マタイの福音書2章1節〜12節には、イエス・キリストがユダヤのベツレヘムにお生まれになった時、「東方の博士たち」がイエス・キリストを礼拝するためにやって来たことが記されています。
今日は、この記事から、神である主を礼拝することについて、一つのことを学びたいと思います。
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2節に記されていますように、「東方の博士たち」は、
私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。
と言っています。
この「博士たち」が見たという「星」がどのようなものであったかについては、色々な説があります。
よく耳にするのは、土星と木星が地球から見たときに重なって見えるようになった時に見られる、特別な光であったというものです。
天文学上の計算では、この現象は紀元前7年と6年に起こったそうです。これは、ちょうどイエス・キリストの誕生の時と思われる頃のことです。また、バビロニヤの天文学では、土星はパレスチナと結び付けられており、しかも、木星は「王」と結び付けられていたと言われています。
しかし、9節では、
すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。
と言われていて、この「星」が、博士たちをただベツレヘムに導いただけではなく、幼子のいる家にまで導いたと言っています。
マタイの福音書2章16節には、博士たちからの情報が得られなくなったヘロデが、「ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子をひとり残らず殺させた」ことと、「その年令は博士たちから突き止めておいた時間から割り出した」ことが記されています。
このことから、「博士たち」が来たのは、イエス・キリストの誕生から二年以内で、恐らく一年ほどたっていたと考えられます。この時、イエス・キリストはベツレヘムの家畜小屋ではなく、普通の家におられました。(その意味では、ベツレヘムの家畜小屋の「飼い葉桶」に眠っておられるイエス・キリストのもとに博士たちが来たという、伝統的なイメージには誤りがあると考えられます。)
もしこの「星」の導きがなかったなら、博士たちは幼子のいる家を訪ねて回らなければならなかったことでしょう。しかも、ベツレヘムにも、イエス・キリストと同じ頃に生まれた子どもはたくさんいたことでしょうから、どの子どもがメシヤであるかの判断に迷ったことでしょう。ですから、
すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。
ということは、主の特別な導きを意味していると考えられます。
その意味で、少なくとも9節の「星」は、超自然的な光のことであると考えられます。そうしますと、ここで、「東方で見た星が彼らを先導し」と言われていることは、博士たちが自分たちの国で見た星も、超自然的な光によるものであった可能性が高いことを示しています。
ただし、マタイは、これらのことについて多くを語ってはいません。それは、私たちの心がそのようなものへの興味にはしってしまって、福音の使信からそれてしまわないようにするためであると思われます。特に、古代オリエントの文化においては、星が大いなる神々と結びつけられていて、人間の運命を支配していると考えられていました。御言葉は、そのような考え方を徹底的に退けています。
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この「東方の博士たち」とは、どのような人たちだったのでしょうか。
言葉の上から言いますと、「博士たち」という言葉(マゴスの複数形のマゴイ)は、元来、今日のイランの一地方に当たるメディアの部族の名であったようです。そして、その部族が星の観測から導き出した技術との結びつきで、後に、この名が、同じく星の研究をする、メディア・ペルシャの祭司階級一般を指すのに用いられるようになったようです。
また、初期の教会の伝承の中にも、この「東方の博士たち」がメディア・ペルシャの賢者たちであるとするものが多くあります。
しかし、その一方で、この「東方の博士たち」が星の研究に携わっていたということから、星の研究の中心地であり、しかも、ダニエルたちから強烈な印象と影響を受けたと考えられる、バビロニヤの学者たちであるとする見方も、古く、オリゲネスの時代からあります。
このどちらかのことでしょうが、どちらを取るべきかを決めることはできません。
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いずれにしましても、「東方の博士たち」が、大変な旅をして、イエス・キリストの許にやって来たことだけは確かなことです。
このような旅をするには、その支度だけでも大変なことです。具体的に考えられることとしましては、「博士たち」は、星の研究をしている学者であり、かつ祭司であったと考えられます。それで、この旅をするためには、その務めを、しばらくの間休まなくてはなりません。また、長い旅をするための物資を揃えなければなりませんでしたし、旅の途中で天災に巻き込まれることも予想して、備えたことでしょう。さらに、「黄金、乳香、没薬」などの高価な「贈り物」を運ぶ旅でもありましたから、盗賊たちからの災難に遭うことも覚悟し、そのために備える人員も必要だったでしょう。
それでこの旅は、相当数の人々からなる一隊を組織しての旅であったと考えられます。その意味でも、ベツレヘムの家畜小屋に「三人の博士たち」がやって来たという伝統的なイメージには誤りがあると考えられます。
このような準備のためには、大変な時間と費用がかかったはずです。そのような時間と労力と費用をかけて、バビロニヤあるいはペルシャの方から、はるばるパレスチナまで旅をして来た「博士たち」を動かしていたものは、いったい何だったのでしょうか。
それについては、「博士たち」自身が、
ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。(2節)
と述べています。
「博士たち」は、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方 」を「拝みに」来たというのです。
同じ道を通って旅をしていた商人たちのように、商売をしに来たのではありません。むしろ、経済的には、この旅によって失うものは多くても、得るものはありません。
また、自分たちの「お国のために」一肌脱いでやって来たのでもありません。
この時ユダヤは、ますますその力を増しつつあるローマ帝国の支配下にあり、しかも、「ヘロデ王」というエドム人の王によって治められている弱小国でした。そのユダヤに「王として」生まれた人物がいても、直ちに、バビロニヤやペルシャに関わりがある訳ではありません。
つまり、この旅は、国家の外交上の必要から命じられたものではなく、純粋に「博士たち」自身の意志で計画し実行したものです。
ある人々は、アレキサンダー大王の誕生の時にも天にしるしが現われたという伝説を引いて、「博士たち」は、後に世界史的な影響を及ぼすことになる王の出現を信じたから、このような旅をしてやって来た、と考えています。
その伝説との関連はともかくとして、そのような理解は当たっていると思われます。少なくとも、それ程の人物の誕生であると信じることがなかったなら、「博士たち」は、このような旅をして来ることはなかったはずです。
しかし、そうではあっても、やはり、「博士たち」が、この旅によって何らかの利益を得るようになるということは考えられません。というのは、いくら後になって偉大な人物になるといっても、この時は、二歳足らずの幼子です。このような場合、その幼子が、自分たちのことを覚えていてくれるという期待をすることはできません。しかも、この幼子が成人する時まで、「博士たち」自身がなお生き永らえている可能性は、ほとんどありません。
さらに驚くべきことには、「博士たち」は、たった一度だけ、この方にお会いしただけです。たった一度だけお会いして礼拝するためにやって来たのです。しかも相手は、「ベツレヘムの片田舎の大工の家の子ども」でした。
いくら「その方の星を見た」といっても、自分たちの思っていたのとは余りにも違っているということで、「宝の箱」に入れて持参した「黄金、乳香、没薬」などの高価な「贈り物」もこっそりと隠して、がっかりしながら帰って行く姿を想像する方が、はるかに自然です。しかし、「博士たち」は、満足して帰って行きました。
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本当に、考えれば考えるほど、「不可解なこと」と言う他はありません。しかし、まさにこの「不可解」と見えることの中にこそ、マタイが「東方の博士たち」の来訪を記したことの意味があるのだ、と言わなければなりません。
マタイが私たちにあかししていることは、「東方の博士たち」は、ただただ、イエス・キリストを「拝みに」来ただけであったということです。
遠いところをはるばると、大変な時間と費用をかけて、危険を覚悟して、ローマ帝国の支配下にあり、他国人が王として治めている弱小国の「片田舎の大工の家の子ども」である方に会って、しかも、たった一度だけお会いしてすぐに分かれてしまうのに、「黄金、乳香、没薬」という高価な「贈り物」を献げて礼拝したということです。
これまで、「これは、本当に不可解なことだ。」と言ってきました。しかし、実は、これは、決して不可解なことではないのです。これまでお話ししてきたようなことから、「東方の博士たち」がしていることは「不可解なこと」であると思うとしたら、それは、そのように思う私たちが、神である主を礼拝することがどのようなことであるか、礼拝の本質をまったく分かっていないからに他なりません。
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このこととの関連で、お話ししたいのですが、ご存知のように、自分たちのことを「エホバの証人」と称している人々がいます。その人々は、イエス・キリストがまことの神であることを否定しています。それで、その組織が出している『新世界訳』では、「東方の博士たち」の言葉を記しているマタイの福音書2章2節の後半部分は、
わたしたちは東方に[いた]時、そのかたの星を見たのです。わたしたちはそのかたに敬意をささげるために参りました。
と訳されています。また、11節の最初の部分は、
そして、家の中にはいった彼らは、その母マリヤとともにいる幼子を見、ひれ伏して敬意をささげた。
と訳されています。
新改訳が「拝む」と訳している言葉(プロスクネオー)を、新世界訳は「敬意をささげる」と訳しています。つまり、「エホバの証人」を名のる人々は、ここで「東方の博士たち」は表敬訪問に来ただけであると主張しているのです。
この言葉(プロスクネオー)自体は、どちらの意味にも訳すことができますから、この言葉だけでは、どちらの訳が正しいかを判断することはできません。
「エホバの証人」が、ここで、この言葉を「敬意をささげる」と訳しているのは、彼らが「イエス・キリストは神ではない」と主張しているからです。その立場からしますと、神さまのみにささげられる礼拝が、イエス・キリストにささげられるはずがないのだから、博士たちは「敬意をささげた」だけである、ということになります。
純粋に教理的な観点だけから言いますと、イエス・キリストは神ではないとする「エホバの証人」の立場からは、これを「拝む」と訳すことは、絶対に許されないことです。しかし、私たちの立場からは、イエス・キリストは、しばしば、人々から敬意をお受けになりましたし、礼拝もお受けになりましたから、これは、どちらの訳に訳しても構わないと言うことができます。それで、これをどちらの意味に訳すかは、この「東方の博士たち」のことを記している記事の文脈によって決めるべきであるということになります。
私たちが、これを新改訳の理解に従って、ここで「東方の博士たち」がただ単に表敬訪問に来ただけではなく、イエス・キリストを「拝みに」来たと考えるのは、この「東方の博士たち」のことを記している記事自体が、そのことを示していると考えるからです。
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2章11節では、「博士たち」は、新改訳に従いますと、幼子の前に「ひれ伏して拝んだ」と言われています。あるいは、新世界訳に従いますと、「ひれ伏して敬意をささげた」と言われています。いずれにしましても、「博士たち」は、幼子の前にひれ伏しています。
このように、ひれ伏したのは、東方の国の高貴な階級に当たる「博士たち」です。それを受けたのは、弱小国ユダヤの片田舎の大工の家の幼子です。
そこには、少なくとも、一般的な意味での表敬訪問が成り立つ要素はありません。すでにお話ししましたように、商業上のメリットも、外交上のメリットもまったくありません。世間的な意味での「見返り」はまったくないばかりか、多大な時間と労力と費用をつぎ込まなくてはなりませんでしたし、そこに来るまでの旅の途中では、危険を覚悟しなければなりませんでした。
これらの点において、「博士たち」の側に勘違い、思い違いがあったわけではありません。「博士たち」はこれらすべてを計算に入れ、覚悟した上で、遠路はるばるとやって来ました。その目的は、ただ一つ、幼子であられたイエス・キリストを(新改訳の言葉では)「ひれ伏して拝」むこと、(新世界訳の言葉では)「ひれ伏して敬意をささげ」ることだけで、それ以外のことは何もありません。
しかもそれだけの時間と労力と費用をつぎ込んでできたことは、その幼子であられる方に、ただ一度だけ、「ひれ伏」す(新改訳、新世界訳)ことだけでした。「博士たち」は、そのことを十分承知の上で、遠路はるばるこの方の許にやって来ました。
2章11節で、「博士たち」が幼子の前に「ひれ伏して拝んだ」(新改訳)、「ひれ伏して敬意をささげた」(新世界訳)と言われていることには、このような、この世的な打算を越えた、「博士たち」の犠牲と献身があるのです。その思いのすべては、何の見返りも計算もなく、ただ、この方の前に「ひれ伏す」ことだけに向けられていました。
「博士たち」のこのような犠牲と献身を「礼拝」であると言わなかったとしたら、私たち人間がなすことで、他に何が「礼拝」であると言えるでしょうか。言葉の上だけで、それを、「ひれ伏して敬意をささげた」だけのことだと言ってみても、それで、「博士たち」のこのような犠牲と献身の現実が変わるわけではありません。
先ほど、この「博士たち」のしていることが、私たちの目に不可解なことと見えるのは、神である主を礼拝することがどのようなことであるか、分かっていないからだと言いましたが、それは、このようなことだったのです。
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この「博士たち」のしていることが、決して不可解なことではないと了解することができるようになるのは、「博士たち」が、神である方を真実に礼拝するためにやって来たということを受け止めるときだけです。
この「博士たち」の犠牲と献身は、神である主に対する礼拝がどのようなものであるかを、この上なく豊かにあかししています。それは、まことの神さまへの礼拝は、その「ただ一度の礼拝」が、「博士たち」がかけた時間と費用と労力、そのために冒した危険のすべてに価して余りあるものであるということです。
私たちは、今日も、この天地の造り主である神さまの御前にひれ伏しています。私たちの目には、これは、週ごとに繰り返されていることの一つとしか写らないかも知れません。しかし、私たちは、今ここで自分たちがささげている、この「ひとつの礼拝」が、「東方の博士たち」のあの犠牲と献身のすべてに価して余りあるものであるということに気づかなくてはなりません。
おぼろげな啓示の中で救い主の誕生を察知し、しかも、その目に見える姿は、弱小ユダヤの片田舎の大工の家の幼子でしかなかった方に、ただ一度の礼拝をささげるためだけにあのような犠牲を払った「博士たち」の献身は、豊かな啓示と、贖いの御業の完成によってもたらされた、あふれる恵みの中でささげられる、残念なことですが、おざなりの礼拝を、どれほど恥ずべきものとしていることでしょうか。
私たちは、神さまを礼拝するために、「東方の博士たち」のように、はるばる旅をする必要はありません。それは、御子イエス・キリストの十字架の死と死者の中からのよみがえりによって、贖いの御業が完成したからです。それによって、栄光のキリストが、ご自身の御霊によって私たちの間にご臨在してくださるようになりました。それで、私たちは、どこにあっても神さまのご臨在の御前に近づくことができるようになりました。イエス・キリストが、礼拝する場所について質問したサマリヤ人の女性に、
わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。 ・・・・・・ しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。
ヨハネの福音書4章21節〜24節
とお答えになったとおりです。
御子イエス・キリストの贖いの恵みに包まれて、御霊のお働きによって、いつでも、神である主のご臨在の御前に出でて礼拝をささげることができることは、「東方の博士たち」に言わせれば、私たちが「うらやましいほどの」恵みを受けていることに他なりません。しかし、そのような恵みの中にあるために、かえって礼拝がおざなりなものになってしまうことがあることを、自ら心して戒めたいと思います。
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そうではあっても、このマタイの福音書の記事が示していることの中心は、「東方の博士たち」の犠牲と献身にある礼拝のことではありません。このマタイの福音書の記事から、「博士たち」がすばらしい礼拝をしたということを知って感動したとしても、それは、この記事があかししていることの「副産物」でしかありません。
この記事の中心は、「東方の博士たち」の犠牲と献身にある礼拝を通してあかしされている、永遠の神の御子イエス・キリストご自身です。
再び、「博士たち」の思いを、今日の言葉で代弁することが許されるとしたら、やはり、「博士たち」がすべてを傾けて礼拝した方があがめられ、あかしされることだけが、その心からの願いであるはずです。私たち罪人の罪を贖うために貧しくなって来てくださり、十字架にかかって死んでくださった、永遠の神の御子イエス・キリストは、全被造物の礼拝を受けるにふさわしい方であり、私たちのすべてを傾けて礼拝すべき方であるというあかしです。
確かに、真の礼拝者にとっては、まことの神さまを礼拝し、あがめること以上の目的はありません。「博士たち」は、ただ、イエス・キリストを「拝みに」来ただけでした。彼らにとっては、その礼拝そのものが目的でした。
しかし、それは、罪を宿している私たちの生来の性質にとって、自然なことではありません。
罪の下にある人間が「神」を礼拝するのは、「神」から「恵み」をいただくためであって、「神」を礼拝し、「神」をあがめること自体が目的ではありません。そこでは、「神」も「神」を礼拝することも手段化されています。ですから、罪の下にある人間は、手段化できる「神」(偶像)を拝みますが、決して手段化することができない、造り主である神さまを礼拝することはありません。
造り主である神さまをあがめること自体を目的とする礼拝をささげることができるためには、私たちが、御子イエス・キリストが十字架の死と死者の中からのよみがえりによって成し遂げてくださった贖いの御業にあずかって、罪の力から解放されていなければなりません。その意味で、そのような礼拝は、御子イエス・キリストが成し遂げてくださった贖いの御業に基づいてお働きになる、御霊によって、私たちのうちに生み出してくださるものです。
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私たちは、自分自身のうちに罪を残している者です。そのために、しばしば、自分が満たされること、満足することを「恵まれること」の本質、あるいは、中心であると感じる、自分中心の感じ方に縛られ、動かされてしまいます。そのために、神さまを礼拝すると言いながら、自分が満たされることを求めてしまいます。
このように言いますと、本当の意味で神さまを礼拝したものは、何ものにも代えることができない、本当の満足を得るはずではないかと反論されるかもしれません。
確かに、そのとおりです。しかし、それが本当の満足であれば、それは、礼拝をとおして自分を満足させようとしたことによって得られるものではありません。そのことは、「東方の博士たち」のことを考えるとよく分かります。「博士たち」は、イエス・キリストにお会いし、イエス・キリストを礼拝することだけを目的として、大変な時間と費用をかけて、はるばる旅をしてきました。そして、その目的を果たした後、本当に満足して帰りました。けれども、「博士たち」は、自分たちが満足することを計算したり見越したりして、イエス・キリストの御許に来たのではありません。
この「博士たち」の姿勢は、「神のかたち」に造られている人間の本質に触れることをあかししています。それは、「神のかたち」に造られている人間は、真実に神さまに礼拝をささげることを存在の目的としているということです。それで、私たちは、神さまの御前にひれ伏し、神さまをあがめるること自体を目的として礼拝するときに、真の充足を得ることができるのです。
しかし、私たちは、自分の力で、そのような「神のかたち」に造られている人間の本来の姿と、本当の充足を回復することはできません。それは、御子イエス・キリストが、ご自身の十字架の死と、死者の中からのよみがえりによって成し遂げてくださった罪の贖いにあずからせてくださって、実現してくださることです。
実際に、私たちのうちに働いて、私たちを造り変えてくださるのは、イエス・キリストが成し遂げてくださった贖いの御業に基づいてお働きになる御霊です。御霊は、私たちを「真の礼拝者」に造り変えてくださいます。そして、神である主をあがめることを目的として、礼拝することができること自体が「恵まれていること」の本質であると感じるように価値の基準を変えてくださいます。
私たちは、実際に、一つ一つの礼拝において、御子イエス・キリストの御名によって、神さまをあがめることを目的として礼拝することをとおして、この御霊のお働きにあずかっていきます。そして、自分が満たされ、満足することにではなく、神である主を、本当に神さまにふさわしくあがめることに心を配る者へと造り変えられて行きます。それによって、真実に神さまをあがめる目的で礼拝する時にこそ、自分が本当に満たされ、充足していると感じることができるようになっていきます。
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