのままにすることは許されません。
 実は、イエス・キリストは、ただ単に、このようなお話によって父なる神さまの愛と恵みを示して下さっただけではありません。ご自身が、父なる神さまの御心に従って、私たちの罪を背負って十字架にかかって死んで下さり、私たちの罪を贖って下さいました。それによって、義の要求は全うされました。イエス・キリストは、ご自身の十字架の上での死によって成し遂げられた贖いの御業をとおして、父なる神さまの愛と恵みを示して下さったのです。

神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現わすためです。
 ローマ人への手紙3章25節

神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
 ヨハネの手紙第一・4章9節、10節

 父なる神さまが私たちを無限に赦して下さるのは、義を踏みにじってのことではありません。御子イエス・キリストの十字架の死による罪の贖いに基づいてのことです。ですから、イエス・キリストの十字架において初めて、父なる神さまの愛と恵みは私たちの現実となります。
 
 このことを踏まえた上で、最後に、29節、30節に記されています「」の言い分を見てみましょう。それは、

ご覧なさい。長年の間、私はおとうさんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しめと言って、子山羊一匹下さったことがありません。それなのに、遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰って来たこのあなたの息子のためには、肥えた子牛をほふらせなさったのですか。

というものです。
 「」は、自分の良さを訴えています。自分が一生懸命にやってきたことを拠り所としています。その上で、父親の不公平さを責めています。それは、自分の働きに見合うだけの報いを求めることです。
 しかし、31節の、

おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。

という「」の言葉が示していますように、「」はちゃんと、自分の働きに見合うだけの報いを受け取っています。
 その限りにおいて、「」は、「」の、あの驚くばかりの愛と恵みを理解することができません。また、その愛と恵みから出ている「」への慈しみに満ちた思いを共有することができません。なぜなら、その愛と恵みは働きに見合うものであるどころか、それを無限に超えた豊かなもので、何の働きもない者に与えられるものであるからです。
 一方、罪のどん底に落ちた「」は、「」の前に、ただ罪を告白して悔い改める他ない自分の現実を悟りました。そのことによって、かえって、「」の驚くばかりの愛と恵みの現実に触れました。その愛と恵みが自分自身を根底から揺り動かして、全く新しく「」の「子ども」として迎えられた喜びを知りました。
 ここには、イエス・キリストの十字架の死による罪の贖いに基づく、神さまの一方的な愛と恵みが生み出す、「不思議な逆転」があります。まさに、

 罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。
 ローマ人への手紙5章20節

と言われているとおりです。


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